か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ファンを減らすいけない日々の告白   4

2013年11月24日 | 受験・学校

5yjimage強い奴にはよく向かって行ったが、弱いのには手を出したことはない。まさかまさか。極端に体格の差がある場合を除いて、ケンカの勝敗はやって見ないと分からない。しかも偶然の要素が支配する。近くに棒があった、高い位置にいた、逃げて大勢を振り切り勝てる相手を選んで血祭りにあげることができた。・・・という偶然。

1対1のケンカのときは周りは介入しなかった。これもウソ。少しでも形勢が悪くなった方(ほう)には、それまで中立を装っていた奴らが一斉に飛びかかり再起不能にし、学校でのケンカ序列を一つでもあげようとした。もちろん格段に弱い奴は、仕返しを恐れて手出しはしない。

男の子というのはほんとにバカだ。

負けられないのだ。決して負けられないのだ。負けた悔しさは、人生最大の再起のバネともなるが、たいてい一生を支配するとれない劣等感となる。一方、勝った優越感は負けた人が思うほど大きくない。僕は数学ではあまり負けなかったが、人が命がけでひがむほどの優越感は感じたことはない。

男は勝負する。負けたら一生負け犬であり子分になる宿命だ。僕は無謀にもその気概だけはあった。今もある。とくに、勝った奴から情けをかけられるくらいなら死んだ方がいい。この気合は多くの場合、僕を便所の団子虫になる危機から救った。

冷静になると、そんなに誰でも彼でも勝者になれるはずはない。それぐらい分かる。だが、勝負を避けろということは、 ぼくにチョウセンチビクロゴミムシモドキになれということだ。

僕はチョウセンではない。

高校の頃、50に二人乗りして坂道の下を走っていた。上から白バイがガンをつけた。直線を逃げてもすぐ捕まるので人しか通れない急なところ(バイクはふたりで担ぎあげ)とか住宅地の直角カーブの連続を狙い振り切ろうとした。

そんなことをするのを何と言うか。バカという。だがやっぱりここでも負けられない。頭脳を使えば必ず道はある。死中に活を見出す美学は、僕をとても悪くした。

万事休すと思った瞬間、右折した僕らを見落としたのか、白バイは直進した。そこで申し訳なかったが尊い勝負の途中だ。住民には我慢してもらって、バイクを抱え庭をのりこえ逃げた。どうだ。どんなに白バイが上手でも、白バイを抱えて庭を乗り越えることはできんだろう。

僕らの勝ちだ。さらに都合がいいことにガレージがあった。僕らはバイクをガレージの中に入れるとシャッターを下ろす。暗闇の中で息を殺した。

20分後。前で大型バイクの止まる音がした。ノック。ここで僕の友人が返事。「ハイ。」 げにバカとは恐ろしい。友達は選ぶべきだ。

白バイはぼくのバイクのエンジンが熱いのを確認すると僕に手錠をかけた。

それでも勝負をしてよかったと思っている。負けてもいいから勝負をすべきだという信念はバイクがはぐくんでくれた。


朴大統領「共同歴史教科書」を提案。

2013年11月18日 | 韓国
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 【ソウル=加藤達也】韓国の朴槿恵大統領は14日、ソウル市内で演説し、日本と中国、韓国の3カ国を念頭に「北東アジア共同の歴史教科書」作りを提案した。最近の日韓、日中の対立とその解消へ向け努力している姿勢を示そうとしたものとみられるが今後、日中両国に具体案を持ち掛けるかは不透明だ。

 朴氏は演説でドイツとフランス、ポーランドの各国が共同で歴史教科書を編纂(へんさん)したことを例に挙げ、「北東アジア共同の歴史教科書を発刊することで、東西欧州がそうしたように協力と対話の慣行を積み重ねることもできる。歴史問題の壁を崩す日が来るかもしれない」と主張した。                2013.11.14 20:13 

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4,5日前の提案だ。何だかやることが、わけわからん。どの国も文教族とは、カス官僚の吹き溜まりで唐突な提案が多い。

