か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

頑張れ、「イスラム国」。

2015年01月27日 | 国際・政治

あなたは、絶対復讐なんてことしないか。やられたらやられっぱなしで、罪を憎み人を憎まないか。

ウソをつけ。わが子や愛する人を殺されても、警察様お願いしますだ、と、お上(おかみ)に任せて平気か。

そう言う低脳で消極的な人生観では、たいてい生活保護をうけ、社会の邪魔として生きることになる。

アメリカ自身が認めることだが、間違ったイラク戦争のせいで、イラクの戦後は悲惨極まりないことになってしまった。最初に書いたまさに復讐の連鎖が起きている。

イラクでフセインを殺したアメリカは、挙国一致政府の体裁を整えようと、スンニ派、シーア派の連合政府を作り要職を両者で分け合うようにした。

ところが、スンニ派は、バース党(フセインの時代)として他の政党宗派を、拷問、誘拐、暗殺、投獄してきた。

当然フセインを殺せば、スンニ派(バース党)は解体し今度はやられる側に回る。通常、わが子を拷問で殺されたら仕返しに相手のほっぺをなでてやろうという仏様はいない。

倍返しでない復讐はない。アメリカの傀儡、マリキはアメリカというトラの威を借り、女、子供、身障者、さらにはシーア派の長年の同士まで殺しまくる。

それまで平和的なデモをしていたスンニ派は、復讐心に燃えた。自爆テロというが、原理主義に凝り固まった気違いの仕業だと思うな。自爆は楽な決断ではない。日本の特攻隊が楽に死んだか。

彼らに勇気を与えているのは復讐心だ。それはアラーの神より強い。

スンニ派が武装するのは時間の問題だった。そしてアラブ世界の9割を占めるスンニ派にはサウジ、クウェート、UAEなどから気絶するほどの資金援助があった。

ある富豪は、いくら与えたかと聞かれ「必要なだけ」と答えた。銀行強盗や製油所の占拠などもしたがスタートは資金援助と住民の支持である。スンニ派はイスラム国を生んだ。

そうでなければたった800人で人口180万の町を占領できない。

彼らをゲリラだとしよう。米空軍の高官は上機嫌でこう発表した。市民が300人犠牲になったがゲリラを50人殲滅した、と。大成功だ、と。

アメリカよ。心せよ。300人の遺族・親戚1500人が新たにイスラム国の構成員になる。

そして復讐する。

勝手に911の八つ当たりに、かつ的外れにイラクに攻め入り、破壊した。女性の社会進出では西欧に引けを取らない国、ガソリンが1円/ℓの国をつぶした。

悪いフセイン、正しいマリキ大統領。日本の小学生にまでそのデマを刷り込んだ。そのマリキが命じた膨大な人殺しがイスラム国を生んだ。

そして収拾がつかなくして自分(アメリカ)は手を引く。あるいは、テロに怯え空から盲爆する。

世界中に同様のことを起こしている。ソマリア、ベトナム、ニカラガ、チリ、アフガン・・・

集団安全保障は、日本の命綱であると思い込み、アメリカの言いなり小僧、ポチになって地獄の底までついていきたがる人が増えた。

そのバカの一つ覚えに客観的合理性があるか、戦略は十分か、勝つための戦略だけでなく当該地の歴史宗教習慣国民性に精通した戦略であるのか。アメリカにはそれがあったためしがない。

傲慢な騎兵隊気取りでインディアンをやっつけたつもりだろう。どの国もアメリカが介入したことで混乱と殺戮は激化した。

空爆すればするほど復讐心に燃えたイスラム教徒は増える。 アラー、アクバル。





 


背中の勲章が見えるか。

2015年01月23日 | クルマ

背中の勲章が見えるか。 男は「Z」を売り続けた。DATSUN あるいは NISSANの Fair Lady。当時の新車価格は100万。

とてもそこらのセールスマンが、手の届くものではなかった。ただ、男はほしかったのだ。L20は、くそガキも含めてあらゆる男の垂涎のエンジンだった。L20を抱いて寝たいぐらいだ。

それから50年経ったのだ。今の基準で論じるのは車をまったく知らない松任谷ぐらいだ。たった130馬力に当時の男は気絶した。

だが、なめてはいけない。たしかに公害撒き散らし、有鉛で人は本当に発狂し死んだ。それでも有鉛は必要だったのだ。オクタン価は140。10㌔/hからトップギアで加速した。ただ踏み込むだけでホイルスピンした。Zは、よく研がれたナイフだったのだ。

おまいらよく働いたからカローラをローンで買える賃金やろうか。そうして資本は世にも陳腐なくるまを庶民に買いあたえる。

くやしかったらZに乗ってみろ、といわんばかりだ。100万とは今の1千万だ。今はレクサスなんて誰でも買えるし品の悪いのまで乗っている。そうなるとレクサスに価値は宿らない。

