折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

久しぶり~~・・・♪

2019年11月30日 | 風景
    「積藁ははるか遠くに」


高校時代からの親友とずっと会うこともないまま時々電話だけでおしゃべりしていました。
もう何年会っていないのか分からない程の年月が経っています。
11月末から彼女の住む街の近くで知人の展覧会があり「一緒に見に行かない?」と誘ってみました。ちょっと元気をなくしている彼女が来てくれるか心配していましたがご主人の送迎で会うことが出来ました。


電話で話すときにイメージしているのは高校時代の彼女です。ベティちゃんのように巻き毛で可愛いほっぺの元気いっぱいの女の子でした。大人になってからも会っているのに浮かぶのは高校生の頃の顔ばかり。

彼女は私のことを思い出すのはいつも痩せっぽちで泳いでいる水着姿なんだとか。
「それじゃあ会っても分からないよ。あの頃から15キロ以上太って髪はグレーなのっ!」

展覧会場で落ち合うと・・・お互いに「あ~~!」って感じです。
二人共グレーヘアーにシミ・シワあり。歳月は平等に過ぎたようです。

車で送って来られた彼女のご主人はずっと以前展覧会場でお会いした時、そこにいた男性が「あんなにいい男には一年で一人出会うかどうかだなぁ」と評したほど惚れ惚れする程の人でした。
今でも十分カッコいいのですが、ご主人にも歳月は平等だったことを確認しました。

しばらく話して見慣れてしまえば昔の彼女と同じです。彼女もそう思ってくれていると思いたい。
知人の展覧会を理由にしてでもちょっと引きこもっていた彼女を引っ張り出せて良かったなと思いました。「会うのは10年振りくらいかね、次はまた10年先かしらね」と言うので「会って話が出来るうちにまたね」と。こうした機会をもっと作りたいものと思いました。






我が家から展覧会場へは私鉄に乗って途中JR中央線に乗り換えて行きました。
帰りにJRの電車の窓から刈り取られた田んぼに今は珍しい積藁がいくつか見えました。急に思いついて途中下車。積藁の有ったと思う辺りまで線路伝いに戻ると電車では少し走って駅に着いたと思ったのに歩けば結構遠かった。しかも積藁に近づけない。思いつきだけではこんなことはよくあること。駅まで引き返す道はなお遠かった。
でも心配していたよりは元気そうな友人にほっとして、展覧会の絵も良かったし作者の知人ともお話しできていい一日になりました。




今頃になって読むと・・・

2019年11月29日 | 風景
「浄瑠璃寺山門」




先週一泊二日で奈良に一人旅をしました。
向こうで描いたスケッチを見なおしたり、ブログを書いたりしていると色々な思いが湧いてきます。

初めての奈良は小学校の修学旅行、ワイワイ言いながら先生に遅れないように歩いたこと、大仏様が大きかったことくらいしか覚えていない。
次に行ったのは高校の修学旅行、三泊四日で京都と奈良のお寺ばかり回りました。頭の中は仏像とお寺で一杯。もうどれがどれだか分からなかった。引率の美術の先生は行く前に和辻哲郎の「古寺巡礼」を読むことを勧められました。学校の図書館であの頃はまだ白黒だった写真集を見て本をざっと読んで分かったようなつもりになって「いいなぁ~」とあこがれだけは持って行きました。

それから何度か訪れた奈良、娘とレンタサイクルで駆け巡ったり夫と歩いたこともありましたがいつも次へ次へと大忙しの旅。今回は一番気持ちがゆったりしていたせいか考えたり思い出すことが多かった気がします。


今回の旅から帰ってずっと本棚に眠っていた「古寺巡礼」を取り出して拾い読みしてみるととても面白い。
私は法隆寺の回廊から五重塔と金堂を眺めた時の特別な気持ちをブログにどう表現したらいいのか分からなくてとてももどかしい思いだったのですが、この本の中で作者が法隆寺を訪ねた時の印象が私が感じて表現したかったことにとても近かったのです。

