か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

悲しい冷蔵庫

2023年05月31日 | 日常
しばらく家を空けることになった。その前に冷蔵庫を空にしておく必要がある。一生懸命料理を工夫して野菜室、チルド室、卵棚などを空にした。

帰国して思いっきり買い物。思いっきり買うとストレス発散になる。買ったものの重さで車の加速が悪くなるほどだった。一方、出て行ったものも大きい。僕はレシートからバカにされたようだ。…「おいお前、この金額ショックだろ」。


家に帰り冷蔵庫に詰める。

空になっていた冷蔵庫は購入して以来の大掃除。そこにどさっと入れた。マックスバリューか、ダイレックスか、はたまたALZOか。安いものを求めて車を駆ける。


わずか1か月、日本を離れていた。その間にあらゆるものがすさまじく値上がりしている。物価の優等生も例外なく。LだのSだの言うが、よく見ないとわからないので迷うことなくS。120円で買ってたものが300円だもの。


フランス革命はパンの値上がりに端を発している。たかが卵と思うなかれ。


しかし本質は消費者の収入の低さにある。30年間とどめ置かれた賃金は今やアジアで9位の低さである。マレーシアと並んだ。

かたや企業の内部留保は100兆円を超えた。今ごろ給料に回そうかと恩着せがましく言う。遅い。賃金水準の優先順位を最後にした安部政治の「つけ」が来ている。


冷蔵庫の卵棚には卵を立てるための穴が開いている。この穴の大きさは最小の卵を想定したものではないか。

買い物の卵を入れるとスッポリ穴をくぐりぬけた。



貧困も度を超すと笑えてくる。

クリスマスリース 

2022年12月23日 | 日常
いっぺんにすると楽しみが半減する。すこしづつ。

松ぼっくりを拾ってきて塗装。雪の感じがうまく行ったが全体を真っ白にして金縁の松ぼっくりもなかなか似合う。

緑のボールは買った。30円。ベルは去年の使いまわし。プレゼントの箱は一個10円程度。いったいこの値段でどこで作っているのだろう。

意外にも最もむずかしかったのはそれらの配置。一日に2,3個と決めて一週間かけた。


リースの土台は山から蔦を取ってきて乾燥させておいた。ニス塗り、銅線で縛る。来年はもっと良いものを目指そう。

楽しいから。

大切なものは目には見えないんだよ

2022年12月18日 | 日常
タイトル画像はmoke treeというそうだ。色が少ない冬の玄関には貴重な色。



L’essentiel est invisible pour les yeux. カッコつけるつもりはなく、サンテクジュペリ、「星の王子様」から引用しただけ。


昨日から寒くなった。今朝は雪が積もっていた。九州の平野では一大事だ。2㎝。


雪が降って気がついた。
雪のなかで花が目立った。庭にはいろんな色があると知った。山茶花はお気に入りだったが、ほかにもいろんな色があった。少しの雪でこうも景色は変わるのか。
マンリョウ

雪が降って気がついた。
ありがたい庭の草木。普段気が付かないが頑張って生きている。

雪割草


雪の重さで山茶花は下を向く。


ぼくが書いてきたものはその多くが、
あれが不満、これが気に食わないと言いっぱなしのブログだが、ちょっと

stop the complaints.   look around. 

見方を変えると普段気が付かなかった姿や意味を教えてくれる。
 
L’essentiel est invisible pour les yeux.

今作りかけのクリスマスリース。たまたま教諭の資格があったので特別支援学校で4年間もボランティアした。そこで人間の抱え方と紙細工を学んだ。きつかったが「うつ」を治すため。4年で寛かい。巨乳看護婦さんと話せたので治った。他のことは効果ない。