今、大統領朴僅惠が実現するはずもないアホ官僚からの御注進を真に受けて、共同教科書なるありえないものを作ろうと言い出した。

これは夫婦喧嘩の最中に、突然子づくりをしようと言い出すに等しい。

しかし、日韓は経済的に深い紐帯で結ばれている。これが現実だ。

低脳は断交だ、絶交だと騒ぐが、それでは両者に得はない。韓国にある日本資本を引き揚げろというのは幸い三橋貴明だけだ。資本の引き上げは戦争準備であり、断交は宣戦布告にま違いない。

夫婦喧嘩はまっ最中。わざわざ事態が悪化するのに、離婚届にサインしろと迫るのは、だれが見ても賢くない。しかし、日本にはその賢くないアホな右翼もいるが、韓国国民はほぼ全員が情報を操作され、愛国心に酔う戦前の小日本臣民たちだ。

ひがまずに読んでほしい。手足をばたつかせて発狂するなら読むな。

ぼくが出張で韓国に行ったとき、朴槿恵の父親の朴正煕大統領が射殺された。母はその前に射殺されている。その娘、朴槿恵は才媛の噂が高くプライドも高い人だが、大学はだれでも行けるところに行った。その上、その時代はコネ入学に決まっている。やがて彼女は国会議員になりSPがつくようになった。「分」に相応しない地位を得ると背伸びした挙動、怯えた挙動をとる。

ウソをついて、お母さんに問い詰められる子供の顔だ。政治家は、心のゆとりを体全体からオーラとして発しているものだ。それがない。目が怯えている。

やがて僕も少し偉くなり、彼女との会談がセットされた。ところがたかが国会議員のくせにぼくと握手するときよそを見ていた。帰ろうとした僕をみんなが止めた。

話は覚えていないが頭の悪さだけは印象に残っている。こちらが水を向けないと話の流れを理解できない人で議員には不向きだ。(秘密保護法の制定前にあわててすべてを言うことにした。)

だから回りが言うことに何でも従う人だ。「千年恨みを忘れない」と言った大統領の発言は重たい。どんなにバカでも大統領なのだ。アメリカ大統領よりフランス大統領より権限の大きい独裁者だ。そんな人と共同教科書が作れるか。

回りも彼女が言うことに従うものばかりだ。そういうポチを、懸命になって自分の周りに侍らせた。

以前にも、両国の教科書のすり合わせをしようという低脳三流学者どもが、会合を持ったことがある。会合の結果、状況は以前より悪化した。お互い不信感を増大させて終わった。

あたりまえだ。言葉の取引ができない学者たちは、事態を悪化させて投げ出す。教科書問題は教育問題ではない。今や外交問題だ。できないことをしてはいかん。

夫婦喧嘩を、調停員でもないくせに近所の婆あが、へたくそにも仲裁しようとするのと同じだ。

実は、このバカ会合にいやいや僕もいた。ぼくは不機嫌で、黙っていようとしたが韓国人のこの発言で怒りに火がついた。

「秀吉は韓国に悪いことをした。だからあなた達はみんな悪人の子孫だ。だから日本人は、悪人だ。」

予想どおりだ。韓国人を知らない日本の学者さん。ぼそぼそ小さい声で重箱の隅をつついても、オウム教信徒のように固く信じ込んだコリアンにかなうはずはない。

朴槿恵は、中韓と共同で日本の教科書を押しつぶそうと考えている。2対1なら勝てるつもりだ。真理も多数決で決まると思う人が、どうしてまともだとか言えるのか。


ウソはしきりと絶叫する   8

2013年11月14日 | 韓国

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いきり立って19世紀の砲艦外交を再興しようとする右翼。バルカン砲が何門だ戦闘機はマッハ何だ。お粗末ちょんの軍隊は飛ばない戦闘機、がけを登られない戦車、事故を起こす陸軍。などとあげつらってシコシコやってるが、世界を見よ。戦闘で国境が決まったのは日清戦争当時すらない。それから何年たった。いま一発でも撃てば、日清のときの三国干渉どころではない。百国干渉が起きるぞ。ま、ブータンは味方してくれるかな。

今や国連総長も世界銀行総裁もそのチョンがやってる時代だ。妥協と主張を巧妙に繰り返しながら、時間をかけて自国の主張を少しでも通し、できないものは将来へつながるよう布石を打つ。先のことはだれにも分からない。不確定要素が多い。しかしパイプを通じていると事態は、思わぬ解決に結びつく場合がある。外交だ。精密で誠実な外交は必ず出口を見出す。コネと情実と買収に頼る途上国型外交は、破たんする。

