か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 56

2019年07月20日 | 韓国

<前回のつづき>

5.  結論

殖民地近代化批判論が提起している殖民地近代化論の資本主義的偏向と植民地資本主義の反民族性は、しかしながら植民地近代化論に対する正面からの対応であるとは言えない。なぜなら植民地近代化論はその姿勢において資本主義の絶対性を主張する論理ではなく、日帝時代に韓国で資本主義の発達があったと主張するまでだ。それが果たして民族主体的であったのか、親日指向的であったのかということは一次的関心事ではない。また植民地時代は資本主義発展以外の代案としての社会目標を等閑視したなどという主張は、植民地下で韓国が資本主義的発展自体は経験したという事実を自ら認める結果になる。この場合、より生産的な批判はキムドンノが提起しているように日帝時代の量的経済成長を認めるなかで、ただそれがすべての階級で同時にあらわれた現象ではなくて地主と資本家階級においておこった経済水準の上昇の結果であると解釈するのがより妥当であるといえる。


二番目に、植民地近代化論を批判する論者たちは植民地の全期間にわたっての推定国内総生産額550億余円の80%以上が日帝に輸出されたか破壊されたと主張するが、日帝時代年平均3.7%.の経済成長を成し遂げた環境においてこのような事実が発生したとは納得しがたい。経済学的に見るとこれは一つの魔術のような出来事だ。資本主義が労働者たちの剰余価値を残すことなく搾取するというマルクスも搾取率50%程度に見るのに、万が一日帝の搾取率が80%であったなら朝鮮人はすべて飢えて死に絶えていたはずだ。また、植民地近代化論批判者たちが提起している一人当たりのコメ消費量を見ると日帝時代は平均0.58石水準前後を比較的安定して維持していることがわかるし、日帝時代後半にはむしろコメ消費量が若干増加している事実も現れる。


三番目に、植民地近代化批判論が植民地近代化論の登場を社会主義の没落と資本主義体制の世界体制完成、南北朝鮮の体制間の競争で韓国の勝利と韓国式発展路線の正当化、世界化国際化時代の進展、そして日本の域内覇権主義復活と結びつけるのは陰謀説に近い憶測に見える。ところが植民地近代化批判論もおのずとそれに似た疑いから決して無関係でいることはできない。自らの主張と異なる立場を政治的な意味で評価する発想それ自体がまた一つの政治的行為に過ぎないからだ。殖民地近代化批判論が現在攻撃している殖民地近代化論は実体ではなく自らによって再解釈された幻に近いものだ。

 

最後に植民地時代の経済成長と1960年代以降の経済発展の不連続性を主張する植民地近代化批判論はもまた論理的根拠が脆弱なようである。まず、植民地近代化論の立場は植民地時代を戦後韓国資本主義の発展の起源であると理解するものであり原因であると理解するものではない。文字通り起源というのは「発生した最初の形態」もしくは「あるものを発生させる根源」を意味するものであり、原因というものは因果関係があり結果の反対だ。したがって植民地近代化論の立場は万が一その経験がなかったら1960年代以降の産業化が不可能であったというのでは決してない。ただ、韓国資本主義が1960年代以降に最初に発現したのではなく類似した経験が植民地時代に存在していたのであり、ほかの第三世界の国家との比較史的観点から見るとき韓国の場合には植民地統治の遺産という特殊な条件が備わっていたことを指摘しているだけだ。歴史を学ぶものに起源論的接近から脱皮せよというのは、固有の学問の任務を忘れろと言っていることだ。

 

<次回用メモ> 서울대교수  정 상인   5.결론  일제시대 한국의 자본주의적 전환から

 

 


無能な弱虫

2019年07月19日 | 国際・政治

少し前までは、朝鮮人は朝鮮に帰れという論調があちこちで見られた。

声高に叫ぶのはお勉強が足りないねとねとウヨウヨだった。

ところが、ヘイトスピーチに該当するという最高裁の判決が下りるや否や突然ピタリとやんだ。どうもおかしい。ことあるごとに朝鮮人はおまいらの「楽園」に帰れと絶叫していたのに、ぴたりと静かになった。