どうせおまいらは買えんのだ、パブリカに乗れ、サニーに乗れ。そういわんばかりの車格、価格。

悔しいじゃないか。男は、もみ手すり手で横柄な客に愛想笑いをし、セールストークをする自分がいやだったのだ。

隅から隅まで知り、惚れ込んだZ。ところが、あぶく銭を握った無知な客に愛想笑いをしてZのキーを渡す。そんなことは死んでもいやだ。

40年。こうして男は生きた。

僕は彼を車に乗せると200キロ/hで走った。ストレス発散だ。疫病神どもを吹き払おう。

こらえにこらえる人生を強いているという自覚が日産にはあるのか。ただみたいなカネで人を使うことの犯罪性が分かるか。人生を奪うことだぞ。

「会社を辞めるよ。」 男は言った。

「Zはどうする。」と、僕。

「ほしがるだけで俺は終わったよ。」 やがて彼は病気になった。 Zに乗ってから死んでほしい。彼とは連絡が取れなくなった。





 


370万人の抗議

2015年01月18日 | 社会・経済

370万人の抗議=========================

フランス紙襲撃テロ事件は、2015年1月7日午前11時半、フランス・パリにある風刺週刊誌を発行している「シャルリー・エブド」本社に覆面をした複数の武装した犯人が押し入り職員を襲撃、警官2人、編集長、風刺漫画の担当記者ら合わせて、12人が死亡した事件。   <Wiki

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抗議のデモは当然だ。デモ行為自体が表現の自由に含まれるものである(フランス人権宣言、Révolution française)。1789年、 民衆がバスチーユを襲い囚人を解放したのを見て、「治安を乱す行為だ」と非難したのは、王党派のみだった。ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)の歌声は、パリの夏の空にこだました。旧体制(Ancien régime)の道徳が霧散したときだ。

国家が表現の自由を認めたり、与えたりするのではない。逆だ。表現の自由が国家を作るのだ。実はこれが民主主義の基本だ。

彼らはデモで鉛筆を高く掲げた。国にお願いしたり反対したりするJaponとか言う国の、デモまがいとは違う。まず表現があり国は後でついてくる。

この考えはパリ市民に脈々と生きているものだ。自由を守れない国なんていらない。日本では多数決だの話し合いだの付属的な民主主義のルールが大きな顔をしている。

それはいけない。本当の民主主義はこうだ。勝手な政治をする王(権力者)は殺害してよい。まさにそれがフランス革命であり、近代フランスの出発点であった。ルイやマリーの首を切りフランスは生まれた。爾後、国家は国民を恐れた。

いかにごまかすかが政策の基準である日本と、世論の動向を最重視するこの国とは成り立ちが異なる。

このようなテロとの戦いは日本では出来ない。警察は、店員4人を殺害してでもなお犯人ひとりを射殺した。民主主義を破壊するものに対する本気度が違うのだ。

みさかいなくフランス絶賛するわけではない。デモ隊の中にあった三色旗はNationalismの台頭を予感させたが、「イスラム教徒は国に帰れ」という声や看板は見聞きしてない。

そこが日本のポンスケ右翼と違うところだ。

口をあけてお上からの施しを待つ貧乏根性の国民は、異質なものを排除しようとして、朝鮮人は朝鮮に帰れという。

イスラム教徒を警官に採用する懐の深い国こそが自由権を主張できる。そもそも朝鮮人の犯罪発生率は高いのか。百歩譲って、高かったら国外追放していいのだな。

さあ、フランスに行ってイスラム教徒を帰国させる運動をしてもらおう。

それは、まぎれもなく旧体制(Ancien régime)への退行である。「人種、信条、性別、社会的身分、門地で差別されない」という14条は、フランス人権宣言が起源だ。それから100年後に生まれたマッカーサーが、オリジナルとして日本に押し付けられるか。これはまた後でじっくり。

パリ大学は人種の坩堝(るつぼ)だ。しかもソルボンヌに行こうがマルセイユに行こうがどこでも授業を受け、好きなところで卒業する。いいことじゃないか。これを壊したらフランスの学問は死ぬ。

誰でも学べるとはつまり、人種を問わずアラブ人も土人も学べるということ。だからわれわれも勉強できるのだ。イスラム教徒を排除したら、とりもなおさず東洋のサルも排除されることになる。


イスラムの跳ね上がりが12人も殺したのに、デモの矛先がイスラム世界に向いてない。日本ではとても無理なことだ。大人の国だ。JJ.Rousseauの社会契約説は小学校で教えている。





 


スマホを持ったサルたち

2015年01月11日 | 社会・経済

たかが電話の話題のくせに、ガラケーを持っていると笑われる世の中になった。

ほんの5年前、ナビのない車に乗っていて笑われたのと同じだ。その勝ち誇ったような笑い方が同じだ。スマホも持たんとか(持たないのか)、ナビも持たんとか(持たないのか)。 ばか。

