か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

春の夢という韓国映画を見た ダンケルクも見た

2017年09月22日 | 映画

 

最近、映画館は老人の天下だ。いやいやどこ行っても日本のあらゆるところがこの老害に悩むことになる。先のことは考えない揮発性のフラッシュメモリー脳を持つ人は、なんともないだろう。

今や不良は、昭和30年代に比べると目立たない。その代わり困るのは老人の分別のなさだ。この人たちは昭和30年代は不良だったわけで、現在、年取ってからも不良老人となりきっと火葬場の煙になるまで寄生虫として生きるだろう。

自宅でテレビを見ているように映画館でしゃべる、レジの女性に落ち度はないのに意味不明なことで怒る、やたら女房に威張る、あの頃はよかったというその昔話を繰り返す、金銭の計算ができない、指がリュウマチで硬貨が財布から出せない、「俺はすごいんだけど」が枕詞のようにつく、とにかく笑顔がない。

 

 

まずダンケルク。史実ではあるがもう終わってから80年たつ事件を描いた映画である。ヨーロッパ人なら常識としてみんな知っている。ヨーロッパにもDQNがいて、そんな低能に歴史認識を問うのは残酷だ。だが日本人の多くはヨーロッパのDQNとちょうど同程度の脳しかない。

違うという人は、日本とアメリカは戦争したんだとそこらのミーハーにいってみるがいい。誰も知らない。そんな状態でメッサーシュミットだ、ハインケルだ、スピットファイアーだと言ってもまず知らないし、当時の独仏英の関係を把握しておかないと何が起こっているかわからないはずだ。

アメリカの騎兵隊とインディアンの出てくるウソに満ちた西部劇を見るようで不愉快だった。Uボート乗組員を助けるやさしいイギリス人、すぐ死ぬドイツ人、軟弱フランス人、勇敢イギリス人。

ありえない。普通の人が見ると頭がおかしくなると思う。バカが見ても特段変化はないだろう。

 

さて韓国映画。いつものことだがずきんと来ました。脱北者たちがチンピラ化して吹き溜まりに暮らす。そんな光が差さない人たちを描いた。彼らの現在は、80年代のソウル庶民の平均的生活だ。つまり僕の周りの普通の人たちだった。

だから、安酒を飲み、カネのかからないところで遊び、助け合い、何かいいことはないかと待ち続ける。

不幸は必ず重なってくる。金持ちにはよいことばかりおこる。貧乏人は、交通事故に遭い、病院に行き、治療費は払われず、ほかの病気を併発し、カタワになり、年金はもらえず、乞食になる。

貧乏人に良いことは起こらないのだ。絶望の半島にいなければこのさみしさはなかなか理解できない。

僕はここに来て食い物に執着し、ブログにどこのビビンパがおいしいとか、延々書き続けるバカには我慢ならないのだ。美味しいとこだけ今更拾いに来る。こんなバカは来てはいけない。庶民の気絶するほどの努力に上に今日の韓国はある。喉から血を吐いてゴミ拾いをする父親が、息子の学費をため延世大学にやる。そうして廃人になるまで働く。こんなにして、自分をどうか踏み台にしてくれという親も多い。

ここは面白半分では生きられないのだ。

粗削りな映画だが、現実自体が夢だったのか、エンディングのころ穏やかな世界が展開するがそちらが夢なのか、監督は見る人に任せている。

 

 

 

 

 


참을성에도 한계가 있다 office (Korean Movie)

2016年09月23日 | 映画

 

例によってなぞときの多い荒削りな映画だった。

頭蓋骨の割れる音、高圧洗浄機から飛び出す水のように噴出す血。皆軍隊に行っているから変な効果音だと馬鹿にされる。

新入りの見習い(イ・ミレ李未來(劇中名))、(本名、コ・アソン高我星)がこき使われながらも一番出世の遅い課長が何かと助けてくれていた。しかし殺意はバカにされたときのみ起こる。ほかの事は我慢できる。

どうせ日本では、上映はやらない。すぐ旧作になって消える。

言いたかった事は次のとおり。

おまいらいい加減にせえよ。オイも人間じゃけんのう。限界までは頑張るが、調子こいとったら限界こえるでえ。

一見の価値あり。

 

