か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

階段の登り方  3

2019年11月26日 | 思想
人間は弱いのだ。とくに男だったり、若かったり、コンプレックスがあったり、ハンディがあったり・・・

上に例示した中で、ひょっとすると、「男」とか「若さ」が弱みになることに違和感を感じた人もいるだろう。

今回、若さについて。

認めたくないからよく考えてこなかったのだ。若者には怖いものが多い。一人前でありたい、失敗して恥をかくのは嫌だ、まだ知らないことが多い・・・

その怖さを「階段」は見逃さない。地位の階段を上らないと、安心や、満足や、優遇や、充実とかとは縁のない、わが子にすらバカにされる人生になるから、と囁いてくる。

仕事の内容は変わらなくとも、販売員のプレートには店員とか係長とかナントカ試験合格者とか、コレコレ資格保有者とか、しまいには課長補佐だとか、候補だとか、充て(あて)課長だとか。・・・幻なのに。
幻だろ?

世の中は人間を安易に競争に駆り立てるために階段をだんだん小刻みにしてきた。若者は無益な競争に駆り出され、負けきるまで走るのをやめない。

敗北感と徒労感が残る。地位の階段が幻なように敗北自体が幻なのだが、深い劣等感となって一生をさいなむ。


ここで僕の意図を読み違えるバカが必ず出てくる。ぼくが言いたいのはこうだ。
他人が作った階段を必死に登ろうとするあまり、人生の貴重な時間を浪費して大脳皮質を劣化させついには働く意味も価値も目的も見失い、ただ階段を上がろうとする独楽鼠(コマネズミ)に化してしまう、その予備軍が若者であるというのだ。

だから、頑張るなとか、逃げろといつ言ったか。

人の弱みに付け込んで利用しタダ働きを奨励し、幻の階段を上らせて「地位」なるものを獲得したと、あるいは、価値ある人生を過ごしていると錯覚させる社会。そんな人工物に過ぎない「階段」を崇め奉り、一段登るごとにえもいえぬ幸せ感に酔い本質を認めたがらない「弱者」。その弱者には年老いてリタイアするときに何が残ろうか。

分かったうえで競争しろよ。

返す返すも小刻みな階段に劣等感や優越感の根拠を置くなんて、はなはだ情けない。目障りな奴らだ。


資本主義は差別によって成り立っている。システムに埋没して何とか差別できる側に回ろうと、なりふり構わず働き課長というステージにやっと上がった人間は、階段を上るごとに忘れ物をしてる。

おまいらのような下品な人間はいかに出来上がったか。登ってきた階段にひとつづつ置いてきたもの。それは優しさ、温かさ、不公平を怒る心、負けた者への心の痛み、人は利用するものではなく助けるものだということ…つまり人間性。

多分、退職と同時にむなしさに気づく。死ぬしかないな。

ぼくは風呂に入る。
からけんは後ろ姿にも気品が漂う




階段の登り方  2

2019年11月25日 | 教育
タイトル画像の対岸は、戸馳島(とばせ)。この渡し船は廃止された。JR三角駅の目の前が、船着き場で集落に直結し非常に便利だった。
 
しかし、我々は資本主義に生きている。儲からないことは消えていく。儲かることは社会的に不必要でもできてくる。
 
渡しは消え、常識のない橋が、たった数百人の島民のため集落から歩いていけないところに2本も架かった。巧妙だ。離合もしにくい橋をまずかけ、ちゃんとした橋をつくれという声を住民から上げさせ、行政は「住民の要望に応えて・・・」と言って責任を逃れ、土建屋が喜ぶ。
せめて渡し船は残すべきだった。いかようにも観光開発で来た。温泉もあったし、静かな海水浴場、ゴルフ場もある。産業はミカンと花。
 
コネで入った三流公務員員は発想力がない、土建屋系列の議員の駒になる。隣り合う橋を二本架けるというバカな公共事業で当面はしのげてもそれは銭を海に捨て住民はバカ高い税金に泣くこと以外の効果はない。
 
島に唯一に小学校があった。その名も戸馳小学校。今はない。
ちょうど九州のど真ん中に位置するこの島は、いかようにも発展できた。世界最高水準の戸馳ミカンはぼくが食べたミカンの中で一番おいしい。農民は花き生産で豊かだ。
 
全国の義務教育諸学校を半数にする安部が意図する能率化、工場化、学校教育政策には反対に反対する脳もなく、ここではカネをばらまいたので廃校にあたり特段の反対はなかった。今やその町自体が隣りの市に吸収された。(こうして全国の小学校の30%がすでに消えた)
 
