折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

ビジネスホテル初体験

2019年06月25日 | 奈良


先週の奈良の旅、宿泊したのはネットで調べて決めたビジネスホテルでした。
今迄の個人旅行で宿泊するのは公共の宿か古い温泉宿。
奈良に行くことに決めてから交通の便が良くて安く泊まれるところをネットで探し見つけたのが
JR奈良駅前のホテルです。
最安値の「部屋おまかせプラン」は1泊朝食付きで5100円。決め手は温泉大浴場があること。

私はビジネスホテル初体験、緊張しながら行って見るとフロントの女性は親切で説明は分かりやすい。
部屋は狭くても清潔感があって必要なものは何でも揃っています。
友人に話すと「そりゃぁ そうでしょう〜」と当たり前な顔されましたが私には新鮮な事ばかりです。

5100円を前金で支払えば「チェックアウト手続きは不要です」と。「・・・?」
鍵は無く暗証番号の書かれた紙をいただくだけ、女性用の大浴場の暗証番号もあります。
普通だと朝食のチケットがあるはずなのにそれも無し。
浴衣とタオルと洗面セットは部屋に置いてあり、枕はお風呂の帰りに好きなのを選んで持ってくる。サッパリしていいわ〜・・・女性限定アメニティグッズもいただけたし・・・
狭い部屋なのでダブルベッド周りに何でも有ってスイッチも色々押してみる・・・あ、これね~と。
宿泊キャンセルも当日15時迄はOKですって。これなら天候次第で旅行中止も出来るし。




天然温泉の大浴場は1人だけの貸し切り状態で、露天風呂は街中なので目隠しがあって露天と言えるかなと思いましたが風の通り抜ける中での入浴は気持ちよくて翌朝までは、すべすべ肌になれました。朝風呂よりもスケッチを優先したのがちょっと惜しかったほでした。
また、朝食のパンが美味しかったし、外国人が多いかと思ったらチラホラなのはほんとに意外。

ホテルの宣伝みたいになりましたが、私の節約旅にはとても嬉しい事でした。

ホテルは良かったのに残念だったのは部屋の暗証番号6桁を覚えられなくて毎回メモを見なおさなければならなかったことです。番号は手帳に書いてスマホで写メもして頭以外には覚えさせていましたが、自分の頭には〜・・・う〜ん悲しい。
それに洗面台の位置が高くて顔を洗いにくかった。ババちゃんサイズではないからこれは仕方がない事です。そこで汗だくのブラウスをジャブジャブ洗ってまた翌日着て歩けましたからちゃんと利用はできました。
いつも利用される方には何でもない事でも初めての体験は何もかも興味津々楽しかったです。

  ※ スーパーホテルLohasJR奈良駅

明日からちょっと忙しくブログお休みします また、日曜か月曜日頃には。

奈良の旅・乗り鉄と少しスケッチ(4)出会った人

2019年06月24日 | 奈良
JR奈良駅

今回の奈良旅行はひとり旅。
耳が良くないので自分からは話しかけないから人と話すことはあるかなぁと思っていました。

一日目の夕方最後のスケッチをしようと興福寺北円堂の前で座っていると通りかかった女の方が
話しかけてきました。石段を上がって私の隣に腰掛けてスーツ姿の60代くらいの方です。
「絵を描いているなんていいわね~」から始まって「今の世の中悲しいことが多すぎる」と。
「そうねぇ」と聞いていると福祉関係の仕事らしい。そのまま家に帰りたくないと散歩してから帰ると
言われます。私は「そうねぇ」としか言いようもない。
「あなた髪は白いけどおいくつ?」「もうじき77、あなたは?」「まだ70前だけど元気に動けるのは80迄よ。今のうちに頑張ってね」と言われます。
「興福寺も新しい建物が出来て変わりましたね」と話を変えると「新しいものばかり増えてどこかの様にテーマパークみたいではね」と言われます。「お寺さんだって経営が成り立たないといけないからやりての所だけが繁盛してね」地元の方にしたら新しいものが出来て人が集まればいいかと思ったらそうでもないらしい。「そうねぇ」ばかり言う私。
スケッチもうまく描けないし立ち上がって「またどこかでね」とお別れしました。