クリスマスリース、
24日までには完成して紹介します。使いまわしもなく緑の玉以外はすべて裏山から持ってきたもの。あるいは新聞紙雑誌を切って縫って工作。

自慢できるよう頑張ります。
ほぼ完成状態



昨今の日常

2022年12月13日 | 日常
昭和のモノを集めている。なんだろうね。この気持ち。よくよく思い出すと、さほど楽しくもなかった気がしてくる。

だけど昭和のデッドストックを見つけると、モノの向こうに小学生のぼくがいる。汚いズックをはいて、「ふせ」があたったズボンをはいて、転んでケガをして、・・・。

アルマイトの弁当箱。

矢車弁当箱とある。図柄は矢車草。心がこもっていると思うのは僕の錯覚か。

昭和。路地には、よその子でも悪いことをすると叱ってくれるおじさんがいた。僕はそれを経験し判断力をつけた。僕は成績抜群の「できる子」だったが、学校の道徳の時間で学んだことはない。

男子用。一回り大きい。

昭和のぼくらはこのヨットを見て夢を広げた。海の男になった自分を考えた。ヤングスクール弁当箱。貧しい時代。バナナが入っているのは遠足のときだけ。バランとか金魚(小さな醤油さし)。そんなものまで貴重で当然使いまわし。


家に帰ると強いおやじがいた。その背中を見て僕もこんな大人になろうと思った。

地域にはゴロツキもいるしヤクザもいた。子供どころか大の大人がけんかしていた。少年は大人の暴力を見ておののいた。

だが今と違う点。一つ上げる。地域に自律性があった。わが子中心利己主義ではなく、社会正義を教えるおやじはそこらに大勢いた。もちろんチンピラも多くいたが子供はそれを見て、肌でどんな大人になればよいかを学んだ。



一方、現在の我が家。今家族のだれも僕の言うことを聞かない。

僕は庭の掃除は必要ないというのだ。だってこれ。
散った花びらがあるから風情が出るというもんだ。


分からないやつばかりなので、一計を案じる。

それは落とし穴。深く掘った。僕は庭から悲鳴がするのを待った。

計画は失敗し悲惨な報復が来た。



猫にも笑われた。



下手な裁縫だ

2022年09月11日 | 日常
「男子厨房を遠ざける」という家庭に育った。前にも書いたが、それどころか台所のあるほうを見ただけで叱られる家庭環境。

したがって目玉焼き一つ、カレー一皿作ったことはないまま人生の大半を過ごしている。

いまだに料理に興味がわかない。

毎日の料理をブログに挙げている人を見るとぼぼくはなんというひどい家庭に育ったのかとつくづく思う。toyokkoさんのブログを楽しみに拝見させていただいているが、今まで同じ料理は一度もない。こんな才能があったらどんなに幸せだったろうかと親を怨む日々だ。

