か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ずっと昔を思い出した

2015年12月30日 | 韓国

 

韓国の地下鉄は、地上の電鉄もふくめ料金は1/5から10/1だ。地方支線はとくに安い。電気、ガス、水道、視聴料・・・ほとんどただだ。60歳あるいは65歳以上は、交通料金が無料だ。そうでないと貧民が生活できるはずない。ドラマの様に息子が親の面倒を見ることもなく、一部の財閥家族の子供が財産目当てに親にチヤホヤするだけだ。

老人は行き場をなくしている。役に立たない人間は過去にどんなに国家に貢献していても、ためらいもなく捨てられる。国家から捨てられ、家族から捨てられ、配偶者から捨てられる。

おまいらみたいなマヌケ顔にはありえないことだが、僕レベルになると、「日本語教えてください」と美女がよる。清涼な教養の輝きをなくしたダボハゼの目には何のチャンスも来ない。

証拠。学生のころ、自称イケメンの友人と賭けをしたことがある。校門の前にトクスリ喫茶店と言うのがあって、15分後にナンパした彼女をつれてきてどっちがかわいいか競った。喫茶店に待機するにわか評議員(学友)達は当然に僕の勝ちだとした。

負けた方がみんなのコーヒーをおごる約束だ。彼女らとはそこで終わり。それが僕らの流儀だとやせ我慢していた。せっかくのご馳走を。日韓合意と違って約束は皆守った。

ホントは、台湾や香港に連れて行ってくれる金持ち日本人がモテていたのだが、まあ、韓国人全体からしても嫌われてはなかった。

遠い昔だ。オマケに楽しい昔だ。

             

(こんな店は韓国にもあるが、味がしない。味覚は文化だ。低水準国がどんなにGDPがどうしたと騒ごうと、わが国に追いつくはずはない。)

(この店で、旧知の韓国人と出あった。財閥だ。韓国6位。マナーもよく話も深く豊かだったが、味に打ちひしがれていた。「いつの日か韓国にもこんな店がほしいなあ。」  悪いけど無理です。)

 

ソウル一号線は日本が寄付したものだ。日立が作り、左側通行だ。その後の地下鉄は他国の技術で作ったので右側通行だ。困ったのは、3系統の走り方が存在する様になったこと。佐藤栄作(安倍のおじさん)が絡んだ一号線。地上は戦前からの朝鮮鉄道。軽便鉄道。とそれ以外の地下鉄。

そこで韓国は強引なことをした。運転席を真ん中に作り地下で縄の様に右と左の路線を無理に入れ替えた。あんまり事故がないのでこれでいいんだろう。

その他高速道路や製鉄所を作った。日本の賠償金は日本政府の思惑とは異なり戦争被害者には行かず財閥を養成することに使われた。

日本人の中には知能が下がってくると、それで韓国は発展し全体として経済成長が可能になり貧乏人が一時金をもらうよりよかったのだと言う人がいる。

僕は事実をいっている。いつ比較した?的外れは自分のブログで泣きじゃくれ。

(裏はすぐ海。今頃が海は一番きれいだ。昨日。唐津。虹ノ松原。)

朴正熙賠償金流用疑惑はソウル地下鉄に限らない。高速、製鉄。さらに自国民をベトナムに送り米兵の1/6の給料で戦わせ、その1/6の大部分を国家が取り上げ強制預金させた。それを原資とする産業基金を作り、あわせて優れた官僚が今日の韓国を作った。

 

考える話は不評なので止めますが、出来たら過去のブログですが

 

を読んでください。

 

 

 


Christmas、子供の昇進、ケーキ、Bouquet

2015年12月25日 | 日常

Bouquetと言っても平凡なのは止めて、ペコちゃんの似顔絵にした。かみねんどでトトロ一族も作った。小さく丸いコーヒーカップに薄くかみねんどを貼り付けプラカラーとニスで塗装した。

ペコちゃんは色鉛筆で書き、きり抜いてお菓子の箱の内側に貼り付けた。ペコちゃんを少し浮かせて立体感を持たせ箱の上からサランラップをまいた。

子供が小学校の頃から使っていた色鉛筆なので、ないイロが多く苦労した。

その子供もNTTの偉い人になった。僕の考えとしては、そういう課長だ部長だというような他人が作った権威に束縛されてはならぬと言うスタンスを通してきた。

しかし人間はそう簡単には出来ていない。僕自身の親は戦地にも行き、ながらく公務員的なものをしたので凄まじく高額の年金をもらっている。僕の月給が彼の年金をこえたことはない。