和辻哲郎が大正7年に奈良を旅した時の印象記を大正8年に出版された本です。手元にあるのは昭和22年の改定版ですが、100年以上も前に旅した人と同じ感動を得られた事がとても面白いと思います。
先生に言われて読むのではなくて自分の体験と重ねて読む本はまるで違う。
美術の先生はこの本を持って度々奈良を歩かれて「奈良はいいよ」と言われたことを思い出します。
あれから60年余、やっと少しだけ先生の話が響いてきた気がします。

この本が書かれた時、和辻哲郎は浄瑠璃寺の吉祥天像を見ないままだったようで、何も触れられていないのがちょっと残念。
本を読むことが少ない私、ぼんやり過ごさないでもっと本も読まなくてはと思うのも奈良の旅の成果だと思います。




よそのご主人

2019年11月28日 | 身のまわりの物
   「レモンと置物の家」 



朝新聞を取りに外に出ると今はまだ暗い。
家から少し先の自動販売機の前で今朝も近所のご主人がスマホを見ながら缶飲料をを飲んでいる。
毎朝の事。冷たい風が吹く日は背中を丸めて、夏の朝は蚊の襲撃にバタバタしながら、雨の日は傘をさして。家の前を通り自販機まで行くときもスマホを見つめたまま。「おはようございます」と声を掛けると「・・・」と言われる。顔はスマホに向いたまま。
ご近所さんの話では「奥さんも働いて見えるでしょう。朝の忙しい時に家でウロウロしていると叱られるらしいのよ」と。50過ぎたかなと思われるご主人は昨年管理職になられたと新聞にあった方。
「管理職ったって奥さんの方が先になったから、勝てないのでしょう」って、家庭で勝ち負けの話ではないと言う訳にはいかないのかしら。
木枯らしに吹かれて自販機の飲み物で静かな時間を楽しむ・・・人の家のことなのに何だかね。


もう一人、毎日我が家の前を通ってコンビニまで新聞を買いに行くご主人がある。私と同じぐらいの年恰好の方。件のご近所さんの話では「奥さんがスポーツ紙を取ってくれないから自分で買いに行くんだって」と。確かに・・・嫁に行かれたとはいえ娘さん二人と時々見かけるお孫さんも女の子。これはわかる気もする。歩けば運動にもなるし。


いろんな家庭とご夫婦があるなと思いながら、ご近所さんの奥さんに私たちはどんなふうに見られていてどんな言われ方をしていた事か聞いて見たかったような、多分聞かない方が良かった気はしますね。

足りない物

2019年11月27日 | 
   「鉢植えのサルスベリの紅葉」



時々電話をかけてきて長話をする友人がいます。
「会えなくても電話でいつでも昔に戻っておしゃべりできるっていいよね」と彼女。
私は「会って話したら私はこんなふうに聴き取れないからね。電話が有り難いの」
固定電話をスピーカーホンにして補聴器をすれば普通に話せますが、対面では彼女の声はかなり聴こえ
ないはず。「聞こえるって凄い事なんだよ」と言うと「考えたこともなかった」って。

私が旅行に行きたいと言うと「街中で暮らして自然がないからでしょう。田舎に暮らしなさいよ」と。
「そうかもしれないけど今さら田舎暮らしはできっこない」
彼女は郊外の水田に囲まれた地域で猫と犬と畑仕事が趣味のご主人と暮らしている。
「どこにも行かなくても周りの自然を見ているだけで幸せよ」
「それはいいけど・・・そうかなぁ?」と私は思ってしまう。
それよりも前向きな気持ちをなくしているのではないかと心配になって来るのです。

今月末から彼女の街の近くで開かれる展覧会へ一緒に行く約束をしました。
「会うのは何年振りかしらね。白髪頭にビックリしないでね」と言うと
「いつも電話で話しているから話すこと残ってるかしらねぇ」と気乗りのない返事。
どこへも出かけたくないと言う彼女は本当に来てくれるかしら・・・

夫が亡くなって寂しいだろうと心配して時々電話をくれるようです。
寂しいけど色々したい事もあるし行きたい所も沢山あってたまには節約旅行なら楽しめるし。
考えればあれもこれも足りない物はいっぱい。でもそれは思っても仕方が無い事。
経済的にもご主人にも恵まれて「行きたい所も食べたいものも特にないわね」なんていうのは豊かだ
からではなくて彼女に不足しているのは「意欲」だと思う。
幸せ過ぎのせいなのか、先頭に立って歩いていた以前の彼女は・・・何だか寂しく思えます。



