ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.10.24 哀しい緑のランプ点滅―ながながさんの訃報

2013-10-24 19:03:53 | 日記
 またおひとり、このブログを通じて知り合うことが出来た方の訃報が届いた。
 2年前からよくコメントをくださっていた“ながながさん”だ。
 オリンピックの年生まれと伺っていたから、まだ40代の若さ。私と同様、早期で見つけられたが、2年前に骨盤や肺に転移された。お嬢さんは今年の春社会人としてスタートされたが、息子さんは我が家の息子の一つ年下の高校2年生だ。どれだけ無念だったか、と思う。

 22日の早朝、永眠された、との連絡がご主人からラインで入ったのは一昨日の夕方のこと。今日24日がお通夜、明日25日が葬儀だという。
 ラインが届いたのはちょうど電車に乗って病院最寄駅まで移動していた時間で、緑のランプの点滅に気づいたのは夜になってからだった。彼女自身からの連絡だと思ったので、何気なく開いたところ飛び込んできたのは「○○○○の夫です・・・」という文字。「通夜、告別式」という文字。
 一瞬何が起こったのかわからず、あまりのショックで身体の震えが止まらなくなった。しばし呆けてしまい、お返事を打つことが出来なかった。

 思えば先月から1か月ほど、胸水を抜くために入院されていた。頂くコメントからもそのこと自体は知っていたが、今月初めに退院され、ハラヴェンの治療も再開し、体力回復のために自宅療養中でいらしたと伺っていたので、まだまだこれからだ、と信じ、励ましの言葉を送っていた。
 最後に頂いたコメントは10月10日。ここのところ、コメントが入らないので、体調が優れないのかしら、と案じてはいた。が、19日、息子の体育祭の日までラインで連絡があったので、まさかそんなに悪かったとは思いもよらなかった。・・・今もまだ信じられないほどだ。

 ご主人からの連絡によると、「肺の転移による呼吸困難が思っていた以上に負担が大きく、昨日(21日)再入院し、その時点で覚悟が必要と知らされ、いよいよかと思ったのですが、その翌朝とは思ってもみませんでした。」とのことだった。「いつもいつも家族に迷惑をかけていると気にしていた○○の家族に対する最後の思いやりだったのでしょう。」と。
 そんな、ながながさん、家族に迷惑をかけているなんて・・・と叫びたかった。それもこれもひっくるめて家族なんだから、と。

 実は彼女とは一度、同じアロマ講習会に参加し、同じ大きなテーブルに座ったことがあったのだ。が、その時はその方がながながさんだとは知らず、お互い言葉を交わすこともなかった。
 その後、連絡先を教えて頂くことが出来て、高校生男子(息子たち)の話もしたいし、是非一度お目にかかりましょう、と言い合っていた。一度日程調整をしてレストランまで予約したのだったが、お店を経営しておられるながながさんのお宅では、土日はフェア等でどうしても都合がつかない、ということで土壇場に延期になったことがあった。
 言っても仕方ないけれど、悔やまれる。

 6月に彼女から初めてラインで連絡を頂いてからは、やりとりは専らラインだった。
 緑のランプが点滅すれば、頂くコメントを彷彿とさせるとても素直なながなが節の文章が届いていた。それが僅か4か月で天に召されてしまうなんて・・・。
 一度のランチ延期が無期延期、もう叶わぬものになってしまうなんて・・・。

 ながながさん、本当に苦しかったのでしょうね。お目にかかることが出来ず、本当に悔やまれます。
 これからもながながさんの分まで細く長くしぶとく治療を続けていきます。なるべくゆっくりそちらに伺いますが、その時は心置きなく沢山お喋りしましょうね。

 合掌。
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2013.10.23 採血、レントゲン、心エコー後、ハーセプチン169回目(3倍量31回目)、フェソロデックス12回目

2013-10-23 21:48:04 | 治療日記
 昨日は、仕事を終えてから病院最寄駅近くのホテルに前泊した。軟弱ではあるが、朝一番の検査に備え体力温存のためだ。
 今朝は自宅にモーニングコールをした後、恒例の足湯をして朝食会場へ。いつも出勤する時間と殆ど変わらない時間にチェックアウトしても、病院迄は歩いて10分もかからず到着する。
 台風が近づいている所為か今にも泣き出しそうな空、空気もひんやりしている。

