か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

日本は医療の後進国である

2016年01月26日 | 国内政治

 

泡を吹いて反論してくるのが見えるようだ。ひとまず深呼吸でもして落ち着こう。

たとえば介護の現状を見よ。一人で3人の食事の面倒を見ているのが実態だ。右を向いてスプーンでミキサー食を流しこみ、前を向いては嫌がる口を追いかけて何とかこぼさず流し込む。食べなかったら食べさせなかったとして、さあ得意の人権だ。騒ぎ出す。差別介護だ、怠けている、と。

さらに左には、身長30センチの阿吽の像みたいのがいる。一人に神経を集中したらおしまいだ。右や真ん中にいるのが、食事を手づかみして遊び始めたりちゃぶ台返しをする。

そんな中、介護士や看護婦さんが悪戦苦闘している。

ところが、医者は一度も顔を出さない。僕は5年間もボランティアをしたので断言できる。婦長だ看護師だ、あるいは管理介護士だ介護士だと不必要に階段を作り上に行くほど責任はなく楽な仕事で給料が高くなっている。

やってられない。目の前で脳性まひの子が食事を吐き出すのを見ながら介護士は自分の食事をするのだ。

産婦人科の医者がつらいとか言うキャンペーンを張ろうとしたが、騙すな。じゃあ一人でも医者が辛いので看護師になろうと言うひとがいるか。

苦しい労働をするひとを1/100,1/500の給料でこき使い社会的使命ばかり強調するな。

おまいら医者の社会的使命はどうだ。反論に、学校の成績もよく人格も教養も深く理解力もある人たちだ、と言う寝言がある。

それは違う。成績のいいのは医者になってない。家が医者でカネがあっただけだ。カネさえつめばどんな馬鹿でも医者になる。

中村哲医師を紹介したい。福岡県福岡市出身。西南学院中学校福岡県立福岡高等学校九州大学医学部卒業。国内病院勤務ののち、1984年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。以来、20年以上にわたってハンセン病を中心とする医療活動に従事する。<Wiki

僕より成績は悪かったくせ九大医学部だといって天下をとった様に威張るバカが入るが、同じ九大でも「医は仁術」を実行する人もいる。僕は中村さんの前に出るのが恥ずかしい。

 

クシャーナ朝の金細工の精巧さに僕達はひれ伏さなければならない。日本は弥生時代だった。

現地の文化財を持ちだし、日本で販売する人もいる。

現在でも再現不可能な金細工もある。アレクサンドリアは栄華を極めた。水洗便所、下水道。さあ現在日本の何%にそれがあるかな。

九州国立博物館で「黄金のアフガニスタン」展をしている。見る価値はない。欺瞞だ。アメリカの空爆によって遺跡は破壊され出土品は散逸し売却され盗まれた。破壊を免れたものは1/10もない。

 

 

 

 

 


僕は、この食い方がよい。

2016年01月22日 | 韓国

 

肉食系の人間は、野菜のことを軽蔑の意味を込めて「草」と言う。こいつらは実際荒っぽい。

日本の友人と済州島で鉄砲を撃ったとき、足で蹴って石の垣根を壊して進んだ。そんな無茶をしたらいかんと言いたいが、shot gunの世界は上手なものが正義である。現地の百姓は、垣根を壊されるたびタバコを置いていってもらうのでむしろ喜んでいた。

半分ヤクザの人たちだ。今後工藤会が壊滅するとこんなチンピラが増えるぞ。ま、市民がそれでいいというのだから自業自得だ。

韓国にもいる。韓国に住んでいたときは、そんな人たちに困ったことがあると、知り合いの「ヤ」の付く自由業の方によく泣きついた。すべてが可能になった。

日本では小指が飛ぶときここでは手首が飛ぶ。


さて食事の話。焼肉。

日本人は、戦後になるときれい好きになった。女好きでもあるが、これは万国の男に共通だ。ただし日本人は1~2回したらすぐ寝るので売春婦がバカにしている。いい客かも。弱い奴らだ。