  南大門近くの土塀


貴重な夕方の時間まだホテルに帰るのは惜しいのでまた五重塔の前まで行きました。
鹿が集まっています。シニアの男性が何か話しかけて来たけれど聞き取れないので「そうねぇ」と。
軍手の上に薄いビニールの手袋をして慣れた感じで鹿の喉をさすっています。猫と同じだ。
その方が袋からバナナの皮を取り出すと鹿はもう待てないという感じで食べました。
「バナナの皮やキャベツの青い葉も好きですよ」
「観光客がいなくなると集まって違うところへ寝に行くんですよ」話は続きそう。
暗くなってきそうなので「ここからバス停は何処が近いでしょうか」と聞くと「JRの駅なら案内しましょう」と歩きだされたのでついて行きました。
商店街をどんどん歩きながら「この辺は店が沢山あって賑やかでしょう」「賑やかでも資本は京都や大阪の大手が出しているんですよ。地元に金は落ちないです」と。
春日大社の参道だったこの道は倍以上に拡張されたとかで賑わっていますが、問題もあるようです。
私より7歳若い男性は怪我の後遺症のリハビリで毎日の散歩が日課なのだとか。
「若い人がいない街なので年寄りも元気でいないと」と話しているうちにどんどん歩いて「ほらすぐそこがJRの駅」と言って「じゃ、家はここだから」とお別れしました。
膝の為にできるだけバスを使っているのに下り坂とは言え興福寺から歩いてしまった。約2キロ!
色々話しも聞けたけど・・・ホテルの温泉に浸かって念入りにマッサージして湿布を貼りました。


夕方の南円堂


翌朝は始発のバスで興福寺へ行き博物館前でスケッチしました。
昼間は観光客と鹿で混雑している所ですが朝は誰もいない。
座っていたら散歩中のシニアの男性が「いい趣味ですね」と。
「奈良はいいところですね。こんな所を散歩できるのは羨ましい」と言うと
「名古屋だったら1泊ではもったいないから1週間くらいは泊まるといいのに」ですって。
できれば私だってそうしたいけど・・・お財布の都合だってあるのよと心の声。
「JR奈良駅からこっちの方は過疎でね。若い人がいないんですよ。シニアばっかり」
「お役所は箱ものばっかり作って活性化なんて言うけど住む人がいなくちゃどうしようもないでしょう」
「そうですねぇ」と私。
奈良の人って話し好きなのか人懐っこいのかしら。


    大仏池


公園事務所の方と話した時のこと。
「貸自転車が置いてあるけど、違う場所に返すことはできますか」と聞きました。
「これは業者に頼まれて場所を貸しているだけで分からないですね。ややこしいようですよ」と。
公園事務所の方ですかと聞いたらそうだと言った人です。業者に場所を貸しているだけだから知らないとはどういうつもり。缶コーヒー片手にのんきそうに話す人、事務所の前の観光客用の貸自転車、少し勉強して欲しいものです。そんなことは言えないから「ああ そうですか」とだけ。
ここでいただいたパンフレットはしっかりした冊子になっていて地図にはトイレの場所が大きく書かれて分かりやすそうなのですが、地図の上が東になっています。左が北なので南大門や大仏殿も横向きの絵になっています。これは分かりにくい。他でいただいた地図はどれも上が北になっています。
なぜこうなったのでしょうね。
このあと汗をふきふきブツブツ言いながら歩いた道はとっても暑かった。

ひとり旅だから話しかけやすいのか色々な方と話しが出来ました。
興福寺の金堂の再建が昨年なされたのに私と話した方達はあまり喜んではおられない風でした。
「千年たてば風格も出て・・・」と言えば「いや〜今の建物千年はもたんでしょう」と言う方も。
住んでいる方から見ると・・・短い話だけでは分からないことがあるようでした。


