か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ゼニさえあれば

2018年12月30日 | 思想

昨日今日這い上がってきたにわか”小カネ持ち”(コガネモチ)は錯覚している。会社を持ち、たかが100人、200人使っていることが成功の明かしだと。ばか。

そういう人間は、不必要に態度がでかく、横着で、頭が悪く、学がない。

苦労して這い上がるとゼニへの執着が強い。幼少のころ、父親が他人の連帯保証人になって債務を負い家財が差し押さえられたことがトラウマの人たち。あの赤い紙。

だが、子がバカなら親もバカのようだ。この時こそ学問によってしか得られないもう一つの価値観を子に示す絶好の機会だったのに。親は子に、「お前は負けるな」という。つまり同じ道を行けと。

不況の時はこんな奴らは減少する。社会がバカに花を持たせる余裕はないからだ。ところが何をやってもだめだった貧乏人は、教養がなく発想もなく同じことを繰り返しているのだが、ひとたび景気が良くなると雨後の筍のように、あるいはゾンビのように起き上がる。

そこで哀れにも、俺はカネをつかんだ、すなはち幸せだと、、、バカはバカであり続ける。

こういうのはほんの100年前まででも家系をたどれる人は少ない。江戸時代には苗字もなかった人だ。それなりに哀れだが同情はしない。ひとたびカネ回りが良くなった貧乏人が、カネ持ちの皮をかぶると必要以上に威張る。

世の中、カネは必要だという。そうであっても、優先順位が極めて低いものだ。貧乏人には永遠にわからない。彼らは言う。「だっておまんま食えなくなったら終わりだ。家は大きいほど良い。会社は大きくなるほど良い。カネがあれば美人な女房が来る…」 そうした女房のなんとケバイことよ。

「こんな人たち」は、勉強を暗記ごっこと信じ込む。思考することを知らないから、いかに考えることが世界を広めるか、人間らしさを高めるかを分からない。そしてせめても暗記ごっこすらもしない。

にわか金持ちにとってはわずかな富を自慢すること、これしか尺度を持たないから世の中のあまたの価値尺度を知る能力がない。

幸せならそれでいいという自己中。うまいもんを食って、クルーザーに乗って、馬をもって、和歌なんぞひねり教養コンプレックスを隠す。

 

世の中には幸せよりも大事なものがある。それは人それぞれ異なる。多くの異なる価値観があるということ。じゃあ、「こんな人たちのあさましい価値観もあっていいのでは」と思うか。思う人は同類のバカだ。

にわか金持ちの幾重にも屈折した価値観、人生観らしきもの、じつは極めて単純な「悪」だ。「迷惑」。

例 

数年前ぼくのクルーザーが延焼し火事になった。大企業の重役や中堅のトップは心からほかの人の船を心配し自分の船はまったく気にしていなかった。ところが絶叫しながらマリーナや出火元や放火犯や警察に対し泣きじゃくっていたのはにわか小金持ちたちだった。まだ燃えているときに、弁償しろ、補償しろと朝鮮人のようにうるさかった。町医者、背伸びした零細業者、ITまがい、…。

その後の対応もバカは感情的にわめくばかり。声が大きく昔の下積みが顔に出てシミが一挙に増えていた。

一方ぼくは冷静で、合理的で迅速な対応をした、といいたいが正確には本物の人格者つまり本物の関ヶ原以来のブルジョワジーたちのまねをした。正解だ。

 

結論

ゼニがすべての人はゼニにをなくすと死ぬほかない。ゼニなんてなんと無力なことか。

僕らはなくていいものを必需品だと錯覚してないか。

 

 


松橋事件(まつばせ・じけん) 3

2018年12月21日 | 裁判

松橋事件(まつばせ・じけん)について書くのは三回目だ。

松橋事件の概要

1985年1月8日、熊本県松橋町(現・宇城市)の団地で男性(当時59)の遺体が見つかった。3日前の夜に男性と口論していたとされた知人の宮田浩喜さんが殺害を認め、殺人容疑で逮捕された。熊本地裁の公判中に否認に転じたが、地裁は懲役13年を言い渡し、90年に判決が確定。服役後の2012年、成年後見人の弁護士が再審請求した。 1985年1月8日、熊本県松橋町(現・宇城市)の団地で男性(当時59)の遺体が見つかった。3日前の夜に男性と口論していたとされた知人の宮田浩喜さんが殺害を認め、殺人容疑で逮捕された。熊本地裁の公判中に否認に転じたが、地裁は懲役13年を言い渡し、90年に判決が確定。服役後の2012年、成年後見人の弁護士が再審請求した。

出典 コトバンク (2018-10-13 朝日新聞 朝刊 1社会)

 

来年2月の公判で熊本地方検察庁が殺人罪の求刑をしないことを決めた。

出典 朝日新聞 12月21日 (からけんの自宅に配達されたもの)

 

