か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

「年収300万円、400万円の人にはわからない」だって。

2013年06月19日 | 食・レシピ

主水さんがさっそく取り上げられ主に800円の水についてのべられていた。僕はもう一つの論点、「お前は貧乏だから分からないのだ」という意味の発言をしたことについて考えてみたい。事の起こりはこうだ。

==========================

川越達也シェフのブログ

 騒ぎとなったのは5月19日に公開された雑誌「サイゾー」のインタビュー記事での発言。川越氏はインタビューのなかで、「タツヤ・カワゴエ」が以前に飲食店評価サイト「食べログ」にて、ある一般ユーザーから酷評され、「注文していないのに水代として800円取られた」などと非難されたことについて言及。食べログのような評価サイトについてどう思われるか、との質問に「くだらないです」と即答し、その理由として、年収300万円~400万円の人たちには、高級店がそこまでの店になるまでに費やしてきた企業努力や歴史はわからないと思う、などと持論を展開。800円の水代については、良質の水を提供しているので妥当な料金だとした上で、「1000円や1500円取るお店だってありますよ。そういうお店に行ったことがないから『800円取られた』という感覚になるんですよ」と反論した。
                                     RBB TODAY 6月17日(月)12時3分配信

======================================

年収が低い人でもいろいろいる。僕はとうとう人生も終わりかけになっているが一千万を超えることはあまりなかった。ただ無駄なことに使わなかったので仕事をしなくてもそこそこのぜいたくはできた。電灯は10アンペアの契約で基本料のみ払っている。ガスも基本料のみ。水は井戸だ。先日梅の木を切っていて脚立もろとも落下して鼻血が出たが冷やせばそれですんだ。味噌も醤油も自家製だ。コメは株主優待で貰うのでタダだ。

なるべく人に頼まなければカネはかからない。うちの剪定を人に頼んだら膨大なカネになる。車検もしかり。車やバイクをぼったくり車検工場に出したら僕は合計100万以上払うことになる。

人間は、収入を増やすことを考えるよりいかに合理的に使うか、つまり節約するかを考えた方がはるかに結果として金を稼いだことになる。少なくとも僕はそう考える。大きいテレビは要らない。近くで見ればいいじゃないか。

僕は品性や教養におい川越達也に負けていないようだ。収入が少ないのを負けているというなら僕は誇りを持って負けていると言おう。

中にはこそこそイタ飯に群がる貧乏人がいる。たまのぜいたくではマナーの悪さをさらすだけだ。口の中にモノをためて大口をあけて笑う。音を立てて食う。ナイフは切るものだ、スプーンではない。とにかくこぼすな。会話の音量は最低にしろ。と思う僕はこいつらが水が高いと騒ぎだすのが目に浮かぶ。

しかしそれを承知で店を始めたんだろう。貧乏人を泳がせといて失敗するとほら見たことかと卑怯にも直接言わずブログで吠える。

僕はそれら一切がお遊戯に見える。みんなぜいたくごっこをしているだけじゃないか。1万円近い食事ごっこはバブル前夜の異常さを連想する。そうしてたかが高級な食事すらできない貧乏人には、「ほら、言わんこっちゃない。水の値段も知らんぞ。」そういう文句を貧乏人に言うのを待っていたんじゃないか。川越。

ああ。嘘ごとの高級ごっこはいい加減にせんか。メニューにないものを黙って持ってきて価値があるから800円出せという店は世界中どこにもない。

社会のあだ花とはお前のことだ。10年後、20年後、店は廃墟になってゲームセンターかネットカフェに代わっても、年収300万の貧乏人は生きているぞ。苦しくても生きているぞ。

 

 

 

 

 

 


死刑だ。これで警察の落ち度ももみ消せる。

2013年06月19日 | 裁判

昨日、長崎地裁はいわゆる「長崎ストーカー殺人事件」について裁判員裁判を開き容疑者を死刑にする判決を下した。

=============================

おととし、長崎県で、ストーカー被害を受けていた女性の母親と祖母が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた28歳の男に対し、長崎地方裁判所は「何の落ち度もない2人の命を理不尽に奪った結果は重く、極刑を科すしかない」として、求刑どおり死刑を言い渡しました。
                                        NHK 6月14日 17時55分

=============================

一見当たり前の判決のようだが僕はここにトリックが潜み巧妙な世論の誘導が企図されていると思う。まず量刑について。二人を殺害しているのだから死刑の判決が出るのは十分予想できる。

ところが、広島お好み焼き店夫婦殺害事件では24歳の容疑者は夫婦を殺害した。そのお好み焼き店には従業員として以前勤務していたにもかかわらず、64歳、61歳の夫婦を殺した。恩のある人を包丁でめった突きにしたわけだ。

裁判員と裁判官は更生の余地ありとした。この男が更生の余地があるなら、他の事件で相当の殺人をしても死刑にはならないはずだ。判決は無期懲役だった。

だが、長崎の殺人の場合には警察の失態が連続して起こり、本来なら殺されるはずのない人が長崎県警の怠慢により死んだ。以下経過を示す。

===================================

【11月】

1日 長崎県警西海署に「傷害の被害届を出したい」と相談。同署は「事件が起こった場所の警察署へ」という屁理屈で不受理

4日 千葉県警習志野署に「被害届を出したい」と電話

5日 西海署に「無言電話が続く」と相談、対応なし

8日 親族が習志野署に「三女の部屋に侵入の跡がある」と通報。同署は対応せず

13日 この頃から筒井容疑者が三女の知人らに「三女の連絡先を教えなければ周りの人間を殺して取り戻す」などの脅迫メール

21日 西海署、習志野署に脅迫メールについて相談。両署とも「被害者の居住地の警察署に相談を」つまりやる気なし

同  三重県警桑名署に脅迫メールを伝え「筒井の実家巡回を」と要求。同署は「西海、習志野署に確認する」。以後連絡なし としてたらいまわしにする 

【12月】

1日 三女が習志野署に「被害届を出したい」と電話。生活安全課は「いつでもいい」と回答

6日 三女と誠さんが習志野署へ。「刑事課が一人も空いていないので1週間待ってくれ」。後に「12、13日に事情聴取する」

8日 筒井容疑者が桑名市の実家を飛び出す  習志野署は慰安旅行へ

9日 未明から三女宅のチャイムを鳴らしたりベランダでたたく音。習志野署に通報。警察官は「顔を確認したのか」「逮捕はできない」と言って帰る。その後、同署は筒井容疑者が三女宅前にいるところを職務質問。両親に連れ帰るよう指示。