少し努力をして肉じゃがができたとき、今までもったいない時間を過ごしてきたと思った。

で、

料理に限らず、裁縫も男がするもんじゃあないとしつけられた。

バカな親を持ったもんだ。今まで針一本持ったことがない。

ので困っている。こんなふう。ズボンが破れたので縫ってみた。

ダメージジーンズ風。やってみると難しい。実に頭を使う。

自転車でこけてウエストバッグが破れたのでこれも縫う。

ところがだんだん楽しくなってきた。実に下手だけど。

親は一度も僕に勉強しろとは言わなかったが、男が料理や裁縫をすることを忌み嫌った。

おかげでこんな変則的な人間になってしまうのだ。

僕は勉強が大好きで成績もよかった。が、今頃つくづく思う。勉強は料理と裁縫ほど重要な能力ではない。

半世紀以上料理と裁縫に偏見を持って生きてしまった。

一つずつ、少しずつ取り戻していこうと思う。最近はキャンプ蕎麦に凝っている。
みそ汁も作れるようになった。下手でも山の中で食うとうまい。

庭の野菜

2022年07月06日 | 日常
熱中症におびえつつ収穫。

トマト、ミニトマト。売ってるのよりは美味しい。

きゅうりもできた。鮭とレタスは購入。

庭でできたものはなぜだか昔の味がする。美味しいと思うのはなぜだろう。

今、生活は便利になった。が決して良くなってはいない。昔は、料理に手間と時間をかけていた。美味かったはずだ。

今やそんなことはできない。共稼ぎでないとやってけない。子供は他人に預けて育てさせる。出来合いをチンして夕食と称する。

僕らは貧しくなっている。知らぬ間に、巧妙に、着実に。



自転車キャンプに行って再び蕎麦に挑戦。

何回も行けば上達する。しかし、ある程度以上に合理性を追求すると、味は確実に落ちてくる。

家庭の料理にとどまらずすべてに言えることだ。ゆっくりとした変化は見落としやすい。だんだんと食生活は貧しくなった。くわえて、単に稼ぎとか合理性とかその場の快適性とかのみ追及すると、その本質を見失う。ラップに包まれたレタスは、ぼくらをだましている。


スーパーが勝(まさ)っているのは、価格と時間の合理性のみ。その本質、「おいしさ」において劣る。

ので、最低限の利用にとどめる。


…などと理屈をこねていると、「ビビ」がめんどくさそうに言った。







紫陽花をいただいた

2022年06月16日 | 日常
散歩をしていた。ひときわ目立つ紫陽花を見つけ、褒めちぎったところ、「どうぞお取りください」。

「いえいえそんな意味では、・・・」と、一応辞退のポーズをとる。

この儀式的やり取りが日本特有で面倒だ。

僕があやふやな態度だった。ので、そこのおばあさんは業を煮やしチョンチョンと切って花束に。


僕は玄関に飾った。


右のバラは庭に勝手に咲いたもの。アルミの放熱板に差したらなかなかシュール。このバラが今月の玄関の王座を占めていたが、左遷。

メインは紫陽花に。とくに「隅田の花火」。

きっと改良した人は、昔の隅田花火を見ていた人だ。今や、数と大きさと技巧のみを競う。下品なショーは、日本の夜空にそぐわない。

日本で改良された可憐な八重。

花台は「ビビ」のブランコだったもの。ビビが巨大化して乗れなくなったので転用。




お寿司より おせちより 雑煮より  キャンプ飯

2022年01月03日 | 日常
まず、12月を担当したジャンクカメラ。よくできたやつ。専業メーカーより起動が遅い。フォーカスが遅い。ASA感度があと一つ足りない。使わない機能が多すぎる。など不満があったが、小さいのでとっても便利だった。

レンズがテッサーとは粋だ。トリオーターとかあったな。若いころころずいぶん使った。ドイツ人は一度画期的なものを出すとそれを今度はとことん長く使う。

毎年変わるクルマの流行にドイツでは日本車を指して、

「もう去年の型に自信をなくしたのか」と揶揄されている。



SONYのカメラ。ジャンクで200円。多少修理は必要だった。日本人はもったいないことをする。僕が買わなければ確実にゴミになっていた。


セブンイレブンのチキンを買ってみた。焦がしてしまったがレタスに合う。



作っているときは紅白で正月らしさを出すつもりだったが、
出てない。
ミーが蒸らしてくれた。


今日の火力。40g固形燃料。約30円。

苦労して1.35キロにまとめた。

キャンプ場は火打石だのファイヤースターターだの凝る人がいるが、雨降ったら悲惨なことになるよ。ピエゾじゃなくてフリント式のこれが一番。なんせ日本人の発明だ。愛用しようよ。

コーヒー用露天風呂。

地獄の急坂を必死にこいでいる。もう糖尿には戻らないぞ。高度94m。


今年のリース  0円リース

2021年12月22日 | 日常
ムーミンのLittle My(リトルミー)がいたなら、このリースを見てなんというかな。庭や近所の山から材料を仕入れ雪の感じは白と銀色で塗った。






ご存じのように、ムーミン谷の仲間たちは長く雑誌に連載され、テレビのアニメとして世界中に広まった。

子供向けだ。

だが肝心なことは、子供を子供扱いしてないこと。フィンランドでもイギリスでも一個の人格として子供を見ている。

自分の子供にできるだけ人より多くの芸を仕込んで満足する親はムーミン谷にはいない。

そんな下品な親たちは主に東洋の島に住んでいる。よその子と比較して、遅れない、出しゃばらない、一人だけ違ってはいけない、だけど人並みではありたい・・・

そんな息の詰まりそうな社会に住んで楽しいのだろうか。


ムーミン谷は穏やかで平和だ。そんなところですらリトルミーは、冷ややかな目でムーミン谷の仲間を見ている。ミーは日本には住みにくいだろう。外れ者としていじめられるに違いない。