こんな芥子粒みたいな島の取り合いを平和的に解決できないで、何の千島が戻ろうか、何の樺太南半部が戻ろうか。

日韓関係は、20年前とは逆に相当に悪化した。韓国は、国民と言う飼い犬に教育や世論操作を通じ、反日キャンペーンを行った。愛国心とか領土とか聞くと絶叫しだすのは、日韓共通した単純無能な手先たちだ。いずれもありがたい国家の手先。

これ以上こじらすと東アジアの最大のホットスポットになる。領土問題は痛み分けしか方法はない。外務省は多くの試案を持っている。彼らは戦になると無能だ。だが戦の前後は粉骨砕身努力する。彼らには愛国心はない。しかし、通すべき論理に対しては雄弁だ。そこらの低脳が1メートル先を見るとき彼らは500メートル先を俯瞰している。

漁業交渉において日本は、たった一本の線を引くのに、5本も6本もの試案を用意している。アホの「竹島ーぁ」という火病に似た絶叫よりも、的を射た官僚の一言が干天の慈雨となる。アホは邪魔しかしない。

韓国の外務官僚も、一人一人は日本に劣らず優秀だが、数がいかんせん、少ない。どの会議にも同じ奴が顔を出す。まるで河原乞食の下手な芝居で一人何役もしているのを見るようだ。しかし、だからこそすごいということを理解すべきだ。日本にこんな芸当のできる人はいない。僕はたった数十個の単語の訳、文の関係性に正確さを求め苦労した。

因縁の入らない協定の文面を相互の担当で考えていると、人間として互いに優れたところを認め合う、一種の友情が芽生えるのを感じた。ぼくは、時間をかければ日韓の将来は明るいとみている。ヒステリー競争になったら、韓国の火病競争に勝つものはいない。秘密保護法の成立前に言っとくが、日本では韓国分析専門の役人は300人いる。頭に来たら負けだが冷静な思考をする限り、日本の論理にはナイフの刃さえ入る隙間がないほどだ。世界最高であると自負している。わざわざ下品にも武力行使をして強引な手段をとってはいけない。解決の道は山とある。

今から100年前、極東の小島(わが帝国)はロシアの接近に怯えていた。緩衝地帯を求める小日本は、半島によだれを垂らした。朝鮮は朝鮮で、病気と泥棒しかいない現状の打破ができるのは、事実上太陽の帝国以外にないと考える。大きなクマの前にウサギとネズミが手を組んだ。

ウサギが誠心誠意ネズミをいたわる姿が痛ましい。だが末端の国民は内鮮一体の意味を解することもなく、朝鮮人は唾棄すべき存在であり劣ってアホで汚くずるい、と考えそのバカを見て自分の貧困を慰めた。現在とどこが変わるか。

写真は釜山、松島。海水浴に興じる朝鮮人達。イギリスがインドに、インド人のために海水浴場を作ったか、動物園を、大学を病院を一つでもつくったか。低能左派、枠にはめるものの味方をやめろ。

たしかに、朝鮮人差別はあった。総督府ではどうしても日本人の意見が通るようになっていた。だが一方で、本当に極東に差別のない大東亜の樹立を夢見る人たちがいた。彼らが残した優れた建造物は、現代でも韓国の重要なインフラである。彼らは悪人か。

======(前回のつづき)

監獄(刑務所)行政に関する資料もまた興味深いのであるが旧韓国政府の監獄をこう評する。「旧韓国政府で監獄はほとんど東洋各国の監獄と同じであるとはとても言えないほど痛ましいものであった。衛生設備が足りなかったし、収監者に対する虐待は極めてひどいのは、いつものことであったし超満員の状態は信じられないレベルに達していた。」

一方、日帝(日本)治下になってからは、監獄状態について著者は「毎年監獄が増え、監獄内の生活条件が改善された結果、少なくとも大型化した監獄は他の国のそれに匹敵するほどになり、米国内の大部分の監獄よりもはるかに優れた状態だった。」

