か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

からだを壊してはいけませんよ

2013年03月28日 | 日常

http://www.youtube.com/watch?v=PHcO6GPZhmI&feature=player_embedded

美智子皇后はそういって彼の首に銅メダルを下げた。彼は朝鮮人だ。僕は、日本にいては語学の勉強の機会がないので「つて」を頼って彼と友人になった。

彼は努力して国体の水泳の選手になる。代々木の水は冷たい。試合の後も彼は震えていた。表彰式のとき彼は興奮したのだろうか。体がほてるのを感じた。皇后の言葉に「ハイ」という返事が精いっぱいだ。

数十年の間に、日清製粉の粉ひき屋の娘は十分にカリスマ性を植え付けていた。彼の感想は、美智子さんの手は冷たい、そして心はやさしい、だった。

北風がどんなに強く吹こうと旅人の外套を脱がすことはできない。だが、本当に自分のことを心配してくれる人がいるなら、人はその人のため何でもするのではないか。

彼は狂ったように泳ぎつづけた。だが残念なことに年齢の悪魔は彼の手を止めた。彼の障害も悪化した。銅メダルは障害者部門の銅メダルだったのだ。

しかし、今度は彼は仕事にまい進した。日本人に負けるもんか。ケンカもした。彼はユンボのオペレーターだ。これがいかに頭を使うか。いかに繊細な神経が必要か。

彼には今その大型ユンボのバケットで地面を3センチづつこさぐ技術がある。アームを伸ばすと地面へのアームの圧力は下がり地面からはね上げられる。ところがそのままアームで無理にこさぐとアームは地面の上をから滑りする。アームを縮めすぎると深く掘り過ぎてしまう。

人間の手で実験すべきだ。砂場で、移植ゴテで手を伸ばした状態から手元まで同じ3ミリの深さでこさぐことがいかに難しいか。ユンボのアームは10メートルある。ユンボの3センチは人の腕の3ミリだ。

他にも多くの技術を持っている。僕はびっくりして一週間ぐらい感動しっぱなしだった。

ここが一番重要なところだ。彼は子供のころ小児麻痺にかかった。ユンボは両手両足を使う機械が多い(最近のオートマチックは除く)。彼は手足のうち一本が動かない。そこも彼は工夫した。レバーを少し曲げひじを引っ掛け手のひらとひじで2本のアームを動かした。無理解な会社は苦情をいい彼は職を代わった。

ところが彼の仕事ぶりが彼を救った。ケンカもしなくなった。外見を気にする会社以外、みんな認めている。お前はユンボの神様だ。

ここまできても何国人かたださなければならないか。間抜けづら下げた会社の邪魔が日本人のとき、完璧な仕事をこなす朝鮮人はスパイだから日本にいたらいけないか。

口数も少なくなった。頭には白髪が増えた。美智子さんと握手をした時に聞いた言葉は、いまだに彼の中を舞っている。

「からだを壊してはいけませんよ。」

人にはときどき思いだしてよりどころにしている言葉がある。

Posted at 2013/03/27

馬鹿は話が長い

2013年03月26日 | 受験・学校

話せと言ったらだらだら話す。じつに中身がなくてイライラした。よくもまあそんなに中身のないことが言えるもんだ。僕は若かったので「いい加減にしやがれ、中身がなかろうが。止めんか。文句あったらかかって来い。」と癇癪をおこしたことがある。

もうその教育委員会も中学も高校(分校)もない。先日訪ねたら教室には海藻が干してあった。つまりだらだら時間を潰して日程通りに事を運ぼうとした最低級公務員のロボットみたいな棒読みは無駄であった。どころか本人はあの世だ。

僕は今や分からなくなる。少しは、本物の行政はそんなもんじゃないぞといいたい面もあった。ほとんどは、ただの怒りだったが。ただ時間が過ぎるのをひたすら耐えていれば一番賢かったのかもしれない。

そこは法定公簿ではないモノまで提出させ僕のために一冊の本にしていた。つまり教員の個人的手帳まで文部省は覗いていたのだ。これをハイと言って提出するバカ教員もその馬鹿さ加減が極まっている。

またその費用もばかにならない。いわゆる官官接待だ。僕はこのての接待には福岡県でもおよばれにあずかるが行くカネも来るカネも税金だからとんでもなくいい目に会える。

おかげでしばらくはそこらの腐ったような刺身がのどを通らなくなった。国民は無制限に税金を払うべきだ。有能な人間は宴会で育つ。

その宴会のとき。案の定、「公教育の立場から・・・」と何の理由にもなってないことで僕に因縁をつけてきた。どこかのへき地の校長を定年で辞めかろうじて熊本市内に戻ったアホは、自分が権力の一端を握っているような錯覚をしていた。僕をエラそうに諭す以外に最底辺天下りはやることがない。

何を勘違いしているんだ。あほ。公教育は私だ。

言い合いになった会場の会議室にも、今は海藻が干してあった。一人の男が黙々と作業をしていた。その街は検察庁も裁判所もある大きな街だったが今はその両方がない。僕が暴れた料亭も駐車場になった。

