か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

在日特権はある だからなんだ 負け犬の弁明はやめろ

2015年02月28日 | 韓国

特権とは不正であり不公平であり悪である。近代資本主義社会においては、われらはこのような「人の支配」を否定し「法の支配」の下に生きようと決心した。

人を階段に並ばせて、お前が上だ、俺が上だと競わせる社会は、150年前にその非効率さゆえに崩壊した。

以来我々は、何で俺だけだめなのか(例、不合格)、と問うとき、返ってきた理由により不必要に納得したり反発したりする。すなはち、お前が点数を取れなかったからだ、といわれようものならその言葉を聞き終える前に退散する。

しかし、朝鮮人だから、キリスト教徒だから、女だから、労働者だから、だからといわれたら火がついたように反発する。あたかも差別は非道徳であり不条理なことのように激昂する。

人はこのように、自分のコンプレックスに敏感であるにとどまらず、他人が合理性のない理由により一定の利得(例、合格)を得ようものなら、その他人の利得によって自分が大損害をこうむったように憤慨し、そんな特権許さないぞ、と悲鳴を上げる。

僕は在日特権について忘れられたような事柄を書いてきたが、書けばもっともっとある。あるのだが一般の在日が特権の恵沢を享受することはまれだ。もちろん、そういう特権の存在はごく一部であってもそれ自体、悪ではある。

ポイントはここだ。カマキリのように役にも立たない斧を振り上げ遠吠えしても負け犬に過ぎない。自分の怠け心、不寛容、無教養、子々孫々続く下品な生活、・・・これらをしばし忘れようと悪い朝鮮人めがけ自分のコンプレックスをぶつける。

「法の支配」の落ちこぼれたちが、せめてもの弁明に見つけ出したのが在日特権を攻撃することだ。だが、本質はそこではない。ことの本質から目をそらし問題を他人になすり付けるのはいつでもできる。それは簡単なことで努力も要らないが自分の状況も改善されない。

人の不正を暴くようなお遊戯に気を取られていては、一生文句ばかりの人生になる。ひるがえって、自分の状況、環境はどうだ。最悪だろう。そう。環境は常に最悪だ。だからこそ負のスパイラルを、朝鮮人バカだーっ、と叫びながらまっしぐらに落ちるのでは、ただの貧弱なカマキリだ。

貧困の悪循環は哀しい。

 

 

 


在日特権はある その3

2015年02月26日 | 韓国

日本の人口がやがて半減するということは、高校も半分で済むということだ。不良私立校は、今まで教育のフリをして生徒を詰め込めるだけ詰め込んで金儲けのために学校を経営してきた。

時代は変わるもんだ。60年代。福岡県は社会党の天下で労組の推薦がないと校長になれず、ヒラは定年がなく朝礼は階級闘争の場であった。増える人口に対し校舎は慢性的に不足し、学年16クラスの公立校があった。運動会は2回に分けて行い、付近の民家を買い上げ部室に当てた。

ほりえもんや孫正義が通った久留米大付設や明治学園等の例外を除き、上から1/3の生徒は公立に行き、もっとバカが残りの2/3の私立に行った。

公立とは、タダみたいな授業料で賢い子が集うところを意味した。県はマンモス校の解消のため公立増設を図ったが一朝一夕には出来ない。

そこでだ。わが子も公立にという親心。本人も、あんな私立校の不良と一緒はいやだと思うのは当然だ。解放同盟や社会党、自民党、県教委、組合の支部長、総務部長・・・。頼むところはたくさんある。

試験なんかどうにでもなった。

入試の結果発表前に団体が圧力をかけてきた。何と生徒どころか教員採用試験に対してすら一定の人数枠を持つ団体があった。

朝鮮人の団体とは言わない。ただ渾然一体となって同じ地域に住んでいる場合がある。その地域のボスにコネがあるか、あるいはボス自身の子供が受験するとき不正が起こる。

僕は中学始まって以来の天才といわれていたのでその必要はなかったが、ご親切にも発表前に僕の点数を知らせてくれる人がいた。このように住民は不正という肥溜めの中を泳いでいた。不正は、希望の星だった。

何を思ったのか、バックに何でもいるこの地域ボスは、途中でごり押しをやめた。理由は分からない。

不正をやめたので在日特権はないというか。普通の日本人がこんなことをしたらどういう目にあうか。わが子を合格させろ、入学させろと圧力をかけたらとんでもないことになる。警察沙汰は間違いなし。目をつむれないウルトラ不正だ。

