か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

笠原小学校、その奥に笠原東小学校、その奥に鹿子尾分教場

2014年11月27日 | 教育

笠原小学校については前々回に書いた。

笠原東小学校。ここは廃校予定の笠原小学校に統合するという形で学校の火は消えた。その5年後笠原小学校も消えた。お粗末な学校配置計画により、子供たちは自宅が変わらないのに小学校を三校変わった。

真理(しんり)はまさかと思うところに潜んでいる。真理が見たままであるなら思考はいらない。

1953年に創立された笠原東小学校は、25名の新入生を迎えた。その後10年間は新入児童数はほぼ横ばいの25人前後である。1973年からの十年間は新入児童が20人を超すことはない。ところが1993からの十年間は新入児童数が一桁になった。

運動会、水泳、学芸会・・・すべて村民総出の祭りに子供は目立たなくなった。遠い黒木町から届く冷えた給食。分校ではないため校長、教頭、総括教頭、教務主任をおく必要がある。それにかかわる膨大な人件費。複式学級(1年、2年が同じ教室で授業する)を担当する先生の負担。

八女市および八女の教育委員会は、統廃合を避けるための努力をしたが仕方なかった、といった。


僕はここにトリックがあるというのだ。児童がいなくなれば学校があっても仕方がない。そのとおり。

ではもっと条件の悪い鹿子尾分教場(戦前)について考えてみようじゃないか。1879年創立。1906オルガンが来た。1907四年生から鉛筆を使えるようになった。(それまでは石版) 大正9年(1920年)ぞうり通学が可能となる。(それまでははだし) 昭和30年(1955)電話が通じる。

この分教場に通った生徒数(新入生ではない)1897年(明治20年)3人、98年2人、99年2人、以後順に4人、4人・・・。

ノートも靴も電話もないところのわずか数人のためにも学校はあった。あり続けた。

つまりあの貧乏明治政府が、一人でも子供がいて歩いて通えないでいるときは、そこに学校を作れと命じた。国家予算が一億円にも満たない政府が、「邑(ムラ)に不学(学校に行けなかった人)のなからしめんこと(が、いないようにすること)」のために決死の思いで学校を作っていたことがわかる。

こんな同じ話題に引きずられるのは、たくさんだという方も多いと思うので、これで最後にする。

明治時代に、学校が必要となりムラに学校を作っているときよりも、今、学校をつぶしているときのほうが、子供はその学校に大勢通っているのだ。

交通網が整備されてバス通学が合理的だとかいう官僚のまやかしを信じるな。バスの時刻を気にした子供に楽しい放課後は無い。学校が消えれば村も消える。地方を創生するどころか破壊している。

タイトルにあるこれら三つの学校は、今年3月までにすべて消された。 





写真  笠原小学校でロケがあったそうです  「母さんへ」NHK 小学校の入り口にありました 横の時計はまだ動いていました

 

 

 

 
  


まち・ひと・しごと創生法 いまさら何を言うか

2014年11月24日 | 社会・経済

町をなくし、人を連れ去り、仕事を取り上げた張本人は誰か。その張本人が、まち、ひと、しごとを復活させるという。ずうずうしい。

地方都市のほんのここ5年の衰退を正視すれば分かることだ。アーケイドを通学路にする高校生は口をそろえて言う。5年じゃありません。3年ですよ。3年で死にました。

安倍は笑顔で地方を再生、創生するといった。

そりゃ無理というもんだ。死人に人工呼吸をしても無駄だ。

鹿児島の天文館は人どおりがほとんど絶えた。佐賀はアーケイド自体が消えた。大分長崎は人自体が消えた。北九州は原始の姿に戻った。宮崎は話題にするのも震えが来る。熊本下通りは人がいなくて地平線が見える。わずか福岡だけが一人勝ちしている。

