か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

声に出して読みたくない日本語

2017年11月29日 | 社会・経済

外国語を教えているといつも突き当たるのは日本語の壁だ。

 第三者からよく言われるのは、「日本語には例外やあいまいな点が多くて…」。

例外はどの言語にもある。ギリシャ語は動詞の半分が不規則活用である。しかも、英語みたいに不規則性に「型」というものがあまりない。

日本語で言う。代名詞を例にすると、「ここ、そこ、あこ」とはならない。「ここ、そこ、あそこ」だ。「あそこ」というときだけ「そ」が入る。これには理由もないし規則性もない。語学はつまるところ覚えて慣れるしかない。

じゃあ、覚えのいいものが上達が早いかというとそうでもない。アグネス・チャンがいい例で、いつまでたっても日本語が上達しない。

気の毒だが頭だ。頭が悪いと一つ習ったことを多くに応用しようとしないので疑問がわかない、黙る、すると下手のままだ。

さらには頭が悪いと論理的思考に時間がかかり、あまりながい論理について来られないし並列的な思考はほぼ不可能だ。日本語はまさにその論理的な言語である。合理性はないが論理性はある。ドイツ語と似ている。ドイツ語で、男性三格になぜsが付くか、と言ってもしょうがない。日本語で、用言はなぜ5段も活用するのか、3段でいい、と言ってもしょうがない。言語に合理性が求められたのは、近代以降である。

 

 一方で善人ぶりっ子が、その日本語を弄り回してよい子アピールに利用しようと頑張っている。これも吐き気がして僕の健康を害している。

10月30日 朝日新聞

消火→火を消す  避難所→逃げるところ   というように外人のために表記を改めていく。

〔引用終わり〕

日本人が難しいと考えるところと、外国人がそう考えるところは異なる。「火を消す」という言葉は文章であり日本語を構造的に理解してないと意味がとれない。世界でもまれな「助詞」というものの理解がないと、「火」が何かを「消す」と誤解する。その点「消火」は、単語一つの理解でたりる。

少なくとも漢字圏では消火と言えば漢字を見てわかる。日本語の文の構造まで知らないとわからないような「火を消す」はやめたがいい。火+を+消すの3語の理解がいる。

避難所も同様で、逃げる(連体形)+ところ。この「ところ」が問題だ。ところには、at that time の意味がある。「逃げるところだ」は、「逃げようとしている」と解釈するのが自然だ。

逃げるの終止形と連体形の違いに合わせ、意味が多様な「ところ」を使うといよいよ解釈が分散する。外人の下手な日本語能力ではなおさらだ。

つまり、外人には「避難」よりも活用する「逃げる」という言葉がはるかに理解困難だ。字画が少ない言葉は簡単だと思うのは、その人の頭が簡単にできているからだ。

外国人の不安に寄り添う、なんて良い子ぶるのは本当に吐きそうだ。せっかく食ったものがもったいない。

偽善朝日新聞の喜びそうなことだ。

 

ところが朝日の文化欄は最高で他社と比較すると人間と微生物の差がある。

狐鳴く村の本屋のありし跡今日も降り積むいちょうの落ち葉   杵築市 長野なをみ  朝日歌壇

 


川井郁子(Vn) Musica reale : 千住真理子(Vn)&山洞智(Pf)

2017年11月24日 | 音楽

音楽会は帰りがかなり遅くなる。これがまたいいもんだ。人も車もDQNもいなくなった佐賀県を自分のライトだけに導かれて走る。楽器が鳴りやんでも至福の時間は続く。家につくまで。

川井さんの指は細かった。だけど気が遠くなるような努力と厳しい指導に耐えた指だ。やや大ぶりのビブラート、みなさんご存知の大仰なジェスチャー。別の日に千住(せんじゅ)さんを聞いたが、おおらかな人柄が出た演奏で、氏より育ちと実感する。