             メーギョンエコノミー 第1503号 1909,04,29

「私は日本の朝鮮統治がそんなに悪くなかったと思う。」 「私は極めて貧しい農村の子どもとして学校に通うしかなかったが、日本人が、義務教育を受けなかったら父母が罰せられる、と命令し学校へ通えるようになった。」

「そして、成績が良かったので日本人の先生が師範大学へ行けと勧めてくれたし、その後軍官学校を経て東京の陸軍士官学校の進学し首席で卒業できた。」

「日本の教育は極めて公平だったと思っている。」

            朴正煕大統領(現 パククネ大統領の父)

(からけん訳)「知ってはいけない日帝時代の真実」 つづく


冤罪。しとらんなら(やってないなら)自白ば(を)するな。大崎事件。

2013年11月10日 | 裁判

 

 

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 しとらん(やってない)なら、なして(なぜ)自白ば(を)したとか。死刑がえずなって(怖くなって)証言ば変えるちゃあ(とは)こすかぞ(ずるいぞ)。

根底に流れる被害者及び一般国民の偽らざる心情だろう。だが僕は返す言葉を持つ。

いつ自白ばしたか。おまえドンが(おまえたちが)はけち(じはくしろと)ゆうた(いった)だけじゃ。

ところが、戦後拷問が禁止されてからは、警察は検挙率をあげるため巧妙化した取り調べを行っている。それがいけないとは言ってない。アホは落ち着いて読め。

声を荒げることも机をたたくことも被疑者の人権を考慮して禁じられる。被疑者尋問は、送検までの限られた日数の中で、さらに限られた時間しか尋問できない。被疑者の人権保護の立場からだ。

検事が受理するに足る調書を作成したい警察と、なんとかしらを切りたい被疑者の戦いになる。

が、人違いの可能性をどうやって排除したんだ。これに反論するため警察は戦前からの伝統「自白」に頼る。つまり、本人がやったと言ってるじゃないか、と。乱暴な奴らは、その検証もそこそこに、被疑者の人権ばかり優先されていては、せっかく捕まえた犯人を取り逃がすことになるじゃないかと心配する。ばか。

ぼくは多くの反論がある。たしかに、よい子ぶった人権派なるものは、殺したいほど嫌いだ。人権派こそ人殺しだ。いずれ述べる。まってろ偽善者。有名になった事件にのみ、のこのこ出てきてお涙ちょうだいをぶつ。悪質この上ない。一旦おく。

冤罪の被害者は、法律の知識も十分でないまま自白調書を取られてしまう。あらぬ嫌疑は、その人の人生を奪う。警察は言う。「オマエ、やってないならここで判をつけ。検察庁、裁判所、弁明のチャンスはいくらでもある。」白紙に拇印をおさせられる。5,6人がかりで押さえつけるからどうすることもできない。自白調書の出来上がりだ。

第三者のいない部屋で被疑者の胸ぐらをつかもうと壁に打ち付けようと何が残る。

さらに知的障害がなくとも、何時間も厳しく言われたり、優しくされたりを繰り返されると、もう何が何だか分からなくなる。「これを言うたら釈放ぞ。」と言われるともう何でもよくなる。そして釈放されるが、警察の玄関で再逮捕される。あるいは、「別件逮捕をすればオマエを無限に拘留(留置)出来るんだぞ。」と、伝家の宝刀を出す。

もうこの後は、何でもしゃべる人間になっている。

大崎事件では、完全否認を通した女性がいる。ぼくも取り調べを受けたことがある。3日で音を上げた。なんて強い人だろう。「認めれば仮釈放で娑婆に出られるぞ。」という悪魔の誘いを断る。10年否定して満期出所。

警察は豪語する。俺は3日あればどんな調書も作れる。

精神薄弱者たちからまずウソの自白を引き出し、ウソの共犯者にし、交換条件として軽い罪にした。障害者を重罪にすると世論が反発する。外堀を埋め、一番世論が反発しない人(健常者)を犯人に仕立て上げた。

ヤクザがガタガタ言う奴を黙らせるために、みせしめをリンチにかけるのと同一だ。これが本質である。被害者は、警察や裁判所に仕返しを期待する。冷静な判断は不可能になり、法廷は人違いでも何でもいいから復讐の場と化す。

人権派の目立ちたがり屋たちが、ち密な論理構成で冤罪を晴らそうとしても無駄だ。ぼくの友人(裁判官)達は、「めんどくさい」という理由から再審、冤罪事件を棄却している。