 自動再来受付機にIDカードを通し、まずは採血受付へ。まだ朝早いのに既に番号札は50番を超えている。受付をしてから15分ほどで順番が来る。今日は初めての若い男性技師さんだったが、痛みはそこそこ。3本の採取だ。心エコー(心臓超音波)予約時間までにまだ30分以上あったので、受付に断って2階のレントゲン受付に移動する。ここでは殆ど待つことなくスムーズに撮影出来た。再び1階に降りて、超音波待合で待つこと15分。予定より若干早く開始した。今回心エコーが入ったのは、長く投与しているハーセプチンに心毒性があるからということと、しぶとく胸痛が出ていることによる。ベッドでリラックスして手を挙げて寝ているだけ、プローブが動いて15分ほどで終了。病院到着から1時間ちょっとで3つの検査を順調にクリアする。やはり前泊の威力大だな、と一人悦に入り、向いの腫瘍内科受付へ移動する。

 自動血圧測定機で計測した結果は101-56、脈は75。「中待合へどうぞ」のランプが点いたのは30分後。今日は中廊下では殆ど待つことなく、先生が診察室から私の名前を呼びながらお顔を出された。
 「3週間どうでしたか」といつもの質問から。3週間前の治療後、義母の通夜に直行したのだったが、通夜と葬儀の両日ともストレスと疲れからかかなり痛みが酷く、朝昼晩ロキソニンを飲んだこと、それ以外にも朝昼、朝昼晩と飲んだ日が2日ずつあったことをお話しする。だんだん寒くなっているし、今日のような天気や台風等で気圧が変化すると胸痛が酷くなるようだとお話しする。先生からは、この1週間で痛みが増えていることがあるかどうかを問われ、そうではない、とお答えする。
 既に先月と今回のレントゲン画像が目の前に並んでいる。両肺の影はやはりやや大きく濃くなっているように見える。が、先生曰く「それは織り込み済みで、1か月でこの進度ならまだ慌てなくてよいかと思う。」。白血球は最近のスタンダードで3500。マーカーCA15-3も横ばいだ。マーカーの動きはなかなか掴めないとおっしゃる。心臓は概ね良好、ポンプ機能も正常とのことでほっとする。今出ている胸痛は心臓からくるものではなく、やはり胸骨や傷口近くの骨転移によるものではないかとのこと。確かに心臓がギュッと痛み、肩の後ろまで広がるような感じではない。
 診察室での検温は6度8分。3週間分のロキソニンの処方もして頂いた。
 そして、「今日は予定通りハーセプチンとフェソロデックスのフル治療で行きます。」と。次回3週間後にハーセプチン、4週間後に採血、レントゲン、フェソロデックス注射の予約が入った。この調子で何とか年明けのT-DM1登場まで粘りたい。

 化学療法室へ移動する。15分ほど待って、針刺し名人Oさんから窓際の点滴椅子に案内される。リクライニングをし、文庫本等の小道具を出して態勢を整えると、Okさんが針刺しにみえた。Okさんはとても思い切りよく一発でグッと刺してくださるので、痛くない時は全くあっという間の早業なのだが、今日は刺した次の瞬間ゴリッとして涙が出て、深呼吸をしながら呼吸を整えるほどの痛み。Okさんも刺しながら「痛い!」と思ったそうで、「ごめんなさい、痛点でしたね・・・」と謝られる。針が刺さった後も針先がウロウロしている感じで、痛みがなかなか治まらずに往生する。
 今日は早く来た甲斐があって順調と思っていたのだが、いつもなら座ってから30分以内で届く薬がなかなか来ない。どうしたのかと思っていると、Oさんが「薬剤部に電話連絡が入っていなくて・・・もう少しお待ちください。」と説明に見えた。さらに待つこと30分。ようやくハーセプチンと生理食塩水の2本が届き、開始。1時間半弱で無事終了した。抜針はOさん。化学療法室の看護師さんの中で唯一衝撃なく丁寧に抜いて下さるが、刺した時に痛んだ部分がまた刺激されて顔を歪めてしまった。終了時の血圧は101-64。
 Oさんからフェソロデックス注射をするベッドに案内される。診察時、先生に報告しそびれたインフルエンザ予防接種の終了と婦人科検診の異常なしの話をOさんに。本当に忘れっぽくなって困ってしまう。そしていつでも打って頂けるよう身支度するがなかなかいらっしゃらない。急な患者さんが入った様子だった。まあOさんが担当してくれるならちょっとくらい待ってもいいや、と読書を続ける。
 いつものように気を紛らわせるためお喋りをお願いして、左から。針刺はそれほど痛まないが、薬が入るとやはりズシーンと重苦しい痛みが広がる。そして右。なぜか薬の匂いにむせてしまい、咳込んだ。黙っていると痛むので、お喋りしたのも良くなかったようで、一向に収まらずますます酷くなる一方。かといって時間をかけて薬を注入している最中なので、うつぶせの姿勢を変えられない。結局、ずっと咳き込みっぱなし。何とか起き上がってみるが、苦しくて汗と涙と鼻水で顔はグチャグチャ。あまりに酷く咳き込んだので、Oさんが思わず(嘔吐用の)ビニール袋を用意してくださる。なんとか踏みとどまって吐かずに済んだけれど、15分ほど咳き込み続けてぐったり。落ち着くまでベッドで休ませて頂いた。帰りは、Hさんにも大丈夫ですか、と声を掛けられ申し訳ないことだった。こうして一度咳き込むとなかなか止まらないのが困り者だ。更に痛みスイッチが入ってしまうと目も当てられない。