12日 習志野署が三女と誠さんから事情聴取(~14日)

13日 筒井容疑者が三女宅近くをうろつく。誠さんが習志野署に通報するも「まだ書類がそろっていないので逮捕できない」

14日 筒井容疑者は実家に帰るが、父親を殴り、母親の携帯電話を奪って家出。誠さんは習志野署員からその事情を聞く

16日 久江さんと美都子さんが殺害される

17日 長崎県警が筒井容疑者を逮捕。習志野署が傷害容疑で逮捕状  

                              読売新聞 1月24日 23時47分(孫引き、一部加筆)

======================================

この醜態を見るととても法治国家の警察とは思えない。全国の人殺しは思っている。人殺しは長崎で。

各県警間で問題をたらいまわしにして事なかれを決め込んでいる。署の慰安旅行には熱心に行くが事件性が明らかなのに解決の意欲が全然ない。殺人の前には傷害を起こしているのにそのまま自宅に帰し、自宅に帰ってないと分かっても被害者の実家には連絡していない。(上記の経過には省略している)被害者の家に向かったことは容易に想像できる。

つまり死人に口なしなのだ。警察、検察、裁判所は国民の非難をかわすため容疑者を早く殺してしまおうとしている。あほな国民は単純にも、悪い人を死刑にしてくれて警察検察裁判所ありがとう、と思うだろう。

ところが身寄りのない広島のお好み焼き屋が殺されても、死刑にしろという世論が高まらなかったので無期でお茶を濁す。

長崎西海町ではあきらかに犯人がそこまでやってくるのに被害届を受理しようとせず、犯人は堂々と人殺しができた。

他人事と思うなよ。広島のお好み焼き夫婦殺しは必ず出所する。まず初犯で満期出所はありえない。その間に恩赦、特赦がある可能性が高い。二人殺しという同一の条件なのに、片方は鶏のように首を絞められ片方はまた包丁を持って町を歩けるわけだ。その残虐性、更生の可能性、再犯の不可能性を鑑みると、逆なら分かる。広島二人殺しこそ死刑だ。裁判員制度の危険性はここにある。

写真は広島お好み焼き店夫婦殺人事件 無期囚 竹中誠司


80年前の団扇

2013年06月19日 | 技術

                

先日、知人にピアノ曲をプレゼントしようと思った。僕は下手なのでそんな僕でも弾ける坂本龍一のBTTBをMDに入れて渡そうとした。

そしたら、MDプレーヤーは捨てたといわれてしまった。僕は、ピアノを少し弾くその友人には練習曲にいいかな、と思ってサプライズのようにMDを渡したんだが。どうもうれしくなかったみたい。

だが大人ならここで作り笑いでもしてうれしいふりをして、相手の気持ちを壊さないようにする。少なくとも日本人ならそうする。知人は受け取りを拒否した。僕は気持ち悪くなったのでそのMDを捨てた。もちろん今後その人と会うこともない。

そんなにちゃんと作動するプレーヤーを捨てる時代なのか。たしかに僕はMDディスクをバカを見た悔しさに捨てた。からかわれた悔しさを今後忘れることはない。だが、知人がプレーヤーを捨てたのとは全然意味が違う。

確かに作っては捨て、を繰り返しその回転を上げることはGDPアップには貢献するだろう。昨年の政権も今年の政権もそのための方法論において競っているにすぎない。違うというなら自民党はGDPの増大を二の次におくと言えるか。

交通事故をどんどん起こし、死者を増やし、公害を増やし、原発を爆発させればそのための対策はGDPを押し上げる。ストックを減らせフローを増やせというわけか。

うちの扇風機のファンは金属だ。スウィッチ類はストロークが深く押しがいがある。スウィッチを切っても相当長い間止まらない。その余韻がこれまたよろしい。残心というのかもしれない。

とてもではないけどエアコンとか使えない。40年頑張ってくれた。メインテナンスをするたびスウィッチ類の良心的な作りに驚く。中華扇風機をお使いの諸兄、あなた方がこの喜びを知る日は来ない。

今日、熊本県山鹿市来民(くたみ)に行って団扇を買った。工程の多さ、集中力のいる作業、気の遠くなるような我慢を強いる作業。工場見学をさせてもらい僕は迂闊にも目頭を熱くした。

そして僕は見た。昨日作ったような団扇。「あ、これ。もう80年になります。」


如何(どんな)日も 一人はさみし 青芒(ススキ)      中村汀女


僕は一人のさみしさを嘆いてばかりいる句ではないと思います。


大学行きたいか。新テスト三回受けろ。

2013年06月19日 | 受験・学校

一回も高校の授業をしたことない奴が偉そうに、受験機会を増やそうとか「到達度テスト」による基礎力を図るとほざいている。

早稲田と言うネームブランドに人は集まるから、5万も6万も人を入学させ銭儲けをしてきた学校のくせによくも全国150万の高校生の心配をしたふりをしているな。

========================= 

文部科学省は5日、大学入試センター試験を5年後をメドに廃止し、高校在学中に複数回受けられる全国統一試験「到達度テスト」(仮称)を創設して大学入試に活用する検討を始めた。大学志願者の学ぶ意欲を引き出すことで高等教育の質を高め、国際社会で活躍するグローバル人材の育成につなげる。1979年に始まった共通1次試験以降、1回の共通テストが合否を左右していた大学入試が抜本的に変わることになる。   <文科省2013.06.06