博多駅のコンコースの柱のデザインは千住さんのお兄さんの作品だ。

音響抜群 椅子が狭い

僕ら素人は誰の演奏を聞いても同じに聞こえるから、踊りながら弾くとはいい思い付きだ。だがこの世界は新しいことをすると決まって下手くそたちが僻む。やっかみや妬みに耐えることは実は練習の一部なのだ。とくに女性は陰湿な嫌がらせに耐えねばならぬ。

川井さんは、強い人だ。

僕の場合だが、人生にはこれでもかというほど緊張するときがあった。発表会。そんなとき僕は、意図的に外見も心も貧しい人々をまず憐れむ。そしてこう思う。そんなアホに比べたら、僕は何という素晴らしい努力をして、誠実に生きたことだろう。だからこそ、

負けられない。負けないではなく、バカくそと同じなんて死んだほうがましだ、負けられない。毎週バイオリンのお稽古に通った努力をここで無にしてはならないし無になるはずがない。もちろん天才ではないので苦しいこともたくさんあった。だから負けられない。

無理にでもそう思うと緊張は消えた。

演奏者は男が多かったせいか、あまり歪んだ競争心はなかった。僕は地底をはう虫たちと少しでも差を広げたかった。若干であれ他人より少しでも優れたいとは、みんな思っているはずだ。負けたい人はいない。負けたいなんて、負ける人の言い逃れだ。

 

まあ、平均的な練習生の気持ちだったろう。昭和30年代はまだまだ不潔虫がたくさんいて、はだしで学校に行きDDTを頭から振りかけられていた。

天才というものと上手というものは、さらに根本的に違う。天才は、のみこみとひらめきが連続している。川井さんも千住さんもそれぞれ個性があり、ストラジを弾いていたので二人の違いが際立った。川井さんほどになってもバイオリンは借り物だ。10億。1丁が10億円。いくら天才でも10億は困難だ。

公的援助は0である。

当然コンサート代は高くなる。貧乏人は行けない。千住さんのコンサートはSSで4万円。高い方からあっという間に売り切れる。

国家的援助体制が必要だ。WIENには1700年からある。安倍は大学予算を大幅に削減した。戦車や大砲で一等国になるのではない。安倍になってから日本の品格は確実に下がった。

会場付属の庭園

不潔虫が教養をつける日は来ない。ほんとは4万円が出せない人はいないがその無教養のせいで、エロDVD100回借りたほうがいいもん、と思うだろ。

クルマで追い越されたぐらいで腹を立て人の腹をノミで刺す人が、豊かで至福の時が人生にはあるのだと知ったら、日本は穏やかになる。

いいか。佐賀県ですらこんな素敵な世界がある。僕はアンコールで涙した。

国民の教養を高めるのに心を割いてない育ちの悪い安倍は、芸術の偉大さが永遠にわからない。

 

 


ウソはしきりと絶叫する   35

2017年11月22日 | 韓国

(韓国にも様々な意見があることをわかってほしくて訳しています。日本の悪口ばかり言っているのではなく理性的部分があることを日本人はもっと知るべきです 知能の低いのが吠えているだけです 日本も同様です からけん)

 (「韓国近現代史」金星出版社:日本の支配を弾圧と圧政と韓国の富の収奪に終始した暗黒時代とする)

(「対案教科書」教科書フォーラム:植民地時代に成し遂げられた韓国の近代化を隠すことは歴史の歪曲だとする 韓国の近代化にいかに多くの日本人が貢献しているかなども取り上げ、日本帝国は、弾圧一辺倒だったとは教えない)

金星出版社発刊 高等学校歴史教科書問題点是正請求  (転載記事)

金星出版社発刊高等学校歴史教科書「韓国近代史」問題点是正要求が提起された。

私たちの教科書フォーラムは2005年1月創立されて以来、現行高等学校用歴史教科書「韓国近現代史」に関連して、子供たちが学ぶにあたっては、不適切な内容が入っているなど深刻な問題があることを一貫して主張してきた。その中でも特にわが国(韓国)の中では最も多くの学校が採択している「高等学校韓国近現代史」の場合、一部分を修正したにもかかわらず、変更と歪曲がひどいものだと思われる。

