いただいた「椿」 2017年03月15日 | 日記 「椿・つばき」早咲きの椿は11月頃から咲き始め、春になる2月から3月が最盛期。 「椿は挿し木でよくつきますよ」と言われるのに私にはどうもうまくいかず咲いた花をいただくばかりです。 和紙に描いて
ブログ1周年 2017年03月14日 | 日記 1年前はじめて投稿した絵 昨年3月14日にブログを始めて一年になりました。 いつも見ていただき有難うございます。 色々なことがいっぺんに通り過ぎてぽっかり空いた心の穴を埋める物を探していて FB,ブログ・・・いいかも・・・と思い付き登録しました。 プロの画家の方が多いFBは見せていただくだけになり、匿名をいいことにして ブログには好きなことを書かせていただいています。 他の方の楽しいブログを見せていただいたりしてすっかり生活の1部になりました。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
名古屋ウィメンズマラソン 2017年03月13日 | 日記 蘭「デンファレ」 3月第2日曜日は名古屋ウィメンズマラソン開催日。 好転に恵まれ12日、ウィメンズマラソンには過去最高の19,857人が出場、 女性だけのマラソン大会としてギネス記録を更新だそうです。 そして完走率は97・3%。 「名古屋城付近」 普通の方がフルマラソンを走る体力は私の想像をはるかに超えます。 絵のお仲間の娘さんもアマチュアランナーさんなのに度々参加で完走とか。 今回もご主人や友人に励まされて完走されました! フルマラソンの完走者には一人一人に「おもてなしタキシード隊」の男性から ティファニーのペンダントの入った「ブルーボックス」が手渡されます。 素敵なメダルですね。 毎年この日は私が参加している同好会の日に重なり、交通規制で街の中心に出ることが大変でした。 今年はコースの変更と車の誘導が改善されたのか、渋滞もなく地下鉄駅まで楽にバスで移動できました。 楽に移動できたので名古屋城近くでちょっと 応援…しました。
6年前のこと 2017年03月12日 | 日記 うさぎのパーコチャン 6年前の東日本大震災「多くの人が自分がどこで何をしていたか覚えている」と言います。 誰にも忘れられない体験、時間だったのだと思います。 私自身は名古屋市内を夫が運転する車で走っていて地震に気づかずにいました。 その後のテレビの映像を見てこれは本当に現実のものなのだろうかと・・・胸の痛くなる日々でした。 6年たった今もいつ解決されるかわからない問題や、どうして・・・?と思ういじめや偏見問題。 平和な暮らしが1日も早く訪れることをお祈りいたします。 我が家の3月11日。 「赤ちゃんができた!」この日の昼前に娘から電話で知らせがありました。 結婚して18年、すっかり諦めていた赤ちゃん、婚家にも我が家にも初孫です! そしてその夏Kちゃんが生まれ、もう5才になりました。 最初にプレゼントしたウサギのぬいぐるみは「パーコチャン」と名付けられ今では自分がつけていた 「よだれかけ」や「ベビー服」を着せています。 しぐさが女の子らしくなりました。 子供の6年はなんて早いのでしょう。 ☆追記 娘から「電話したのは夜だったはず・・・」とメールがきました。 6年前のこと、もう記憶はあいまいになりました。 ダンスの練習の日はお母さんに髪をお気に入り「オダンゴ」に結ってもらいます。 娘には「もっと可愛いし、あんまり似ていない」と言われる・・・と思います・・・。
方向指標植物・モクレンの蕾 2017年03月11日 | 日記 花屋さんで見つけた紫木蓮(シモクレン) 街角の白モクレンが今にも咲きだしそうにふっくらとしてきました。 蕾は光を受ける南側が早く成長するので先が北を向いてくるのだそうです。 そんなことを聞いた後で街路樹を見ると小さな蕾の時は特に方向は定まらなくて 膨らみ始めるといっせいに北を向くようです。今がちょうどそんな時期。 これから数日暖かい日が続くと一気に開花してあっという間に崩れるように散ってしまう。 その後は春の花が次々開花して桜の季節になりますね。 「方向指標植物・コンパス・プラント」には白モクレン、紫モクレン、ネコヤナギなども。
庭のスミレ 2017年03月08日 | 日記 「ミニミニバケツ」 庭の隅で年末から咲き始めるスミレ。 いつからか庭にひとりばえ、名前も知らないスミレです。 ほっておくとどんどん増えるので一か所だけにしています。 二月末から急に花数が多くなりました。 昨日、今日と冬のように寒いけれど確実に春なのですね。
青春18切符・湖北へ(3) 2017年03月07日 | 日記 SM 湖岸沿いの町並みは家の間から松林や琵琶湖が見える。 「サニービーチからの竹生島 ちくぶしま」 湖岸でスケッチしながら想い出に耽り長い時間を過ごしてしまいました。 これから湖西線で京都まで行き東海道線で名古屋まで帰るには時間がかかりすぎると 思い来た道を帰ることにしました。 JR湖西線マキノ駅から近江塩津駅へ、北陸線に乗りかえて米原まで。 北陸線近江塩津17:05発の電車は「播州赤穂・網干」行、このまま乗ってれば瀬戸内海。 いいなぁと思っても終点到着は19:55 遅いし遠すぎ・・・家に帰れない。 車窓から長浜辺りで夕日が美しく湖面を染めているのが見えました。 また下車したくなるのをぐっと我慢して、またお天気の良い日に泊りがけで夕日を 見に来ようと思いなおし、米原で東海道線に乗りかえ名古屋へと帰りました 米原、近江長岡、柏原あたりでは伊吹山が夕暮れの中に浮かんでいました。 「マキノ駅に向かう道」 往復…248キロ 青春18切符だとJR在来線1日乗り降り自由で2,360円(ディスカウント店) やはりうれしい「青春18切符」です! 湖北へ…終わり