つまり、現実には、地方はすでに死んでいる。僕が、復活の可能性がないことをなぜ断言できるのだろう。

それは安倍自民党がその犯人だからだ。自らが政党の地方組織の無能をいいことに、中央に労働力を吸い上げ優秀な学生を吸い上げる事を止めなかった。そういうシステムにいささかも変化があったことはない。

佐賀のどこに能力を生かせる仕事があるか、学校があるか。

先日来、小学校の統廃合について書いているが、小学校の統廃合は地方の崩壊より早く始まり、平成の大合併で地方自治は消え学校も消えた。つまり行政、公教育が消えたので地方の崩壊が加速されたのであり逆ではないということ。(具体的数字は後日に)

その他法務局、検察庁、裁判所、役場自体、自民党政府の政策が消滅に拍車をかけた。地方の崩壊を加速させ、なぜ厚顔無恥にも地方の再生を言うか。法務局、検察庁、裁判所、役場、学校、警察、・・・ 十分に多忙で地方に貢献する公共機関は「能率的運用」の名の下に統廃合され消えた。

能率的運用はすでになされていた。赤字解消か。裁判所や警察にどうやって黒字になれというのか。

一次安倍内閣のスローガンは僕の心を捉えるものだった。「再チャレンジ」。これこそ日本に欠けていた社会の仕組みだ。

日本は一度失敗すると人生を失う。そういう社会制度の下では一度、18歳のとき、運がいいだけでフリーパスのチケットを手に入れる。時を逸すると絶望して一生を過ごすしかない。まるで半島だ。

これはいけないことだ。ガンバレば何度でもレールに乗れる人生でないと、人はやる気をうしなう。単線型の教育制度は間違ったもので、この点戦前のやり方はまだ合理性のある複線型であり、ひとつの偏差値という価値で人間が測られることはなかった。

自分らは東大を出ておいて、大学はみな平等だよ、なんていわれると頭に来る。そんなら第一経済大学と代われよ。

可愛い子からブスに向かって、まーかわいくなったね、と言うときの残酷さが分かるか。そんなら顔を交換しろよ。かわいいならいいはずだ。

現実は一本の東大を頂点とする序列で成り立っている。(単線型)

しかし安倍はウソをついた。「再チャレンジ」は「捏造」だ。現に何が変わったか。

だから今度もウソだ。しかも今度は、その「まち、ひと、しごと」を破壊した張本人ではないか。

地方は創生しない。



写真  人が去り風前の灯となった熊本三角(みすみ)の西港。坂の上の雲、いいちこのCM、るろうに・・・、A特急・・・のロケがあった。観光客は何かを求めているが、三角は崩壊しつづける。



 



多事争論  筑紫哲也

2014年11月19日 | 思想

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筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年(昭和10年)6月23日 - 2008年(平成20年)11月7日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。                >Wiki

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大分県日田市出身。東京に転居。小山台高校を経て、早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞記者をへてFreeのジャーナリスト、早稲田大の教授。癌により没。

筑紫哲也という名前を見ただけで、ネトウヨが発狂しているさまが目に浮かぶ。貧乏と気の短さは相関がある。筑紫はここまで無用心な発言はしないが、敵の論客を神経逆なでする名手だった。

ジャーナリストの宿命として事実報道より大事な使命がある。世論をリードすることか。否。リードは世論内部に醸成される集合体が行う。つまりわれわれが考える。ジャーナルはそこまで驕ってはいけない。

大事な使命とは、未来日記を描きそれをわれわれに提示することだ。事実か事実かと下品なやつらは狂いだすが、それは事実が目に見えて簡単だからだ。しかし歴史にとって事実なんてどうでもいい。本質の姿を事実を使って表現しているだけで、問題は本質だ。

筑紫哲也の未来日記も誤りを犯している。日本人拉致問題、従軍慰安婦問題、・・・

筑紫は誤りに基づく未来を描きそれを撒いた。

だが四面楚歌の中、さまざまの事件に対する当意即妙のコメントは、ほとんど間違っていない。彼が何かに迎合した意見を言うことは一度もなかった。イラク戦争に対し当時日本人のほとんどが、フセイン殺せの大合唱を歌った。911テロに対するアメリカの八つ当たりに、子分たる日本は迎合した。