旅は風景や人とも出会って緊張感がいっぱいです。
特に失敗もなく無事に帰宅できたので今回は大成功と言える旅でした。

奈良の旅は終わります。
長かったですよね~・・・お付き合いいただき有難うございました。


奈良の旅・乗り鉄と少しスケッチ(3)

2019年06月23日 | 奈良
  正倉院の前から東大寺

大仏池を回って正倉院を目指してテクテク。
日傘をさして首には濡らしたハンカチを巻いて、リュックがだんだん重くなってきます。

正倉院は建物を外から見るだけですが、長い歴史を刻んでそこにあることだけでも夢が
あります。賑やかな小学生の団体さんはサッと来てサッといなくなります。
少しは立ち止まって目を閉じて昔に想いを馳せてもいいのではないかしら。

正倉院の外塀の木陰で休憩しながら大仏殿をスケッチ。暑いのにウグイスが鳴いてたような・・・


  転害門


ここから西に歩くと転害門(てがいもん)があります。
762年の建立から幾度かの戦乱にも大した被害はなく基本的に奈良時代そのままに残る門です。
国宝のこの門がひっきりなしに車が通る京街道沿いに普通に建っていてやっぱり奈良は凄いなと思います。
この門の裏側の日陰になった階段で中年のご夫婦が弁当を広げて缶ビール片手に休憩中。
1200年の時を経てこの門が置かれている今を象徴しているような風景だと思えました。

ここからバスで県庁へ。県庁の展望台の見晴らしがいいと聞いたことがあったからです。
奈良県庁の正面を入って左手のエレベーターで屋上へ、さらに階段を登れば360度の展望が開けました。


  県庁の展望台から



東大寺の大屋根や興福寺の五重塔、備え付けの望遠鏡で薬師寺の塔も見えるとか。でも暑い!
帰りの時間も気になるので6階の食堂でお昼にしました。
ざる蕎麦は一般は10円高くて410円。美味しかったです。職員の方はワンコインの定食の方が多くて
どれも美味しそうでした。観光客らしい方達もチラホラ。
見晴らしが良くて涼しい食堂で冷たいお茶をいただいてそばを食べてよい休憩になりました。


近鉄奈良駅を13:56発の電車に乗るにはまだ時間があるのでバス停そばの園地で鹿や観光客を見て
いました。ここはどこの国かと思うほど色々な国の人が鹿と遊んでいます。
柵に腰掛けていると鹿が寄って来てじっと見つめられるのですが、エサになるものがない。
しばらくすると日傘の布の部分をカプッと噛んで離れて行きました。腹いせかな。
鹿せんべいを両手に持って鹿に取り囲まれて大騒ぎの外国人、楽しい想い出になったでしょうね。









帰る時間になり近鉄奈良駅から難波行き急行で布施へ。私は布施駅がどこにあるか知りませんでした。
ネットで見たら時間はかかっても乗り換え回数が少ないので布施で乗り換えることにしたのです。
予定では奈良駅から布施駅まで30分余り、ウトウトして気が付くと遠くに高層ビルが霞んで見える
都会を走っています。
え~っ 往きには水田のある風景の中を走ってい行ったのに・・・間違ったかなと。
間違ったとしても難波行き、大阪からならその日のうちに戻れるだろうと思うことにしました。
でも、間違っていなくて東大阪市の「布施駅」に予定通りつきました。ここはもうすぐ大阪。
ネットで駅名だけ調べてどこにあるか調べてなかった私はびっくりです。
布施から次の乗換駅伊勢中川迄急行で約2時間、眠って覚めてウトウトしてもまだ乗っていました。
伊勢中川から名古屋行き急行に乗ればもう安心、眠っていても終点名古屋です。
奈良駅を出てから家に着くまで約6時間、特急を利用しない旅は「やったー!」という思いと
ちょっと「疲れたな―」という思い。
いただいたチケット1枚で名古屋駅まで電車に4時間余りいっぱい乗れました。