========================================

まず、高校で大学入試を何回もしちゃいかん。3回したら問題作成労力は3倍になる。「国立大学入試センター」みたいなところができると思うが、その分必ず不幸にして貧乏くじを引いた准教授あたりは問題作成に地獄の苦しみが待っていることになる。

当然予備校との疑惑のかかわりが発生する。

つぎに、高校生は三学期の冬休まで著しい学力の向上をする子がいる。これを3で割って平均化したらむしろ有能な子を落とすことになる。ゴールというのは100メートルむこうにあるものでそこに到達するまでは、トップになったりビリになったりを繰り返しながら走るのだ。ゴールで一番が一番だ。

役所というところは一度やると決めたらどんなに批判を受けても止まらない。共通一次をやった時欠陥はほぼ出そろった。ところがなぜかセンター試験と名前を変えてその後10年以上続いた。

しかも英語以外の外国語は極めて易しい。また年によって難易度に極端な差がある。低脳大学はこの欠陥だらけのセンター試験のみの受験でほぼ合否が決まる。それでも大卒だ。

同じ3回の試験をしたいなら、一次二次三次を一月から三月に行う三回にしろ。高三の時にだらだら試験があってはかえって学力を落とす。

そういう僕も現状をなんとかせねばならぬという意見には賛成だ。中教審の原案は気違いだから中身には賛成できないが。学生にはひどいのがいる。セックスするため大学に来たのもいる。男を誘って捨てるために大学に来たのもいる。なんでこういうのを通したんだ。全く勉強に意欲はない。これじゃあいかんとは分かっている。


「やらんと分からんバカ。」バカが多くて疲れません?

2013年06月19日 | 韓国

優れた人間は人の言うことをいち早く理解するが、こちらがしゃべり終わるのを必ず待つ。会話の途切れたころの絶妙なタイミングで、つまりこういうことだね、とこちらの言いたいことを僕本人よりもうまくまとめ一歩も二歩も先の賢明な結論を示す。

出しゃばらない。優れた頭脳で考えているから思考にゆとりがあり、人の気持ち、前回からの流れ、正しくても言ってはいけない場合があるがその判断。

どうしてこんなに優れた人がこんなところにいるんだろう。役所に入ったころはこんな天才がごろごろいた。会議はたいてい15分。それでも僕の頭には無理だ。いつもオーバーフローを起こした。

この優れ者たちは今、ほとんど役所を辞めている。居直って天下りをしているか、大学か、隠遁生活か、外国の研究所かにいる。

いくら人格者でも限度がある。いくら人格者でもバカに囲まれるのは拷問だ。ぐじぐじ狭い国家主義に拘泥するのは愚の骨頂だ。

国連の無力をバカにして20世紀前半の国家主義に逆戻りする方がもっとみっともない。武力で領土問題を解決しようとする能天気。よく聞け。

軍を世界展開するアメリカですらどこの領土問題を解決したか。ソマリアか、イラクか、アフガンか、朝鮮か、ベトナムか。小日本帝国は開戦時の領土よりはるかにせまくなって終結した。わずかに無人島を右翼の手前ほしがっているだけだ。

そうじゃないだろ。全千島と樺太南半部は固有の領土であり敗戦とは関係ない。

だけど駄目だな。武力で土地は取れないということをこれだけ言っても、物騒なことを言い出す奴らが増えた。そんならなぜ日韓基本条約に賛成したんだ。戦前の右翼と自民党とその両方と朴正煕の合作じゃないか。それをほったらかしにした自民党政権に責任はある。

韓国は時効取得した。本当は自民党を恐れて声を出せなかった外務官僚にも責任がある。だがもう外務省には好漢はいない。

自衛隊はこんなに強くて韓国なんかイチコロだぞ、ということで溜飲を下げるシコリアンたち。一発でも撃ったらおしまいなんだぞ。和平交渉は対馬北島の領有でもめる。そこでバカがまた武力行使する。和平交渉は全対馬をめぐって行われる。

バカは逆に済州島をとるもんとか言う。人民軍、人民解放軍との戦闘に勝つ軍隊はいない。間違えて勝ったとして国際社会をなめるでない。三国干渉どころではないぞ。百国干渉が起こるぞ。

傷口に焼け火箸を入れて掻きまわしただけだ。平和的な交渉の余地というものはどんなにゼロと思える中にもある。これも幕末以降の歴史が語っている。


先生、私覚えられません、バカになりそうです。狂ったな。お前は最初っからバカだ。

2013年06月11日 | 受験・学校

山川出版社とは悪辣なことをする。僕らの前では「歴史教科書専門です、学研みたいに大きくないからどうか採用してください」と言いつつ政治経済も倫理も出している。さらにそれにまつわる参考書、ノート、問題集、10分テスト、となると膨大だ。

教科書においても、詳説、標準、要説があり良い子用、ややバカ用、本格的なバカ用とわかれさらにそれにすらついていけないホームラン級には世界史Aが用意されている。親戚の先輩と教科書を合わなくしてもう一冊買わせようという魂胆だ。

同一校であっても、先輩から教科書などを譲り受けることもできないようにしている。毎年編集の順序を変えるのだ。挿絵の位置を変えどうでもいい文章を変え、最新のデーターや資料を用いたと宣伝する。ばか。1000年も前のことが今年になって変わったりしない。