「草」が並んだ宮廷料理とか好まれる。昨日今日思い出したような料理を伝統と称し、まがい物がうまいと言う。小さな肉。しかも横のキーセンがレタスに包めと強要する。ブスキーセンになると自分で肉のレタスまきを作り人の口にねじ込む。

ばか。それじゃあ肉の味がしない。人権侵害だ。自分中心は韓国人のDNAだが、許されざるDNA。

 

下の写真のような田舎に行くとたいていの家に2~3個の2畳ぐらいの部屋がある。皆は上着を脱ぎ部屋の隅に丸める。油でベトベトになるからだ。

 

しばらくするとげんきのいいばあちゃんが七輪を抱えてやってくる。孫が恥ずかしそうに後ろで肉を持って待っている。ババアはタイヤにひかれた顔をしているのに孫が例外なくかわいい。

この孫に対しては「草」にくるんだ肉でも文句言わんから食わせてくれんかと思った。

 

 

北京の空の様に電球がかすみだす。七輪の火が消えるころ、肉もなくなり満腹になる。夏は朝まで寝たり飲んだり。時間を限って食い放題なんてやってる国があるが、それ食い放題じゃないじゃん。

ソウルの1/5の値段で僕達は満足した。

今はもうやってないだろう。高層アパートになったかも。

 

なあ、日本人。グジグジ働いて金持ちになったつもりか。止めろ、肉を食おうぜ。ホモとオカマは韓国に来るな。

 


14日、 歌会始の儀

2016年01月17日 | 和歌

今年のお題は「人」。毎年絶妙なお題が選ばれる。その中でも天皇の姿勢は一貫している。

すばらしいことだ。なかなか違ったお題で、同じテーマについて歌うことは困難だ。

 

(イオンはまだクリスマスかな。)

天皇陛下

戦いにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

(戦いがあって多くの人が命をなくしたと言う、島は緑色をして海に横たわっている)

右翼たちは自分では歌の解釈もできぬくせに僕が解釈をつけるとヒキツケを起こすのだろう。恐れ多くも御製の歌に対して解説を加えるとは不敬罪だと。

天皇は行事のときはともかく、プライベートではじつにフランクな人だそうだ。もう少し行事を減らさないとかわいそうだと思う。もはや神ではない。老人には負担が多すぎると思うがどうかな、宮内庁。おまいらが平成を早く終わらせたら承知しないやつらが多いと思うぞ。

僕らは白黒の世界で実写フィルムを見ているが、南洋に行けばまずその世界のどぎつい色に驚く。そして、この色こそ当時の若者が最後に見た世界だ。

まかり間違えばこのどぎつい世界で若者が死ぬ、と天皇の歌は警告しているように見た。

天皇はいつも静かに警告している。

 

 

皇后さま

夕茜に入りゆく一機、若き日の吾がごとく行く旅人やある

(夕焼け空の中に飛行機が一機若い頃の私のように旅立つ人がいるのだろうか、いいや)

皇族のほとんどが「人」と言うお題を他人事のように捕らえている。皇后様は「人」を自分ととらえ詠んでいるので、とても迫力のある歌になった。彼女は天皇との結婚に決心がつかず一人ヨーロッパへ旅立った。夕焼け空の飛行機にそのときを思い出した。

後の皇族は幼稚な歌だ。小学生の遠足の感想文か。

もう後がない人間は、日常のほんのちょっとした出来事も自分の昔と重ねるものだ。そうして似たような想い出を重ねる者同士、共感を共有する。

それが歌の広がりだ。

 

 新潟県 内山遼太さん

日焼けした背中の色がさめる頃友達四人の距離変化する

 

全部書ききれないので若者の歌をひとつ紹介した。国民も深い情の世界は負けていない。日本人だ。

(ドラゴンフルーツはうまい)

 

 

 

 

 


달맞이 고개 (ダルマジコゲ、月見峠)