「やってないなら自白しないといいのに。」と思うのは常識的な普通の人の実感だろう。そういう素朴な直観は時に恐ろしい冤罪を支持してしまう。

自白だけで人を有罪にできるなら何とかして吐かせようという心理が働き、警察検察での取り調べは当然に拷問となる。

「やってないなら自白しないといいのに。」という考えは能天気で甘い考えだ。警察検察は世界最高の検挙率を誇る頭脳集団だ。パワハラに対し、会社辞めればとか、いじめに対し逃げればというのと同じだ。そのひとの身になって言えよ。できはしないって。

それを戦前いやというほど経験した我が国は、憲法において自白の信用性を低め物証のない事件では有罪の判断ができないとしている。(自白万能主義、自白は証拠の王様という戦前の悪弊との決別)

拷問に限らず、「残った子供の面倒は俺が見てやるから」とか、「親がどうなっても知らんぞ」と脅し透かして証言を取ろうとする。違法な捜査だが、密室の不法行為をだれが証明できようか。

通常の先進国では手錠をかけたその瞬間から切れ目なく録画することが決まっている。(可視化、見える化)それを怠ると容疑者は嫌疑不十分で釈放される。
 
 
日本は民主主義を早産したといえる。いわば、棚ぼただったのだ。人々に民主主義を維持しようという思考はない。
 
拷問で廃人になったり殺されたり、うその自白で冤罪を生んだりした暗黒の時代が長かった国では、人々が肌で民主主義のありがたさを感じている。政府に対する発言力を持つ。ところが、日本人はその能力も気力もない。

うその自白は消し難い不要な住民間の対立を生んだりした。

それらのことを総合すると、日本の刑事被告人の人権は中世だというのが世界の常識だ。

 

再審(やり直し裁判)の開始は来年の2月だ。あの最高裁ですらやり直しを命じたのになぜこうも時間がかかるのか。

司法はやり直し裁判などしたくない。それには飯塚事件のように死刑にしてしまうか、死ぬのを待てばよい。自らの信頼が揺らぐことを進んでやりたいはずはない。

日本の司法が権威にこだわり、検察がメンツにこだわる以上、無学な民はその犠牲になる。これは立派な中世暗黒裁判だ。。

 

僕は留置場に行ったことがある。研修ではなく本当に密告されて現行犯逮捕された。不起訴になったので何とかもみ消してもらった。宇城市の留置場、今度の熊本地震で壊れた、ざまみろ。

実体験からいう。人は取り調べが長くなると、大体3日目ぐらいから本当に自分がやった気がしてくる。不思議なことに、俺みたいな人間のためにこんな大勢の人に迷惑をかけているという気がしてくる。それが申し訳なく感じてくる。

裁判所は警察が十分調べたのだからよもや間違いはあるまいと思ってしまう。友人の判事が言うには裁判とは先入観との戦いだ、と。

 

つまり、一度捕まればおしまいの世界がすぐそこにある。裁判員なんて感情で裁くに決まっている。検察はメンツにしか関心がない。国選弁護人は報酬が低く駆け出しがする仕事だ、つまり下手だ。

 

国民はみんな自分が加害者にはなるはずがないと思っている。そうだろう。しかし、間違えて犯人にされる可能性は、そんな善人にもある。

 

 

 

 

 


ウソはしきりと絶叫する 49

2018年12月20日 | 韓国

<前回のつづき>

もちろん大韓民国の歴史がすべて誇らしいものであるとは言えないだろう。もし自慢するものや誇らしいものだけを感じるならば、いわゆる八不出(物事の根本を誤った考え、訳者注)のインチキ歴史観であるか国粋主義者たちの傲慢な歴史観だろう。歴史において残念なこと、悔恨も合わせ指摘されるとき未来に向けた均衡ある史観となりうる。そういった史観は我々自身のみならず子孫たちにためにも必要である。周知のように大韓民国現代史においては屈曲と挫折と痛みの記憶がある。

とくに三つの未完成を持っているからだ。「民族主義の未完成」、「産業社会の未完成」、「民主化の未完成」がそれだ。時代錯誤的国土の分断が続いているという事実自体が未完成の民主主義を雄弁に語っている。民主主義が完成していたなら、今まで経験しているこの分断の痛みはすでに解消されているはずだ。

産業化も鳴り物入りで始まったが、完成できないでいる。だから自信をもって爾後の産業化を語りがたい。産業化が完成していたらあちこちに見えるすべての資本主義の矛盾と市場の失敗、労使紛争などが今より大幅に減少していたはずだ。

民主化はどうだろう。民主化が完成していたら民主共同体の質は今よりはるかに向上していただろう。政党と政治は、「塩まく」とか「くやけくそになる」対象ではなくて愛と愛情、尊重の対象になっただろう。今でも小学中学高校で学生たちを連れて国会議事堂見学をすることができない理由も国会議員たちが対立したり勢力争いなど黨同伐異(価値判断ができず盲目的に一つの価値しか認めないこと、訳者注)が普通になっている習性を正すことができないでいるからだ。

 

