か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

外交失敗 「対話と圧力」 それでは被害者は帰らない

2017年02月28日 | 事件事故

引用

平成14年9月17日、平壌で行われた日朝首脳会談で、北朝鮮側は長年否定していた日本人の拉致を初めて認め、謝罪し、再発の防止を約束した。現在、日本政府は17名の日本人を北朝鮮による拉致被害者として認定しており(別添参照) 、そのうち5名については、平成14年10月15日に24年ぶりの帰国が実現した(御家族については、平成16年5月及び7月にそれぞれ帰国・来日)。残りの安否不明の方々については、平成16年5月22日の第2回日朝首脳会談において、北朝鮮側より、直ちに真相究明のための徹底した調査を再開する旨の明言があったにもかかわらず、長い間、北朝鮮より納得のいく説明がなされないままだった。(内閣官房)

 

上記が日朝間の拉致問題に関する交渉の経緯である。詳細は述べても本質に近づくことはできない。これで十分だ。だがここにあるのは交渉の流れであり、交渉を離れたところで両国がどんな政策をとってきたかについては一切ない。

北朝鮮の目的は明らかである。人さらいをしてそのさらったにまた人さらいをさせて、Nativeの日本語集団を作り朝鮮人に日本語を教え、国際テロ集団を作ろうというものだ。テロ犯は日本人に成りすます。金賢姫。

例えばフランス語はフランス人に習ったほうがいいか。ばか。何語であれ日本人が習うときは日本人からが良い。語学の常識だ。それをそこらのカルチャーセンターの感覚で、日本人をさらってきて朝鮮人に教えさせようとした。なんせ日本人なんだから日本語は上手だろう、程度の無教養丸出しで。

 

一方、北朝鮮側の感情も考えてみなければならない。人殺し国家であり人さらい国家なのだが、北からすれば、300万人も強制連行しておいて10人や20人拉致されたところで騒ぐ資格はない、という感情が根底にある。

だから、日本人拉致被害者の調査は、「してやっている」のであり、謝罪したのにどうして受け入れた後で因縁をつけるか、という意識だ。

とくに彼らは、南は米軍の後ろ盾で戦ったがわれらはソビエト兵と共に戦ったのではない。これだ。彼らを支えるプライドは。世界中でアメリカに勝った国はわが国だけである、と。

 

アメリカはイラクに侵攻するとき、多くの学者の警告にもかかわらずイラクの国内事情を一顧だにしなかった。(シーア派、スンニ派、クルド…) とにかく悪いフセインがいるのだ、と馬鹿の一つ覚えに終始した。北に言われるまでもなく、アメリカが侵攻したところは問題をよりこじらせて、当のアメリカは戦死者が増えるとさっと引き上げる。

北としてはそうなってはたまらんのだ。日本の低能は、アメリカのおかげで共産主義の侵略が防げたという。ほう。事実に基づけ。おまいらの好きな事実だ。思考ではなく事実。

アメリカが海外派兵をしたところはそのまま紛争地としていまだに人が死んでいる。共産主義がいつ拡大したか。ソビエト自体が消滅したのに。

 

北としては、任務を果たさない世界の警察官と四つに組んだという自信がある。さらには虫が良すぎる話しだが、日本と平和条約を結び戦争状態を終結しようという希望が金正日には確かに在った。金正恩にも最初はあったが、もう彼はあまりにも遠くに来てしまった。引き返せない。兄殺しは人民の心に刺さった。

日本はアメリカの意向を汲み、すすんで北と対峙しテロ国家の脅威を宣伝することで、票になることに気が付いた。「悪い北朝鮮、頑張る日本政府、かわいそうな拉致被害者」この便利な図式は使える。バカが食いつく。

そこで思いついたのが「対話と圧力」。朝鮮人を知らないからこんなことが言える。圧力の「あ」の字を出した瞬間、すべての交渉の成果は吹っ飛ぶ。

自分に置き換えてみろ。脅されて話し合いに乗るか。最後の一兵まで戦うぞ。

そうなったときを何というか。外交の敗北。もう絶対に拉致被害者は帰らない。

 

 


ウソはしきりと絶叫する   26

2017年02月25日 | 韓国

「日帝時代、日本に対する悪感情はなかった」前回の続き

 