もちろん、こんな特権がすべての朝鮮人にあったわけではない。しかし、すべての日本人に、そんな特権があったとでも言うか。

昔の話だ。日本人であっても、先生の子供は公立を落ちたためしがなかった。小学校の先生になるには500万、中学校は800万、校長は2500万、と、まことしやかにささやかれそのとおりになった。

昔の話だ。世は不正であふれていた。だがしかし、僕は言いたい。

だからといって、不正や不公平がどんなにあふれて公然化しようと時が流れようと善に転化したりしない。悪は悪であり許してはならぬ。

 

 

 

 


在日特権はある その2

2015年02月24日 | 韓国

 

大学入試センター試験の「外国語」では、選択5科目中で「英語」の平均点が8年連続最低となり、トップの「韓国語」とは100点満点換算で13点以上(本年度は27点)の差があった。得点調整はなく、「英語選択者が不利」という声も出ている。

文科省の担当者は「英語以外は、受験生のほとんどが在日外国人や留学経験者が中心。得意だから平均点が上がる」と指摘する。

                                                                    by産経ニュース 2011/02/06[23:40:53]抜粋

以上引用。

僕は毎年、漢文や現代文、英語、韓国語、政経などを解く。学習指導要領にそって・・・とか文科省はとんでもないデタラメを言う。とてもじゃないが気を抜くととんでもないひどい点数になる。

手も足も出ないのが高校生の半数であり、残りのましな半数の生徒が必死に解いて6割取れれば上等だ。4択だから確率的に25点は取れそうなもんだ。あまいあまい。

9割取れば、ほぼどこでも合格するとても困難な試験だ。韓国も似たような「修能試験」というのがあるが、やはり問題の質に格段の差があり、暗記中心、古い解法や定説、用例がそのまま使われていて問題に工夫がない。かつ平易である。

で、日本。

韓国語の問題が平易であるので平均点が高い。それは事実だが、ことはそう単純ではない。

大学入試センターは20点程度の格差が生じた場合その調整をすることにしている。英語韓国語間では ひどいとき、平均点は100点近くの差(200点満点)があった。調整されたことはない。

フランスからの帰国子女は、フランス語が日本の高校生よりよくできるだろう。じゃあ、韓国からの帰国子女が韓国語を選択して受験しているか。問題はここだ。

否。在日が受けているじゃないか。

僕は、仕事の半分は韓国語を教えることだったので、連続して10年以上問題を解いている。テレビを見ながら。1/3の時間で。満点だ。

当たり前だ。バカにするな。小6の国語だ。脳に障害がなければ、半年で満点が取れるようになる。

高校生が英語に割く時間はすさまじいものがある。単語帳を見ながら登校したことがあるだろう。どうしても分からない英文解釈を前にして泣きそうになったことがあるだろう。

言いも言いたり。文科省のへぼ役人。最低の官僚の集まるところだけのことはある。「得意だから平均点が上がる。」

違う。バカでも解ける問題だから点が上がるのだ。日本人が英語を学ばずに高校を卒業することは、何ちゃって高校以外できない。つまり韓国語で受験できない。

かたや在日は、4世、5世の時代だ。最初っから韓国語ができるはずなく、周りに韓国語ができる人がいないのが大部分だ。しかし、とにかく堂々と当たり前のように、マヌケな試験を受けることにより、日本人より点を何十点も多く水増しし、下駄をはかせてもらえる。

ういた時間で他の高校生の何倍もほかの教科の学習ができる。

これが特権でなくてなんだ。

 

 

 


在日特権はある

2015年02月22日 | 韓国

通称語学堂という外国語教育機関が延世大学校の隣にある。名称は朝令暮改の韓国の例にもれず二転三転したが、通称を知っておけばよい。どうせまたすぐ変わるから。

延世大学校は本学の外国語教育課程とは別に語学堂を設け、そこでは韓国語を母語としない受講生にもOpenに韓国語をはじめ若干の外国語を教育している。

本学の課程を受講しようとすれば当然、入試をパスしなければならず外人にはほぼ不可能だ。そこで、無試験で金さえ払えば誰でも入学できる付属の幼稚園みたいなこの語学堂を始めた。儲かる。無試験で集めるから。

