か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   13

2015年09月26日 | 韓国

朝鮮を愛した日本人・・・浅川巧、旧朝鮮民族美術館

ソウル中心部の広大な敷地に、目がくらむほど華麗な宮殿がある。そこは林立する朝鮮王朝の王宮、慶福宮だ。その一角にある緝敬堂と咸和堂は、植民地時代朝鮮総督府の林業試験場に勤務しながら朝鮮民芸を研究していた日本人、浅川巧(あさかわたくみ)が、彼の兄、伯教(のりたか)、友人の柳宗悦(やなぎむねよし)とともに創設した”朝鮮民族美術館”として使用された建物だ。(下記 注))

朝鮮のための情熱

1924年4月に開館した美術館は、朝鮮半島の人々が日常生活で使う工芸品等を集めて展示した。柳宗悦の夫人であり有名な声楽家、柳兼子(かねこ)の助けにより資金を集め、展示品の収集とと運営は浅川たちが中心となった。朝鮮の文化と人を深く愛する彼らの情熱が結晶したものであった。

美術館が慶福宮の建物を使用することが出来たのは、柳宗悦が朝鮮総督の斎藤実の協力を得たからだ。韓国には、”この民族館の背後では朝鮮総督府が糸を引いていた”という批判すらある。しかし、韓国工芸共同総会のムンオクベ(63歳)専務理事は、「当時朝鮮工芸を継承、保存しようという朝鮮人はほとんどいない状態だった。」「浅川は今記録しておかなければ永遠に消滅するかもしれないという心情からの行動だったろう。」さらに「浅川たちがいなかったら美術館自体が設立されることはなかったはずだ。」と力説した。

山林緑化への貢献

日本の営林署に勤務していた浅川には父親のように慕った7歳上の兄伯教(のりたか)がいた。彼につれられ1914年朝鮮半島に渡ってくる。日韓併合の後、4年しか過ぎていないこの時節。新天地だった朝鮮半島に向かう日本人が急増した時期であった。浅川は林業試験場雇用員として苗木を育てるなどの研究をしつつ、樹木の種を蒔きその年内に発芽させる”露天埋蔵発芽促進法”を開発した。

当時、人の力で樹木を発芽させることは困難なことであったため”露天埋蔵法は養苗の歴史上最も画期的な成果であり疲弊した韓国の土地を復興し緑化する事業に大きく貢献した。”と韓国国立森林科学院のキムソククオン(57歳)山林生態研究課長は浅川の業績の偉大さを強調する。

 

 

日韓両国のヒステリーたちは、このような事実をよく認識しなければならない。科学的な思考は圧力や私益と断絶するところから始まる。正しく日本を評価する朝鮮人は多い。 からけん 訳。

注) 民族と民俗。日本語では発音が同じだが朝鮮語では異なる。「民族」と書いてあったのでからけんもこの字を使用したが、実態は民俗博物館であった。

 

 

 

 

 

 

 


Ich habe ein Konzert gehört.(コンサートに行ってきた)

2015年09月25日 | 音楽

ドイツ語で書いたのは時々使わないと忘れるからだ。

英語はこれでもかと目に入るがドイツ語はめったにない。映画が聞き取れるほどの能力もない。時々使おうと思っただけだ。

「僕はドイツ語ほど英語は上手ではない」というとなんかイヤミっぽく聞こえる。コンサートに行くとかならずいるのがこの手の人間だ。聞いてもないのに講釈を垂れる。そして人を不愉快にする。

人がおよそ知らないであろうドイツ語を不必要なときにだらだらしゃべる。人がおよそ求めていない曲の知識をだらだらしゃべる。同じことだ。

まだまだ日本は脱亜入欧のトラウマに悩んでいる。進んだフランス語、劣った沖縄語・・・のように。しかもそれをおせっかいにも知ったかぶりをする。

 

先日、貴族趣味をこよなく愛するたらけんは、コンサートに行った。車にワックスをかけ満タンにし高速を飛ばしS席を予約し2時間も早くついた。(Konzert は、一番前でないといけません。首がいたい人は家でCDを聴くのです)

