か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する   22

2016年09月30日 | 韓国

日帝(日本)植民地時代、志願兵だったおじいさんは当時の歌を歌って懐かしがった。

日帝時代に生まれた人たちの多くは自分の祖国は日本であるということに疑念を持つ人はいない。 1930年代、後半になればなるほど、朝鮮人たちは、日本は自身の祖国であると思う傾向が急速に高まった。(転載記事)

 

日帝時代、朝鮮の人にとって日本は「祖国」だったのか。

 

われらの祖先は、日本帝国を自らの祖国であると考えていた可能性が高いようだ。このことを理解する鍵は遠くにあるのではない。中国における朝鮮族を見れば理解しやすいだろう。

たとえば、現在の中国に住む朝鮮族は自身の祖国をどこだと思っているか。聞いてみるがいい。

ほとんど100人中の99人が、自分の祖国は中華人民共和国であり民俗は朝鮮族だと答える。

中国は韓国と異なり多民族国家であるため民族的実体性と国家的政治体制とは区別される。中国の朝鮮族は、いつから自分の祖国を中国であると考え始めたのか。

朝鮮族の老人達に聞いてみると、時折自分の祖国は北朝鮮あるいは韓国だと答える人がいる。中華人民共和国が建国された1948年直後に(すでに)中国に住んでいたすべての朝鮮族が自分の祖国を中国と考るわけではない。

ところが、時が経つにつれ、自分の祖国は中国であるという思いの人が増えたようだ。とくに、中国建国以後に生まれた人はほぼ100%自分の祖国を中国と思っているはずだ。

老人達も最初は自分が中国人とは思わなかったはずだが、時がたち、自らももはや中国人になったのを認めざるを得なかったはずだ。  (つづく)

 

次回メモ   14の途中から

 

 

 

 

 

 

 


本物を見わける

2016年09月27日 | 思想

 

偉そうに書いて恥ずかしいが、皆さんの参考に成ると思い書く。

恥ずかしいというのは、僕は数知れずモノにも人にも騙されてきたから。

まづ人。貸したカネは返らないというのは今や僕の信念だ。それどころか、哀れに思い情けをかけると必ず仇で返された。

人の本物は見分けにくい。なぜなら、あるとき全うな善人であっても、状況でコロッと転ぶ。小早川かイタリア軍で世はあふれている。

しかし情にほだされ、今度こそはと思い、また騙される。カネは人を悪にする。僕をひがんだ親戚達は、何とか不労所得を得ようと血眼になる。自分でカネを稼げないからだ。

 

次にモノ。これも人と同じくらいの確率で偽物が多い。ちゃんとした出所の正しいサファイヤでも法外な値段がついているとそれは人をだますニセモノの部類だ。モノ対価格に正当性が無い。

そこで、バランスよくかつ、見たことないデザインで、石(宝石)の配置がよく、やたら大きく見せようとしていないもの、下品なストリップ小屋の照明のようなイロで無いもの、台座やチェーンに十分なプラチナがあること・・・気に入った後で考えるといろんな条件をパスしたものを選んでいる。

石の発表会にニセモノがあるはずないが、上述のように値付けがふざけているものはある。

ただし、石は人みたいに、カネを目の前にして態度が変わることは無い。

 

皆さんのなかには石(宝石)の話になると、ねたみ心でいっぱいになって読む人がたまにいる。そういう心理状態じゃあ僕のいうことは伝わらない。でも一生石に無縁ではいられないのだ。婚約、結婚、子供の婚約結婚、夫婦で出るパーティにリカちゃん人形の指輪は出来ない。

ふざけた値段の石を買わされるのは悔しい。だが、本物は高くない。庭には、たぶんくされた軽があるだろう。3年乗るところを6年乗れよ。

そうすればショッピングモールの石屋で岩石標本みたいな結婚指輪を買うことは無くなる。彼女のようにブサイクな石を買うと、瞬間、世界が暗転する。

 

ホンモノは、自分が見つけるのではない。石が自分を呼ぶのだ。その声を聞き分ける教養こそ望まれる。

時計が僕を呼んだ。ボームメルシー。ホンモノはでしゃばらない。ホンモノは重厚である。・・・九州にはこれ1個しかないらしい。これをはめた横着そうな、しかし教養のある人を見たら私だ。

僕は歩くイヤミだ。

 

 

 

 

 