僕には清涼剤のようにすっきりする映画であった。とくに最底辺労働者に転がり落ちた諸君。バブルの頃ならもっとバカが40万はもらってたのにな。そんなことが心にくすぶってないか。

安倍の三本の矢のおかげで給料がどうなったか。騙すのもええ加減にせい。・・・と、僕は素直な人間だ。とりあえずは、グダグダうるさい課長どまりの頭の悪いのに、ガツンと言ったらどうだ。

俺は奴隷じゃなかぞ。路傍の石でもなかぞ。上司が神か。上司の命令は陛下の命令か。

調子こいたら殺すぞ。北九州市と田川市は昔からこうだ。福岡市はこのごろこうだ。

 

この関係をうっかりして忘れる奴がいる。

 

内縁の娘が目薬を買いに行った。僕はクルマの中で音楽を聴いて暇つぶしをしていた。なんとあろうことか、泣きながら戻ってきた。さては娘が超、超、かわいいのでチンピラの類がちょっかい出したな、と思ったら、

脚立の上に乗った従業員に「目薬はどこですか」と聞いたら、あごで売り場の方向を示したそうだ。僕はそいつが脚立から降りる前に引き倒してやると思い急いだが、脚立は無かった。

あんまりすると「しまむら土下座事件」のようになり、こっちがいじめているように思われる。関係する2,3人を呼び出して、胸ぐらをつかんで謝らせた。これ以上すると品位が下がる。

内縁の娘は、軟弱な僕が嫌いになったようだ。

後日、その店からラバースタンプの謝罪ではなく、心から申し訳ないという気持ちにあふれた手紙が来た。

「女も助けられない弱虫パパ。」 当分これは消えない。

 

 

 

 


C'est si bon ((仏)おお、いいね。  (韓)三人はいいぞ。)

2016年02月27日 | 映画

この海苔巻きは忠武(ちゅんむ)の名産。のりの厚さが3倍ぐらいある。

フォークソンググループの話。実話。(もちろん少しは脚色) 映画、セシボン。海苔巻きを伏線にしながら。

仲が悪かった二人にもう一人加え緩衝材とした。やっと落ち着いてきた韓国。60年代の歌声喫茶がスタートの事件。

日本でも同様だったが、主に二つの点でもめた。

まづひとつ。

下手なら引き下がる。しかし蓄膿症の鼻づまりの歌がヒットして、そんな馬鹿よりうまいのはいくらでもいたのに彼らは消えていく。どう考えても理不尽だ。

ところが武田は一様に同水準で歌っているつもりでいた。ところがヒットするや否や仲間を切り捨てソロになった。

今思うと、下手の順にヒットした。歌は関係なく、策士の理不尽で不条理な、放送局とのコネがものを言った。

揚水はそんな中でも実力で這い上がった一人だ。それでもなお彼を凌駕する歌い手が久留米大や福岡大にいた。ただこいつらは、頭が弱く売り込みの能力に欠けた。

韓国は100%コネ社会だった。コネは実力を圧倒していたので、聴衆は音楽性の高い歌声に飢えていた。セシボン、すばらしい三人。(グループ名) 50年前の劣化した録音を現在聞いても十分感動する。

反共であることが社会のあらゆる場面で強要され、警察は女性のスカート、男の髪の長さまで統制した。なんと共産主義と自由は同義だった。警官は洋裁バサミでスカートや髪を切った。刑務所に行けばあまり帰ってくる人はなく、帰って来ても廃人になっていた。

そんな社会で唯一取り締まれないものが歌だった。朴正熙をたたえる歌のふりをして替え歌を歌った。

また、内地では根絶されたキリスト教も半島では生き延びていた。そこでの聖歌も歌える人を多くした。

韓国のフォークは、実力と、運と、コネがそろわねばならない。だが一旦それらがそろうと、そこで得た名声は、電波に乗り津々浦々に広がった。

今の韓流スターどころではない熱狂のステージの世界があった。歌い手は個性の強い奴らだ。ケンカも嫌がらせも日常のことだ。

 

もうひとつ。  「彼女」。 男は女に惚れると、相手をすばらしい人で純情な人だとかってに作り上げる。自分がやりたいだけの化け物であるように、彼女にも打算があり名誉欲があり夢がある。