順序は逆になりますが名古屋から奈良への道中の事。
最初の乗換駅伊勢中川で4番乗り場から大坂上本町行き急行に乗るはずでした。
ホームに降りて見まわすと向かい側のホームが4番乗り場です。地下道で渡るのかなと見るとこちら側のホームも4番なのです。線路をはさんで同じ番号・・・?振り返ると後ろの線路も両側が3番乗り場です。見ていると入ってきた電車のドアが左右両方開いて、そんなこと知らなかった〜・・・

次の乗換駅の大和八木、橿原線の京都行に乗るために6番ホームへと思うのですがそんなに線路がないのです。人の流れについて行くと1階下に線路がありました。ここは2階建てなのだと納得して見上げれば乗ってきた電車がすぐ上に見えています。こんなことも初めてで「へぇ〜・・・」でした。
ひとりで驚いては納得してこんな旅は頭の体操にぴったりだろうと思います。

   線路が二階建て


電車の旅は乗る時降りる時に注意すれば後は外を眺めていられます。
三重県の青々とした水田から奈良に入るとまだ植えたばかりの早苗田になり様子が変わります。
青田に映える家々の銀色に光る日本瓦の集落の美しさ。石垣を組んでその上に蔵を置く家々も見ているだけならとても素敵です。暮らすとなると大変だとしても残して欲しい風景だと勝手なことを思いながら眺めて過ぎました。
そんなことも思いながらの旅はゆっくりなのがいいのです。
ピューッと走ればすぐ着くのですが・・・予算にも限りがあることですしこれからもこんな旅をしたいと思っています。

あともう1日続きます。明日は奈良で出会った人たちの話です。

奈良の旅・乗り鉄と少しスケッチ(2)

2019年06月22日 | 奈良
   朝6時の南円堂



早寝したおかげで二日目の朝は4時過ぎにに目が覚めて窓を開けると少し霞んだ丸い月がJRの線路の上に見えて今日もきっと晴れ!

身支度をしてバスを待つ間に静かなJR奈良駅をちょっとスケッチ。
朝一番の循環バスで興福寺へ。乗客は1人だけで発車して近鉄奈良駅で数人乗車。

五重塔周辺も時折散歩の方が通るくらいで昼間とは全く違う静けさの中あんなにいた鹿たちもわずかに草を食んでいるだけ。まだどこかで寝ているのでしょう。
興福寺五重塔は天平時代に創建されその後の歴史を経て現在の塔は1426年室町時代に再建されたもの。
高さ50・1メートル奈良時代と室町時代の様式を取り入れたどっしりした塔です。
明治の初め廃仏毀釈令によって売りに出されたとか焼却処分されるとかの話も出たところならまちの
人達の反対運動で残ったのだという話もあります。燃やすなどとはとんでもない事。残って良かったです。
大きくて重々しい塔を描く元気はなくてすぐ西にある南円堂に向かいました。
西国三十三番札所の南円堂、散歩の方も丁寧にお参りされています。
1日2回鳴らされる6時の鐘を聞きながらお参り出来て早起きはやっぱりお得です。
ここではお堂の前に下がる鰐口の音もシャランと優雅な音に聞こえました。


 博物館の前で


静かな朝の国立博物館の前で1枚スケッチ。塔全体は難しいので上の方だけ見える場所を探すのです。
近くに「宝蔵院流鎌槍発祥の地」の碑があり吉川英治の宮本武蔵に夢中だったころを思い出し、
中村錦之助の武蔵も良かったな~・・・あの頃は私も若かったし~と。

7時を過ぎたので朝食にバスでホテルへ戻ります。
バイキングの朝食をお腹いっぱい詰め込んで朝ドラを見てからチェックアウト。

予定では「ならまち」辺りを歩いて民家をスケッチしたいと思っていたのですが予報気温は30度と
蒸し暑くなりそうなので予定変更。緑の多い東大寺、戒壇院、大仏池、正倉院、転害門を回ることにしました。
7時ごろには人も少なかった東大寺南大門辺りは9時を過ぎる頃には人が増えました。


