ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.10.1 10月スタート、治癒の希望は決して捨てない

2013-10-01 20:21:21 | 日記
 今日から10月。ピンクリボン月間ということで例年のテンプレートに変更した。
 何度もご紹介している朝日新聞静岡版、渡辺先生のコラムの最新号に力を頂いた。10月初日、各地の著名な建物がピンクの光でライトアップされる日ということもあり、希望をもって、以下転載させて頂く。

 そういえば、去年の10月1日は入院先の病院で迎えたのだった。脱毛が始まり気持ちが塞いでいる中、プチ虹のサロンのSさんが、東京タワーがライトアップされた綺麗な写真を送ってくださったのを思い出す。まさか病院のベッドの上でそんなライトアップの画像が見られるとは思わず、とても嬉しかったのを覚えている。

※  ※  ※(転載開始)

がん内科医の独り言(2013年9月28日・朝日新聞)
 明確でない余命
 ■治療すれば治癒、きっと
 乳がんが、骨、肝、肺、脳といった臓器に転移した場合、医師は「治癒は極めて困難です」という表現を使うことがよくあります。
 一方、「あと何年生きられますか?」と質問する患者や、「手遅れなんでしょうか?」と涙を流す患者もいます。
 がん専門病院では、過去に治療を受けた患者について、転移診断から死亡までの期間のデータを生存曲線というグラフに表しています。余命を尋ねられた場合、答えるとすればこのグラフの「50%生存期間」を用います。
 この値を3年とすると、半分の人は3年以内に死亡しており、残りの半分は3年より長く生存していることを意味します。
 「あと何年、生きられる?」と尋ねられると、「あなたの余命は3年です」と答える医師もいますが、私は「うーん、わかりません」と答えます。生存期間のデータをよく見ると、10年以上生存している患者が10%程度いるからです。
 また、生存曲線グラフには所々、ひげのように縦線が入っています。
 「うちきり患者」と呼ばれ、データを集計した時点で生存しているか、生死が確認できていない患者を意味します。生死が確認できていない場合の多くは、病院に来る必要がない、つまり治癒したということなのです。
 乳がんが肝臓転移した患者さんに「治癒は極めて困難」と説明した覚えがあります。しかしホルモン剤と抗がん剤で順番に治療し、がんが消えました。東京駅でばったり会った彼女は、「先生、私、生きてまーす」と笑顔で叫びました。
 飛躍的に多くの薬剤が使えるようになってきた乳がん治療の領域では、こういうことも増えてくると思います。きちんと治療すれば治癒するのが当たり前という時代がきっと来ると信じています。(浜松オンコロジーセンター・渡辺亨)

(転載終了)※  ※  ※

 余命を問われた時には50%生存期間をとる、ということは初めて知った。長めに言って万一それに達しなかった時に遺族から責められることもあり、短めに言う医師が多いというのは耳にしたことがあった。
 さらに「うちきり患者」の意味―いつか聴いた講演では、亡くなっている、もしくは治療に耐えられなくなっている、だったと思うが、全てがそうだというわけでなく、治癒しているものも含むということを意味するとは。
 余命なんぞ誰にもわからない。この世界には、人智が及ばないことが本当に沢山あるのだと改めて思う。

 もちろん、高を括ってはいけないし、あまりに過大な期待を持つのはよろしくないかもしれない。けれど、私たちⅣ期の進行再発がん患者にとって、希望を捨てずに治療を続けられるということはそれだけで本当に有難いことだ。
 治療をしてくださる主治医の先生方がこう信じている、ということを明言してくれるだけでどれだけ心が励まされることか。

 がん細胞とはいえ、自分の体の同じ細胞だ。増悪しすぎて宿主を食い潰してしまえば自分も死滅してしまうのだから。だから消えなくてもいい。休眠状態で大人しくしていてくれれば嬉しい。出来れば、体に優しい治療を細く長くしぶとく続けながら、出来るだけ長くゆっくりゆっくり共存していけるのなら、それで十分幸せだと思っている。

 職場では今日付けでの採用者の紹介があった。今日は誰かの香水の匂いがやけにきつく、咳込みが酷く、吐きそうになった。一度咳込み出すとなかなか止まらないし、胸痛も息苦しさも酷くなる。ただでさえ雨模様なので痛みが出やすく困ったものだ。
 明日からに備え、今日はしっかり夕食後もロキソニンを飲んだ。早めに休みたい。
コメント (3)
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