か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

どぜう (柳川鍋)

2021年03月26日 | 食・レシピ
福岡県南部の田園地帯。その中心に柳川市がある。
どぜう鍋のお店から5メートル。


北原白秋は、この町を「水に浮かぶ灰色の棺」という。彼は数学の成績が悪く柳川の伝習館中学(現高校)を退学になっている。国語の成績は開校以来の好成績だったそうだが、数学はこれまた開校以来のひどさだったらしい。

地元の中学を退学になったのだからあまり好印象はなかったと思う。

いい時代だ。それでも何とか早稲田に入るのだから。


今柳川市は「さげもん」祭りの真っ最中だ。

巾着、猫、ひょうたん、赤ちゃん、まり(柳川まり)、ネズミ、鶏など7個を糸でつなぐ。それを7本垂らすので7×7=49個ぶら下げる。49は縁起がよくないから真ん中に1個でかいのを下げてさげもん完成。

時間が止まったような世界だが、今のぼくたちがせっかちになっているのかも。

特に若い時期には、判で押したような変化のない日常が永劫回帰するかと思うと、ただこの町に住んでいるというだけで堪えがたい苦痛を感じる。


退学にこそならなかったが僕も白秋と同じ学校を出て同じ退屈を感じ、町は同じく灰色だった。


もったいないことをした。昨日と同じ日が今日であり明日であるということは、なんと幸せなことか。それがわからずにいたなんて、とんでもない考え違いだ。

ぼくは、権力にすがり糊口をしのぐ土民たちを軽蔑して柳川を出た。こんな田舎は嫌だと駄々をこねていたのだ。

しかし、どこも大した違いはないとわかるのに40年かかった。

今日と同じ明日が来るというだけでありがたいのだ。その日常に感謝して満足できるのは図太い人間性からくるものだ。

その繰り返しを退屈ととらえるのは実は弱い人間だったのだ。


話はかわって、柳川鍋。まだ夏でもないのに、「どぜう」が食いたくなった。どぜう一匹、うなぎ一匹。江戸の人はうまいことを言う。

価格はウナギ4切れ5000円、どぜう10匹1500円。

絶滅危惧種だそうだ。人間は責任を取らなくていいことは何でもする。種の創造や絶滅は神の領域だ。


ま、養殖だからいいのです。柳川、沖の端(おきのはた)
長い土間を抜けると
密なんてありえない。誰もいないから。
待たせるだけのことはある。


1500円でどぜうご膳が来る日常。僕は若い時は気が狂っていたようだ。こんな日常ならいくらあってもいいじゃないか。


毎月通うことにした。



ウソはしきりと絶叫する 77

2021年03月20日 | 韓国
<前回のつづき>

[2. 韓国の反日教育]

以前私は拓殖大学の碇教授とソウルで会って、反日感情の原因を質問したことがある。この問題に関し彼は、韓国において反日感情が強い理由は過去において日本との同化のレベルが深かったためだと答えた。これは初めて聞く解釈であり、私としてはこのような返答が理解できなかった。この点に関しては韓国の歴史学者シンボンニョン教授らも同様の指摘をしているのだが、彼によると国家の消滅と異民族の統治過程において朝鮮民族ほど抵抗が少なかった場合はまれだ。(韓国史の新しい見方、「草色」)同化の程度が深かったために独立したのち反日感情が強いというのは奇妙な論理なのだが、これは朝鮮特有の意識からくる自尊心に対する痛み、悲しみの論理と関連付けてみればわからないわけでもない。



このような心理学的な分析は論外だとしても韓国社会に存在する強い反日感情のわけをうわべだけ見るといったんは低水準の国民意識、持続的で体系的な反日教育、過去に対する歪曲と無理解、朝鮮王朝に対する郷愁、独立イデオロギー等々多くの点に言及することができよう。しかし、この問題に関してはやはり政府による持続的な反日教育に最も大きな責任があるといえよう。



大韓民国の歴史編纂委員会がまとめた高校過程「国史」(韓国史)教科書を見ると、この深刻さがよくわかる。この本では1876年朝鮮の開港以後1945年の終戦に至るまで日本という国は世の中に二つとない悪魔の国であり平和に暮らしてきた朝鮮を侵略し征服し苦しめたならず者だと描写している。例えば、朝鮮末期国家の財政を破綻状態に追い込み軍人はもちろん公務員の給料さえ支払えなかったのは国庫を湯水のように使い尽くした閔妃の贅沢と政権を握っていた閔氏外戚たちの貪欲さと腐敗だったのに「国史」はこのような朝鮮末期支配階級の問題点に関してはただの一行も言及せぬまま亡国の責任を最初から最後まで日本に転嫁している。