朝日新聞にいた強制連行捏造記者である植村隆もこの語学堂にいた。彼はうそつきである。彼が延世大学に在籍した事実はない。延世大学の横にある学習塾にいただけである。

ところで、なぜこの語学堂が在日にとって特権であるのか。

韓国の大学入試の厳しさはデマである。ソウル大とわが延世大を除いて丸暗記で通る。もちろん理系はこの限りではない。5%に満たない理系はひとまずおく。

ソウル大は別格であるし日本語教育に対しては冷ややかである。日本の東大が2次入試に韓国語を実施してない対抗措置だ。

すると、日本の大学なんてどこにも通らない、そればかりか何ちゃって大学すら通らない在日は、語学堂に通う。韓国の物価が上がったといってもまだ学費は日本の数分の一だ。

なぜ語学堂に行きたがるか。

それが特権だからだ。

語学堂で一定の成績をとると、無試験で大学に在外子女枠で入学できる。何と延世大にだ。延世大に行かないと意味がない。そこに行きさえすれば好きなところに就職できるし、院に進めば賄賂を渡し研究者になれる。

人生のパスポートが来るのだ。東大も特権があるが実力を伴う場合が多い。ここは違う。特にマスコミに関しては絶大なコネがある。その他、KAL、現代、・・・

こんなバイパスが公認される社会に未来はない。

延世大にも明らかに学力に低いのが毎年入ってきたが、彼らはあの進級が厳しい韓国の大学を、何故かすっと卒業していった。

つまり、入るのも特権、進級も特権、卒業も特権、就職も特権。これで特権がないとどうして言えるか。ないと言い切るにはすべてを調べ吟味した後に発言すべきだ。

お人よし日本政府は、ODA100万ドル(当時2~3億)で語学堂の建物を寄付した。

 

 

 

 

 

 


VIPは、Very Important Person

2015年02月21日 | 健康・病気

VIPは、Very Important Parson社長だからといって社長らしくするのではない。逆だ。社長らしくするから社長になるんだ。

へ理屈をこね回して一様なつもりでいるそこらのアホに分かりやすくいう。知ったかぶりというのは怪我をする。

たとえば、心の底から身についた社長らしさもないままに、マジェスタに乗ろうと、そこらの腐れたバンに乗ろうと関係ない。バカを飾ってもただのバカだ。

この手のやからはどうも屁理屈をこね回し、しまいには自分でも混乱し醜態をさらしている。

誠実に今まで僕のみんカラのブログを読んでいただいたFANの皆様に対しては、本当にありがたく思っています。

利害金銭を離れ225名の方がFANになって頂いて感激の日々でした。

ただ、一部に僕を信用しない人がいるのが残念だ。主水さん(みんカラを追放された伝説のブロガー)に言われた。そんなのに付き合ってはだめだ、数が増えれば変なのは出る、と。

僕の話が作り話だと思える貧乏な人には悔しかろう。僕が何度も言うように事実はどうだっていいのだ、ということが永遠に分からんだろう。

で、Jokeは別として書かれたことはすべて真実である。学生に買わせる本はあまり書かなかったが一般には数冊出した。学生にはCopyでよい。

僕が発見した定理もある。いずれも面白半分に出来るものではない。役人の試験は、知識と推理力の両方が問われるが、たいしたことはない。というのも訓練で人間はいくらでも早く解けるようになるんだ。

ところが専門の分野においては一番になることが必要だ。しかしながら、これもたいしたことはない。問題は、一番であり続けること。

これは命がけでないと出来ない。サラサラ面白がって書いてるアホがいるが本当の勉強をしたことがないか、その能力がないか、その環境がないかだ。

石にかじりついた努力は僕の頭をおかしくした。しかし止めない。退職するととたんに有名人に会えなくなった。会いたいものだ。やはり、誰かと会わないといい発想は浮かばない。

22才の頃、父親はめかけ遊びの合間に僕にスーツと靴をあつらえてくれた、ロンドンで。

よしっ、役人ごときは目じゃない、と、若かったからたいそうな野望を抱いたもんだ。白洲次郎を夢見ていた。思い上がりにもほどがある。恥ずかしい。


不整脈が出ているそうで大病院に入院した。僕は部屋に人がいると眠れないんだ、看護婦をつけるならいいけど、と同級生の医者に泣きつきVIPルームを占拠した。

思った。金持ちは長生きするはずだな。ソファー、机、テレビ、電話、ネット、風呂・・・オマケにベッド。3部屋。ときどき看護婦のご機嫌伺い。制服とはいいな。

ご飯は運んでくれる。お口をアーん、とまではしてくれなかったが、南向き角部屋。僕はコネで入ったが、ここに何ヶ月もいる金持ちがいるんだもんな。

6畳の部屋に6台のベッドを詰め込んだ相部屋にいたらそれが原因で病気になっただろう。

父親がいみじくも言った。一流を持て。さもないと頭が腐る。一流が買えないなら持つな。二流で妥協するとその程度の人生になる。


(写真は、本日退院したVIPルーム)