  9時すぎの東大寺への参道



南大門の巨大な仁王像に見とれているゆとりはありません。
妙な浴衣姿の外国人たちが写真を撮るのに私はジャマ。
場所を空けると「アリガトウゴザイマス」と。「どういたしまして」と私。
「スミマセン」と返事が返って来て笑ってしまいました。

南大門から少し先の左側にある土塀の前で1枚スケッチ。土塀ばかり描いています。
ここは駐車場からの団体さんの通り道らしく次々通ります。
先生やガイドさんらしい人が大きな声で「右手が南大門・・・」と説明しますが子供も大人も
「鹿!しか! シカ〜〜!」とはしゃいでちっとも聞いてない。
暑い中先生も大変ならせんべいをねだる鹿もくれそうな人に狙いを定めて大変。

人の多い大仏様はお参りせずに通り過ぎて静かな戒壇院へ行きました。
ここはいつも本当に静かです.
拝観料を払って門をくぐるとここも何か違う感じ。
「変わりましたね」と言っても若い事務所の方は「いいえ変わってないですよ」と。
私はここに来るのはいつ以来かと思って「火災があったのはいつでしたか」と聞くと調べて
くれて「1998年5月です」と。
私が訪ねたのはその前年なので1997年応対してくれた方はまだ生まれてなかったかも。
ついこの間と思ったのにいつの間に20年過ぎたのかしら・・・

お堂の中は昔と変わらず四天王はとても良いお姿で立たれていました。
鑑真和上が戒壇を築き建立された戒壇院。何度も火災に遭い現在の戒壇堂は1732年の再建です。
国宝 四天王像は天平彫刻(塑像)の傑作と言われています。近年の研究で三月堂の日光菩薩、月光菩薩と同じ工房で製作されて同じ場所に並べられていたかもしれないと。どちらも大好きな仏さまです。今は日光月光様は東大寺ミュージアムに移されてお堂の中で見ることはできません。ここの四天王像はもちろん踏みつけられた邪気も面白いのでのぞき込みたくなりますが顔や手を近づければ警報が鳴るのだとか。
参観者は私一人、ずっとお寺のオジイサンに監視されている気がしていました。何かありそうなババさんと思われたのかも。


外で東大寺の屋根をスケッチしていると中国からの団体さんが来て「絵の写真を撮らせて」ですって。
素敵なおばさまが多かったのに私のわずかな中国語はこんな時にさっぱり出て来ない。
北京からのツアーで怪しげな日本語のガイドさんが頼りの話でした。

  国際親善しながらの一枚

その後、大仏池へ行き近くの奈良公園事務所の休憩所へ。
池の周囲も以前よりスッキリしています。外に出てきた事務所の方は「最近は変わってませんよ」と。
この方も30歳前くらいなので20年前なんて大昔の話でしょう。

そこからまた正倉院を目指して歩きました。あつかった あつかった〜・・・

奈良への旅・乗り鉄と少しスケッチ(1)

2019年06月21日 | 奈良
   新薬師寺の土塀


6月19日20日と1泊2日で奈良へひとり旅に出ました。
明日香へは数年前にも出かけたのに東大寺や興福寺へ行くのは本当に久しぶり。
先日近鉄のチケットをいただいたのでせっかくなら遠くへ行きたくて奈良にしたのです。
このチケットは特急には乗れないのですが急行を乗り継げば時間はかかるものの電車の旅を楽しむ
つもりで行けばいい。水田の緑、山々の緑、車窓の風景も楽しみです。
体力に自信がないので出かけるのもラッシュを避けてゆっくり出発。

家を出たのが8時半、近鉄名古屋駅を9:21出発、伊勢中川→大和八木→大和西大寺→近鉄奈良と
3回乗り換えて着いたのが13:00 駅前で1日500円のバスの乗り放題チケットを2日分買って
いよいよ奈良の旅の始まりです。