我々はこのような内容が判断力が未熟な学生たちにそのまま教えられるとき問題が起きると思う。歪曲された事実と間違った歴史観を学びそのまま成長した学生が、どうして自慢できる大韓民国の国民としての在り方を堅持して生きて行けようか。大韓民国のまともな未来設計などできる能力を持ち得ようか。

以上のような問題意識を土台に私達教科書フォーラムは、貴 当局に次のように強く要求する。「金星出版社」発刊 「韓国近・現代史」の教科書の問題点に関し「教科書フォーラム」の問題提起が正当なものであると判断されるときには遅滞なく必要な是正措置をいただくよう望む。

教科書フォーラム共同代表 朴ヒョージュン教授 ソウル大学 イヨンフン教授 ソウル大 チャサンチョル教授 忠南大学 

運営委員 (13名 からけんが省略)

出処、原文 金星出版社発刊 高校歴史教科書 韓国近現代史 問題点是正請願

 

青少年が歪曲した歴史の評価を習っているとしたら身の震えを覚える (転載記事)

ハンナラ党パククネ前代表は26日、「青少年が歪曲した歴史の解釈を習っているとしたら身の震えを覚える。」と述べた。

朴前代表はこの日、世宗文化会館において開かれた教科書フォーラム主催で、対案の教科書の出版記念会にで次のようなことを明らかにした。「歪曲した歴史を学んだ学生たちが果たしてどんな価値観を持つようになるのであろうか。この状態を正すこと以上に重要なことがあろうか。」

朴前代表はまた、「歴史教科書こそ青少年の歴史観と国家観に大きな影響力を持つ、いわば国民の魂を創造する未来への羅針盤、」と言い「この本(対案歴史教科書、フォーラム側)の出版こそ最も重要な意味があり、後日これ自体がまた一つの歴史として記録されるものになろうと思う。」と指摘した。

ニューライト系列である教科書フォーラムがリードして作った「近現代史対案教科書」は植民地近代化論に根拠を置く日本帝国主義を評価するなど論争の火種も残している。

 

次回用メモ   21から ©からけん ( )内は、からけんが付けました。

 

 


わからないとき

2017年11月18日 | 日常

特別支援学校の生徒の詩が文化祭で発表された。

 

わからないとき

わからないといはバスていのいろ

わからないとき

わからないときは きいろいバスていのいろ

ぼくのよくわからないときは きいろいバスていのいろ

 

ここでのバス停とは路線バスではなく送迎バスのバス停です

 

 

このての学校には褒めて褒めて褒め殺して自分の高い給料を確保しようとする、善人面した悪魔が巣くっている。良くもないのに褒め、面白くもないのに笑う。仮面をかぶった悪魔、「善魔」、教員。

この偽善のるつぼで一番素直なのは生徒たちだ。人手は余っている。だがそれを言うと誰かが転勤になり給料の低い職場へ行く。恨まれる。その転勤該当が、改善を言い出した自分になったら笑えない喜劇だ。すべて沈黙は金。

そこで忙しいふりをする。実際、無駄に忙しい。だが、そのぶりっ子仕事をなくし校内人事配置やカリキュラムを最適化すれば、一部へのしわ寄せはなくなる。だが、・・・

そのしわ寄せの極値が、やけになった人殺しとして表れている。人はいくら収入が多くとも、人の役に立ちたいという本質をなくした仕事をしていると精神は、跛行する。

生徒より先生に気違いが多い。

「善魔」(善人面した悪魔、先生)は必要以上の声の大きさで死んだ〇〇ちゃんを嘆く。

 

なにがあってもなにも変わらないように、生徒たちは日々を過ごす。保護者、とくに母親は自分を責める。こんな子に産んだのは私だ、と。「善魔」は、軽くそんなことはありませんと顔だけ同情して言う。父親はこんな面倒からはとっくの昔に逃げ、若いピチピチとつるむ。

 