むなしかったんじゃない。僕は正義をつらぬきそれなりの誇りがある。今もある。ただ、誰が勝ったんだ。誰が勝ってそして今からも勝ちつづけていくんだろう。

新しく建つものといっては熊本のカップルが利用するラブホテルぐらいだ。あとはなくなり更地になる。裁判所も検察庁も小学校も料亭も漁港も。

海藻を干す男に僕らは何の影響を与えたのか。僕が勝とうと、低能三流校長や市教委が勝とうと、海藻は毎日運ばれ干される。僕らはそれになにも影響することはできない。

Posted at 2013/03/26

そんなら歌うな。

2013年03月26日 | 韓国

東洋の犬猿たちはどうしてこうも二律背反的世界観を許せないのか。

韓国の「市民運動家」や日本の偏狭ネトウヨたちのことだ。しかし気合が入ってないヘナチョコであることには両者変わりはない。安倍が一言TPP交渉参加を決めると交渉参加自体に反対していた右翼は静かになる。一言も発しなくなる。こういうのを言いなり小僧という。

韓国も催涙弾の2,3発も飛べばいい。発がん物質を混ぜた世界最強の催涙弾には僕はとても困った。死ぬかと思った。僕はヘナチョコですから何も言いませんと心に誓った。

僕は両国の中間の立場に立とうとするのではない。両者をバカだと言っているのでそれはいずれ論じる。ただ面白くない。

反論も地面をひっ掻いて興奮する意見が多く不愉快だ。たいていその地面には糞が付いているぞ。

「そんなによかったら韓国に住め」とか「売国奴」とか「非国民」とかいわれる。バカ。よほど無能な人生を歩んできたらしい。無能はそれくらいで止めろ。しっかり治療すれば無能は進行しないところまでできる。素晴らしい痴呆改善薬もできている。

両国関係がそうであるように、僕にとっても日韓は二律背反の世界であった。10年韓国に居れば気絶するほどの思い出が重なる。日本でもそうだ。

とくに外国経験のない人でも、国内での人生は矛盾に満ち、割り切れない決断をし、悲しい思いの中で苦しんできたはずだ。

上に書いた言いなり小僧の能天気でない限り人生は悔しさと我慢の連続だ。

ビビンパがどうだユッケがどうだというだけの思想のない低能料理を見ているとその鍋で料理人を煮たくなる。しかし読者の期待もビビンパ料理にしかない。表層の事柄にとらわれ、僕が苦労して書く文章に中身までは立ち入らない。表面的、せつな的、低能、浅い笑い。

二律背反とは割り切れないということ。同じ人が親として子供に正論をいい、その人の親に向かってはけっこう甘えた発言をする。そんなもんだ。突出した韓国人の行動は韓国内部でも顰蹙を買っている。一つに割り切れる話はあまりない。

今日はその片方だけ言おうと思う。韓国のカラオケを楽しんだ人は多いだろう。それはあんまり楽しくない。みすぼらしい地下室にガサツに機械がならべてある。僕は歌わない。ばか。個室になって日本の歌があってテーブルに乗りきれないオードブルが出て綺麗なお姉ちゃんがいて、という韓国のしきたりを守ってもらわないと困る。困るというのはカネを捨てるだけになるからだ。それらがちゃんとないと面白くない。だがソウルは貧乏学生が多く設備が悪い。画面が狭い。字が小さい。

4,50キロ離れた街に行くとなかなかそこはDeep Koreaだ。生バンドが入りステージがあり腐っているようなハムがつま楊枝でキュウリを包んでいる。これに下痢をしなくなると体のDNAがKorean Styleに変化する。歌の点数はただ大きい声を出せばよい。このおおざっぱ簡単単純もいいもんだ。そして12時を過ぎると必ず外のケンカが部屋になだれ込んでくる。なかなか強いぞ。実戦仕込みとはこのことだ。ま、それも面白い。


アホには選挙権はいらんだろ。

2013年03月23日 | 社会・経済

どうせ間違った投票しかできんのだから、下手をすると共産党に入れるかもしれん。そんなやつらに選挙権はやれんだろ。本人は知的障害がありほとんど無意識なんだから後見人のいいなりになって投票し選挙の不正すら招きかねない。

というのがこの国の常識のようだ。とするとヨーロッパにおいての話だが、定住しないロマ人は犯罪の温床であり、自分たちが犯罪を犯しておいて選挙には参加するというのはおかしな話だ、という主張が大きな顔をする時代があった。現実はそのとおりになった。ナチスは選挙権はおろかロマ自体の絶滅を図る。

さらに老人もろくな判断はできない。交通事故にもあいやすいので家の中に縛っておこう。ましてや選挙なんぞとんでもない。まともに選ぶ能力はないのだから後期高齢者には選挙権をやるな。すっきりした世の中が来るぞ。

