か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

狂犬は撃ち殺せ

2012年06月29日 | ニュース
ワゴン車が付近の狭い路地を暴走しながら通行人の男女計6人をはねた。車は北に約1.5キロ離れた同市浪速区日本橋5の交差点でトラックに衝突して停止。駆け付けた捜査員が、運転していた自称、大阪府河内長野市汐の宮町、職業不詳、永田邦勝容疑者(32)を道路交通法違反(信号無視)の疑いで現行犯逮捕した。捜査関係者によると、永田容疑者の関係先から注射器が見つかった。
                                          毎日新聞 2012年06月27日
======================================

今までに誤判によって死刑になった人がいくらでもいたし、今後もそういう人が死刑台のロープの前に並んでいる。僕はそれが見るに堪えないと言っているのであって、目の前で人殺しがあっているときに被疑者に人権とかいう人は、その人もまとめて殺した方がいいと思う。

駆け付けた警官の恐怖やいかばかりであったかと思う。狂犬も銃を持っている可能性が大きい。注射器を持っていたそうだが、人権派のバカは犯人は今から昆虫採集に行くつもりだったかもしれないので、そのための虫を殺す注射器である可能性がありむやみな発砲は控えるべきだとか言うだろう。

僕なら頭を撃った。心臓より頭が大きいからだ。警察官は相手の銃が見えないと発砲できないらしい。あるいは明白かつ緊急な危険がないと発砲できないらしい。しかしそれでははあまりにも警官がかわいそうだ。また現場の警官はそれを実によく守っている。

僕は被害者のご老人、女性がかわいそうでならない。もちろん犯人永田が保険に入っているはずないじゃないか。そもそも、容疑者とは何だ。何百人も見ている前で殺人未遂をおこしている。それでも容疑か。バカ。どう見ても犯人だろ。

犯人を生け捕りにした以上きちんとした手続きにより日本の犯罪史に刻んで行かなければならない。多方面に役立つ資料となり特に交通行政や麻薬取締に貢献する。

だがそれは2次的3次的問題で、現場では犯人を打ち殺して重症者の数を減らすべきだった。重傷者とはすんでのところで死者になった人たちだ。

アメリカの基本精神にある。近所をうろつく狂犬は撃ち殺さなければならない。それにはこういう意味も入っている。警告はいらない。必ず殺せ。手負いの狂犬は住民を食い殺すぞ。

頭が蚊とり線香の左巻きは、犬がかわいそうとか言う。じゃあお前が食われて死ねよ。

あの緊迫した事態でさらに警官に要求するのは酷だが、もしもできたなら6人の負傷者を出さないために発砲があってもよかったのではないかという気がする。相手が銃を持ってないから警官が発砲したら後で問題になる。しかし車という凶器で現に負傷者を出している。発砲条件はそろっていた。

いよいよクルマがいやになった。
Posted at 2012/06/27 07:52:37

「むつ」は太平洋に醜態をさらした

2012年06月29日 | 技術
1974年、一隻の船が華々しく就航した。進水式には皇族が呼ばれ、記念切手も出た。加圧水型原子炉を積む10000馬力の船で総トン数は8240トンになった。

若い研究者を中心に就航前から廃船にすべきだという声が強かった。「むつ」と「もんじゅ」と「ふげん」で人は死んだが得るものは何もなかった。どころか今のカネにすると2兆円以上を海に捨てた。

今回は「むつ」に絞る。わずか戦後20年しかたっていない国が原子力船を持つ必要があったのか。当時のGDPは現在の10分の1にも満たない。2500億円とは国家予算の2.5%の相当した。

個人も国家も団体も実力のないやつほど背伸びしたがる。なぜか原子力官僚と言われる低脳集団は船の完成を急いだ。アメリカもソ連もドイツも持っているから日本も持つんだ。こういった単純な頭脳にはたいてい悲劇的なことが起こる。

諸外国が原子力船に見切りをつけ軍事用を除いて廃船にしていた時、我が国は涙目になって「むつ」の成功を祈った。なんとその原子炉は地上実験を省略された。のみならず係留試験もせずに出航した。

同年、洋上800キロでさっそく放射線漏れをおこす。これはアメリカの設計会社から三菱は指摘を受けていたにもかかわらず手直しを怠ったことにより起こった。

また一部に隠ぺい工作もあり沿岸住民の不信感はつのった。母港は受け入れを断り日本各地を受け入れ港を求めてさまようことになった。だれも責任をとらず海にカネをばらまき続けた。社会保障費の3分の1が消えた。