自分の同僚が熟慮し判決を下したのだから、よもやま違いはあるまい。そんなことしたら先輩判事に悪いし昇進にもひびく。いつまでも地裁にいたい判事はいない。高裁に行くと仕事は1/10になる。

目の前の警察だけにしか目がいかず、「だって泥棒を、人殺しを、逃がしちゃあいけないじゃないか。」というのは、ホームラン級のバカだ。

権力を構成するそれぞれの組織は、いくら冤罪が起ころうと痛くも痒くもない。現に、飯塚事件(僕のブログを参照してください)で無実の人を死刑にしてどの権力が困ったか。泣いたのは誤判で殺された久間さんの遺族だけだ。

この大崎事件も同様だ。泣いたのは人生の10年を奪われた原口元受刑者(上記写真)だけだ。だが、原口おばあちゃんはただの一度も自白してない。

満期出所。相当の凶悪犯が受ける仕打ちだ。

冤罪とは誤判ではない。功を焦る警察の暴走を止めるシステムがないことによる、合法殺人だ。

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1980年3月31日、鹿児島地裁は長男の嫁を主犯として被害者を西洋タオルで絞め殺して牛小屋堆肥置き場に死体を遺棄した殺人、死体遺棄罪で懲役10年、長兄に懲役8年、次兄に懲役7年、甥に懲役1年の判決。長男の嫁のみ即日控訴するも、同年10月14日、福岡高裁宮崎支部が棄却。さらに即日控訴するも、1981年1月30日、最高裁が棄却して、長男の嫁の懲役10年確定。
?1987年4月25日、次兄死亡。
?1990年7月17日、長男の嫁が刑期満了で出所。
?1993年10月2日、長兄死亡。
?1995年4月19日、長男の嫁が鹿児島地裁に再審請求。
?1997年9月19日には甥も同地裁に再審請求するも、2001年5月17日、自殺。
?2001年8月24日、甥の母親が彼の請求を引き継ぎ再審請求(2004年に甥の母親が死亡後は請求の引継ぎ者は現れず、甥の母親の死後以降の再審請求は嫁のみとなる)。

冤罪が疑われる事件で、知的障害・精神障害の傾向がある共犯者らの自白の信用性が問題とされ、再審請求の範疇に入る。

第1次再審請求を受けて鹿児島地方裁判所は2人に対し2002年3月26日再審開始を決定したが、即時抗告において福岡高等裁判所宮崎支部は再審開始決定を取り消し、特別抗告において最高裁判所は即時抗告審の取り消し決定を支持した。

唯一の再審請求者である嫁は、被害者の兄嫁(義理の姉)にあたる農業を営む隣家主婦で、捜査段階から公判ないし受刑中を含め一貫して現在まで、事件への関与を否定している。                    

Wiki

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2013.7.18 宮崎高裁は宮崎高検に対し本件に関する証拠リストの開示を求めた。天空に輝く星が現れた気がする。84歳。時間がない。国は意地を張らず情けを見せろ。                                

関連情報URL : http://minkara.carview.co.jp/userid/849485/blog/24813380/           

昔に引き戻す保守、熊本。シリーズ、九州の保守を責めないで。

2013年11月08日 | 日常

051201215403_s4370221 数十年前のことで、多少はあいまいな点がある。が、基本的には記憶に間違いはない。

僕は保守の牙城熊本に配置転換、すなはち飛ばされた。原因はそのうち書くが、要するに松の廊下で刀を抜いたからだ。それを書くと論文になるのでここでは書かない。

今でこそ、消えゆく地方都市のひとつになり下がった熊本であるが、戦前は九州の中心だった。人口、物流、工業生産、農業生産、何をとっても福岡を引き離していた。熊鉄(熊本鉄道管理局)の管轄する範囲は大きく福岡県の久留米市近くに及び、五校(熊本大学)はナンバースクールとして日本三位の難易度だ。

今やかつての影もない。が、福岡にはない大橋時計店、品位ある料亭、小さいが肝心の本がある本屋。視野の狭い頑固な保守に囲まれているという現実を無視すると、なかなかいいところだった。あ、朝鮮飴もある。加藤清正の朝鮮の虎退治に由来する。好きだ。

