か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

のぼせ上がって生きる老人を避けて生きる。

2018年09月22日 | 故人

自転車でかなり飛ばして病院に行き測った僕の血圧だ。老人耄碌医者は高血圧の薬を処方した。バカ。


極度に頭がいかれるか、脳に悪い腫瘍がある人だったろう。上の画像の数字が示すように僕は低血圧で悩んできた。さらに僕の目的は血糖値の測定にあった。

不必要なことをして誤った判断をし、患者が望む血糖値は調べず偉そうに血圧降下剤の処方をした。それは危険な行為だというと、立ち上がって狂ったように悲鳴を上げ言った。

「素人が何を言うか!」

ばか。死に損ないはいずれ死ぬのでほざいているがいい。

カネで入れる医学部なんてバカしか行かない。その自覚がない。

自転車で息を切らして緊張して測ってもこの血圧だ。処方された薬を飲んでいたら死んだかもしれない。なぜ医者は殺人未遂に問われないのか。


さて、別ののぼせ上がり。

共産党は判で押したことしかいわんから上の人間と話すとイライラするが、自民党は相手の話の内容に関して反応するからやはり科学の基礎を学んだ官僚上りは違うなあと思う。

次官が辞職したが、これが末端職員だったら懲戒免職で退職金も年金も取り上げられる。そんなもんだ。バカにいい目合わせるほどもう日本は金持ちではない。若者が歯を食いしばって勉学に励んだ世界もすでに先細りだ。良い人材を輩出するシステムはとっくにない。


安部はファシスト特有の実学優先主義に徹し、基礎研究費を大幅に削ってきた。この行為は日本を弱体化する。

 

 

Ivory Towerに先日飯を食いに行った。うまかったので昨日も行った。

駆け出しのころの僕らはのんびり昼飯を食ったことがなかった。口をもぐもぐさせながら仕事場へ急いだ。仕事はない。ないがそこにいることが仕事だ。ところが部長と海岸を散歩して何時間経とうと問題なかった。


医者だろうが公務員だろうがたとえ民間だろうが、目の前の銭儲けに汲々とし、日本はもはや取り戻せないところに来た。この国はどの断面を見ても腐り始めたのが分かる。

すでに公務員は上から下まで腐っている。まともな人もたまに来るが、、いずれ辞めるか腐る。


幹部が食うところは高いと思ったら逆に安い。院内コンビニと食堂。

 

病院内のコンビニ、とても小さい、えろほんなし

熱くておいしい ぼくはItalianoではなくJaponeです 職員食堂 収入が多い人ほど金を使わない仕組みが完成している

おうちの味を外で食べると変な感じがした

 

 


本気で国は乗り出せよ

2018年06月07日 | 故人

引用

東京都目黒区で虐待を受けたとされる船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5)が3月に死亡した事件で、警視庁は6日、すでに傷害罪で起訴されている父親の無職船戸雄大容疑者(33)を、保護責任者遺棄致死の疑いで再逮捕し、母親の優里容疑者(25)も同容疑で新たに逮捕した。同日発表した。

 捜査1課は、結愛ちゃんが毎朝平仮名の書き取り練習をしていたノートの内容の一部を明らかにした。両親に許しを請うような内容で、鉛筆で手書きされていた。雄大容疑者から平仮名の練習を命じられていたという。内容の一部は次の通り。

     ◇

 もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします

 ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおします

 これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします

朝日新聞社   6/6(水) 17:51配信

殺された結愛ちゃんの写真はひかえます。

 

親殺しが死刑なら子殺しも死刑のはずだ。虐待がバレるのが怖くて殺したそうだ。

そもそも子供を育てる能力がなかった人だな。動物でも我が子を大事にしているのに、こうも頻繁に子殺しが起こると、何か大きな力で「悪」が世界を覆ってきている気がする。

船戸雄大は子殺しをした。それはイスラム国並みに残酷だ。わずか5歳の子供に漢字の練習をさせ出来ないとなぐり殺した。

そんなに人殺しがしたいならシリアに行くか、あおり運転をするやつを殺せよ。それはできない。弱虫だから。5歳の我が子を殺した。

日本の裁判所は恨まれたくないから殺人罪は成立させない。すぐ出所してまたやる。

僕がひどいと思うのは子供の声はどこにも届かないということだ。そしてこの子、結愛ちゃんは殴られまいと必死でいい子になろうとした。

むごい。

 

国は庶民のいさかいに関心がない。

安倍は最大限の圧力と言うことでアメリカにゴマ擦ったつもりだ。日本は公文書を書き換えても、お友達に学校に作ってあげても、小学校を作ってあげてもいい国だから、何でもありの国になった。悲しい子供に目を向ける政治家はいない。