 ぐったりして化学療法室を後にする。会計ではそれほど待たずに済むが、今日は7万数千円の支払い。うーん、香港旅行くらい出来てしまうではないか、とちょっとブルーになる。病院を出て薬局に寄り、ロキソニンを出して頂く。ここも今日は10分程の待ち時間で済んだ。本日の病院と薬局の合計滞在時間は5時間半弱。薬の延着と咳き込みがなければあと小一時間早かったかもしれない。

 そして駅ビルでランチ。友人がわざわざ出てきてくれて和食に舌鼓。一度咳き込むとその日はどうも喉の調子が悪くなるのだが、ふたたび咳き込むこともなく、あっという間に3時間が過ぎた。楽しいお喋りにしばしフェソロデックスの臀部の痛みも忘れることが出来た。

 帰路乗換駅で買い物を済ませると、夫から夕飯要らないメールが入ってがっくり。最寄駅に到着すると、小雨が降り出していた。
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2013.10.21 受け入れることは希望である~そして、父になる~

2013-10-21 20:30:18 | 映画
 「6年間育てた息子は、他人の子でした」というショッキングなキャッチコピーの映画を観た。

 血のつながりとは何か、家族とは何か?その愛と絆の新たな形を描く、衝撃の感動作と銘打ったこの作品は、第66回カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作品だ。
 息子を取り違えられた二つの家族が、実の子か、育ての子かと苦しみ悩む。そしてついに辿り着いた「交換」という結論のその先に待つものは・・・という実に重いテーマだ。

 一流大学を卒業し、大手建設会社に勤め、都心の高級マンションに暮らす、いわば人生に勝ち続けてきたエリート男性とその従順な妻。その一人息子が小学校のお受験をするシーンから始まる。一方、相手方の夫婦は地方で小さな電気店を営む。取り違えられた長男の下に2人の妹弟がおり、妻の父も加えた6人家族だ。
 住む世界が全く違うように見える二つの家族が、病院からの一本の電話により交錯していく。

 作家の重松清さんがパンフレットに「取り返しのつかないこと」というエッセイを書いている。映画を観た後、とても共感したので、以下、転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

 世の中は「取り返しのつかないこと」であふれている。僕たちは誰もが、それぞれに「取り返しのつかないこと」を背負って生きている。・・・「取り返しのつかないこと」は「後悔」や「傷」や「罪」や「喪失」という形をとりながら、僕たちをさまざまに苦しめる。随分重い荷物である。肩の肉に食い込み、背骨を軋ませる。それを捨て去ってしまえるなら、どんなに楽だろう。
 けれど、その重荷が背中から胸に迫る、奇跡のような瞬間がある。すると、「取り返しのつかないこと」は、やり直しの利かない唯一無二のものだからこそ、「かけがえのないこと」に変わる。背中にあったときにはあれほどつらかった重荷なのに、せつなさや悲しさは何も変わっていないのに、胸に回った時には、抱きしめずにはいられなくなる。
 僕は、それが物語の力、フィクションの力だと信じている。是枝さん(本作の監督)のつくる物語はすべて「取り返しのつかないこと」が「かけがえのないこと」に変わる瞬間を描いているのではないか、と思うのだ。