日本は高速道路が有料でとても高い。Free wayはタダ道じゃないのか。ガソリンも高い。満タンで一万以上になる。コンサート代も2万だ。

ひがみなく読める人は一定の教養のある人だ。

Sに座る人は皆そんな人たちだ。本人あるいは娘はピアノをかなり弾けるし、コンサートにある曲目程度はすべての音符が頭に入っている。

だからそんな人からカネを取るとはどういうことか、奏者はよく考えてほしかった。アンコールに何曲弾こうとどうでもいい曲ばかりだ。しかし自分が力を入れて弾く曲はいわゆる「仕込み」に時間がかかっている。

天才的な人は一ヶ月、普通で半年から1年かかる。その間弾き込んで弾きこんで仕上げていく。だから2万も払うのだ。今回は「仕込み」をしていない。

客にはバイオリンが弾ける人は、大勢いたということを忘れていたか理解できないでいたようだ。

奏者はカネを採る以上、金額の多少に関わらず「どうだ、参ったか」というものを持つべきである。そうでないなら客は自分で弾いたりCDで間に合う。

「いやいや、音楽とは音を楽しむと書くじゃないか。皆で楽しもうという人もいる。」という寝言をいう人がいる。間違っている。はるか後方の天井桟敷で3000円でコンサートに来たつもりの人のみが言っていい言葉だ。

本来コンサートとは閉鎖的排外的な同好の士たちのひそやかな楽しみの場であり、一定の努力なしにはキリギリスたちが近づいてはならぬところだ。

いつも一曲のために5万が飛ぶ。しかしそれだけのことはあったと思うことが多い。Sで見るとその人の息まで分かる。その興奮をそのままに急いで家に帰って弾くと超絶技巧が少し引けた気になれる。

楽しみ方は聴衆それぞれあるが、弾くほうとしてはすべての人に感銘を与える気構えが必要である。

それができなければカネをとってはならぬ。

まるで大人のおけいこ発表会だった。同業の情けとして名は書かないでおく。

僕は1回/5日でコンサートにいく。秋だからだ。レッスン代だとしたら安いもんだ。

 

 

 

 

 

 


Embracing Defeat(『敗北を抱きしめて』) John W. Dower(ダワー)

2015年09月21日 | 国際・政治

 国家秘密保全法をご記憶か。去年の今頃僕は必死の思いで有名人とアポをとり、ソウル緊急電として伝えた。それは徒労に終わった。しかも、われらが必要な情報に接しようとするとき、もはや以前のように簡単には入手できなくなっている。

防衛省の戦史研究所は元同僚の肉親が勤めているので比較的簡単に戦史関係書類に接することが出来た。

共産党あたりはこう考えるだろう。どうせ自民党の圧力のもと自民党の意向に沿った人間が捏造して、帝国に都合のいい歴史を編纂しているんじゃないか。

とんでもない。僕が接した戦史の中ではもっとも正確で確固たる歴史的視点があるものだった。その最後のよりどころも防衛族の圧力には抗しがたいのだろう。だんだん個人情報を根拠に細かい部隊の配置を知らせなくなった。

安倍は「知らしむべからず。(国民には重要な情報を与えない)」、これを昨年度においてまず完成させた。

十年宰相のつもりでいい気になっている安倍の長期計画を見抜かねばならぬ。70年前の、帝国陸軍のデタラメな采配によってどう人が死んだかを明らかにすることは、戦争に行く自衛隊にとっても必要なことだ。決して個人情報ではない。集団自殺作戦情報だ。

馬鹿は矛盾した反論をする。つまり、戦争に行こうとしているのではないから戦争の記録は必要ない、自衛隊は戦争をするところではない・・・。では、魚釣島に上陸作戦はしないんだな。(尖閣と書きたかったが自衛隊のパンフに魚釣とあった。)

上陸作戦は人民解放軍の占領後に行われる。ノルマンジーだな。言葉遊びをしているうちに数千の若者が死ぬ。

(敗北を抱きしめて)

ダワーについて。押し付け憲法論についてはからけんは大きな反対論を持つが、ここでは譲って一旦押し付け論に立つ。で、ダワーは言う。制定時にアメリカからの押し付けがあったとしても、その後日本は70年の間に幾度も憲法改正のチャンスがあったではないか。

アメリカはそのたびに改憲を阻止してきたのではない。改憲はいつでも出来たのにアメリカの押し付けというのは当たらない。

今回、安保諸立法の完成で朝鮮有事の際に派兵が可能となった。安倍はその気がないといっているが、法的に可能であり安倍の変心でいつでも可能となるわけだ。

ところが一兵たりとも朝鮮半島に上陸したら、人民解放軍、ロシア軍の介入に格好の口実を与える。なぜなら彼らは北鮮を真ん中に中、露は鉄と血の紐帯で結ばれているからだ。朝鮮動乱の歴史を見よ。さらに上陸したが最後、韓国軍はもはや自衛隊の味方ではない。憎き日本帝国主義の再上陸だ。最優先の敵だ。