ミーの言葉。

「何とかなる。
それは、やることをちゃんとやってる人のセリフ。」

「時々、誰かに言われた言葉がチクッて刺さってイラッてするときあるじゃない。
それね、本当のこと言われてるからよ。」 

「忙しい忙しいって言う人いるじゃない。
きっと頑張っているわねって褒めてほしいのよ。
だからこう言ってあげたほうがいいわ。
時間の使い方が下手ねって。」


と、ミーは毒舌家だ。でもちゃんと自分の気持ちに正直であろうとする人には励ましの言葉を放つ。僕には、毒舌ミーがたまに放つ励ましの言葉が胸に刺さる。

「あなたの夢を、そんなこと無理だっていう人いるでしょ。
こう言い返してやりなさい。あなたには無理ね、でもわたしはできるの、あなたとわたしはちがうから、って。
でも言ったからには夢をかなえなきゃいけないことも覚えておきなさいよ。
でかい口たたくんだから。 」

「失恋したのね。
悔しいでしょ。
ならこう思いなさいよ。
あなたはひとりの人間から必要とされなくなったの。
それなら100万人の人から必要とされる人間になりなさいよ。
その時は必ず本当の恋が見つかるわ。
がんばりなさいよ、やるしかないでしょ。 」

 


リトルミーがこのリースを見てなんというだろうか。

神様なんていないわよ。いないから誕生日もなし。
あなたは、自分を捨てて神様とか何かにすがって生きたいの? よくわからないものにすがるより自分のことは自分で決めるのよ。
他人に決めてもらってはいけないわ。

と、いうだろうか。




頑張ってリースを作ったが、ミーの声が聞こえた気がして、・・・

Merry Christmasよりも、



偕老同穴

2021年11月05日 | 日常
中空で竹で編んだような姿。20㎝ぐらい。直径4センチで円筒形。片方はとがって海底に固定されている。

カイロウドウケツという海綿の一種。相模湾。1000メートルの深海にすむ。ひっかかったプランクトンを食べているらしい。
脳もない生物が、

自分の体で編み物をする。

まるで結晶体のように成長するが、アモルファス体である。その繊維は光ファイバーよりも強く細い。これを水温4~5度の深海で合成するのだから、人知の遠く及ばない世界である。


この網目の隙間からエビの幼生が入り込むことが多いという。このアモルファスのかごの中で幼生はエビの成体になる。2匹で入り込むことが多くどういうきっかけかは不明だが片方はオスに、もう片方はメスになる。


その時は体が大きくなっていて一生この籠の中から出ることはできない。

籠を形成する海綿にとっては何の利益ももたらさない闖入者であるが、自分の体内で甲殻類の夫婦がともに添い遂げるのを見ているわけだ。
ちょっと見えにくいがエビがいる。


僕は思った。ここにいるエビ同士が夫婦喧嘩をしたら修羅場になる。一生この空間で女房と過ごすなんて。どんな拷問より苦しい。


仲良くしなくちゃ、やってけないな。



実は佐賀神社で骨董市があったので見に行った。そのついでに神社のお宝を見せてもらった。







それが、偕老同穴。

三省堂によると、夫婦が仲むつまじく添い遂げること。夫婦の契りがかたく仲むつまじいたとえ。夫婦がともにむつまじく年を重ね、死後は同じ墓に葬られる意から。「偕」はともにの意。「穴」は墓の穴の意。 


不思議な生物がいるもんだ。エビにとってはちょっと狭いマイホーム。退屈だろう。ものは考えようで、最近の人間の郊外住宅もこの程度だし外敵の攻撃からの安全は確保されるからまあいいのかな。