そうするとなんか心にもやもやが生じる。地位は人生と無関係だ、といくら叫ぼうとモヤモヤは残る。

だけど信念を曲げることもできない僕は、今度は子供との関係で同じことに悩むことになる。

夜を徹して僕は、会社人間は利用されるだけの奴隷だと主張し、子供は他に自己実現の場所がないといった。それはどこにでもある、頭が悪いからそれが見えないだけだと僕が言う。子供は、現実の自分を見よ。現に貧乏じゃないか、頭の悪さを示すものだ、と反論した。

たいていこの堂々巡りは朝まで続き、僕は議論には勝ったが体力が続かなかった。

 

ところがその子どもが2段階飛び越えて偉くなった。僕はなんともないはずだ。今までの生き方からしたら昇進なんてもっとも詰まらんもののはずだ。

でもこれがそう単純ではない。やはり体が喜んでしまう。面倒くさいなあ、もう一個作るケーキが増えた、と喜ぶ。

親ってなんて馬鹿なんだろう。しかし、どんなに強がっても、これより、

これがいいもんなあ。

 

 

今日は施設に行ってバイオリンを弾いた。入所者の痴呆たちは何があっているか分からないでいた。まあ、看護婦さんたちがうっとりしてくれたからよしとしよう。

僕はただの貧乏だが、もしも会社人間になっていたらこの看護婦達をうっとりさせることは出来なかったはずだ。採算の合う人生ではなかったが、誇りある貧乏を楽しむことが出来た。

おまいらはロレックスを持っている。だが時間は僕が持っている。

内縁の娘は機嫌が悪い。僕が楽しそうにバイオリンを弾きに出かけたそうだ。そしてもっと楽しそうにして帰ってきたそうだ。スケベは顔に出る。

 


ファンを減らすいけない日々の告白   8

2015年12月23日 | 食・レシピ

(ま、10歳までだな、Haapy Birthdayは。あとは天国への一里塚だ。CAKE中央、TARAKEN(「からけん」の外国向け名前、外人には「か」よりtaのほうが言いやすいようだ。)と書いたつもりだが読みにくい。)

12月下旬から1月にかけて我が家ではケーキの需要が増す。クリスマス、誕生日、記念日・・・と。

ケーキというのは、ご存知のようにじつに繊細だ。毎年やっていても、最初のケーキよりも5個目10個目と数を重ねると上手になる。そしてまた一年がたちすっかり忘れてしまう。

今は僕が腕を振るう時期だ。昔、僕はケーキ屋でアルバイトをしていたことがある。仕事になるとぜんぜん楽しくなかった。だが、毎年この時期は、その経験を根拠に何度もケーキ職人をさせられる。

同じ形のイチゴはない。同じ硬さのクリームはない。同じ硬さのベースはない。それらが総合されていくときには必ず臨機応変さが必要だ。しかも限られた時間の中ですばやい判断、やり直すか、継ぎ足しでごまかすか。この判断は、馬鹿には出来ないことだ。

家庭用のクリームを押し出す布は30センチぐらいの小さいものだが、プロ用はポッシュといってとても重たい。三角錐をさかさまにして頂点付近を5センチぐらいきり口金をはめ、中にクリームを入れたもの。ポッシュを折り曲げながら文字を書いたり花を作る。今はポッシュはプラスチック製で軽くなった。

最初は自重があるからクリームはブシュッと飛び出す。あわててバラを作る。ぐるぐる巻いてきれいな花びらにする。

問題は中のクリームが減ってきてからだ。中のクリームがダマ(塊)になりどろどろしてくる。あまり力を入れて出そうとすると、ブシュッと勢いよく出てシュガーハウスを吹き飛ばす。

そこで仕方なく、本当に仕方なく、僕は口金に口を当てチュチュッとダマを吸い出していた。

したがって僕と間接キスをした人は福岡に1000人/年はいる。半数は確率的に男だ。

すいません。

いろんなデコレーションをするために口金は20種類必要だ。半数はオリジナルで作った。半田付けした。鉛中毒になったら、

すいません。

糖尿病もすいません。僕は怖いので食べません。

 

