か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

不思議な精神論

2015年07月31日 | 食・レシピ

再び大分にドライブした。

僕は食事中にしつけの悪いガキが騒ぐと即座に店を出る。親を殺したくなるからだ。平気で子供を走らせる親、泣き叫んでも平気な親、アイスをしつこくせがむ子供、無制限に買い与える親。

この下品低能気違いから逃れるのもドライブの目的のひとつだ。

いい場所を見つけた。天ヶ瀬、桜滝。無料の駐車場から遠くない。探し出すのも楽しいはずだ。駅から徒歩5分。ここでトライアルの弁当を開いたほうがはるかに精神衛生上いい。

(一儲けたくらむ奴もあまりいない 今のうちだ)

 

僕は個室でないと食事ができない。酒もタバコもやめたんだからこれくらいは許してもらおう。ばくちはもとよりしないが残りのひとつは決してやめない。僕の存在理由だからだ。

無理に個室にしていただき煮込みうどんを食った。その上味が薄いと注文をつけたらもう一杯つくってくれた。僕は貧乏根性を出し、食道もうどんでいっぱいになるほど詰め込みながらとにかく食った。


お前の子供も小さい時があったじゃないかとよく言われる。何を勘違いしているのか。僕の子は何をしても許される上品さがあった。一緒に煮込みたくなるガキとは違う。

(おいしかった 食堂紹介ではないので詳しくは略)

 

日田の豆田町(まめだまち)は駐車に苦労した。さらにお粗末なことにこの観光地の道路をバンバンクルマが通る。落ち着いて歩けやしない。駐車場の土地提供はいや、客はほしい。こんな矛盾は通らない。 行政のリードが足りない。かならず自滅しシャッター通りになり火が消えた頃、無駄に町おこしとかいってたまに帰省したよそ者がみこしを担ぐ。遅い。

第一モノが高い。

広瀬淡窓の時計には感動した。400日巻き。人間の胃袋は、本気になれば不可能はない。またランチを食った。雰囲気はいいが量が女性用だ。

内縁の娘は初めてまともなものを食ったといったが。僕のカネで飯を食いつつこの発言は贅沢だ。あ、誘うスケベが悪いか。

 

僕は高校の先生をしていた頃、例外なくある法則があることに気がついた。部活。試合はどちらの高校が勝つか事前に分かる。根拠はない。が、例外はなかった。バレーボールならボールのきれいなほう。剣道なら防具の手入れのいいほう。

 

そしてこの弓道なら道場の掃除をよくしている方だ。日田高校も行ったが、僕は断然隣のこの高校に好感を持った。

どの高校も勝ちたいとは思っている。しかし、広い道場を必死に雑巾がけしてきた者は、勝ちたいなんて甘いことだけではすまない。「負けられない。負けるわけにはいかない。」と思っている。

 

(きわめて例外的にリンガーハットに行った 庶民の外食事情を知るためだ 庶民がすると言う餃子アンケートもしたら当たった うれしい)

 

今日は冷やしちゃんぽんが一番おいしかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 


土用丑の日

2015年07月26日 | 食・レシピ

うなぎは減るわ食う人は増えるわで、値段はうなぎのぼりだ。

僕は、柳川で生まれた。小さい頃はうなぎはたくさんいた。針とエサと糸(50センチ)と、ウキに缶づめの缶を利用したものを5,6個用意した。

学校の帰りに仕掛ける。ウキにした缶の位置を覚えておく。すると夜行性のうなぎはえさに食いつき翌朝もがいているのを発見した。ウナギが小さかったり弱っていても缶の位置が変わっているのでうなぎがかかっていることがわかった。

家に持ち帰ることはしない。そんなことをすれば1/6,1/7しか口に入らない。練炭を盗みお墓の影で食ったりしたが、ほとんどは料亭に売った。一匹が100円から150円だった。子供にとっては大金だ。パンが5円の時代だ。

(ウナギは小さいが値段は高い なかなか獲れないそうだ  養殖のまがい物しかない)

 

内縁の妹は不満そうに食った。平日というのに二時間並んだ。暇な奴はいくらでもいるし値段なんか関係ない人間も多いと言えそうだ。

他の製品も同様だが、貧乏人の貧弱な購買力に期待してはいけない。そんなことでは陳腐な中華製品と競合することになり日本は値段競争に引きずり込まれ、負ける。

台湾人と一緒になったので話したが、やはり本省人(中国大陸)よりましだというだけで異質な人達だ。英語がうまいがそれでどういう本を読んだでもなく、人生は国が敷いたレールの上を走る競争だと心得ていた。ピラニアだな。