このような未完成は私たちが「大韓民国賛歌」を歌うことにだけに専念せずに「大韓民国の完成」のために精進しなければならない理由でもある。しかしだからと言ってすべての未完成が極悪なものであるというのではない。極悪であるというような批判の対象にさらされることはない。シューベルトの「未完成交響曲」が美しいように大韓民国の未完成にも美しいものがあるからだ。

 

Ⅳ    大韓民国は「誇りある歴史」

             

                      朴ヒョージョン ソウル大教授

「独立60周年の「事実主義と教科書をまともにする運動」時代朝鮮2005春通巻28号

 

われらは奇跡を成し遂げ民主化も成し遂げた。人権、民主化、産業化福、福祉度などどんな物差しを当てても大韓民国は「ミッションインポッシブル」を成し遂げたと自負できる立場を築いた。世界的に大韓民国は第三世界で成功した国家の代表的事例になったのである。「ゴミ箱にバラが咲かないように韓国に民主主義を期待できない」との欧州人たちの陰鬱な展望をわれらは変和的民主化により立派に反証して見せた。また、韓国では高速道路は作れないし製鉄工場も不可能だと診断した批判的展望をわれらは行動と実績で痛快に反証した。圧縮成長がその秘訣だ。我らは、「やればできる」という気持ちで団結し今やそれぞれ富國化に向かって漕ぎ出しているではないか。



 次回は、실패한 국가’에 민족적 정통성을 부여하고 ・・・から

©からけん


罪刑法定主義 自由心証主義 勘違いするなよ!

2018年12月14日 | 裁判

裁判所の地図記号は立て札=みんなへのお知らせ

東名あおり運転事件に判決が出た。

事件の概要

事件が起こったのは2017年の6月。パーキングエリアで駐車位置を注意されたことに腹を立てた被告は、神奈川の東名高速で危険なあおり運転を行ない、一家が乗った自動車をあおり運転で妨害して停車させ、直後にトラックが追突して、男性(当時45)その妻(当時39)を死亡させ、娘2人にけがをさせた。

懲役囚となった石橋和歩被告(以下石橋)は無罪を主張した。危険運転致死傷罪は成立しないという。相手が死んだときは運転してないということを根拠にした。

それなら謝る必要はない。悪いことはしてないんだろ?

巷のインチキ学者どもが騒いでいる。よく全体を見通して、どこで括って一つの犯罪とするか、ということは非常に重要なことだ。罪刑法定主義をはき違えている。罪刑法定主義の定義は次の通り。

いけないことをした時には、それ以前にいけないこととはどんなことか法律に書いておく。すなはち、法律に犯罪であると書いてない以上、何をしてもよいという考え方だ。

この考え方を我田引水し、危険運転致死罪の想定外のことが起こったから被告人は無罪であると弁護側は言う。

だから問題のポイントは、こうだ。犯罪の成立に必要な条件(構成要件)を欠くと主張する。「運転をしていないときに死亡した」から犯罪(危険運転)は構成されない、つまり無罪だと主張しているところにある。

思考力がない人はコロッと騙される。こんな法理が通用するならあらゆる犯罪は成立不可能になる。なぜかというと、以下の通り。

停止していたから危険ではなかったというなら、(判決はこの点に関しては肯定的で弁護側に同調した)「私は子供を殺してない。食事を与えなかっただけだ。」という理屈が通るに等しい。不作為であっても成立する犯罪はたくさんある。

ましてや今回の事件は被告人石橋が認める通り、カッとなっていた、のだ。どうなってもいいと思って停止させたわけだから、十分に殺意を含んだ未必の故意が成立する。

バカの屁理屈のために刑法があるのではない。刑法は体制を守るという至上命題を負っている。

判決は、石橋が被害者の車を追いかけた時点から死亡までを一連の事件ととらえている。この観点に立てば至極当然に犯罪は構成される。至極順当。

最高裁、たぶんここまで行くな

罪刑法定主義の考え方は古く、日本が鎌倉時代のころだ。西欧では王の恣意的な課税や徴兵に対し、合理的な根拠なしには行えないことを認めさせた。(1215年 マグナカルタ)これは罪刑法定主義の萌芽である。

この考え方が敷衍され、権力の恣意的な「人民の自由権」のはく奪を不可能にしている。ところが学習が足りないか能力のない人は、罪刑法定主義がまどろっこしいもので、悪人石橋を守るものだという主張をしている。

とんでもない。僕はむしろ、なぜ殺人罪が成立しないのかと思う。刑法は社会のごみをきちんと掃除してこそ存在意義がある。それができないなら僕なら石橋を殺すか人殺しを雇う。そこにあるのは強者生存の不条理の国だ。「人は人にとって狼である」というHobbesの世界観が具現する。

殺人罪の方が裁判官は選択肢が広く、自由に法の範囲内で判決が書けたはずだ。(自由心証主義)さらには余罪について、公判前整理手続きで弁護側は争ってない。それにしては判決、懲役18年の中に反映されていない。

合わせ技一本で4個の別個のあおり事件を一つの事件として裁いたので、余罪の刑期が量刑に反映してない。その他の3個の事件も公判を開き量刑を積み上げるべきであった。余罪の刑期が量刑に反映してない。検察は危険運転ばかりを見ていた。