たしかに当時、増え続ける海運需要とそれに伴う経費の増大はどの国にとっても頭の痛い問題であり、やすい原子力に頼ろうとしたのは無理からぬことではあった。ただ低脳官僚、自民党が企業献金を背景に国防に資するという伏線があると勝手に思い込んでいたことが問題だ。

このとき日本学術会議の越智勇一は政府にこう申し入れをしている。

現在(1974)「むつ」で起きている事態は極めて深刻である。設計製造においてミスがあったことは明らかである。我が国の原子力の平和利用に国民の信頼を取り戻すことを切に希望する。民主自主公開の3原則に従って原子力開発の在り方について根本的な再検討がなされることを勧告する。(一部文章省略)

30年以上前に出たこの勧告は、1955年にできた原子力基本法の内容に近い。繰り返しのべねばならぬほど国民の知らぬ間に事態は展開していった。

今回(2012)自民党は原子力の平和利用にくさびを打ち込んだ。「安全保障に資する」という一文を入れた。

平和利用すらまともにできていない人間がそれを武器に使ったらどうなるのか。

福島原発事故現場の醜態はまるで猿が初めて火を手にして慌てふためく様子だった。
Posted at 2012/06/26 23:32:43

團藤重光(だんどうしげみつ)、法は最低限の道徳。やすらかに。

2012年06月29日 | 学問
98歳、老衰で亡くなった。巨星が落ちた。

最近は殺人犯は殺せ殺せとうるさい。世論全体が死刑賛成論に傾いて團藤さんの書物をまともに読もうとする人が少なくなった。凶悪犯を野放しにするのかとか、少年の凶暴化をどこで止めるのか、という意見が強くなった。僕は冤罪の危険性により死刑には賛成できないし凶悪犯が野放しになるのも許せない。じゃあ一体どっちなんだという前に、はたして凶悪犯は増えているのか。少年は凶暴化しているのかというと統計はそうではないと言っている。

團藤さんとじっくり話した三島由紀夫はすっかり團藤さんのファンになった。團藤さんの刑事訴訟法は精緻なガラス細工をくみ上げる日本独特の刑訴だ。東大を首席で出た彼はそのまま東大の助教授として勤務する。その後最高裁判所長官まで上り詰める男だ。

死刑判決を出した後傍聴席から人殺しと言われ死刑反対を固めたと言われる。それは脳天気な頭をしたパーがでっち上げたウソだ。裁判官がそれぐらいで揺らぐはずはない。死刑囚にとってもその程度のことで死ねと言われたんじゃあたまらない。

大阪空港騒音訴訟はここで取り上げるスペースはないが他の裁判官が下した現状との妥協の判決に比して孤高を放っていた。参議院定数格差問題についてもしかり。

罪人が持つマグナカルタがある。(マグナカルタ、貴族が王の恣意的な支配に反抗して王に認めさせた王の制約条件、つまり罪人といえども権力の恣意的な裁量により罪を決められたりしないこと。罪刑法定主義)  
戦前に諸説あり、あいまいなままであったこの考えを統一した。そこまではよかったが社会が複雑化するにつれ、常識とか、モラルとか、倫理とか、社会道徳とかでものごとを見る必要が強くなり、罪刑法定主義と対立するようになった。(法は最低限の道徳)

たとえば、浅原彰晃をみよう。彼はめくらだ。法廷で叫んだ。こんなめくらの私に何ができますか。弟子たちが私を信じて、私のためにやったことです。私はだれをどうしろとか言ってません。こういわれると反証は困難だ。

しかし、問題はここからだ。今まであらゆる事件で共謀したものより実行したものが罪が重くなっている。浅原は共謀に詳しく立ち入っていない。サリンだ、VXだとかいう知識がさほどあろうはずはない。ましてや全く実行などしていない。

團藤は、以前の事件でこの事件がよって立つべき判例となる決定(棄却)をのこしている。

「基本的構成要件該当事実について支配をもつた者―つまり構成要件該当事実の実現についてみずから主となつた者―が正犯である」 (S57.07.16 第一小法廷・決定)この一文がなかったら浅原は死ぬことにはならない。

裁判員制度の人民裁判化を危惧しながら亡くなった。 朝日新聞は團藤の思想の中心が死刑廃止にあったとする世論誘導をやめろ。
Posted at 2012/06/25 22:20:04

百代の禍根、「朝鮮王朝儀軌(ぎぎ)」の返還

2012年06月29日 | 韓国
日本が韓国を併合したときに「李王家」の人々を日本の「王族」として処遇し、その冠婚葬祭のための儀式に使用するため、「朝鮮王朝儀軌(ぎぎ)」を参考にしようと朝鮮総督府から日本政府が受け取ったものだ。

