折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

風邪の余波

2018年01月30日 | 日記
      

先週金曜日に娘から電話がありました。
「来週時間空いてない?」
孫の幼稚園で風邪が流行っていて来週あたり学級閉鎖になるかもしれないとのこと。
「仕事休めないし・・・」ちょうど私にはどうしてもと言う予定のない週なので「いいよ」と。
で、スケッチは行けるときに行かねばと、翌日の土曜日に雪を見に出かけたのです。


月曜日、当の孫ちゃんに微熱が出たので幼稚園をお休み。
電話を受けて私は娘の出勤前に着けるよう自転車でひとっ走り、30分。
慌ただしく引き継ぎして「いってらっしゃーい!」

6才になった孫ちゃんは、いつもなら「遊ぼう!」と大騒ぎなのにソファーでゴロゴロ。
1人で録画のビデオ?をつけて見ています。
「ハリー・ポッター」、「ミニオンズ」私は題名を聞いたことが有るだけで始めて見ました。
私の知っているアニメの「シンデレラ」テレビの「アルプスの少女ハイジ」とは
まるで違う。目まぐるしい展開、絵は写実的で、立体感はありすぎるほど。
はらはらドキドキさせて度肝を抜く、なんだかねぇ・・・。

私の中ではアニメと言えばいつも大好きな「アルプスの少女ハイジ」があるのです。
ゆっくり流れる背景とゆったりしたナレーション、だから心の中に情景が浮かぶのではないのかしら。
「ワーワー、キャァー、ダダダ ダッ・・・」やっぱり、なんだかなぁ~です。
でも、怖い場面では、そっと寄り添って来るのが、かわいいな。


リモコンで見たい所だけ選んでいる孫ちゃん、もうこんな映画を見る歳になったのかな、とも思います。
しばらくはこれで静かにしていてくれて、お昼にはリクエストのうどんを作って食べました。
台所の棚やスイッチに「皿」「どんぶり」とか私向けの使い方メモがたくさん貼ってあり、
「豚汁たくさん作ってあるから」。なんだか娘も頑張ってるなと、微笑ましくなりました。
娘・・・といっても、あの年ごろには私はすでに娘を嫁に出していたんだ・・・なのに孫はまだ6才。
楽しみはこれからまだ長いと言う事かも。

幼稚園では隣の組が学級閉鎖だったとか、もう少し私が自転車で通うことになりそうです。


ミニ水仙   


        

雪のプラットホーム

2018年01月28日 | 伊吹山と周辺
   
東海道線近江長岡のプラットホームから伊吹山を望む



東海道線近江長岡、晴れた日には駅から少し歩くとデンと座った伊吹山が見晴らせます。
昨日は雲がかかり見えそうもなくて歩くのをあきらめました。

駅のホームの窓から眺めていると、青空がのぞいたかと思うと黒い雲が流れてきて急に
吹雪になりました。
広がる空から勢いよく舞いながら降る大小の雪片は街に降る雪とは別の物のようです。

ひとしきり降って、止んだかなと見ていると、強い風が吹きつけて積もった雪を巻き上げ
霧のように散らします。つむじ風ってこんな風のことだろうか等と思いながら
待合室から外を眺めていると、伊吹山が少し見えたり隠れたり、刻々と変わる風景に列車待ちの
長い時間も過ぎて行きました。

  

カーブして雪の原に消えてゆく線路、伝って行けば日本中どこまでも行ける。
真っ白な雪と続く線路、夢を見ているような待合室の70分でした。

  


日曜日の今日は出かけた都心で雪が降り始めました。
雪は小さくて優しくて街行く人も傘をささずに歩いてました。
明朝には積もるかしら・・・自転車で出かけなければならない日だから困るな・・・
見るのは好きですが、生活の中に積もった雪は困ります。
自分でも勝手なことだと思います。

遅延・運休・打ち切り・・・の日

2018年01月27日 | 伊吹山と周辺
 東海道線近江長岡駅ホームから


土曜日は久しぶりに予定のない日でした。
来週からまた色々用がありそうなので、穏やかな晴天にたっぷりの雪を見に
出かけました。東海道線柏原か近江長岡を目指しました。