土用というのは、立春とか立秋という区切りの日から20日程度前の日々をいい、一方丑というのは、ご存知じ子丑寅の十二支の丑である。だから一番暑い夏の土用の頃に元気のつくウナギを食べようということらしい。丑はオマケ。

七五三も土用のうなぎも商売人が考えた金儲けのプロパガンダだが、どうせ景気をよくするのなら日本人はカネが有り余っている人も多く、もっといいものに対してならいくらでも使うという人が多いことを自覚すべきだ。

本当の客船は特上のAから詰まっていく。コンサートはSから。「或る列車」というリッチな旅は庶民はまず予約できない。

そういった立派なHADE IN JAPANを十分に供給せよ。需要はあるが供給がない。そんなもったいないことをしてはいけない。気絶するくらい高いものをどんどん供給して見ろ。電気釜は中国人にまかせろ。安さに惹かれDAISOで中国製を手にしたときあなたの人生は終わる。

とにかく揚子江を泳いでいたウナギはいやだ。いわば立派な、養殖でない、マリアナ海溝から来た、日本古来のウナギを食う場もなくさないでほしい。シラス(ウナギの子)を盗り尽しておいてウナギが獲れなくなったというのはおかしい。

人参をぶら下げられた馬はどこへでも走る。人参に目がくらんだシラス漁は犯罪だ。

選択の余地をなくされ腐れたウナギを食えと強要されたとき、貧乏人が殺到し給食のようにガッツいてウナギを食う。まがい物土用ゴッコだ。

 

昔の人は季節を色にたとえた。春は青、夏は朱、秋は白、冬は黒。青春というじゃないか。あるいは北原白秋というじゃないか。

この白秋の奥様の家が僕の生家の裏だ。その隣が本吉屋という柳川では一番古いウナギ屋だ。よい。

こういう農家がいくらでもあって家の前の池(クリーク)でウナギを釣って育った。毎年学年で一人二人おぼれて死んだ。死ぬのに慣れていた。

蓮の葉にたまった水銀のような水滴を集め揮毫したか。それどころかおまいら変態右翼は文字も変態で漢字の少ない文しか書けぬだろ。どうしてそれが愛国か。

イライラしてブスな女房とダイソーに行き夫婦喧嘩を始める。家は中国製であふれる。どうしてそれが愛国か。

いくらでも釣れたウナギは毎月食卓に上がった。エセ愛国が絶叫するまでもなく、僕とウナギは日本の懐に抱かれていた。

 

 

 

 

 

 


一度でいい。あの兵隊たちの指揮をとりたい。

2015年07月18日 | 韓国

ぼくが在韓中、韓国は、自国が休戦中であることを何かにつけて強調したがった。僕は見飽きた板門店を何度も見せられた。かならず佐官クラスの軍人が同行した。

たしかに日本と違って休戦中の国だ。防衛大を出ていれば、どんな無能でも自動的に昇進するような国ではない。兵や下士官が将校(少尉以上の士官学校を出たエリートたち)になることもない。(戦時中はどんどん戦死するので例外的に兵からも昇進する。そうでないと指揮官がいなくなる。)

戦時であれ平時であれ、バカが昇進するとソウルに人民軍の旗が翻る。バカが指揮をとることになるから。

日本の防大にも韓国の陸軍士官学校からよく留学している。彼らの成績を見よ。韓国はデタラメな国だが、そうではない部分を冷静に見なければならない。発狂右翼には無理だな。

よく考えろよ。もとは仲良しだったろ。サンケイ新聞も含めて。日韓は反共の鉄の防波堤だったろう。

で、トコロテンのように昇進する日本はいちじるしく将校(幹部)が多い。防大の入学者と兵隊(隊員)の数を考えたら算数ができる限りわかるはずだ。

たしかに韓国も尉官(少尉、中尉、大尉)までは誰でもなるが、佐官はそうは行かない。少佐、中佐、大佐に進むには一段ごとに10倍の関門がある。(ここでの呼称は日本式)

(韓国軍兵士)

