折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

宿場テクテク-3(自分にお土産)

2020年10月06日 | 馬篭・妻籠

アケビ



今回も特にお土産を買うつもりはなかったのですが、絵のモデルになりそうで買えそうなモノがあればとお店をチラチラ見ながら歩いていました。
妻籠のお店の棚に値段の付いていないイガつきの栗が並んでいて欲しくなりました。
「あの棚の栗、分けていただけませんか」
「あれは売り物ではなくてね。もうイガが茶色くなってね」と。
「茶色くてもいいのですが、ダメですか」と私。
「良ければ差し上げますよ。売り物でないからお金はいただけません」
そう言って袋に入れてくださいました。




いただいた栗




それでもただと言う訳にはいかないので店先にあった真っ赤な唐辛子の枝を一束買いました。
「裏の山の方に行かれたら栗の付いた枝があるから好きなのを折っていいですよ。収穫は終わってるから後は落ちるだけですから」と言われます。
そう言われても、他人の山に勝手に入って採る訳にはいかないです。コスモスの家の方といいこのお店の方といい皆さん細かいことを言われない。土地柄でしょうか・・・勝手にどうぞってなかなか言えないとことと思いました。
小さなリュックに新聞紙で包んだ唐辛子を突っ込むと丁度赤い唐辛子が顔を出します。白髪頭に黒いリュック、間にのぞく赤い唐辛子、後ろ姿がきれいでいいじゃないかとそのまま背負って歩きました。




唐辛子






それから少し歩くと戸をいっぱい開け放った縁側に細々並べた店にプラスチックの容器に入ったアケビがありました。白っぽいアケビですがいい具合に開いてモデルにも食べるのにも良さそうです。1パック200円、驚きの安さですが、持って帰ることを思うと1パックしか買えません。添えられた枝についているのは三枚の葉なのでミツバアケビかな。次々に覗いて行く人はいても誰もアケビには興味がないようでした。だからこんな値段でいくつもあるんだわ、もったいないこと。これは潰さないようにそっとリュックの上の方に入れて、いただいた栗は下の方へ。



街道沿いには栗きんとんや栗のお菓子の看板が多くて、今が旬なんだと思いながらも並んでまで買う気にもなれず、買っても自分用に2個、それなら夕食用のお弁当買った方がいいかしらと夢の無い結論になりました。



買った時のアケビ

 アケビの皮の肉詰め



買ったアケビは家に帰って何枚かスケッチしてから実をスプーンですくって食べました。トロリ、ネットリとして甘い。甘いものがない時代、きっと収穫が楽しみだっただろうと思いながら食べると黒い粒々の種が多すぎて、ぺっぺとしながら食べたのは二つ。
そして残ったアケビの皮は挽肉とキノコを味噌で味付けして詰め、フライパンで焼いてアケビの肉詰に。以前、開田高原の宿でいただいて初めて知ったものです。その後ブロ友さんの記事にもあってアケビが手に入れば作ってみたいと思っていました。今回やっと手に入ったのです。
多めの油でゆっくり火を通して出来上がり見た目は、う~~ん、どうかしら。
食べれば柔らかくなった皮がちょっぴりほろ苦くて美味しかった。秋の夜長、これを肴にして一杯なんていいだろうなと思いながら下戸の私は新米のご飯をお代わりしました。おかずにしても味噌の風味が美味しかった。

アケビに栗に唐辛子、自分へのお土産になりました。
思い付きで出かけた一日旅、その割には充実した楽しい時間を過ごすことが出来ました。
おしまい。

街道テクテク は今日で終わります。訪問有難うございました。
明日から私にしては忙しく、今週はブログお休みするかと思います。どうぞよろしく。

宿場テクテク-2(妻籠 つまご)

2020年10月05日 | 馬篭・妻籠

妻籠の無料休憩所でおにぎり食べながら



馬籠をバスが出発したのが13時5分、外人さんは徒歩で妻籠に向かわれてバスの乗客は4人。
13時30分には妻籠に着いたのでここでの自由時間は1時間50分。

馬籠宿から馬籠峠を越えてしばらく下った頃、素朴な街道筋らしい風景があり「大妻籠」と看板がありました。いつかは訪ねてみたい風情がありそうな集落でした。あとで妻籠の案内所で聞くと妻籠から20分位で歩けるとのことで、タクシーなら3kmで1040円。3キロを20分で歩けるのかとも思いますが、車の入れない近道が旧街道のようでした。




妻籠宿・ここは閉ざしたままの家が続く 暗い建物をどう描いたらいいか…




中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目の妻籠宿、中山道と伊那街道が交わる場所として賑わっていたとの事。その後交通機関の発達で機能を失い衰退して行った後、昭和40年代に町並み保存の運動が始まり「売らない、貸さない、壊さない」を中心とする住民顕彰をつくり守られてきたおかげで江戸の宿場町の雰囲気を味わえる空間になっています。







