か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

真鍋 淑郎さん、おめでとうございます

2021年10月09日 | 学問
<引用 読売新聞オンライン>

スウェーデン王立科学アカデミーは5日、2021年のノーベル物理学賞を、地球の気候変動予測の道を開いた真鍋 淑郎しゅくろう ・米プリンストン大上席研究員(90)らに授与すると発表した。高性能のコンピューターを駆使し、二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスが、地球規模の気候変動に与える影響などを予測した先駆的な研究が評価された。


<引用終わり>

僕が掛け算の九九を覚えていたころ、「CO2が2倍に増えると地上気温が2・36度上昇する」 という予測を当時のコンピューターを使って建てた人がいる。当時の高速コンピューターなんて今の家庭のパソコンの1/10の能力もない。ま、関数電卓程度だ。

凄いと同時に誇らしく思う。


ただしだ。1967年の話なのだ。教養もないうえに学もないのが首相になると自分の手柄に直結しないものにはトンと興味を抱かない。


安部は、基礎研究という地味だが結局その国のソフトパワーを規定する理論的な研究の予算をごっそり減らした。

将来を嘱望された九州大学の核融合研究者が、先日あったらある新聞の配達専従になっていた。


つまり、僕らは、50年前の日本人の快挙に酔っている。

いま日本の貧困はついに学問の世界にも押し寄せている。

菅は、SCIENCEを全く理解していない。学者を敵視するその姿勢は彼自身の首相としての寿命を縮めた。学問や学歴や生い立ちにコンプレックスを持ちながら首相がつとまるはずはない。

案の定、彼の劣等感は暴走した。

日本学術会議は基本的に戦争の反省の上につくられた平和を求める研究者の集まりだ。問題もあるがそれはここでの本筋ではない。

加藤陽子先生をパージするという愚かな行為は歴史に永遠に日本の恥として残る。


50年前の日本に酔うのは無能なネトウヨだけにしてほしい。今の日本は学問が先細っている。政府が銭をけちるからそうなるのも当然だ。



戦前、戦艦大和を作って世界一の軍隊だとうぬぼれた日本は餓死者を出す国だった。うぬぼれが高じて戦争を仕掛け、結果300万人以上が死んだ。

現在、空前の株高に酔う国は、一方で子供が貧困の中にいる。かつ、勉強に価値を置かない風潮が増大している。






真鍋 淑郎さんが受賞を機会に日本に帰ろうかなと話したら、アメリカは即座に難色を示した。その理由が面白い。

頭脳流出だ、と。(自分勝手なアメリカファーストだが、真贋を見抜く力は生きている。)


学問に価値を置かない国は必ず落ちぶれる。







バカは学者になってはいけない

2018年12月08日 | 学問

高校のころ、ひどく手先が不器用な奴に進路希望を聞くと医学部だと臆面もなく答えた。彼は、成績面から言っても下の方にかすんで見えない位置だった。

家が博多織の関係で、コネカネ入学の素質はあった。彼はずっと自分自身を誤解したままだ。現役のとき九大を受け落ちた。バカなことをする。能力はおろか努力もしてない。何年かしてどっかの田舎の医学部に行った。こんなバカにカネを使うのはもったいない。

40歳のころ医者をやめた。病院もさすがに彼をかばいきれなくなった。一般に、医者はどんなミスをしても医療ミスで責められることはなく、患者は裁判をしても勝たない。だからそれ以上のバカだったのだ。

今は製薬会社のセールスだ。

 

なんちゃって高校に行った人は、医者になるような人は頭がよいと思っている。バカの一つ覚えはそっとしておこう。

 

大学教授も同様だ。上海の町を歩いている人を任意に連れてきてもこんなバカには当たらない。そんな人と話をする羽目になった。だけど世間は大学の先生は頭がよいと思っている。バカほど自分自身でもそう思っている。

社会科学に関係する以上、発してはならぬ言葉がある。

「歴史は知性で解こうとされてきた。私の歴史研究は感性だ」

こんなことを言うごみを許すわけにはいかない。だいたい語学は頭の悪い人ほど、さらには年寄りほど習得できない人が多い。この老中国人学者は、そもそも日本語が下手だ。入管は帰化を認めた。日本に悪性遺伝子を増やす移民法が成立したので今後こう言うのが増える。

科学が感性で説明されたら人類は亡びる。学生はその大学に通っていることを隠している。恥ずかしくて言えたもんじゃない。

反対に東大生はいつまでも東大にこだわり吹聴する人がいる。だがそんなのは一部だ。東大はほぼまともだ。

 

思想の自由、学問の自由があるから、その人の自己責任の限りにおいて、思想は自由だという人もいよう。ばか。

思想、学問を破壊する自由はないという話じゃないか。ばか。

 

お前の日本語はでたらめだから英語で行こう、と言ったらできないといった。九大の先生と話すと次第に僕は聞き手になり、まいりましたという思いでいっぱいになり、もっと勉強しようという気持ちでいっぱいになる。