量刑不当の声は消えない。両者控訴する。求刑から7年も減じた根拠を判決文はつまびらかにしてない。高裁は逃げないはずだ。逃げて、原判決支持、はないだろうね、まさかないよね。。

将来、恩赦が多いと予測される。即位の大恩赦、オリンピック恩赦、万博恩赦・・・確実にはわからないがとにかく15年では実質10年以内にまた高速であおっている可能性が大きい。

今度はこれを読んでるあなたがあおられて殺される。気違いを娑婆に出す世にもまれな国だ。10年なんてすぐだ

 


よく知らないくせにきれいごとを言う

2018年12月12日 | 受験・学校

すべての小学校、中学校、なんちゃって高校には競争がない。低能の心が穏やかになるときは現実逃避して自分の哀れな現実をしばしわすれた時だ。だから学校は低能にとって実に「楽しい学校」になる。

それでは問題の本質が解決しない。なのに労働組合を先頭に競争を敵視する。小中学校においては、とりわけダメ教師にとっては、むしろ好都合だ。競争なんてない方がよい。下手に切磋琢磨を実践するとモンスターペアレントが怒りだす。

教え方が悪いからうちの子はビリになったじゃないか・・・苦情は無限に汲めども尽きぬ泉のようにわき続ける。

だからテストをやめる。日教組は元来、頭が悪い人の集まりだったので、往々にして自分の言葉に酔い本質を見失う。

「子供を差別してはいけない」というのは彼らの錦の御旗で逆らうやつはいない。もしいたとしても解放同盟が処理してくれる。

そうして一番安心するのは無能な教師だ。なぜなら教材研究(授業の準備)をしなくて済む。。先に進む必要がないからだ。テストは差別なんだから、あってはいけないものだ。するとテスト範囲もあるはずない。だから授業は進まなくてよい。…なんてことがまかり通っている。

小学校は文化大革命の真っ最中だ。

このような小学校の先生たちは運動会でも差別差別とうるさい。かけっこで一等賞をとることは、ビリの子を差別していることだ。みんな手をつないで走ろう。ああ、美しい、共同、協力、共生だ。今度組合の教研(教育研究集会)で発表しよう。

こういうとバカが必ず乗り出してきて、そんな先生ばかりじゃない、とかいいだす。だからバカなのよ。今はそんな先生の話。

こんなおめでたい学校で子供は人生のスタートを切る。先生たちは差別嫌いなようだが、ちゃっかり自分の子は授業料300万/年の私立の小学校に入れている。、共稼ぎは小金持ち。周りのバカたちはその矛盾に気が付く能力もなく素朴にうらやむ、あるいはひがむ。

こんなお粗末な社会体制のもとでは、熾烈な競争を経て選抜された中国韓国のエリートたちの後塵を拝して日本が走ることになる。

 

周辺国はどうだろう。なぜ県や文科省は僕に外国の教育制度の調査を命じたのか。渾身の思いを込めて書いた報告書は握り潰し、きれいごとのウソ報告書を強制する。ウソを報告させ受け取ったバカは喜び、僕はカネをもらい昇給した。

こんな腐ったごみ溜め国はもうたくさんだ。事なかれ主義なのだ。

民間なら一発で倒産する。

親方日の丸は途方もない給与で人をつり、こき使われる人の人生にゆとりはない。高給だと錯覚する給与に到達するころ、うつ病で退職する。

無能への当然の報いだ。きれいごとで自分自身をだまし本当の自分の現実を直視しないでいると、当然の報いが来る。

 

一方、例えば韓国ではこう考える。

学校は正義と論理を教えるところだ。何度言っても不真面目が治らないとか意欲がない児童は、ひどく叱られる。正義感が強くPoliticalな子供が多い。


日本だったら体罰だと言って大騒ぎになる。

延世大学大講堂 (韓国は大学まで厳しい競争がある。日本人は、「韓国では卒業しても競争がひどいでしょう」というがそれは学歴の低い人たちのことで、延世大を出るということは、人生の万能パスポートを持ったことだ。日本もそうだろ。競争に勝った者への当然の報酬だ。)

 

素地は日本人も同様に持っている。子供たちの話し合いに参加させてもらうと極めてユニークな視点を持った子供がいることに気づく。だが先生がそれを処理できない、あるいは気づかないことが多い。

理由は、先生がバカだからが一つ。もう一つは臆病だから。今のままでいるには事なかれが一番だ。校長に知れたらどうしよう。安倍首相様のことを批判するようなことを子供(児童)が言ったが大丈夫か。やがてその子は、その先生みたいな子供になっていく。

Silence is golden.