いっそ何でもありのついでに、わずかのカネで済むのだから、児童相談所の仕組みを改善し実際に子供を保護できる施設にできるはずだ。off shore 一発分だ。

いやいや、むしろ民間が子ども食堂を作り保護責任者がパチンコにしか関心なく育児放棄をしている悲劇から子供が飢えるのを救っている。

僕の親もさんざん暴力をふるい弟は殴られて痙攣していた。そして狂ったように勉強しろといい、気がつくと妾の家に行ったきりになった。あの時子ども食堂があったならと思う。

だが僕は極めて成績がよく大した被害はなかった。都合のいい時は自慢した。しかし、弟たちは大きくなると復讐した。当然だ。

 

 

今回の事件も殺意は認定されないだろう。劣等感に固まった虚弱な気違いは自分より弱いものに異常に残虐だ。それを殺意という。そういう家庭に育たなかった人にはわからない。

 

虐待は世代を超えて繰り返されるというが、そんなことはない。僕の子供たちは最高の子供であり人生で一番楽しかったことは子育てだ。上靴入れもスモックも全部僕が縫った。当時30万円もした電子レンジでケーキを作った。・・・子供が、パパは何でも知っていると思いいろいろ質問した。すぐには答えを与えず考えるように仕向ける。これを人生最高の楽しみという。

残酷な弱い者いじめの気違いは、その本人こそ生まれてきてはいけない人だった。弱者を殺す。我が子を殺す。母親も眺めるばかりのとき、結愛ちゃんはどんなにさみしかったろう。

5歳殺しは、死刑がよい。


Don Juan

2018年06月05日 | 故人

野崎 幸助(のざき こうすけ、1941年 - 2018年5月24日)は、和歌山県実業家[1]

和歌山県田辺市生まれ[1]。地元の中学校を卒業[1]。鉄屑拾いから訪問販売員、酒類販売業[2]不動産業[3]金融業まで様々な事業を手掛け、裸一貫から巨額の財を築いた[1]2018年5月24日自宅の寝室で倒れているところを発見され、死亡が確認された。享年77[2]。   BY WIKI

辛かったろうなあ。3000人も。腹筋と背筋。

 

上記した生い立ちから、苦労したんだなあとか、赤貧洗うがごとしとはこのことか、という記事が大部分だ。ところが年代を考えなければならない。昭和16年はみんな生きるだけで必死であり鉄くず拾いを出来たのは幸いである。

小学生は学校の生き帰りに鉄くず、古くぎを拾うことを強制させられており、拾った量は教師が監視した。帝国は子供が拾った釘で戦争に勝とうとした。

ところが戦争が終わると訪問販売業は成長産業になった。高度成長とともに少々のインチキ商品でも売れた。だがそこには周到な計算と用心深さがあったと見なければならない。

恨みを買えば自分のカネや命は狙われるが、恨みを買わなくても、悪質な人間にかかると、殺してでもカネをとられる。

僕は、とくにねたまれやすい商売をしつつ平然と夜の街に繰り出せたのは、誠実だったからだと思う。なかなか誠心誠意接してくる人間は殺しにくい。

それでも殺意を抱く人はいる。野崎さんは用心深かった。

 

その生き方は女性の扱い方を見てもわかる。彼は浮ついた心で接したことはない。だから決して外見に特徴がなくても持てるのだ。女性からすれば、私を必要としてくれる人がいる、とか私と本気で話してくれる、と彼女と共感できる能力がイケメンが持っていそうで持っていないものだ。

その証拠に3000人のだれともめたか。気に入った人にプレゼントをやったのがいかんのか。

 

孤独な男が歓心を買うために散財したのではない。

 

覚醒剤はどこにあったのか、何グラムあったのか、だれが怪しい、犬は変死した、直前の行動がおかしい・・・ バカバカ。死んだからその直前の行動を調べるのであり、普段エロ本屋に行こうが行くまいが僕は問題にされたことはない。どうでもいいことを謎だ謎だと騒ぐな。うるさい。