早いお昼を食べて、JR名古屋駅へ。
関ケ原辺りの雪で少し位は遅れがあるだろうとは思いましたが、朝に人と車両の接触事故があって
2時間運休していたとは知りませんでした。それでも名古屋駅からはは30分遅れで出発しました。
大垣乗り換えでまた大幅に遅れてやっと、目的の「柏原駅」に着くと曇って伊吹山がみえません。
それならと降りずに次の「近江長岡」まで行って下車しました。
車窓から見ていると途中の雪原に三脚立てて立っている人影が、昨年私もスケッチしたことがある
撮影ポイントです。
近江長岡は家々やホームの屋根には雪がどっさり、ホームは歩くところだけ除雪されていて脇には
山になっています。でも、伊吹山が見えず雪も舞ってきたので柏原宿の街道を見に行くことにしました。
ホームの待合室でスケッチしながら柏原へ戻る列車を待ちました。
13:39発の列車は待っても待っても来ません。案内放送は今朝がたの「事故のため遅延しています」
ばかり言って、いつ来るのかが分かりません。
分からないと絵具を広げられないしお手洗いにも行けない。結局39分発は運休になったらしく
ずいぶん遅れて次の大垣行に乗りました。結局ホームの待合室に70分いたことになります。
雪が激しくなったり、青空がのぞいたり、伊吹山がちらりと見えたり、楽しい時間でもありました。

柏原宿へ寄る元気がなくなってそのまま帰ることにしましたが、列車は時々立ち往生。
大垣までに列車がたまっていて動けないのだそうです。
ずいぶん遅れて大垣に到着、温かいうどんを一杯食べてほっと一息。
あとは名古屋まで直行・・・とはいきませんでした。


ホームにいた豊橋行きの特別快速列車に乗り込むとしきりに放送があり
「15時8分ごろ名古屋駅ホームで人と車両の接触事故のため東海道線は上下線とも運休しています」
また~・・・
皆さん乗り込んでも黙って出発を待っています。待たなければ仕方ないことですね。
やっと出発するとお詫びの言葉と共に「この列車は岐阜駅で運転打ち切りとなります」ですって。
名古屋はまだずっと先なのに、名鉄(私鉄)に乗り換えてくださいとのこと。


JR岐阜駅に着いて、駅員さんに聞いた名鉄の駅を目指して歩き始めると凄い人の列、
人の流れに混ざってループ橋を渡り階段を下りてビルのわきをどんどん歩き・・・
この人たち本当に名鉄の駅を目指しているのかしら、何かのイベント会場に行くのでは・・・
ちょっと心配になりましたが、皆さん楽しそうじゃなくて黙って急ぎ足なので私も流れて行きました。
急に右手に階段があり、上を見ると「名鉄電車改札口」の看板発見!あぁ やっと。


懐かしい赤い名鉄電車が発車してやっと名古屋へ帰れるなと、ほんとにホッとしました。
絵は描けなかったけれど積もった雪は見られたし、電車にも乗れたし、ま、楽しかったです。


新聞記事にほんの少し書かれている事故のニュース、でもその影響はとんでもなく広いことだと
思いました。朝の事故があった清須辺りから近江長岡は70キロほども離れています。
それでも影響は大きかった。
もっと離れた米原、その先まで遅れや運休があり、影響を受けた乗客の数はどんなでしょうか。
大勢の駅員さんが対応にあたってこれも大変な事だと・・・色々感じた列車の1日旅でした。



 後ろに伊吹山の裾が少し見える

二度あることは三度・・・

2018年01月20日 | 白川郷
 今日も白川郷の絵



大したことではないのですが・・・

昨年末にちょっとリフォームして、私にしてはバタバタ動いたせいか、右肩が痛くなり
年が明けても良くならず、接骨院に行くことにしました。
そこは早くに亡くなった兄の孫が数年前に開業した接骨院です。家の近くのバス停からバスで35分
時には40分ほどかかり、バスの本数も少ないのですが、とても一生懸命な青年なので安心感と
応援したい気持ちもあって出かけています。

本数が少ないバスの時間に合わせて予約してもバスは遅れることもあるだろうと余裕を見て家を出発。
ところがその日はバスが来たのが10分遅れ、途中で事故があったのでと運転手さんが
話していました。それから道路工事の渋滞、また時間がかかって私はハラハラしどおしでした。
結局、接骨院へ着いたのはは7,8分遅れでした。
先生は「遠いのですからいいですよ」と優しくて、治療は無事終了。


私が午前診療の最後なので「遅くなってごめんなさいね」などと言いながら帰ろうとしたら
私の靴がない。似ているけれ違う靴が残されていました。私の前に帰った方のらしいので
電話してもらったのですが、まだ家に帰っておられないらしく繋がらないし携帯も無い方。
仕方がないので履物をお借りして帰りました。
先生は「転ばないように気をつけて下さいね」
私は「はい、転んだらまた戻ってきます・・・」と。
ちゃんと帰宅できました。