着任前日、僕は夜明けまでバイクに乗り、コケてしまった。足に大けがをした僕は、革靴が入らなくなり長ぐつで行く。クラッチが踏めなかったのでJRで行くことにする。熊本駅には公用車がいた。黒ではなかったので誰かの自家用を借り上げたのだろう。僕が歩けないと言ったからだ。黒でないのは失礼だ。

それから県庁の講堂だったか、よその体育館だったか、思い出せない。クルマはそこに着くと、僕自身の着任式もそこそこに、緊張した若者が500人ぐらいいる式場に通された。新任式だ。そう言う僕も年は、彼らと2,3年しか違わない。

知事やらなんやら、実に内容のない、かつ面白くない、かつ長い話をして自己満足している。ぼくはぼくで、昼の特急で福岡に帰るつもりでボーっとしていた。

官尊民卑。県は僕に健康診断を出せと言った。電話して文部省から書類を回してもらうことにすると途端に黙る。だって健康診断は、したばっかりだ。新規採用(以下、新採)の卒業したての学生より、職員課のお局様(おつぼねさま)が偉いんだと言いたいようだ。しかも本来低能だから、ぼくを県の新採と間違えたようだ。西も東も分からぬ新採のうちにしっかり「くせ」をつけとこうという魂胆だ。新採なんぞ「民」の部類の青二才。今も熊本は、こう言う下らん上下関係だけで動いている。

お局は、国から怒られて、水戸黄門の印籠を見た人の様にひれ伏していた。以後僕の目を見たことはない。今はもうこの世にいないだろう。

足の痛さと、友達が熊本なんかに行くなと止めてくれたことで、頭はいっぱいだ。友達は、僕が帰ればどんなに喜ぶだろう。

一通りくそ話が終わると、何とぼくが指名されたではないか。僕は、いやいや左遷されたところで、するつもりなのは退職だけで、ひと言も話す気もなく材料もない。

列車が遅れて打ち合わせができなかったと僕を責めるあほ役人。それは、言えるもんならJRに言え。公用車が出払っていたはずはない。僕をアホ緑色の貧乏な自家用車で県庁まで送っておきながら、グジグジ遅刻を責める。そんならここでも癇癪回そうか。今思い出しても腹が立つ。

すべてが明治の形式主義で動いている。砂糖にたかる蟻のように役人は、「寄らば大樹」と一筋に権威にたかる。西郷軍に勝った谷干城を誇るかと思いきや、神風連の乱で見せた反権力の気概、台湾出兵。何でもいいから熊本が一番と言いたがる。

壇上の僕は与えられた時間を使い、死にかけたこん睡状態の議員や役人に、中央役人のすごさを見せつけてやろうと思い、笑いの中に内容のある話をした。随分皮肉を言ったと思うが詳細は忘れた。

そもそも、新任式の講話を、国から着任して30分もたっていない人間にさせるとは、無茶だ。「肥後もっこす」(人の言うことを聞かぬ頑固者、自分の非を認めぬ意地っ張り)たちは僕を測っていた。できるか。能力は。従順度は。

佐賀のように強いものに弱い県ではない。さすがに国と対立するのはためらうが、佐賀にはない独立意識があり、それは一人ひとりの県民によって支えられている。

200メートルぐらいの川幅に橋を架けるとき、川の中央で土木事務所の管轄が違っていた。両者規格を譲らず、橋の幅が川の中央で異なる橋ができた。これは笑いごとではない。その後、橋げたにぶつかる、正面衝突する、転落するという死亡事故が続き、国の指導が入った。

「肥後もっこす」達は、変化を嫌い、優れた意見も取り入れず、薩長土肥の一員である誇りから他人の指図を極度に嫌う。川の両側にこの「肥後もっこす」がいて役人をしていると、上記のようなことが起こる。

僕を飛ばした国は殺したいが、熊本はその価値もない保守だ。ほんとはどこで働いてもいいが、一番苦しかったのは、中身のある教養に裏打ちされた上品な話ができなかったことだ。これにはこたえた。