障害児の生徒には、状況が分かろうものか。生徒は、「わからないとき」と題して詩を書いていた。すべてがわからないのだ。

なぜここにいるか、なぜお父さんはいなくなったか、なぜお母さんは時々隠れて泣くか、なぜお迎えのバスは遅れたか、なぜ食う暇も与えず楽しいね楽しいねと横から口出しするか、帰りのバスから降りた後で見える先生の顔が死人のように冷たいのか。…

すべての彼の疑問は同じ大きさの不安であり、波のように絶えることなく次々と彼を襲う。

長い間、じっとバス停を見ていたのだ。よくわからなくなって。

少なくとも、善魔たちの言う楽しい世界は幻だと知りつつ。

 


ムラの縛り 2

2017年11月16日 | 思想

両肩を木々でこすりながらでないと、通り抜けることができない。このような、手入れをしない杉林が、日本の通常の山林の姿だ。間伐しないということは当然密植状態になる。

手入れには、まず下草刈り。これはまだ簡単だ。だが死ぬほどの長時間の作業になる。九州のような小さい島でも350~500町歩(ほぼそのままヘクタール、100m✖100mが1ヘクタール)を一人が所有する。

山を見渡しても他人の土地が見えないということが普通にある。

地獄の作業は間伐。これにはまず道路づくりから入る。ブルがひっくり返ったら確実に死ぬ。違うという人はうちのブルで轢くから。

木を倒す方向を見定めて後の作業の段取りを考え電動で切るが、できる人はもうほとんどいない。営林署は民間を助けない。命令ばかりだ。

30度といえばかなりの急斜面だ。はじめていく人は、崖だったとみんな言う。そこに延べ5キロの道をつけ、軽トラに間伐材を満載しすさまじい悪路を往復して、たいてい転落死する。悲しいじいちゃんの最後だ。

取り付けたばかりの道路はふわふわ、ツルツル、ズボズボだ。

ブルも運搬機も、プリウスの値段じゃ中古も来ない。

マッカーサーの忘れ物だ。農地は解放しても山林は朝鮮戦争が勃発しうやむやになった。

じゃあ、どうすればいいのか。と考えるのはアホだな。すでに山は死んでいる。僕はスギ林で一度も動物を見たこともない。空も見えない。

表土の少ないところに植林したので倒れたら倒れたまま、枝分かれもほったらかし。20年前に植林して以来一度も来たことはない。針葉樹は葉先から微量の青酸を出す。生態系のない死の森で森林浴をするがいい。

売れるところは全部売った。山林原野に関する法律は政治家たちのゴルフ遊びのため改正された。さあ、地図を見るがいい。いかに、どこでも、むやみに、ちんけな、ゴルフ場ができているか。

つまり、急斜面の、じいちゃん殺しの、カネにならない、山が残った。

JAにコネで入った息子は山仕事をしない。当たり前だ。人に死ねと誰が言えよう。

荒れた急斜面は人間に報復した。

タイトル画像及びこの画像は、朝倉市とは関係ありません

人は年をとるほど賢くなるが、世代を重ねても賢くならない。江戸からの里山活用の知恵は今、消えた。里山は、芝生になり、小さな白いボールが転がる素敵な別世界になった。

世界的にも貴重な広葉樹林帯を経済効率だけを求め針葉樹にし、さらに伐採しボールの穴入れごっこの遊び場にして保水力をなくし、あるいは放置し、人殺しの流木を生んだ。

山木が立ったまま滑って里に降りてきた、住民の声だ。いかに根が浅かったか。

朝倉大水害、九州北部豪雨の犠牲者は、ほとんどが流木による圧死である。水死ではない。

 

 


ムラの縛り

2017年11月15日 | 思想

田舎は家々が離れている。点在する家にはたいてい犬がいて、しつけが悪いのでよく吠える。バイクで田舎に行くのは好きだが、この犬は迷惑だ。

🐒もよく出るがガンガン空ぶかしをするとたいてい姿を消す。犬はそうはいかぬ。かえって余計に吠え出しエンジンと張り合う。僕はその犬がつながれていないことに気が付くと、途端によいこになって、ごめんごめんと唱えながらその場を去る。