若くしてこれがわかったら神だな。若い男は振られると裏切られたと断定する。彼女としては迷惑な話だ。「あたしだって男を選んでいいじゃない」

実在のグループ『セシボン』。の生き様に忠実に映画が出来た。

今韓国映画が力を盛り返した。ドラマは最低だ。あと4,5年は韓国映画が僕を泣かせる。

準新作で見られると思う。映画館はいかん。痴呆がしゃべりながら観る。韓国は老人はタダだが人に迷惑をかけると引きずり出される。3回見て3回泣いた。

韓国には30スクリーンのシネコンがある。韓国人用にイスも大きい。映画料金は500円。

 

 

 

 

 

 

 


枯れ葉マーク、映画館では静かにしろ。

2012年11月15日 | 映画

ごほっごほっ、げほげほ、うるさいの!ひどい枯れ葉になるとひげをそりだす。隔離病棟でも手をやく重症だ。

もっとひどいのを発見した。ストーリーをいちいちしゃべってくれる。本人は親切のつもりだろうが有難迷惑この上ない。

年をとると子供にかえると言うが、ろくな子供じゃなかったんだな。

携帯を見る、寝る、いびきをかく。そのくせ一人では何にも出来ず何をするにも奥様とご一緒だ。で、その奥様に感謝せずやたら威張る。もう、早くあの世に行って存分に映画を見ろ。

日本の年寄りには紳士がいない。チケット購入でいくらもたついても僕は何ともないしむしろ追い立てるやつの極貧生活を憐れむ。ところが日本の枯れ葉は品のないマナー違反をする。

欧米人とは異なるな。たしかに欧米人ももたつくし左右や後ろへの気配りがない。ただ紳士が多い。売り子へのウィンクをわすれない。外国の映画館でイライラする音がしたことはない。笑いのコツをつかんでいるからみんなで楽しむ映画館になる。

Life Is Beautifulを見たときなんか思いっきり泣ける。この映画のいい場面でひげをそり始めたら僕は枯れ葉の首を絞める。

もたつく、不注意になる、自分中心の話しかしない。これは枯れ葉マークの一般的傾向で忍耐の許容範囲だろう。

ただ、隔離病棟の患者さん。限度というものを考えないといけませんよ。

これがね。注意しにくいもんね。儒教のせいかな。

福岡からだと船で3時間、飛行機で30分で釜山につく。韓国はハリウッド映画の封切りが日本より早く料金は日本の4分の1だ。4,5本見ると交通費が浮く。

みんな静かに見る。注意しあって公共を守ろうという教育が行き届いている。自我の実現を理由にしたところで寸分たりとも公共が犠牲になることはない、という至極当然な公理がついぞ日本の教育で述べられることはなかった。

こんなことだから勘違い枯れ葉老人が量産されるのだ。

Posted at 2012/01/10

「息もできない」(숨)、旧作レンタルで見た。つらかった。

2012年11月01日 | 映画

いくら憎んでいても離れてしまうと心のどこかで美化する傾向がある。人でも国でも。しかしその美化されたものは幻であり真実はいつも冷たい。

楽しかったことを思い出してもそれはそうあってほしいと望む気持ちがつくり出した幻想であり、真実はそれほど楽しいものではなかったりする。

2畳の広さに人がすんでいる。しかも一人ではない。夫婦で、兄弟で、親子で2畳に住んでいる。仕事は不安定ですぐ首になる。いきおいサラ金(韓国語では私債)に頼ることになる。電球一個の暗い部屋。隣の声は筒抜けで覗くことも簡単にできる。部屋の片隅でカセットコンロで料理する。

韓国も意地を張らないでほしいな。まず格差社会をなんとかしろ。でないと助ける気も起らない。そして日本に頭を下げろ。99%は飢餓線上の人々だ。

貧乏人同士いがみ合って生きている。遊びに行っても大金をもってはいけない。飛んで火に入る夏の虫になる。夏になると子供はそとで服を着ないで真っ裸で遊んでいる。男の子も女の子も立ち小便はおろか大便までする。

僕はここで封を切ったたばこを盗られた記憶がある。食べかけのパン、飲みかけのジュース。昼寝から覚めると消えていることが多い。その昼寝から覚めさせたのはたいてい喧嘩だ。カネがもつれたサラ金がらみのトラブルだ。