無思想にアメリカに追従する日本にはどういう未来日記がまっているのか。彼はやさしく示した。


東大大学院の教授ロバートキャンベルは、テレビのクイズ番組が専門かと思ったらそうではなかった。筑紫が生まれた日田市で講演があったので聞きに行った。僕は一番前で聞いたが、その後ろでイビキをかいている奴がいた。僕はこういうのは我慢できないので、そいつの頭をポカッとたたいた。

するとそいつがガン飛ばしやがったので収まるまで講演が中断した。講演内容はすばらしく、そのうちブログに書く。


講演が終わり講堂の横に行くと、筑紫哲也の人形がいた。なんとなく笑顔の中に寂しさが見えた。

昔、彼は年賀状をくれた。もちろん僕なんかを知るはずはなく、事務所に僕の名刺が紛れ込んだのだろう。

「未来予測が困難な時期にすべきことは、変化を怖がらないことだ。」

と、書いてあった。文章は、もちろんそのままではないが、内容は確かである。20世紀に、僕に来た手紙である。先が見えないと不安になる。だからこそ変わりゆくものを受けとめろと言うのだ。ロバートキャンベルの講演にも通じたものだ。

ほかにもあったが残念ながら忘れた。

瑣末な事象に是非を問う小人(しょうじん)が増えた。大局から本質を見る人が減っている。

彼の生地、「日田市」と、鳥越俊太郎の「うきは町」は、15キロしか離れていない。








 

消えた笠原小学校

2014年11月14日 | 受験・学校

その時はどんなに憎んでいたとしても、死んだり引っ越して行ったりして目の前から消えると、しだいに寂しさがつのってくる。

想い出は美化され、よかったことだけが残る。

ふもとの息子夫婦の断熱の効いた暖かい部屋に身を寄せていても、時折は隙間風に苦しんだ山間の軽トラも入らぬ急坂の上の家が懐かしくなる。

便利さ、快適さを責める人はいない。しかしはたして、都会が持つ「よいもの」はウソをついていないか。あるいは、「まぼろし」ではないか。たのしみで作った白菜を道の駅で売るとき感じた充実感を、マンションの一室ではいかにして得ようか。


学校の統合が進んでいる。能率、安全、成果、・・・ たしかに、息子の扶養に入ったほうが道の駅でいくばくかの白菜を売るより能率がいい。限界を超えた集落に一人で住むのは危険極まりなく都会が安全なことは統計の示すとおりだ。

山間部に住む子供はバスで送り迎えを受け、山の学校は消えた。子供のいる家はバスの時間を気にして、小学校の校門はそのバス停に変わった。

福島に行けば九州の大工は日当が2万だ。とても林業では夢の夢。ガキが高校上がったら通学は無理だからわしも山を降りる。

村落は限界をこえ崩壊し、山は間伐ができず数万本の檜が価値を失う。


僕は何も無制限に学校の統廃合に反対しているのではない。むしろ統廃合を推進してきた。しかしそこには合理性がなければならない。子供が減った。A町とB町の境界があるため、その境界をはさんで二つの小規模校がある。それどころか背中合わせに3校の高校がある。・・・

こんな場合は統合してよい。日本社会党は頭が悪いのですべてに反対して不当な既得権(少ない授業コマ数、授業時間、定時制手当て10%)を護った。北九州市の定時制高校は10校以上あり教員は手当てをもらいつつ週10コマ程度(2コマの人もいた)の35~40分/1コマの授業をしていた。今にすれば100万以上の給与だ。こんな10校は3校程度にまとめればよい。

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全国の公立学校のうち平成24年度に598校、25年度に482校が廃校になったことが、文部科学省が13日に発表した調査で分かった。少子化による児童・生徒数の減少や、市町村合併に伴う統廃合が主な原因で、15年度以降の廃校数は毎年度400校を超え、高止まりの状況が続いていることが明らかになった。
                                産経新聞 11月13日(木)21時3分配信