同性愛者はどうだ。こいつらが増えたら人口は絶対増えない。精子と精子で受精するのか。こんな奴らの意見が国政に反映したらいけないじゃないか。

北朝鮮を擁護するやつはどうだ。社会主義者はどうだ。ホームレスはどうだ。

と、ファシズムの例は尽きない。国境線内部にしか通じない常識をすべてに敷衍しようとする考え方をファシズムという。違うか。

かつて我々は、異端を排除し少数を失ったとき不安定な社会を迎えた。一見その時の社会は多数に至極ご満悦な時代をもたらしていた。だが、結果どうなったか。

何も意識のないのに投票させよとはいってない。投票しない自由もあり、後見人の任意な介入が戒められなければならない、とされているのも分かっている。問題は、そもそも知的障害者には選挙権なるものが存在していないのだと一律に断定されてきたことだ。今回、裁判所はそのことをさして異質こそ宝とすべきだと叫んだ。

能率だけでモノを見る前近代的思想は、かならずその能率という刃で本人を切る。

自分たちは正常であり正常な者が選挙しないとこの国はダメになる、といった思い上がりが狂ったようにこう信じた。正常であることをなるべく狭く定義することにより自分たちの思い描くよい社会が到来すると信じた時代がそれだ。

そこで「自分たち」という偏狭なナショナリズムに合致しないモノは次々にパージ(はねのける)していった。「できないから参加させない。」この言葉で次にパージされるのはそういっている本人達こそ含まれてくるに違いない。

官僚は言う。情報もなく、頭もなく総合力も判断力も人脈もなくどうやって外交をしようというのか。バカは引っ込んどけ。任せろ。税金も払わずに選挙するな。高卒の能力もなくて政治的判断はできんだろ。分からないくせに口を出すな。いつから偉くなったんだ。お前の判断より官僚の俺が正しい。お前は政治のアマチュアだ。

できないなら参加するな。政治は俺達専門家がする。外務官僚はみんなそう思っていた。

こうして、老人のように、同性愛者のように、社会主義者のように、ホームレスのように、自分自身が社会の邪魔ものになる。知的障害者はその列の先頭に立たされていただけだ。次はあなただ、という社会をみずから招いてはならない。

僕はこの裁判所の苦しんだ判例変更にエールを送る。

Posted at 2013/03/23

意地を張る貧乏人は利用されるだけだ。

2013年03月23日 | 受験・学校

豊かな家庭の子どもほど、よりよい教育を受けられるのは「やむをえない」。朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターの共同調査では、全国の公立小中学校の保護者でそんな考えを持つ人が増え、過半数を占めていた。          2013年3月21日朝日デジタル

また本日の朝日新聞によると夫婦とも非大卒の家庭の方が夫婦とも大卒の家庭より5ポイント、経済的ゆとりがないと答えた家庭も5ポイント週6日制を支持する結果を示した。
                     2013年3月21日朝日本紙
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これにはとても悲しい現実がある。ウソをついて意地を張ってなんとか自分のおかれた絶望的な状況を糊塗しようとしているのだ。

誰が自分の子供がバカの方がいいと思うもんか。塾に行って習い事もして品のいいお友達がいて学校の成績もよくて偏差値の高い高校にやりたいとどの親も望んでいる。

ところが先生達は口では戦後の民主主義をひきずってキチガイの平等主義を唱えながら、ちゃっかり自分の子だけはいい学校に進学させている。

貧乏人はそれを見てどうしようもない壁を感じる。なぜかって?だってお前の子はバカじゃないか。そこでひそかにうなずいている自分がいるだろう。

俺がこんな成績だったからこいつがいい成績のはずなかろう。先生の息子さんの何とかさんが成績がいいのは親が優秀だったから当たり前で、どうせ俺の子なんか…

教育投資をあきらめる。あるいはその価値を自分が高校時代不勉強だったため分からずにいる。この循環は貧困の悪循環となり無能の悪循環となる。

なんと狭い視野だろう。なんと低質な思考だろう。その場その場で浮かんでは消えるうたかたのような思考だ。バカは環境により遺伝する。しかしそれが繰り返されるとDNAに刻まれていく。

その、まさにその現実を認めなければならない。金持ちの家には絵のある雑誌がない。間食をしない。政治の話をする。子供は学校で習った連立方程式の話をする。

ここまで読むのはよい方で、そろそろ嫌になってきただろう。だからいつまでたっても貧乏なんだ。

たいした金も持たぬくせ金持ちのつもりになった中流極貧は、たいした頭も持ってないくせにさも頭よさそうに日本のエリートのように振る舞い日本の進路を決めたつもりでいる。そして貧乏人はいい素質を持ちながら死んでいく。

僕はそれがいやだ。

Posted at 2013/03/21

消えた大学

2013年03月23日 | 受験・学校

西鉄電車に乗って大溝(おおみぞ)駅を過ぎると、線路の東側にさも誇らしげに巨大な看板があった。

福岡歯科大建設予定地。ダーツの矢はついにここに刺さったのだと言わんばかりの醜悪な自慢だった。常識的にいってどんなに世間知らずが大学を迎えるとしても、ここまでの気色の悪い看板でアホな自慢はしない。

ことの起こりはこうだ。2000年代を迎えると深刻な歯科医師不足を迎える。だから大学としては手狭な現キャンパスの一部を移転し学生の収容人員を拡大する必要があるというのだ。ところがこれにはとてつもないウソがあった。歯科医師不足は迎えたがそれは優秀な歯科医師が不足しているのであって、不器用な試験上手のガリ勉君は行き所をなくしている。