日教組と、コネ採用させた市会議員の罪は深い。

学校というものは楽しいことが本質になってはいかんのだ。

 

競争の弊害は確かにある。だが負け犬のくせにそれを言っちゃあいかんのよ。

 


バカは学者になってはいけない

2018年12月08日 | 学問

高校のころ、ひどく手先が不器用な奴に進路希望を聞くと医学部だと臆面もなく答えた。彼は、成績面から言っても下の方にかすんで見えない位置だった。

家が博多織の関係で、コネカネ入学の素質はあった。彼はずっと自分自身を誤解したままだ。現役のとき九大を受け落ちた。バカなことをする。能力はおろか努力もしてない。何年かしてどっかの田舎の医学部に行った。こんなバカにカネを使うのはもったいない。

40歳のころ医者をやめた。病院もさすがに彼をかばいきれなくなった。一般に、医者はどんなミスをしても医療ミスで責められることはなく、患者は裁判をしても勝たない。だからそれ以上のバカだったのだ。

今は製薬会社のセールスだ。

 

なんちゃって高校に行った人は、医者になるような人は頭がよいと思っている。バカの一つ覚えはそっとしておこう。

 

大学教授も同様だ。上海の町を歩いている人を任意に連れてきてもこんなバカには当たらない。そんな人と話をする羽目になった。だけど世間は大学の先生は頭がよいと思っている。バカほど自分自身でもそう思っている。

社会科学に関係する以上、発してはならぬ言葉がある。

「歴史は知性で解こうとされてきた。私の歴史研究は感性だ」

こんなことを言うごみを許すわけにはいかない。だいたい語学は頭の悪い人ほど、さらには年寄りほど習得できない人が多い。この老中国人学者は、そもそも日本語が下手だ。入管は帰化を認めた。日本に悪性遺伝子を増やす移民法が成立したので今後こう言うのが増える。

科学が感性で説明されたら人類は亡びる。学生はその大学に通っていることを隠している。恥ずかしくて言えたもんじゃない。

反対に東大生はいつまでも東大にこだわり吹聴する人がいる。だがそんなのは一部だ。東大はほぼまともだ。

 

思想の自由、学問の自由があるから、その人の自己責任の限りにおいて、思想は自由だという人もいよう。ばか。

思想、学問を破壊する自由はないという話じゃないか。ばか。

 

お前の日本語はでたらめだから英語で行こう、と言ったらできないといった。九大の先生と話すと次第に僕は聞き手になり、まいりましたという思いでいっぱいになり、もっと勉強しようという気持ちでいっぱいになる。

かたや、このインチキお粗末と話すと、佐賀県で道に迷った時のイライラが来た。頭の悪さ、威張りくさった態度、不足する歴史の知識、お粗末日本語能力。

僕との言い合いが収まるまで周りでハラハラする日本人たちがもっと哀れだ。

僕が一番悔しいのはこの馬鹿に習う学生たちがいることだ。でたらめ授業は犯罪だ。幸い日本語が何を言ってるかわからないので被害はその分少ないだろうが。


「黙食」も「狂食」も僕はしない

2018年12月07日 | 食・レシピ

げ餃子

気温が25度を越え夏日になった。12月の夏日は何となく気持ち悪い。この「なんとなくそういう気がする」という気持ちを僕は、行動の基準にしている。

行動の判断を誤った時はいつも、理屈で到達した結論に従った時だ。孔子の言う「耳順」。これで行こう。

その天の声を聞いた耳に従って、中華料理を食べることにした。暑さと中華と脈絡はないが、耳順、耳順。

且つ、天の声はいつも個室で食えという。外食は洗い物をしなくてよいという捨てがたい長所がある。したがって外食個室で安いところ。安いと同じカネで数多くいける。一品香(イーピンシャン)。

バカ騒ぎをして、口の中のモノを見せながら、大声を出し、つくり笑顔をしながら飯を食うというのはかなりの芸当だ。それを障害児に強制しているところがあった。僕が訪問した時は、何を勘違いしたのか金正恩が視察に来た北朝鮮の学校みたいだった。

どうも笑わないと処刑されると思っていたようだ。楽しい給食の時間というのを勘違いすると、ぎゃあぎゃあ大声を出してつくり笑顔をすることだと先生たちは思い込んでいた。健常児でも食いながらしゃべるのは困難だ。それをなぜか障害児に強制するのがよい先生だとされた。

バカなことはやめたがよいと報告書に書いたが静かに握りつぶされた。

 

以来、他人と肩が触れ合うようなところで飯を食うのはやめた。ラーメンは好きで、こってりギトギトの元気ラーメンが特に好きだ。替え玉というシステムは九州だけだそうだ。ここは替え玉10円。僕は5回する。誰もいない時間帯に行き至福の食事をする。炭水化物のパラダイス。

 

替え玉は3回までしか許さないという同居人がいてラーメンをあきらめ中華。

中国人がした唯一のいいことは杏仁豆腐の発明だ。

今見てもよだれが出る。僕は死ぬときは杏仁豆腐の海でおぼれよう。

学校によっては食事中、私語を禁じているところもある。

引用 AERA 2018年12月10日号より抜粋

昼どきの小学校は誰もいないのかと思うくらい静かだった。授業参観のため学校を訪れた女性(45)は、当時1年生だった娘の教室の後ろ扉をそーっと開けた。すると、目にとびこんできたのは、全員が前を
向いて黙々と給食を食べる姿。
 私語は一切なし。楽しいはずの食事の時間がなにかの訓練の場のように見えた。参観に来ていたほかのママ友たちとアイコンタクトで外に出て、首を傾げた。女性は言う。
「『黙食』と呼ばれる指導なんです。子どもたちがしゃべりながら食べると時間がかかるかららしいです。