かたや、このインチキお粗末と話すと、佐賀県で道に迷った時のイライラが来た。頭の悪さ、威張りくさった態度、不足する歴史の知識、お粗末日本語能力。

僕との言い合いが収まるまで周りでハラハラする日本人たちがもっと哀れだ。

僕が一番悔しいのはこの馬鹿に習う学生たちがいることだ。でたらめ授業は犯罪だ。幸い日本語が何を言ってるかわからないので被害はその分少ないだろうが。


GLOBAL PEACE INDEX 2018

2018年10月09日 | 学問

Quantifying Peace and its Benefits(平和とその受益を明示化する)。研究機関としてシドニーにある。

そこの年次報告書をタイトルにした。本物だ。

① 気負いがないから英語が平易である。一部名詞は統計にしかつかわないものがあるが概して複文がないので非常に読みやすい。

② 分析の本論になると枝葉に触れず本論に直結することだけで構成していくから反論に強い。AIと将棋するとこんな気分になるのかな。論点でないことまで持ち出して話がいつもそれていくバカ同士の言い争いはこの逆だ。

③ グラフが見やすい。日本の役所の論文、レポート、3流大学の論文、3流学生の4流論文はもう見ない。とくに役所は所長の顔写真、原子力関係に至っては全身写真がないと通らない。忖度しないと筆者の出世はない。

④ 読者が一般国民であるので数式を除き不要な図もない。大人の国だ。こんな研究機関こそ平和主義だった日本にあってほしいものだ。どうせ予算で縛って自民党の広報誌のようになるだろうが。権威を持つ日、世界が認める日は来ないからオーストラリアにあるほうがいい。

 

The average level of global peacefulness has declined for the fourth consecutive year, falling by 0.27 per cent in 2017. The results of the 2018 Global Peace Index (GPI) find that 92 countries deteriorated, while only 71 improved. 

GPIを仮に総平和指数とすると、年々悪化していることを上の英文は述べている。

200近くの国と地域を比較するのだから物差しも一つではいけないが、いろんな物差しを都合のいいように使っては日本政府の統計のようになる。neutralというのは極めて困難だ。

世界には日本と韓国とDPRKとアメリカと中国しかないと思って政治力学を論じる人がいる。

スペインもイギリスも独立運動を抱え、いつCIVILWARが再燃するとも限らない。

ここでの平和は広く定義され、およそ人が平穏に生きる権利を侵害する一切の圧力からの自由、とされている。池上は、外人犯罪は増加してないといっていたが、うそだ。刑務所の郵便の半分は日本語ではない。2%の人間が50%の犯罪人になっている。

 

1 Iceland 1.096  2 New Zealand 1.192  3 Austria 1.274  1 4 Portugal 1.318

 1 5 Denmark 1.353  6 Canada 1.372  7 Czech Republic 1.381  8

Singapore 1.382   9 Japan 1.391   10 Ireland 1.393  211 Slovenia 1.396

 12 Switzerland 1.407  13 Australia 1.435  14 Sweden 1.502  15

Finland 1.506  16 Norway 1.519  17 Germany 1.531  17 Hungary 1.531

  19 Bhutan 1.545  20 Mauritius 1.548   21 Belgium 1.56  22 Slovakia

1.568   23 Netherlands 1.574  24 Romania 1.596   25 Malaysia 1.619

  26 Bulgaria 1.635   27 Croatia 1.639   28 Chile 1.649  

 

残りを抜粋

38 Italy 1.766  46 Laos 1.821  49 South Korea 1.823  57 United Kingdom 1.876 

 

 

日本ではだれが事件や事故で死んでいるか思い出すべきだ。

あの広い北海道にわずかの人が住む。しかしに、わざわざ崖の下しか住めない。、そして圧死する。

どのクルマを買うか自由だ。だが、軽に乗れば事故死の確率は高い。政府は発表しない。データーがなかったら軽もベンツも安全性は同じになる。

北のミサイルで何人死んだか。密植による山崩れで何人死んだか。無駄な砂防ダムがいかに被害を大きくしたか。無駄なダムの放流で何人死んだか。

日本の安全度が下がったのは災害死が増えたからだ。

ところで韓国はラオスより危険で49位。ネトウヨうれしかろ。ところがイギリスは57位。いまNYよりもParisが人殺しは多い。ピカデリー周辺では頻繁にトラブルを見る。かつてのソウルだ。そのうち日本も日本に来た支那人であふれ中国になる。

 

visionofhumanity.org/app/uploads/2018/06/Global-Peace-Index-2018-2.pdf

 

 

 

 


下品な優越感

2018年10月03日 | 学問

タイトルを見て即座によそに行こうとする人が多いだろう。ミッキーネズミとかキティねことか、面白おかしく、頭使わず、アハハオホホとぐうたらに生きて行く人には、人としての思考は必要なく、人の業績の上に乗っかって流れていくしかない。いい人生だ。

何気なく学校の校章をデザインしてあった。

 

用があって京都以西では最も偏差値の高い大学のある研究室に行った。やっぱりここもかと思うことがあったので書き留める。

立派な建物で金がかかっていることは分かるが耐震補強工事のためその美観はずいぶん損なわれてしまった。40年ぐらい前、親の出張についてきたことがある。そのころは今みたいに一分一秒、先を争うのが研究者だという感覚はなく、小学生の僕でも十分に見学させてくれる心のゆとりをみんながSHAREしていた。

農学部の薬草園とか工学部のいろんな機械・・・

僕にはそんなものどうでもよかった。僕の目は医学部の白衣の研究者を探した。西日本で最高に難しい大学、京城帝大より難しい、・・・いったいどんな人たちがいるんだろう。

その後、小学生からけんは教員からけんになり・・・したが、その謎が解けることはなかった。なぜなら一見すると普通の人たちだったから。

 

子供の目には白衣が月光仮面のマントのように輝いて見えたが、中身は風采の上がらない普通の兄ちゃんだった。あえて違いを上げるなら、威張らない、自分に厳しく無駄な時を過ごさない。・・・。