生き物は人知の到底及ばぬ工夫をして生きている。なのに人間は他の種の絶滅には無関心だ。

人間は全生物に君臨する独裁者きどりだ。

そんな浅はかな人類が世界をヒートアイランドにしてしまう。人間自身が滅んでも自業自得ではあるのだが、あおりを食って滅ぼされてしまう生物はたまったもんじゃない。

漆黒の深海でただ一生懸命生きていただけなのに。絶滅が危惧されている。


帰り道、うどんを食った。大変おいしくいつも立ち寄るところだ。

できてきた肉うどん大盛りが、偕老同穴に見えた。
妻は平気で食っていた。

僕は偕老同穴状態だ。

お中元

2021年08月16日 | 日常
先日お中元をいただいた。

桃やグレープフルーツに見立てた容器の中に、それらのゼリーが入っていた。糖尿病の方には悪魔のお中元だ。

このゼリー容器がよくで来ていてちょっと見には本物の桃と区別がつかない。精巧だ。もったいないので食べたあとも何に使うか思案中。

蓋をずらした写真。



数十年前、

艱難辛苦の末、やっと仕事にありついた僕は、まずこの「お中元」という風習に驚いた。

先輩が言う。A部長にはお中元しとけよ。B参事には奥さんにやったほうがよい。Bは威張りたがるが奥さんには頭が上がらない。… いろいろ各方面から情報をいただいた。

なかなか新鮮な経験だった。ちょっと前まで学生だったのに突然10年、20年勤めた人と対等の地位を得た僕に。

教えるほうとしては、見るからに世間知らずのぼくに思わず言った言葉だ。親切心と友情からのことだ

しかし、ちょっと待て。言われたとおりにお中元をしていたら僕は破産する。所詮初任給なんて知れている。

給料の1/3はそれに割かなければならない。これにお歳暮年始が加わったら破産する。

もらう側は天国だ。公務員の上級管理職。もともと大した仕事はない。給料は5倍、お中元は合計100万を超える。

これは低開発独裁国家の因習と同じだ。



まっぴらごめんだ。自分の僅かなカネを豊かな人に施すなんて、対価も不確実な中でやれるものか。

と、考えていたが、自分が年を取ってくると自動的にもらう側になる。

その頃はバブルのころで、もはや季節の挨拶の範疇を超えた立派な賄賂の性質のものだ。僕はどんどんもらった。ありがたい話だ。知らない人が肉や酒や商品券仕立券をくれるんだから。


「私の息子は先生の大学の後輩です」とかひどい時には「私も先輩と同じ中学を出ました」とか。

知ったことか、アホ。

こうして無理やり関連付けて利益誘導を図るのを何というか。

それは、因縁をつけるという。


知ったことか。

お中元には嫌な思い出が多かった。もちろんいただくブツは大変家計に寄与した。


そんな現場を離れて20年目にして心あったまるお中元をいただいた。

金銭の絡まぬあるサークルで、親しくなった人から思いがけなくいただいた。


荒れる天候の中、お相手の健康を願い慰労の気持ちを込めて、少しの間でもほっとしてくださいね、と送るお中元はなんと素敵なものだろう。

デパ地下の「密」を避けましょう、だって。

2021年08月14日 | 日常
なんかすごく嫌味じゃないかい?

そのデパ地下でインタビューして、「時短は困りますけど仕方ないです」とか、「そんなに混んでないですよ」とか。

なんかイヤーな感じしたけど。

デパ地下で毎日買い物する人って多くないはずだ。買い物と言えばデパ地下が浮かぶ人たちが政治やってんだね。

1円でも安い豆腐やもやしめがけて庶民のスーパーに行く僕って何?

そこは「密」どころか混沌のカオスだ。修羅場だ。97円の低脂肪乳を見つけて喜び、結局砂糖を入れて飲んでる僕って何?


ここまで生きてくりゃそれなりに艱難辛苦はあったんだけど。

値段気にせず買い物できる上級国民だけが政治やってるんだね、きっと。


猫の毛をいっぱいつけてるおばさん。夫婦喧嘩を始める能天気。走り回る子供。レジでまごつく老人。トライアルの氷をごっそり持っていくバカ。

それでも値段の魅力が勝ってしまうのが大多数だと思うよ。阿鼻叫喚の中で庶民は買い物してるのよ。「密」でなくて何だというのかい?