 

小学校の先生は何でこうなんだろう。極端から極端に振れ、何を命じられたか自分の頭で判断する能力も気力もない。コネで入るからこんなことが起きる。フツーのお母さんたちはまともだ。なにが「黙食」だ。あほ。

夏日だからか、サトウキビ畑に行くと元気なサトウキビを見た。やはり野におけ…

 


半島情勢は動く  17

2018年12月04日 | 韓国

引用(下7行)

安倍首相は猛反発
 文在寅大統領も後ろめたいのか、目立った発言をしていないというが、安倍晋三首相は「国際約束が守られないのであれば国と国の関係が成り立たなくなる」と猛反発した。
「15年12月に日韓で合意した際、首相は『彼らなりに苦しんだ知恵だろうね』と漏らし、財団というアイデアで道筋をつけた朴槿恵大統領(当時)の決断を評価していました。この直前には産経新聞前ソウル支局長の名誉毀損事件で無罪判決が下されるなど、徴用工判決とは対照的に、司法の暴走も封じていた。一時は反日的な言動も目立った朴氏でしたが、首相は当時のことを振り返って『今よりマシだったよね』とこぼしています」(官邸関係者)

この朝鮮船も最近存在が疑わしくなってきた

 

前賄賂大統領、朴槿恵懲役囚が大統領辞任するのは当然であり、今おりしも荒れるパリを見ていると落日の朴槿恵政権時と重なる。なにを隠そう僕自身あのロウソクデモ150万人の中にいた。

僕は、朴槿恵を弾劾できてもそのあとにくる韓国製のリベラルを恐怖しながら参加していた。だがその危惧は思考停止して、僕自身朴槿恵のでたらめ政治はとてつもない悪であり前近代的所業であると信じた。反省。

不安は的中する。

 

韓国の保守政権は、政府を批判するものを拷問、暗殺、殺人、廃人化したし、主だった活動家は殺した。こんなとんでもないことをする時期は長く、日本の協力なしにはできなかったことだ。当時、80年代まで、韓国憲法の基本的人権は国家保安法によって否定されていた。

朴槿恵を弾劾するということは、今まで政治の被害者であった人たちが復讐に立ち上がることであり革命なのだ。パリの五月革命が成功していた場合とか、あるいは今回のパリ暴動のように、マクロンと朴槿恵は同じバスに乗ってしまった。

反共韓国を応援するためこの条約で日本は、当時の国家予算の2/3を朴正照に贈呈した。そうだろ安部のじいちゃん、岸信介。

韓国のリベラルは国会で下手な芝居をする日本の民主党とは違う。生爪を剥がれ、催涙弾に倒れ、警棒で不具者にされた者たちの恨みは、失業低賃金への不満より大きい。そんな反政府勢力の中枢にいた文在寅が息を盛り返したのだ。朴正照の娘は娑婆においてなるものか、恨み骨髄なのだ。至極当然。

 

その時日韓の蜜月は終わった。過酷すぎる弾圧は光州事件にみられるように結局、全斗煥を引きずりおろした。金大中は日本的考えのできる人で若干の温情を見せたが、文在寅は日本的なものを知らないばかりか、日本の近代史に関しては嘘を信じ込んでいる。

しかも日韓友好はどうでもいいのである。すでに対中貿易額はすさまじく伸びている。

日本との貿易なくしては韓国はやっていけない…と思っている日本のチンピラは頭が古い。韓国からすれば、日本なんて元カノなのだ。

今極秘で金正恩をSEOULに招く算段をしている。島国の皆さんはいろいろ憤慨なさってくださあい、どーでもいいですから、というのが国際関係の力学情勢だ。日本が噛めない犬だというのは百も承知だ。韓国は三跪九叩頭して中国についていく。韓国に毅然とした行動一つとれないのは日本の右翼の伝統だ。

朝鮮半島の南北の利害は一致している。一致している国の国境はやがて消える。

子供が小さかった頃の色鉛筆が出てきたので、ずいぶん足りない色が多かったがクリスマスの飾りつけのための作品作りを始めた

 

 


半島情勢は動く 16

2018年12月03日 | 韓国

引用

【ソウル時事】韓国の文在寅大統領は、最高裁が徴用工訴訟で日本企業に賠償を命じたことなどを念頭に、「歴史問題のために、今後(日韓間で)未来志向的に発展させるべきであるさまざまな協力関係が損なわれてはならない」と強調した。    2018/12/03 06:46