バイクにまたがっていたらどうしようもない。とくに坂道に停車したとき。

大体状況は悪い方に進む。飼い主が出てきて犬に代わって人間が吠えだす。

田舎人は、よそ者に対し何をしてもよく、何をしなくてもいい。ところがムラの知り合いに対しては、何か失敗はしてないか、うわさされていることはないか、びくびくして暮らしている。

平成の世でも村八分は江戸の話ではない。話をするといえばその場にいない人の悪口しか言わないくせに自分は人から悪口を言われてないかおびえている。

婚姻は人生最大の虚勢の張り合いとなる。溝にカネを捨て必死に作り笑いをして酒に酔ったふりをする。

無教養は犯罪だ。お上すなはちJAの言うことに逆らったら生きていけない。学校ではそれを「結(ゆい)」と美化して教え、実際は相互に首を絞めあう地獄のゲットーの強制労働だ。なぜならそこでは人と違うことが罪悪なのだ。この縛りがある以上、農業が会社化されることはない。

カネなら今でもある。カネはあるが嫁は来ない。向上心をもって最新の実験的農法を試すこともできない。消費者は世界の価格の7倍のコメを食わされる。農水省の失敗農政と、票田にしてきた自民党が変化を嫌ったせいである。

しかし、一義的な責任は農民本人にある。

改革しようとする人はいた。もちろん失敗した。法律の改正がなければ不可能だ。農業基本法から続く経営規模の拡大に夢を託す、机上の官僚空論が重しになっている。

それと、変化の不可能性の原因は、村の縛りだ。

 

なぜ水害で家族が死んでも村民は何も言わないか。みんな原因はわかりきっている。山を針葉樹の密植状態にしたからだ。そこに生態系はない。山における略奪農法だ。

根を張らない針葉樹。それでもちゃんと間引いた50年物の大木は、むしろ山崩れをそこでとどめている。農水省が砂防ダムを作り建設業者を潤し自分ら役人の天下り先にしている。朝倉の山に行って砂防ダムを見てくればいい。崩れていない山には砂防ダムはなくとも広葉樹があるのだ。

ここが一番重要な点だ。

なぜ水害で家族が死んでも村民は何も言わないか。

本人もそんな山の所有者だからだ。ムラに加害者と被害者は共存できない。

吠えるのは犬だけだ。


The man who knew Infinity(奇蹟がくれた数式)

2017年11月13日 | 学問

 

準新作になったので借りてみた。日本では不人気作。ポチ安倍自身が学問に関心がない。だから国民もそうなる。邦題はつけてはいけないタイトルだ。洋画には場違いで間抜けな題が付くことが多い。内容をよく理解できないままつけるからだ。

インド人数学者ラマヌジャンは独学でのし上がり独創的な玉石混交の理論を組み立てる。独学で組み上げたのだから既成の既知の部分と重複があるのは当然で、むしろoriginalな部分に評価を与えねばならぬ。

オイラーの公式のネックになっていたところを結果的に解決する理論を打ち立てるなんて僕の想像のまさにinfinityの遠くにいる人だ。

彼の言葉。公式は作り出すものではない。掘りあてるものだ。

これを聞いたとき、彼の業績のほとんどを理解できない自分が恥ずかしかった。人間とは、生きていくうちに何と差が開く生物か。僕は彼の1/1000も掘り当ててない。

クルマで追い越されたことを怒りノミで突く作業員、かたや代入さえすればアトランダムな素数の出現をある程度予測できるようになる、その公式を発見するラマヌジャン。膨大な素粒子の圧縮であるブラックホールの動きを推定するのに役立っている。掛け算の九九を得たので計算なしに答えを得ることができるようになったのと同様だ。

 

まあ、ここまで読む人はかなりの教養のある人だ。

バイオハザードが準新作に落ちたぞ。わけわからんことを考えるよりアクション映画を見よう、そして馬鹿になろう。

 

本邦初公開のものを僕も紹介しよう。今日、庶民の食事を知るためにイオンの食い放題の食堂に行った。その時撮った、内縁の娘。

料理もよかったが植物性のものが多かった。それにしては貧乏人は短気者が多い。

 