もちろんここまで、自国の自由意志で参戦するのではなく、アメリカの顔色を伺い集団安保の陰にかくれ遠慮がちに邦人救出に米艦を護衛するつもりか。

戦争中に日本人を大洋フェリーのように運んでくれる米軍なんてありえない。

ここでダワーは右翼の矛盾を突く。アメリカの言いなり小僧がナショナリストか。専守防衛こそ国家主義ではないか。

 

 

 

 

 


波斯絨毯(Persia carpet)

2015年09月18日 | 技術

 

日本のどこにでもある寒村のひとつに過ぎなかった村。福岡県、飯塚。ここは石炭とともに栄え石炭とともに滅んだ。長崎にある世界遺産の軍艦島、それに比すればこの町はまさに陸の軍艦島だ。

街が栄えればその活気はあらゆる産業に波及する。炭塵で真っ黒になりながら炭鉱夫は炭を掘った。そしてその炭鉱夫は、日本中、朝鮮からも台湾からも中国本土からも集まった。

ここで昔の社会党、あるいは今の共産党は大きなウソをつき国民をだます。

炭鉱夫は気絶するほどの高給取りだった。炭鉱住宅(炭住)は家賃はもちろん電気もガスも石炭も風呂もタダだった。インチキサヨクは、仕事に関しても誤ったイメージを流布した。

鶴嘴(つるはし)で掘るのは明治時代の話だ。昭和初期から機械掘りのみである。

こんな街に流れ者が集まらないわけはない。「花と龍」の世界だ。高倉健さんの家も近い。一晩で給料をすべて使う、すなはち、宵越しのカネは持たない。これは筑豊のヤマ(鉱山)の男の流儀だ。

ここに君臨したのが麻生家だ。百姓は麻生の車を見ると土下座したとの伝説がある。きっと助手席には、お坊ちゃま麻生太郎がいたはずだ。

つまり、上から下までチンピラなのだ。食いっぱぐれ、流れ者、借金取りに追われる者。運と才覚と度胸のあるものは財閥と呼ばれ、争って皇室と姻戚関係を持とうとした。

今は石炭の火が消えたとはいえその気質は残っている。暴力はすべてを解決する。この地方の真理である。

僕は飯塚が好きだ。ところが、すべての人にとって居心地のよいところではない。しつこくうごめく偽物人道主義、よいこのフリをした偽物人格者。そんな奴らは飯塚に来てみろ。5分で死ぬぞ。

 

こちらでは川筋気質と呼ばれる。高倉健の世界は、かっこよさの真髄だ。デレデレ細やかな気配りで母親化した父親は飯塚には一人もいない。「せからしか。表に出んか。(めんどくさい。表に出ろ)」

大事なことはそれが今も残っていることだ。人は去っても気風は残る。

 

 

その飯塚で絨(毯)宝展があった。carpet と Jewelry。ヤマの男たちはケンカばかりしていたのではない。最初は無知蒙昧であろうと、知らずと学習していく。見栄を張った散財であろうと「よいものを見分ける力」は着実に育った。そして、そのよいものが飯塚に集まるルートが定着し、今もある。

 

 

飯塚音楽祭を見よ。「ひよこ」のお菓子、伝統のさかえ屋、・・・福岡は150万も人がいてみるべき料亭はない。15万に減った飯塚の人口だが、世界レベルのものがいくつもある。それは、たとえば、音楽祭。音楽がいかに人を豊かにするか知っている人達が、福岡市より多いことを意味している。

 

 

イランは豊かな国だ。ガソリン1リットルが1円の国だ。経済封鎖で呻吟していることはない。スタンドプレーの同情は犯罪である。

5歳から50歳まで女たちは絨毯をつむぐ。10時間/日。よそ者が偉そうに判断してはならぬ。児童労働、幼児労働であっても。児童労働が禁止されたらその一家は餓死する。

少女が部族の衣装を着て、会場でデモンストレーションとして絨毯を編んでいた。

「将来は何になりたいですか。」

「このままが一番いいです。」

 

 

 

 