 


人の失敗は、指差して笑おう。

2015年02月20日 | 教育

馬鹿は、人の失敗を見ると、このときとばかりに作り笑いをして顔を引きつらせて笑う。嬉しいのだ。

ある物事を、自分ひとりが理解できないでいるときの惨めさ。周りが、あいつは理解が遅いぞと暗黙の目線で同意しあったときの疎外感。

賢いやつが小声で一言言えば、周囲は軍隊のようにさっとその言葉のほうに動く。ところが俺が理解力がないからとバカにしやがって、こちらが怒鳴ろうとガン飛ばそうと人は冷ややかな笑いを向けるだけだ。

しかし、それは当たり前だと思わないか。バカの大声にしたがっていたら、非能率であり、損害が発生し、悪しき前例となり、ひいては会社に悪影響が出る。

賢者の声は正しくささやくが、的を射て将来を見据えて遠慮がちだ。

先日もバカと会った。車をターンさせようと、一旦人の駐車場に入った。ほんの何秒のことだ。だがそこの地主が、不法侵入だ、侵入するときは俺の許可を得ろ、といきまいてきた。

つまりバカは、誰か来ないかと一日中見張っているようだ。僕が人相が悪く顔に刀キズがあるので、緊張して声を震わせ痙攣しながら僕に抗議した。

ドーでもいいことで勝った負けたと言い合いたいのだ。100坪や200坪の敷地で地主気取りだ。そのうえ、土地と自分は何の連関もないのに自分の一部が侵されたように歯軋り(はぎしり)をする。

僕は年を重ねて本当に人格者になった。攻撃的極貧バカは軽くいなせるようになった。

バカのコンプレックスは凄まじい。教養とは無縁の人生だっただろうから、交渉術とか、穏やかな解決法とか、自分の土俵に引き込む話術とかは、到底知らない。

僕にはまったく落ち度はない。ひと時たりとも他人の土地に入ったとか法律を知らないものはいうが、それは哀れな間違いだ。違法性は確かにあろうが可罰違法性はない。

それが分からんアホ。おまいらだって道の左側歩いただろうが。歩道で立ち止まったことあろうが。・・・いちいちそれらを罰するか。

世の中はお互い様で動いている。なのに、人に迷惑をかけない、とアホ親は子供の将来像を描くが、人に迷惑をかけないで生きていくことは不可能だ。かといって無制限に制約なしには社会は成立しない。2点述べたい。

① じゃあその時の線引き、つまり、違法性があるのか、罰するほどの違法性はないのか、の境界線は、社会の歴史によって学ぶのだ。多くの試行錯誤の果てにわれわれが獲得した行動基準は、常識として一応の定着を見ている。

歴史だ。ローマ帝国よりも大日本帝国を。ゲルマンの移動よりも第三帝国を学ぶべきだ。

文科省の怠慢により先進国の中でもわが国は、歴史教育において著しく後れを取った。すでに学校教育を終えた人間は、やはり個人が努力して勉強すべきだ。

社会という外部の常識に関しては勉強することが最高の道だ。これをまったくしないかおろそかにするものは、知ったかぶりをする。あるいはああだこうだと勝手に考えすぎ本人が混乱する。

② 一方で、個人の内に向かっても思索は必要だ。人生は自分の歴史である。そしてその歴史は、失敗の歴史だ。認めるのはプライドが許さないが、残念ながら僕は失敗ばかりしてきた。

みんなそうだから失敗はたいした問題ではない。問題は自分の過去を忘れることだ。今、駐車場に現れたバカの見本のような立場に、立っていたことはないか。

あるいは、クルマで割り込みをされハザードもつけず平然としているやつにはイラつくが、同様の割り込みをしたことはあるだろう。

バカはそれを忘れている。人格者は自省的である。





 