참을성에도 한계가 있다 office (Korean Movie)

2016年09月23日 | 映画

 

例によってなぞときの多い荒削りな映画だった。

頭蓋骨の割れる音、高圧洗浄機から飛び出す水のように噴出す血。皆軍隊に行っているから変な効果音だと馬鹿にされる。

新入りの見習い(イ・ミレ李未來(劇中名))、(本名、コ・アソン高我星)がこき使われながらも一番出世の遅い課長が何かと助けてくれていた。しかし殺意はバカにされたときのみ起こる。ほかの事は我慢できる。

どうせ日本では、上映はやらない。すぐ旧作になって消える。

言いたかった事は次のとおり。

おまいらいい加減にせえよ。オイも人間じゃけんのう。限界までは頑張るが、調子こいとったら限界こえるでえ。

一見の価値あり。

 

僕には清涼剤のようにすっきりする映画であった。とくに最底辺労働者に転がり落ちた諸君。バブルの頃ならもっとバカが40万はもらってたのにな。そんなことが心にくすぶってないか。

安倍の三本の矢のおかげで給料がどうなったか。騙すのもええ加減にせい。・・・と、僕は素直な人間だ。とりあえずは、グダグダうるさい課長どまりの頭の悪いのに、ガツンと言ったらどうだ。

俺は奴隷じゃなかぞ。路傍の石でもなかぞ。上司が神か。上司の命令は陛下の命令か。

調子こいたら殺すぞ。北九州市と田川市は昔からこうだ。福岡市はこのごろこうだ。

 

この関係をうっかりして忘れる奴がいる。

 

内縁の娘が目薬を買いに行った。僕はクルマの中で音楽を聴いて暇つぶしをしていた。なんとあろうことか、泣きながら戻ってきた。さては娘が超、超、かわいいのでチンピラの類がちょっかい出したな、と思ったら、

脚立の上に乗った従業員に「目薬はどこですか」と聞いたら、あごで売り場の方向を示したそうだ。僕はそいつが脚立から降りる前に引き倒してやると思い急いだが、脚立は無かった。

あんまりすると「しまむら土下座事件」のようになり、こっちがいじめているように思われる。関係する2,3人を呼び出して、胸ぐらをつかんで謝らせた。これ以上すると品位が下がる。

内縁の娘は、軟弱な僕が嫌いになったようだ。

後日、その店からラバースタンプの謝罪ではなく、心から申し訳ないという気持ちにあふれた手紙が来た。

「女も助けられない弱虫パパ。」 当分これは消えない。

 

 

 

 


万策尽きたところに道はある

2016年09月18日 | 趣味

僕自身が生きる方針としている言葉だ。他人には言わない。他人のごく一部の方には共感する人がいるのでは、・・・と思い書いている。

たとえば、タダで電話がかけられるか。(ダイヤルの時代) まさか。天下のNTTが研究に研究を重ね金儲けの牙城を築いたのに、そこらのガキが考えたぐらいでどうしてタダがけが可能になろうか。・・・これが通説だった。さにあらず、田舎のスーパー高校生を侮ってはいかん。

まづ、10円入れ相手に通じると同時に電話機を倒す。すると10円は下に落ちずいつまでも話せる。(現在は対策済み)しかし、僕らもすぐにそのからくりを見破り、再びタダがけは可能になった。それは言いません。

高圧洗浄機がほしいなあと思っていた。庭のホースを買った。ブヨブヨのホースが安く1000円以下/10mだったので買ってみると、圧をかけると2倍ぐらいに膨らんだ。こりゃ爆発だと思いノズルを開くと危険なほど強く出た。

今考え中だがノズルのサイドに自転車の空気入れみたいな空気室を作ればさらに長時間噴射出来るのではないか、と。

パスカルの原理ぐらいは知っている。しかし10メートルのホースの内圧が1点で解放されるとき、その内圧を長さで積分した値の圧力が、ノズルしか逃げ場が無くなる状態はまさにGUNだ。

ちゃんと考えてから製作しないとこの場合危険だ。なぜなら、銃のブローバック機構と原理は同じだ。横に飛び出た薬きょうで死んだ奴がいる。もっとも、戦死扱いになったので良かったが。

 

SWEETS SWEETSなんと甘美な語の響きよ。ひみつのお店で。あまいものは頭を良くする。貧乏人がよくケンカするのは、糖分が不足しているからだ。かわいそうに。

福岡では誰でも知っているCACAOROMANCE 。あますぎない。あますぎる店もそばにある。

 