予定では先ず1日目は興福寺、東大寺、戒壇院辺りを歩くはずでした。ところがバスから眺めると
あまりの人の多さに驚いてそのままバスに乗って少し外れた新薬師寺に向かいました。


  静かな新薬師寺

 本堂内部 パンフレットから


新薬師寺は人もぼつぼつと言った感じで、たまに修学旅行の小学生が来てもすぐ帰って行きます。
お目当ては本堂に安置された十二神将。ご本尊の薬師如来、本堂ともすべて国宝に指定されていて
博物館の中で見せていただくのとは違い本来のお姿に近いのではないかと思えます。
ただ以前とは私の受ける印象が違うのです。もっと厳しいお姿だったと思うのに全体に柔らかくて
優しい。なにか・・・な〜?
少しの違和感のままお堂のまわりを歩いているとタヌキが一匹、チラリとこちらを見て急ぎ足。
タヌキにだまされてるのかな。
先日の日和田高原で出会ったのはキツネだったので今度はタヌキか・・・と。

新薬師寺の土塀も味があるのですが、辺りの家々の土塀も趣がありました。
ところが新薬師寺のはげかけた土塀が彫り込まれた落書きだらけだったのです。ここまでわざわざ
来ていったいなぜかと悲しくなります。


  見かけた土塀


新薬師寺から志賀直哉旧居前を歩き巡回バスでJR奈良駅まで行きホテルチェックインしたのは
16時。ちょっと一休みして夕方の興福寺を見にまた出発。バスのチケットが役に立ちます。
夕方5時を過ぎた興福寺周辺は静かになっていたので裏手の登大路園地から五重塔と長い土塀を一枚と
北円堂の前からもう一度夕暮れの五重塔をスケッチしたのですがこれは失敗・・・残念!
真っ暗になる前にとJR駅前のホテルまでの商店街をテクテクと、ずっと下り坂なので何とか歩けました。
この日の歩数は15000歩を超えました。そんなに歩いたかしら?
タヌキに騙されているような気もしますが脚は疲れて膝は痛い。やっぱり歩いたようです。
ホテルの温泉大浴場でのんびりして早寝した1日目でした。。

  夕暮の登大路園地



夫の古い本

2019年06月18日 | 身のまわりの物



毎月一回学区の廃品回収があります。
新聞紙、段ボール、送られてくるパンフレット類などを出しています。
その日が来ると気になるのが夫の本棚に並ぶ古い本。少しばかりの小説類は既に売ってしまったので
残るは辞書の類です。夫の現役の頃から買い集めた辞書。大きくて重くてずっと開かれていないまま
古いものは函がタバコのヤニに染まって埃をかぶっています。
よく見るとほとんどが「新・・・辞典」とあり何十年か前の改訂版なのでしょう。

私も子供たちも興味はないし「ネットで売れば」と言われてもとても売れるとは思えない。
その手間に見合う金額になるとも思えない。小説の場合は全部で千円にもならなかったし。
そこで擦り切れて手垢と想い出が残る辞書は残してかなり廃品回収に出しました。
かなりと言うのはまだ汚れもない大判の本はいくら何でもと思えたし、とりあえず私が使いたい棚を
空けるだけの処分だから、まだまだ・・・
何かの記念で買ったENCYCLOPEDIA AMERICANA 30巻も棚の飾り代わりに残しました。
百科事典はパソコンにとって代わってしまったし英文のこの事典は私には重しの代わりにしか
なりません。

新しい辞書を買うと頁を繰りながら「このにおいが好きなんだな~」と言っていた夫。
若い時は辞書を手に入れるのも大変な苦学生だった夫にとって辞書は憧れでもあったようです。
こんなに沢山の辞書を使ったのかしらとは思うものの買った時の嬉しそうな顔を思い出すと自由に
辞書を買える喜びもあったのかもと思います。