2016年01月13日 | 韓国

月見をするなら、建物や電線に邪魔される平地からでは、あまり雰囲気が出ない。かといって高い山の頂上から見ても面白くない。

下界では風流を邪魔した人工物も、ある程度登って峠あたりから眺めると、素敵な夜景となりそこに月があればまたよいものだ。

なかなかそのちょうどよさが、世の中には意外と少ない。釜山、月見峠。完璧にちょうどよい。

月に叢雲、花に風。

(月見峠のレストラン)

写真の中央右に砂浜が見える。海雲台海水浴場。数百件の屋台が連なる。日本人と見たらいくら請求してもいいと思う韓国人が多い。インスタントラーメン、ひどいときにはカップヌードルに数千円を要求する。

悔しいのは、こういった法外な値段を請求するのは日本人に対してだけで、欧米人には奴隷の様に従順である。ましてや中国様に対しては屋台のババアまで宦官のようだ。

さあ、どうしたらいいかな。この、やらずぼったくりたちをどうしてやろうか。

と考えたら命がないぞ。

内閣府職員変死事件(ないかくふしょくいんへんしじけん)とは、2014年1月20日、韓国にいるはずの日本の政府職員が凍死して若松沖を流れていた事件だ。他にもある。パククネは、父親の頃から仲良しの産経新聞支局長を一年間出国禁止にした。気に食わない記事を書いたとか。

日本はおバカにもここまでされて、民主党政権時、政府が購入したものを韓国に返還と称して進呈した。これに味をしめ韓国は今4000個を返せといっている。対馬の仏像もとられっぱなしだ。竹島も進呈した。

日本の皆さんどうもありがとう。

今や対馬自体の領有権も主張し始めた。上の写真の椅子に座ると対馬がよく見える。

月見峠には、とびとびに離れてレストランが建っている。韓国といえば焼肉だ、と下品な発想はすまい。肉がうまかったりしたら、日本製の肉だからだ。韓国産の証明つきの黄牛のステーキを食おう。うまさでは日本が一番だが、韓国では肉まで自己主張が強い。

で、ぼったくりに会わぬには、どうすればいいかって?。勝てよ、勝てないなら行かないことだな。200メートルタクシーに乗って2万払ったバカがいる。その上ニコニコしてウォンですか円ですかと聞いた。そういうなら円とこたえるにきまってるだろ。手持ちのボールペンででもいいから刺せ。

滅びる生物には覇気がない。

たかがラーメンでぼったくりに合うアホな国民になるな。実は、僕はここに隔週で来ていた。日本は駐車するとき曲芸のような技術がいる。こちらでは、店の前にいい加減につけてキーは、着けっぱなしにする。ボーイが何とかする。

ここでヘラヘラするのが韓国人と一緒に来た日本人だ。「アリガト、アリガト」下手な韓国語で言うからいっそうなめられる。馬鹿を見るのが不愉快だった。動作が貧乏臭い。場慣れしてないのだ。とにかくチビだ。

金匙(きんのさじ、きんし)。自分は金匙を持つ階級だ、私に傅け(かしずけ)。少なくとも韓国の上流にはこの自覚がある。

どの国も愛国心は下流とともにある。韓国の金匙たちは財産を日本に逃避させている。

世界標準の生き方は、日韓いずれにありや。世界標準といわずともアジア標準は、日本か韓国か。

アジアに行ったことがある人は分かるだろう。

 

 

 

 

 

 

 


土橋商店街  地方創生

2016年01月10日 | 国内政治

 

安部は小学校の距離制限を緩和した。つまり今までは、拠点となる小学校から定められた距離離れると、国は必ず小学校の設置義務を負った。

その距離を大幅に伸ばしたのだ。ということは、距離制限内に現存する小学校の廃校は地方議会の議決の問題ではなくなり、自動的事務的に小学校は廃止されていくようになった。

目立たぬ問題だが、地方自治とかぬかしていた地方議会のゴロツキ議員どもが退職金代わりに議員報酬の上積みをもらうと、手のひらを返したように地方つぶしにまい進した。議員の1/3は合併により法外な退職金を握り消えた。2/3は、地方自治を逆手にとり、お国が決めたことは地方はどうしようもないと地方破壊を黙認した。国会や県議に色気のあるやつは積極的に地方創生の旗を振り自民党にしっぽを振っている。