それを今回政府は返還した。これは無限に図に乗ってくる朝鮮人の性質を知らない愚行だ。ほかにも返還要求している文化財はたくさんあり案の定、勢いづいて叫びはじめた。一つ返したら二つ返せと必ずなる。

朝鮮の冠婚葬祭の本は本来朝鮮のものだ。それぐらい分かっている。当然に返却されねばならない。戦後70年、そくざに返すとならなかったのはなぜか。

これは鮮人たちの戦後の態度による。彼らは徒党を組み各地の一般民衆、交番を襲った。かってに朝鮮進駐軍を名乗り、戦勝国民としての権利として婦女子を強姦した。武装してない日本の警察は進駐軍に泣きつくかヤクザに頼むしかなかった。果敢にも抵抗したある警察官は警棒をとりあげられ尻に突っ込まれた。

何の記録もなく、なかったことにされていくこの朝鮮進駐軍の歴史をきちんと学んでいたなら、鮮人をつけあがらせてはならないことぐらい分かったはずだ。

日本は鮮人と戦ってはいない。したがって鮮人は勝者でも何でもない。勢いづいた鮮人は聞く耳を持たないどころか駅前の一等地を不法に占拠し自分の土地にしてしまった。武装した朝鮮進駐軍は米兵と激しい銃撃戦を繰り広げた。マッカーサーはこれを見て朝鮮人ののぼせあがりをおさえる必要があることを悟り、朝鮮人は戦勝国民ではないこと、第三国民であることを宣言した。

終戦直後のことでもあり死者の数ははっきりしない。数千と言われる。土地を略取してパチンコ屋をしている人間たちの統計はない。これこそ返却されなければならないのだ。500年前の冠婚葬祭の本(「朝鮮王朝儀軌(ぎぎ)」)よりはるかに重要だ。野田よ。駅前に住んでいた日本人の土地もパチンコ屋から返してもらえるんだろうな。

金日成にとっては、封建時代の人民に敵対する階級敵の所持品でありすぐにでも焼却したいものだろう。李承晩にとっては日本からものをもらうということ自体がプライドが許さないことであり、本来かれは知識もなく関心もなかった。

つまり野田政権は相手がたいしてほしがりもせぬものを、ありがたがられもせずすんなり渡した。外交技術としても、もっと、もったいをつけて渡すべきだった。今後鮮人は年に一つずつ返還を要求する。あと200ほどあるそうだから今後200年は頭の下げっぱなしだ。
Posted at 2012/06/23 23:57:55

とんでもないことの後始末

2012年06月29日 | 国際・政治
原子炉を見学に行ったとき、はたしてこんなに頑丈なモノが壊れることがあるのかと思った。ところが今やまともに動いているモノはほとんどない。じゃあそんなにいい加減なモノを作ったのか。

そうではない。正常に稼働しているときはこれほど安価な発電システムはない。ただ原発はブレーキをはずしたフェラーリだ。いずれブレーキをかけて停止解体する日が来る。つまり日本は廃炉にする技術のないままフェラーリのセルをまわしてしまった。

運転中や廃炉にしたときの核廃棄物は、青森県に埋めるから大丈夫か。そんなに安全ならなぜ千葉県に埋めない。というとすぐゴマすり御用学者が出てきて地質がどうのと言いやがる。じゃあ京都府に埋めろ。舞鶴湾原発銀座から近いぞ。青森県の人はなぜ反対しなかったのかな。お金吊り上げるための形だけの反対をして、金額を見てころっと転んじゃったわけだ。

1000年保管するから大丈夫か。プルトニウムの半減期は24000年だ。1000年前は祖先がなにをしていたか分かる人は少ない。なにしろ鎌倉幕府の時代だ。ならば1000年後に責任を持てる人もいない。

こう述べてくると頭が弱いのは、それじゃあ国のエネルギーが足りなくなる、とのたまう。自分の頭が弱いから国の意見に同調し、ていちような意見を持っていることを示したいのかな。じつはそういうのが国は一番迷惑だ。核分裂型の原発に見切りをつけているのは当の国だ。

真の狙いはこうだ。20日に成立した原子力規制委員会設置法の付則に原子力基本法の改正が盛り込まれ「我が国の安全保障に資する」との目的が追加された。自民・公明が野合し「安全保障」の一句を入れた。つまり高い核開発能力を示しプルトニウム爆弾の製造能力をもって戦争の抑止力にしようというものだ。