僻んで、あるいはうらやんで、たかが30億を狂うほど欲しがる。そんなら自分の才覚でどうかしろよ。野崎さんは人生に対する哲学を持ち誰も悲しませず平和に生きた。

あれが謎だこれが謎だと細かく本質でない事実にこだわるバカたちよ。いい加減みじめになるだろ。


殺すなら生むなよ

2018年03月08日 | 故人

たしかに街を歩いていると、どうしてこんなに醜いのに育てるんだろうと思うものを見るときがある。

僕の場合は客観的にかわいい赤ちゃんだったので、人生を生きるにあたり多くの妨害があったが命がけで育てた。社会の様々なものは、子育てを邪魔しようにかかっている。

そればかりか時として子供からもモヤモヤッ、イラっとするものを感じるときはある。

布団におしっこをされて常に笑顔の人は神だ。食事の時、目の前でドバっと吐かれて平気な人は何かがおかしい人だ。

だけどその何千倍も素敵なことがあるじゃないか。明日、はや出なのにわざとのように夜泣きをするが、悪いのは赤ちゃんじゃなくてそんなときまで仕事をさせる社会のシステムにある。

日本がいくら貧乏国に転落しつつあるといっても企業の内部留保は史上最高だ。シリアやソマリアではなく日本での話が当然の前提だ。

 

国は労働者に無理なことを言って、それができないと人間失格のように思いこませる。すると負けたくない人は異常にがんばる。だんだんエスカレートして子供を殺しても会社に行こうとする人が出てくる。人間が人間の作ったルールに苦しんでどうする。幻の目標に走るのはバカげている。

そしてその人は低賃金だ。そしてその人は休んでも大勢(たいせい)に影響のない仕事をしている。そしてその人の心はできなかったこと負けたこと悔しかったことで詰まっている。

国は言う。カネは出さんぞ年休も与えんぞ、だが少子化だから子供を産め、保育園は高いぞ入れんぞ手当は出さんぞ子供は育てろ女も働け。

こんなこと神でも無理だ。

 

低能がイラっとしてわが子を殺すなんてひどい話だ。人間社会には必要ない人だ。

だが僕らは檻の外から猿のけんかを眺めているのではない。当事者なのだ。子育てを妨害しているものはなにか、それをいかに取り除くか考える責務があると思う。

こんないい青年になる権利があったのに

 

もともとは、世の中に子育てほど楽しいものはないじゃないか。僕は子供から親にしてもらった。親こそ子供に恩を感じるべきだ。それを殺すなんて。僕は人殺しの国に住んでいる。一番殺してはならない人を殺す人は、この世にいてはいけない。


高橋まつりさんを忘れない

2018年02月17日 | 故人

お母様の手記を読むとき、僕はなんて生ぬるい環境に生きてきたのか恥ずかしくなる。電通にわが子を殺されてなお他の社員を気遣う心の広さに、ああ、お母さんがいたから本当にまじめな子が育ったんだなと実感する。

東大なんて、わが子を通わせている親は日本人の平均所得の5倍もある。その中でお母さんは必死に働いてまつりさんもそれに応えた。そういう辞めるにやめられない人を狙ってくるなんて、なんて汚いんだ。いじめた本人、時として加担した同僚、上司。悪魔の巣くう最低の会社だな。

会社というものはそうしてまで生き残っていかなければならないものか。

そうだ。と社員たちは言う。そしてその社員がまた自殺する。電通は繰り返しているじゃないか。

 

予告する。いじめ体質は何も変わってない。配置転換でごまかすな。がん細胞が転移したに過ぎない。今年また死ぬ。

いくら死んでも会社は生き残るため何でもしていいんだろ。そして、来年も死ぬ。再来年も死ぬ。死に続ける。

だが、最初に、いくら死んでも会社の存続が優先だといったじゃないか。、それなら天孫降臨ののちまず日本列島より先に会社ができたはずだ。

 

会社はなぜ万能の力を持つか。ヨーロッパ中世の宗教裁判を考える。他の例を引くことによりそこに共通する概念を成立させるため有効なことがあるのに、安易に思考停止に走る人がこの島には多い。人間に向かない人たちだ。だがこの人たちは、中世にとどまらず現代にいたるまで重要な役割りを担うことになる。

魔女裁判(男もいた)で死刑、主として火あぶり、になった人が150万人いた。判決を決めたのは司祭のようで実はそうではない。民衆だ。思考停止した民衆だ。民衆は司祭から正義というお墨付きをもらい少しでも異常なものに石を投げ火をつけ殺した。

司祭は民衆を正義というオブラートに包んでやることにより教会の安泰を図った。

 

バカは何かしら正しい側にいるみたいだということで安心し必要以上にわずかな違いも許さず攻撃する。

 

やがて、泥酔した熱狂を深く反省することによって、個人の思想はさまざまであり教会も会社もおよそいかなる集団も構成員が異質なものを持つことを相互に認めることの重要性を知る。それこそが社会を健全にすることだと憲法に書いた。