 


貧乏人のくせにマネするな

2017年11月11日 | 音楽

金持ちを見れば僻みたくなる。

負け惜しみに、貧しい男が金持ちの真の姿なんか知らないくせに、"フェラーリでその人を判断するなんて…”、とかいってイソップのすっぱいブドウの話しのように、無理に自分を納得させる。

金持は、お前らぐうたらなんかよりよっぽど真面目に生きているぞ。

その貧しい人。フェラーリは持たないだろうが乗ったことぐらいあるか。・・・・ない。まれにフェラーリは、間違えて金持ちになった一代限りのコガネモチが乗るから資源の浪費になっている。貧乏人はうつむいて歯をかみしめて絶望し、フェラーリの堅実さを知らずに死ぬ。

コスモスに買い物に行くときだけは不便だ。入口が入らない。(幅と段差)それ以外のときは便利で素敵な車だ。阿蘇の山並みはフロントガラスに映画のように映る。信じてもらえないが、フェラーリは堅実な車であり僕はその真面目さが好きだ。馬鹿にはもったいない。EUROPEでは品位のある人が乗っている。そのひと達は頭が低いがメカには詳しいので話して飽きない。

バカが運転するから燃費が悪くなるのであって。8~10は常に走る。250㌔/hour がなぜ必要かという人がいるが、どうぞFITにお乗りくださいまし。

最近のフェラーリはあれこれOPTIONSがついたが、世界的潮流であってもけしからん話だ。自動車が自動車文化を破壊している。だがまだ他車との差は歴然だ。100均で買ったスプーンの様な軽の方向指示器のレバーは悲しい。

 危険なのは何か。フェラーリは事故のときめったに死ぬことはない。

しかし他のクルマの話だが、宮城県の人は追い越されたことに腹を立てノミで刺した。ほとんど死ぬ。福岡県中間市のDQNは高速で停車させ後続車に轢き殺させた。

日本では4000人/年死んでいるからこの手のDQNはごく一部であると主張するあさましいのがいるが、最も防げる事故は防いだ方がよいのだ。

ところが、フェラーリに追い越されたからといってノミを持って刺す人はいない。いたとしても窓ガラスが割れるより早く警察が来る。そのDQNは半年後あたり、ふとした運転操作のあやまりで堤防から落ちて死ぬ。自損事故。これ本当の意味で自損事故。事件性はなしと警察は言う。

 モノは持つべき人が持ってはじめて素晴らしくなる、という話の続き。

いま中国人が、分かりもしないくせにバイオリンを買いあさっている。安倍は科学とか芸術の素養がなくあまり期待されない人間として育った。

そこで、明治以来日本人がその演奏技術を評価され、カネの力でなく実力で受け継いだバイオリンの名器(仮にここではストラジ)が、中国に消えている。10倍払うから売ってくれ。その一言に日本にせっかく集まった名器が消える。下品な日本人は、カネさえもらえばはいはいとうなづく。そんな奴はノミで刺し殺してよい。

よい楽器で練習しないと絶対に上達しない。ストラジは買った瞬間に値上がりする。100万が1000万になっても食指は動かないが、1000万が1億、10億になったらどうだ。

中国人は音をカネで買うのではなく、カネでカネを買っている。ストラジの相場は高騰し下がらない。

最も困る点は若い演奏家に良い楽器がいきわたらないことなのだ。千住さんや高島さんは個人的に活動されているが、オーストリアのような国家的支援体制がない。だからいつまでも3流国なのだ。

日本人よ。年末に意味もわからず下品な自己否定の第9をうたうな。NEW YEARS CONCERT IM  WIENを聞きなさい。コンサートはS席の中央で聞かなければ意味がない。家のCDごときで聞いても入場する音がするか。チューニングの音がするか。楽譜をめくる音がするか。