その辞書を処分するなんて・・・川の向こうでどんな顔しているでしょう。
川を渡ってもうすぐ4年、好きにしてくれと言っているような気がしています。

ビヨウヤナギの想い出

2019年06月16日 | 
 ビヨウヤナギ(美央柳)

歩道の脇の植え込みに咲き始めたビヨウヤナギ、フサフサと長くのびたシベが優雅です。
よく似た花でシベが丸まっているのはキンシバイ。同じ時期に同じように咲いています。
ビヨウヤナギを初めて知ったのは初夏の花として蒔絵に描かれた方がいらしたから。


私が30代半ばの頃新聞の三行広告で「絵の好きな人を求む」と書かれているのを見つけて
初めてのパートに行く気になりました。家から45分くらいかかる距離、どんな仕事かも分からずに
ダメならやめればよいと気楽なものでした。絵を描くのが好きか、漆にかぶれないかが条件です。
私は絵は好きでしたし漆の塗師屋(ぬしや)の娘なので漆も大丈夫。

マンションの一室の漆工房、家具に漆の蒔絵を描く仕事を始めようとされての募集です。
採用は私と他に女性が2名。その2名はすぐ辞めてしまい次に入られた方が放送関係の美術を定年退職
された男性Hさん。時給は550円?。
蒔絵の経験はゼロなのにいきなりデザインから製作までさせていただいてずっと私は四苦八苦。
「四季の花」をと言う注文にHさんが描かれた初夏の花が「ビヨウヤナギ」でした。
初めて知ったこの花のしなやかなシベをきれいに描かれていて「とてもかなわないなぁ」と思った
ものです。
全くの素人にデザインさせるなどと言う事は無理なはずなのに伝統的な描き方を知らないことが
かえって「新しい」と言っていただけて展示会でも結構売れました。
山なみやラッパズイセン、スズメやスズムシを描いたり貝を貼り付けた螺鈿もどきなども色々と。
まったくいい加減なものです。

漆蒔絵の基礎も実力もない私がごまかしながらの仕事は長つづきするはずがありません。
3年余りでこの仕事は重荷になり3年間の経験を無駄にするのか悩んだ末に辞めることにしました。
友禅の勉強もされていたHさんはその後も10年近く続けられたようです。
工房はその後美大卒業のデザイナーを採用されてしばらくしたら東京やパリでも展示会を開かれるほど
発展しました。あのまま続けていたら・・・などと思うこともありましたが悩んだ末に辞めるころ
私の頭にできた大小二つの丸いハゲを思い出すとあれが辞めなさいと言う天の知らせだったと思えま
す。今迄にも何度かあった道を選択しなければならなかった通過点の話です。

ビヨウヤナギの花を見ると悩みながらもデザイナー気取りだったあの頃をちょっと恥ずかしく
懐かしく思い出します。

梅雨らしく雨

2019年06月15日 | 身のまわりの物
  私のレインシューズ


「発達しながら進む低気圧の影響で雨や風が強まり荒れた天気となる」と言う予報の割には午前中は
薄曇り。心配しながら自転車で買い物にも行けました。
午後からは予報通り強い風と雨。台風のような風が庭木を揺らして通り過ぎて行きます。
毎年ニュースで聞いた「梅雨末期の豪雨」まだ末期と言う時期ではないのに降れば土砂降り。
この頃は自然も極端です。

少し前まではあまり見かけなかったレインシューズや長靴を見かけるようになりました。
長靴はカラフルで可愛いものが出て地下鉄でも履いている人を見かけます。
まだ私は昔のレインシューズですが、縫い目のない可愛い長靴を買いたいと思っています。
買ったら子供のように雨が降るのを待つことになるのかも。水たまりにわざわざ入っていく子供達は
楽しそうです。私だって〜でも、汚したら洗うのは自分なのでバシャバシャ歩いたりはしないはず。


夕方からは竜巻注意報も出ているので自転車は倒れないように柱の陰に移動して、強い雨では溢れそう
なメダカの鉢は降り込まない所へ移しました。早めに雨戸を閉めて久しぶりにブログを書きました。