事故でバスの遅れ、靴の紛失も事故かしら、2度あれば3度目も・・・今日はちょっと慎重に。

夕方、自転車で体操教室へ行きました。
体操教室は無事終わり夕暮れの街をゆっくり慎重に。
小さな交差点の赤信号が青になっても前の自転車が動きません。
高校生くらいの女の子、スマホに夢中のようなので私は横をすり抜けようとした時、
彼女は信号に気づいたのか急に動き出して、グラッと私の方へ倒れ掛かってきたのです。
「わぁ~・・・!」と私の声。何とか倒れずに踏みとどまって「気を付けて!」って叫びました。
彼女は振り向きもせずスピード上げて走り去りました。
次の大きな交差点で彼女に追いつくとまた、スマホに見入っています。
この娘は取り返しがつかない事故に遭わなければ分からないのかな・・・
事故に遭ったとしてもきっと「相手が悪い」と言うんだろうなと思いました。

これがこの日の三つ目のチョットした事故みたいなことでした。
バスの事故は新聞にも載っていなかったので大した事はなかったようですし、靴の間違いは私だって
やらかすかもしれない。
ただ、スマホに夢中の自転車の女の子、次にはほんとの事故を起こすのではないかしら・・・
とても心配ですが、聞く耳は~なさそうですね。

12年間皆勤賞

2018年01月19日 | 白川郷
 先日行った白川郷


子供の頃、母親は私のことを「この子は身体が弱いでねぇ」と言っていました。
まだ記憶にないほど小さい時ジフテリアで入院隔離されたことがあったり、痩せて小さかった
ので心配だったのかもしれません。

5歳上の姉は元気いっぱいでおしゃべりしながら3杯のご飯をかき込んで学校へ出かけて行くのに
私はは黙って1杯のご飯をもてあましていたようです。
遠足のバスには酔うし、夏の朝礼では何度も医務室のお世話になるし、運動会ではいつもビリ、
あまり元気な子ではなかった気がします。

それでも毎日、朝起きれば学校は行くものだと思って登校していました。
毎日・まいにち・・・・・
小学校から高校卒業までの12年間、毎日・毎日・・・無遅刻無欠席の皆勤でした。
私の唯一自慢できることです!
私の高校では皆勤賞が廃止されたので・・・(理由は病気でも無理して登校することはよくない)
賞状はいただけませんでしたが記録としては皆勤でした。
ちょっと残念な気もありました。
口の悪い級友は「一番授業を受けたら一番成績が良いはずだ」などと意地悪いって。
教室で座っていても頭に入って来ないのだから、これは仕方がないことでした。

ある時、小学生の時に通ったキリスト教の教会の一年間皆勤賞が出てきました。
すっかり忘れていましたが、とにかく毎日通うのが私の習慣だったようです。

毎日出かけて行ける身体で大病もせず、両親よりも長生きしてホントは丈夫だったのだと
思います。ブロ友さんの記事に「生きてるだけで丸儲けと感謝する」とありました。
やはり両親に感謝しなければと思います。


痩せっぽちだった私「柳に雪折れなし」なんて言いますね。
結婚するまでほっそり柳だったのに、15キロ以上も太って、背は縮み柳も大木になりました。
でも、まだまだ春になれば枝には新芽が萌えて風になびいて・・・まだまだ・・・のつもりです。



大活字本

2018年01月18日 | 日記
石垣の内側に図書館があります



私は老眼のため新聞も本もメガネ無しでは読めません。
面倒でも読む時はメガネを掛けるのが当たり前と思っていました。

今日、図書館に行って「大活字本」があることを知りました!
私が読みたかった小説が貸し出し中だったのでカウンターで予約をすると
「冊数が多くなりますが、大活字本ならありますよ」と言われました。
よく聞き取れなくて返事に困っていると、書架に案内してもらえました。

開いてみると小学校の時の教科書のよう。
文字は大きく、行間も広い感じでメガネ無しでも読めそうです。
社会福祉法人埼玉福祉会発行、ハードカバーの本の上下2冊分が薄い表紙で3冊になっています。
文字が大きい分、冊数は増えてもメガネ無しで気軽に読めるのはとっても楽。
書架には読みたい本が色々並んでいて、楽しみになりました。
これからこうした本がたくさん発行されれば本を読む人も増えると思います。
お借りした本は限定部数500部、定価3,200円+税 これが上中下3冊 とても私には買えません。
これは図書館用なのかもしれませんね。