こんなのを聞くと日本の右翼、ネトウヨ、低能は怒り狂う。当然だ。いわゆるカチンとくる。

被害を受けた個人が敵国政府、戦争協力企業に対し損害賠償の請求権を有するとは暴論だ。これが許されるなら原爆被害者に対し日本国が手当てをしたのは間違いで、すべてアメリカ政府に治療費を請求すべきだと言っているのと同じだ。

だからカチンとくる。問題はその先。その先にあるのだが、バカは同じ事にいつまでも腹を立て続ける能力がある。これを馬鹿の一つ覚えという。

文在寅はそんなこと百も承知で無理なことを言っているのだ。通用しない道理だということぐらい理性のある人なら朝鮮人でもわかる。

裁判所は政府から任命されている以上、忖度判決以外はしない。安部が経済の奴隷でありアメリカの奴隷であるとわかった以上、判断力を有しないわけだから対日関係は適当にごまかしておけばよい、と考える。これ以外はありえない。いうだけのことは言ったのだから。

経済で仲良くというが、そう都合よくいかないのは個人の場合のみで、国際政治に関しては矛盾する多くの約束が同時進行する。安部は経済界を押しのけるつもりも能力も理念もない。

経済は協力して発展しようね、歴史認識はおいおいね。…自分が思うように相手も考えるわけか。あほ。

あと10年は個人からの日本企業責任を問う請求は続く。それは「個人補償しなさいよ」と念を押して日本政府が払った戦後賠償金を横取りした韓国政府こそ責められるべきなのにうまく矛先をかわした。

 

民主党政権時わずか3点だからと韓国に文化財を返還した。それは日本政府が金を払って正常に購入したものもあった。

翌年韓国は4,000点の返還を要求した。対馬の仏像を泥棒した韓国人は無罪になった。

つまり、きっかけを作りあとは知らんふりをすれば民間の跳ね上がりが勝手に走ってくれる。日本も同じだけど。

では文在寅の関心はどこか。日本は噛まない犬だと確かめた以上、北との合流を希求している。今、水面下では気が狂いそうな忙しさに追われている。正恩の来韓。

1960年代の極右は親韓であり、安部のじいちゃん岸信介は戦後処理に賠償を含めた。それは第一次大戦の発想である。世界史的に見たら大きな失敗であった。(WW2 の原因)だが反共防波堤を築こうとずぶずぶの日韓関係は安部一族の理想とするところであった。

文在寅はこの体制を骨の髄から恨んでいる。うちの大学は韓国一のリベラルだが文の大学も似たり寄ったりだ。もう少ししたら在寅の悪だくみが確定する。

がんになる催涙ガスは毒ガス並みの強さで、戦闘警察の警棒は複雑骨折して元に戻らせないためにある。


なんでも差別というと良い人になれる

2018年12月02日 | 日常

引用

 電動車椅子を利用中の飲酒を巡る警察の対応について、障害者団体が抗議を寄せている。警察庁が「操作を誤らせる恐れがある」などとして禁止を呼び掛けているためだ。団体は「不当な差別だ」として改善を要望。道交法上、車椅子は歩行者扱いだが、普及に伴って事故も増えており、識者の間でも見解が割れている。 (浅野有紀)    東京新聞 2018年11月24日 07時08分

ソウルの町は今とても寒い。寒いのではあるが雪は多くない。昔はほとんど雪はなかったのだが、この頃増えた。ずっとそこに住んでいる人は、かえって町の変化は見落としがちになる。突然行くと変わったなあと多くの発見をする。

しかし変わらないものがある。

町に出て障害者を見ることはない。物乞いの類に自分の障害を売り物にしている人を見かける。これはよく見る。お涙を頂戴して糊口をしのごうというわけだ。また恵む方も、施しをすることでたやすく善人になれる。

僕は彼らの生命力に頭の下がる思いだ。僕は両足をなくしたら生きる気力までなくす。車いすのバッテリーから電源を引いてジングルベルを歌う人。とても下手だ。だが僕は彼の生きる力に尊敬する。

だが大部分は家の中にじっとしている。段差だらけの家、街、店、道路。一度でも車いすを押したことのある人は段差が悪魔のように思えたはずだ。とくに電動。総重量は150キロになる。5度でも傾けたら、「あんたは介助が下手やね。」と乗っている障害者からいわれ、大名の駕籠かきになった気がする。

北朝鮮の高官がもっと恐ろしいことを言った。「わが国には障害がありません。この世の楽園ですから。したがって障害者もいません。」

 

日本はどうだ。

福祉の水準は、こうあるべきだという理念によって現実化されることはない。ない袖は振れないのだ。おそらくこの理念ということでは韓国と日本に差はない。むしろ日本で盛んな自己責任論こそ恐ろしい。すべてを無政府状態で足りるとする暴論がまかり通る。

だが現実は韓国には福祉政策がほとんどない。存在しない。

 

もちろん、十分ではないがが、わが国の社会福祉は世界に冠たるものであった。しかし今は福祉の後戻りの時代だ。それでも厚労省は予算の1/3,30兆円を握っている。韓国の全国家予算の1.5倍である。