おかしくないかい。自分らの信念として叫んでいたのなら、裁判所がどういおうと、検挙や逮捕が待っていようと、そんなことで自分の思想を変節してはいけない。

トランプを見習えよ。「無能でだらしない国から脱出してきたくせにアメリカの悪口を言う移民議員は国に帰れ」実に計算された言葉だ。学がない低層のPoor Whiteにはよく受けるだろう。

韓国でも同様の方法で国民の意識を誘導した大統領がいた。金大中(のちの大統領)を日本から拉致しておきながら、朴正煕軍事独裁政権は、こう言った。

 

「自分の国の悪口を他国に言って言いふらす悪い奴を捕まえただけだ」

 

勉強が足りないか頭が悪いか、とにかく無能な韓国国民は弾圧に対しておびえ狂ったように、「金大中は裏切り者だ」と唱和した。朴正煕偽大統領は、選挙において圧倒的に金大中に敗北していたにもかかわらず、まるで統計をいじってごまかす日本の厚生省のように選挙結果を改ざんし、誘拐、殺人、脅迫、拷問、廃人化を公然と行い金大中を追放した。

それでも足りずに金大中を日本から拉致し軟禁した。これは日本にとってもとんでもないことで、日本の領土内で韓国の警察権が行使されたのだから、主権侵害である。当時の自民党政権は韓国とずぶずぶだったので、あやふやにした。つまり韓国の国家犯罪を見逃してやった。

 

われらはどこにいようがどの国の批判もできる。そうじゃないならどうしてフセインを悪人呼ばわりしたのか。イラク人でもないのに。しかも間違った情報を根拠にするというお粗末国民。

どこにいようがどの国の出身であろうが、どんな非難もできるのだ。なぜならそれは国民固有の権利であるばかりでなく本質的に人間の権利だ。世界が同時進行的に流動化して動いている近代以降は、国境や人種や性別を根拠に国外退去を迫る考え方はバカ特有のものだ。

さらに言うとかわいそうだが、僕は言う。朝鮮人は国に帰れという部類の人間は一体いかほど日本に貢献したか。学校のとき、バカほど右翼だった。低能学校ほど右翼が多くなる。

 

いいよ。発言は自由だ。ヘイトスピーチが犯罪になったぐらいで節を曲げてはいかんぞ。おまいらがいつも言ってることじゃないか。トランプがんばれ。ねえ、そうだろ。


文在寅(韓国大統領)の信念

2019年07月12日 | 韓国

文在寅が野党指導者だったころ、彼はソウルの安国にあった日本大使館を訪ねたことがある。

そのころソウルに住んでいたぼくは書記官からそのときの様子を聞いた。日本の外交官の特徴は、自己保身が行動基準の鉄則で、まさに Silence is Golden なのだ。むかしは、2等、3等の若い書記官の中には希望に燃えた人がいたが今は減った。

能力のある人はたいてい口数が多く、論破された多くの無能から反感を買っている。しかし、一般の会社の中でもそうであるように、組織は能力よりも従順さを重視する。

これじゃあやってられないということで、たいていいい年になると分析力のある人は外務省を去る。

そこで役所の中には身を賭して国益を守るという気合の入った輩はいなくなる。

 

一方で、韓国大使館でヘタに議論を吹っ掛けると、理屈も屁理屈も混ぜ込んでとにかくこちらを論破しようとする。日本大使館でそれをやると、いつもの日本人得意の意味不明な笑顔で議論を避ける。

この違いが重要なのだ。

 

日本は、韓国が今回の日本の措置に対して国際世論に言いつけ外交を展開していることを軽視している。「特恵をやめた」のだから日本の国内問題であり筋違いな韓国の言いふらし、言いつけ外交は問題にしない、というのが日本のスタンスだ。

 

それでは負けるのだ。100%正義は日本にある、韓国を信頼しない、と言い切る安部は勘違いをしている。国際世論は正義につくのではない。「情」と「カネ」につくのである。