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   9

2015年02月16日 | あそび

クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   9シリーズ化したタイトルなので、「まだまだ暑い」とか書いたがさすがに二月は寒い。乗らない。

クルマは乗らないと税金、車検とカネばっかり落ちてゆく。船は写真の程度の船なら税金はない。船検(車検)は6年ごとで忘れていてもいい。免許も乗員の誰か一人が持っていれば良い。

農水省は国交省と張り合って、山を、海をコンクリートで固めた。書類上漁民がいれば頼みもしない堤防を作り、港をつくり、漁協の補助をした。土建屋と、ポチ議員と、たまに停泊する僕らから感謝されている。

かつて、宮崎県ではその長い海岸線のどこででもサーフィンができた。いまや、surfer boys,girlsはごく限られた海岸線で茅ヶ崎のようにひしめいてサーフィンをしている。

もちろん防災上、海岸線の保護のため必要なら致し方ない。逆だ。気違いがコンクリートを置くから災害はひどくなり美観は損なわれた。コンクリートの海岸に波は激しく打ちつけている。砂は優しく波をいなす。

停泊も出来やしない。日向灘(宮崎)が世界的に貴重な砂の海岸だった頃、どこにでもアンカーをうち釣りをした。たまにギャルが釣れた。

釣りをする人はご存知だろう。釣れなくなった。プロはプロなりに、アマはアマなりに。

遠洋や近海の漁業はひとまず置くとして、沿岸漁業は壊滅的だ。

人間が、突然20才の青年として現れるのではないように、魚も、突然成魚が出現するのではない。じゃあ、一体どこに卵を生めばいいのか。

海に関して我々は、宇宙以上に知らないことが多い。サザエの幼生は確かに岩礁に育つ。しかし、その程度のことでは、知ったことにならない。コンクリートでも育つか。

稚魚はどうだ。遠浅の海岸線は、サーファーのために絶好の波を生んだ。もうひとつ。大型の魚は浅瀬に行くことができず、自然と卵や稚魚は守られた。

消えた諫早湾は有明海のゆりかごといわれ、固有種25種が生存していた。魚が獲れなくなったからといって、補償金を獲って喜ぶ事態ではないのだ。

大きな締め切り堤防は、微生物の多い干潟を消滅させ酸欠の海にした。海流を変え魚の種類が変わった。

取れていた魚が獲れなくなり、それまで獲れなかった魚が姿を現した。

気違いは海を知らないくせに工事を決めるな。土地のじいちゃんは50年も漁をしてその海を誰よりも深く知っている。


(写真はネット上のものを使わせていただきました)




 


防基源(방기원・パンキヲン・大元を断て)

2015年02月13日 | クルマ

防基源(방기원・パンキヲン・大元を断て)今では普通の車になったが、5,6年前までは大変な高級車だった。腐っても鯛で、インテリアの隅々にまで良心的な配慮がある。

下品な車は、見えないところはもっと下品だ。

僕は、丁寧で頑丈なつくりには満足しているが、最近、コトコト、ギリギリ音がしだした。

ある人に教えてもらった。車をゆすってもう一人が車の床下にもぐり聴診器で原因箇所をつき止めろ、と。

そんなこと言っても先生。先生にとっては聴診器は商売道具でも、僕は学校の先生だから、聴診器とかあるはずない。買いに行った。

医療機器屋の親父が出てきて、スケベににやっと笑いこう言った。「いろいろ使い方はあるけんね(あるんだもんね)。」

僕は健全に使おうとしていたので、買わずに自作した。江戸時代の聴診器のような形をしたのを金属で作った。おまけにリサイクル屋で小型の鏡を買った。(歯鏡、35ミリ、やや大型)

僕は気持ちが焦ってとりあえずやたらにシリコングリスを塗り始めた。分解できるところは分解したが22とか19とかのナットは力が要るしクルマがグラッとすると心臓が凍る。ロッドの多さに参った。

バカが作るとこうなるな。ああでもない、こうでもない、これが足りない、の繰り返しでジャングルのようなサスが出来あがっている。一度でもババーンと悪路で底をやっちゃうとかならずロッドは曲がるな。