何が創生されたか。官僚の造語に踊る間に地方は破壊されている。

その犠牲になったのが小学校だ。まるで幼稚園の様にマイクロで子供をかき集め、帰りも新しい学校の校門に集合した子供達は、牛乳のようにもとの廃校小学校の校門に配達される。マイクロに乗り遅れたら大変だ。放課後は気もそぞろになって目に落ち着きがない。

アホ議員の犠牲になったのが小学生であるわけは、述べないと分からないかな。村が消滅し、合併したら人口当たりの議員数は激減し、選挙運動のしにくい山間部から今までどおり代表が選出される可能性はない。

代表がいないところは狙い撃ちにされ、学校、保育園、消防、警察、役所・・・ 次々に消えていく。

とくに田舎の小学校は特別の意味を持っていた。~校区という言葉が示すように、地域は校区を単位として団結していた。これを破壊したがるのはなぜだ。

コストである。

財務省の邪魔扱いされる文科省は予算の獲得率が低い。防衛省のようにはいかない。そこで文頭に書いた様にして安倍からお墨付きをもらい、学校を減らすと言う暴挙に出た。

財務から予算をもらえぬ文科省は、右手のカネを左手に持ち替えてカネがあるフリをした。つまり小学校をつぶし残った小学校には教頭を二人も置き、仕事のない彼らに授業をさせるでもなく、下っ端にはさらに書類を増やし奴隷状態にし組合活動を抑えた。

これを地方創生というか。否。痴呆創生だ。地方を破壊しているのは安部だ。

子供が減って小学校が消えるのではない。現にあの貧乏明治政府でさえ、「邑ニ無学ノ戸ナカラシメン」ことを目標に、一人でも子供がいたら学校、それがだめなら分教場、分校を作った。

授業のない人間を増やし、意味のない仕事をする行政を増やし、そのために子供を泣かせることだけはするな。

みなさんの出身の小学校は存在しているか。統合か、廃校か、休校だろ。そんなことをしたら村が死ぬ。

 

(よっぽど田舎の若者は頑張っている。)

(福岡 八女 土橋(どばし) 楽しい若者達が自分達でアーケードに店を出した。Pあり。coffee250円。ブティック、アクセサリー、fashon,トイレあり・・・ ここのほうがよっぽど地方創生だ。)

 

 

 

 

 

 


馬鹿は互いに首を絞めあう

2016年01月06日 | 事件事故

客層が悪い店は、店内で夫婦喧嘩を始めたり、必要以上の大声で話したり、子供をぜんぜんしつけていなかったり、・・・ 店側としては精一杯貧乏人のために安く売ろうと努力しているが、人の気持ちなぞ貧乏にかき消されてしまう。買い物カート、トイレの金具は言うに及ばず、トイレットペーパーまで持ち逃げされる。

 

ところが佐賀なのに上質なスーパーがある。「モリナガ」は以前に書いた。ツーリングにいくときの拠点にしている。食事も出来る。弁当300円。お湯もレンジもある。

そんなレベルではないスーパーがあった。mallageとかいてモラージュ。どうして読みにくい名前にするのか。フランス語にコンプレックスがあるのか。謎だ。

そこでは、ときどきお姉さんがほとんど全裸になってくれる。皆は健全な眼で見ていた。僕はホモではないのでヤラシイ目で見た。

乳というのはいつ見てもすばらしい。つるぺたには敵意を感じる。大きければ大きいほどよく、限度はない。世の中にこれほど明確な価値基準をもつものはない。

そりゃあ顔や頭も、よいにこしたことはない。だが、揺れるだけですべてを許せるものが他にあるか。

Bravo senorita!!  10人ほどのお姉さんが蛇の様に僕の周りでとぐろを巻いた。もう僕はこのスーパーで何でも買います、と心に誓った。穏やかな午後のひと時だ。

 