まるで昭和20年代の日本だ。

これでもかとたたみかけてくる不幸への絶叫だった。絶望は絶望を呼び不幸は不幸を招き寄せる。働いて張り合いのあるカネを稼げば従順な社会人であったろうに。社会の階段は一度落ちると二度と登れなくなっているんだ。

ソウルの99%を占める貧民街で足の引っ張り合いから抜け出したものはいない。金持ちはずっと昔から金持ちでずっと未来も金持ちなんだ。貧乏人もまたそうだ。

幾重にも重なる尾根を埋め尽くし地平線まで連なるトタンの連続に気が滅入る。そのトタンの下に一千万のひとが住む。深海魚のようにチャンスを狙いじっとよい知らせの来ることを待つ。そしてその福音は来ない。

韓流狂いこそ見るべき真のソウルだった。

Posted at 2011/12/03
 
 
 
 
 
 

近頃の映画館は養老院だ

2012年02月04日 | 映画
年寄りだからといって人に迷惑をかけていいはずない。映画館のなかは年寄りに占領されている。そしてうるさい。入れ歯の音。途中でトイレに行く人の多いこと。しかも黙っていかない。

まあそういうな、誰でも年寄りになるんだから、とはよくいわれるが、そしたら誰でも子供だったんだから子供はなにをしてもいいのかな。

人生の先輩として敬意を払うべきでは、ともいわれるが上映中にお菓子を剥く音、ぺちゃぺちゃ食べる音、横の女房としゃべりっぱなしの声、映画の一シーンごとにうなずく声。こんな低能に敬意を払うほど私は間抜けではない。


映画の方は「小川の辺り」という駄作だった。藤沢周平の最高傑作の映画化ということで期待したが、ひどい出来だった。

「たそがれ清兵衛」とか「蝉しぐれ」といった日本映画の神髄を見せつけるものを期待したのに。

映画は午後からだったので昼ごはんに冷やしそばを食べた。  380円
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Posted at 2011/07/05 17:01:10

「息もできない」 旧作レンタルで見た。つらかった。

2012年02月02日 | 映画
いくら憎んでいても離れてしまうと心のどこかで美化する傾向がある。人でも国でも。しかしその美化されたものは幻であり真実はいつも冷たい。

楽しかったことを思い出してもそれはそうあってほしいと望む気持ちがつくり出した幻想であり、真実はそれほど楽しいものではなかったりする。

2畳の広さに人がすんでいる。しかも一人ではない。夫婦で、兄弟で、親子で2畳に住んでいる。仕事は不安定ですぐ首になる。いきおいサラ金(韓国語では私債)に頼ることになる。電球一個の暗い部屋。隣の声は筒抜けで覗くことも簡単にできる。部屋の片隅でカセットコンロで料理する。

韓国も意地を張らないでほしいな。まず格差社会をなんとかしろ。でないと助ける気も起らない。そして日本に頭を下げろ。99%は飢餓線上の人々だ。

貧乏人同士いがみ合って生きている。遊びに行っても大金をもってはいけない。飛んで火に入る夏の虫になる。夏になると子供はそとで服を着ないで真っ裸で遊んでいる。男の子も女の子も立ち小便はおろか大便までする。

僕はここで封を切ったたばこを盗られた記憶がある。食べかけのパン、飲みかけのジュース。昼寝から覚めると消えていることが多い。その昼寝から覚めさせたのはたいてい喧嘩だ。カネがもつれたサラ金がらみのトラブルだ。

まるで昭和20年代の日本だ。

これでもかとたたみかけてくる不幸への絶叫だった。絶望は絶望を呼び不幸は不幸を招き寄せる。働いて張り合いのあるカネを稼げば従順な社会人であったろうに。社会の階段は一度落ちると二度と登れなくなっているんだ。

ソウルの99%を占める貧民街で足の引っ張り合いから抜け出したものはいない。金持ちはずっと昔から金持ちでずっと未来も金持ちなんだ。貧乏人もまたそうだ。

幾重にも重なる尾根を埋め尽くし地平線まで連なるトタンの連続に気が滅入る。そのトタンの下に一千万のひとが住む。深海魚のようにチャンスを狙いじっとよい知らせの来ることを待つ。そしてその福音は来ない。

韓流狂いこそ見るべき真のソウルだった。

Posted at 2011/12/03 13:07:46