福岡歯科大の危機感はここにあった。だから思い切って拡大路線に打って出たのだ。自分さえよければいい教職員が多いとみえてさしたる反対意見は聞いてない。体育大学ではあるまいし、またとなりの金もうけ第一主義の福岡大学でもあるまいし、今のキャンパスで十分だ。カネは学問に使え。

こんな簡単な理屈が分からなくなってバブルの世に酔った福岡歯科大は三潴(みづま)町に目をつけた。三潴町にとっても千載一遇の好機であった。十年一日、生き代わり死に代わり田を耕す必要がなくなる。日本の食糧を守ろうとかいうのがおかしくて、へそが茶を沸かしやけどしそうだ。ほんとにそうならどんな話が来ても田を売っちゃあいかんぞ、なあ。農民。

ところがダボハゼみたいに食いついたまではよかったが、時はすでに緊縮の世になっていた。大学はできなかった。宙に浮いた金と土地は町が買い取るという形の和解しかなかった。

いつの時点においても正義は金持ちであり貧乏人は不条理を舐める。

大学建設予定跡地は今、素晴らしい公園になっている。さらに神は見放さなかったようでなんとここに温泉が出た。200円。食事もその程度でできるので僕は筑後地方に行くときはとてもありがたい。
                                         「みずぬまのさと」

Posted at 2013/03/20

ヒッグス粒子、ちょっと待ってくれ 5

2013年03月20日 | 学問

砂時計の砂が下のガラスの上にたまるのを想像してほしい。綺麗な富士山のような曲線を描く。この時砂の一粒一粒は確率的にとび跳ねた陽子の奇跡だ。

陽子はなかなか壊れないので、ほとんど光速で二個の陽子を正面衝突させて陽子を壊そうと考えた。陽子といってもその中身は電荷を持たない中性子と、想定されている素粒子の存在があるのみだ。

箱があれば開けたくなるのが人情だ。だが陽子の箱はなかなか開かない。速度や角度などなかなか同一の状況を再現できないので数多くの実験をやるしかない。

ここで特異な変化をするのがいると新しい発見かも、と一応期待できる。一番最初に書いたきれいな富士山を乱す外れ者の存在だ。

多くの物理学者が考えるのは、そもそもヒッグス粒子は素粒子の中に存在するモノではなく、BIG BANGのあとにたとえば陽子の中にもぐりこみ姿をなくし質量に代わったモノだという。電子や光子はヒッグスの影響をうけなかったからほとんど質量はない。

昨日の残業がきつかったので今朝起きるのがつらかったのはヒッグス粒子のせいだ。

さて真面目に富士山のゆがみの話。既定の粒子ばっかりなら最後の粒子を見出すのは簡単だ。小学校の生徒が校庭に何人いても隣の小学校の生徒を見つけるのは簡単だ。

こうしてヒッグスの計算値を求め富士山のゆらぎ部分にお目当ての粒子を見い出そうとしたのだ。

残念ながらそのゆらぎはあるかないかの証明ができる程度で、すぐ消えるものをとどめておくすべをまだ人類は知らない。つまり、分からないということにおいてはこの発見でなにも進歩しなかったのだ。

しかし、だからこそ人類は心血を注いで研究すべきだ。簡単には結果が出ないからこそどんな大きな夢が潜んでいるかもしれないと僕たちは約束されているのだ。よしんば絶対にだめだという結果が出たとしよう。いいじゃないか。絶対だめなら僕たちは次に行ける。

先端加速器科学技術推進シンポジウム 2013IN東北

主催 東北ILC推進協議会
後援 KEK
日時 2013年 4月26日13:15~16:00
場所 江陽グランドホテル(仙台市青葉区本町二丁目3-1)
http://aaa-sentan.org/

Posted at 2013/03/19

広島夫婦殺害に無期判決  公平でもなく公正でもない

2013年03月19日 | 裁判
僕は死刑制度に反対している。だが、今度の無期判決はきわめて不公平だ。無期の根拠も「更生に期待することができる」と裁判官は言ったことぐらいだ。

お前更生しないと殺すぞと言われればだれだって更生する。更生しないといって死んだ奴がどこにいたか。これらについては3月15日のブログに乗せた。今回は「公正」という側面から僕の考えを述べる。

前回予告していた「② 裁判員裁判に適合する事件であったか。」について。

重罪であるので裁判員裁判が行われた。

裁判官は多忙である。微罪を含めると50~100の裁判を抱えている。法廷の指揮を見ると人格も職見もタダモノではないなと思う。だが少しでも労力軽減しようと裁判員が導入された。判決に合議制を導入した。ただ、裁判は本来合議制で行われる。裁判官同士の合議だ。

だが、裁判官の質の維持の観点から、すべての裁判を合議制にはできない。そこで住民が参加して多数決で判決を出そうということになった。

また、このことには住民の司法参加という一部に長年くすぶっていた意見を実現する意図もあった。

多数決の細則は立ち入ると面倒で意味がない。僕は多数決自体に瑕疵があると主張している。いくら優れた裁判官でも重罪にかかわるにはかなりの経験を経たものだけだ。十年以上。その間遊んでいるわけではない。該当判例、判例変更について追いまくられるように勉強している。知らない人が住民参加とやらの美辞麗句につられ半端な気持ちでできようはずない。