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トータルすると、全国ここ10年で5100校が消えた。

やることが巧妙だ。時としては大量復員者の受け皿として、国策として引き揚げ者たちの開拓団は山に入った(戦後)。高度経済成長とともに木材価格が高騰すると人口増にあわせ山中に新設小学校まで作った。しかし、外国材が入ると林業は衰退し即座に閉校にした。

分かった顔をして偉そうに言う顔が浮かぶ。その時の人口に応じて学校が増えたり減ったりするのは当たり前だ、と。

そんなら僕が述べてきたことはすべてノスタルジーに過ぎなくなる。

今、廃校になっている小学校の在籍児童数はほとんど開設時(明治10年前後)の4倍程度だ。子供が減ったから廃校にする、合併するというのは屁理屈だ。

まず、住民の業種は一種類だ。都市とは違う。収入の道を確保しようとする政策はいくらでも取れたのにそれを怠った。民間企業による山林復活の試みはいたるところで成功している。木の一本も切ったことのない公務員がふらっと思いついたことなどことごとく失敗する。

とにかく高級低脳公務員の無作為犯(何もしないことでしでかす犯罪)により限界集落は増え行政機関は撤退した。

困ったのは学校だ。校長になるというぐらいがせいぜいのエサなのに、学校が減って校長のイスも減った。何と昔は校長も授業をするのが当たり前だったし子供の実情を把握する上では必要なことだが、いまや、教務主任もあわせ3.5人のタダ飯食いを校内に配置してイスを確保し不満を抑えた。


木屋小学校 平成26年3月31日 〒834-1204
八女市黒木町木屋2422番地
笠原小学校 平成26年3月31日 〒834-1222
八女市黒木町笠原4341番地1
大淵小学校 平成26年3月31日 〒834-1202
八女市黒木町大淵3998番地  (以上2014年3月31日廃校)

黒木小(存続校)へ統合(この部分は詳しく別記事で後述する)

今年の3月まで子供の声が響いていたはずだ。市議もさして廃校に反対しない。平成の大合併があり必ずしもその土地の代表ではなくなっている。縦割りの皮肉として、校舎増改築は担当部署が違うので、廃校が決まっていてもどんどん行われる。

新しい校舎にいるのは猫だけだ。

データとして示せるよう各地の教育委員会を回った。協力していただいたところのみこうして書けるので、非難するようになり申し訳ない。僕は危機感を持った。

教育とは、能率とか効率とかを求めて、子供に芸を仕込むところではない。子供が行きたくなかったら行く必要はない。だが、行きたくなったら学校はそばになければならない。

それが一等国の資格だ。











キャンバー角と列車車輪幅の関係をはっきりさせようじゃないか。

2014年11月10日 | 技術

まずタイヤのキャンバー角から。

上の車のタイヤが写っている写真。前輪の左タイヤを車の正面から見た場合と考えてほしい。写真左は通常の走行をする場合だ。つまりタイヤは少し外側に傾いて取り付けられている。

屁理屈好きは、レースカーは、とか戦車は、とか装甲車は、とか言うが、最初に「通常の」と書いた。

で、外側に傾いている(プラスキャンバー)のが、車の走行にとってきわめて重要な鍵を握っていることを言いたい。しかし、こんなことだったら一部のバカを除いて誰でも知っていることだ。

問題はカーブを切ったとき、(この場合、この車は、運転手からして右に曲がると考えよう)この左タイヤは車に押されてガッシリ車に食い込もうとする。

つまりタイヤが外れる可能性が下がるのだ。写真左のアホ車のタイヤはどうだろう。今は早々簡単にタイヤは外れないから、マイナスキャンバーでもいいだろうというのがいるが、バカを誇示したいならどうぞ。ただし何の利点もないぞ。