(クリスマス以外の時期はソフトバーテンでした。僕の頭程度ではなかなか通らない公務員試験のための勉強をしながらの日々で、配達の途中やトイレに行くフリをして勉強したのを思い出します。1時間以上の睡眠時間をとるゆとりはありませんでした。そのうち自分が日本を動かしてやる、いまにみろ、とうぬぼれたいやな奴です。そのときの僕を見かけたら殴ってください。)

 

 

 

 

 http://www.cuoca.com/library/event/kihon/decoration/movie_nappe.html


三上亮(Vn)、金子鈴太郎(Vle)、藤島彩(pf) Trio

2015年12月21日 | 音楽

80年代に韓国の書店に行くととても寂しい思いをした。仕事上の本はよくそろっている。店員の中にはなかなか分かったやつがいるなと一人ニヤッとしていた。

ところが文系の本はさっぱりだめだ。父親に話すと、途上国とはそんなもんさ、と言った。つまり、劣等国は、すぐ役に立つかと言うことに関心を持つのだ。ところが生きる意味とか感動とかには関心がない。

まだ十分に国民が「食えて」なかったのだ。

今や、詩集や絵本や小説やノンフィク、絵のない雑誌などであふれかえっている。

(釜山、光復洞の書店。大体4時ごろ、僕はここにいます。)

ネトウヨには信じがたいだろうが、韓国人はよく本を読む。ひじょうに本が安い。それでも買えない貧乏人には古本があり、あるいは図書館に行く。

こりゃ、いずれ負けるなと思った。馬鹿には無理だが、韓ドラの中でどれほど高度で多くの四字熟語が使われていると思うか。バカ韓流かぶれのためにやさしい日本語の訳になっているのが哀れだ。

たとえば、「邂逅」。韓国ではこの意味がわからない小学生はいない。

日本はいまやGDP(一人あたり)が、貧乏国の集まるアジアですら5位に転落した。世界1位だったのがアジア5位。

理由のないことは起こらない。

何が狂ってきたのか。僕は、世の中が、途上国が掲げるような下品な価値にしか目を向けなくなったからだと思う。

即戦力、即戦力。コスト、コスト。電車の中ではスポーツ新聞。働いて働いて、発散して発散してを繰り返せば誰でも馬鹿になる。労働苦とデリヘルを繰り返したら馬鹿になるだろ。

イ・ウーファンレベルの画家とながらく友達だったが、パククネの父親朴正熙の独裁に我慢ならずNYに行った。「韓国は芸術家が生きるには苦しすぎます。」、と。1980年。

                                    

(家のもみじ。やっと紅葉)

タイトルの3人は世界レベルの人たちだ。3人ともヨーロッパで修行している。三上は芸大を首席で出た。金子はハンガリー国立音楽院に行った。藤島は、国立(くにたち)音大から僕の好きなWienに行った。Royal Collage of Musicの院をでた。

ポイントは3人ともそこでトップの成績を収めていること。とくに僕は藤島を教えたので身内のような気がする。腕前は私が3人とも責任を持ちます。

僕は怒っている。奇跡の3人がそろって世界最高の演奏をすると言うのに何と入場料は1000円だった。客はパラパラ。これで芸術家が育つはずがない。1000円なんていう金額で世界の宝をバカにするな。

 

コスト、コストの世界に生きるから分からんだろう。その下品な精神が日本を途上国に引き戻す。

韓国でウィーンフィルを聞けば5万した(円)。それでも席はコネがないと取れなかった。

両国の逆転の日は近い。理系ももはや韓国のほうがレベルが高い。違うなら新国立建ててみろよ。エンブレム問題も韓国ならホームベース顔を懲役10年にして、事故でかならず刑務所で死ぬことになる。

日本は、ホームベース顔のとんがりコーン頭を野放しにする。いやな国だ。

(私は、嵐にいければそれでいいの。)

 

 

 

 

 

 


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   10

2015年12月15日 | あそび

 

景気がいいときには、中州のキャバクラ嬢も質が悪い。ホントにオマエは人間の格好をしているだけだな。ホントはオマエは妖怪人間ベラだろ。と思えるのをよく見かけた。その日、帰宅して床についてもかならず寝汗をかいた。

要するにバブルの頃だ。僕はそのベラからも相手にされなかったのでやや落ち込んだ。一晩で2千万、2千5百万使ったという人間が、そこらじゅうにいた。

もう妖怪はたくさんだと言う気がしてきて、誘われても10年ぐらいいかなかった。

ところが久しぶりに行くと中州は健全になり、オネエチャンは俺がスターにするから任せろといいたいほど若くて頭がよく顔もよく乳が大きい。妖怪はいない。

つまり就職難の時代、当然に中洲にも光がさすようになったのだ。賢くても行き所がなくなった。

 