たとえば、思い出したようにひょっこり出てきて魚屋ができるはずない。セリの動向、鮮度のみかた、・・・だから同様に思い出したように裁判をするな。

それをくじで選ばれた人がさらに多数決で判決を選んでいる。人相の悪い犯人には判例を越えた判決が現に出ている。今度の広島二人殺しはイケ面だったが判決と無関係か。

さらに、「公判前整理手続き」により犯行の動機や事件の背景は整理されている。裁判員は生の調書や証拠を見ることなしに選ばれた証拠を見る。僕はここに冤罪の危険性を見た。

弁護士は勝った、犯人はうまいことした。

僕が自動車を整備するとき整備士の技術には到底かなわない。だから、僕の学校にくじで選ばれた人が来て授業をしてもらっては困るのだ。
Posted at 2013/03/18

広島夫婦殺害に無期判決 「計画性なし」死刑回避

2013年03月19日 | 裁判

2011年8月に広島市中区のお好み焼き店舗兼住居で夫婦が殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われ、死刑を求刑された住所不定、無職竹中誠司被告(25)の裁判員裁判の判決公判が13日、広島地裁であった。伊名波宏仁裁判長は「強盗も殺人も計画性はなく、更生可能性がないといえない」として無期懲役を言い渡した。 平成13年3月14日 中国新聞

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このようなことが起きると、世論はまず二人も殺しておきながらと激昂し一週間もたてば忘れる。思考はすべて一過性でせつな的で軽薄だ。こんなバカにはパチンコがお似合いだ。きっと楽しかろう。

① 量刑は正当であったか。
② 裁判員裁判に適合する事件であったか。

①について。僕はいまさら刑罰としての死刑の是非を論じるものではない。問題は刑罰の階段において、喧嘩で相手を殴り殺し死刑判決を受け、刑罰の最高の階段に登って刑死したものもある。あるいは二人で一人の金持ちを襲い、協力して首を切り落とし、その二人は死刑になった。それらの人殺したちと今回の広島二人殺しを比較する。従業員として働き顔見知り以上の親しさがあったはずなのに、残忍性および悔悛の情のありえないことにおいて情状を酌む点は全くない。「強盗も殺人も計画性はない」と裁判長は言いきっているが、背中から何十回も包丁を突き立てる残忍性は到底更生の余地はないと見るべきだ。しかも二人。

ところが、刑罰の階段は一段低いところに決まった。無期だ。そのうち仮釈放がある。恩赦がある。とにかくそのうち世の中に出すので更生に期待したんだろう。ばか。

これ以上にむごい犯罪があろうか。夫婦でお好み焼き店をつましく営んでいるのに何の罪があろうか。何十年もこうしてお好み焼きを焼き、苦しみや喜びを経ながら老後に差しかかった夫婦がこんな人生の終わり方をしなければならない理由はない。

裁判官は何十回も包丁で刺されて死ぬむごさを知っているのか。

確かに日本の裁判は多くの冤罪を生んできた。統計的に明らかなように冤罪は増えている。こういう間違った裁判によって間違って死刑にされた人も多い。再審の門を開くことによって司法が恐れているのは再審請求の増加による司法行政の混乱である。

しかしそれは論理的に矛盾している。正当な裁判が行われ高裁や最高裁の差し戻し審が機能しているなら再審の必要性はない。差し戻し審はある程度機能しているが、耳を疑う違法な捜査、思い込みによる明らかな誤判。これらは後を絶たない。

そうでないというなら検察庁での取り調べに可視化がどうして必要か。そこに誘導、脅迫、規定以上の長時間の取り調べが行われるからだ。人間は長時間の拘束には耐えられないようにできている。すなはち、何でも自白する。

検察に無知なモノはこういう、『だったら自白しなければいいじゃないか』。 ばか。お前留置されてみろよ。

それら一切を差し引いても、事実関係を争っていない以上死刑相当事件だった。

②については後日書きます。

Posted at 2013/03/15

ファンを減らすいけない日々の告白

2013年03月14日 | あそび

西鉄福岡駅にそばに、今はソラリアとかいう醜悪なホテルかデパートか映画館か何かそんなもんが建つ。僕が高校の頃、そこは相撲の九州場所の会場でありスケートリンクでありもした。

その正面に照和という喫茶店がありフォークソング好きが集まった。井上陽水はなぜか反発し一挙に東京をめざした。だがその他大勢はまずこの照和で認められることが一定のステイタスであり、プロかアマかはその後に自分で決めることにしていた。

財津和夫(大阪芸大音楽家教授)とか武田鉄也とか甲斐バンド(僕の弟がギターを習った)、陣内孝則、長渕剛、そして鉄也の海援隊だ。

今のサッカー人気と似ているところがある。どんなに下手でもサッカーしているといえばモテる。当時もどんなに下手でもギターやってるというとモテた。僕は友達と一計を案じかってにフォークグループということにして、女子短大や女子大を回った。

