か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

外国語

2023年02月22日 | 韓国
凄いね、〇〇語ができるんですね。

と問いかけられた時。さて、この「〇〇」にドイツ語が入った場合。はい、と答えると大抵、「すごいですね」と続く。

ドイツではバカでもドイツ語を話しているといっても納得しない。「難しいんでしょう?」とかちょっと尊敬したようなまなざし。



で、「〇〇」に韓国語が入った場合、100%続く言葉は、「どうして韓国語を?」。



これは無意識の差別感だろうか、先入観だろうか。

両者の反応には、とにかくどんなに否定しても絶対何らかの違いがある。


皆さん違いますか?

最初にドイツ語がどうのこうのと出てきたので、「なんだこいつ」と思ったでしょ。「なんか自慢ばかりしやがって」とか。「ほう、どの程度やるのかい?」と純粋に興味を持つ人は少ない。


韓国語の場合、純粋に興味を持ったりする人も増えた。韓流ドラマが字幕なしでとかうらやましいとか思ってくださる人も。

しかし、在日韓国人かとか、何をわざわざ反日国の言葉をとか思う人もいる。とくに年配の方。ま、最近はめんどくさいから、在日ということにしている。


いずれにせよ、話すのは簡単なのだ。最近は「なんちゃって語学留学」が増えてバカ話をべらべら、さも自慢げにするやつが増えた。どの言語でもバカがしゃべるのは嫌だ。

問題は、「読解力」だ。AIも会話程度はできても翻訳能力は全然低い。あと20年、人間の翻訳者は失業しない。

言いたかったのはここから。


その「読解力」。

その人の母国語の国語力以上に外国語能力が増すことはありえない。だから、バカはバカなりの外国語しか話さない。さらに小説や時事問題など広く教養を積んでないといけない。どんな翻訳の依頼があるかもしれない。

つまり、日本語の新聞を読めもしないで東亜日報やNeues Deutschland は絶対読めない。オールラウンドな能力が求められる。

そういう僕はいまだに誤訳が多くてクレームが多い。だが、つねにあらゆることに気を配っていることは脳が活性化している気がして気持ちいい。


一度免許をとると死ぬまでその恩恵にあずかる医師免許とは違うのだ。努力のし甲斐があるお薦めの職業だ。

ウソはしきりと絶叫する 100

2023年02月20日 | 韓国
<前回のつづき> (毎月20日発行)

一世紀前ハワイと朝鮮に住んでいた住民の生活水準に違いはなかったとは言えないが、大同小異であった。ところが、今日比較するならば韓国はハワイに比べて約30年、北朝鮮は60年以上の格差があると思える。今日ハワイではアメリカから分離しようという独立運動はなく、過去においてアメリカとの合邦を拒否したルッリ女王を恋しがる人もいない。そのわけは今日ハワイの市民が守旧派の陰謀を阻止し革命を通してアメリカとの合併を推進した勢力の路線が正しかったと判断したためである。そうして革命と合併運動が成功したので今日豊かで繁栄するハワイが存在できたのだ。


今日韓国では過去日本との合併をとおして近代化を成し遂げ民族の前途を開拓しようとした先覚者たちを親日派だと罵倒しつつかえって閔妃とか高宗をはじめとする反動守旧派を愛国者であると慕っている。こういうことがまともな考えなのか真剣に検討する必要がある。我々が歴史を冷静な目で反省することができることによってのみ歴史は教訓を示し我々の前途を明るく照らす灯台になるのだ。今回はハワイと似てはいるが今だに反米独立運動がくり広げられているプエルトリコの場合を見てみよう。


プエルトリコはカリブ海に浮かぶ比較的大きな島で面積は韓国の10分の1程度で400万の住民が住んでいるアメリカの自治領である。ほかの中南米地方と同様にここでもスペイン語を使っていて宗教はカトリックが圧倒的に優勢である。ここの住民の約80%がスペイン系は奇人で残りは奴隷として連れてこられた黒人とインディアン原住民で構成されている。


プエルトリコに人が住むようになったのは9世紀ごろ原住民であるアラワクインディアンが南米から移住してきてからだ。そののち平和だったこの島に1493年11月コロンブスが上陸しここをスペイン女王の領土だと宣言して島の名前を「サン-フアン」と命名した。1508年からプエルトリコ港が廃初されこの島の代表的な年になった。だが、いつの間にか島の名前はプエルトリコ、港の名前はサンファンに代わってしまったという。1511年にはアラワクインディアンたちはスペインの支配から脱するために反乱を起こしたが失敗した。


その後この島で金鉱が発見されるとスペイン人は金鉱を開発するためにアメリカから黒人奴隷を輸入し始めた。しかし金鉱はほどなく採掘されてしまった。こののちスペインの支配者たちは暖かい気候を利用してこの島でサトウキビ栽培を始めた。19世紀初めになると中南米地域では独立の熱風が吹きスペインの植民地は一つ二つと独立し始めた。状況がこうなるとスペインに忠誠を尽くす一鉢はみんな中南米を離れプエルトリコに逃れてきた。プエルトリコは長い間中南米で唯一の軍事基地となった。


<つづく>

宮田織物

2023年02月10日 | ブランド
生前、おやじの口癖。
「一流を持て、二流で妥協するな。二流しか持てないなら持つな。二流を持てば二流どまりの人間になる。」

太平洋戦争で死線をさまよい高度経済成長で死に物狂いに働いた人だ。

競争、競争。生きるか死ぬか、勝つか負けるかの世界で、もがいて生きもがいて死んだ。


ただ、自分の人生観を周囲に押し付けてもらっては困る。僕はずっと思っていた。
「俺は二流でも三流でもいいよ。指図するな。」と。


ところが、環境のせいか遺伝のせいか。ぼくは、無意識に妥協を嫌う性格に育った。しかも僕は吝嗇である。

要するにケチであるから、一枚の半纏も30年着た。



福岡県南部に羽犬塚(はいぬづか、発音はハインツカ)という町がある。小さいころおやじのバイクに乗せられてこの町を通った。
「あそこの宮田織物ちゃあよか工場ぞ。(宮田織物は優れた工場だ)」と言っていた。



今回ついに限界が来て買い替えたのが宮田織物の半纏(はんてん)。福岡では丹前(たんぜん)という。

最初に買うときは決心が要った。貧血を起こしそうに高かったから。だが、昨日買い替えるときは迷わず買った。30年間綿がよれることなく、縫製が痛むこともなかった。が、さすがに生地がうすくなった。

冬が楽しみな綿入れ丹前。

一流だ。


宮田織物が全国ブランドになってとても気分がよい。10年着ないと本当の違いは分からない。ちゃんと見分ける目を持った人がいるということ。さすが日本。

一流品はメーカーだけでは存在できない。ちゃんと買う人がいて成り立つ。

十倍の価格だが、百倍素敵だ。メーカーの良心と信念、顧客の満足と信頼。両者はガッチリ手を組んでいる。中華が付け入るスキは全くない。