整形手術で美人はいくらでも作れるという人には、人の澄んだ目を見ることはできない。なぜか共通する努力する人のさわやかさを知ることはできない。それはいくら角膜を切開しても現れることではない。

 

パンダのように目の周りを描きまくったデリヘル嬢、その中身のない話、うつろなヤクチュウ特有のイッテる眼差し。それを整形で直してみろ。

形にこだわるところには中身はない。知り合いの大学は室内にエスカレーターをつけた。バカです。九大病院ならいざ知らず、教室にエスカレーターが付く日は断じてない。

狭く貧弱な学部長室に入り、ああ、ここは本物だな、と思った。


知的好奇心

2018年09月18日 | 学問

このころ、勉強のことについて書いている。というのも、バカはバカ同士、賢い人間は賢い者同士、特性が共通だ。国籍、性、関係なく頭の出来を偏差値というが、悲しいほど同じ頭は同じ心だ。

この時バカが言う。人間は勉強ばかりじゃない、と。バカなんだね、勉強が何かわかってないじゃん、だまれよ。


バカの話はやめよう。というとお前はなんぼのもんやねん。と言いがかりをつけてくるが、センター試験で勝負をつけよう。

いやいや、やめよう。わかってない人をからかうなんて趣味がよくない。バカからかうのは楽しいがバカの僻みが深くなる。

会社にもいるだろ。るる説明させといて言うことがこうだ。「何をすればいいですか?」それを今言ったばかりじゃないかとスパナを投げつけたくなる。


僕は立ち直ってほしい。その間の抜けた顔、しまりのない口元、当用漢字も筆順を知らないアホさ加減。子供の勉強は小3以上になると分からず放任する。お前にとって連立方程式は永遠の謎だろ。式の展開も。

そこでビールと野球とソファがあればよく、よくて「勉強せんか、」と怒鳴るだけだ。野球の歓声の中で小三の子供の将来は、低賃金過重労働しかできないお前のコピーだ。小5になったらこどもは宿題をしない。ろくに部屋もない、大事なことは本がない、お母さんは読み方を教えない。バカがバレそうで怖い。

いうことがなかなか的を射ている。「俺に似て勉強嫌いで。」そう仕向けたんじゃないか。

 

で、今日はその逆に自律的向上心を持つ子供について。親はこの時バカでいいし、いなければなおよい。気違いの酒乱とか夫婦喧嘩とかが慢性化した親のもとでは子供の向学心は負ける。あきらめて次の世代に賭けろ。

 

グルグルグル、中空ドーナツの直径が20㌔ぐらいある鉄とかのドームを想像してほしい。そこに素粒子を回したい。原理は簡単でリニアモーターカーのように磁力で(主に電子だが)回すことに世界の科学者は命がけで取り組んできた。(サイクロトロン)

回転速度を上げて陽子にぶつけると陽子はいろんな壊れ方をし、BIG BANGの1/一兆sec.後の世界を推定することが出きる。

まだ簡単なことが分かってないのだ。なぜ電子はマイナスに帯電しているのか。陽電子の数が少ないのはなぜか。陰陽子も同様。BIGBANGのエネルギーは計算と実際が7割も違う。なんでもBlack Holeで説明しようとしても数が合わない。Dark Matterに🔓がありそうだが、なぜかはまだまだ遠い未来にしかわからない。

このとき賢い奴が出た。上で言った20キロのドーナツでは電子の加速に限界がある。ちょっと数学で申し訳ないので嫌な気がする人は、式のないところまで飛んでください。

まずラディアンとは1rad.=180°/π  両辺にπをかけて   π rad=180°  角速度は[rad/s]

F=mv2~/r は一般に言えることで証明略  ωが増すと遠心力は何倍にもなる  ドーナツの中を電子を回そうと言う発想はよかった、さらに小さいものは曲率が大きくなる。最近は小さいものでも使い道が出てきた。

とにかく電子を振り回す発想は限界がある。そこでEUと日本とアメリカが共同して直線で電子を飛ばし陽子にぶつけようという発想が生まれた。International Linear Collider; ILCという。佐賀県に作ろうという話があり小柴さんと話した。彼は、大局を見逃さないし力のないものは許さない、僕みたいな素人には優しい人で後日また書く。

安倍に言わせると基礎研究は国際競争に勝てないものだそうだ。バカ。アメリカは基礎研修で戦争に勝った。何が出るかわからないものに十分お金をかけることのできる国は日本をはじめ3ヶ国しかない。国境を境に利害関係だけでしかものを見ない右翼は戸惑うだろう。

九州大学の基礎研究費は大幅に削られた。何も出そうにないことこそ研究すべきなんだ。安倍はそこらのごろつき大学を出ているのでSCIENCEに対する基本的認識を欠く。

約1兆円。ほぼ同額のあたりもしない迎撃ミサイルが何を産んだか。相対論がなかったらおまいらのGPSはないんだぞ、ジュールの法則がなかったらエンジンは作れなかったぞ。

即戦力、即戦力。人を金儲けの道具にしか見ない国は滅びる。低能遊び惚けのバカ文系が金儲け担当しろよ。うれしかろ。

 

 


Schrödingers Katze(シュレディンガーの猫) 2

2018年03月17日 | 学問

まず、のあるを用意して、この中にを一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質ラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫はぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか。                         WIKI