一方で、貧乏スーパー、100円shop 、で必ず出会うことがある。諍い事、魑魅魍魎たちの悪態。700円/時で働く哀しいバイトのよどんだ目。

そこでは経営者も貧乏だ。目を吊り上げて笑え笑えと表情まで強制する。女工哀史だな。やがて常習化した万引きJKに勝てず倒産する。

貧乏と低能は必らずセットになっている。掃き溜めに鶴はいない。隣人と争い、夫婦で争い、妻が殴られる音を聞きながら入試問題は解けない。

イライラして買い物に行き交通事故を起こす。駐車場では当て逃げしたりされたり。

だから唯一の平穏のときは他人の不幸や失敗を見るときだ。

じつに、じつによく、貧乏はとなりの不幸を笑う。ひがみだけで生きる貧乏は、考えることをしない。

 

 

 

 

 


人の目に怯える貧乏人の正月

2016年01月02日 | 日常

なんかこのタイトルは助詞がおかしい。

外人と話すときなど一般に、男性は、言語をすばやく切り替えるのが下手だ。あたかも、スイッチを切り替える様にすばやく出来る人はまれだ。院で議論になるとメンバーによっては、3ヶ国語、4ヶ国語が飛び交う。女性は言葉の切り替えが皆速い。僕はいつもとり残された。

5秒ごとに、日、韓、英、・・・と切り替えていく。優れた人は、今自分が何語で話しているか、何語の本を読んでいるのか忘れるほどだ。

田舎の温泉に行くと女湯はかしましい。だが、男はを待つ牛の様におとなしい。これはジェンダーじゃないぞ。僕はある県で通訳認定の仕事をしたが、圧倒的に合格者は女性で男は5%程度だった。

語学にはおしゃべりが有利だ。

負けるのが嫌いな僕は、もっとも僕がしたくない努力と言うものをして、何とかさまになるレベルに到達した。だが一日でも勉強しないと実力はすぐ落ち、取り戻すのに1週間かかる。

そこで、年賀状とか新年の挨拶とかお歳暮とかお年始とか・・・とにかく旧来の虚礼、陋習の類を一切止めることにした。

馬鹿から来るのはそのまま頂く。とくにボンレスハムの場合はおいしく頂く。困るのはかつての上司から来る場合だ。勘違いした上司を持つと後の処理に困る。お歳暮ごときで。

あるいは学問的に尊敬している人から年賀状が来ると正月三ヶ日はずっとすっきりしない。この人には年賀状出したっけ、と。

どこかで区切りをつけようと思い、今年からすべてを遮断した。

注連縄飾りだけは、ドアの構造上無理なのでリースを編んだ。これは相手がいないから心の負担ではない。

頂き物が勉強の邪魔とは言わない。神経がそちらに向くのがいやだ。ちょうど女房の実家に行ったときの気分だ。だれとも話が合わない。当たり前だ。お互いまったく違う人生を歩んできたんだから。

アカの他人を”お父さん”とか呼ばせ、僕はムズムズしてきて腸内にギョウチュウがいる気分になる。

とにかく、Do not shake a boat。

 

それより、内縁の娘と小さな人気(ひとけ)のない神社に行くのは楽しい。なぜもっと早く低俗と縁を切らなかったのだろう。

狛犬と並んで鳩みたいなのがいた。優しい顔を見て僕も変わろうと思った、無理か。

写真下。むやみでないいたずらとは?、と屁理屈を言っちゃあいかんかな。

この蔵は西南戦争で被害を受けたものである。だが、被害が少なかったものをここに移築した。戦いによっておよそ一帯の建造物は消滅した。30万発/日、100万発/week。西南戦争は近代戦である。

2時間もいたのにだれも来ない。安政4年に出来た。夕方いくと碑文が読みやすい。後10年して明治維新、さらに10年して西南戦争。久恵八幡宮。

ハリスが来た頃だ。あと10年で幕府がつぶれるとは誰が考えただろう。それからさらに10年で九州が半数に分かれ殺しあうとは。

石灯籠に安政4年が見える。