上の写真は前後で比較したソウルの一般的な写真である。日帝が入ってくると、多くのことが変わったのは事実だ。教科書には出てきてないが平均寿命と人口、すべて2倍に増加した。客観的な統計が存在するのであり、餓死する人々の数が目に見えて減少している。以前は余暇活動などということは知る由もなかった庶民が、少し節約するときれいな洋館でコーヒーを飲むことができるようになった。文学などの芸術もこの時非常に高まった。

また、よく知られていない事実なのだが、日本は近代的な法制度を導入して公正な裁判というものをわが国(朝鮮)に宣布した。昔は有無を言わさず「締め上げろ」といった話にならない前近代的司法制度と拷問を全面廃止した。どういおうと拷問などというものはもともと存在しなかったとは言えないだろう。全斗煥(大統領)の時代ですらわが国には拷問があったのだから。とにかく、なんでもかんでも「締め上げろ」、自白を取れという前近代的な司法制度は消え、カネも力もない国民たちも判事たちによってある程度だが公正な裁判を受けることが可能になった。

男女同権を確立するための制度の一環として、女性の権利も大きく拡大された。女性は過去よりはるかに人間的な人生を送ることができるようになった。初等教育あるいは大学など高等教育もこの時初めて登場する。ほとんど強制的に働かされてきた庶民も芸術に対する興味を抱き、「下の写真のように休暇を得て遊びに行くことができるようになったのも日帝時代からだった。」

 

次回用メモ  16の2枚目の写真から

 

 


さくら、はやぶさ

2017年02月21日 | 受験・学校

公務員を目指していた僕にとっては、寝台にのるということは東京で試験を受けるということだった。年に一回。

合格するのにも100倍程度の競争率であったが、それより苦しかったのは合格が採用を意味しなかったことだ。

ひどい時は、合格僕一人、採用0というときもあった。そしてまたチャレンジできるのは一年後。それまで僕は親の妾の家でバイトと勉強の日々を送った。ほかに行くところもなかったが、その家も飯があるだけでカネは出さなかった。

したがって「さくら」のステップを踏んで社内に乗り込むときは、決戦に臨む戦士の気分もしたが追い詰められた境遇と遮断されるわずかな幸せのときだった。

それを4回、すなはち4年も繰り返した。

ここまでくると落ちても悔しくなくなる。負け惜しみでなく悔しくないのだ。

アホがまともに努力しないで試験を受けても悔しくない。ただのお遊びだからだ。

だが究極の頑張りの後もまた悔しくなくなる。俺を落とすなんてことは試験のほうがおかしいのだ。若かった。僕はその後10年ぐらいそう信じ続けた。

僕の人生は「特記事項なし」で終わった。ただその「さくら」の中のひと時はきっと一番幸せな時かもしれなかった。

 


謝るときは、思い出したように謝ろう。

2017年02月15日 | 教育

<引用開始>

 福島第一原発事故福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒がいじめを受け不登校になった問題で、横浜市教育委員会の岡田優子教育長は13日、男子生徒が同級生らにおごらされたとする金銭授受を「いじめと認定できない」としてきた見解を撤回し、「金銭授受もいじめの一部として認識する」と述べて謝罪した。…中略…

 男子生徒側は、金銭授受は2014年5月の約1カ月間で約150万円にのぼり、いじめにあたると主張。市教委に多数の抗議が寄せられた。林文子市長も「子どもに寄り添った発言ではなかった」と謝罪した。…中略…

 男子生徒は小学2年だった2011年8月に、福島県から横浜市に転校した。第三者委の答申では、小学2~4年の時期に「菌」と呼ばれるなどのいじめがあったと認定。5年になると「プロレスごっこ」でたたかれるようになった。男子生徒は威圧感を感じ、家からお金を持ち出しておごった。

 

バカはバカ顔をしている。なぜか。前頭葉が壊死しているか、そもそもないからだ。だから、きれいごとをいう能力など記憶力さえあればよく、霊長類特有の思考そのものは本来ない。

つまり、子どもに寄り添って、とか、子供の目覚めや気づきをどう引き出すか、などと言葉の言い回しで真実を覆い隠そうとするのが教育委員会であり広く役所というものだ。

教職員組合の教育研究集会には何回も呼ばれたが、そもそも結論は決まっていて、みんなそれに沿って発言し交通費目当てに人が集まり教育委員会は年次休暇を出さないで学校を出ることを黙認した。研究集会とは笑わせる。