前回は二重スリット問題を扱った。関係ないようで実はこのスリット問題は、ほとんど同一の問題である。あえて言うとスリット問題は実験物理の世界で実証が可能だ。

生きていく上で、街を歩くスリットはなるべく深い方がより楽しいがここでは原子一個がやっと入る大きさである。銃弾は二個の穴(スリット)のどちらかを通ったのだろうが特定できない。なぜなら一個の原子という銃弾が干渉渦を作るのだ。

物と位置、時間と場所。異なるものが同じ仲間でその境目は、あいまいであることって楽しくないかい。

一個で干渉を起こすなんて興味の湧く世界だ。子供達は実に優れた発想をし質問も的確だ。だが楽しければそれでいいという貧乏でバカにはなんちゃって教育が待っているのが日本だ。

点数に測れないことの存在を認めないのが日本の学校だ。

AIもロボットも宇宙も何かしら花形の理系分野でさえ、子供のころは入試勉強ばかりだったからねじ一つ閉められないのが工学部にいる。いま日本のロボットは世界の笑いものになっている。

中国人が言った。日本のロボットは面白くない。今度の学生世界大会では日本は一昨年の30位をとれない。実に面白くないロボットでつぎはぎだ。指導したくない学生たちだ。

 

不思議なことに、日本では興味を抱いて謎を解こうとするひたむきな努力は報われない。なんせ楽しければそれでいいのだからだ。それでいいのはあきらめた貧乏人だけだ。

理系少年よ、すべてに対しなぜかと考えろ。考える喜びが分かるのはいま日本では絶滅危惧種になった。

 

スリット。穴を通ったのか。同じ問題だろ。猫は生きているか。学校はその猫について夜通し議論する機会を奪いペットショップでかわいいかわいいといいつつ動物虐待に加担するのが良い子らしい。これじゃあバカも増えるな。

猫。死んでいて同時に生きていることはない。同時に両方存在するという人がいるが薬でもやってるのだ。

ふたを開けるときにのみ結果を知るという仮定だから猫は生きているときもあれば死んでいるときもある。実験回数を増やせば結果は確率上1/2に近づく。

あほな人はふたを開けるとき、あるいは開けない、あるいはいつ開けるかによって結論に影響されるから人為の排除は不可能だといった。結果がどちらかに偏るという人もいる。

 

違う。実際のこのような実験装置ができるはずない。すべて論理実験として頭の中で論理を組み立てねばならぬ。「神はサイコロを振らない。」。


Schrödingers Katze(シュレディンガーの猫)

2018年03月15日 | 学問
こういうことを仮定してみたらどうだろう。(double slit exam.)
 

① 絶対に銃弾を通さない鋼鉄の板に、その銃弾がぎりぎり通る近接した二つの穴が開いている。

② 的はこの鋼鉄に邪魔されて見えない。

③ ということは右の穴をねらっても左の穴を狙っても弾が的に届くことはない。

④ 弾は穴を通り抜けるとき進路に変化を起こすことはない。

 

さて弾が的(まと)に当たることはない、かな。この実験装置を同じ比率で大きくしても小さくしても結論に影響ない。的に変化はない。

ここで弾も多数の場合、ちゃんと穴をねらったのだからそれぞれ銃身の延長線上に弾痕は集中し的(まと)は健在なはずだ。

ところがどっこい、100億分の1の小さな銃がもしあったとしたら穴を通過後弾はあちこちに振られ池に石を投げ入れたような波紋が弾痕として広がる。摩擦とか引力とかは無視して考える。ななかにはなんと的に命中する奴が出てくる。

それどころか、なんと一発しか撃たなかったとしても命中する。近接した二つの穴のどちらを通ったかは分からない。ということが起こる。

飛行機で考える。なぜ500トンの飛行機が浮くか。時速80キロを超えると状況は変化する。空気はとてもドロドロした水あめのようになり翼は恐ろしい揚力を発生する。

空気中で手のひらを斜めにして手を振っても何の抵抗も感じないがそれを水あめの中でやったらどうだろう。空気は水あめになる。

世界が小さくなったり大きくなったり速くなったりすると、今の世界とは全然違う世界が広がる。

 

先ほどの銃の話。原子一発を撃てるほど小さい世界なら(100億分の1は大体その程度)、弾は的に当たる。

 

僕らの世界をずっと小さくするととても不思議で興味深い世界がある。一発の弾丸が絶対通らない鉄の壁をすり抜け、的に当たることがある。弾の位置はあいまいになり、ちゃっかり的に当たっていたりする。同時に外れた形跡も残す。

 

人は頭を使わないとどうでもいいことにこだわりだす。僕には頭があってよかった。皆さんもそうですね。

長くなるのでシュレディンガーは明日(風邪をひいたので回復してから)。方程式のほうはしません。

 


鍋島直正記念シンポジウム   2

2017年12月13日 | 学問

引用

1852年(嘉永5)わが国で初めて反射炉の建設を成功させ、大量の銃砲を購入し、西洋艦船の製造・購入に努めた。また蘭学(らんがく)を奨励し、種痘(しゅとう)を施行し、幕末に薩長土肥と通称される雄藩の実力を養った。藩政改革の成功の反面、幕末の幕府・朝廷をめぐる政争への介入には一貫して慎重であり、直正は1860年(万延1)の幕府の召命を固辞し、翌1861年(文久1)隠退して二男直大(なおひろ)に家督を譲った。その後も招きによって再三上京したが政争への参加には慎重であった。戊辰(ぼしん)戦争では、強力な軍事力によって官軍に重きをなし、大隈重信(おおくましげのぶ)、江藤新平(えとうしんぺい)ら藩の実力者を新政府に送り込んだ。