もっと重要な点はこれだ。2台のスケボーにそれぞれ右足左足を乗せて坂をゆっくり下る。わずかに内股にしたときと、わずかに蟹股にしたときと、方向転換のしやすさはどっちに分(ぶ)があるかな。

これは実際やったらいけない。いずれの場合もコケる。

こたえは蟹股だろ。プラス(Positiveともいう)キャンバーはステアリングに負担をかけないのだ。だから、わずかのパワーでハンドルを回せるので、逆に言うと路面の状態をハンドルを通して運転手にリアルに伝える。

強引にオイルやモーターを回し舵を切っていくのはあまり美しくない。

ところで車軸。車輪。

車輪がレールと接するところの断面は、車輪の外側に向かってカーブを切ってある。外側がわずかに細くなる。

今、レールの上にドラム缶を乗せて転がしたと想像しよう。直線はいいがカーブにさしかかるとドラム缶はまっすぐ転がって脱線する。

ところがここにウィスキーの樽(たる)を乗せたとしよう。遠心力で樽は外側に押される。カーブの外側に接する部分は先ほどの遠心力により樽のより中心付近のおおきく膨らんだ部分が接する。つまり同じ回転数でも長い距離を走る。

内側はその逆。車軸は大きな樽の曲線を切り取って、左右の車輪に使っている。

カーブに勾配をつけて回る方法もとられている。しかしこれでは左右の車輪の回転数の差までは解消できない。車軸は通常ダイレクトに連接している。

材質がよくなったからとか、道路がよくなったからとか、タイヤがよくなったからとか・・・どんなにグダグダ抜かしても、矛盾や不具合を力ずくで押さえつける機械は美しくない。

先人の絶妙な工夫に敬意を払うべきだ。



 

 


 


赤旗まつり、街宣車、機動隊

2014年11月05日 | 事件事故

 

僕の車庫は縦に長い。横は狭く、クルマの横のわずかなスペースにバイクとチャリが並んでいる。そこで、乗りたい車を出すにはちょっと頭を使う。

その次の日に乗るクルマのことまで考え、合理的なクルマの入れ替えは・・・、と考え出すとなかなかややこしいことになる。いつも途中で考えるのに挫折して、適当に出し入れをする。

赤旗まつりのフリーマーケットに行こうと思った。その日はクルマの出し入れすらせず、ただ一番前にあったトラックに乗っていった。

無意識のうちに条件が整っていた。僕は、人の服装、髪についてグダグダ言われると殺したくなる。

あるときはスポーツ刈りだったのに、公務員は七三に分けろ、と直属上司でもないくせに言った奴がいる。それ以来、染めないときはパンチパーマか、染めたら金髪だ。

それにも文句つけたので、緑色にした。

何が悪い。黒髪は正しいのか。そんならアメリカ人に文句を言え。パンチパーマはいかんのか。そんならホワイトハウスに乗り込んでオバマに説教しろ。

先日は、僕は金髪に戻し、ただ髪型はモヒカンだった。髪が長いと喧嘩は必敗だ。

この格好で会場に近づくとまず機動隊の怒号の洗礼を浴びた。思い出した。車の荷台のさびを隠すため日の丸を貼っていた。無線が好きなのでアンテナは二本立っている。イケナイCB無線ではないがちょっと見たのでは分からない。僕の頬には深く長い傷がある。白内障のため濃いサングラスが必要だ。

と、いうことで、どうも新型の街宣車と思われたようだ。途中、久留米のバラ展で感激し、ほんわかした気分になっていたが、ヤクザの鉄砲玉と思われた。

普通に考えればそう思うだろう。外見は大事だ。

憲法九条を守ろうという平和主義の見本のようなやさしい人間(僕)をチンピラ扱いしたので、車は道路に置いたまま、「順序だててものば言わんか(話をしろ)。」とかいって口げんかした。

隊長みたいのが来て、「かかれっ」、といったので、遅いけど調子に乗りすぎたと思った。ところが、僕のことは問題じゃなかった。隊員は僕の車の後ろのレクサスを取り囲んだ。100人。