どう見ても大国が分断国家に対し傲慢な態度に出ている構図であり、一国の宰相が他国に対し信頼しないと言い切ることは宣戦布告につながるものだ。

 

今や複合大企業に飲み込まれさらに勢いを増し政、産、軍、学、は混とん一体の支配層を形成している。アメリカのことだ。自国のIT産業に負の影響が生じる事態になったら、日本の島国正義など一顧だにされない。

 

文在寅は信念の人だ。彼の青春は、留置所で拷問が当たり前の時代だった。KCIAは、誘拐、殺人、拷問、廃人化、なんでもできた。彼が留置所にいたころ韓国の国家権力は日本の保守層と蜜月時代だった。韓国の軍事政権は日本の自民党政権と癒着体制であったから、文在寅にとっては日本は自国政権と同様に不倶戴天の敵だったのである。

韓国はあらゆる方法を使ってなりふり構わず反日行動を続ける。文在寅にとっては、反日行動も軍事政権闘争も絶対正義なのである。なぜならその考えを貫くことで韓国は民主化したのだから。

 

この考えは単に彼一人にとどまらず政権に浸透している。文在寅一人の狂乱に事を矮小化して自己満足しようという能天気がいるが、頭が悪い。

 

「奉陪到底」という言葉を学んだ。そっちがその気なら地獄の底まで付き合ってやるぞ、という意味だ。日本のお坊ちゃま外交官にはこの気合はない。こそこそフッ化水素は安全保障の問題で国際紛争の議題たりえないという自慰的屁理屈に対しては国際世論が同意しない。通用しない。


最初に書いた野党時代の文在寅だが、応対に出た書記官がこう言っている

通常、韓国人は、反日と親日の間で揺れている。ところが文在寅の話を聞くと、いままでの誰とも違うすさまじく背筋が寒くなるほどの冷徹な反日思想を感じた。

 


無様な安部  ② イラン御訪問

2019年07月06日 | 国内政治

イランがパーレビ王朝の支配下にあったころ、石油の富を一族で独占する前近代の王朝に世界中から批判が集まる中で、日本はパーレビと協力して石油プラントを作った。

イラン革命がおこりパーレビは追放された。パーレビに取り入り石油利権のおこぼれにあずかろうと姑息にも石油プラントという巨額のわいろを贈った日本は、革命ですべてを失った。

日本は一貫して反革命の立場に立ってきた。最近ではイラン核開発をやめさせようとイランに対し経済制裁が行われているが、最も熱心なのはアメリカのポチ日本である。

この歴史的経緯を見ても、能天気にイランが親日国であるというネトのウヨウヨの幻想は捨てたがよい。

この歴史的な日本のスタンスをよく知るイランの知識層が、どうして親日になろうか。

 

テヘランのバザールの商人は「おしん」を見ていたく感激し日本に幻想を持つ人が多い。

 

しかし、田舎で一生ペルシャ絨毯(じゅうたん)の前に座って目がつぶれるまで絨毯を編む少女は知っている。絨毯商人が少女の貧乏につけ込んで低賃金で児童労働をさせ、それをまた日本の商人が買いたたく。

日給100円で編んだ絨毯は日本に行くと1000万になる。

どうして親日になろうか。

 

このようにつねにイランに敵対してきた日本のスタンスを変更するならともかく、イランの敵国アメリカと深い紐帯で結ばれた日本がいかにイランから外交成果を得られようか。

 

何かと仲介をしたがる日本の外交官は、アメリカに「何か直接イランに言いにくいことがあったらおっしゃってください、私がイランに伝えますよ。」と腰ぎんちゃくらしく、あるいはちょうちん持ちらしくお伺いを立てた。

アメリカは言った。「毎週イランのトップとは連絡を取っているからそんな心配イラン。」

 

このような低能の集合体である日本政府が、仲介します、とか、石油ください、とか言っても笑いものになるだけだ。 現にそうなった。