すると変なことが起きる。山川の教科書は難しいので他の学研か何かにしよう。意外と福岡でトップの修猶館高校とかはそう思って山川を使わないことが多い。片意地を張らないのだ。見栄とかこだわりとかは本来バカが抱くものだ。たとえば、隣の犬を食う原始人はプライドが高い。二流どころの高校で最高の難度の教科書を使う。

出版社もその狂想曲に加わる。山川に負けず詳しい、ということで売り込みを図ったのが三省堂という常軌を逸した出版社だ。ページ数は文科省が管理しているためこれ以上本文に盛れなくなった事項は脚注に入れた。本文より脚注が長いページが出た。入試には絶対に出ない事項で埋め尽くされた。慶応の入試にも出ないもので。

そこで奇形教科書ができる。年表のない教科書、挿絵の異常に小さい教科書、準拠した問題集がない、図表がない、あってもお粗末。その分小さい字の脚注、あるいは左右に注の欄を作った。これで詳しさでは山川に勝ったと快哉でもあげるのだろう。

そこで生徒たちは言う。こんなに覚えたら頭がバカになります。ばか。よく考えろ。教科書がバカなのとお前たちがさぼっていいというのとは別問題だ。

どんなに山川がでたらめでも、三省堂が理解の浅い奴の執筆によるものだとしても、それらは一切己の無能の弁解にはならない。役に立たないとかいう。じゃあ学校やめて自動車学校に行け。役に立つぞ。ばか。学校や教師や教科書など目に見えるモノの矛盾にはどんなに敏感であってもよい。しかし学ぶ者は学ぶことに対しては一言も発してはならない。黙って覚えろ。それが学問の流儀だ。

【昨日の解】
5-√3=a+b   ここで√3は1より大きく2より小さい  5-√3=2-√3+3  だから2-√3が小数部分、与件より整数部分は3  これらを与式に代入すると  (2√3-3)/9

Posted at 2013/06/10

先生、私解けません。狂ったな。お前は自分のバカを叫び散らすな。

2013年06月11日 | 受験・学校

手とり足とりが当たり前だと思い、チヤホヤして問題の答えを教えるのが教師だと思っている勘違い生徒、教師が増えた。

からけん先生は答えを教えてくれない。こう言われて僕は日本で教師をするのをやめた。黙ってついて来れば僕から習えば必ず力がつく。バカだ、あほだ、と言われてもそれを笑い流すゆとりがあれば必ず力がつく。恐ろしく宿題が少ない。最後までとかない。でも不思議なところに妙にこだわる。それが僕のスタイルだ。

今年は口が滑って日本で教えることになったが、レジャーランドに遊びに来て身障者トイレでセックスをして帰る生徒にどうして力がつくのか。看板には高校とか大学とか下がっていたが授業と名の付く授業があっているのを見たことがない。

ごく一部の生徒を除いて僕のやり方は人気がない。まるで僕のブログのようだ。アホが「詳しい」と「真実」とを混同して読むに堪えない文章をコメントしたり、本気で腹をたてるのもいる始末だ。たかがクルマのSNSのおまけに書いているものだ。バカと言いたくもなるだろ。嘘をつこうとするからやたら複雑な話をでっちあげるのだ。

真実はいつも単純だ。何千とある定理を見よ。すべて単純だ。

人の器が小さいからやたら表やグラフや統計に頼るのだ。

必要以上に詳しい数字は必要ない。まあ、大体で答えに到達できるという意味での問題を一つ。数学が得意でなかった人は人生の途中からはなかなか上達は困難かもしれません。数学の力のピークは21歳と言われています。スルーしてください。

5-√3の整数部分をa、少数部分をb。  b/(2a-3b)の値は。

√3には所与の少数はありません。

よく研究された問題です。公立高校に出題したら教育委員会とPTAが引きつけを起こすでしょう。子供がかわいそうだとか言って。かわいそうなのはお前の頭脳だ。ラサール中学入試。次回回答します。

子供には血へどを吐くくらい努力をさせるべきだ。犬を食う原始人に負けているんだぞ。

(写真は韓国体操選手で女子高校生、孫延在)

Posted at 2013/06/09

先生、それは習ってません。狂ったな。お前は習ってもできぬ。

2013年06月11日 | 受験・学校

学ぶということは、餌を雛が親鳥から口の中に注いでもらうこととはまったく異なる。日本では、何かを学ぶということを、芸を覚えることと勘違いしている人が多い。

犬が「おすわり」、「おて」を仕込まれるようにその要領を教わるのを待っている。児童生徒が悪いのではない。教師が悪い。

たとえば分数の計算は難しい。とくに割り算掛け算は難しい。数学をよく知らない人は通分がないだけ加減より乗除が簡単だという。それは意味を考えず答えを求めるスピードだけを考えるからだ。

公文などがその最たるものだ。正解が書けたということと分かったということは全然違う。であるのに子供を計算マシンにして親が喜ぶから公文が喜び教師も喜んでいる。

たとえば、3/2÷2/3=3/2×3/2=9/4なのだがなぜ2/3を3/2としたら掛け算になるのか。これには深いわけがあり、そここそが算数の妙味であり、子供がその仕組みを分かったと思った瞬間数学の力がついたのだ。

子供を計算マシンにしてよろこぶ教師と塾と親がいる以上、子供が真の思考に目覚める余地はない。ただ数学嫌いを毎年毎年生産している。

と、ここで数学なんかできなくてもいいじゃないかという意見がある。それは違う。そういう本人にとって数学が不必要なものであっただけだ。たしかに、ちんぷんかんぷんだったら何も勉強しないのと同じだ。