そのためには原発は稼働していなければならない。みすぼらしい庶民の居間に原子力の電気が灯ろうとそうでなかろうと政府の関心事ではない。限界が見えたウランの埋蔵量になぜ執着するか考えるべきだ。

原子力基本法は原子力の憲法の役割を果たしてきた。自民・公明はこっそり附則をつけることでこの基本法の一角を壊した。

強国になろうとするあまり核武装の道を歩んではならない。戦後、冷戦の愚かしさを我々は身を持って学習した。核兵器は土人が我々と対等になろうとする最貧国の兵器と言われる。そういった結局共倒れになる兵器は狂った、失うもののない土人が持ちたがるものであり、核の被害国たる日本が志向すべき方向ではない。

犬を食う国が盛んに核開発をしている。だから我々も負けじと核開発すべきか。それは土人と同列に並んで殴り合いをすることだ。核開発競争は人間を60回も殺せる膨大な核兵器を作った。恐怖の競争だ。

そんなことに頼らずとも交渉はいくらでもでき、また思わぬほどの活路が開ける。戦前、近衛や広田によってせっかく交渉成立か、と思ったところで軍に委縮したとき日本はどうなったか。

Posted at 2012/06/22 11:11:33

「福岡事件」

2012年06月29日 | ニュース
ヘナチョコ裁判官が一人の男の命を奪った。遠い昔の話だと考えてはならぬ。過去に盲目なものは未来にも盲目だ。

台湾人は親日で好きだ、尖閣諸島は日本領だ。東北の災害にこんなに援助してくれた。日本時代を懐かしんでくれる人が多い。日本の観光地を荒らしていく。こういう目の前の事柄をそのまま直接的に、よかったとか悪かったとか、感じ取るだけしかできない低脳女子高生的人間がいて不愉快だ。事柄同士を有機的に結び付けろ。すなはち、考えろ。尖閣が日本領なら台湾は敵だろ。

1947年西武雄は軍服取引詐欺事件を計画した。この時西にピストルを提供するのが石井だ。ここで供述が分かれ西はその場にいただけという。カネを用意したのは台湾人数人だ。中国人(台湾人)は2名が射殺された。他にも武器は刀とか匕首(あいくち)とかあったが致命傷はピストルであるとされた。

一方、日本人は7人が関連したとされた。日本国憲法施行直前であり旧刑訴が幅を利かせていた。拷問により検察のシナリオ通りの調書が作成されていった。2人死刑、4人懲役、1人無罪。

証拠のピストルの条痕検査がない。関係者の硝煙反応は。火薬痕から関係者の立ち位置が分かる。死体解剖は客観的機関がしたのか。・・・それら一切がない。

自白を中心に争われた裁判は、裁判官の考える落とし所に落ちついた。傍聴席は台湾語のオンパレードとなり7人全員を死刑にしろといって暴れた。

このとき裁判官は情けないことを言う。

「西、石井を死刑にしたからそれでいいだろう。」 裁判官席から台湾人に懇願した。(一人は恩赦)

司法の権威も日本の権威も水泡と化した瞬間だ。傍聴席で騒げば判決は変わる。このことを学んだ彼らは日本統治時代を思い出した。

「比較的成功していた日本による統治」とかバカが言うが歴史を学んでからにしてほしい。台湾人を統治しようと、半島よりもはるかに多くの労力が注ぎこまれたが、終戦まで日本が統治に成功することはなかった。小日本帝国は多くの兵士を前線から引き抜いて台湾統治にあてた。逆に朝鮮人をすべて不逞鮮人のようにいう人がいるが、犯罪の統計を見てから言ってほしい。

半島では戦前、今以上に全国津々浦々に巡査が派遣された。今はソウルに異常に警官を集中させ民衆の暴動をおさえようとしているが。とにかく、予防注射も学校もなかった原始人たちは、犬を食いながらただただ近代日本におののいた。

台湾の親日は最近のものだ。蒋介石による過酷な弾圧に比すれば日本時代が懐かしいだけだ。穏やかな人たちだとか夢を見るのはよせ。
Posted at 2012/06/18 15:52:53

不良を保護するのはやめろ。「亀岡事故」

2012年06月17日 | 学問
 京都府亀岡市で集団登校中の児童ら10人が軽乗用車にはねられて死傷した事故で、京都地検は17日、京都家裁の少年審判で検察官送致(逆送)となった無免許運転の無職少年(18)(亀岡市)について、自動車運転過失致死傷罪と道交法違反(無免許運転)で起訴した。