早く免許をとった僕はいかに彼女らを連れ出すかばかり考えていたが、今のように未成年だ通報だとヒステリーはいなかったのでおおらかに楽しむことができた。

偽フォークグループとはいえ僕の相棒は井上陽水よりも上手だ。彼は田舎の大百姓の一人息子でほしいものは何でも手に入れてきた。甘やかすと人間がダメになるというのは、貧乏人が自分が納得するためについた嘘だ。彼は誠実で優しい人間だ。ただし酒が入らないと。

当時は缶ビールはあまりなかったので瓶のビールをクルマに積み込み、能天気女子大生を積みこみ、ついでにギターを積みこみ、僕か彼のクルマで筑後川の堤防を飛ばした。クーラーはあまり効かず三角窓の方が心地よい。

飲んだビールは窓から堤防の下に投げた。今でも堤防の下には僕が投げたビール瓶があるに違いない。

そのころは学校に何に乗って行ってもよかった。死ねばそいつがバカなだけで学校は知らんぞというスタンスだ。鉄也の筑紫中央や僕の筑紫ヶ丘もまさに自由そのものだった。誰も大学に行って自由を感じたものはいない。すでに高校で存分に自由だった。途中で先生を見つけると乗せてきてあげたこともある。

いじめはない。そんなことしたら自分が大学に落ちるだけだ。厳しい勉強の規律こそあれ、それ以外についてはきわめて自由で、規則で縛ろうとする低能な発想は一切なかった。

補習や課外のない僕らは勉強時間は少なかっただろう。だが東大への合格者は今の3倍あったぞ。

Posted at 2013/03/13

急いては事をし損ずる

2013年03月12日 | クルマ

たいしたエンジンではない。2500CC150?、170キロ/hourが精いっぱいだ。気に入ったのはロングストロークであるということ。FRであること。一度味をしめたものにはこの落ち着いた乗り心地は捨てがたい。MTであるのでガツンとエンジンブレーキが効く。

アホがすぐ言いだすのがとても嫌だ。「プリウスもなかなかですよ。」 タコ。じゃあそれで帝国ホテルに乗りつけてみろ。本人は自覚ないが顰蹙蔑称嫌悪の渦が蔓延するのだ。

汚い洗剤みたいなワックスをかけるな。白いクルマはその下品さも隠してくれるのか。クルマは黒。それに固形ワックス以外はつけるな。クルマを磨けば一日かかる。会社とやらを休んで可愛がってやれよ。最高の彼女に最高の思いをさせてくれた愛車にワックスぐらいのお返しはしろよ。

クルマがガチャガチャ言いだしたのでエンジンの頭をはぐって見た。あいにく予想ははずれO-ringパッキン代が無駄になった。急いては事をし損ずる。熟考するプロセスなしにはたいていのことは失敗する。

不満もある。どこもここもアルミで作りやがって猫も杓子も燃費燃費。そんなにガソリンが惜しいなら西鉄バスで行け。そんなに加速がほしいならJR新幹線で行け。

「そうは言っても子供を保育園に・・・」 あほ。そうまでして婆車を買ってローンのために髪を振り乱して働くのがおかしい。おそらくその子も同じ人生を歩む。女が大股開きで子供を抱え込み保育園に向かったかと思うとあわててクルマにとって返す姿をなんというか。人生の砂漠だ。

金を捨てるだけの人生じゃないか。

僕はじっちゃんとアメリカの戦闘機グラマンを見に行ったことがある。二人乗りに改造され初等練習機として使っているようだった。その一つ一つのがっしりした鉄に圧倒された。こんなものが空を飛ぶのか。原理原則は日本の飛行機と変わらなかったが、一つ一つが戦争のためにつくられていた。飛行機全体で殺すぞと言っている威容を感じた。

この鈍重なグラマンは軽薄な襖と障子でできたゼロ戦を即座に粉砕しただろう。

ゼロ戦は軽いぞ、燃費がいいぞ、取り回しが楽だぞ。だから何だ。ものは何のためにあるのかを考えよ。ゼロ戦が1機グラマンを落としたときグラマンは25機落とした。

婆車は生活苦を助長するためにあるのではない。

Posted at 2013/03/12


優しくなったら銃はやめろ

2013年03月11日 | あそび

大日本猟友会の爺ちゃんたちは、一見むごいことが平気なように見える。射殺したイノシシは大きな蛮刀みたいなナイフでさっさと解体してしまう。寄生する虫が宿主の異変に気がつき一斉に移動を始める。寄生する虫の移動よりも早く手ぎわよく、イノシシはスーパーに並ぶ肉のように姿を変える。

その中で手際よく分解されたはいいが、からけんはなんにも貢献してないのに分け前にあずかる。山の掟だ。こんな平等は恥ずかしい。

どうも誤解があるようだが、自然のものはおいしいから豚よりイノシシがおいしいんだと。ばか。人間が長年にわたって改良してきたものがおいしいに決まっている。第一餌が違う。ウソだという人は山に行って笹を食って生活してみろ。おいしそうな顔つやにはならんぞ。