だがひとたび分かると、紙と鉛筆だけで宇宙の広さを眺めることができる。その素晴らしさに、震えが来るはずだ。だがなぜかそのことを教えようとはしない。スピード、スピード。丸はいくつ、何点取った。

これでは力がある子供ほどバカらしくなってやってられなくなる。

安易に質問するな。多くの問題をとくな。宿題は半分でいい。間違えた問題と悪戦苦闘せよ。

基礎とは簡単な問題を解くことではない。X自乗を微分したら2Xだということができたとして何になる。これで微分をやったとだまされている生徒が実に多い。微分をするということは多くの意味を包含したものだ。

僕は「ゆとり」世代においても十分に考える材料は与えられていたと思う。円周率を3だとした教科書はない。問題は指導要領のいかんにかかわらず、考える余裕を与えなかったこと、優れた者をほめたたえなかったこと。席次すらつけない学校で韓国に勝とうと思っているのか。

受験できる高校が増えれば高校は必ず序列化する。またしなければ頑張った生徒はバカをみる。
だがそのことは、何ちゃって高校に進学した何ちゃって高校生が何ちゃって高校生活を過ごしていいことにはならない。

高校は勉強をするところだ。根性焼きや火事場泥棒養成所ではない。

韓国の理系大学においては学部を問わず因数分解ができない学生はいない。それは高校で本質的な課題に取り組み、間違ってもスピードごっこをして解いた気になったりしてないからだ。

今や韓国と日本の学力は雲泥の差がある。DQN予備軍の男子、化粧をして襟首の汚れた不潔女子高生、見たくない。

Posted at 2013/06/08

頭使わず貧乏から抜け出すつもりか。

2013年06月06日 | 日常

僕は賭けごとが嫌いだ。濡れ手に粟をたくらむその根性が嫌いだ。だが所得が低下するに従って一獲千金を夢見る人は増える。根拠だと。だらけた生活をする人は人の顔を見て品性を見抜く力がない。だから、本人をふくめギャンブル狂いですと顔に書いてあるのに気付かない。

サンダル履きにジャージを履いて古着のアロハシャツ、金まがいのネックレス、洗ってない汚い髪。これだけそろって貧乏だと分からんか。あほ。

さらに根拠がほしければいくらでもある。宝くじ売り場に並ぶその間抜け顔だ。棚からぼた餅を願っていないとでもいうのか。どんぶり鉢にさいころを振っているのとロト売り場に列をなすのの違いはない。

ヤクザの博打を違法だとして競馬を合法だとするのは屁理屈だ。賭場に踊るさいころが馬場を疾駆したら突然紳士のたしなみか。

さすがに僕も今回ばかりは実名を書けない。撒き餌製造器で粉砕され博多湾に撒かれるのはいやだ。いったんここではチンピラA。チンピラはさいころを振るか中州でカツアゲするか覚せい剤を売るかしか能がないと思ったら間違いだ。チンピラAはしょせん使いっぱしりで、考えた組が偉い。

つまり努力してカネを稼ごうというわけだ。パナソニックの重役どもは4億の退職金をもらった。会社は火の車なのに。せいぜい夜道は用心してもらおう。

こう考え、実行しチンピラAまで巨万の富を築いた。

すなはち、関釜フェリーに新車の最高のレクサスを載せ女遊びに行く。ディーラーにはローンの頭金程度しか払ってない。ま、ここも迫力がカネになる場面だ。「文句なかろうね。」と下からのぞきあげられたらディーラーは「はい。」というしかなかろう。

船は釜山につく。この手の人間は実はよくモテる。チンピラAは、昼間はレクサスのピストンを動かし、夜は3人ぐらいまとめてピストンを突く。こうして1週間ぐらい遊びまくる。カネは前回儲けた分がある。

そして電柱かなんかにちょこんと当てる。かすかにへこんだレクサスを見てグルの修理屋は「こりゃあもう、全損ですね。」 そして中古市場に横流しをする。事実上新古車のレクサスは少なくとも500万で売れる。「俺に文句ゆうとか(言うのか)、撃ち殺すぞ。」という場面はよくあるが、結果は専門職としてのチンピラAの腕しだいだ。

上から餌が降ってくるのを深海魚みたいに口を開けて待っていても永遠に貧乏だ。それでもいいという日本人が増えたのでへなちょこ日本になってしまった。頭を使わず一獲千金を狙う卑劣な野郎たち。チンピラAを見習え。

ちなみに今はこの方法はとれなくなった。これ以上は僕は言わない。両手の小指が飛んでいく。


そしてロリコンは犯罪になった。

2013年06月06日 | 思想

そのうちAKBも犯罪になる。篠田麻里子さまの写真を所持するものもしくは電磁的方法によりその記録を保管したものは1年以下の懲役、罰金100万以下になる、そうだ。篠田が30近い婆だろうが関係ない。外見上児童の姿態であると認められなくてもそれをまねたら児童ポルノと認められる。改正案の本文を複雑で分かりにくくするのは官僚得意の国民排除のための常とう手段だ。

すなわち篠田真理子が赤いランドセルをしょったら児童ポルノに該当する。

それでひと儲けたくらんだら300万、その写真を持っていただけで100万。AKBは子供の姿態をまねているからこれでAKBは消えるな。これは全国民が対象だから当然児童も老人も対象になる。中学高校の風紀検査をせよ。もちろん女子も。AKBの写真はないか。

養老院の持ち物検査をせよ。孫のお風呂の写真は児童ポルノそのものだ。

こういうと頭の回転が悪いのが必ず登場して、子供を守らなくてはいいのか、とか言い出す。18歳からAV女優になれる時代に何をぬかすか。ここでいう児童とは小学生のことではない。アホ。