出処 日本大百科全書(ニッポニカ)

ということで、佐賀藩は薩長土肥のなんと雄藩に列せられた。実情はかなり違って、物は言いようだといういい例だ。

佐賀城内堀

会場のニューオータニの結婚式場

会場

上記の引用は嘘ではない。佐賀藩は日本一の武器、アームストロング砲を持っていた。他藩は先込め式でライフルリングのない関ヶ原以来のお粗末なものだった。上野の戦いはこの佐賀藩のアームストロング砲が決した。

つまり明治維新はこの砲の先から飛び出した。

他にも、好生館(日本最初の総合病院)、種痘、蒸気機関車(これも日本初)、反射炉による製鉄…。

磯田さんは遠慮してはっきり言わなかったが、問題は、直正が討幕か佐幕(幕府を助ける)か態度をはっきりさせなかったことだ。じっと状況を見てほぼほぼ勝敗が付いたところで勝ち馬に乗る。義(正しきこと)に生きる武士からすると、今までの生き方と正反対の行動だ。

僕はだから素晴らしいと思う。

どの社会、団体、会社、集団…。慣習を変えるとなると相当の覚悟がいる。その変化の時期が来るまではのらりくらり、批判を一身に浴びじっと耐える。

葉隠れとは、この苦しさを述べている。「武士道とは死ぬことと見つけたり」は一面真実であり受けもよい。だが死ぬこととは死ぬほどの苦しみということだ。

とくに佐賀の農村部では話しかけても必ず2秒おいて返事をする。北九州、マイナス0.5秒。人の話にかぶせずには話さない。福岡、0.5秒。宮崎、3秒。

直正は、ぼーっとした風体で印象のどこにも革新性はない。それがやるときはやる。勝ち馬に上手に乗ったとはいえ間違えたら死ぬ究極の判断だ。

その後も人材の輩出はとどまることを知らない。僕の好きな江藤新平、日本最大最古のODAつまり日本赤十字社を作った佐野常民、嫌いな大隈。

大隈記念館

大隈の生家(再建)

唯一その気風をよく受け継いでいるのが佐賀西高校だ。5回ぐらい出張したが、生徒を見ると、本当にお前は佐賀人かと思うほど理知的な顔立ち、控える態度、しつけの良さがわかる言葉遣い、肝心の偏差値。

佐賀西高のそばで銀杏を掃くおじさん

教室に行くと若い江藤新平がいる。直正、大隈もいるが佐藤尚武大使がいる。

ミサイル火星号は、佐賀に落ちてほしいがスーパーモリナガと佐賀西高に落ちてはいけない。

ケプラーについては明日。今日は流星をみる。

 

 

 


鍋島直正記念シンポジウム   1

2017年12月10日 | 学問

佐賀県庁

どの県も県庁付近は他県からの来庁者も多いので、とりわけきれいにしている。福岡県は無理に東区に建てたので環境がよくない。今のアクロス付近にあった時は交通の便もよく瀟洒な造りは印象が良かった。

今や中身も外見も下品になった。チャウシェスクが自分の名前を模したアパート群を立てたが、同様に当時の知事は自分の名前を模した県庁の作りにした。言い逃れは用意していて、黒川紀章がやったことにした。汚い公務員のアホ知恵だ。

佐賀もここまでひどくないが、鍋島公のお膝下に県庁を置くなど公務員は殿様気取りだ。逆に、わざとでも封建支配者の居城を避けたところに、民主県庁は位置するべきだが望むべくもない。

 

今回、シンポジウムの前に県庁付近を散歩した。その時の写真を並べる。

今回熊本からここに出張していたころを思い出した。会議は中身がないので一回も出たことはない。出席しない人が多かった。予算を残さず捨てればいいのだ。会議をしたという事実が必要なだけで、人がどこにいようと関係ないのだ。

ただホテル宿泊費は実費ではなく、職位によって差が付けられていて、若い僕の旅費は少なかった。先輩とニューオータニに泊まると足が出るので変だなと思っていた。先輩は逆におつりが出る。

ああ、僕も十分な出張旅費がもらえるまで公務員をするだろうか、と思うとなぜか実感がなかった。

闇給与全盛の時代であったから賃金格差もひどく、何より昇進すると給与表自体が違い、この出張旅費が給与に匹敵する額だった。今でもそうだ。だからカラ出張は続く。

なにも見せるものがない佐賀県だから、子供が笛を吹いたり原子力の煙を見たり、挙句の果てには本当に何もない干拓地を案内された。こんな空き地は困る。サボりようがない。予算消化、予算消化。

熊本県も同じ状況を抱えるから、出張旅費には気を遣う。佐賀県のバカ役人を受け入れないといけないから。

べつにこの2県に限ったことではない。九州全体をネットワークにして、互いに税金という蜜をなめあっている。部長は日本を、その上の知事は世界を、遊び出張カラ研修で飛び回る。

その悪の巣窟にも例外はいた。福岡県にはいない。文科省には絶対いない。このことを否定できるものならしてみろ。外部から言ったら承知しない。

その例外。僕より10年ぐらい上だったからもう退職したかもしれない。役職は忘れた。知事部局から内部出向して委員会に来ていた。

僕だけが雰囲気が違っていたのだろう。「先生は高校からですね。」という最初の言葉を覚えている。僕は否定したと思うが、あとは庁舎の後ろの庭や図書館あたりを散歩して大いに盛り上がった。