つまらん過去にこだわる奴は、日本文化の破壊者だ。優れた字を書き文を読み和歌を詠み本を読め。

県庁の南側の芝生の上でコンビニ弁当を食っていたら注意された。イラッとしたので別の日に大型ナイフで立木に彫りを入れた。今も残っている。でも小さくて市役所みたいな県庁は、好きだ。

(西南戦争で熊本城を死守した谷干城、竜馬の友人、出身は土佐だけど)


とどまる保守、佐賀。昔に引き戻す保守、熊本。

2013年11月06日 | 日常


YouTube: 恋するフォーチュンクッキー 佐賀県庁 Ver. / AKB48[公式]

と書くと、比較的佐賀は熊本より症状が軽いと聞こえるが、とんでもない。古川さんは悪辣な手も使いながら、企業の代弁者として何とか殖産興業を図ろうとしている。口も達者で判断も早く正確な官僚を、どうしてどうでもいい県の知事にしたのかどうも解せない。

ところが、佐賀の沼から湧いて出た自民党が、ガタガタ屁理屈をつけ会派を作り、彼はその会派を隠れ蓑にしている。当選以来一度も発言しない低脳が多く、発言しても「発言したんだもん」という言い訳づくりのためが多く議会質問に内容がない。

あるのは時代遅れにも反共主義だ。世界から消えつつある、あと二十年したら王権神授説のように過去の遺物になるのに、バカは反共という幻にしがみつく。

何が原因か。明白だ。田に水は入ったか。田の草取りの時期ではないか。消毒の時期が来たぞ。補助金確保のためにおねだり農業を続けるぞ。

こんな意識で何の変革が可能というのか。泥船はいずれ沈む。

僕は、オスプレイを佐賀県にという数少ない主張をしていた。土地はいくらでもある。仮に佐賀空港を拡張しても農民は喜んで土地を差し出す。

農業を知らないバカが自然を守ろうとか言うし、その無知に付け込んで百姓は補助金を確保しようとする。バカ。自然を破壊しているのは農業だ。エセ環境派というバカと泥船に乗った守銭奴が手に手をとって踊っている。ところが、

そんな奴らはカネでコロッと転ぶ。財務省は飛行場用地を破格で買い上げ、もしくは借り上げる。米軍関連産業ができる。特区にしてカジノを置けば、暇でばくち好きの県民はよく集まる筈だ。オスプレイは落ちない。落ちても干潟のムツゴロウが焼死するだけだ。一転して、あほらしい、米やら作れるか、となったはずだ。

いい案と思ったのに、佐賀県民性にやられた。変わったことはしたくないのだ。転作奨励金、麦作補助金で生きていけるからそれでいい。このままでいい。と、とどまる保守が佐賀だ。

面白いな。そう言う保守反共でもお上には弱い。お上から言われると節操もなく豹変する。

相変わらず職員はコネ採用で、障害者枠外で知的障害者が採用されてくる。

佐賀西高校は漢文で持っている。ここにバカ教師を不当に入れ込むことは反日的行為だ。生徒は、大多数のアホ教師という保守のガンに迷惑している。

もうひとつ。一般職にしても、そのバカコネのおかげでまじめに努力した人が不合格になり、派遣社員で一生を過ごすことになる。

求人のない地方都市では、いきおい地方自治団体が過剰に人員を抱える。まるでNHKだ。人間ばかりゴロゴロいて雑談をして一日を過ごす。安定的に受信料というくそに群がるハエを生む。

古川さんも県庁内部の改革には心を向けていない。だがいい。低能保守議員はシリア情勢を全く知らなかった。こんな奴らの集合体を佐賀県議会という。知事部局だけ正常化して何になる。

ひとたび総務省が目を向けると、こいつら耄碌は子供のように気をつけをして総務省の方を向く。国からすれば扱いやすく、しかも忘れられた、人口当たり交通事故死者日本一の県だ。お上(おかみ)が言うまで動かない。どうしたらいいかが分からないでいる。言われたら何でもする。まるでヤクザのパシリだ。

そんなら議員になるな。大企業のちょうちん持ち、古川知事。ご同情申し上げます。

原発賛成派の人数ごまかし=水増しのため、九電はメールをねつ造し、賛成派が多数であるかのようなインチキを自作自演した。犯人九電を最後までかばい、明白なねつ造をなかったと強弁したのが知事古川だ。佐賀県は九電にとってなかなかいい立地だ。