人の都合で害獣とされた四足へのせめてもの供養が食ってやるということだ。この文化は伝承されなければならない。弾道はかなり複雑な式になる。空間ベクトルは瞬時の判断を要する。じつに面白い世界だ。筑豊の銃砲店は麻生太郎でもっていたほど彼はのめり込んでいた。夢中になれる人間は大好きだ。しかし、僕に限って言えばやさしくなってしまったと思う。

去年から思っていたが、僕はもう銃は撃たない。警察の生活安全課が喜ぶこと、しきりであった。どうもノルマがあるようだ。家もすっきりする。銃の検査があるとその度に警察に持っていっているのに家にまで踏み込む。

家のガンロッカーは木製だ。金属もしくは同等の強度の木製となっているので、帝国陸軍の軍服をかさねる棚を利用した。警察官が感心していた。今後はただのロッカーになるだろう。

銃は警察に渡しいまごろ溶鉱炉だ。機関部には素晴らしい彫刻がしてあった。それだけでも保存の価値がある。今そんな彫刻ができる人はいない。銃床、銃把は僕の体型に合わせて削った。つまり僕以外の人が打っても当たらない。弾帯も工夫した。全て事故防止のためだ。

ゴルフと似ている。日本人の性格によく合っているともいえる。ここでしゃしゃり出てくるのが「お花畑」。射殺したくなる。銃、あぶない、暴力団、怖い、これらが一体となって思考停止の頭にこびりついている。進んで刀狩に協力する変な国民だ。

僕は狩猟と不良第三国民を射殺するために武装していた。ちょっと注意散漫になってきたので事故防止のため断腸の思いで銃をやめた。それと心のどこかで殺生はいけないと叫んでいる声にあがらいがたくなってきていた。だから戦争は若い人がするのか。僕はもう知らない人は殺せない。動物も同じだ。敷地に入る不良を射殺するのは躊躇ないが。

ベレッタ、あんなにいい銃はもう二度とできない。どうか若い人、興味を持ってほしい。

  Posted at 2013/03/10

ウソはしきりと絶叫する 2

2013年03月10日 | 韓国

http://www.youtube.com/watch?v=Wuk94SmwPoY&feature=player_embedded

前日に続いて伽耶大学チェギホの後半の文章を検討したい。

「韓日合邦によって教育、医療、工業、社会的インフラが整備されて行くのであるが、近代国家の基礎がこうして積み上げられていったことは明白な事実である。

その実績を日本帝国主義の侵略政策の産物だ、と糾弾する韓国(の態度)には呆れてしまう。のみならず、日帝が民族産業(の発展)を停滞させた、という主張には論評する気にもなれない。

民族産業を殺したのは朝鮮王朝である。近代化を主張する先進的思想家は反逆者として親族まで処刑された。韓国人は日帝の虐待、性奴隷、(日帝が虐待し、性奴隷にした)と声高に叫んでいるが、私は信じない。歴史の真実を知っているからだ。

朝鮮末期は地獄だった。それは大韓帝国になっても同様だった。1904年、日本は朝鮮の惨状を救うために財政支援を決断。例えば1907年度、朝鮮王朝の歳入は748万円だったが歳出は3千万円以上だった。

その差額は日本が負担している。1908年にはさらに増加して3100万円を支出している。

現在88歳の老人の叫び声をどう聞きますか。」(訳からけん)
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ウソはなぜ絶叫するか。それは叫んでいるうちにウソが本当になるからだ。悲しい人間の非科学的習性だ。夫婦げんかがそうじゃなかったか。話はどんどんさかのぼり二人が出会う前から、そもそもいい人だという予感はなかったということになってしまう。世の中にこんないい人がいるなんて奇跡だと思ったのもつかの間。

旦那は身の潔白を声の大きさで証明しようとする。お願いだからとなり近所に聞こえるから小さい声で言って、と言われて聞き入れる旦那はいない。声ぐらい大きくしとかないと余ったエネルギーで手が出る。

また自身が潔白ならいきり立つ必要もなく女房が枕元でどうわめこうと酒飲んで寝ればそれで済む。

部分を見ただけで全体を判断してはならぬとは勉強に縁のなかった人のほざく言葉だ。全体は所詮見えない。ましてや時をさかのぼることはできない。我々が見るのは部分それもほんの小さな部分だ。

だから学問が必要だ。その部分を再構成し新しい論理性を発見し時間の中にそれを投影する。それを科学という。

社会科学的モノの見方ができれば部分だけを見て全体を判断しても狂うことはない。チェギホは透徹した目で真実を射ぬいている。

Posted at 2013/03/09


ウソはしきりと絶叫する

2013年03月09日 | 韓国

「私は1923年生だ。今、韓国のためにも、日本のためにも事実を述べておきたいと思うのだ。それには相当な覚悟が必要である。生命の危険も覚悟している。しかしながらこれは私の使命であると言えよう。

私はソウルに住んでいた。そして、ときどき平譲(ピョンヤン)にもいったし東京にもいった。その当時の韓国人は日本人以上の日本人だ。劇場(映画館)に行けば映画のまえに戦争のニュースがあった。例えばニューギニアで日本が勝ったという映画が流れると拍手や万歳の暴風だった。