どうしても振り返ってしまう。物品税があったころヨット・クルーザーには30~40%の税が課せられた。それが突然、4月だったことはよく覚えているが、3%の消費税のみになった。

貧乏人は乗るなということだ。なぜもっと怒らない。チンピラ経営者の言い訳なんか聞くな。おかしいことは明白だ。

軽減税率だの何のと、どうでもいい細かさに引きずり込まれてはならぬ。2%がどうしたんだ。料飲税をご記憶の方も多いだろう。それでいいじゃないか。8000円以上の飲み食いは税金3%だった。それ10%にしろよ。あるいは30。

(ネットにあった物を使わせていただきました。カタマラン・双胴艇。 20ノット出ます。風はタダだ。)

そこでクルーザー。最高のクルーズ、からけんプライベートビーチ(丘からは行けないので事実上)、キンキンに冷えたビール、からけん特製の料理。これでメロメロにならなかったら妖怪の類だ。

あの大きな船が空中に浮いているように錯覚する。水が澄んでいる。とくに冬。12月は暑い。

ところが中には舞い上がらないのがいる。生まれて初めてのことばかりのはずなのに動じない。強がりでなく心がびくともしてない。まるでオーナーのような口をきく。教養はなくともキャパがある。こう言う女をなんと言うか。

内縁の娘。

とくに今年は暖かく今日も汗をかいた。温暖化は僕のためにある。

このシリーズここまで、いわゆる動じない、肝の据わった、達観した人は、悔しがらずに読めたはずだ。しかし残念なことに貧乏がふさわしい人がいる。貧乏脱出のための本質的努力を怠る人たち。歯軋りはやめろ。歯がなくなる。

僕は貧乏だが、あえて選んだ名誉の道だと思っている。だから、貧乏脱出のため、カネだけに価値を置けというのではない。しかし、金持ちは時間を持っている。教養を高める時間を。それが究極の目標だ。

まだまだ面白いことは、書いたことの100倍はあるがこのシリーズはこの辺にしようと思う。

 

あまり愉快ではないことも書きましたがシリーズ最後まで読んでいただいてありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する   14

2015年12月14日 | 韓国

 

(前回のあらすじ  戦前、朝鮮にみどりを増やそうと誠心誠意努力した男がいた。浅川巧(たくみ)柳宗悦らと協力して土壌と品種、育苗法の改良に努めた。国家としての朝鮮の将来は、地政学上の力学の結果に過ぎなかった。小日本は、朝鮮の発展に関心はない。帝国の発展に利する限りにおいて、朝鮮の発展に関心があるのみであった。

これをもって共産党、社会党崩れは欧米列強の植民地主義と同等の日韓併合を論じる。

日本は、柱時計のねじを巻くために頼りない踏み台を強化する必要があった。

但、そのことをもって朝鮮に人生を捧げた多くの日本人を、そもそもいなかったもの、あるいは朝鮮侵略の尖兵であると見るのは、あまりにも彼ら苦悩した人たちに失礼ではないかと思った。)

前回の続き

巧の松

巧は林業の発展に全力であたる一方、陶磁器の形に関する研究・調査を手伝うなかで朝鮮民芸の美しさに魅かれ始めた。流暢な朝鮮の言葉で人々と親しくなり彼らと同じ民族衣装を好んで着、誰も差別しない態度で一貫していた。

「出張に行ったところに困窮している青年を見つけると官庁へつれてきた。何とか仕事を与えよと願い出ることもあった。俸給は満足できるものではなかったが、多くの苦学生を金銭的に支援した。」国立森林化学院の職員だったハンサンベ(74歳)は巧みとともに仕事をしたという父親や先輩から聞いた話をよろこんで語った。

巧が1931年4月、急性肺炎で40歳で夭折するや村の人々が別れを告げようといっせいに集まったし、出棺時、館を持とうとする人々は並んでその役割をまった。列は長くなり数え切れない人が並んだという。