 同過失致死傷罪より罰則の重い危険運転致死傷罪の適用は、家裁送致時に続いて見送った。

                                              読売新聞 6月17日(日)
==============================

少年らは夜遊びの果て居眠りをして子供たちをひき殺した。危険運転致死罪の適用が見送られたため3~5年程度の刑ですむ。刑務所で健康な生活を送り歯の治療も終り昔の仲間とともに元気に出所する。そしてまた子供をタイヤでぐしゃぐしゃにする。被害者への補償があろうか。免許自体がないのに。

自動車運転過失致死傷罪とは明治時代にできた罪状だ。若干刑期は時代とともに長くなったが5年程度の微罪だ。

少年たちは今拘置所の床を叩いて喜んでいるぞ。極貧で崩壊した家庭にいるよりよほど刑務所の方が学習環境がいい。高校の通信教育も受けられる。頑張って弁護士になったやつもいる。

考えてみると毎年5000人も交通被害者になっているのだ。しかし車はどんどん生産される。交通安全のための環境を整えればいいか。ウソだろうが。

どんなにやっても事故者は0にはならない。なのに僕らは厳罰化のみで対抗しようとしている。それには無理がある。ちょうど信号機をいくら増やしても交差点事故はなくならないように。

僕には方策が浮かばない。ただ、毎年5000人も死ぬ社会が異常だということは分かる。

ブームに流されて危険運転致死傷罪の適用を求めるのも日本の刑法の体系を壊すものだ。「現状に合わないなら変えちゃえ」という乱暴な意見が多いが、5人や10人死んだぐらいで刑法体系を変えることはできない。なぜなら刑法は100年先の社会が矛盾なく安心して生活できるよう心血を注いで出来上がってきたものだからだ。

危険運転致死傷罪は最高15年だ。ひき逃げよりも長いぞ。そうしたらどういうことが起きるか。事故をおこしてもぼんやり事故現場でパトカーを待ったりするやつはいなくなる。みんなひき逃げする。その方が罪が軽いから。さあ、危険運転致死傷罪がなんの特効薬になったかな。日本の法体系の中にこういう瑕疵を作っちゃあいかんのだ。

Posted at 2012/06/17 23:31:23

心斎橋の悪魔へ 3

2012年06月17日 | ニュース
   
貧困とは単にカネのないことではない。必然に人心はいやしくなり犯罪が身近になる。旧社会党の狂信平等主義信徒たちは、犯罪と貧困は表裏一体のものであるという主張をすると発狂した。

社会党やの低能達は学校で席次をつけることさえ差別と言った。まだ福岡市とその周辺の低脳中学校にはその名残が残っている。そんなことだから犬を食う原始人達に追い越されてしまうんだ。

高校に勤めていたころ学校に来ない生徒がいたので家庭訪問をした。6畳に親子、といっても片親で親と子二人が住んでいた。よく休むのはなぜかと聞くとバス代がないからと答えた。生活環境のそろった子供は勉強もしやすい、塾にも行ける。すると、近くの偏差値の高い高校に行けるわけだ。

そうではない貧乏でバカで机もない子供はかろうじて合格する遠賀高校に行くしかなくなる。そこは気絶するくらい遠い。間違っても勉強とは無縁のところだ。生活保護のカネはときどきおやじが来てかっさらって行く。水道も止められた。母親も家出した。母親はたんにいい生活を求めて出ていったのではない。生活の困窮に息ができなくなったのだ。

部屋の周りにはペットボトルが置いてあった。これが彼らの命の水だ。父親はその彼らのバス代をつかんで逃げた。子供たちは復讐を心に誓う。

福岡県の筑豊にはまだこんなところがある。このとき盗難車を改造したバイクの爆音はすべてを吹っ飛ばすものだ。おれを王者にする唯一の物だ。盗っては乗りまわし川に捨てるを繰り返した。全員がそうした。それ以外の道は絶対になかったから。

とはいえごくまれに例外もある。窃盗も辞め強盗も辞めボランティア団体として立ち直った人たちを知っている。田川市でボランティア団体。暴力団事務所でお花売りをするようなもんだ。よく生きていられるな。

しかし、通常は貧困と犯罪は磁石のようにひきつけあう。この環境に低脳という不幸が必然的に重なる。が、重なるとどうなるだろう。あわてん坊の人は磯飛を殺さなくていいと言っていると勘違いをする。そんな屑、どうだっていいんだ。母が死に、父は何やってもうまくいかず子供に関心がない。つまり愛されていない。カネもない。学校もない。友人は同様の屑たちだ。そんなもの、僕が心配する義務もなく価値ある議論のポイントはそこにはない。