 

 

 

 

 


ぶどう

2016年09月15日 | 日常

ぶどうをもらった。タネなしもあった。世の中にこれほどおいしい果物があるかと思うぐらい、おいしく頂いた。

僕にそのぶどうをくれた女性は、僕の気を引こうとしてとくに上等のぶどうをくれたようだ。

痛ましくもあり切ない努力であるが、僕はそういう目でその人を見たことはない。たぶん、今後も無い。

ぶどうだけ頂いて彼女の心を頂かないのは失礼な気がする。その気がないならぶどうをもらったりするな、という声が聞こえる。

今の時代、そんな神のような、あるいは山口判事のような人間がどこにいる。彼女の顔をつぶして悪かったが、僕が彼女をお持ち帰りしなかっただけでも、僕は上等な人間に属することが出来るというものだ。

いやー、じつにモテる男はモテない男よりつらい。しかし、あまんじて甘受すべき苦しみでもある。

僕ほどの広い教養、巧みな話術、ポイントで話を盛り上げるが笑いをちりばめ聞き手が飽きることは決してない。そして、もっとも重要な点だが、彼女が自らの知識と教養が高まった実感を持ち、さらに少しでも自分の知識と教養を高める努力をすべきだと自覚することだ。

ぶどう2房では安いものだ。

 

家で内縁の娘にこの話をすると、そのぶどうの2/3を食べていた。

娘は、女の敵はあたしが征伐するといった。つづけて、僕の首を絞めた。

 

 

 

 

 

 

 

 


工作台

2016年09月11日 | 日用家庭用品修理

 

写真にある、斜めに置いた穴の開いた板。工作台の天板。こいつが雨に当たるとがたがたにふやけた。なぜ木で作らんのか。これは木に似せた紙だ。

 

こういう単純な構造だが、さほど一般の家庭にあるものでもない。だが、単純な構造のようで意外と多くの問題・課題を工夫・克服して出現している。問題は、この手の道具は改良のチャンスに恵まれないこと。

たとえば、どこにもあるものとしてクルマ。一台車を世に出すと、多くのクレームや酷評が待ちうけ、生産中止に怯え、生産者は狂ったように改善する。

ただの作業台にはそれほどの試練は無い。実際作ってみると外野で騒ぐ以上に困難があることもわかった上での話だ。

アマチュアは、時間をタダだと考える。労賃も計算に入れない。商売になるとそうは行かない。いろんなコストを考えたうえで消費者の満足を得ることは、生半可なことでは出来ない。

コストを考えないなら良いものを作るのは簡単だ。ベントレーに試乗したが、じつによく出来た車だ。人類社会にはこういうものも必要だ。世の中はひがみだけで生きている貧乏人ばかりではない。安いので2000万。

 

作業台の金属部分は、いつ考えたのか誰が考えたのかと驚くほど良く出来ていた。力のかかるところは3mmの鉄板、それ以外は2mm、1.6mmというように使い分けられていた。曲げ加工はふつうはしない方法だったが工作機械が少ない中小企業のすばらしい工夫だ。

天板は木製に替えた。天板にコストカットをして紙にしたもんだからせっかくのその他の工夫がパーになった。

 

ところが僕も素人だ。穴をあけてみると取付金具とぶつかった。ジスクで削ったが、かっこ悪くなった。

上から見るとわからないので、よしとしよう。今回はケガもなく、修理前より頑丈な作業台が出来た。

今見ると肉抜きまであって、憎い、憎い。

 

 

 

 

 


障害馬術、馬場馬術

2016年09月05日 | 趣味

 

オリンピック馬術はすんだが、今まさにパラリンピックの馬術が開催されようとしている。

 

 

まず、障害馬術。メジャーではないので競技の概要から。と言うと、すぐ鬱陶しいのが出てきて、自慢しているとか知ったかぶりをしているとか言う。

半分当たっている。知ったかぶりはしていない。これは競技者の基本であるし、馬術の常識である。あまり知られていないことを紹介しようと思っただけだ。

 

馬術は、長い歴史の中で、洗練され修正され競技規則が成立してきたものだ。。英知が結集し成立した競技だ。

 