本はタブレットでも文字を拡大して読めますが、やっぱり紙の本がいい。
ゆっくりページを繰りながら読むのが好きです。


難しい本は眠くなるし、理解できなくていやになるので気楽な小説ばかり読んでいます。
声を出さないとのどが衰えそうな気がして時々新聞の朗読をしていましたが、新聞の記事を
朗読するより小説の方が面白い。
時代小説はお侍になったり町娘になったり・・・独り芝居です。
借りることができる限度いっぱいの6冊抱えて帰ったので、また夜更かしになりそうです。



 新聞と大活字本

親友 Mさん

2018年01月17日 | 日記
スイートピー  

七草が終わって、中学生の頃からの親友Mさんに「元気?」と言うつもりで電話しました。
すると電話口に出られたご主人からMさんが入院していると聞きました。
年末に倒れて少し意識が回復しかけたところだと・・・
Mさんは、倒れる4日前に我が家に遊びに来て、お昼ご飯を食べておしゃべりしたばかりです。

その日のおしゃべりの中で、病気のお見舞いについての話になりました。
Mさんは「私はお見舞いに来て欲しいし、お葬式にも来て欲しい。あなたの時にも知らせてね」と。
その時は「知らせるけど、どっちが先かわからないからね・・・」と笑い話で終ったのです。

少し元気がない様子なので帰り際に「春になったら旅行に行こう。元気でないと行けないよ!」
と言うと、立ち止まって「旅行いこうね。ほんとに連れてってね」と。
十代の頃から私が計画して一緒に旅行していました。
東京で開かれていた正倉院展を見に往復夜行列車の旅、知多半島の海水浴、長野県青木湖へ写生旅行
そして1年ほど前には北陸の温泉に行きました。
彼女のおしゃべりを聞きながら私はスケッチして・・・


ご主人からお見舞いの許可が出たので、もう一人の親友Tさんとお見舞いに行きました。
「Mさん! TとNだよ わかる? Mさん」声を掛けると目をあけてちょっと頷いてくれました。

これから本格的なリハビリが始まるようです。
懸命にお世話をされるご主人の愛情あふれる姿に「大丈夫 きっと良くなるね」と、Tさんと言い交わし
ながら病院を後にしました。


時々見舞っておしゃべりすれば少しは早く回復してくれるかな~・・・

焼納祭(左義長)

2018年01月14日 | 日記



14日は氏神様の「焼納祭」・・・「どんど焼き」の方が優しい気がします。
以前は15日だったのですが、お世話をされる氏子さんの都合や注連縄などを持ってくる方の都合で
(多分)今年は日曜日の14日になったようです。

お宮さんに近づくと懐かしい焚火の匂いがします。
街中で火を燃やすことが難しい時代なので、久しぶりの火と煙。
お参りをしてからお世話して下さる方に聞くと「ご自分で入れてください」と。
注連縄と鏡餅の下に敷いた半紙やウラジロをそっと投げると、オレンジの炎がパッと上がり
あっという間に燃えました。

黄、橙、赤 色鮮やかな炎、強い冷え込みの中、ふんわり包まれるような暖かさ焚火っていいなと思います。
家族連れの方が「焼いてください」と言ってアルミホイルに一切れずつ包んだお餅を渡して
いました。焚火の周囲の石の上に置いておくとちょうどよく焼けるのだそうです。
私も来年は持って来ようって思いました。

次々注連縄や門松を持ってこられます。
まだまだ伝統は続いています。
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寒い日

2018年01月13日 | 白川郷
白川郷の写真からハガキサイズ  


雪景色の中ではいくら寒くても心は浮き立っているのに、家にいる時の寒さはこたえます。
目が覚めても布団の中でぐずぐずしていると窓が明るくなりはじめて、やっと起き出しぐずぐず着替え。
今朝はメダカの鉢にもしっかり氷が張って、花壇のパンジーは白い霜のベールをかぶっていました。

7日の七草がゆに続いて、11日はお鏡開きでおぜんざい…家族がいた時は大きな鍋に300グラムの
小豆を煮ておぜんざいを作り、何度も温めては楽しみました。
今年は食べ過ぎ防止と手抜きで「御座候」のパックのあんこで2杯分だけ。

先日の絵の会で「食欲がありすぎて太って困る」と話したら
「食べないで我慢するのがストレスってこともあるから食べればいいですよ」と。
これは私にとって都合の良い話です。
食べて太る、我慢してストレス、どっちにしても身体によくないなら「楽しく食べた方がいい!」

♪ おなじアホなら たべなきゃ そんそん・・・ でしょうかね。


14日は氏神様の焼納祭(左義長)・・・注連縄などを焼いてもらいます。
この炎にあたるとその年を健康で無事過ごすことが出来るという言い伝えがあるそうです。

これが終わるとお正月の行事はみんな終わり、寒さの本番です。

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