それを言うならエロ写真と性犯罪との相関関係を示す資料を出せ。バカのために分かりやすく言うと、エロ写真があるので犯罪を犯したということはない。もっとバカのためにもっと分かりやすく言うと、エロ写真がないので実物で済ませようと犯罪を犯すのだ。

主たる法案提案者の自民党はこういうことは百も承知だ。土壇場の公明は票になることは何でもするからそれに乗っかるという惨めな姿をさらした。

これは別件逮捕のための最高の材料になる。正直に言え。だれでもお気に入りのエロDVDは持っている。だから警察は任意に別件逮捕が可能だ。

アニメすらその対象になるという。「しずかちゃん」は架空の人物だ。彼女が被害者になるという法制的矛盾もある。そもそもだれがどんな絵を描こうと国が介入してはならない。それを個人的に持つだけなのに罰金をとるとは気違いだ。

自民党の憲法改正原案には結社の自由すらない。ましてや表現の自由がある筈がない。歴史に学ばない揮発性メモリーの脳細胞たちよ。1925年に治安警察法が治安維持法に改正されたことがなぜ大問題だったのか。予防拘禁制度の誕生にある。これで警察は任意に現場の判断で国民を逮捕できるようになった。

その結果、不当に逮捕された人の数は、正当に逮捕された人が増えた数をはるかにしのぐ。     

「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。

ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。

ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

                                       マルティン=ニーメラー(独)


人のミスを許さぬバカ。お前のミスはだれも許さんぞ。

2013年06月06日 | 思想

そんなに日本が好かんなら出て行けという低脳の声が聞こえる。その結果日本はどういう国になるか。その低能で、右翼で、ひがんで、ねたんで、いじけて、すねてしまった実にかわりばえのしない面白くない人間の集合体になる。

そういう人間は出産されない。ゼロックスの光が往復するとき生産されるのだ。機械だから。このCOPYされた機械は実に好まれてきた。言われたことは何でもする。人殺しだろうと盗人だろうと理性がないから何でもする。問題は日本ではそれは褒められてきたことだ。私人Aが私人Bを殺せば殺人罪だ。企業Aが私人Bを殺せば尊い犠牲だ。

そして、言われないこと、指示されないことは何一つしない永遠の兵隊だ。

こんながんじがらめの社会は褒められたことでもないのに、東洋のリーダーと叫び散らす幻の国粋主義を標榜する。倫理、道徳が遅れた国がアジアを率いるのか。そもそも国が国を率いるという考えが下品だ。A国がすべての面においてB国を凌駕するとは思い上がりだ。

三万人以上が自殺をし、五千人が交通事故で死ぬ国が何を根拠にアジア進出を図るのか。八紘一宇の再来か。

オランダの哲学者「ホイジンガ」は人とはホモルーデンス(遊ぶ人)だと言った。一茶も、遊びをせんとや生まれけん、と述べた。熱狂を排除する考え方はわが国にも息づいていたのだ。

欧州においては、スローガンによって顔をひきつらして熱狂する人がいる半面、覚めた眼で見る理性に満ち落ち着いたまなざしがあった。あのドイツですら全員が陶酔した訳ではない。

ここが重要なところだ。熱狂の渦が過ぎたときパンドラの箱の隅に震えていたのは「HOPE」という忘れられた存在だった。

このHOPE君をTrickster(トリックスター、道化)として山口昌男が日経に書いている。

======================================

人間の社会にとってこうした存在は、社会そのものを活性化していくうえで不可欠といえる。新しい概念、価値が求められる時代や企業組織においては、トリックスターのように1つの組織におさまらず複数の世界で生きられる両義的存在が活躍する。しかし、これまでの近代資本主義の社会では、「進歩」の概念のもと、いかに機能的・効率的に行動するかが大きなテーマだったために、そうした存在は不要で、邪魔者扱いされるような傾向があった。企業ではデザイナーや広告部門のクリエイターたちが本来トリックスター的な役割を担うはずだが、残念ながら日本企業の多くはそうした人々を「兵隊」にしてしまい、創造性を枯渇させてきたように思われる。     >2005 5.19 日経

======================================

それは個人にも言えていて、回り道、下積み、左遷を味わったものはその組織の中心からちょっとずれてモノを見ることができ、優れた発想や提言をすることができるのだ。異端を排除してはならない。


バイオリンを弾くな。

2013年06月06日 | 音楽

バラックが連なり闇市が広がっていたころ。浮浪児はそれぞれグループを作りケンカに明け暮れていた。まやかしの同情心は彼らを施設なるものに収容しようとする。そのお先棒を担いだのが警察だ。この低脳たちは昔から今までさじ加減というものを知らない。浮浪児は人間ではなくノルマだった。

進駐軍は人殺しを作業のように行いながらもふとしたところに気まぐれで、お遊びの善人ごっこをする。そこらの孤児を帝国ホテルに連れ込むと、バスタブにあふれんばかりの泡を立てすっかりきれいにし、散髪し、三越で服を新調し、少々の金を持たせ飯を食わせると、はいさようならと放逐する。

さあ、どっちが悪質か。警察からまわされた浮浪児は孤児院で偽善的気まぐれに戸惑う。イエス様の説く世界はあまりにも輝き夢に見た母の出現を約束するが大ウソだ。彼らにとっては闇市の意地の悪い婆どもがよっぽどマリア様だ。善人ぶることもなく余った野菜をくれた。人は居心地のいい方に流れる。だから孤児院を抜け出すのだ。ノルマ消化の警官にはわからんだろ。

そんな孤児の中にバイオリンのたしなみのある子がいた。子供だから大した音は出ない。第一、バイオリン自体が焼失している。

軍関係のバイオリン奏者がどこからかその噂を聞きだし、その孤児と会った。子供が弾くにはフルサイズの大きすぎるバイオリンだったが、才能を感じさせる音がした。軍のバイオリン奏者はいくばくかのカネと自分のあまり上等でないバイオリンを与えた。