その点電通はいまだに不健全で、人殺しを狙う、臭くて、汚い、腐敗した会社である。

そこに入社しようとする学生がいる。お前たちは人間ではなくて蝙蝠だな。人に電通に勤めているということを平然と言える社会だから電通は安心して人殺し体制をやめない。

 まつりさん。僕は仇を討ちますからね。


二人の帝国海軍中将

2017年12月08日 | 故人

戦艦武蔵

偶然にも僕の家はお二人の家に近い。お隣りと言ってもいいほどだ。僕の子供はよくそのうちの一人に遊んでもらった。

もちろんお二人とも鬼籍に入っておられるが、悩みぬいた軍隊時代であったことには変わりない。

山城の船体の位置があきらかになったが、こんな練習船など、はやめに解体すべきであった。それを軍令部は「死に場所を与えてやる」と告げ、艦長はありがたく拝聴した。

山城(改装後)

どんなにカッコつけても、改装して30㌩(50㌔/h)どころか25㌩しか出ない。そんな遊覧船程度の船で第二次世界大戦を乗り切ろうとしたのがわが小日本だ。

数年も前から夜戦の勝ち目はアメリカにあった。わざわざ鉄と命を捨てにフィリッピンに突入する。突っ込んだ山城は集中砲火で沈んだ。もし突っ込まなくてもやがて沈んだ。米軍に比べ1/100の弾数だ。どうしろというのか。

戦力の差が5倍以下までなら精神力や練度で勝敗が決まることもある。しかし精密な観測、100倍の物量、十分な休養と食事をした兵。それに挑むことは勝ち目のないただのバカテロだ。

 

伊藤中将は戦艦大和の最後の艦長だ。伝習館高校から兵学校に進んだ、まさに文武の天才だった。

往々に、バカは理解力がなく、2度3度くりかえし言ったことに対し思い出したように反論する。こんな時、伊藤さんは言い合いを避け黙って聞いていたという。

平時ならそれでよい。戦時は、即決射殺しなければならない。だが武蔵にはそんなのろまは3000人中一人もいない。どの一人も生きていれば日本の中枢になった人たちだ。

バカが多数になり日本は道を誤った。声の大きい奴は責任を取らず、こともあろうに寡黙な人間に貧乏くじを引かせた。

水中の落ち葉 兵やあはれ

 

貞金中将は、修猷館から兵学校に進んだ非の打ちどころのないエリートだ。昔の人にしては大柄で大きな戦艦武蔵の模型を部屋に飾っていた。街中にポツンと豪邸がある。自分の生きざまを背中で教えた人だ。ご子息すべて優秀だ。

彼は戦艦陸奥の砲術長から戦艦武蔵の副艦長に進んだ。詳しい方はご存知だ、砲術長という任務がいかに高等数学を要するものか。僕は本人からよく数学を習った。問題の背景にある広い世界を教えてくれたので数学の世界を広めることができた。バカには無理なことだ。

貞金さんは副艦長として戦闘詳報を大本営に持ち帰る仕事があり3000人の船員を見殺しにしても持ち帰った。それは当然の仕事だ。

一方、栗田はその際間違った戦闘指揮により終戦を半年はやめ、原爆を落とすチャンスをもアメリカに与え、降伏する能力さえ日本から奪った。25万人の兵がルソンで餓死することはなかったのに。アメリカはダウンした日本を蹴り続けた。しかしセコンドはタオルを入れなかった。

現場で勇猛果敢に戦った人は捕虜虐殺などで戦犯として銃殺になり、牟田口や栗田、南雲、富田、青木…の無能たちはなぜ戦後をのうのうと生き抜いたか。

平和をほしがるなら戦争を考えろ。

平和を言うな。人殺しをして平和に生きた人間を殺せ。


怒る人は早く死ぬ 4

2017年07月11日 | 故人

俺はそこらのアホとは違うんだ。今でこそこんな掃き溜めにいるんだが、世が世なら〇〇の子孫だから、とか、〇〇大学の医学部に合格していたがカネがなかったばっかりに行けなかった、とか、今こそリュウマチで指が動かないがほんとならイボミのコーチぐらい軽くなれたんだ、コンペの優勝カップは100個もあって邪魔で捨てたばっかりだ、・・・

日本は、老人にはレゾンデートル(その人がそこにいなければならない理由)を与えない国だ。上に書いた老人の白昼夢は、悲しい脳の防御反応だ。

心底楽しいとか社会の役に立っているとか、レゾンデートルを獲得する年寄りは少ない。

 