Richard a.Falk  碩学 プリンストンの良心

2015年09月16日 | 思想

ぼくが、『頑張れイスラム国』とタイトルをつけると案の定低能は発狂した。テキトーに投げた玉がド・ストライクだったようで面白い。残念なことに、バカをからかう暇はなくなった。

このスペースではフォークの本のごく一部の思想しか紹介できない。

安部が積極的平和主義を唱え平和維持のためには武力行使を認めている。安倍も正直なところがあって、首相たるもの従来は、旗色鮮明にすることは少なかったが、弓矢やホルムズ海峡を何故か持ち出し議論を攻撃的に展開する。

平和のための戦闘はありなわけだ。ところが憲法改正が絶対不可能だと見ると国民投票法まで準備しながら解釈改憲に路線を変えた。自動的に国防軍構想も突然口を閉ざした。

 

 僕がアメリカを好きなわけは、どんなときにも決して一枚岩にならないことだ。

若者はイラクで死んでいるのにお前は米軍撤退論をぶつのか、とか、大統領命令に反抗することは「利己主義」だ、といった頭の弱いネトウヨが飛びつく形式のみを判断材料にした哀しいバカさらしの議論はあまりない。

だからこそ、アメリカはイラクから手を引くことが出来た。間違った戦争(アメリカ政府が認める)は、早めにやめたほうがいいのだ。戦時中、中国大陸に侵攻した日本軍は、100万の死者を出し毒ガスを使い捕虜を殺しポツダム受諾とともに、やっと撤退した。

Falk(フォーク)はプラグマチズムの国の人だ。具体的に最善の策を考える。

(国連パレスチナ特別報告者を勤めたとき)

イラク戦争(not湾岸戦争)は報道はなかったが、強力なロビー活動によりアメリカ議会がイスラエルの思いのままになる状態であった。かつアメリカはアラブに対する浅い知識で介入した。これは日本も同じ。いや日本も貢献したんだとマヌケ面の鼻ひげがいいそうだ。バカ。今は貢献の話ではない。科学的な話は厳密な場合わけが必要だが、防衛大ではあまりやらんのか。

米軍は何故か米軍のポチイラク新政府軍からスンニ派を排除したもんだから、シーア派からの報復は目に見えている。丸腰な人間は殺しまくられた。今までシーア派を弾圧した復讐だ。

スンニ派は武装しイスラム国となった。

当たり前のことだが、ここまで見通していたアメリカ人はほとんどいない。

大量破壊兵器という幻に踊らされてフセインを殺し混乱が手におえなくなると引き上げる。残ったものは殺しあう。

アメリカはこのとき軍をどう動かすか、どこを攻撃するかしか頭にない。わが帝国はかつて、いみじくも言った。蒋介石政権を相手にせず。小日本も武力以外の解決手段を持たなかった。もちろん頼りの武力は戦略のないまま殺しまくるのに使った。まるで現代の米軍だ。すなはち、負けた。

アメリカはベトナム戦とあまりにも似た行動をとっている。敵を知らず軍事力だけで決着をつけようとする。それがうまくいったためしはない。ぼくは、Falkに同感だ。

オマケにアフガンにまで介入した。ここでも5000人も死んで撤退する。何にもならない死だ。アーリントン墓地でどんなにたたえられようと死んだ息子は帰らない。

イギリスが100年も前に1次2次とアフガン戦争に負け植民地の一角が崩れ始めたのを学習していたのか。

アフガン人がいった。 「時計を持っているのはお前だが、時間を持っているのは俺たちだ。」

Falkは軍事以外の解決策を探れという。今イスラム国と日本政府の間には外交チャンネルはない。あるといったのは、交渉をしているフリをするための安倍のウソだ。

30数年前だが、あごひげに埋もれそうな顔をして僕に話しかけた人の澄んだ青い目を忘れない。アフガン。皆長い銃を持っていた。狙撃だ。本物の男たちだ。バカにされるより、他国に支配されるより、死んだほうがいい。

少なくとも日本人より男だ。

(梅の花 あちこちにある 大宰府がいい)

卑怯モノが国際政治に目を背け、面白おかしくバカ丸出しで生きるのは、その人の勝手ではない。

僕を不愉快にさせる罪がある。

アイスから香るほのかなゴマの香り。和室にいるのだ。何でも甘かろうおいしかろう・・・と軍事力で押してはいかん。グレープフルーツなのだが要するに夏みかん、大豆を軟らかく煮ている。ナッツなのだが要するに落花生。このスライスは危険だ。