青春18切符・湖北へ(2) 2017年03月06日 | 日記 「マキノサニービーチから」 F3 のんびりと描き過ぎて・・・ 北陸線「近江塩津駅」で湖西線に乗りかえ京都方面へ。 そのまま京都まで行き東海道線に乗れば琵琶湖を一周したことになります。 そのつもりでいたのに雪の比良山系が魅力的で「JRマキノ駅」で降りてしまいました。 駅の案内所で聞くと琵琶湖まで400mほどとのことなのでテクテク・・・と。 家の影や道の脇には除雪された雪の山が残っていました。 砂浜も松林も美しい「マキノサニービーチ」、石で造られた「湖のテラス」やベンチもあり ゆっくり琵琶湖を眺めるのには最高の場所でした。 正面に竹生島、左手は桜の名所海津大崎につながる岬が迫り対岸には残雪の山が霞んで見えて 広々とした湖面は波もなく静かな中にトンビのピーヒョロロだけが響いていました。 「サニービーチキャンプ場あたり」SM 2年前の4月夫と彦根に泊まり船で海津大崎の桜を見に行きました。 桜はちょうど満開でどこまでも続く海津大崎の桜並木を船上から眺めたり、彦根城周辺の桜を 人力車に乗って見て回ったりと桜を堪能した旅行でした。 そして二人で出かけた最後の旅になりました。 そんなことなど静かに振り返ることができるのは一人旅ならではと思います。 彦根で何度か宿泊したのは「かんぽの宿 彦根」部屋からの琵琶湖と岸の松原の眺めが素晴らしい。 ここには介護用の部屋があり電動ベッド、手すり、入浴のリフトまで完備しています。 要介護の手帳があると半露天風呂付の家族風呂も無料で借りられて手すりも椅子も有り、 温泉旅行をあきらめかけていたのに楽しむことができました。 お出かけになることができる介護中の方には超お薦めです。 -->
青春18切符・湖北へ(1) 2017年03月05日 | 日記 「滋賀県高時川」 SM 2月に体調不良になってから遠出のスケッチは自粛中。 3日の強風が収まり4日は穏やかな日和になったので出かけようか止めようか迷って迷って、 あげく遅い出発。 予定もしっかり立てずに琵琶湖の北、湖北辺りでスケッチできればいいな・・・と。 買っておいた青春18切符でJRを乗り継いで行くことができました。 ちょうどいい感じに雪が残る伊吹山は列車から眺めるだけにして 名古屋から東海道線で米原まで、北陸線に乗り換えてガッタンゴットン、外を見ていると 雪山も見えて好きな風景なので降りたのは「河毛駅」でした。 時刻表だけ確認してテクテク行くと雪山が見える「高時川」に出ました。 河原におりてチョイスケッチ。 ポカポカ陽気の河川敷ではグランドゴルフの大会中でした。 「高時川から駅に向かう途中」 1時間後の列車で近江塩津まで行きそこから湖西線に乗りかえて琵琶湖一周してみようかなと 思いました。途中の余呉湖辺りはまだ雪が残り琵琶湖の西側の比良山地は雪景色でした。 もう少し春になれば余呉湖も寄りたい所です。
教会の尖塔 2017年03月04日 | 日記 「娘の結婚式場だった教会」 和紙(楮紙) サイズF0 娘から2月の末で24回目の結婚記念日だったとメールが来ました。 すっかり忘れていましたが改めて、もうそんなになるんだ・・・と。 式場は娘たちの希望で名古屋市内では目立つ尖塔のある教会でした。 数ヶ月の間バタバタする日が続いたあと結婚式が終わると家の中が急に静かになり ガランとした娘の部屋を見ると訳もなく涙があふれて心は空しくて…。 普段はほとんど泣かない私が自分でもこれはおかしいと思いました。 聞いたことのある「空の巣症候群」これだ! とにかく外に出ることにしようと。 カルチャーセンターをいくつも回って4月開講の講座を探しました。 そこで見つけたのが墨彩画の教室でした。4月開講分はすでに定員が埋まっていたので 7月から増設される教室を申し込みました。 その先生の絵もお名前も知らないまま、ともかく「気分転換に行って見よう」と。 カルチャーセンターで1年、後に先生の主宰される「彩林会」へ移り、亡くなられるまで 10年ほどお世話になりました。お名前は早川日出男先生でした。 こんなに長く続けられたのは自由な絵を指導して下さった先生のお陰と 今も感謝とたくさんの想い出がいっぱいです。 先生が亡くなられてからは同好会になりそのままずっと参加しています。 なので私の墨彩画は(今はは水彩が多いけど)20数年・・・自分でもそんなになるのかと。 その間には色々な事もあり、描けない時もあり時間だけ過ぎてしまった気がします。 それでもお仲間にも助けられ「絵があってよかった」と思うことが度々でした。 これからもボチボチ好きに描いていきたいと思います。 スケッチペンで