    「ウインターコスモス」

日暮れが早い

2019年11月26日 | 
    「柚子」



家で実ったと言って柚子をいただきました。
手に取るととてもいい香り。小さくても昨日の鬼柚子より香りが高い気がします。
いただいた柚子を抱えたままおしゃべりしていると、いくらも経たないのに辺りは薄暗くなって
「あら、遅くなっちゃった」と言われて時計を見るとまだ5時過ぎ。日暮れが早いのです。
家の前を下校の中学生が通って行く時間なのに。
新聞を見ると日の入りは16時42分とあって早いはずです。

日が落ちると夕飯の時間だという気がして準備を始める。支度と言ったって作り置きのおかずに
あと一品かみそ汁位なのですぐできる。出来れば食べる。
寝るまでの時間が長い。だから秋の夜長なのかなと思います。
長い夜を有効に大切に使えばと思いながら、なんとなく時間が過ぎて寝てしまう。
勿体ない事です。
本を読んで絵を描いて、充実した夜を過ごしたいものと思っては、います。
昨夜は、少し本を読んで眠くなりテレビを見て・・・でした。
 



   「カラスウリ」

好きな秋の実

2019年11月25日 | 
  「ノブドウ」



秋の山里を歩くと藪に絡まったノブドウやカラスウリの実が美しい色に染まっているのを見かけます。
家でも育ててみたいとカラスウリの苗をいただいて2年、実がならないまま大きくなり過ぎて諦めたしスズメウリもその勢いに負けて翌年から止めました。
ノブドウだけは地植から植木鉢に移してこじんまりと実を付けています。夏には花が咲いて緑色の実を付けていたのが今は葉が黄色くなってきて実は青や紫になりました。実の色が美しく変化するのは虫が寄生するからだとか。そんなことは知らない方が良かったかもと思いながら作り物のように美しい実を朝な夕なに眺めています。
先日、この実を描かれた素晴らしい水彩画展を見て描き方を聞いて真似してみましたが真似はまね・・・

  
    「真似・・・」



初夏に実った鉢植えのラズベリーがまた赤い実を付けました。チョッピリですが美味しい!
夏の間元気がなかったワイルドストロベリーも元気復活、これも実りの秋です。


  「ラズベリー」




いただいた「鬼柚子」はデッカイ!!!


  「オニユズ」

秋の奈良へ(4)

2019年11月24日 | 奈良
    「浄瑠璃寺本堂」


今回の旅の最後は浄瑠璃寺(京都府)。
岩船寺から山道を下って到着するとここは観光客でいっぱいです。



浄瑠璃寺の庭園をはさんで本堂と向かいあう国宝三重塔は1176年京都から移されたという美しい塔です。
横に長い本堂の九体阿弥陀堂も国宝。九体の阿弥陀様をおまつりしてあるので九体寺(くたいじ)とも言われます。



  「本堂」



堂内は光を抑えてうす暗い中にずらりと並ぶ阿弥陀様、そのうちの2体は修理のために運び出されていてお留守でした。ご本尊のひときわ大きな金色の阿弥陀様にお参りしてから私の本命、吉祥天女像を見せていただきました。鎌倉時代の作で秘仏となっており決まった期間しか見られませんが丁度秋の開扉時期にあたりました。
像高90㎝、今も彩色の残る立像。写真家の土門拳氏は「日本一の美人である」と評されたとか、多くの方が一目見て恋に落ちたとか言われています。
しもぶくれの豊かな頬、くっきりした切れ長の眼、細く長い眉と小さな唇は日本古来の美人です。唇に残る紅色に心惹かれると言われた方もありましたが、暗い厨子の中ではそこまでは分からず想像して見上げていました。