そういえば時々妙に僕をあおるなあと思っていたアホレクサス。僕もムカムカ気持ちが悪かったので急ブレーキを踏んだりしていた。

どっかの親分とか幹部だろうな。

よいこの皆さん。あおられても怒ってはいけません。しずかに道を譲りましょう。

およそ1000人の機動隊が赤旗まつりを護っていた。会場の共産党と怨念の対決。帰りのコンビ二で街宣車のお兄さんと険悪になり・・・。とにかく濃い一日だった。






 
 

記事も捏造、経歴も捏造、慰安婦問題捏造、ミスター捏造、植村隆

2014年11月04日 | 学問

誤謬は誰にでもある。通常、真理が一歩進むには、100や200の誤謬はつきものだ。個人の中でも、ひらめいた、と思った瞬間、勘違い、思い違いであることが、多い。

考えるということは、この希望と挫折の繰り返しに耐えることだ。

本来教育や学問は地味な仕事であり、目立ちたがりやスタンドプレイ好きの人には向かない。

必死にあるテーマに向かって思考していると、日常のことには滑稽なほど無頓着になる。ズボンにベルトが通っていない。黒板にシャープで書こうとする。肝心のノートを家に忘れる。・・・

アホはこんな先生の姿を見ると狂喜する。馬鹿ほど人の失敗を喜ぶ。いいか。上に書いた失敗は、どうでもいいことをたまにやりそこなっただけで、まさに大勢に影響ない。

ところが日本人は学問のおきてを知らない。

わしらは学問なんて関係ないもん、というだろう。だからいつまでもバカだ。クルマの下にもぐりTrouble shooting しているとき、脳はフルに回転している。

そんなときは、うっかりウエスで顔を拭いたりするだろ。そして、そのことを笑われたら頭にくるだろ。まじめに一生懸命考えている人を笑ってはいけない。

で、捏造の話だ。

偶然にも僕は植村隆と同時期、ソウルにいた。

捏造①  彼は延世(えんせい、ヨンセー)大学には通っていないのに、朝日から派遣されたとうそをついている。彼は「語学堂」というカルチャーセンターに通った。語学堂とは日本政府が無能にもODAの100万ドルで韓国に寄付したものだ。この愚行は中国に対しその後も延々続いた。(余談)

振られた女がいつまでも貢いだ。

捏造②  慰安婦はいたが強制連行慰安婦問題はなかった。にもかかわらずまさに自己顕示のためか、でっちあげた。朝鮮人妻を通し韓国の運動団体とつながり、ないものをあるとして日本人をだました。朝日新聞の記事という客観報道を装った。(詳細は周知のことで省略)

彼は僕と同年だ。彼も反省すればよい、誰でも失敗はある、という意見に腹が立ち書いている。

彼は反省しても許されない。不真面目だからだ。彼の存在は人類に失礼だ。血へどを吐きながら素子の研究をしている人を知っている。たぶん何も発見できないだろう。しかし、こういうまじめな研究者が1000人2000人といてやっと一人が脚光を浴びるかどうかの世界。それがScience、学問の世界だ。その学問の世界に、朝日新聞上がりのうそつき植村隆がいるとは何事か。

泥棒は、泥棒として生まれ、泥棒として生き、泥棒として死ぬ。うそつきは、うそつきとして生まれ、うそつきとして生き、うそつきとして死ぬ。

しかしテロはいかん。文筆は文筆で勝負しなければならぬ。残念だがそれが日本の約束だ。北星学園大学のほうも、雇った以上、厄介払いをしてはいかん。お粗末なプロテスタントだな。

ここで気を取り直して、あふれる知性、教養の泉、ほとばしる品性のからけんからのお知らせ。

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研究者による講演と、プロの音楽家によるコンサートを組み合わせ
たイベント「レクチャー&コンサート 科学と音楽の響宴2014」を開催
いたします。