僕なんかルミエールで満足してるけど。デパ地下よりははるかに密だけど、貧乏人は「密」でもいいわけ?

Alzoもあるしトライアルもある。コスモスもあるしレガネットもある。マルキョー知ってるかい。

ぼくだって、たまにはイオンに行くこともあるんだぜ。たまにだけど。


嫌味に聞こえたぼくっておかしいのかい?




問診一日20万円。コロナ様ありがとう。

2021年06月21日 | 日常
と言いながら接種会場に行く医師は、たいてい町医者で感染症については基礎しか知らず、そこらのペテン獣医師と同じレベル。

ふつうのボランティアに講習をして駅のコンコースで打ってる国もある。

日本は書類が4枚も5枚もあり不要な市長の挨拶に一枚使っている。


専門性だのなんだのはごまかしだ。医師免許は一度とると死ぬまで有効だ。

異常だ。そこらの学校の先生の免許は3年おきに更新しなければならずそのための費用も自費であり役に立たないことをだらだら聞く我慢大会だ。暗記がたりないと試験に落ちる。教えることはできなくなる。


低能がとってつけたような言い訳をする。「教育は国の根本ですから未来を担う子供たちのための仕事は尊い仕事で間違いがあってはいけません、ですから先生方にも指導力を確保するための研修を受けてもらいます。



一方でコロナ問診は、交通費も宿泊費も食費も出る。注射は歯科医や看護婦に任せ、30人ぐらい計一時間も面接問診すれば20万か。ぼったくりだ。


バカな国民だ。頭が悪いのでもっと稼いでいるやつもいるとかいうが、それがなんだ。

バカにわかりゃすくいうともどかしくて頭が変になりそうだ。今何の話をしているか。労働とその対価がかけ離れているのが異常だといい、唯々諾々としたがう国民も相当の低能だということ。

裏通りでカツアゲをして5万取ったら刑務所で、問診を特権的に独占し椅子に座って小声で大丈夫でしょうというだけに20万か。


おまいらはそれほど勉強してない。町医者は銭を稼ぐのにその能力のすべてを使い、いかに治療が必要か老人をだますことに頭を使う。地方をだまして銭を取る。

やくざ詐欺団と同じことをしている。


看護婦の時給と10倍の開きがあるとき人間としての良心の痛みを感じないか。



それでもその20万話を断る医者が多い。自分の病院を休院にしてまで行ったとき、損得勘定が合わないからだ。

バカのくせに親の金で原付免許程度の医師免許を取り一生それに頼りカルテを独占し失敗しても裁判所は守ってくれる。



こんな「医は算術」の国は亡びる。中村哲ちゃんが泣いているぞ。

僕の授業を受けて医者になったものは多いし、僕自身が高校のときのクラスからはほとんどが医者になった。

僕はそんなことではいけないと血を吐いて授業をしたはずだ。みんな感動して医者になり、あげくその気持ちが続いたのは3年間だ。


天神でぼくの顔を正視したら殴るから。

咳をしたら人目

2020年09月26日 | 日常

朝日新聞の朝日歌壇俳壇に投稿された高山れおな氏の句である。

 

   咳をしたら人目

 

朝日歌壇に乗った友人の句。これも時期を得た秀作だと感じた。

 

   草刈りの 土手に残せし 彼岸花

 

 

アサヒは最近評判がよろしくない。自らの非をかたくなに認めないからだ。サンケイですら誤報に対しては謝る。

しかし、文化欄の充実度は月とスッポンの差がある。朝日に往年の冴えは確かにない。これについてはもどかしく思っている人は多いと思う。

だが、読売とかそこらの新聞を読むと悪寒がはしる。読者を舐めている。おまいらのバカに合わせて書いてやるから・・・というのが透けて見える。低能には、自分がバカにされているのが見えないだろう。だから低能とよく波長の合うのをつれてきて書かせたりしている。