子供がいないという理由だが、それは嘘だ。明治、日本の人口が6000万のとき出来た小学校が、令和、1億2千万の現在、人口減を理由に半数も廃校になることはおかしい。
 
廃校であぶれた職員のうち、管理職には手当てが厚かったが、ヒラには何の手当もなかった。
 
その中の一つ、戸馳小学校が消えた。ほぼ最後の管理職として、ある男が児童数100人を切る学校に赴任した。
 
 
熊本県の教職員の給与は極めて安い。兼業農家が多いが兼業禁止の規定は適用されたことがない。県の人件費の節約になるのだ。
 
そんな消えかかったろうそくのような孤島の小学校に赴任することが、栄転であるはずないのだ。
 
その男は泣いた。しかも送別会の場で。熊本の男は見栄と意地に生きている。そのモッコス(肥後の男)が泣いた。定年までわずか数年をのこす男が見苦しくも自分の送別会で泣いた。
 
泣き顔で僕にこう言った。「からけん君もがんばれよ」と、気がつくと上からものをいいだした。
 
なんか様子が少し変。男は廃校寸前の小学校ですら、しゃくりあげながらこう言った。「私なんかにこんな過分な地位をお与えいただき・・・」
 
階段を上ったことがうれしかったのだ。
 
階段という仕組みはその不条理性をばらまきながら、社会のあらゆる差別構造と癒着し、人間の精神も食いつくしている。
 
 
戸馳側から三角を見る

階段の登り方  1

2019年11月24日 | 社会・経済
皆様のブログを拝見していると、驚いたり頭の下がる思いがしたり・・・


毎日素敵な献立を紹介してくださる方。一日として同じ献立はなく、とりたてて貴重な食材を使うでもなくしかし同じ料理を見たことがない。こんな方の玄関はきっと清潔に片付いているし、整然とした台所が容易に想像できる。

今後も献立の参考にしようと思う。

またある人は、日常の人間関係について、きわめてまともだが我々が見落としがちになる視点を提示される方。ご自分の生き方の決意を述べられつつも本当はこんな生き方もあるよと、困っている人、退職して生きがいを見失った人、に珠玉の言葉を残されている。

到底ぼくにはできない。


ぼくにはこのお二人が先生である。

料理
普通にあるものを利用し基本を押さえて適切にアレンジする。そしてそれを楽しむ。日常のすべてにおいても深く観察し考えてこられたに違いない。


団塊世代
今の中年はバブルを懐かしがる。スケールが小さい。団塊の世代が経験した「カネへん」「いとへん」「特需」「神武」や「岩戸」に始まる経済成長はバブルなんてもんじゃない。年3回昇給、それでもたらず過去にさかのぼって昇給、ボーナスは家が建つほどであった。
株価は大化けつづき、普通預金ですら10%/年利が出現した。

こうなると通常、人はカネもうけしか考えなくなる。ものごとの意味や価値はすべて銭でカウントしなおされた。とくに戦後の極貧を知る世代は、雨のように降ってくる銭に狂喜した。

銭儲けしてこそ一人前。こういう考えは現在でも蔓延している。だがすべての人にもれなく蔓延してはいない。高度経済成長の最大の弊害は、すべてを銭で計算してよいという考えをすべての人の頭の中に植え付けたことだ。

そんな中、物事をきちんと考えることをおろそかにせず、仕事もできるがしかし埋没せず寡黙に日々をこなしていく・・・。

ぼくにはお二人がかっこよくてたまらない。



つづく

ウソはしきりと絶叫する 61

2019年11月20日 | 韓国
上のタイトル写真は、キムワンソプ氏の「光州民主遺功者者証」

 <前回のつづき>

「親日派のための弁明」 著者への記者インタビュー


-------自己紹介からお願いする

キムワンソプ、1963年全羅道光州で生まれた。故郷で高校を卒業したのちソウル大学の理系列2学番に入学したが中退した。理系列とは今の言い方ですると物理学科と天文学科を合わせたものだ。85年からは兵役につき14か月勤務した。大学を出てからはコンピューター関連雑誌社3ヶ所で記者生活をした。


--‐---高校生の時に光州民主化運動で、獄苦を味わったというが事実か

事実です。5.18国家遺功者として正式に登録された。去る2002年、光州民主負傷に分類され遺功者として登録された。


------遺功者になった経緯を

高校のとき市民軍で全羅南道庁を死守するために銃をとったが生き残った。同庁の市民軍は私を含め3名だけ生き残り仲間は撲殺された。政府の鎮圧軍が、私が子供なので敵扱いしないといって私を撃つことはなかった。その代わり引っ張られて行ってたっぷりと叩かれて6か月間起き上がることができなかった。幸いにも後遺症はないが遺功者登録当時腸チフスにかかっていたことで負傷者名簿に名を連ねることができた。