第1部の講演では、「新しい粒子線治療」と題して、加速器技術を応
用したホウ素中性子捕捉療法(BNCT)や陽子線療法などの新しい粒
子線治療法について、その開発段階から研究を主導してきている筑
波大学附属病院長で脳神経外科が専門の松村明教授が解説します。

第2部のコンサートでは、世界的なヴィオラ奏者である今井信子氏、
マイア・カベザ氏(ヴァイオリン)とガブリエル・カベザス氏(チェロ)による
弦楽三重奏版のゴルトベルク変奏曲(J.S.バッハ作曲、ドミトリー・シト
コヴェツキー編曲)をお楽しみください。

日時: 2014年11月22日(土) 13:30開場/14:00開演
会場: つくばノバホール(つくば市吾妻1丁目)
対象: 小学生以上(未就学児の入場はご遠慮ください)
定員: 800名(※全席自由席)

※入場には事前のお申し込みが必要です
(応募者多数の場合予定数に達した時点で締切りとさせていただきます)

<お申込み方法>
1)電話予約:
029-856-7007【(公財)つくば文化振興財団】までお申し込み下さい。
【受付期間】2013年11月14日(金)まで。時間9:00~17:00、月曜は休業。
※受付終了後、入場券(官製はがき)を郵送いたします。
 当日必ずご持参下さい。

2)ウェブサイトでのお申込み:
下記申込みフォームからお申し込み下さい。
https://colis.kek.jp/lenq/index.php/456483/lang-ja
*お申込み頂く前の注意事項*
申込みフォームに携帯のメールアドレスをご記入頂いた場合、迷惑メール
ブロック機能によりメールが届かない場合があります。ドメイン指定受信の
方は、「mail.kek.jp」を受信可能ドメインに設定してください。また、メールア
ドレス指定受信の方は「shomu@mail.kek.jp」を受信可能アドレスに設定し
てください。
【受付期間】2013年11月14日(金)まで。
※返信メールのプリントアウトが入場券となります。
 当日必ずご持参下さい。

<お問合せ>
高エネルギー加速器研究機構(KEK)
TEL:029-864-5114
Email: shomumail.kek.jp
(公財)つくば文化振興財団
TEL:029-856-7007

詳しくは「科学と音楽の響宴2014」のページをご覧ください。
http://kyoen.kek.jp/

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KEKと相互協力協定を結んでいる多摩六都科学館にて、サイエンスカフェ
「マンガのようにものの大きさを変えられるの?」を開催します。

アニメや漫画の中では、キャラクターが簡単に姿を変えたり、何もないところから物
を取り出したりします。物理の基本的な法則であるエネルギーや質量の保存は...?
今の科学で実現できるのでしょうか?

ショータくんとサイエンスカフェ
「マンガのようにものの大きさを変えられるの?」
講師  : 高橋 将太(KEK素粒子原子核研究所)
日時  : 2014年11月29日(土)14:00~16:00
会場  : 多摩六都科学館(東京都西東京市芝久保町5-10-64)イベントホール
http://www.tamarokuto.or.jp/access/
対象  : 小学5年生~大人
定員  : 80名
参加費 : 入館券のみ(大人500円、小人200円)
共催  : 高エネルギー加速器研究機構(KEK)
参加申込: 下記、多摩六都科学館イベントページからお申し込みください
https://www.tamarokuto.or.jp/event/index.html?c=event&info=589&day=2014-11-29

詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
https://www.tamarokuto.or.jp/event/index.html?c=event&info=589&day=2014-11-29

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11/29(土)13:30~16:00
謎の素粒子ミュオン―その意外な素顔―

"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
13:35~14:35
「ミュオンが拓く物質科学」
  門野 良典 KEK物質構造科学研究所 教授

15:00~16:00
「素粒子ミュオンに刻まれた宇宙の歴史」
  齊藤 直人 KEK素粒子原子核研究所 教授

"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
会場:高エネルギー加速器研究機構・小林ホール
(茨城県つくば市大穂1-1)