外から見るといいところばかりみえる。公務員は比較的楽な仕事だが天国ではない。少なくとも良心が残っている人にとっては。

人間は無駄と分かっていることをいくら金を貰うからと言って意欲的にやることはできない。良心が残っている人は。

人間はいけないことと分かっていることをいくら金を貰うからと言って意欲的にやることはできない。良心が残っている人は。

したがって、良心的な人は悩んでいる。まじめな公務員は悩んでいる。福岡県と文科省以外にはどこにもいる。

…みたいなことを話した。

 

ごく一部であっても彼らが管理職になった時、改革の核になる人だ。すべてを簡単にヒガミ根性丸出しに公務員を批判してはいけない。

 


The man who knew Infinity(奇蹟がくれた数式)

2017年11月13日 | 学問

 

準新作になったので借りてみた。日本では不人気作。ポチ安倍自身が学問に関心がない。だから国民もそうなる。邦題はつけてはいけないタイトルだ。洋画には場違いで間抜けな題が付くことが多い。内容をよく理解できないままつけるからだ。

インド人数学者ラマヌジャンは独学でのし上がり独創的な玉石混交の理論を組み立てる。独学で組み上げたのだから既成の既知の部分と重複があるのは当然で、むしろoriginalな部分に評価を与えねばならぬ。

オイラーの公式のネックになっていたところを結果的に解決する理論を打ち立てるなんて僕の想像のまさにinfinityの遠くにいる人だ。

彼の言葉。公式は作り出すものではない。掘りあてるものだ。

これを聞いたとき、彼の業績のほとんどを理解できない自分が恥ずかしかった。人間とは、生きていくうちに何と差が開く生物か。僕は彼の1/1000も掘り当ててない。

クルマで追い越されたことを怒りノミで突く作業員、かたや代入さえすればアトランダムな素数の出現をある程度予測できるようになる、その公式を発見するラマヌジャン。膨大な素粒子の圧縮であるブラックホールの動きを推定するのに役立っている。掛け算の九九を得たので計算なしに答えを得ることができるようになったのと同様だ。

 

まあ、ここまで読む人はかなりの教養のある人だ。

バイオハザードが準新作に落ちたぞ。わけわからんことを考えるよりアクション映画を見よう、そして馬鹿になろう。

 

本邦初公開のものを僕も紹介しよう。今日、庶民の食事を知るためにイオンの食い放題の食堂に行った。その時撮った、内縁の娘。

料理もよかったが植物性のものが多かった。それにしては貧乏人は短気者が多い。

 

 


ゆめぎんが

2017年11月03日 | 学問

多久市にほぼ隣接する武雄市に行った。住みやすい町日本一だと聞いた気がするので、そんなはずはない、佐賀にそんな所があるなんて、と思いながら町を散策した。

案の定スプロール化した無計画な新興住宅地と城のような豪華さを誇る農民の家。及びその農民のための保養所兼銭湯。温泉ともいう。住みやすさはない。道路沿いに並ぶ塩分だけのレストラン。狭いスーパー。本のない本屋。歩道のない道路。街に行こうにも1時間以上かかる。

前市長が画期的な行政を行った。議会が全く機能していないため、議員たちは中央仕込みの行政用語の速射砲に立ち向かうすべを知らず立ち向かってはいけないものだと思った。

樋渡(ひわたし)啓祐・前武雄市長(45)は元総務省官僚である。武雄市民は保守であれば無条件に許し共産党であれば無条件に嫌う。そういう思考しない市民に支えられ、TUTAYAと公立図書館の合体を図った。

本を読まなくなる時世であるから僕はこれだけはとても良いことだと思う。問題はその後である。

考えてもみろ。野心を持たずに中央官僚が武雄温泉に入りに来るか。案の定知事に立候補した。県民はそこまで馬鹿ではなかった。落選。が本人はもっと賢かった。TUTAYAと同じ親会社を持つ会社に栄転した。田舎市長レベルにしてはできすぎた栄転だ。

安部の言い逃れと似ている。証拠もないのにモノを言うな、と開き直っている。

いいか、樋渡。そういう天下りを”事後収賄”という。

市長としてTUTAYAに店舗を与え、その後関連企業に天下り。知事選で落選するなんて夢にも思わなかった、と思わず本音が出た。次は古川の後を追って国会議員のはずだったろう。

口八丁で世渡りをしようという樋渡。佐賀県警は動かない。能力がない。収賄するなら佐賀でしよう。

 

ところが、偶然にも武雄には佐賀県立宇宙博物館(ゆめぎんが)がある。5年前に行ったときよりお遊戯施設は減ったが展示が小規模になり子供が面白がるものはあるが、知的好奇心をそそるものは一層減っていた。

この頃は「ミー」がお気に入り。

正気かと思ったのは入場料が500円なのに対し、家の障子に映す影絵のようなプラネタリウムも500円だ。公務員のやることだ。

なぜもっと子供の夢をinspireするものを考えないのか。流星群を見せたか。模造品のロケットノズルを10年も展示するな。新しい宇宙ニュースはいくらでもある、しらせろよ。

ここは武雄だ。子供は知識に飢えている。

3億5千万年むかしからの便り。アンモナイト。大人は無感動だが子供は示準化石に胸躍らせる。巻いたの、真っすぐな奴、半分巻いたの。なぜかな、違いはなにかな、なぜいなくなったのかな。

