か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

猫が鳴いていた

2022年03月26日 | 
しかも、二匹。親猫がうろついていたのでひとまず安心。

人間世界もさほど楽なもんじゃありません、と納得しかけていた。


ある日。二匹の子猫が一匹になっていた。生存競争はどこも激しい。僕も人を蹴落とし蹴落とされ今日まで生きてきたのだ。野良猫が死のうと生きようとぼくには関係ない。人間世界も生きていくのはしんどいよ。・・・

ところが一晩中か弱い声で泣かれると、どう理屈をたてても心は落ち着かない。心配だ。

真夜中にその鳴き声が止まるともう頭は冴え返ってしまう。


救出。


いや救出したことになるのか。今度は親猫が一匹残ったわが子を探して鳴く。


究極のジレンマだ。情けは人のためならず、か。分かっていてもここは、「情に掉させば流され」てしまった。

そのかわりこの子が死ぬまでは僕は死なない。天地神明に誓ってこの思いは変わらない。


怖がりなのでビビと名付けた。ビビっていたから。

ケージ、トイレもそろえた。


元気だ。




先に家の一員になった「カラシ」にあまえる「ビビ」。


誓った言葉に変わりはないが、ただ、とても大きくなった。


僕自身、人間の子供が二人いるが猫のほうがはるかに大変だ。ビビはカラシの2倍の大きさになり餌は食うしうんこも大量だ。

だが一日ぼくが留守にしただけでエサも食わない。トラみたいにでかくなって甘えん坊で。僕の腹の上で熟睡する。



カラシはカラシで理屈をこねる。




(注 カラシの名の由来はカラシニコフから。ニコフは信頼できるよそのお家に引き取られていった。)

ウソはしきりと絶叫する 89

2022年03月20日 | 韓国
<前回のつづき> 

韓国では以前から従軍慰安婦事件が反日扇動の重要なメニューに使われてきた。したがって誰でもそんなことがあったんだという事実を知ってはいるが、実際に従軍慰安婦として働いていた人たちが登場し始めたのは最近のことだ。これは1990年代韓国社会で進行した性革命によって純血思想が弱まった現象と関連している。



従軍慰安婦たちは妊娠と性病、劣悪な労働条件、売春管理者の搾取などにより苦痛を受けたのだが朝鮮出身慰安婦たちには何よりも精神的苦痛が大きかったのだ。昔から朝鮮社会では「失節」を婦女子の最も大きい悪徳としていた。家の中にいる女たちは外の男と皮膚が触れるとか足が露出したという理由だけでも自殺することが多かった。純潔を失くした女性が自決するのは朝鮮社会では当然のことと考えられていた。国家としてはこのような場合には「烈女碑」を建てその家門に褒美を与えた。したがって未婚の女性が多くの男と性関係をもったという過ちは朝鮮社会では決して許されるものではないのである。このようなことから朝鮮出身の慰安婦たちは戦争が終わった後でも羞恥心から故郷に帰ることができず現地に定着した場合が多かった。



韓国では現在でも性関係が乱れた女性を罵って「売女」というのだが、このことは「還郷女」として故郷に戻ってきた女性を指す言葉だった。17世紀の初め、二度にわたって朝鮮を征伐した満州族は人質として数十万の朝鮮人を捕まえていったのだが、朝鮮では長い間莫大な人質代を支払って彼らを連れ戻さなければならなかった。とくに女性の身代金は高かった。だがこうして再び戻った女性たちは「失節」したものと推定されたため彼女らの処遇について朝鮮では殺さなければならないという意見と許すべきだという意見に分かれて騒ぎになった。



結局、朝鮮の王は「還郷女」たちをすべて集めソウルのホンジェ川で体を洗わせそのことにより貞節を取り戻したとしたのだが彼女らは以後も世間からの蔑視されあるいは地獄のような人生を送らなければならなかった。従軍慰安婦たちも故郷に戻ればこのような「売女」とされる人生を免れ得なかったので大部分は帰国を拒否して現地に定着する道を選んだ。だから朝鮮の慰安婦の苦痛は日本出身に比べてはるかに大きかった。


<つづく> 毎月20日発行