対象:中学生以上

参加費:無料

定員:170名(申込多数の場合は抽選)

お申込方法:Webサイト
https://colis.kek.jp/lenq/index.php/966914/lang-ja
の登録フォームにて、11/6(木)24:00までにお申し込みください。

交通案内:

●無料送迎バス:つくば駅A1出口前~KEK

【往路】
便名 つくば駅A1出口前(発)→KEK小林ホール前(着)
1 12:00→12:20
2 12:30→12:50
3 13:00→13:20
【復路】
便名 KEK小林ホール前(発)→つくば駅A1出口前(着)
1 16:15→16:35

(送迎バス乗り場)
http://kouza.kek.jp/images/map.png

●路線バス・つくバス:

時刻表
http://rso.kek.jp/Access/pdf/KEK_Center.pdf

バス停より公開講座会場までの構内地図
http://kouza.kek.jp/images/kek-map.pdf

※KEKインフォメーションセンターにて受付の後、ご入構下さい。

●お車でお越しの方:

KEK周辺地図
http://www.kek.jp/ja/Access/Tsukuba/map_tsukuba.pdf

KEK入口より駐車場までの構内図
http://kouza.kek.jp/images/kek-map.pdf

KEK内無料駐車場をご利用いただけます。

※KEKインフォメーションセンターにて受付の後、ご入構下さい。

詳細は、こちらを参照ください。
http://kouza.kek.jp/

<お問合せ>
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
高エネルギー加速器研究機構 企画課
〒305-0801 つくば市大穂1-1
TEL:029-864-5113
FAX:029-864-5195
E-mail:kouza@kek.jp
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

 

 

 

 

 

 


宇宙船の中でも日記を書こう

2014年11月01日 | 技術

小さいころ、じいちゃんが教えてくれた。ボールペンというのはペン先のボールを伝ってインクが紙につくのではない。それなら書かないときでもインクは出つづけ、紙はインクでベトベトになるだろう。

ペン先を持ち上げ紙から離すとボールはわずかに前進しカシメられたノズルに密着する、それが弁として機能しインクを止める。

機械とは、より単純に、しかもより多機能に、という要求をつねに受けている。この矛盾する要求に応えていくのが技術者の使命だ。じいちゃんは続けて、

再び紙の上に書き始めるとき、ボールは回転し、その回転によりインクを紙に運ぶ。

Bicボールペンは弾丸の先につけて撃ち込んでもまだ字が書ける。CMでそれを見た僕らは実験した。当時は、火薬銃ぐらい誰でも作る能力があった。ブロックに撃ち込まれたBicをほじりだし、“Bic”と書いたときは、CMに出演している気分だった。

じつにすばらしいこのボールペンにも欠点があった。

天井にはかけない。インクが重力によって下がり、ボールのインク側が負圧になりボールは回転しても肝心のインクがつかない。

壁に書くときも同様だ。僕は仕事をしていたときはノートを立てて、それに書きながら説明することもあったので困ったことがある。

NASAはこれを解決するため膨大な予算をかけた。初期の宇宙船には日記をかけるほどのメモリーの余裕はない。とりわけプライバシーという権利意識の強いアメリカ人は、privateな空間を欲した。

苦心惨憺どこにでもかけるボールペンができた。今、「パワータンク」として市販されているものと同一の機能だ。ぼくは愛用している。

話はここからだ。僕の話はいつも後半の1/5からが重要で面白い。

NASAは本当の目的を忘れていた。ペンがどの角度であっても書ける。これが目的であった。

当時世界の金の4/5を持っていたアメ公は、すべてカネで買えると信じ、すべてカネで解決できると信じた。USAに出来ないことはない、と。

愚か者。金や権力では手にいらないことがある。むしろそれら汚いものを凌駕する能力を人は持っている。発想力だ。

バイコヌールのソ連人は大笑いをした。

鉛筆を使えよ。