(転載終了)※  ※  ※

 重松さんはフィクションの力、と書いているが、真実は小説より奇なり、で実際に日々ある「取り返しのつかないこと」こそが「かけがえのないこと」なのではないか、と思う。
 是枝監督の作品には「取り返しのつかないこと」を背負って歩く人生への謙虚な敬意を強く感じる、とも書いておられる。そのことによって、フィクションではあっても、見る側が、あなたならどうするのかという問いを強く突き付けられることになる。

 パンフレットには脚本家の井上由美子さん談の「人生は『贈与』>『選択』」も載っているが、その中の“人生とは『選択よりも贈与である』、ととらえ直すことで、絶望の先に希望が見えてくる”の下りにも大きく頷いた。
 自由意思で自分の人生をコントロールしている、というのは傲慢以外の何物でもない。時代も、人生も、命も全て受け入れていくもの。「受け入れる」というと消極的に思えるけれど、それは希望であり、生きていくこと自体が奇跡なんだ、ということを知っていく映画なのかもしれない、という談話にも唸らされた。

 そう、受け入れることは決して消極的なことではない。むしろポジティブに生きるための術なのかもしれない、と思える。
 そんなふうに病を受け入れ、共存しながら日々を有難く送らせて頂いている私がいる。

 明後日は通院日。朝から検査が目白押しなので、軟弱だけれど、前泊の予定だ。
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2013.10.20 雨降り日曜日も、あれやこれや

2013-10-20 21:21:16 | 日記
 昨日は、息子の体育大会見学で草臥れて早めに就寝したので、今日は仕切り直し。それほど寝坊もせずに活動を開始した。
 外は予報通りの本格的な雨降りだけれど、洗濯をしないわけにもいかず、家の中は万国旗状態だ。
 先週、伊豆大島に大きな被害を及ぼした台風26号よりももっと大きな勢力の27号が、また同じような経路でやってきているという。まだ行方不明の方が多くいらっしゃる大島、本当に心配だ。

 そんな中、とりあえず掃除を済ませてインナービューティ・ヨガのクラスに参加した。雨降りで気温も下がっており、わざわざスタジオまで出かけて行こうかどうか大いに迷うところ。だが、思い切って参加すれば間違いなく良い汗がかけて気持ちが安定する。それがわかっているので、よし!と出かけるわけだ。
 闘病中であっても受験生の母であっても、精神面を何とか穏やかに保つことが出来ているのは、このホットヨガに依るところが大きいと思う。不思議なことに、余計なことを考えないで頭の中を空っぽにすると、結構それなりにポーズが決まるようになってきた。けれど、ちょっとでも他のことが頭を過ぎるだけで、いきなりバランスが崩れてしまうのだからびっくりだ。
 たっぷり汗をかいてシャワーでサッパリした後、夫と息子と合流して中華のランチ。息子は3日ぶりに塾へ向かい、夫と私は都心の百貨店までお香典返しの手配に出かけた。

 郷里の菩提寺で執り行われる義母の三十五日忌の納骨を二週間後に控え、この週末がご挨拶状等の注文をするデッドラインだ。夫の思い通りのお品はなかなか見つからなかったけれど、やはり専門のカウンターで一括してお願いすることが出来るのはとても有難い。こうした不祝儀は、もちろん何度も経験したいことではないけれど、一度でもこうして一通り経験させてもらえば、自分の時の希望も考えておけるし、良い勉強になったと一人納得する。
 もろもろの手配を無事に済ませ、小道具等も調達して、ほっとする。

 今年は受験生を抱えているので、年末年始の旅行もお愉しみも何もないのが淋しい。ならば、せめて美味しいものだけでも、とせっかく出てきたついでにちょっと早いけれど、クリスマスケーキの予約とおせち料理の予約も済ませてきた。
 気になっていたことを一つ一つ潰してくることが出来て、気持ちが楽になった。

 そして、あっという間に土日も終了。明日からまた新しい1週間が始まる。早くも10月も後半に突入である。そして3週間ぶりの通院週間でもある。
 日もすっかり短くなり、あんなに暑かったのがまるで嘘のように気温も下がっている。とはいえ、明日は今日より10度も高くなるというのだから、体調管理に気を配らなくては・・・。
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2013.10.19 高校最初で最後の体育大会見学―ちょっぴり涙ぐむ