そんな苦境のとき老人脳はどんな反応をするか。今回のタイトルのように「怒る」。みんなの注目を手っ取り早く浴びてみんなの中心にいるように錯覚し怒る老害。

管理職などにこんなバカがなっていたら会社はつぶれていた。会社はバカじゃない。早めに非正規にするか、解雇するかしないとガンは全身に回る。この無能老害は、永遠にどん底社員だったという都合の悪い現実は振り返らない。怒る老害は、あれ、ひょっとして管理職ってこんな気分かなと錯覚する。

法事の場、棟上げ式などで遠い親戚を怒鳴りあげたりして自分は社会に参加していると示す。ひどい時にはレストランのウエイトレスを些細なことで叱る。そうして錯覚した社長気分に浸る。

ぼくは心底思うのだが、怒る人はいやだ。実力ある人はみんな穏やかだ。とくに「みんカラ」なんかでは僕に対し怒っている人が多いが皆低能だ。その低能は、火病老人になるか、すでになっている。

 

脳のほとんどが腐れたウニになっているからもはやまともな思考は無理だが、それでも人類に位置するなら、あるいは人をだまして生きているチンピラでないなら、石にかじりついてでも、朝早くから小学生相手に旗を振るのではなく、喫緊の政治課題に議論を深めよ。つまり頭を使え。一度も使ったことのないものを。ボケ封じのくすりや神社はまやかしだ。

痴呆になる人は若い時からぐうたらだ。思考の怠け者である。だから早くボケる。悪いことに怒るぼけ老人になる。自分が偉く、頭がよく、みんなに慕われているときなど人生で一度もなかったのに、その夢を見て現実との区分ができなくなっている。

 

たとえボケても、精いっぱいボケの進行に抗(あらが)って人間性を守り続けていたら非常識な老人にはならないはずだ。

 

いつも僕に精神訓話をする人がいた。反論したかったが長幼の序に逆らうことは道徳ではない。

意味のない訓話は、支離滅裂になり、記憶があいまいになり、その頭で医学部に合格したはずはないのに、やがて幻覚を見、死んだ。

 

 


怒る人は早く死ぬ 3

2017年07月10日 | 故人

僕がもっとも尊敬する写真家が死んだ。彼とよく撮影に行った。Tobacco road in Kumamoto.

 

職人に徹した男だった。作品の芸術性を高めるということには関心がない。与えられた課題にいかに高次元で満足いく仕事をするか。彼はいつもそれを求めていた。金銭には無頓着で、あるときはアラブの王様のような生活をしているかと思えばまたあるときは乞食だった。

彼の言葉。

「計器が示す値を少しずらしたところに正解の写真があるんだよ」

この匙加減こそ写真の極意であり面白いところであり、人の老後のたくわえを蒸発させる魔の機械だ。エキセントリックであることを日本人は嫌う。日本人が精密であるからではなく、まわりと違う人が増えると何も考えない自分の位置が不安定になるからだ。それが怖いだけ。

「100点はからけん君が撮る写真だ。だからアマチュアさ。プロは80点。しかし一個でも75点はない」

素人俳句の偶然で本人すら意識しないのによいものができることがある。100点だ。だがそのアマチュアは30点が多いからと責められることはない。75点を取ったプロはその瞬間から依頼が来なくなる。

だけど僕はかわいがってもらった。あまり写真は撮らしてもらえず、通行人とか掛け軸を眺める後姿をした。豪華な食事をおごってもらったが、モデル料として。

毎日言っていた言葉は、「写真は引き算だ」

僕がカッコいいと思ったのは。露光計は軽自動車が来るほどの世界最高機種を持ってきたが写真機はバカチョンだった。偏光もなし。他のフィルターもなし。レンズ保護もなし。交換レンズもなし。F.35ミリで人物を撮った。

あるモデルさんの業界宣伝写真のコンペだった。みんな迫撃砲みたいなカメラを持ち込み落選した。彼は優勝し専属のカメラマンになり多額の賞金を手にした。バカチョンで勝つの、なんかすっきりする。

 

惜しむらくは、プロの宿命である勝負師であったこと。勝つことには異様な執念を燃やし鬼気迫るものがある。僕も自分の専門ついてはそうだが意地はなく負けはすぐ認める。それは給料取りであるからだ。一方彼は、狂気の意地を持っていた。それが残念だった。もちろん彼の腕前と表裏一体だったが。

80点をとり続けるには、狂気が必須の条件だ。80点をとり続けるため、彼はすべてに対し怒り続けた。

芥川の蜘蛛の糸のようにやっと一本降りてきた蜘蛛の糸には、どんなことをしてもつかまり這いあがらなくてはならない。アマではないのだから。当然彼は神経質になった。

高速でも無理な運転をし体操の床運動のように回転した。その後通った気功の会も彼を穏やかにはしなかった。ちょっとした言い違いで席を立ち二度と戻ることはなかった。

 