巧がこの世を去ってから80年がたった。昔の森林科学院を訪れると本館玄関前に巧が試験栽培をした松が朝鮮戦争の被害を免れ高さ25メートルの巨木に生長している。たくましい枝が伸びている。そこから近いマンウリ基地にある巧の墓に職員達の募金で建てられた記念碑には「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に行き続ける日本人ここ韓国の土になる。」と刻まれている。

出所  「朝鮮を愛した日本人」浅川巧、旧 朝鮮民族美術館

 

次回用のメモ  10から

 

 

 

 

 

 

 

 


鬼火(おにえ)

2015年12月12日 | あそび

引用開始

「大善寺玉垂宮の鬼夜」は、大晦日の夜から正月7日まで行われる「鬼会(オニエ)」の最終日に行われる行事で、1600年余りの伝統があり、日本三大火祭りの一つに数えられるとともに、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

仁徳天皇56年(368)1月7日、勅命により藤大臣が、当地を荒し人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪を、闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取って焼却したのが始まりだと言われています。

引用終わり <玉垂宮社務所>

7日・・・13:00~16:00 鬼面尊神の神事
     19:00すぎ頃 裸のタイマワシ境内参集~シオイカキ
     21:00すぎ頃 大松明に点火~鉾面神事
     22:00すぎ頃 一番松明惣門くぐり
     23時30分頃 大松明消え祭り行事終了

あまり有名ではないがなかなか勇壮な祭りだ。玉垂宮自体の起こりについては諸説あり文献によって異なる。天武天皇までさかのぼるものもあれば、嵯峨天皇の時代、皇子にこの一帯を治めさせ大きな功徳を施したので地名を大善寺と改めたとあった。

いずれも真実で栄枯盛衰を繰り返したようだ。問題は明治初期に新政府への忠誠を示そうと廃仏毀釈が起こったことである。農民は集団ヒステリーを起こし全国の仏閣を破壊した。

玉垂宮と共存していた寺院も消滅した。その頃から子宝の神という信仰が広まり、

全国で見られるがとくにここでも男根崇拝がはじまった。起源は縄文時代だがきちんと儀式を行いお参りをするのは近世からだ。

なんせ「玉」垂宮だ。人々は子宝を授かることを祈りこの石像のそばに木に彫った実物大の男根を供えた。夜中に気勢を上げるのもいいが僕には合わない。農家には、男子がいないと親の労働のすべてが無駄になる。田畑を誰が継ぐというのか。

人々は涙を流し願いを込めて男根を彫った。

内縁の娘はそれを見ていった。「なあんだ、こんなに大きくなるもんジャン。」

これにも涙が出る。

 

日時 2016年01月07日
開催地 大善寺玉垂宮
所在地 〒830-0073  久留米市大善寺町宮本1463‐1
利用可能時間 1月7日13:00~
※大松明点火は21:00頃~23:30頃
料金 無料
有料の観覧席(2,000円)有り・200席限定(全席自由)
発売は12月1日より・予定数がなくなり次第終了です。
お申し込み・お問い合わせは、大善寺玉垂宮社務所 
TEL:0942-27-1887
駐車場 有400台
アクセス ●西鉄大善寺駅より徒歩約5分
●九州自動車道 久留米ICより車で約30分
●九州自動車道 広川ICより車で約15分

ちょっと待て、そこの善人

2015年12月10日 | 思想

吉井町、福岡県の真ん中の寒村だ。鳥越俊太郎の出身地でもある。製粉に限らず田舎の財閥として君臨する。

彼は僕が何度水を向けても安保問題には乗ってこなかった。代わりに喫煙の害について力説した。終わりを自覚しているのだ。やるだけのことはやったので、自分の引き際については何も言わせないという表情をしていた。

そうだ。あとに続く者がいないのは続くほうの責任だ。表情に殺意のないボクサーはリングに寝ることになる。俊太郎に全盛期のボクサーを期待するのは無理なことだ。表情にとげがないのだ。これでは論争に負ける。

プロは負けたらその世界から去るしかない。命がけだ。俊太郎は優しい余生のおじいちゃんだった。

「からけんさん、タバコ止めてよかったです。」

昔の年賀状には、「時代の接点に注意しろ、われらが神経を研ぐのは今だ。」とあった。

 

ところでその吉井町。ちょっと見過ごせないものを発見した。

高さ20センチほどの、仏教との融合もあるがヒンズー教の神だろう。ネパールに地震がなかったら日本まで流れてくることはなかっただろう。専門家の学術資料としてならいざ知らず、貧しいネパールを救いましょうという触れ込みで金儲けをたくらむ奴らはなかなかあくどい。しかも、日本人が持つことで貴重な人類の文化遺産が散逸しないで住むのです、ときた。