障害には、水平、垂直、濠の種類がある。助走の距離が短いものや連続して飛越するものがあり、しかも馬の足がわずかに触れてもバーはすぐ落ちる。

馬が合う。これが大事だ。メダルのためには数百頭の選抜された馬の中からさらに選抜して乗る馬を決め、何年もかけて調教、乗馬して合う馬を探していく。

ITだなんだと一回の波に乗っただけで数億ためて金持ちと思っている貧困精神には絶対まねできない。

なぜなら、くされ成金が思うようなカネでは馬一頭維持できない、厩務調教がいない、時間が足りない。そして決定的なことに知識と気品が足りない。数百頭から一頭を選んでも4年しか乗れない。病気ケガ・・・

 そうそう、馬場の言葉は示唆に富む。「埒が開かない。下品な小金持ちと話しても埒が開かない」。毎朝馬場の埒を開けるとき頭がフラッシュアップする。

 

アングロサクソンのずるさは、また歴史ジャンルで書きたいが、今回ばかりは参りました。こいつらはコツコツ気絶しそうな努力をする。

四肢が麻痺し変形し、6歳までは何を使っても歩くことが出来なかった人が、腕を一回、背骨を3回骨折しながらそれでも乗馬学校に通った。見ていると、足が人の半分ぐらいなのでスルスルして鞍から落ちそうだ。

「ハンディをつけないと差別だ差別だ」、と騒ぐ日本の無教養、善人ぶりっ子主義は彼に学べ。障害は守られるためにあるのではない。障害と命がけで闘う人に、了解なくあなたチンバだから守ってあげますよ、とは失礼な話だ。

障害は守られるものではない。そんな意気地なしばかりではない。このごろ日本では、おれの障害にカネを払えと言い出すのが出る始末だ。モノカネをもらって当たり前と思うな。

障害とは闘うものだ。世の中は皆、見えない障害を持っている。それぞれに歯をくいしばって生きてるじゃないか。

彼は顔の半分を失う落馬事故にあいながら、通算4個の金メダルを持っている。

 

 

 

 

 


遊びの約束に遅れる奴。 こりゃ最低だな。

2016年09月02日 | あそび

 

 

あるとき、九州半周ぐらいのツーリング計画を立てた。日帰り。あるバカが、男達がこそこそバイクの話をしているから、自分も一様に参加したくなったらしい。

皆で止めたが仲間はずれを恐れどうしても参加すると言い張った。たとえ250でもはじめて乗るバイクで長距離を走るべきではない。

朝早くからブンブンバイクの音がすると乗らない人にとっては至極迷惑だ。事前に住民に了解を取り事後に迷惑でなかったかを確認する。それは主催者の責任だ。まともなバイク乗りの気遣いに、バカは気がつきもしない。

ガキの暴走とは違う。

僕達は準備体操を終えたが、あれほど参加したがった新参者が来ない。朝の30分はとても重要だ。通勤と重なると高速の入り口まで、とても時間がかかることになる。

おいていこうとしたまさにそのとき、バカは来た。悪びれることなくしきりに出発をせがんだ。こういう落ち着きの無いポンスケは必ず事故を起こす。

皆は遅れたバカを無視して出発した。このバカのバイクは買って間もないのに磨いてない。ツーリングに行こうというとき、前日にバイクを磨くことはとても楽しいことのはずだ。

このバカな男はカッコつけて人の趣味を覗いただけだった。高速にはいるとこのバカ、SAでウンコをした。これがとても長い。大体僕はこの頃から脳がほぼ臨界に達していた。

走り出すと一定しない走りだ。計画がバカのせいで遅れ、計算では夜の11時ごろに福岡に帰りつくことになってしまった。

途中で引き返すか、バカを無視して飛ばすか、温泉をカットするか、・・・同時に多くのことを考えた。とにかく鹿児島に着いた。

 

 

そのときバカはなんと言ったと思うか。

 

「疲れたのでバイクは運送屋に送らせる。私は列車で帰る。」

数秒間はあきれていたが、そんなことではいけない、このバカポンに天誅を下すべきだ、そう思わざるを得ない。皆は、たぶん血の気が引いてバカを見る僕の殺気を感じたようだ。

「好きにさせろよ。」といって一番でかい男が、僕を羽交い絞めにした。優しい友人達だ。

今このバカポンスケは近所の高校で校長をしている。福岡県では知的障害が進めば進むほど早く校長になった。こんなのが5000万の退職金と莫大な年金を受け取り天下りをするのか。