2013-10-19 21:16:30 | 日記
 昨日は息子が通う高校で体育大会の予行が行われた。通常通り塾に寄って帰宅するというし、夫は宴会で夕食が要らない。私はそのつもりで仕事を片付けて、息子が帰宅する予定の1時間前に家に到着した。すると、自転車置き場には息子の自転車があり、部屋の電気が煌々とついている。真っ赤な顔をしてパジャマ姿でリビングにいるではないか。
 なんと、日頃の運動不足と太陽に当たっていない受験学年であることが祟って、クラスの殆ど全員が帰りのHRでは突っ伏していた模様。そんな訳でとても塾に寄るどころではなく、直帰してお夕寝したとのこと。顔が赤いのは日焼けの所為で、発熱ではなかった。具合が悪くなったということではなかったので良かったのだけれど・・・。

 今朝もいつもどおり起床し、お弁当を作って送り出す。余りの寒さに足湯をして温まり、出がけにはストールも冬物に替えて夫と2人で出かける。息子の出番は午前中の80mハードル走と午後の綱引きの2種目。お昼休みを挟んで2時間半以上間が空いてしまう。炎天下だったら時間を潰すのも体力的に辛いので、午前か午後の1種目だけに・・・と思ったが、何より最後だし、と思い直して頑張って行ってみることにした。
 思えば、一昨年は雨天順延、平日開催となったため行ってやれなかった。そして昨年はEC投与2回目翌々日、家で寝たきり。夫にビデオを撮ってきてもらってそれを観ただけだった。だから、気付けば今日は、高校生になって見る最初で最後の体育大会なのだった。

 食堂は保護者にも解放してもらえるが、凄い混雑でカオス状態になるのは予想がついていたので、夫とサンドイッチ等を調達しておく。最寄駅からスクールバスで学校に到着し、受付を済ませてグラウンドへ。陽射しがなく本当に寒い。800m走、1000m走、縄跳び走と進み、息子の80mハードル走。夫はスタンド真向いの位置から望遠でシャッターチャンスを狙う。私は満席の保護者席の脇に立ってみたが、途中で顎が出て、階段に腰を下ろさせてもらい、いつもの小さなデジカメを携えて、最大限望遠にして豆粒のような息子を追う。息子がフライングをし、次は出遅れて結果は4位。無理してアキレス腱を切られでもしたら大変だからよしとしよう(息子曰く、あのメンバーだったら3位は堅かったが、フライングで気をそがれたとのこと。)。
 夫と合流して食堂へ。凄い混雑ぶりで2つ並んだ席を確保するのも大仕事。マンモス校だから、とにかく弱肉強食状態だ。学食があってもシステマティックとは縁遠いこの状況では、お昼は学食を使って、とはとても言えなかったな、と6年間お弁当を作ったこともやむなし、と思う。

 寒い屋外から暖かい室内に入ると、がっくり疲れて何やら眠気が襲ってくる。暖かい飲み物の自販機も長蛇の列。あっという間に売り切れ状態である。昼食後にロキソニンも飲み、なんとか痛みが酷くならないことを祈りつつ、再びグラウンドへ戻る。
 今度は夫と2人で階段に腰を下ろす。最初に観た15人リレーでは、何も考えずにひたすらバトンをもって精一杯走る姿がいろいろな思い・・・ああ、もうこんな季節は来ないのだな、健康で思い切り走ることが出来るってなんて素敵なことなんだろう・・・などなど、が交錯し、目の前が曇って曇って仕方なかった。
 息子が出場した3年男子全員の綱引き。これまた負けてしまったが、伝統となっている、甲子園のエース君たちがいるスポーツ推薦組のパフォーマンスはなかなか見ものだった。彼らは常に試合優先。修学旅行も文化祭もスキースクールも、全て参加出来ずに来たわけで、この催しだけ一緒に参加出来るのだ。皆が彼らを労い、拍手と声援を送っている。昨年息子から「来年は彼等のパフォーマンスを見に来て。」と言われ、その約束が果たせて良かった、と思う。

 そしてまた、スクールバスに乗って学校を後に。私が次に学校を訪れるのは12月の三者面談だろう。その後に残るのは、12月の最後の保護者会と3月の卒業式・・・。笑顔でその日が迎えられると良いのだけれど。
 
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