もはや屑同士がつるむしかない。何か他の道があったら教えてほしい。教員とか社会党とか、世間知らずの満ち足りた偽善者自身、できもしないだろうが今の生活を捨てその道を歩いてほしい。選択の余地のない生活を知るはずだ。そして、その絶望が一生続くことを知る。お先真っ暗でないというなら私と論争しろ。そしてそのゴミために一生いろ。私は命がけで真っ暗だと主張する。

つるんだ屑たちにあるのはバイクと薬だ。磯飛には形式的な治療は行われたが治癒したわけではなく適当なところで町に放り出された。生まれてこのかた、磯飛が自分で人生の選択ができたことは一度もない。覚せい剤の残る頭のまま壁から蹴りだされる。

それなら禁断症状は出るだろう。僕が問題にしたいのはここだ。

コメントどうぞ。
Posted at 2012/06/14 01:08:58

心斎橋の悪魔へ 2

2012年06月17日 | ニュース
 
水曜日は判決公判があることが多い。僕は学生を連れてよく傍聴に行った。傍聴席と被告人席との間は、とくに危険性があるときは防弾ガラスが立てられる。あるとき、防弾ガラスもなしに僕は被告人と1メートルも離れないところで判決を聞いた。

僕は女子学生にきわどい話が出るが大丈夫かと聞いた。女子はそんなことより僕が怒って被告人とトラブルをおこすことを心配していた。

被告人が入廷する時、もう自分一人では立てない状態で刑務官が両脇から抱えていた。罪状の中心は強姦殺人だ。ほかにも余罪があった。ところがこの強姦が変わっている。70歳の女性を犯して殺している。死刑を恐れていた。

真っ青な顔になって震えていた。なかなか殊勝だ。どうせもう何も変わらないのに。判事以外の全員が死刑を予想していた。被告人から暴力と強姦と刑務所を除いたら何も残らない。これほど情状酌量の余地がない事件があろうか。またこれほど更生の可能性のない、つまり再犯性の確実な事件はあろうか。

被告人が立てないでいるのを見て裁判官は座って聞いてもいいと被告人席に座らせた。刑務官たちは捕縄(腰縄)を解き両脇にたった。

僕は悪い席に座ったなと思った。被告人が死刑判決に暴れだすことは十分に予想される。学生はおぼっちゃまだな。怯えきっている。

裁判官は判決理由を飛ばして主文から入った。判決理由は罪名が多いため長くなるのだ。

「被告人を無期懲役に処す。」

僕は後ろにいても被告人の首から頬に赤みがさしていくのが分かった。判決理由の途中で彼はうしろをふりかえった。そしてながーくにゃっと笑った。遺族と思しき人には肩をゆすって威嚇した。

『無期だとよ。生きて刑務所を出るということだ。お前らさんざん不利な証言したな。10年後はお前らを殺すぞ。』とは言わなかったが、あの蛇の笑いがそう言っていた。

僕は真後ろでこわかった。飛びかかるどころではないのに学生が僕をつかんで離さなかった。

哀れ遺族の人権。左巻きは悪を知らない。不条理を知らない。悪魔に人権を認めることはサタンに心を売り渡すことだ。

磯飛容疑者。沈黙してはならない。ケンカに勝ったら地面を舐めさせてきたろう。ほんの5分は世の王者である錯覚を抱くことができた。バイク50台をしたがえることは気持ちいい。

自分の家ほどいごごちの悪いところはなかった。人は最大の安らぎの場所たる家庭が消えたことを想像できない。磯飛。お前の安らぎは暴力と薬だったろう。ほかの選択肢は全くない。ここが大事だ。磯飛は道を誤ったか。いや一度も彼の前に分かれ道はあらわれなかった。彼はただ一本道をまっすぐに死刑台へと進んだ。もう日本の世論は薬のフラッシュバックだということを勘案する社会ではない。
Posted at 2012/06/13 00:26:22

心斎橋の悪魔へ

2012年06月17日 | ニュース
    
容疑者磯飛本人が死刑を望んでいるようだが、死刑判決が出るかどうかは予測がつかない。毎日新聞のこういう記事がある。弁護側は当然この筋で押してくるだろう。つまり。

=================================

礒飛容疑者は栃木県那須塩原市などで育った。親族の女性によると、父親が同市内で材木店を営み、裕福な家庭だった。3人兄弟の末っ子で、両親や親戚から特に可愛がられていたという。女性は「小さい頃は、おとなしくて素直な子だったのに」と振り返る。
                                    毎日新聞 6月11日(月)
======================================