しかしそれがなくては勝てんのだ。その戦闘性が彼を今の地位に維持させている。大手カメラ会社の誘いを断り完全フリーとしてやっていくことを決めたその時に、賽は投げられた。

彼の周囲では争いごとが絶えなかったが、僕にはこういった。「からけんさん、そうカッカしなさんな」自分みたいな損な性格はやめろと言いたげだった。

死ぬときだけが穏やかだった。

今、彼の写真の評価は高まっている。死んでから、遅い。

 

 

 


怒る人は早く死ぬ 2

2017年07月09日 | 故人

僕のことから。

せっかくいいことを書いても不必要に人の琴線に触れる言葉を不用意に出す。たかが教員が、小学校レベルの人間が、一生ごますりしかしなかったアホ会社員が、カネでなった医者のくせに・・・まさに人をののしる言葉が百花繚乱だ。

これは言われた人が該当者であるときあまり気分がよくない。1億もいるから中には偏執的変質者がいる。異常な反応をする人がいる。

自分の存在の根底を否定するようなこと、最大の弱点(コネ入社、コネ採用、カネ採用教員)を突かれたとき、反発は当たり前だ。だがある程度の教養があると事柄を一般化できて客観的に自分の思想を整理することができる。

条件反射的にタダタダ繁殖するヒアリは絶滅してほしい。同様に、馬鹿にされたというところまでしか理解できないバカ。今後は、含みがある言葉遣いであることを理解してほしい。いや、無理だな。

個人攻撃はやめろというバカがいた。どこに個人を攻撃しているか、該当部分の抜き出せ。僕は因縁をつけてきた人のうちバカ以外には反論したが、個人が特定できる攻撃、反論は、僕を特定したときだけだ。

 

で、でも僕は怒っているようだ。前回のブログで登場したオオヤブ医師が、医者としては薬配布係しかしてないのに2000万/月の収入がある。最低だ。だが不思議な魅力があって、患者が「あのお医者と話すと治った気がするんですよ」とよく言う。村の祈祷師のたぐいだ。

怒る人は早く死ぬ。怒るということが数値化できないため法則にはなりえないが、逆に意味はないが数値化しやすいことが当たり前のことなのに新しい発見のように人口に膾炙する。

これは皆さんの周りを見渡すとわかると思う。誰ががんで死んだか。怒る人が死を迎えるとき、絶望は人一倍深い。

オオヤブ君のおっとりした白痴ぶりはプラシーボ以上の効果がある。低脳は異常に助け合いを強調する。そこに美学を感じるようだ。ばか。人間は、ふだん助ける人はあまりいらないし、助けが必要なほどに追い込まれたとき助ける人はいない。

人生に勝利するなんてありえない。負け犬が寄り添って傷をなめあっているだけだ。だからバカほど群れたがる。うんざりだ。敗者ファシズムの強制は孤独よりもつらい。

 

必要なのは、はわかってくれる人。自分のことのように嘆いてくれる人。いつもそれを気にしてくれる人。それがどんな薬よりも手術よりもよく効く。医学をはじめどんな科学もまだその段階である。

その証拠に、線状降水帯を果敢にやかましく言うが、朝倉で15人が死ぬ前の予報は曇り時々雨だった。大本営の空襲警報のようにB29が爆弾を落とし始めてから警報が出た。それが限界なのだ。スーパーコンピューター使ったんだろ。

ばかだな。そんなら5年後の僕を当てみろよ。地震の予知どころか雨も予知できんじゃないか。騙すな。信じた人が死んだ。

 

怒って死んだ僕の周りの有名人は次回

 

 

 

 


熊本ツーリング Ⅳ  ばあちゃんがそこにいる

2017年05月31日 | 故人

netから引用

七福神(弁財天)

 七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天とも書く)は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されている。          引用終わり

辺春地区の西岸を上ると弁財天が祭られている。建てたのは柳川藩で鳥居にも「立花」の名が見えた。(藩主)芸事の成就を願うとき、神仏にすがってでも上達したいと思う人が多かったようだ。

急な山の斜面にお堂が2個ありよく整備されている。僕は寺社にはよくお参りするが1円以上あげたことがない。寺など葬式で儲かっているから1円で十分だ。この弁財天には10円上げた。散財だ。

ここにばあちゃんが眠っているのではないが、魂がここにいる気がする。寺にはいない。三味線の天才であった。

現代社会においても、家元制度というねずみ講まがいの組織がなぜか放置されあくどくカネを稼ぎ、カネさえ積めばどんな地位でも買える。日本の芸能のガンである。

ばあちゃんはただ一人実力で家元の資格を取った人だ。その上僕の数学の先生の役割までしてくれた。障害に甘えない人だった。目が見えなかった。えてして障害がある人は自分中心の考えを持ち支那人のようだ。威張りくさって当然のように保障を受ける人が多い。かわいくないな。