昇進にインチキはない。下手に昇進して部下からバカにされたまま生き恥をさらすことは出来ぬ。大佐になれば部下は数万だ。部下が反抗したらその部下は軍法会議送りだが、本人は能力不足なので即決の銃殺だ。

軍は火事場にいるのだ。ガタガタ言ってる暇はない。

親しくなった大佐が、人民軍(北朝鮮軍)を指して「一度でいい。あの兵隊たちの指揮をとりたい。」と言った。さあ、自衛隊を見て同じことを言うかな。災害救助に感激するか。アホ。軍は本来業務で評価されるものだ。

板門店で、絶対北の兵士に話しかけないで下さい、と言われたので、何か話してやろうと思ったが、彼ら人民軍の迫力に負けた。全員やせている。体格が悪い。だが、目が本気だった。

(North Korea soildier From Movie Red family)

おびえた表情の韓国軍とは対照的に、命令さえあれば、すなはち

一旦緩急あれば義勇公に奉じ     

「身を鴻毛の軽ろきにおく、一 死以て国に殉ずる至誠 」を、この僕ですら感じた。これが自衛隊の本来業務なのだが、数倍韓国軍が気合が入っている。

そして、その数倍人民軍(北朝鮮軍)が恐ろしい。

(北朝鮮軍兵士)

軍人なら思うだろう。夏祭りの準備に忙しい自衛隊を指揮したいか、獲物を追う猛禽類の目をした体脂肪率一桁の軍人の指揮を執りたいか。

集団安保で戦争が近づいたか。いろんな免許取得が目的の自衛隊が人民軍に近づいたか。共産党よ。自衛隊は戦争できるようになったか。

出来ない。絶対にできない。防大を出てもそのまま自衛隊に進まないいわゆる任官拒否が急増している。こんなやつが指揮して戦争になるか、バカ。

9年間以上兵役に服し、腕立ても腹筋も500回出来る殺人マシンこそが軍隊だ。

 

 

 

 

 

 


愛知県の悪い校長

2015年07月13日 | 教育

僕は若いころ、嫌がらせにこれでもかという僻地の県、教育事務所、学校に出張を命じられた。ところが行って見るとなかなか楽しい。のちにはそんな出張のたぐいには好んで手を上げた。

宮崎県のように現在でも4輪ではいけない所がある。バイクで行くと県の低級公務員たちはもみ手すり手で僕をおだて、「私も乗りたいですなあ。」とかウソを言う。僕の親父の年齢で大型に乗ろうとは、若い頃から乗り続けていないと危険だ。

だいいち、ハゲではヘルメットがすべる。

こいつらは面と向かうとヘラヘラしやがるが、僕のバイク、ナンバー、服装・・・僕が帰庁するより早く上司の耳に達している。

出張はほとんどがカラ出張で、支給される旅費1ヶ月の合計は給料より多かった。バブル前は天国だったので当然民間を見下す意識が生まれる。忙しくはあるが無駄に忙しいだけなのに。

目の前の書類の山。全身麻酔を打たれたように眠気を誘う冗長な田舎校長の話。先生たちがおそらく徹夜で書いた意味のない書類。学校要録、進路指導、安全指導、各教科指導とその課題と対策とその実践の反省、学校評価、月報、日報、指導案、週案、月案、日案、学級目標、学年目標、学校目標、「解放教育による気づき」、個人の手帳・・・。バカは加速度を持っている。授業はいつしてるんだ。あ、塾か。

僕も出張の前後ではそれぞれ20枚の書類を書く。意味のない言葉で意味のない時間を使い人生を無駄に過ごす。

でも子供たちと遊ぶ時間は楽しかった。バイクに二人づつ乗せて校庭を回った。あるとき一人落として気づかずに走った。気づいた僕が笑ったら教頭も作り笑いをしていた。教頭はいい人だ。報告してない。「うちの子を・・・」とヒステリーになる親はいない時代だった。バイクから落ちたぐらいでは死なない。痛みを知ることがよい教育だ。

どんなことにせよ、低級公務員には、日常という思い込んだ幻と寸分たがわぬ今日であり明日であらねばならぬという確信がある。ばか。見苦しいぞ、小物共。

 

(引用 中日新聞 2015年7月6日 09時00分)

教諭時代に生徒と交際 愛知県立高元校長、退職金返納へ

  教え子の女子生徒と10年以上前に性行為を続けていたとして、愛知県尾張地方の県立高校を昨年春に定年退職した元校長の男性(61)が、県教委に事実関係を認め、退職金全額の二千数百万円を自主返納する念書を交わした。県教委関係者への取材で分かった。