------結婚は

2回した。2002年検察が外患誘致扇動罪云々して私を捕まえようとしたとき死刑になりそうで怖かった。日本大使館に行って亡命申請をした。日本側は韓国との関係を考慮したのか私の亡命申請を受け付けなかった。翌年には金九の息子が私を告訴すると検察は私を出国禁止措置にした。私は刑務所にいれられると思い再び日本大使館に亡命申請をした。しかし、日本は政治的に消極的なのだ。日本は大国であるだけにもどかしかった。今は身辺に危険をさほど感じないので亡命する考えはない。



-----ご自分を親日派だという理由は

正直にいうと私には親日傾向はない。沈んでしまえばいいと本来日本を嫌ってきた。日本に行ってもすべてが小さく不便だ。しかし、日本を知れば知るほど韓国人として偏向した視点を持っていたことに対し申し訳ないような気持ちになってきた。我々は頭っから日本が悪いと注入教育を受けてきた。だから日本を擁護したくなったのだ。日本の学生と食事をしたことがあった。ある男子学生がこっそり近づいてきて韓国人に会うとまずこん棒でたたかれることから始まるというがいつ叩かれるのか教えてくれというのだ。どうせなら早く打たれた方が良いといって大変驚いたことがある。


------従軍慰安婦等を見る見方が日本の右翼の側に変更偏向しているという指摘がある

日本は侵略をしたのではなく戦争に巻き込まれたのだ。ドイツは大量虐殺をしたのであるが、日本人は民間人を殺してない。むしろ原爆という被害を受けたではないか。南京大虐殺も真っ赤な嘘だ。日本はまた、戦後清算もきちんとしている。日本の教科書を見ると自分たちを侵略国として描いているほどだ。慰安婦とかほかの問題もすべて清算したのに韓国と中国政府が政治的に日本を許さないでいるだけだ。


------超高速インターネットが普及するまえ、PC通信で悪名(?)が高かったというが

カーテルとかエムファル、ハイテルなどPC通信に主としてコンピューターと関連する情報を上げてほかのニチズンたちをよく知るようになった。当時、某通信同好会がハイテク商品に対しレビューとか共同購入に対して圧倒的な力を行使していた。この同好会は執行部選挙のときにあらゆるでたらめと不正をまき散らし、私がこれを暴露すると同好会員たちは私を攻撃して苦しめた。オンライン権力との戦いを繰り広げながら思った。一人が数十名と戦うことはできなくてもオンライン上ではかえって数万名とは相対することができるのだと悟った。


------文章が刺激的だったそうだが

PC通信ソウル大同好会では差は大学生たちの偏向した視点に対し反対する文を主に書いた。ウルグアイラウンドを防止するのではなくいち早く導入し我々の産業をグローバル化しなければならないという解放論を主張した。このようなことを書くものだから私を竹槍で殺してやるというひとたちが出てきた。


------ソウル大にはスパイが多いと主張したと聞いている

当時、主思派が北朝鮮と連絡を取っていた。私の友達も平壌に何度も行ってきたようだ。実際に数千名の大学生スパイが武器庫を開けてクァンアク山でパルチザンをしようとした。今やむしろ政府機関が暴露したとしてもが誰も信じないありさまだ。


------------しきりと刺激的な話を持ち出すのは本を売るための算術であるという指摘もある

もとより私の本の全文を来月あたりにPDFファイルにしてインターネットに公開するつもりだ。


<次回用メモ> [1-1] 쇼비니즘의 광풍을 뚫고 p27 から  ©からけん

いろんな人がいるさ、という判断回避

2019年11月17日 | 思想
いい人もいれば悪い人もいよう。 という言葉の先には、だから一つのことで全体を決め込んではいけない、と言いたいようだ。

マヌケだ。 

そんな人は分かったフリをしてこう言う。 ひとつの事件や問題から韓国人全体を決めつけてはいけない、と。

バカ言ってんじゃないよ。 無教養、無思想、判断回避、枯渇した知性と腐敗した正義感が開花したときの発言だ。

書きながら思った。 こんなふうに罵詈雑言を並べるとまるで北朝鮮にいる元気のいいおばちゃんアナウンサーのようだな。

こうも言いたくなるアホ発言は、とくに日本人に多い。何かを主張するでもなく、わかりきったことをさも意味があることのように言う。

足して2で割れば真ん中ですと。


こういう低能に起因する思想は、常に犯罪的だ。

問題のポイントは、その先にあることなのだ。 ガキでもわかることを言って、思考を中断してしまうことだ。だからバカはバカでありつづける。 ぼくは、バカ本人の心配はしない。が、