僕は従来、世の流れに抗して、死刑判決にもっと慎重にならなければならないという立場をつらぬいてきている。この心斎橋事件のような現行犯であってもこの考えに変わるところはない。弁護側は情状酌量を求めて次のような事実も強調するだろう。すなはち。

======================================

礒飛容疑者が小学生の時、母親が病気で死亡。父親も経営していた材木店を廃業し、生活は急変した。その後、父親の新しい勤め先に近い同県下野市に転居した。中学時代の知人男性によると、礒飛容疑者は高校には進まなかった。地元の暴走族に入り、バイクで暴れ回るようになった。次第に薬物に手を染めて逮捕されるなど、荒れた生活を送っていたという。
                                    毎日新聞 6月11日(月)
======================================

ところが世論は、すなはち裁判員は聞く耳を持たない。厳罰化に走るだろう。まるで開拓時代のアメリカの西部の馬泥棒を裁く裁判だ。磯飛は前科もあるようだがこのときは薬物反応は出なかったのか。そんな反応出ていようといまいと磯飛は殺してしまえという意見が強かろう。それは誤りである。罪刑法定主義が守られるかぎり判例には拘束されるのだ。とりわけよい子だった子が人殺しをした。そこに潜む深いなぞを明らかにした後でも死刑は遅くない。磯飛殺せ殺せという前に、なぜやったのかなと考えることは無意味なことか。ことを一般化できる能力があれば、貧困の持つせつなさや悔しさやあせり、・・・それらが少年をどう絶望させたのか、に考えが及んでくると思う。目の前の磯飛しか見えないならば、二人も殺したんだから死刑だ、で思考はとどまるだろう。

僕は磯飛の言ってることに釈然としないものを感じる。「だれでもよかった」「死刑になると思ってやった」そう思ったのは事実だとして、人は突然そんなことを思いつくようにはできていない。彼は思いつづけていたのだ。思いつづけていたことには異論はないだろう。では彼がその思考に至った経緯の解明は全く不十分であり、解明すべきものとして存在している。

磯飛は救いを求める目をしている。

このシリーズは学校でも取り上げたことのあるテーマです。続けますのでコメントはお待ちください。

どんなに族のカシラで威張っても、相手の族とケンカして勝っても彼には帰るところがなかった。当然に薬に走るだろう。自分だったらそうならないと何人が言えるか。このとき彼は死刑台のエスカレーターに乗っている。無意識に。

貧困を嘆くことは許されないことか。一部の例外を持って、努力すれば何とかなったと、軽々に言えるか。中卒の道はそんなに広いか。みんな低学歴に泣いてるじゃないか。貧困にあえいでいるじゃないか。低学歴と貧困という波が同時に彼を苦しめつづけた。貴様殺してやる、というところをほんの偶然で押しとどまった人は多いはずだ。では偶然で押しとどまらなかった人を死刑にしていいのか。

熟練の裁判官は知っている。生活の転落が人の心をどんなに焦らせるか。居場所がない人間は必要以上に残忍になる。それが40年も50年も続いたことによって今度は国から殺されなければならないか。

そうだという人たち。あなた方はオオカミに傷ついた羊をささげて自分たちだけの安泰を図っています。
Posted at 2012/06/12 00:52:01

大牟田にこんな可愛い電車が走った

2012年06月17日 | ニュース
   
著作権の関係で客車の画像を載せることができないが、それはもっとかわいい。遊園地の電車そのままだ。大牟田市は昔からバカだった。どうしてこんなに素晴らしいものがあるのになぜ観光に生かそうとしないのか。この鉄道は延長約15キロ。大牟田市をまあるく回って走る、ほぼ環状線だ。

しかもその路線は大牟田の産業遺跡を巡っている。三池炭鉱万田鉱跡は国の重要文化財だ。七浦鉱跡、旧三河電鉄変電所、宮原鉱跡、いずれも沿線にある素敵な煉瓦造りの大きな建物だ。コンサートをしたらどんなにいいだろう。トロッコみたいな電車に乗りレンガ造りの会場を巡りチェロを聞きつつビールを飲む。三池港で花火を見て引き込み線で鹿児島本線に合流する。こんなこと大牟田以外のどこでできるというんだ。

上記に書いていないがびっくりするほどの観光資源が沿線にはもっともっと眠っている。三池港閘門、港倶楽部、・・・

炭鉱が廃鉱になり無用の長物と化した鉄道を、三井は大牟田市に無償で寄付をすると言った。そこで大牟田市は三井になんと言ったか。「いりません」、ホントバカも極まったな。僕は大牟田市に住んでいなくて本当によかった。線路も列車も土地も込みで上げますと言ったのに、大牟田市がしたのはなんと固定資産税の減収の心配だった。