厨子の中に立たれる天女に立ち止まる方は少なくて、ひとりでゆっくり拝見できました。



  「吉祥天女像」ネットから拝借



ここで気になったのがオバサマグループの笑い声や話声の大きなこと。
阿弥陀様が二体足りないと言っては笑いお賽銭の額でまた大笑い・・・それで日本人なのです。
庭園でも笑い声は響いていました・・・
この庭園で岩船寺でスケッチしていた男性にまたお会いしました。
「岩船寺でも描かれていましたね」と声を掛けると描きあがった水彩画を見せていただけて
「昨日談山神社で描いたのがこれ、ここが描けたら新薬師寺に回ります」と吉野在住の方でした。
男性の後ろで私も一枚。私はF1サイズなので15分ほどで終わり。「早いですね~」と言う声に振り返るとシニアさんがずっと見ておられたとか。「時間をかけると描き過ぎちゃうので」と。
私の前で描いている方はF6サイズで丁寧にまだまだ時間がかかりそうでお先に失礼。その方にキャンディーを1個いただきなめながら浄瑠璃寺を後にしました。

 「浄瑠璃寺三重塔」



入り口にある食べ物屋さんはどこも満席。昼食はまた非常食のアンパン一つ。
13:46発のバスに乗り14:09には近鉄奈良駅に戻りました。
名古屋までの高速バスは15:15発、それまでに商店街の王将で天津飯の昼食。
それでもまだ時間があるのでフラフラと急坂を登って行くと興福寺北円堂に出ました。
興福寺の金堂や五重塔、南円堂を眺めて休憩。
今回はどこでも鹿にあわなくて塔ばかり訪ねた旅だったなと思いました。

バスは時間きっちり出発してほとんど眠っているうちに名古屋駅のビル群の灯りが見えて到着。
家に着いたのは7時少し前でした。
怪我もせず迷惑もかけず無事に帰宅出来て一安心。
いつ行っても素晴らしい奈良、また機会を作って出かけたいと思います。


「秋の奈良へ」は終わります。読んでいただき有難うございました。

秋の奈良へ(3)

2019年11月23日 | 奈良
 「岩船寺の塔」




奈良の旅二日目。前の晩あまりに早く寝たので4時過ぎに目が覚めてしまい朝風呂へ。
さて今日はどう過ごすか、予定していた薬師寺は工事中で大きな足場が組まれていたから敬遠して
せっかく買ったフリーチケットで行ける所は・・・以前知人に勧められていた岩船寺から浄瑠璃寺への
「石仏を訪ねる道」を調べるとなかなか良さそう。
「秋の奈良へ」と言う標題なのにそこは京都府、当尾と呼ばれる木津川市になります。
斑鳩ーいかるが、当尾ーとおの 等と地名の読みは難しい。


JR奈良駅9:04発のバスで30分、浄瑠璃寺着。
ここからコミュニティバスに乗り換えて岩船寺へ。私は初めてのお寺です。
境内に入るとパッと目を引く赤い三重塔は室町時代の建立。深い緑の中に建つ塔を引き立てるように1本のモミジの紅葉が印象的でした。本堂の平安時代行基作と伝えられる阿弥陀様にお参りしてからスケッチ。本堂脇でも男性が一人スケッチされている。ここは紫陽花寺として有名だとか。
三重塔の脇を登ると鐘楼があり前の人に続いてお賽銭を上げて撞かせていただきました。
山に囲まれているせいか余韻が長くゆっくり広がり身体が包み込まれて行くようでした。
 
  
「途中の集落で」



岩船寺で地図を買い浄瑠璃寺まで約2キロの「石仏を訪ねる道」へ出発。
美しい日本の歩きたくなる道500選に選ばれた道、本当は散策コースがずっと広がっていますが、私が
歩くのはほんの一部。
山を下る道は誰も歩いていない。休憩がてら集落をスケッチ。しかしこの先は手すりが頼りの石が組まれた急な下り坂。あたりは森が竹に浸食されたような荒れた竹藪、風で竹のきしむ音なのかギッ ギーギーと言う音ばかりの暗い道。足元だけを注意して「美しい…歩きたくなる…? う~ん」


  「山道」



  「平らな道」



しばらくして急坂を降りきると平坦な明るい道に出てヤレヤレ。周囲に目が行くようになると木や藪に
絡みついたカラスウリの橙や黄色が鮮やかでした。
左手に少し行った先の「わらい仏さま」と頭だけを土中から出して休んでおられる「眠り仏さま」に出会えて本当にホッとしました。ここでは遠回りコースからの二人連れにも会いました。