 関係者によると県教委の調査に男性は、校長や教頭になる前の教諭時代、勤務していた高校の生徒と2週間に1回ほどホテルで性行為をしたり、校内で抱きついたりしたことを認めた。こうした関係は生徒が在学中の2年近くに及び、卒業後も数年間交際が続いた。男性は当時、別の女性と結婚していた。  引用終わり

 

(庭のもみじの一部が紅葉した。青い葉の中に忽然と生じた。人の場合をたとえると、青い葉は異色なモノが生じると、恐怖し、執拗に攻撃し、排除する。わずかな退職金も取り上げ赤い葉がかれて散るのを皆まっている。青にそろえて喜ぶやつらだ。)

僕はこのとき、遠藤周作の言う「善魔」たちが対岸から糾弾する声が聞こえた。校長になれなかったひがみ、先生になれなかったひがみ、なれても小学校だったひがみ、そんな高校にすら不合格だった負け惜しみ、仕事中にやり放題な、まるでAVの世界のうらやましさ。・・・

皆善人ぶっている。この校長を非難するやつらは、人間として、男としての器が小さい、低級公務員向きの、ロボット人生しか知らない、低質な日本の邪魔たちだ。

「だっていけないことじゃないか。」とか言うのはやめよう。そういうお前にはそんなチャンスがなかったから、必要以上にやっかみを晴らそうと「善魔」になっているのだ。

高校生は純情ではない。ドイツのハンブルグにはもっと若い売春婦もいる。日本では18歳からAVに出られるではないか。イケメン教師はより取り見取りに選んで性交している。上手に別れるから問題は起きない。

法律は性交の足元にも及ばない。事件の背景を読め。人の家庭を壊すまねをしたのは女のほうだ。二十歳になるまで付き合って、何が不服か知らんが委員会に垂れ込みやがった。僕は、男(校長)の不器用さがだんだん見えてきた。

そして少なくとも6年間は愛し合った人の退職金を奪った。その金額たるや2200万円。女には何の得にもならないことだ。カネは分割され返還される。県の雑収入になる。

「善魔」たちよ。よい子ぶっちゃっているが、何がおきたかわかっているか。先生を色仕掛けで離婚させておきながら関係が終わると県にタレこむ。男(校長)が一方的に騙したことはない。二人で危ない愛の橋を渡ったんじゃないか。一人被害者面して善魔になるか。

 

オマエは、女の流儀に反する。

 

 

 

 

 

 

 


Throwing straws against the wind

2015年07月08日 | 思想

 

僕は、人生も残り少なくなって、一つ、二つとあきらめていくことがでてくる。

英語。とうとう最後までモノにならなかった。砂利どもは中身のない話しをして英会話ができると思っているが、それはアメリカにいるお前と同レベルの人間と話ができるというだけだ。福岡県の人間が佐賀県の人間と話をするようなもんだ。何の向上もない。

問題は読解である。幾重にも関係代名詞が絡み合ったD.H.Lawrenceを、自由に読みこなす人はどんな頭をしているのだろう。

lawrence(ロレンス)は日本ではエロ作家として名高い。僕は彼の単語の豊かさに腰を抜かさんばかりであった。

彼の著作を一貫して流れているものは、人生に対峙するまじめさである。短編はまだ訳がでていないものが多い。ぜひチャレンジしてほしいと思うのだ。

彼は言う。「人生は激しくなければ意味がない。」この信念のもと「チャタレイ婦人の恋人」は書かれた。ばかなことに日本は戦後にいたってもこの本を発禁処分にした。

自分をとりまく厳然たる階級の壁。そこでstruggleする庶民。下品で暴力的ないがみ合いの中にも連帯の絆が確かにあること。PUBの一瞬を切り取っていつまでも心に残る作品を書いた。

最高裁は時代遅れの解釈でエロ作家と断定した。われらは禁書になったlawrenceの作品に触れることは出来なくなった。(1951年) 完訳がでるのは1960年だ。短編はほとんど訳されていない。

元気になる方法はいまやたくさんある。歌、楽器、クルマ、・・・ だが本ほど感動が続き人生観に影響を与えるものはない。

(夢は誰でも見る。が、皆同じではない。くたびれた心を休めようと夜夢を見る人がいる。そんな人は朝目覚めてみるとそのむなしさに気がつく。しかし日中に夢を見る人は危険だ。目を開けて夢を見る。そうして夢を現実にする。)     ©からけん訳