金明竹(キンメイチク)の花

2019年06月11日 | 風景
   フラリエ


今週は雨が続くと思っていたら朝から晴。
さっそく自転車で街中の公園フラリエに行きました。
ここはいつでも花がきれいですし切り花がお安いのです。

いつもと違う入り口に向かうと「キンメイチク 順路」と矢印がありました。
キンメイチク「金明竹」・・・なんだか落語の演目みたいだなと思いながら見に行くと
アジアの植物を集めた一角にある竹林にキンメイチクはありました。
5月に花が咲いて新聞にも掲載されて標識が設置されたようです。
この竹は真竹の突然変異で開花するのは120年に一度のことだとか書かれていました。
竹は花が咲けば枯れてしまうと言われているのでこの竹林がなくなってしまうのかしらと花が散った
後に残った穂先のようなものを見てきました。

   キンメイチク花柄?

  
寿限無と同じように早口言葉のような上方訛りの口上が面白い落語「金明竹」この頃聞く機会が
ないなぁと思いながら散策しました。聴こえが悪くなってから落語会へも行かなくなり文字の無い
DVDもダメなので文字の表示されるNHK「日本の話芸」が好きです。
落語ではないけれど日曜日の笑点も文字が表示されるので大笑いしながら楽しんでいます。
すべての放送に文字をが私の願いです・・・これは私だけではないはず。




フラリエの池には睡蓮が咲いて芝生では保育園の子供達が鬼ごっこ、花と緑に囲まれてゆったりした
時間を過ごせました。



流行りものと想い出と

2019年06月10日 | 人物
  地下街で



先ごろ名古屋の地下街を歩いていたら新しい店の前に行列ができていました。
ピンク色の店の前にジグザグ並んでその後少し先の階段に列が続いています。
何のお店なのかしらと見ても知らない名前「ノナラパール」若い女の子が中心で少しだけ
カップルもいて、シニアには用のないお店のようです。

何日かして新聞に「名古屋にタピオカブームが到来」と言うような記事がありました。
東京、大阪ではすでに人気があるのだとか。
あのツブツブが入ったジュースのために並ぶの・・・とは私の思いです。
地下街のこの店はお持ち帰り専門店なのでお店のカップを持って嬉しそうに歩ていく人たち
デパートの前の椅子に座って飲みながらおしゃべりする人達。それを横目に見乍ら辛抱強く
待つ人たち。「○○時間並んだの〜・・・」と、それも楽しみの一つなのかもしれません。

6月の日曜日、栄のオアシス広場を通るとまた新しいお店からジグザグにのびる行列。最後尾と
書かれたプラカードを持った警備員が誘導しています。
ここも台湾発祥の店「貢茶」紅茶やミルクティー、タピオカドリンクが人気だとか。
ならんでならんで・・・そんなに美味しいものかしらなんて言うのは野暮な事。
流行りものは一度は飲んでみなければ話にもならないのでしょうね。


松坂屋近くで


昔々20年も前の中国の長江沿いの田舎街での事。
やっと片言で日本語を話せるようになった日本語科1年生の生徒さんと街へ行きました。
暑い日で喉が渇いたころ街角の屋台で「ごちそうします」「どれがいいですか」と言われて見ると
台の上にジョッキの底に何やら入ったものが何種類か並んでいます。お勧めの一つを注文すると
そばにあったタンクから水を注いで長いスプーンで混ぜてくれました。
ジョッキの底には甘い小豆餡とタピオカがあって混ぜると甘い飲み物になるのです。
みんなタピオカが大好きなようでしたが私はこの時が初タピオカで妙な物だと思いました。
「おいしいですか」と笑顔で聞いてくる学生さん達の手前、美味しいかどうかよりも汲み置きの水で
溶いたジュースはお腹が心配だとは言えずに運に任せて飲み干して「おいしいです!」と。
そして翌日もお腹は異状なしでした。
タピオカと聞くと学生さん達と過ごした暑かったあの日の事を思い出します。


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