人の災難を利用して買い叩くか泥棒するかして洗練されたネパール仏教の像を国外に持ち出す。そして吉井町で50万で売る。

「ホントならとても50万では買えません。」 たしかにそれはそのとおり。

僕はフリーマーケットに行くのが大好きだった。工作の材料を買い込み、工作室で夜が開けるまで考える。至福のときだ。

少しずつ感じていたが、フリマは最近変質した。ガキのパンツの交換会とか下手な手作り品はそれなりによかろう。だが出所も分からぬ仏像を、さも人助けであるかのように言い含め勝手な値段で売るのは泥棒である。そもそも、仏像に値段がついて売られることがありうるか。

勝手な理屈で、あなたのお金がネパールを助けますとはよく言ったな。

ネパールが貴重な仏像を持ち出してくれと頼んだか。

鳥越俊太郎がある時点で人生に一線を引いたように、僕はもう気持ちの悪いマーケットとは一線を引く。

 

 

 

 

 

 


SONYがSONYであったころ

2015年12月09日 | 日用家庭用品修理

奏者の名前につられて安いCDを買うと、録音がひどかったりする。LPレコードからダビングしたのは庭先に下げて猫よけにしかならない。

LP自体はそれなりに捨てがたい、つやのあるやさしい音をしている。バキーンと打ちのめすような音はしないが、楽器によっては生の音に近いときもある。

しかし、針が溝を走るときのプチプチざらざら音は完全に消すことは出来ない。MDはいかんがCDはよいメディアだと思う。MDは入れにくく音が悪い。

人の耳は不思議だ。雑音がなければそれでいいわけでもない。ララアンデルセンやマレーネデートリッヒの歌は、LPどころかSPの音になる。

 Vor der Kaserne Vor dem großen Tor.(兵舎の前の大きな街灯・・・)

むしろ雑音に負けじと歌うアンデルセンの声こそその時代を描く。SPは100回以上聞くと音声は雑音の中に消える。

 

さてさて、昔を懐かしむ暇もなくあっという間にCDはLPを駆逐した。今度こそこの軽薄なキラキラ媒体は長続きしてほしい。

が故障した。30年使えばそんなもん、と思い買い換えるのが頭を使わぬ低能だ。とことん修理するのが頭にもよくカネも節約でき知識も増える。日本人はなんでもすぐ消費したがるから考えることを忘れた。

CDデッキのくせにこれでもかと重い。30年前は抵抗やコンデンサーが見て分かる。しかも故障はたいていメカだ。

とっておいた輪ゴムをいろいろ並べ適当な奴と交換した。

この黒い輪ゴムが伸びていた。

軍手のたばを結んでいたみどりのゴムがちょうどよかった。

ただ、ばかたれSONYはこの基板の向こう側にゴムプーリーを置いていた。

馬鹿でしょ。この隙間に消耗品を置くなんて。

それでも、今これ以上の製品はない。

 

 

 

 

 


料理なんかしてないだろ

2015年12月07日 | 日常

 

ガスレンジのゴトクについて。

ガス工場を見学したら、おまけに家庭用ガス調理機器の展示をしていた。最近のゴトクはメッキをしてある。しかも哀しく細い。

九電は何でも電気にして200V常用に誘導しようとした。僕はライフラインを一本にするには危険性が大きいと思いオール電化には消極的だ。

何よりもフライパンを振れないことは致命的だ。フライパンを振ることによる「返し」は、できますとか電気会社の回し者は言うが、炎にフライパンが隠れるほどの強い火でカラッと炒めた中華料理はママゴト料理を引き離している。

香港に行けよ。ロケットを逆さにしたような炎の噴射の中でこそ、野菜は水分が逃げる前に炒められるのだ。テフロンだなんだはうまくない。油のしみこんだ鉄なべに勝るものはない。

ぐちゃぐちゃにゅるにゅるべちょべちょIHは要らない。旨くないといっているのではない。火力が弱いともいわない。吐きそうだといっているだけだ。

しかし、それで誰も文句を言わない時代になったんだな。たしかに3,4人分を作るのならそんなに大きなガスレンジは要らない。下の写真はParomaだ。細かい改良点はあるが形は30年前と同じだ。比較的大きいゴトクをしていた。5,6人分作るときは、願わくはプレスしたゴトクよりダイキャストのゴトクがほしい。