目が見えなくても僕のバイオリンや勉強の心配をしてくれた。

僕を心配してくれる人がいるというだけで、僕はそこらのチンピラとは異なる人生を歩めた。ばあちゃんはずっと僕の心配をして僕の成功を一番喜んだ人だ。当然僕は、ばあちゃんの愛情に応えようと思い続けた。

(松尾弁財天)

母は一度も食事を作ったこともなく父親は妾のことしか頭になかった。

でも一人でいいからまともな人がいたら人間はさほど道をそれることはないと思う。チンピラになる人は脳の基質に障害があるか、天涯孤独か、気違いだけの中で育ったに違いない。

とはいえ僕の人生は、様々な理由から結局苦しいままで終わりそうだ。早く死んであの世のばあちゃんに会いたいとも思うが、その僕を引き留めるのは、ずるい人間たちの存在だ。低能、インチキ、ごまかし、ごますり、泥棒野郎が笑うことは許さない。そのために僕は生きる。

なぜみんな怒らないのか。ずるいな。教育委員会がいじめ自殺の事案に対し、本人が死んでいるので事情聴取できませんと言った。遺族は冷静すぎる。僕なら犯人と教育委員を殺す。

弁財天

 読者のみなさん、僕の考えのどこがどういけませんか。

 

 

 

 

 


弱者、敗者、貧者、・・・ 大切にされない人たち

2017年04月08日 | 故人

生活保護をゴマ化し、老人をだまし障害者を食い物にする卑怯者がいる一方で、制度のはざまで泣く人は多い。

むしろ公的扶助を受ける正当な権利を有する人こそ、その生存権すら実現できずにいる。

インチキ野郎の存在は、必死で働く人にとって忌まわしい存在だ。

読者はこの文を読みながらも、抽象化された表現に関心を示すことは少ない。僕は徒労感も大きい。しかし、必ず共鳴していただける確かな層がいて下さるので僕のエネルギーとなっている。

 

今回ばかりは事実のインパクトが大きすぎた。

日本とはなんという国だろう。勝者の勝者による勝者のための国だ。僕には偶然が重なった悲劇には思えないのだ。みんな敗者なんだ。二人でじゃんけんをして二人とも勝つことはできない。10人でも100人でも競争という勝負がある限り勝者は一人だ。

だから勝者には社会的責任が生じることを、この国は軽視している。負ける人がいなかったら誰も勝つことはできないのだぞ。

 

引用を短くしようと努力したが、これ以上はできなかった。デイリー新潮さんには申し訳ないが僕は伝える責務を感じます。

(以下引用 抜粋)

「京都・伏見認知症母殺害心中未遂事件」デイリー新潮編集部 4月8日

1995年、父親が病死後、母親が認知症を発症。症状は徐々に進み、10年後には週の3~4日は夜間に寝付かなくなり、徘徊して警察に保護されるようにもなった。長男はどうにか続けていた仕事も休職して介護にあたり、収入が無くなったことから生活保護を申請したが、「休職」を理由に認められなかった。

母親の症状がさらに進み、止む無く退職。再度の生活保護の相談も失業保険を理由に受け入れられなかった。

2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭を使ってコンビニでいつものパンとジュースを購入。母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町界隈を歩く。

「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」という息子の力ない声に、母親は「そうか、あかんのか」とつぶやく。

長男は、母親の首を絞めるなどで殺害。自分も包丁で自らを切りつけて、さらに近くの木で首を吊ろうと、巻きつけたロープがほどけてしまったところで意識を失った。通行人が2人を発見し、長男だけが命を取り留めた。


裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

京都地裁は2006年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡した。


それから約10年後の2015年。

(毎日新聞の記者が)数少ない親族を探し出して訪ねると、彼はすでに亡き人になっていた。

自殺だった。琵琶湖大橋から身を投げたという。所持金は数百円。「一緒に焼いて欲しい」というメモを添えた母親と自分のへその緒が、身につけていた小さなポーチから見つかった。

 

 


好きなようにさせて、わたしにかまわないで。

2017年01月17日 | 故人

朝日デジタルの記事を読んで考えた。

引用 2016年12月8日17時00分

糖尿病治療のための制限食を「おいしくない」と言って食べず、どんどん衰弱。とうとうお医者様から余命2カ月と診断されるところにまでなってしまいました。それでも母は、いつもの言葉を繰り返しました。