生活保護をもらえない人はもらう人をひがむ。もらえない自分の貧困は、ぐうたらや無能が根本原因なのに、人は比較の中に住んでいる。

 

いっぽう、もらう側すなはち障害者はどうか。もらって当然であるからすべてを差別といえば何でも可能なのか。

健常者と全く変わらず行動する権利とは、障害者が健常者から奪い取るものではない。自助の努力がまずあってそれでもできないことを補ってもらうのだ。健常者といわれる人も何らかの障害を抱えている。

片親、中卒、高卒、借金、へき地、貧困、離婚、はげ、ホモ、・・・それらに手当は出ない。出ないが自分で何とか克服している。自分の思想を作っている。障害者だけが限界までの自助努力をしなくていいとはおかしなことだ。

酩酊して道を歩くのはだれであっても下品なことだ。障害者はその下品なことをする権利を主張している。日本はそこまで面倒見のいい国ではない。


キャバクラ暴行死

2018年12月01日 | 事件事故

引用

 東京都港区新橋のキャバクラ店で昨年7月、従業員の与島稜菜(りょうな)さん(当時19歳)が顔を踏みつけられるなどの暴行を受け死亡した事件の裁判員裁判で、傷害致死罪に問われた店の経営者、伊藤英治郎被告(32)に、東京地裁(家令=かれい=和典裁判長)は30日、懲役11年6月(求刑・同12年)を言い渡した。

 判決によると伊藤被告は昨年7月4日夜、店で与島さんを殴り、顔を靴で複数回踏みつけるなどの暴行を加え、同10日に脳挫傷などで死亡させた。 毎日新聞2018年11月30日 20時01分(最終更新 11月30日 20時07分)

① こいつは気違いだ。100キロ以上の男が馬乗りになって執拗に一時間以上なぐり続けた。脳は一部飛び出し肋骨も多数折れた。残虐なのは殴り疲れると介抱するふりをしてやさしい言葉をかけ、ほかの従業員がいなくなるとまたリンチにかけた。それを死ぬまで続けた。

僕が納得いかないのは、すぐ死ななかったから暴行致死になっていることだ。つまり暴行や傷害によって結果的に死んだときに成立する傷害致死罪が適用された。

今日の救急医療の進歩は明治にできた法律を非常に古臭いものにしている。集中治療室に入れば24時間ぐらいは体がバラバラになっていない限り生命を維持できる。24時間持てば殺人ではなくなるのだ。

 

② 傷害致死の最高刑は12年だからなかなか最高刑は出しにくい。以後、これ以上の傷害致死がありうるからだ。そこで裁判官は半年残し11年6月にした。起算(懲役刑のカウント開始の時期)は逮捕の時刻からになることが多く大抵未決勾留の時期も含む。

事件は昨年7月に起きているから、残り10年勤めればいいようだが、その間に平成は終わる。(令和の大恩赦)  オリンピックがある。(オリンピック恩赦、未定) 大阪万博がある。(恩赦未定)どれかには引っかかるだろうから、あと7,8年で出てくる。

すぐだ。100%仕返しする。人殺しなのだから殺人罪にしないと、国民は危なくて外出できない。

 

③ 立法府の怠慢。裁判官は多くの場合、法と良心によって判決を出す。現実には多くの判例に支配され判例変更はよほどのことがない限りない。

明治時代に刑法ができたときは世界に冠たるものであり、量刑以外の点についてはその整合性に美しささえ感じる。ところがそのころは寿命が40年のころである。30歳で傷害致死を食らっても10年ぶち込まれたら終身刑を意味した。

今寿命は2倍に伸びた。今30歳の男に10年は何ともないばかりか恩赦恩赦で甘やかすから反省など一度もしない。絶対しない。

 

④ 僕は日本人の残酷さをこの点に一番感じた。ま、ここまで根気よく読む人は何らかの上げ足を取ろうと血眼になってからけん批判をしたい人だろうが、恥をさらすだけだから無謀なことはするな。

残酷。というのも被害者がシングルマザーであることを、ふしだらであることと結びつけ被害者を非難する論調がある。かなり強い。

「赤とんぼ」を歌ってみろ。十五で姉やあは嫁にゆきーー、だろ。誰がいくつで子供を産もうと他人がとやかく言うな。それを殺害される理由にするとはなんとむごいことを言っているのかわからんか。

キャバクラもしかり。パソコンオタクどもはちゃんとしたキャバクラに入ったことないだろ。大学生の合コンの方がよっぽど乱交だぞ。

僕は人の話をちゃんと聞ける人たちの世界とは、れっきとしたプロの世界であると言いたい。僕にとっては息をすることと同じくらい大事なところだ。

 

みんな他人事と思っている。発言例。私の子供はキャバ嬢じゃないから。キャバ嬢なんかするからそんな目にあう。…そうかそうか。人殺しはDENTSUにもいたが意味が違うぞ。こいつらは見境がない。裁判所も法律も検察も、そして国民も責任逃れをして知らんふりをする。そしてまた誰かが殺される。