昔、一握りの市会議員、市長の思いつきでネーブルランドという遊園地を市営で始めた。全然面白くないところにだれが2500円も出して行くか。ばか。大牟田市はその後10年近くその負債の返済に苦しんだ。本当は大牟田市民が苦しんでいるのだが、市は市長の減給程度でごまかしてだれも責任をとらなかった。

きちんと経営感覚のある人を民間から呼べ。観光列車として鉱山鉄道が復活したらいやがおうにも儲かるぞ。この線路跡にそって観光資源がある。もう少し延伸すれば「グリーンランド」という大きな遊園地もある。九州最大だ。乗り降り自由の一日乗車券にすればいい。

もともとタダで運行していたものだ。公務員の片手間お遊びは必ず失敗する。隣の荒尾市も同様の愚を犯している。面白くない遊園地を作り負債のみが残った。

クルマが大牟田市に入ると嫌ーな「気」が立ち込めているのを感じる。ガサツで汚い。まず現状を認めよ。そしてかつての栄光を思え。市電を復活したら完全に環状線の成立だ。観光客に港倶楽部の上品さを見せつけろ。

かえすがえすも残念だ。廃線跡とはこうも人を悲しくするのか。
Posted at 2012/06/09 22:20:51

光母子殺害事件、秋にも再審請求

2012年06月17日 | ニュース
 
光市母子殺害事件で、少年時の殺人、女性暴行致死などの罪で3月に死刑が確定した大月(旧姓福田)孝行死刑囚(31)の弁護団は26日、確定した広島高裁の差し戻し審の判決に重大な誤りがあるとして、秋にも再審請求する方針を示した。東京都内であった報告集会で明らかにした。
                                      中国新聞2012,5,27

=============================================================================

最高裁は自ら判断することなく広島高裁に差し戻した。残念ながら今後同類の犯罪は起こっていくことが予想されるので、僕は今回最高裁の意見が聞きたかった。棄却や破棄などによって門前払いをし、下級審にその判断をさせることは責任回避だ。

というのも、十分に残虐であった場合、犯人の更生の可能性がいくらあっても首を絞めて殺すことにするという決定は、判例変更にひとしい。下級審を拘束する判例は、棄却などが積み重なってもありうるが、今回のように少年法の意義の根幹にかかわる場合、判決がほしいところだ。

というのも、日本の裁判所の決定命令判決はすべて開示される。僕らはそれを見て考えることができる。ありがたいことだ。煽情的なパソコンサイトのガセネタに狂乱するのはバカだ。その開示された上級審の決定の過程において、一人の裁判官が述べていることがどうしても気になる。

長くなるので一部にする。その判事が取り上げた犯人の精神鑑定と犯人の生い立ちの関係についてである。

関西大学教授の野田正彰鑑定人はこう述べている。

現弁護団は被告に面会し、あまりの幼児性に当惑した。山口家庭裁判所の調査官による「少年記録」には、「発達レベルは4、5歳と評価できる」とあり、生後1年前後で頭部を強く打っていることなどから「脳器質的脆弱(ぜいじゃく)性が存在するのではないか」と書かれている。今勾留(こうりゅう)されている広島拘置所でも、統合失調症の治療に使う向精神薬が長期多量投与されている。

もちろんこれはやる気のない隙間だらけのいい加減な鑑定だ。まず、生後1年で頭部を強打したことと、脳の器質的脆弱性は重要なポイントであり、もっと徹底的に調べるべきだ。向精神薬とその薬が選択された根拠も明らかにすべきだ。頭を強打したのは父親の暴力による。母親の自殺についての言及がない。

日本は罪刑法定主義を採用している近代国家である。街中をひきまわして銃殺する国とは違う。早く殺したくてうずうずしている人はその国に行ってほしい。みんな被害者といったら言い過ぎだが、その暴力によって4,5歳で発達を止める障害を与え、母が自殺するほどの暴力をふるった父親はなんの責めも受けないのか。

犯人がついているあきらかなウソぐらい僕にも分かる。弁護団は犯人を死刑から救いたいのではなく、裁判を引き延ばして死刑制度と戦いたいようだ。

付け足したいことがある。
野田正明鑑定人が証言することを批判した宮崎哲也は正気ではない。証言させることは裁判所固有の権利である。証言内容を批判するならともかく、証言すること自体を批判するのはチンピラのすることだ。

Posted at 2012/05/31 22:25:14