 「死んでもいいの。おいしいものしか食べたくないの」

 

なくなったこの方のお母さんは、医療とは何かとか、あるいはそれ以前に生きるとは何かを僕らに突き付けている。

人は無制限に長く生きたいものか。もしも、無制限に生きたいと考えるのが多数であり正しいのであるのなら、死は絶対いまわしく怖く苦痛であるはずだ。

なんとなくそうだろうな、死ぬのは嫌だもん、と考える多数がいる限り、生命を永らえる仕事をする医師という人間は、みんなの尊敬を集める。ところが、その尊敬たるや昭和の産物であることを人は認識していない。

 

医者は貧乏だったのである。それが保険診療制度、もっと言うと診療保険点数制度ができたことにより公金による高所得が保証され、それを目当てに医者希望が増え、さらにそれを目当てに医学部定数が増員された。

悲しいのは、医者の声を、患者の生殺与奪の権を持つものと考えている家族は、天の声として聴く。

低能な医者は、その高収入とその低能を根拠に自分が本当に天賦の才能があってそこらの素人より上の人間だと錯覚する。

診察室では猫をかぶっているが、いったん外へ出ると、さて、今日はどこに精子をまくか、フェラーリが早く来ないかな、晩御飯は上海でカニだな…

そんな人間が、「死にたくなかったらこの糖尿職を食え」と患者に言えるか。患者の身にならないから適当なことがいえるのだ。

 

 

引用

好きなテレビ番組を見て、好きなものを食べる生活。お餅やうどんが好物でした。私が車いすで連れ出す以外は寝たきりでも、生き生きとしていました。

 「死んでもいいの。好きなようにさせて」

 

 

 

 

 


田部井さん   言葉一つで人を元気にする人

2016年10月23日 | 故人

 

若いころ、僕はすべてを犠牲にして山に打ち込んだ

 

田部井淳子さん

この人が周囲にいると、なんて自分が小さいことに引っかかっていたのだろうと反省する。不思議な力だ。ヤマの歩みは正確で、機械のようだ。ペースが変化しない。

しかも疲労なんてありえない人だ。僕は脳の回路が故障して疲労を感じなくなったのだろうと思った。

ただし、日常のことはたいてい「許す」ことを基本においている。無理をいう人に怒るのではなくきっと事情が在ったんだよ、と。

許すばかりではなく、相談を受けたときは、周りへの気配りが鋭く、その上で合理的で解決策をどんどん示す。たいてい行き詰っていた人はバカらしくなって田部井ワールドの楽天的な考えを。知らない間に体得するようになる。

基本に、そういう考えで一貫していたから人の悪口でも遠慮なく言ったが、憎まれることは無かった。

 

女だけでエベレストに登ると言う事は、先頭に行く人も女性だということだ。ヤマは特に冬の岩山とは、20才の彼女が40になったときを思えばよい。リカチャン人形が錯乱ババアに変身する。夏と冬でそれほど違うのだ。

 

ある女医が、カッコつけてシェルパをあごで使い、夫婦喧嘩まではじじめ、カネだけで統率し、ちらかしぱなしで頂上に立ち、成功したといって帰国した。

カネさえあれば誰でもエベレストに登れる。ただし、汚く登る。あとあじが悪く日本人の評判も悪くなる。

 

山はトップに立って先頭で登るか否かが、一流の登山家かどうかの分水嶺である。3人パーティのとき、ミドル(真ん中)は、かりに落ちてもザイル(ロープ)のたわみのぶんしか落ちない。ミドルは初心者の体験コースでありそれをして3大北壁を踏破したとは大嘘つきだ。

トップは落ちると最後のハーケンの位置の2倍落ちる。(理由省略)

今井はサロンパスのように人の体にくっついて、時には本当におんぶされて3大北壁を制覇した。

Topでこの一の倉沢をAttackしてから大きな口を利いてみろ。その前に今井通子は死ぬ。絶対アイガーより困難だ。

 

僕はこんなインチキ野郎がマスコミでチヤホヤされるのはいやだ。だが田部井さんはもう一段階上だ。意に介していない。僕がイライラするころ、田部井さんは次の山と会話をしている。

ヤマなんか習わなくて良かった。僕は人生の心の持ち方を学んだ。

 

人に嫌がらせをして自殺に追い込む電通社員がいるかと思えば、田部井さんのような人もいる。僕は人殺し電通は絶対に許さないし犯人を突き止める。管理職に教え子や同級生は多い。しかし、周りをおだやかにして皆に好かれ、かつ自分の意見ははっきり言うそんな田部井さんに僕は、到底追いつけない。