といってもバイオリンの値段というのは郊外の住宅より安いものはない。弓もほぼ同額だ。二人は再会を期して別れた。

バイオリン奏者は目が出なかったようだ。アメリカの芝生の庭に出てたしなむ程度に弾くのを老後の楽しみとしていた。運命は残酷だ。浮浪児は成人した。世は高度成長を迎えた。だが彼は乞食のままだった。佐世保に流れ着く。

老人となった奏者は奇跡的に多くの協力者を得て彼を見つけ出す。この美談をマスコミが放っておくはずがない。四ヶ町のアーケードの下、冷たい地面に彼は寝ていた。カメラの放列は彼をせかす。ボロボロになったバイオリンケースを開けろと。

これを制したのは老奏者だ。

持っていてくれただけで十分だ。開けることはない。その中にボロボロのバイオリンが入っていることは明白だったのだ。残念ながら乞食が弾けるものじゃない、才能がないものが弾けるものじゃない。

ここに逆説がある。だからトップの奏者は代表なんだ。夢がかなわなかった人たちの代表なんだ。豊かさだろうが才能だろうがすべてに障害なく、かつ指導者に恵まれて初めて花咲くものだ。トップ奏者は心しなければならない。自分ひとりでそこにいると思ってはならない。


会社も辞めたし。趣味でも持つか。それは趣味に失礼です。

2013年06月02日 | 日常

お前らが仕事を命がけでしたと思っている以上に趣味は命がけだ。かつ、山で死んだら捜索費は有料だ。自分が死んだうえに家土地が吹っ飛ぶほどの捜索費が請求される。

つまり命と財産をかけて遊ぶのだ。理解力のない便所の団子虫は否定的に、何で山に登るかねえという。学校の評定で言うと興味・関心は「C」だ。何で登るかわからぬ虫が、興味・関心なんぞ最初から持ってはいけない。

「そこに山があるからだ」と答えたのは方便である。なぜ頭痛がするのかと問われ「そこに頭があるからだ」と答えるに等しい。

登山家にとっては、朝飯を食う、食器を洗う、着替える、電車に乗る、朝礼に間に合う、昨日の残りを入力する、レイアウトを整えプリントアウトする、課長の決裁をもらう、稟議書を作る、昼飯を食う、他社との応対に出る、翌日の資料を作る、退社する、不倫相手とお茶を飲む、帰宅する、子供を抱き上げ家っていいなと思う。これらの一つ一つが山で死ぬより苦痛なのだ。

人が考え、ためになる話だと思い厳選したものを書いているのに、偽インテリの思い上がりはひがんですぐ非科学的ちょっかいを出す。僕は、こんなところで自慢したりしない。僕の言いたい中身をくみ取ってほしい。

山は麻薬だ。フリークライミングという幼稚園のジャングルジムを大の大人がやるようになった。一度でも岩登りをやると、もう岩登りまがいのことはできない。ジャングルジムごっこや砂場遊びに関心が向くことはない。大きな北壁は僕の技術では無理だがそこそこであれば精密な計算とチームワーク、「勘」、体力があれば困難ではない。日本の谷川岳がはるかに危険だ。九州の鷲ヶ峰はさらに危険だ。

人間が克服できるのは「困難」である。「危険」は確率の問題でたとえば隕石を避けることはできない。がっしりしたヨーロッパの岩を見たとき、電柱を登るようなまるで工事だなと思った。

そんな工事の電柱登りのため体力づくりをしようとは思わない。ましてやジャングルジムの登頂のため腹筋を鍛えるバカはいない。

岩にへばりつき手を伸ばしても届かない、下を見ると曇って見えない。この時自分を助けるのは自分だけだ。ルートの計算、ザイルをもう一本出すかどうか、カラビナは、ハーケンはここで打つべきか。間違えればザイルでつながった仲間も死んで膨大な借金を残す。

それを何百回繰り返し、ふとあるとき垂直面の連続が水平面に代わり手のひら、肘、腕で体を押し上げる瞬間が来る。頂上だ。

僕は便所の団子虫になって満員電車に乗るのはいやだ。

  Posted at 2013/06/01

TDL美談。バカをだましてお涙ちょうだい。

2013年06月02日 | あそび

「一杯のかけそば」という話が一世を風靡した時がある。意見は二つに分かれた。美談に涙が止まらないもの。あるいは冷静にその矛盾を突き笑い飛ばし作者の犯罪性を追求するもの。

純情感涙低脳は僕を責めた。舞い上がってしまうとどんなに冷静に論理的に論破しても無駄だ。僕は文部省にいたが作家栗良平をインチキ野郎として批判するのは少数派だった。かけそばねつ造美談はまさに軍国美談だ。タモリは僕の学校の先輩だけあっていいことを言う。「なみだのファシズム」得たり。タモリは胡散臭さを一蹴した。

しかし、バカはいつまでも繰り返しだまされる。こういうのがいるから盧溝橋のよく分からない一発の銃声に唾を飛ばして暴支膺懲を連呼する。似たことが起こり低脳は涙した。それがなぜ問題か。どうにでもだまされる人間が多数だと分かったからだ。

=========================================

若夫婦がTDLの中でお子様ランチを注文する。私達には長いこと子供ができなかったのですがやっと昨年念願の女の子を授かりました。しかし誕生日を待たずしてその子は天に召されました。きょうはその子の一周忌です。主人とともにお子様ランチを食べようとやってきました。アルバイトの青年はまるで子供がそこにいるかのようにお子様ランチを運んできた。規則としては大人がお子様ランチを食べることはできなくなっていたのに機転を利かせて子供用のいすとか「お子様はこちらですね」と声かけをし若い夫婦は3人分のお子様ランチを食べた。後日TDLに感謝の手紙が届き「今度はこの子の弟か妹を連れてきます。」と書かれていた。    >ネット上に蔓延する美談で出典はオリエタルランドの相談役の堀 貞一郎顧問