委員会と組合を対立して考えるのは間違いだ。組合の目立ちたがり屋は必ず委員会に行くか校長になった。

つまり、卑怯者の自己保全能力は気違いじみてすさまじく、結果そのことで人が死のうと塗炭の苦しみを味わおうと何とも思わない。行政バカにあるのは前例と事なかれ主義とセクト主義である。

 

そこで庶民なら常識として正しく即断できるものを、横浜の教委と市長は5年もかかった。

 

話しはこうだ。いじめられていたという事実を認定するにあたリ、言葉の言い回しをして、なかったことにしてしまったのだ。

 

いじめられたくなかったらカネを出せ、と言われた少年は恐怖にかられ家の金を持ち出した。たたかれることはなくなった。ただ家の金が150万/月きえた。だから委員会はいじめは消えたと言う。これはチンピラの論理だ。ぼこぼこにされたくなかったら、カネを出せ。そこでカネを出した。自分の意志で金をだしたのだし、ぼこぼこにもならなかったから何の問題もない。

教育委員会の誰かを同じ目に会わせんといかんな。

僕だったら殺すぞ。僕が働いたカネを子供に持ち出させたら、僕のベレッタが火を噴く。

でたらめなことを言っている。いじめはなかった証拠に自分の意思で150万も持ち出し仲良くしているじゃないか、と。

いつプロレス技が来るかもしれんからその保険として家の金を持ち出すことを覚えた。それを、仲よく遊んでいるのでいじめは解決したとして事なかれに終始した。被害者は死ぬほど苦しかっただろう。4年も5年も放置したのは行政や教育関係ばかりではない。

最低の親だな。警察は何もしない。犯罪者を守るのが警察だ。なぜ犯人の一人も殺せなかったか。わが子が不当に殺されかけていたじゃないか。4年も5年も気づかないなんて親の屑だ。

 

 

 

 

 


黄色いトースター

2017年02月11日 | 日用家庭用品修理

 

 奥にあるのは電子レンジ。パナソニックがまだナショナルだったころのもので37年前のものだ。大変重たく、一人でかろうじて持てるが移動するには二人いる。出力は低いが、優しくふわーっと出来上がるケーキに至福の時を味わっている。

故障はした。ターンベルト、電球、fuse。本質ではない。

今日はその手前にある黄色いトースター。

これもほぼ20年になるが、焼き加減の調節が一定しなくなった。よく見るとわかるがスイッチが一つ少ない。あるのは電源SWと焼き加減のためのスライドとパンを押し下げるつまみのみだ。

つまりタイマーがない。今の車のように、CPUをいれてセンサーの塊にして行くのとは全く逆行する考え方だ。バイメタルサーモスタットという金属の温度による膨張率の違いを利用した原始的な焼き加減調整だ。

蛍光灯のグロースターターにも入っている。

この利点は何かというと、時間が来たら焼きあがるタイマー式に対し、焼けたら焼き上がりなので夏と冬で調整する必要がない。温度が数百度になるところに電子機器を置いてないから故障が少ない。安い。

周りの人がやけどしないようにうまい工夫をしている。

大きいのだ。修理もしやすい。

巷では前に開くオーブンがよくつかわれるが、そこで茶わん蒸しをしたり目玉焼きを焼いたりするから焦げがついてとても汚い。

トースターはパンを焼くものだ。

たったそれだけのことしかできないのに、このトースターは、電子レンジに負けじと十分大きい。手前に比較のため黄色のBテープ(直径5cm)をおいた。

小さい中に機能が凝縮されているものを良しとする時代もあった。それは貧しい時代が要請したのだ。トースター一つ置けないのは、トースターに責任はない。そんな狭い家に住む自分の落ち度である。

「あれもこれも」を望む国民が本物を知ることはない。言ってしまえばトースターがなくとも死ぬことはない。ガスコンロでもパンは焼ける。「あれもこれも」と機能を満たそうとする限り本物を知る機会は来ない。

70年代、ラーメンをすすってスカイラインに乗る男がいた。僕はその男を笑わない。多くの「あれもこれも」の偽物を拒み彼の価値観は「本物」を求めた。