私は映画が好きで東京でも行ったが、日本人たちは冷静だった。しかし韓国人たちは全員が狂ったように喜んでいた。それが普通の姿だったのだ。だから親日派という言葉を使うことはできないのである。(全員が親日であったのであるから)その使えない言葉を使って先祖まで批判している。

親切で優しい日本人という印象をかならずや消し去ろうと反日をそそのかしでっち上げてきた。

韓国と日本の歴史教育を比較すれば日本が10%歪曲した点があったとすれば韓国には90%ある。教科書には朝鮮末期の非正常な(常識を逸した)政治腐敗を教えなくて、日本が関与しなければ独立することができたかのように書かれている。」
                                チェギホ 伽耶大学客員教授(からけん訳)

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映画館で日本の勝利を叫んだ朝鮮人。ウソつきだろうが。ミッドゥェーを過ぎたら勝利の可能性はほとんどなく、バカなニューギニア作戦で七万人が戦死して十五万人が餓死した。すなわち昭和18年後半になると、当事者たる日本人は叫びまくって迷惑な発狂右翼以外はだれも勝つとは思っていない。

低能で前線で使い物にならない配属将校や、過去の栄光を粉飾し絶叫するする在郷軍人会。彼らは日本の進路に何の影響も与えなかったが邪魔だった。

つまり、絶叫して冷静な人間を罵倒し、日本は最後まで死の団結をした。

ここに勘違い絶叫者が闖入している。朴正煕みたいな裏口ではなく正当に試験を受け士官になった大勢の朝鮮人がいる。彼らは帝国とともにアジア全域にわたり日本以上の活躍をし艱難辛苦に耐えた。そして彼らは静かだった。

問題は近視眼的低能な烏合の朝鮮人だ。そもそもお前たちは当事者ではない。いつ日本が朝鮮に戦線を開いたか。

日本は朝鮮の近代化にこれほど貢献したのだということを論拠に日本の進出を正当化する意見。朝鮮政府の無能を根拠にどうせ清やロシアに盗られるならとこれまた日本の進出を正当化する意見。これらのおめでたい意見が大勢を占めているがいずれ反論する。それはいずれかの機会に書く。必ず書く。

酔っ払っていたのはだれか。ここがポイントだ。この酔っぱらいたちは新宿にデモに行かない学生を体制派だと罵った。そうだろ中核、核マル、ML、ブント、社青同。

紅衛兵は社会主義建設に務めてきた功労者を些細なことで走資派だとして殺した。

映画館で発狂した朝鮮人は8月15日を境に戦勝国を名乗り日本人の財産をとりあげ殺し始めた。

勢いがいいのはいつも風見鶏だ。

Posted at 2013/03/09


round about 交差点(ロータリー式交差点)

2013年03月07日 | 韓国

西面と書いて「さいめん」と読むが、読める人はだんだん少なくなっている。今は「ソミョン」と読むそうだ。釜山の光複洞がすたれて今や釜山一の繁華街になった。

ここに大きなロータリー式の交差点があった。フランスの凱旋門と同様の姿だ。大きな円形の土塁を起点に道は放射状に広がりクルマはのろのろロータリーを回っていた。今でもその時の名残で小道は放射状に広がっている。

韓国は極端に電力が不足していたため、もしも信号機によってクルマを制御するとアメリカの田舎町のようにワイヤーで釣った信号がフラフラしている危険な状態になる。信号機が動くためどこを見ていいか分からなくなる。

交通量が増え電力も安定してくると韓国は即座にロータリー式をやめた。何事も即断即決。朴正煕は突然ブルドーザーをロータリーに向かわせ丸い交差点を四角にした。

帝国は主要都市に100年を見越した交通計画を立てていた。南大門から旧総督府までは片側6車線だ。多くの地方都市にこのロータリー式交差点があった。京城(ソウル)には何か所もロータリーがあった。

しかし、韓国は用地確保、交通容量の確保を理由に僕の知る限り大規模なロータリーを消した。大邱には1万坪のロータリーがあり反対側が見えないほどだった。一大モータリゼーションの到来を戦前の官僚たちはいかに知ったのだろう。

ここでも貧乏人は嘆いていた。「突然ブルが来て家を壊しました。」と、いいつつ半分空が見える家に住んでいた。自業自得。よくいって尊い犠牲。

韓国の交通部は拙速を後悔していると思う。震災時の電力遮断による停電対応には従来の信号機では無理だ。SLOW DOWNは今後の時流となる。後進国ほどよく飛ばす。

せっかく日本が十分な敷地に将来を見据えた都市計画を描いていたのに、戦争難民の不法な建築を事後承認してしまった。行き当たりばったりの建築行政だ。

そもそも、人口の1/3が首都に住むとは異常じゃないか。ひと部屋に6人住むとはおかしくないか。当然問題も起きる。バカな高速道路をつくらず帝国の建設省が示した都市計画を見よ。

東京は確かに失敗だ。だから総督府の官僚は心血を注いで京城を帝国一の計画都市にしようとした。

Posted at 2013/03/06