いまだにわからないことだから、その子は最先端の研究をしているのだ。


Decolated Tumulus Museum

2017年07月01日 | 学問

福岡から高速1時間プラス、した道40分。

蓮まつりがあっていた

熊本県北部はとても素敵な限界集落が続く。これが日本の風景だなあとつくづく思った。大きな家だが平屋でちゃんとした瓦と生垣。福岡市内ならマンションが建つ敷地に平屋なんてなんという贅沢だろう。

コペン休憩中

植栽もよく手入れされ誠実な人柄がうかがわれた。

都市部は全く逆だ。庭らしい庭もなくあるのは数本の貝塚。傾斜のない豆腐のような家はここの平屋より低い2階建て。

限界集落なんて残酷な呼び名は役人の考えそうな言葉だ。自分たち為政者の失政によって田舎が廃村になっていくのに、土地を捨てる農民がいるのが原因だというための言葉だ。「限界集落」

鹿央町の物産館に行った。コペンは限界自動車だ。これ以上小さいとクルマの概念から外れる。窮屈を我慢して物産館について驚いた。夏休みの工作のような竹を削っただけの菜箸、600円。ばか。60円だろ。

公務員は恐ろしい。売れたら自分が忙しくなるから途方もない値段をつける。ほかの一切の商品の価格も常軌を逸していた。基本、下手な竹細工。客に失礼だ。

和水町(なごみ)は草鞋(わらじ)の生産で全国的に有名である。ネットをとおして世界にその名をとどろかせ外人のファンも多い。後継者を育てブランド力をつければ町の一大産業になる。現在全国の9割以上を生産。ここの草鞋がないと時代劇は撮れない。そう言った戦力になるものは置かず、老人会の文化祭に値段をつけて売っていた

パートの老人が竹トンボを売っていた。お情けで買う人は田舎をなめている。

九州北部だけにある装飾古墳群 勝手に移築して公園の土塁になっている

 

そのあと装飾古墳館に行った。外の古墳を一時間ぐらい見学し中に入ろうとしたが入館者は我々だけだ。なんとここでも420円。バカ。40円だろ。ルーブルは最近までタダだった。大英博物館も。

九州ではラーメンの大盛りが来る。公務員の感覚は毒に浸かっている。人数だけはごろごろいて高い給料を取り人のうわさ話と無駄な書類と昼寝で人生をすり減らし莫大な退職金を持ち逃げする。これは犯罪だ。

安藤忠雄さんの設計

 

実は僕は公務員として熊本にいたことがある。何一つ改善していない税盗体質。空しい。

 

 

 

 

 


誰も読まない「人権」について

2016年12月07日 | 学問

 

人権すなはち基本的人権とは、いかに成立したか。ちょっとおさらい。

18世紀になるまで先進国ですら平民、労働者、農奴たち国民の大多数を構成する貧乏人には権利自体が無かった、(途中略)が、市民革命を経て自由権を得た。

さらには20世紀的権利としてワイマールは生存権を基本的人権に加えた。(後略)

このように歴史的闘争の産物としてわれわれはその恵沢を受けている。この無条件に与えられれる人権というものは、一つ一つ獲得され続け今日の姿となったのである。

つまり、永久、絶対、無条件の権利というものは基本権の本質であり、土人の国はいざ知らず、人権の充実度はその国の精神性や生産性の高さを示す指標となった。

アホでも、ぐうたらでも、レレレのおじさんでも、もらえるのが生活保護である。

意外と不満は生活保護ぎりぎりの生活をする人間から出る。福岡市民は標準家庭で20万円/月だが、1000万の月収の人は無関心で関心は政治の本質に向く。ところが19万/月しか稼げないアホは火がついたようにもらい得を非難する。

それでもしっかり保身は考え、運転免許がタダの人に向かっては文句は言わない。

 

引用(抜粋)

朝日新聞デジタル2016 12/7(水) 8:39配信

 国民年金の保険料を滞納している人のうち9割以上が、所得が低いため申請すれば支払いの一部もしくは全額を免除される可能性が高いことが分かった。6日の参院厚生労働委員会で、・・・

引用終わり

こうなるといよいよ頭に血が上る。外車2台を持ち城のような家に住み生活保護をもらう。これには文句は言えないくせに。

悔しかったら自分が生活保護をもらえよ。第一教養が無いから的外れに騒ぐんだ。

何で飛行機が空を飛ぶんだと言って怒りだす現代のドンキホーテが増えつつある。飛行機とはそういうもんなんだよ。

(ベトナムの朝は早い)

 

僕はある程度、このネットで元気なドンキホーテたちの気持ちもわかる。一理あるじゃないか。一理だけだけど。

都会の一億の家は雑民が住むが、田舎は、一億円といえば城が建つ。土地がただだから。その人が月に20万の手当を市役所から受け、市役所の自分は死にそうに残業して19万。

たしかに不条理です。

だが基本権全体を削る行為は、日本を三等国に引きおろす行為である。医療費も然り。150万の手術の請求書が来たとき絶望したが実際の支払いは8万ですんだ。これが世界に誇る日本の社会保障だ。

どうでもいいことでぐうたら同士がいがみ合うのはやめろ。

ところで、

 

 

 

 

 