ストラジを構えるときのわずかな指の音。燕尾服の擦れる音。絹のドレスのフープがそよぐ音。観客の上質なwoolに包まれた最高の吸音材が奏者のアドレナリンになる。気持ちがのった時の奏者の顔は鬼気迫るものがある。

 

安部は芸術学問の分野に全く関心がない。関心は、産業の発展という昭和30年の蒸し返しと国防にしかなく、馬鹿の一つ覚えだ。

さらに下手ほどそうだが、芸術家は安倍が何をしようと関心がない。ここが世界の一流に追いつけない壁になっている。

 


女は占いに頼る

2017年11月07日 | 東洋歴史

朝鮮戦争時、一時的に北朝鮮が優勢な時があった。韓国軍は最初っから戦闘能力はない。空海軍はゼロ。ジェットの操縦経験があるものはひとりもいない。

負けていないものが一つあり、それは戦死者数だ。弾はすぐ切れ、互いに銃剣で刺しあい世界の戦史において最後の白兵戦が行われた。鳥羽伏見の戦いのほうが近代戦といえた。

ご存知のように、帝国陸軍がマッカーサーに入れ知恵をし海図と地図を提供した。無能な李承晩は効率的な利敵行為をし敗戦を早めた。

マッカーサーに戦略はなく、誰でも勝てる詳細な情報を日本から得ていただけだ。

釜山は朝鮮全土からの難民集積所となり、はぐれたものは行き場を失い死体となって路上に放置された。傀儡李承晩は、祖国の非常事態に関心はなくカウボーイ気取りで真っ先に進軍し真っ先に退却することを繰り返した。

 

釜山に影島橋がある。戦火に引き裂かれる家族は、分かれ際に「影島橋のたもとで」という言葉を残し散り散りになった。

影島橋は尋ね人の張り紙でハリネズミのようになった。インチキであったり本物であったりしたがとにかく自然と占い師が集まることになる。

離散した家族は命がけで家族を探しているわけだから、いい加減なことを言うと占い師も命がない。今も近くに占いstreetが残るが、淘汰されて生き残った人たちだけにその的中率の高さに定評がある。

 今は女性が恋愛相談をする場合とか、主人が浮気をしてませんかとか、彼とはうまく続いていけるでしょうか、とか平和な占いになった。

 

日本のテレビは面白くとくにCMのレベルの高さに驚く。世界水準だ。だが今朝見たら時差がない国なので同時刻に見られるのだが、占いコーナーがあり「うお座の人は赤いものを身につけましょう…」と言っていた。

韓国では土俗的信仰を公共の電波を使って人に強制しない。尋ねてもないものに対して強制しない。

僕は占い師たちの教養の高さを知っている。字が美しく速い。言葉が豊富で比喩の古典がスラスラ出る。

試しに親しくなったばあちゃんに聞いてみた。僕の出た幼稚園分かりますか。青空幼稚園。即答だった。

 

 


ゆめぎんが

2017年11月03日 | 学問

多久市にほぼ隣接する武雄市に行った。住みやすい町日本一だと聞いた気がするので、そんなはずはない、佐賀にそんな所があるなんて、と思いながら町を散策した。

案の定スプロール化した無計画な新興住宅地と城のような豪華さを誇る農民の家。及びその農民のための保養所兼銭湯。温泉ともいう。住みやすさはない。道路沿いに並ぶ塩分だけのレストラン。狭いスーパー。本のない本屋。歩道のない道路。街に行こうにも1時間以上かかる。

前市長が画期的な行政を行った。議会が全く機能していないため、議員たちは中央仕込みの行政用語の速射砲に立ち向かうすべを知らず立ち向かってはいけないものだと思った。

樋渡(ひわたし)啓祐・前武雄市長(45)は元総務省官僚である。武雄市民は保守であれば無条件に許し共産党であれば無条件に嫌う。そういう思考しない市民に支えられ、TUTAYAと公立図書館の合体を図った。

本を読まなくなる時世であるから僕はこれだけはとても良いことだと思う。問題はその後である。

考えてもみろ。野心を持たずに中央官僚が武雄温泉に入りに来るか。案の定知事に立候補した。県民はそこまで馬鹿ではなかった。落選。が本人はもっと賢かった。TUTAYAと同じ親会社を持つ会社に栄転した。田舎市長レベルにしてはできすぎた栄転だ。