でも狭いのでひと眠りは出来ない。玉名がいい。温泉つき。内縁の妹つき。

 

 

 

 

 


鈍感なクジラ

2015年09月12日 | 和歌

 

中学生の恋愛は矛盾する気持ちに満ちている。

嫌われたくない。なのにどうでもいいことに怒ってすねて見せたり。

梨子は思った。ひとの話を聞いてるの?何回もそれとなく遠まわしに言ってるのに、鈍感なんだから。『帰ろうか?』なんてどうしていえるの。私のドキドキしている気持ちがどうして分からないの。

でも彼のほうも恋愛はほとんど始めてだ。ホントは鈍感ではない。お互いの服が触れただけで緊張してしまう。敏感な夕日は刻々と色を変える。

二人だけの放課後の教室、と僕は想像した。鈍感と敏感が交錯する。

 

   鈍感なクジラのようで敏感な夕日のような君といる夏      松田梨子

 

松田梨子ちゃんが朝日歌壇に投稿していた。選に選ばれるとは大変なことだ。妹のわこちゃんと、さらにお母さんとともにこの朝日歌壇の常連だ。

あいつは鈍いんだから、と不満そうにしながらも相手の緊張もしっかり理解してあげている。歌の中に漢字がだんだん増え、内容も成長していくのが楽しみだ。

 

わこちゃんは最初、全部ひらがなの歌だった。

それぞれ年齢なりの歌であり僕は期待している。

 

一流の選者を選び全国にいる歌人に共感を与える作業は半端な能力ではない。

 

それに較べて政治社会面の堕落ぶりは際限がない。対馬のイタイイタイ病は、日本の4大公害として学校で習ったはずだ。それは朝日の捏造だった。吉田清治の強制連行大嘘(おおうそ)虚報事件もそうだ。謝るというより意地を張って正当性を強弁したに過ぎない。

ところが、全体の良心性や質から見て、サンケイや読売は足元にも及ばない。とくに、日本文化の真髄を朝日歌壇、俳壇は示してくれる。

社会面にも優れた記事はある。ゴミが混じるのは仕方ない。人だから間違いは起こす。そんなことは問題じゃない。読者をだましたことに対しなぜ、申し訳ありませんでした、といえないんだ。

 

 

 

 

 

 


Love is blind.

2015年09月06日 | 受験・学校

俺はもうすぐ死ぬから、書斎の本を好きなだけもっていっていいよ。そういう奇特な人間がいたので、ありがたくごっそりバイクにのるだけ乗せて持ち帰った。

死に際にそういわれて持ち帰らないと失礼なようで、本当のところはしかたなくそうした。つまらない本ばかりだった。

人生には、意に反することもせざるを得ない時がある。

(Love is blind.)

ポイントとなる点は次の2点だ。

①  競争原理は人間を差別するものだから教育になじまない。

② 教育(学校教育)は万能である。(これについてはまたの機会に)

すると、点数のつかない教育が正しい教育であり、教師はどこまでも一人の子供のために人生をすりつぶし、他の多くの子供を犠牲にしなければならない、となる。

理由のない差別、合理性を欠く差別は、最高裁判例を待たずとも許されない。ただ、一見やさしさにあふれたその言葉が残忍な言葉であることに気が付く教師はほとんどいなかった。

能力のある子供が犠牲になるじゃないか。子供は信じられないほどの可能性を持つ。そこを競わせ伸ばしていくのが教育じゃないか。

教える技術、つまり授業の上手下手は結果としてあまり成績には影響しない。その影響は0ではないが思ったより少ない。たしかに「お前の数学を聴いたのでわからなくなった。」という出来損ない教師もいる。

ひとまずおく。

今にもその影響はあるが、5,4,3,2,1、の五段階評価は差別であるから廃止しよう、というばか。当時一クラス60人以上のクラスを一人ひとり文章で評価したら、一学期かかる。遠山は国家予算が5兆円にも満たない貧乏国で無謀な思想を展開した。(昭和30年代)

運動会は手をつないで走ろう。男女は一緒に着替えよう。騎馬戦は馬になるものと馬に乗るものとに差別がある。出席簿は男が先なのは差別だから50音順でいこう。・・・こうして差別のないよい社会を作ろう、と。