このクルマにとっては4000や5000CCを支えることが基本で、コーナリングを争うくるまばかりではないのだ。鉛筆のようなロッドはやめろ。

で、一向にグリス、試乗、グリス、試乗を繰り返しても音が消えない。クルマを揺らす役に動員した子供たちはいい加減飽きてきたようだ。

万策尽きた僕は、デフを疑った。音は中央からしている。当たりだ。私製の聴診器にもがんがん響いた。

まさに防基源。ポイントを抑えなければだめだ。的外れは見苦しい。関係ないところにグリスをつけても無駄だった。

日産部品に買いに行き、オイルを入れ替えるとしーんとした空間が戻った。今現在もその勝利感に酔っている。

5キロ/ℓ走ればいいほうだが、僕は電気車には乗らない。くずカスひがみは影でこそこそイラつくようだが、これは僕の車の乗り方だ。

電気が好きなら西鉄電車に乗れ。





 


頑張れ、「イスラム国」。   2

2015年02月10日 | 国際・政治

イスラム国の人質になっていたジャーナリスト後藤さんが処刑された。彼は、なぜジャーナリストとして生きる道を選んだかと聞かれてこう答えた。

いかに真実であっても、その当事者が発信しなかったり、その術(すべ)を持たなかったりすると、真実であっても消え去ることがある。私はその真実を発掘したいのだ。

多くの日本人は彼の信念に関心を払うことなく、その意味すら理解不能のバカで、ぐうたらな生活を心から楽しんだ。

そうする間に二人の人質の命は消えた。底の浅いサバイバルゲーム感覚で自己の冒険心を満たそうとし、人殺し会社を夢見た者を先に殺した。イスラム国に外交が分かったやつがいることを示す。価値がない者から殺すのだ。

だが、その後のイスラム国は明らかに内部の混乱を露呈した。また日本も口をきわめてイスラム国を罵った。「いろんなチャンネルで」と安倍は言ったが、何年いても現地語のひとつも覚えない別世界に住む外交官たちが、敵とのチャンネルを持つはずはない。

「テロには屈しない。」と繰り返す安倍には、麻生をヨルダンに送るとか、あるいはみずから行くとかする気はなかった。

戦争とはすべてテロである。不意打ちをしないときは自分が死ぬときだ。

なのに、安倍政権は、「イスラム国」は世界の悪者である、と交渉途中から何回も繰り返す。当然、相手は態度を硬化させる。

イスラム国は有志連合(アメリカとポチたち)の空爆により弱体化したし住民も殺された。アメリカが住民の体を引き裂くのはテロではなく、イスラム国が敵にトラックで突っ込むのはテロだという理屈が戦場のどこで通用するか。

20年前、猿岩石というお笑いグループがヒッチハイクで香港からロンドンまで行った。どこがよかったですかと聞かれ、「アラブです。」と答えた。

絶対に戦争を仕掛けない国、よその戦争に介入しない国という日本の国是は戦後60年の間に全世界に広まっている。

だから日本人は安全なんだ。どこの国に言っても歓迎された。

アメリカは安倍に人質交渉をするなと釘をさした。それを、テロには屈しないという表現でごまかした。それは、人質を見殺しにしろということだ。そして当のアメリカは、ちゃっかりアフガニスタンで人質交換を成功させた。

フランスですら独自の交渉で人質を救出している。

わざわざ、イスラムの多くが敵視しているアメリカの懐に抱かれようとして自国民を殺害される。アメリカの言いなり安倍の失政が後藤さんを殺した。

有志連合に加わることは、イスラム国のみならず全アラブを敵にすることだ。空爆は兵士より多くの住民を殺す。

戦争に出かけていかない国、日本だからこそ得ることの出来た信頼は、今崩れようとしている。

防衛大臣は宣戦布告とみなすといった。当然、それを聞いたイスラム国は、その言葉を宣戦布告とみなす。

憎しみの連鎖の始まりだ。





 



サイード (Edward Wadie Said)

2015年02月07日 | 思想

エドワード・W・サイード(إدوارد سعيد Edward Wadie Said)まじめに人生を生きようとしない者。本質から目をそらし、そこらのケンカに勝った負けたで脳が腐れている者。

ホイール替えたぞ。LEDつけたぞ。オーディオはカロッツェリアだ。タイヤは20インチだ22インチだ。

あほ。ちゃんとした車には最初からついていることだ。中古で買い、人が屁をしたシートに座り、いらいらして暴走する。

割り込まれたらいらいらするくせ、自分は割り込むだろ。いつも口をあけ、クルマにまでテレビを持ち込み、独房のように狭いバラックマンションの部屋をしばし忘れようとやたら飾り立てる。クルマの中でまでSEXしだす始末だ。