 

ある町内誌が廃刊になった。僕は毎号を取り寄せ文章の確かさに只者ではないと感じていた。きわめて客観的に戦時中の話を集めていた。これは貴重な資料になるものでそこらの町内で読むには、実にもったいないものであった。

ところが町内会長を補佐する副会長が因縁をつけたのだ。「自分へのインタビューがなぜ後回しになったのか。」この人は町内誌のメンバーにしつこく迫りなじりどう落とし前をつけるか迫った。

町内誌を見ればわかるように、きちんとした文章と編集能力がある人達は教養人だ。だが教養だけではヤクザに対抗できない。だれもがlawrenceにはなれない。lawrenceは母親の死、駆け落ち・・・と、気が狂いそうな不幸が続く。しかし、彼の信念はいろんな作品を通していまや世界中で開花している。

僕は蟷螂の斧の脆弱さを感じた。文を書くとはなんと弱弱しいことだろう。ペンは剣の前にはひとたまりもない。それが現実だ。このヤクザ副会長は自分のしたことがわかっていない。あたし様にインタビューをしないから新聞なんてつぶれて当然だ。こう考え、自分が犯した罪を自覚しない。

あなたは文化をつぶしたのだ。

しかし、ヤクザババアは自身の犯した大罪にたいし、いつの日か必ず責めを負う日が来る。世間をなめて大声で自分の我を通したつもりか。1000人のstrawsが伏目がちにあなたを憎んでいる。

 

 

 

 

 

 


Lost jungle gym

2015年07月03日 | 教育

教師は独善的になりやすい。閉鎖空間の中では自分が小山(おやま)の大将であり、何をしてもまず外にバレることはない。

とくに義務制諸学校の場合、多くの事件はもみ消され隠蔽されてきた。スケベ教員が女子児童の胸や尻をなでようと、恐怖におののく子供は何も言わない。子供がスケベに目覚めていようものならなおさら安全だ。

学校はAVの舞台となる。

なぜそれが可能か。誰も何も言わないからだ。利害が相反する団体が相互に抑制と均衡を効かす世界は、マッカーサーの幻想に過ぎない。

不都合な真実は、組合も、校長も、委員会も、有力者なるものも一体となって「火消しつぼ」に入れる。

興味ない。僕は興味ない。便所虫たちのありそうな蠢動は気にならない。ポイントは次のとおり。

「危ないから」という殺し文句は今、小学校でとても有効だ。高校ですら騎馬戦が消えた、棒倒しが消えた。ジェンダーとかで男子にもダンスがある。そんなら女子も騎馬戦をしろ。ぜひ見に行くから。

いわゆる学校関係者たちは、親が狂ったように「危ないから」というか、子供の一人も死ねば、狡猾にも「火消しつぼ」に入らないことを即座に悟る。すると、騎馬戦を廃止し、棒倒しはとっくに消え、ジャングルジムも消えた。

牙を抜かれた騎馬戦は取っ組み合いをする方式ではなく、相手の風船の取り合いをする。バカにするな。モンスターペアレントなるものが不足する能力で考えるほど子供は子供ではない。いいか。子供を子ども扱いしてはいかんのだ。

ジャングルジムは数学的思考の宝庫だ。賢い子供はジャングルジムに潜む多くの立方体の面と辺に一定の法則があることを見つける。上の写真はジャングルジムの変形だが、はたして正何面体か。

そんなこと考えて遊ぶ子供はいないって? NO. あなたが考えなかっただけだ。50人いればかならず人気(ひとけ)のなくなった校庭で考えている子供が1人いる。子供から考える楽しさを奪ってはいけない。

下の問題は小学生用の問題だ。これを考える子供が頭がいいとは限らない。だが確実にいえるのはその子は考えるという人間だけの特権を行使している。

 

クモンクモンとスピードだけを競い他の思考を寄せ付けない指導では、子供はその潜在能力を失う。

1000万の子供のうち一人や二人はジムから落ちて死ぬ。だから「安全のため」を理由にジムをなくしていいか。

それは交通事故をなくすため車をなくすことと同じだ。小学校に関係する低能たちは責任逃れだけを考え自分の無能に考えが及ばず本末転倒な茶番をする。