バカは加速する。だからバカな組合に責任があるというのも可愛そうだ。

少なくとも知識の戦場で生きたものは責任を取るべきだった。人一倍子供を大切に思う善人のフリをした悪性の硬直能無し野郎=Love is blind。

もう遅い。

 

 

 

 

 

 

 


Hotels for Foreigners only

2015年09月01日 | 食・レシピ

 

かつてこの地には、Grand bleu の映画で有名になった素もぐり潜水士Jacques Mayol(ジャックマイヨール)が上海から避暑に訪れていた宿が在った。

 

(この先に海浜館 2015.8.30)

 

その昭和初期をさかのぼること40年。明治20年代に、井上馨は無い頭を使って考えたものだからとんでもない狂った欧化政策を採る。鹿鳴館だ。

ダンス等踊ったことはもちろん見たこともない女学校の生徒まで狩り出し、2階のBall roomに引きずり出し、ラジオ体操のような踊りを踊らせた。

井上馨はこんな下品で的外れなことが日本の欧化政策になり、ひいては不平等条約の改正にまで繋がると夢想した。外人は失笑した。

井上ポン介の試みは大失敗に終わり、むしろ日本の未開さを見せ付けることになった。

だが地方において、Foreigner用のホテルがないことは深刻だった。それとゴルフ場。明治20年代後半に日本の一等地にホテルとゴルフ場が建てられた。

雲仙の仁田峠のところにあるゴルフ場。そこは九州初のゴルフ場だった。朝早く行くと人が少なく高原のツーンと冷たい空気が気持ちいい。

その近くの別所というところにも元外人専用ホテルがある。ゴルフ場であろうがホテルであろうが上品に営業を始めたところはどう時代が変わっても、今やはり品を失ってない。

海濱館(唐津)について書く。旧名、海浜院ホテル。明治の時代は唐津の繁華街から10キロあまり鉄道馬車が走っていた。馬車は日本人の喧騒を避け広い松林の中を走った。(虹ノ松原)その松原の中、そのホテルはあった。

(内縁の妹はライスをお茶碗のように手で持って食べた。振られる覚悟で仕込みます)

 

不思議なもので、栴檀は双葉より芳し、とはよく言ったものだ。僕は検索で出るようなことは書かない。もし書いてもそれは言いたいことのための手段だ。

で、それらのホテルやゴルフ場が、今に至っても何かしら持っている不思議な雰囲気の出所はどこだろう。9ホールでも満足感はどこから来るのか。毎回新しい味を紹介できる腕前はどこで仕込まれたのか。

このごろ出来た汚いゴルフ場はきまって中小企業の親父がいる。従業員を働かせ自分はゴルフか。逆だったら犯罪になるな、この国は。

共産党は十年一日大企業に抑えられた中小企業という念仏を捨てろ。ゴルフに限らず僕のクルーザー仲間は皆中小企業のオーナーだ。そしてみな下品だ。

コースを回る途中でつばを吐く。立ちションをしようとする。露天風呂のお湯でうがいをして湯船の中に吐く。

海浜館ではたいした金持ちとあったことはないが、静かに話し音を立てずに食う。話題は面白いが口にモノをためて笑うことは無い。中央のピアノは誰かが弾いてくれるのをまっている。

つまりバカを排除する見えない威力を持っている。「さとう別荘」(福岡 小郡)もそうだ。2~3万の鴨料理なんて、チンピラコガネもちにとっては何でもない。だがその料理店ではチンピラを見たことがない。

(カモについたも後日詳しく)

そうだ。マナーがわからんのだ。人に面と向かって爪楊枝でシーハシーハするようでは、一生静かに深い話をすることは無い人だ。サルに生まれればバカにされることも無かったのに。

 

ここまで書けば分かるように、Clubとは排他的な同好の士の集まりだったのだ。平等を叫ぶ下賤の民がいるが、だらけた生活と不まじめな学習態度で一貫して生きてきた、はしたない人生がどうしてClubにはいれようか。

 

差別とは何かを獲得した人が持つ神からのご褒美だ。

(ケーキについても後日詳しく)

http://hitosara.com/0006008376/

残念なのはその区分が壊れつつあること。会員権数千万以上のゴルフ場はそれなりのことがあった。今、カネ払うけんよかろうもん(おカネを払うからいいじゃないか)という人たちが文化を食い荒らしている。

Club House どうか存在理由をなくすな。