安部の言い逃れと似ている。証拠もないのにモノを言うな、と開き直っている。

いいか、樋渡。そういう天下りを”事後収賄”という。

市長としてTUTAYAに店舗を与え、その後関連企業に天下り。知事選で落選するなんて夢にも思わなかった、と思わず本音が出た。次は古川の後を追って国会議員のはずだったろう。

口八丁で世渡りをしようという樋渡。佐賀県警は動かない。能力がない。収賄するなら佐賀でしよう。

 

ところが、偶然にも武雄には佐賀県立宇宙博物館(ゆめぎんが)がある。5年前に行ったときよりお遊戯施設は減ったが展示が小規模になり子供が面白がるものはあるが、知的好奇心をそそるものは一層減っていた。

この頃は「ミー」がお気に入り。

正気かと思ったのは入場料が500円なのに対し、家の障子に映す影絵のようなプラネタリウムも500円だ。公務員のやることだ。

なぜもっと子供の夢をinspireするものを考えないのか。流星群を見せたか。模造品のロケットノズルを10年も展示するな。新しい宇宙ニュースはいくらでもある、しらせろよ。

ここは武雄だ。子供は知識に飢えている。

3億5千万年むかしからの便り。アンモナイト。大人は無感動だが子供は示準化石に胸躍らせる。巻いたの、真っすぐな奴、半分巻いたの。なぜかな、違いはなにかな、なぜいなくなったのかな。

いまだにわからないことだから、その子は最先端の研究をしているのだ。


饕餮(とうてつ)

2017年11月02日 | 思想

饕餮(とうてつ、拼音: tāotiè)とは、中国神話の怪物。 体は牛か羊で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。 饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。 何でも食べる猛獣。

                                 By WIKI

 

佐賀県多久市にある孔子の聖廟に行った。30年ぐらい前、よちよち歩きの子供の手を引いてこの聖廟に行った。その間、改装を経ていろんな箱モノができていた。

孔子の言葉は端的だ。そして胸に刺さる。バカには刺さらない。


真面目に生きることに対する課題は、今と変わらないと思う。

 

僕はこのブログは真面目なブログだと思う。井上陽水の歌に「さがしものはなんですか」という歌があった。頭を使わずに楽をして面白おかしく生きようとすると、結局その生きるネタを探し「探しもの」をし続けることになる。このブログにはちゃんと読んで考えてくださる方がいて、書くエネルギーとなっている。

本当に発展していく思想なら「探しもの」に腐心するほど事実はいらない。

 

子曰、巧言令色、鮮矣仁。(口がうまくてイケメンは思いやりに欠ける)

仁とは、人間の精神の中身のすべてである。外見にひかれるとケガをするぞ。誑し込む甘言は場数を踏めば上手になる。そういう惑わす言葉抜きに人を見よう、ということだ。
 
即答するのが偉いな、孔子さん。
 
 
 
 
食を忘れて憤りを発し、憂いを忘れもって楽しむ、よりてまさに至れり、老いを知らず
( 食べることも忘れるほど怒り、楽しむときはすべてを忘れて楽しむ。そんな人が老け込むはずない。)
 
 
さらには、ぼーっと生きていると、気弱な人を人格者と錯覚する。孔子はそれも嫌った。

「君子よく人を憎む」
 
何十個も代表的な論語の言葉があった。11月15日から紅葉がきれいで店も出るそうだ。
 
 
僕の心をとらえて離さないのは、饕餮(とうてつ)。
 
饕餮は何でも食べる。モノやカネを食う。まだそれはいいとして、人の心も食う。人は心を食われたらどうなるのだろう。

ここの入り口の鴨居の上から半分顔を出していた。
 
 
 
 
しみじみ思うなあ。友人が遠くから訪ねてきてくれるなんてことあったら、饕餮に食われた心もすぐ回復するだろう。