カネさえ出せば誰でも買えるような、たわいないものに結構頭を支配されている。

アプリがアプリが。新型はいつ出るぞ。LTEはこんなにすごいぞ。ナビはいずれ消えアプリのひとつとなるだろう。したがってスマホ万歳だな。

さあ、自分にとってスマホは何か。ゲームが面白いもん、買い替えはこんなにやすかった、万歩計アプリで健康になるんだ。・・・

その便利さにうそはない。

問題は、いつもかつも場所もわきまえず熱中するな、ということだ。迷惑だ。間が抜けてゲームのし過ぎで朦朧とした顔をさらされるのは迷惑だ。存在が犯罪だ。

自分の勝手だろというウソを口実にバカ顔を町にさらすのは、迷惑防止条例違反だ。低脳は犯罪なのである。

映画館はスマホの光がちらちらする。大体、話をしている相手に失礼じゃないか。話とは相手の顔を見てするもんだ。しつけの悪い人には分からんだろう。

客層の悪いスーパーほどスマホに夢中な人が多い。買うのは酒とジュースとアイス、アメ、ガム。チンすればすむジャンクフード。

おまいらジャンクフードに何が入っていても分からず食ってきたということだ。今突然ゴミが混ざったか。スマホしながらマックが食事だったろう。


言いたいのはこうだ。ヘナチョコ右翼が清き明けき大和心を絶叫するが、満足な日本語を書いてから言え。家族で書初めをしろ。冬はつとめてだ。雪見障子から庭を眺めメジロに驚け。冷え切った座敷で正座してきちんとした縦書きの日本語の手紙を書け。横書きはもちろん、指をプラスチックに滑らして日本語のつもりになるな。歌会始はいつか。自分も歌を詠んでおけ。・・・

そこまでは言わないが、無批判に流れのままに大事なものとそうでないものを取り違えるのは、頭を使わなかったからだ。

日本の文化も伝統も知らず、その素養もなく、口を開くと他民族を罵倒する。タダのバカだ。

docomo Shopのスマホに手を伸ばす前に自分の脳内を振り返らなけらばならない。頭はそのスマホの機能、使用法という危険ドラッグでいっぱいじゃないか。

考えるべきは、スマホは自分をどうしようとしているか、だ。でないと今までの家電やクルマと同じ轍を踏み、カネだけ吸い上げられる立派なサルになる。






 

 

知的好奇心

2015年01月06日 | 受験・学校

家にいても、なんだかんだ町内ごとがうるさい。枯葉マークしか使わない公民館の掃除、草取り。じっと家にいても早起き会とかが来る。早起きをしろということは僕に死ねということだ。

卑怯にも子供連れで宗教の話を始めたりする。玄関を閉めてもドアの向こうでしゃべっているのが分かる。バイク泥棒を野放しにする警察も私有地の不法行為は見逃さないだろう。現行犯110番。

さらには脳波を狂わす、さおだけ、灯油、網戸の修繕の巡回車。

こんなだったら学校のほうが静かだった。

世間はなぜこうもうるさいか。

ルミエールは、安倍の暴走に抵抗する庶民の味方だ。金正恩はミサイルを撃ってもルミエールだけは残してほしい。

だが、うるさい。痴呆が妻を呼ぶ声。走り回り兄弟げんかをし僕のカートに当たり、謝りもしないしつけられてない貧乏人の子供。

話はここだ。彼ら生活廃棄物たちの行動基準は、利害である。儲かるか、いくらになるか、どんな利益があるか。・・・


あるとき二人の学生が質問に来た。ひとりは絶世の美女で僕は迷わず毎週おいでといった。もうひとりは頭の出来はともかく顔の出来が非人道的だった。仕方なく一緒に教えるうちに僕はだんだん気づいていった。

他の学生もいるので30分が限度だ。家で出来るかぎり解いて来ないと何にも出来ない。

経験的に可愛いのは、まじめであったためしがない。継続性がなく、やがて興味は男に走る。今回もそのとおりになった。ところが、もうひとりの方はまじめに解いてくる。

するとなんだかその醜いアヒルの子の瞳の中に知的好奇心が見えてくるのだ。つまり行動の動機が純粋な好奇心に根ざしている。

世の中は、行動の動機は利害に根ざしている。「顔」だのプライドだの好き嫌いだの上下関係だの慣習だの、さまざまなことが人の行動基準のようだが、つまるところ、銭金を超えて行動できるほど純粋な人は、少ない。

知りたいという知的好機心のみで食らいついてくる人はだんだん美しく見えてくる。

倒錯の世界に入ってはいけないと心の悪魔がささやくが、ちゃらちゃら人の部屋に入り込んで興味が失せるとさっといなくなる無教養美人より、分かった喜びに顔をほころばせるその子の笑顔は、やはり時として美しい。