========================================

まず、若夫婦は最高の席に突然入店してなぜ席が取れたのか。ありえない。フレンチが出る店からはミッキーのショウが見えないそうだがどう弁明する。顧問がなぜこの話を知っている。アルバイトが機転を利かせていいというマニュアルが必要だ。一挙手一投足マニュアルじゃないか。どうしたらいいか上司に聞きに行くことはない。忘れるな。若夫婦自身が座れなかった店だ。顧問の堀は従業員を前にこの話を語っている。顧問の堀はそこからどうやってミッキーのショウを見たか言ってもらおう。

つまり、嘘はボロが出るのだ。物語として語るのは勝手だ。社員研修の良い教材だ。堀ももっと使ったらどうか。しかし、犯罪性はここにある。そのへそが茶を沸かす子供だましの作り話を事実といったところだ。

僕はテーマパークは元来好きだ。しかし醜悪なぬいぐるみが闊歩する香港は15分で出た。汚い熊が抱きついてくるソウルは5分で出た。TDRは何日も何日もいた。ヒルトンの隠れミッキーを探すとき、子供と良い時を過ごした。みんな嘘だとは分かっている。だけど、嘘だと言ってショウを見せるならいくらでも酔って見せる。許せないのは本当だと言って僕をだましたことだ。

Posted at 2013/05/30

働いて働いて蔵建てたろうやないかい。

2013年06月02日 | 思想

僕はつい間違えて仕事なるものを始めてしまった。いやいやながら仕事をやっているが、そういう僕を批判するのは大抵年寄りだ。耐えがたきを耐えしのび難きをしのんで頑張るんだ。艱難汝を玉にす。俺の若いころはこんなもんじゃなかった。セールスはバスと電車で回ったぞ。初任給は40000円だったぞ。からけんはもっと根性を持て。

黙れ。あほ。会社の邪魔の枯れ葉マークはいい加減自覚しなければならない。

低脳無能品性下劣で無教養だから売れるものも売れなかったんだろうが。要するに能力がないから頑張らないといけないんだ。

僕は会社勤めではなかったが、こんな便所の団子虫達といてはまさに朱に交わって赤くなってしまう。そう思った僕は勤めて三日後から何とか脱出の方策を考えていた。

そしてそのための死に物狂いの努力をした。棺桶に枯れ葉マークを下げて昔のでっち上げの栄光にすがり禿げて腹が出て、若いころはむやみに威張るしか知らなかった低脳よ。それにしては部長には平身低頭だぞ。

会社こそこいつらのための無駄な生活保護をやめるべきだ。公園の草取りをして時給800円なら上等だろう。やれよ。アホ。お前の自慢話は仕事の邪魔だっていうのが分からんのか。しかもその話を繰り返す。しかもだんだん尾ひれはひれが付いていく。しかも肝心なことだが面白くない。

今便所の団子虫である枯れ葉が数十年前有能なセールスをしていたはずはない。だが、僕は人に迷惑をかけない無能ならば責めない。どこが迷惑なのか。分らんか。アホ。存在が迷惑だ。能力をまず第一義的に磨くべきだ。教養のないセールストークで車が売れるか。問題も解けないくせにがむしゃらに黒板に向かわれても迷惑だ。

バカからバカと言われるほど情けないことはない。なんせバカだから。噛んで含んで言ってもわからんのだ。人生の無駄だ。不毛だ。

僕が韓国ドラマは面白いと言ったら、いやみに韓国語ができることをひけらかして、と右翼がひがむ。右肩にかけたハンドバッグが室内に入ると左にかかっていたり石段なのに上るとぼこぼこ音がして立木が揺れるなどツッコミどころ満載で面白いって言ってるのに。アホこそ何度も人の話を聞くべきなのにな。

いま、西鉄ストアが面白い。昨日アブナイ韓国人との格闘編を書いたが、酔っ払い相手に勝たなかったのだからカッコ悪かった。奴らケンカは路上の実践仕込みだから強い。あ、言い訳はよそう。単に私がヘナチョコだった。それより前だがあるご老人がレジーで困っておられた。カネの計算ができないと同時に指がマヒしてお金がつかめないでいた。よいことはしたくないが待つのは嫌だったので僕が計算をした。老人はもう礼を言うこともできないぐらい痴呆が進んでいた。2,3品紙に書いて買い物に来ていた。家族がいたら残虐な家族だ。きっと仕事が仕事がと言い訳するんだろう。

仕事がそんなに万能の切り札か。家族を殺してまで働くのが美徳か。上記のご老人は必ず交通事故で死ぬ。家族の犠牲が何の自慢のつもりでいるんだ。

その老人は車を運転して帰った。

「会社の邪魔」の行く末を見た。「社会の邪魔」になっていた。能率だけを考え人を放り出す会社は、放り出された人たちの行く末に何の関心も示さない社会をつくった。「明日は我が身」ではだめだ。おそい。西鉄ストアで右往左往し社会の邪魔にされる老人に「共感」を感じなければならない。

たしかに便所の団子虫は会社にいてはいけない人だ。それは上に書いたとおり。社会は枯れ葉にとって存在自体が犯罪とならない場所を提供するよう考えてみるべきだ。仕事、仕事、仕事。この中毒から覚めないとこの国はよくならない。

稼ぐに精一杯で考えるゆとりのない人には、必ずあなた自身の存在が邪魔になる日が来る。


Posted at 2013/05/29