また、朝鮮末期1894年から1895年にわたり施行された朝鮮社会の近代化計画に対してもこれは一貫してソウルに進駐した日本軍が起こしたクーデターとその勢いに乗って可能となった革命的社会変化として開港期に日本が朝鮮にもたらした重要な貢献とみることができる。「国史」は日本の役割についてはほとんど言及せぬままあたかもこれが朝鮮政府の自発的な措置であったかのように書いている。その過程において必然的に発生した閔妃殺害事件に対してのみ(を記述し)不当に日本に対し全責任を転嫁している。


また、多くの点で朝鮮社会の発展に決定的な手助けとなった合邦以後の日本の統治に関してもやせた土地の開発のためなされた開拓者たちの努力と犠牲、彼らの愛情に対しては全く言及せずにまるで日本が36年間朝鮮を生き地獄にして人々を奴隷として搾取したかのように描写しているが、このため多くの操作された統計資料が動員されている。


すべての学生が必修として履修しなければならない正規国定教科書がこのように歴史に対して歪曲と操作に基づいて近現代史を記述しているために韓国人は外部世界に対する認識が幼い子供のころから日本に対し『むかしの朝鮮王朝の暴虐政治と中国の清、ロシアからの侵略から守ってくれた国、多くの犠牲と投資を通じ我ら朝鮮民族を文明化に導いてくれた親のような国』というイメージの代わりに、『われら民族を苦しめ搾取した敵の国』としての否定的なイメージがはっきりしてきている。韓国人が過去に対してこのようなワンパターンの反日思想以外にほかの解釈に接する機会はほとんど遮断されているので事実上韓国人の反日感情は国家によって勝手に意図的に国民を洗脳することを通じて出来上がったものと見るべきである。この文中、何か所かの重要な事例に対し、韓国の学生たちが日韓関係の過去に対しいかに間違った認識を持っているのかを書いていくことにする。




<次回用メモ  毎月20日に書きます。 [갑오개혁과 민비 시해 사건]から>








人の目をかさで突いて、2年半の国

2021年03月16日 | 事件事故
物事を抽象し敷衍し判断する力を知性という。これはおおよその人間が共有するもので、これによってコミニュケーションが可能となり社会が形成されてきた。

自分に起こったことでなくとも、わが身のことと考える=sympathyの能力は現代人には必須の能力だ。

したがって、わが身に降りかかってからしかわからない人は、知性とか教養とは無縁の人だといえる。



わかりやすくいうと、されてみないと痛みがわからない人は教養を積んでいるとは言えないということ。存在が迷惑な人たちだ。


遠くシリアやビルマの騒乱が全くの他人事としてしか響かない人は、本来近代社会を構成してはならないのだ。 

共感する、本質を求める、対策を考える、…総合してしっかりとした見識を確立する。

社会がそういう人間の集合体であることが近代の様々なルール―の土台となっている。



ところが実態は能天気な人であふれている。

「何か面白いことはないか」「いやなことは考えない」「わからないことはなかったことにする」「自分さえ楽しければそれでよい」

苦を避け楽を求めるのは地を這う虫たちの特性である。虫にとっては隣の虫が生きようが死のうがどうでもいいことである。


ハエが隣の死んだハエを見て同情するか。対策を練るか、原因を探るか、不条理を嘆くか。


感情に任せ行動しても、その行動の結果が相手を盲目にしても2年半、
たいてい2年で仮釈放、コロナから隔離してもらって、健康な食事で糖尿も治り、ほとぼりも冷め、ほとんどタダで歯科治療、・・・

日本では裁判で「反省しています」と言えば何をしてもよい。

目が見えなくなった被害者の絶望感をなんと心得ているのか。目は二つあるからよいのか。もみ合った偶発的な事故だという。そんなら無罪にするべきだろ。

被害者は片目にされた。加害者には2年半の休憩時間が与えられる。図書館も風呂もテレビもコンサートもある。

わざと刺しましたと誰が言うか。反省してませんと誰が言うか。

ぼくも嫌なやつとは、もみ合って傘で目をつくことにした。とくに品川区で。


事件概要

東京・品川区のJR目黒駅前で男性(当時53)の目を傘で突いて失明させた罪に問われた男に対し、東京地裁は懲役2年6カ月の実刑判決を言い渡しました。


 会社員の荒川拓雄被告(49)は2019年、JR目黒駅前の路上で男性の右目を傘で突き、眼球破裂などのけがをさせたとして起訴されました。


 今月16日の判決で東京地裁は「被告は酒に酔った状態で、立ち止まっていた被害者に自分からぶつかって転倒し、腹いせに被害者に暴行して転倒させようとした」と認め、「動機は短絡的」と指摘しました。


 一方で、「手に持った傘を突き出したとは認められない」「目に突き刺さったことは偶然の要素が大きい」などとして荒川被告に懲役2年6カ月の実刑判決を言い渡しました。


3/16(火) 13:16
テレビ朝日系(ANN)




ね、   自分からぶつかって目を刺してもよいのです。