  「わらい仏」



   「からすの壺二尊」


なだらかな道を下って「からすの壺二尊」に手を合わせているとザワザワと人が多くなりました。
もうすぐ浄瑠璃寺です。
膝が心配なので道から外れて行かなければならない仏様は通過させていただきました。
石仏の多くが鎌倉から室町時代の古い仏様。自然災害や争乱の波を超えて地域の人に守られてきた仏様です。もっと元気な時にずっと先まで歩きたかったなと思いました。
途中には「吊り店」と呼ばれる無人販売所がいくつもあって柿、漬物、茶葉などが袋に入れて吊るされていて「ここのひの菜漬が美味しいのよ」と観光客の人に言われて私も一袋100円を二袋買いました。家で食べたら葉がかたくてかなり辛い・・・失敗。
珍しいのは黄色い実のフォックスフェイスが沢山売られていた事。特産なのでしょう。石仏のお供えにもされていました。


  「吊り店」


最後に訪れたのは大勢の観光客でにぎわう浄瑠璃寺ですが・・・
長くなってしまったのでつづきは明日に。

秋の奈良へ(2)

2019年11月22日 | 奈良
    「法隆寺への道


   


   「法隆寺遠望」




  「築地塀」




   「夢殿」






法輪寺から歩いて法隆寺へ。
住宅街の道をまだかなぁと歩いて行くと長い築地塀の左手に突然と言った感じで「夢殿」入り口。
右手は法隆寺へ向かう長い築地塀。ここまで来ると観光客にも出会いました。境内には土産を売る出店もありましたが片付けの真っ最中。すでに3時半近い。これから広い法隆寺の拝観は無理だと思い外から眺めることにして
所々にある門の鬼瓦の立派さに立ち止まり、国宝「東大門」(奈良時代)をくぐり、国宝を普通にくぐって行けるなんて凄いことだと思います。いくつもの国宝や重要文化財の建築群、さすがは法隆寺です。
世界遺産のここはスケッチ禁止なのは仕方のない事。



  子規の句碑


小さな池の端にある子規の句碑「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」夫が長い時間ここで苦吟していた姿が思い出されて、スケッチと俳句に夢中だったあの当時が夫の一番良い時期ではなかったかと思います。

せっかくここまで来たのだからと気が変わって30分でも五重塔を拝観しようと受付に行くと「3時50分からは拝観料は半額です」って。1500円が半額は嬉しい!
飛鳥建築の粋を集めたと言われるエンタシスの柱が並ぶ回廊。そっと柱に触れるとずっと昔の人達と
繋がっているような気がしてそのままでいたその時「ゴ~ーン」と鐘の音。
まさに鐘が鳴るなり法隆寺・・・係りの方が「4時の鐘です」と。正岡子規も聴いた鐘の音は心に沁みいるような特別な音でした。毎日8時から午後4時まで2時間ごとに鳴らされる「時の鐘」8時は8回、12時は12回打たれるのだそうです。

わが国最古の五重塔をながめて金堂へ。
ご本尊の釈迦三尊像他多数の仏様とたった一人で向き合えたのは終わり間近のお陰です。
昭和24年に焼けた壁画はパネルに復元されてはめ込まれていました。
4時半に閉門と言う事でしたが金堂は内部の扉を閉めてから外の扉を閉める時間がかかるので少し早めに閉めますとのこと。内扉も厚い扉で大きなくさびで止められるのだとか。
最終点検が始まった西院伽藍を出て振り返ると夕焼けが始まりかけた空に五重塔が悠々とそびえていました。





南大門をくぐって長い松並木の道を行くとやっとバス停。
夕焼けがますます鮮やかになって沈むまでここにいたいなぁと思っているうちにJR法隆寺駅行きの
バスが来て10分ほどで駅に到着。ここからJR快速で奈良駅まで10分ほど。あっという間に着きました。
ホテルは駅と連絡通路で繋がっています。その前に駅の隣のスーパーで夕食の買い出し。とても外に食べに出る気力はありません。昼食は・・・スケッチしながら食べたアンパン一つ。思い出したらお腹がすいてきてつい買い過ぎてしまいました。
ホテルは今年6月に泊まったばかりなので勝手も分かり気楽です。先回と違うのは秋のシーズン中とあって宿泊客が多い事でした。
買った夕食を食べて大浴場へ行くと先客が3人、先回はいなかった。大浴場は温泉で筋肉痛、関節のこわばり、疲労回復に良いとあり頑張ってくれた膝をゆっくりマッサージしての~んびり。