歩いてもスケッチする場所が見つけられずテクテク歩いてばかりですっかり疲れてしまいバス停近くで座り込んでもう一枚。うっかりしていて置ていかれるのが心配なのでバス停近くから離れられないのです。残っていた稔りの田をスケッチ。
座った場所は駐車場、車が帰って来て大慌て・・・広いので止められましたが、冷汗でした。








その後予定通りにバスは6人を乗せて名古屋駅に着きテクテク旅は終わりました。
家に着くと1万3千歩超えていて、夜は早々と就寝。
ともかく歩けたことが何よりも嬉しい一日となりました。

もう一日、土産の話が続きます。

宿場テクテク-1(馬籠 まごめ)

2020年10月04日 | 馬篭・妻籠

馬籠宿  F2




10月3日に中山道 馬籠宿と妻籠宿に行きました。二つの宿場をテクテク歩いて1万歩を超えました。私にしては大したことです。
涼しくなって何処かに行きたい病がウズウズしてきてふと思付いたのが馬籠、ここは昔々子供会の遠足の付き添いと、あとは高校生の時に行ったきりの場所です。

馬籠・妻籠へは名鉄バスセンターから土曜日曜と祝日に季節運行される直行便があります。名古屋を9時20分出発、11時10分に馬籠に着くと1時間55分の自由時間、馬籠からバスで移動して妻籠に着くとここでも1時間50分の自由時間があって名古屋に戻ります。名古屋帰着は17時30分。往復5千円。
予約なしで駅に行って見ると大型バスに乗客はオバサン2人連れ、西洋人カップル、若い女性の一人旅さんと若くない一人旅の私の計6人。
外国人カップルさんは馬籠から妻籠まで約8キロを歩いて妻籠バス停で再会でした。島崎藤村の小説「夜明け前」に「木曽路はすべて山の中である」とあるように今も山の中です。中山道の旧街道は石畳の残る所もあり出来れば私も歩きたいでのすが膝の不調に加えて、案内所ではクマよけの鈴の貸し出しもありました・・・ちょっとこれでは・・・。

馬籠は宿場全体が急な坂道で両側に店が並んでいます。
歩き始めると急な坂につい立ち止まり、お店の五平餅が美味しそうで1本買って店先でいただきながらおしゃべりしました。
「坂道は苦手でね・・・」と私。
「以前にも来られた方は皆さん、こんなに坂が急だったかなと言われますよ。みんな年取って来たって事でね」なるほど、私も40年前は苦も無く登れたはず。
「人が多くて驚いた」と言えば「私らも驚いてね。外人さんも団体さんも来てないのにね。人は多いけど団体さんのように競争して土産を買ってくれる人は少なくてね」そうなんだ、私も買わないし。

道の脇にあった神社の石段に腰掛けてややこしい枡形の路や建物を描き始めると、同じ枡形を撮る人が次々まわりにも前にも立ち皆さん普通に日本語で話しているので日本人らしい。もうっ!絵は途中にして店じまい。つづきは家で・・・これが見出しの絵です。
だんだん人が多くなってきたのでお店の人がお勧めの展望広場まで登り、ゆっくり見下ろした風景をスケッチ。ついでに恵那山も。宿場の家並みは時間も迫って来たし人も多くて描いてはいられませんでした。
この後に行った妻籠宿でも思ったことですが、保存されてきれいになってはいるものの、どこか作り物と言う感じがするのがちょっと残念でした。
馬籠宿はもともと明治時代の大火で古い建物はほとんど残っていないそうです。ですが、60年程前はデコボコの荒れた石畳ももっと趣があった気がします。趣・・・これは観光客の勝手な思いかもしれません。手を入れられず廃れた場所を有難がっていては人は来なくて暮らしは成り立たないでしょうし・・・。





展望広場から F2


展望広場から恵那山 F2


コスモスと恵那山
展望広場の近くで個人のお宅の車庫の奥のコスモスがきれいでした。ちょうど車を出されるところだったので「車庫から写真撮らせていただいてもいいですか」と言うと、素敵な奥さんが「どうぞどうぞ、コスモスきれいでしょう!良かったら好きなだけ切ってってください」と言って車は走り去り・・・欲しいけど一人でコスモス切ってたら通報されそうと思うし、バスでは持って帰るまでに萎れるしと、とるのは写真だけにしました。


藤村記念館 時間がなくて見学できませんでした


11時過ぎ午前中はまだ人が少ないけど・・・

次回は妻籠宿です


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