対面キッチンでテレビでも見ながら大声でしゃべり、つばを飛ばしながら安く買ったしなびた野菜を入れる。ああ、何という貧困だろう。

どこの会社の製品も、レンジは一日何時間も火がついていることを予定してない。新婚はコンビ二弁当をチンするだけだろ。

5人分のカレーが入ったなべは女性には重たい。ままごとゴトクでは不安定だ。プレスや打ち抜きあるいは曲げ加工ではなべがすべる。そこで、

 

 

これを上からかぶせゴトクの面が広い平面になるようにした。Rinnaiは専用のアタッチメントがあるようだ。僕は細かい比較には興味ない。とにかくこの平面ゴトクはなべを抱えず横にずらすことが出来、きわめて便利だ。車椅子の人にも絶対よい。

車椅子に座りながら手を高く上げた状態からさらになべを持ち隣のゴトクに移動するのは健常者でも困難だ。

 

消費者が本質を求めないから奇形レンジができる。ふにゃふにゃゴトクがどれほど危険か。底面積(なべとの接触面積)の小さいゴトクで事故が増える。

 

 

 

 

 

 


Johan Galtung  列強の植民地主義が残した国境という禍根

2015年12月06日 | 国際・政治

 

 

米国の男娼安倍は、無制限に無目的に米国に気に入られることだけを考えている。国民に対しては、本年(2015)まで必ずしも人気取りにはならない政策を早めに行っておいた。いわば鞭の政策だ。

秘密保護法しかり、安保関連諸法改定しかり。ひそかに行ったこととして、地方を切り捨て中堅都市のみを生き残らせる絶望山村製造がある。PTTで農村を壊滅させ、破綻した農民は労働者となり都市に引きずり込まれ田畑は砂漠化する

しかし来年からは、飴の時代だ。選挙があるから。安部の一言で消費税軽減税率のおまけがつき、すでに携帯料金は安くなる勢いだ。

バカはここで安倍に感謝する。

ところが、およそ国家が秘密だと指定するものは無制限に秘密となり漏洩したら10年の懲役。目と耳をふさがれて携帯料金どころではないぞ。そこの能天気野郎。

じつに姑息なやり方だ。邦人を乗せた船を自衛隊が防衛するだと。そんなことは絶対にない。韓国有事の際の脱出順位はすべてきまっている。民間人は取り残される。関東軍は民間人を助けたか。役人らは、航空機、もしくは自衛艦だ。わざわざアメリカの船に乗せろといったらその場で射殺される。

一見もっともらしい事柄を、馬鹿を騙すため例に引くとは姑息だ。

紛争の未来がどうなるか分からないこともある。しかし五里夢中なのではない。考えないから分からないだけだ。

ガルトゥンクは言う。(以下、「 」内がガルトゥングの発言。 2015.8.26 朝日新聞)

「米国との一体化を世界に宣言した以上、日米は協力して世界中で武力を行使していくことになる。」

それを合理化しようと安倍は何故かホルムズ海峡を言い出した。イランの港は海峡の外にもある。役に立たんことをしに木造船でペルシャ湾までいき触雷して名誉の戦死をすればいい。生命保険は出ないぞ。

「イラク戦争の検証がないのに中東政策を決めることは出来ない。」

パウエル元統合参謀本部長 (2013.7.11  朝日新聞)ですらCIAのウソに踊らされイラク戦の急先鋒となったのは、私の人生の最大の恥だといっている。

「日本は様々の国際問題に関し漫然と平和を言うだけで、具体的な国際紛争の解決策を打ち出そうとしない。」

アメリカと同一歩調の武力行使だけは熱心だが外交努力が欠落している。僕は、第一次世界大戦がなぜあれほどの世界大戦になったのか、本来ならサラエボとオーストリ二重帝国間のみの問題である。周辺諸国は協調して外交努力することが必要だった。

ただあったのは集団安全保障だった。この集団安全保障は恐怖の連帯であり攻撃の連帯であった。世界大戦になるべくしてなった。

勢力均衡という考えには、平和は共存できない。

「集団的自衛権を行使する様になれば中国はもっと軍備を強化するでしょう。」

矛も盾も強化するという19世紀、20世紀の勢力均衡にもとづく軍事同盟への道は、

「植民地主義の継続に協力するだけだ。」