部屋に帰って何もする気にならずに9時過ぎに就寝。よく歩いた気がする一日目が終わりました。


二日目につづく。

秋の奈良へ(1)

2019年11月21日 | 奈良
  「法起寺」最初の一枚F3



11月19日から1泊2日で秋の奈良へ行きました。
紅葉の盛りには少し早いかなと思いながら他の都合と合わせるとこの日になりました。
空には低い雲が覆っていてたまの日差しが嬉しかった二日間でした。

目的は法隆寺近くの法起寺、法輪寺辺りをゆっくり歩いて見たかったのです。
奈良市内から離れている斑鳩にある法隆寺はちょっと不便なところ、さらに離れた法起寺、法輪寺は
時間の余裕がないと難しい。

1日目は名古屋から高速バスで奈良へ、ここから法起寺、法輪寺、法隆寺とまわりホテルへ。

高速バスは往復4300円2時間半、ゆったりしたバスで速い。10時過ぎには近鉄奈良駅着。
ここで2日間有効の「奈良・大和路2日間バスフリーチケット」を買っていよいよ法隆寺行きのバスに
乗ります。このバスはゆっくり寄り道ばかりして唐招提寺、薬師寺、郡山城・・・1時間以上かかって法隆寺より少し手前の法起寺前(ほうきじまえ)で下車。ここまで来ると広々した風景の中に塔の見える私の想い出の風景が今も残っていました。寺の周辺は観光用のコスモス畑。盛りを過ぎているのがかえって風情がある感じです。少し変わったのは寺の南東の木の茂みが切り払われて見通しが良すぎるようになったこと。



  「法起寺三重塔」



706年建立の日本最大最古の国宝三重塔、拝観料を払って中で見るよりは遠くから眺めた方がずっといい。
塔と向かい合ってコスモス畑の端に座っていると十数年前夫と並んでスケッチしたことを思い出します。定年後スケッチを始めた夫が私と一緒にてこずっていた塔です。
有名な画家さん達が多く描かれている場所ですが、私には今も塔の形が難しくて・・・特に最初の一枚は力が入り過ぎて失敗。あとはハガキで・・・
たまにカメラを抱えた男性が通る静かな農道です。


  「法起寺」ハガキ


  「法起寺あたり」ハガキ


  「法起寺」ハガキ


  「集落で」ハガキ




寺の周囲を回ってから北東側の集落へ、ここは遠くから眺めると瓦屋根の並びがとてもいいのです。
立派な白壁、土蔵の家が続く集落の道は狭くてちょとだけスケッチして退散。
まだ先は長いので次の法輪寺目指して歩きました。
それなのに野菊や青い実の付いたつる草、スラリと伸びたススキと道草ばかりして道がはかどらない。


法輪寺の塔は昭和に入って落雷で焼失し1975年に再建されたもの。新しいとはいえ周囲の風景に溶け込んだ姿は皆さんが描かれているほど絵になる場所です。大型バスが着いて修学旅行なのか学生さんが
沢山入って行ったのでここの拝観はパス。


  「法輪寺」F1



ここまで歩いただけで私の膝は動きたくないと言い出したのでしばらく座ってスケッチ。
近くの集落も絵にしたいけど歩く元気がなくなって、ちょっと行ってはまた座ってもう一枚。
体力がなくなっていることに驚きです。


  「法輪寺」F1 


法輪寺にはバス停が無いので歩くしかない。ヨッコラショッと法隆寺を目指して歩きました。
車の走る道を避けて丘を登っていると自転車を押して上がって来た男性が「この坂が堪えますね」と。
奈良にお住いのちょっと若いシニアさん。天気がいいとあちこち自転車で走っておられるのだとか。
「一人ですか・・・」白髪頭のババちゃんが誰も通らない道をトボトボ歩いているのに驚かれたようでした。「あなただって一人でしょう」とは言いませんでしたが。
ここから道を聞きながら住宅街を抜けてゆっくりゆっくりと夕方の法隆寺にたどり着きました。


  「法輪寺の塔」


つづく。

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