あの究極の善人、孟子ですらこういった。

「其悪播衆」(その悪を衆に撒く)=(バカがみんなにうつる)

なので犯罪的なのだ。低能という凶器を持つ狂気のバカ。

こういうと、興奮したバカはぼくに対し個人攻撃を始める。プライドだけはあるから、無学の暴走は自分のことと思っていきり立つ。

しかし、ぼくは個人攻撃はされてもしない。人を闇討ちするのは卑怯だ。


さて、いつものように短い本論だ。

電通という会社がある。そうさ、そこにはいい従業員もいれば悪い管理職もいる。だからパワハラで人が自殺してもだれも責任取らなくていいと言いたげなえたり顔のバカが必ず顔を出す。

必要なのは、何が正義であるのかという判断力と、問われればいつでも発言し表現できる勇気だ。

「高橋まつりさん殺人事件」だ。 パワハラ自殺に労災が認められたというどうでもいいことではない。

ここで、一部の人がそうだからと言って電通全体を悪く言うもんじゃない、なんてことを言うことが必然的に人殺しを泳がせることになるのだ。

陳腐な言い草だ。いつ電通全体を悪く言った。ぼくは、人殺しが泳いでいる職場は在ってはいけないといってるだろ。

後ろの赤門が泣いている 高橋まつりさん この会社の狂気はいまだ暴走している いろいろあるさで済ませる人は、共犯者だ

まつりさんの御命日が近づいたので書きました。 僕は仇をとりたいと思います。

春光先到吉人家

2019年11月12日 | 韓国生活の一部
「春の光とはだれでも待ち望んでいるのだが、良い人の家にまずおとずれるものだ」

いい言葉だ。 朝鮮の地方に住む有力者の家の柱には、何個もこういった格言が飾られている。ときにそれは箴言であり、体制批判でもあった。
(僕は一週間いた 今は旅館)

この看板はときどき入れかえられ、客人はその漢文の教養を試された。 朝鮮語にも漢字は必要である。 

日本語を全部ひらがなにしたら不便でしょうがない。 朝鮮語は、いまやハングルだけになっているが、いわば平仮名だけの日本語状態なのだ。 漢字なしでは無理がある。(同音異義語による混乱)

日本でも朝鮮でも漢字交じりの文章だと、急ぐときは漢字をピックアップして読んでいけばだいたい間違いはない。 便利だ。

「話せばわかる」ということばは、暴力を否定するときによく用いられるが、「同じ言語の中においては」という条件が抜けている。

日本語と朝鮮語の間にどうやって話が成立するか。 ばかだな。 朝鮮語を知らない日本人が日本語を知らない朝鮮人と話し合えるものか。 ましてや、分かり合えるはずない。

そこで登場するのが漢字だ。 漢字は東洋における「ラテン語」である。 ヨーロッパにおいてはラテン語がインターナショナルな共通語の役割を果たした。 

北京語と広東語も、たがいに全く異なる発音と異なる漢字の用い方をするが書けばかろうじて意味は通じる。

目先の人気取りのため、バカに迎合する政治が日本でも韓国でも横行する。 学校で漢字のテストがなくなれば、一番喜ぶのはバカたちだ。

日本も韓国も、せっかく漢字を持ちながらどんどん使う漢字が少なくなっている。 

国が違えば、「話せばわかる」なんて能天気なことはあり得ない。

しかし、両国とも「書けばわかる」ものを持っているじゃないか。 

漢字が消えている速度は日本のほうが速い。(韓国語の特質にかかわることなので詳しい説明は長くなるので省略します)

漱石が書いた当時の「草枕」を読むと分からない漢字が多くある。 

韓国でも自分の名前を漢字で書けない人は多い。

両者とも本人の責任ではない。 学校がなんちゃって高校ばかりになれば、バカは増殖する。(日本)

前大統領を否定して新しい大統領が誕生する国では、大統領が変わるごとに漢字は要る、要らないが繰り返された。

朝鮮のcountry gentlemanは、大統領の愚行を嘆いている。 

しかし、短期的な視点で文在寅の愚行を嘆いても仕方ない。長い目で見ると、まともな競争がある国の教育はけっして将来が暗くはないといえる。

ぼくが悲観的になるのは、日本で学校の先生の中に一定数、競争を悪しき差別と言い張るバカがいることだ。

脳天気量産集会場を出たところで何の役に立とうものか。


春光は一体どちらの家に届くのだろう。

日本人が行かない店はなぜかハズレがない。