やめよう。バカをやめることはできないが、せめてまじめになることは出来る。

サイードは10年前に死んだ。コロンビア大学(in NY)は東大の比ではない優れた大学だ。彼は確固たる分析で予想している。イギリスは移民の国になる。20%がアラブ人で3Kの仕事をさせるのだ。そのとおりになった。

イギリスのアラブ人は、自分の国を見境なく空爆する国のために働き納税している。

しかし戦火の耐えない国の住民は進んでイギリスを目指した。結果として強制がなかったため奴隷と呼ばれなかっただけだ。

貧困イギリス人と富者イギリス人、あるいは移民とイギリス人。その格差は広がるが非難は移民に集中する。

そんなら帰れだと。頭が悪いな。自分の脳の心配をしろ。劣化ウラン弾や不発弾、部族の争いの日々と、ピカデリーサーカスでゆっくり友と語らうのはどっちがいいか。おまいらならどうする。

切羽詰った人の判断を非難するものではない。

安部が何本矢を飛ばそうと、一体何がよくなったか。秋には、冬には、来年には・・・ おまいらばかにされてるんだ。貧乏人は「おあずけ」を食らっても根気よく待つ。しかし、より貧乏な者に対しては冷たい。

悲しいな。

サイードは現実の格差こそ対決すべきものだといった。ここまで書くと常識的な人はピケティの「21世紀の資本主義」を連想するだろう。だが、サイードが10年前に、MARX が150年前にいったことだ。

2000年の正月に朝日新聞に寄稿している。

ありもしない過去の世界観(大東亜)によだれをたらし泣きじゃくりながらしがみつき、自分の低脳を隠してくれる唯一の避難所にしている。こういうのが排外主義を唱えて狂いだす。

じゃあ中韓との貿易はしないんだな。確実に餓死者が出るぞ。今や日本は、中+韓で輸入の50%なのだ。





 


負けて負けて負けきるんだ。

2015年02月03日 | 思想

負けて負けて負けきるんだ。みんな心の底では、こう思っている。俺は負け続けてきた、暗い三流校の入学式。そこは公立校をおちた負け犬の集まりだ。

さらにその底辺校での席次がまた底辺だ。行く大学もない。金もない。そのころ、貧しさに負け、親は離婚するか、死ぬか、子を捨てる。

国立の二次試験の問題の発表がある。これを同じ高校生が解くのか。まるで別世界だ。俺はなんて頭が悪いのか。

僕は断じてこう言う。お前はケンカが強かったか。ケンカは、即時にすばやく多くの手を考え、臨機応変に対応する。それは頭だ。お前はバカではない。

それでも環境のせいにするなら僕は知らん。

負けろ。負けて恥をかけ。低脳学生は言い訳が上手だ。負けるのを嫌い最初っから勝負を逃げている。ところが本心はだませない。妙にカッコつけて、ガン飛ばしたとかでナイフを振り回す。

僕が言いたいポイントはここだ。

① 負ける怖さや悔しさから逃げるな。

ずるい人間は勝てそうな相手とのみ勝負する。それでは強くならない。勉強でいうなら、志望校を下げるなということだ。模試の成績が伸びないからといって志望校を下げるのが大勢いる。下げたらそこも通らんぞ。

② 負けたとき、相手のすばらしさを尊敬せよ。

自分に厳しく勝負していると、負けたときに相手を尊敬する気持ちが出てくる。意外と自然とわいてくる感情だ。でもとても大切な感情だ。なんてすばらしい解法だ、発想だ。僕には到底出来ない。こうして強い相手を通じ科学そのものを尊敬するようになる。東大生は謙虚である。

そのことを繰り返すと人間は、「ひかえる」ということを知る。その反対が「頭が高い」だ。バカ大学の学生は頭が高い、どうでもいいことにイラつく、喧嘩っ早い、分かったフリをする。


不幸や不運は克服できない。そこで人は夢を見る。会社員のフリをして家を立てたフリをしてそこらのブスとおままごとゴッコをする。負けた自分を認めるのはいやだから。だがすべて、いんちき会社、バラックの家、彼女という歩く生殖器。

韓国のことわざに、ほえる犬はかまない、というのがある。かっこつけてもバカはバカだ。最近のクルマは、なんか人をにらみつけるようなガン飛ばした顔のクルマが多い。コンプレックスのカラ威張りの醜悪下劣な車に乗りたいか。