ちょうど、Yahoo! のインチキ評論家の記事に出くわした時の気分、提灯持つのもいい加減にしろ。低能の劣等感を上手に舐めることしかできない。

あ、も一つできることもある。内容のないことをさも何かありそうにだらだら書く能力。

 

もちろん朝日も同列だが、朝日に教養の最後の砦となった文化欄がある限りぼくは日経と朝日をやめない。

 

「咳をしたら人目」

日本の愚かさをいきり立つこともなくチクリと刺す。秀逸だ。尾崎放哉は怒ったりしない。できる人のイキは通じる。


おみくじの凶

2020年04月09日 | 日常
↑のタイトル画像は、JR久大線の豊後中川駅のホームから撮った写真だ。昨日。
 
一年のうち、山に色がつく時期だ。山笑う。その笑う山も畑も人家も駅から直接つながっている。
 
ここらは人と接するほうが困難だ。
豊後中川駅 
 
画像左の草原には列車の離合のための待避線があったようだ。木々にはいろんな色の花が咲いていた。
 
町では土地が空くとすぐナントカ広場だとか、交流プラザとか作りたがる。この駅はなーーんにもする気がない。とってもいいことだ。
 
ほったらかされた自然は結構年月によって淘汰され、さくらやモモやモクレンや山吹、つつじ・・・ 眺めの良い公共の庭になった。
 
この国はどこでも舗装したがるが、人は土の地面の上を歩きたいのだ。
 
ここの近くにお地蔵さんがある。ご利益があるそうで、うわさはうわさを呼び諸説飛び交い、話は膨らんだ。
 
あまりにも多くの人が押し掛けるので、高速道路にはインターができ福岡(天神)からは直行バスが日に何本も通う。
 
 
だれかどうかしてくれ、こんな苦しい人生は嫌だ、・・・そう思っている人は多いはずだ。だが現実を認めるのは嫌だ。そこで仕方なく、ふだんはその苦痛から目をそらして生きている。
 
しかし、心のどこかに引っかかっているから、「あなたの心の隙間、埋めて差し上げます」というお誘いには弱い。
 
お願いをひとつに絞って年の数だけ書いてここに張りなさい、なんて。
 
お地蔵さんがお願いをしただけで幸せをくれるなら、こんないい話はない。
 
なかには、一生懸命働きますから首にしないでください、というお願いもあった。
 
願いを書いたお札には人生を凝縮した表現が多い。…じいちゃんの足が治りませんように・・・というのもあった。
 
お札や絵馬に住所氏名を書くのは気願成就のために必要なことだと言われた。他人に自分の悩みをさらせるなら、解決してやろうか、とお地蔵さんが言っているのだそうだ。
 
この壁一面に張られたお願いは、ずる賢くゼニもうけをしようというチンピラにとっては情報の宝庫だ。
 
何年か前、ぼくは友人とここに来て「おみくじ」を引いた。ぼく自身はふだん半信半疑の状態だ。
 
ところが、切羽詰まってくると何でも見境なく信心する。強がっても人は弱い。少なくとも僕自身は弱い。
 
友人がおみくじを引こうとしたそのとき、お金を入れる前におみくじ販売機からおみくじが落ちてきた。ああ、こりゃ儲かったと思っておみくじを開けるとなんと「大凶」。
 
落ち込む友人を何とか慰めてもう一回ひかせた。
 
するとまた「凶」。
 
ぼくは巫女さんに、「よーっと混ぜんとでけんよ(よく混ぜないいけないよ)」、といった。
 
その時の巫女さんの言葉にぼくらは凍り付いた。
 
「うちは凶、大凶はいれていません」
 
3日後、友人の母が死んだ。
 
 
近所の農家のおばちゃんが参道に店を出している。百軒ぐらい。ぼくはよくそこでマタタビとかイチョウを買う。煎じる。
 
マタタビは関節痛に絶大な効果があり、イチョウは頭が良くなる。家族に必要だ。ぼくは必要ない。