努力は報われない

2016年07月15日 | 学問

夢を見るのはよいことか。下手に夢を与えると、能力も無い奴がその気になり、努力のあげく敗北する。

モンスターペアレントは自分に学問が無いから学問が何かをしらず、したがって敬意を払わない。能力のない教員とことなかれの校長は、こぞって子供ちやほやゴッコをする。

モンスターはつけあがる。親、校長、教員。三位一体となり教育を破壊する。それは高校まで続く。とくにアッホ教員の多い何ちゃって高校いおいては。

学問をしている高校には、モンスターの居場所はなく、いたら、バカ恥をさらすだけである。

 

ボランティアはやめたはずの僕が、ちょっとした会に出る様になった。西鉄電車で行く。乗客を見渡すと、僕が40年前受けた試験と同じ試験の試験勉強をする若者がいた。いまはラストスパートの時期だ。

僕の本能だな。心の中でエールを送った。「くじけるなよ。」

僕の頃は、過去問とか、予想問題集とか、解説本とか一切なかった。だが、条件は同じだ。昔は、皆、例外なく無かったし、今は皆、例外なく教材を揃えたり予備校に行くのが可能だ。特権階級はいない。

いや、むしろ難易度は上がったか。アホノミクスのおかげで景気は良くなったそうだが、そしたらなぜ皆官吏になりたがる。ああ?安倍。

読者。おまいらも給料上がったんだろうね。

 

チェッカーズという歌のグループがいた。僕はその中の一人の担任だった。僕のことをよく覚えてくれて授業をしない先生とか定期考査の範囲が10行だったとかいってた。テレビで。

だが奴らは本当は優秀で、僕のレトリックを理解しよく本質をつかんだ。

大学よりはるかに楽しい時代であったし、僕の人生の一番楽しい時期になるだろう。

 

たいした大学ではないが、その大学の中に立命館大学というのがある。かつては狂犬ぞろいの大学だったが、このごろは飼いならされた羊が通う。

上の段で書いたチェッカーズの頃、聖子ちゃんの頃でもある。立命館を目指す生徒がいた。途中は省略して・・・彼は3浪した。

昔のことだ。携帯だ、スマホだといった、繋がらないと不安な時代はまだ来てない。合格通知は格好の学生のアルバイトだ。

発表を見て、あらかじめ入試の時とかに申し込んでおいた受験生に、合否の電報を送る。そんなシステムがあった。入試のとき、校門に机を並べ2回生3回生が受け付けていた。

昔のことだ。しかも超アナログ。学生は合格発表を見て電報を打とうとしたとき、その3浪生の合格を見落としてしまった。

3浪生はもう耐えられなかった。自宅で首をつった翌朝、届いたのは合格通知だった。

 

 

 

 

 


絵馬

2016年02月20日 | 学問

ほんの3,40年前までよくみかけたことだ。都会で塾だ補習だ課外だと無理やり詰め込んで合格してくるガリ勉君は入学後は伸びなかった。確実に田舎ののんびり組が3年生になると差をつけて先頭を走っていた。

地方が創生するそうだからこう言う天才も増えるだろう。ばか。

人参をぶら下げて無理に走らせても、エサのために走る馬は息切れする。ダービーのどこに人参を下げた馬がいるか。

今、僕は、よく秋月に名水を汲みに行く。数十年前仕事でこの道を毎日通った。学校に勤めていたのだ。数学を解きあって、かならずのように参りましたと思う生徒がいた。こういう生徒は人間も出来ている。優れものの生徒も僕も、馬鹿のくせにかっこつける、細かいことが頭がいいと信じ込む、ポンスケ共を見てこっそり笑った。

数学の一行が延々と続く畑より広かった。

僕も解けないことが多い。僕は数学の先生ではなく趣味なだけだ。しかし二人で解いているといつしか外は暗くなり、送っていくことが多かった。翌日には解いてくるからとても悔しい。

たとえ僕が解けなかった問題でも僕が述べた大きな方向性が役立つと、彼はきちんと僕を尊敬した。解く苦しさや解けた喜びは、詰め込まれていないから心からのものだ。

頭のいいフリをしているかっこつけの先生は瞬時に見抜かれ相手にされない。哀しいことだがバカ低能教師は、そうでもしないと自分の居場所がないのだろう。

学問は、いい訳ばかりする目立ちたがりには向いていない。

江戸時代であっても、解ける喜びを共有したいというひそかな学究心は、目立ちはしないが確実に人々の中に潜在していた。

心得のあるやつはこれでもかという問題を絵馬にして出題した。

3月下旬までおかずはただだ。カラシナ 

明日「絵馬2」を書きますので数学との相性の悪い人は以下は飛ばしてください。ただし、問題に挑戦する人は、解けるまで明日の解答を見ないこと。

 

① 直角三角形abcに内接する半径rの円がある。rをabcを使ってあらわせ。(ヒント、ヘロン)

② 直線上に二つの円がある。この二つの円も相互に接している。二つの円が直線に接する接点の距離を求めよ。

絶対不可能と思われた問題も、どこかの誰かが翌年には必ず解いた。そうして年々この絵馬競争のレベルは向上した。明治以降の近代化の見えない力になったといわれている。

①は高校の理系じゃないと無理です。②は三平方の定理を知っていれば小学生でもOK。

 

会社にはゴミがいる。現場に来ないでただガンバレ、ガンバレと意味も分からず檄を飛ばす低能。僕はそんな奴に言いたい。僕と問題、解こうじゃないの。解法を見てから偉そうにバカが解説する。自分のバカを棚に上げちゃあいかんぞ。

ゴミのない会社は清潔だ。日本のためにも大掃除が必要だな。