か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

おねだりはやめなさい 世界の嫌われ者 韓国  3

2018年10月31日 | 韓国


戦時中に日本で工場などに強制的に徴用された元徴用工の韓国人が日本企業に損害賠償を求めていたが、30日、韓国の最高裁判所が賠償を命じる判決を言い渡した。これを受け日韓外相による電話会談が行われ、…                         10/31(水) 9:56  Nippon News Network

 

僕は被害を受けた当時、存在しなかった国が後になって第三国(米国)の傀儡としてでっち上げられまともなつもりになって損害賠償を要求することは法理に反すると思う。

 

さらには、その被害自体の事実も極めて疑わしい。僕の家を建てた大工の棟梁は半島から九州に密航しようとするのを防ぐ海上保安庁の船に乗っていた人だ。それは戦後の話だが戦前も同様だった。連行されたなら日本から玄界灘を渡って半島に戻ろうとするのが自然であり、日本に密航しようとする動きはありえない。

 

さらに加えて、岸反共内閣は朝鮮と日本は反共共同体であるとの認識から、戦後賠償を多様な名目をつけ実際に被害のなかった半島に対し、大盤振る舞いをした。

 

いま日本は飼い犬に手を噛まれている。人生思いもよらないことは起こる。しかし予見できたことを防がなかったのは馬鹿だ。

今、低能親韓自民党の付けが来ているのだ。

手のひら返しやウソは韓国では大して悪いことではない。これは僕の感想ではなくて、ある裁判官との食事会で聞いた言葉だ。いたるところで聞いた言葉だ。年収50ドルの世界最貧国は何をしても許されるということが国民に実感として身についている。

年齢は違うが,康京和さんとは同じ授業の時が週に2,3回あって仲良しだった。おそろしく筋を通す人で論理性に優れていた。ぼくの冗談によく笑ってくれたが、目が笑ってなかった。河野太郎が相手では、大平金会談の再来になる。


おねだりはやめなさい 世界の嫌われ者 韓国  2

2018年10月30日 | 韓国

ソウル夜景

朝鮮半島が日本統治下にあった戦時中に日本本土の工場に動員された韓国人の元徴用工4人が、新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、韓国大法院(最高裁)は30日、個人の請求権を認めた控訴審判決を支持し、同社の上告を退けた。これにより、同社に1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。                                (朝日新聞デジタル)  10/30(火) 14:27 掲載

 

日本

話が少し込み入ると途端に思考停止してハロウィンのバカ騒ぎをする。若者は低賃金である。なのに無理なことを要求される。カネはやらんぞ、子供は産めよ。これじゃあ貧困の中で低学歴のバカ息子を育てろというわけだな。行き場のない不条理への怒りがハロウィンで爆発した。

だってほかに道はないじゃないか。しかも貧困と無知の中でごまかしの教育を受けた若いのは、不勉強と貧困が直結していることが分からず軽自動車を倒して踊る。

 

韓国の若者も出口のないトンネルの中にいる。大多数の低能にはもともと希望はなかった。かれらは人生をあきらめてきわめて卑屈だ。

時給300円で働いてみろ。そして5年がたち何の希望も見えない時、「死ぬな」というのはよい人のふりをする悪人だ。まず、だれも助けない。日本以上の自己責任の国だ。韓国は遅れているのではない。逆だ。僕らに確実に近づく将来を示す。

 

いずれの国も勝者には天国だ。だがら勝つために努力する。それはいい。だが、1000人で1個の椅子を取り合っているからみんな敗者だ。勝ったものだけのためのパラダイスを作ろうと国は必死だ。

 

最初にあるような判決は両国に分断をもたらす。日本企業は投資を控える。鵜飼い経済をしている韓国には打撃になる。(これはまたいつか述べる)来年度はせっかくの外貨を大幅に減らすだろう。経済成長は一桁に落ち込む。

これくらいは断言できる。できなければ投資で生きていけない。

 

日韓基本条約締結時

日本が個別補償をして政府の着服を防ぎますというのに、無理に韓国政府が横取りして好きなように使った。だから韓国は発展したという人もいる。そういう人は話の論点が今どこにあるか理解しない人だ。要するにバカだ。

不正と腐敗と世界最貧国には自国民への個別補償という膨大な作業能力はない。

さらに味をしめておねだりしないように、最終的に、不可逆的に…念を押す言葉が幾重にも入り変な日本語になった。

今回の判決は、今後、我も我もと訴えていいことになる。戦前厚生年金にはいるとは労働者でもエリートだ。朝鮮人は入っていた。これを強制連行だと言い張り1000万/人よこせという。

新日鐵住金は元八幡製鉄で、そこが最貧国を哀れんで浦項製鉄を作ってやったもの。カネがとれれば親の財布からも盗むやつらだ。というのは日本が対韓戦後補償として被害者救済に使途を指定して与えたカネを流用して世界一の製鉄所を作った。

この男があいまいなまま日韓基本条約を結んだから日韓の格好の火種になった  韓国はしめたと思った  これで日本を100年はゆすれるぞ

これぐらいのことは外務省は常識として理解しているし資料もある。では、たかられっぱなしの醜態はいつになったら終わるのか。

半島情勢は、金正日と文在寅が接近したことにより激変した。戦略を変えねばない。この時期に正確で斬新な戦略を国民に示すべきである。

拉致で反北朝鮮世論をあおることは意味がない。外務省にすべての情報を渡した時点で拉致被害者は死んだと思ってよい。自民党の反共宣伝に利用されて見殺しだ。歴史をみろ。

上の写真の男が日本最高のあほだとするとこれは世界最高のあほだ

今憎み合うのは両国の人民であってはいけない。ところが、ありもしない、ありえもしない強制連行に興奮して泣きじゃくると金をくれるのだから騒がないはずがない。目覚めろ。…韓国

5度も6度も謝罪させカネをもらい無償有償の援助をうけながら、日本からのODAで反日の砦を作る国にたいしきちんと政治性をもって意見しなければならない。頭使え。…日本

岸は安倍のじいちゃん  一度電話したが低くドスの効いた声だった  朴は知らない  正照の開発独裁に正解不正解はない  筋が通らぬことで泣いたのは韓国の人民だった

 

                                


おねだりはやめなさい 世界の嫌われ者 韓国

2018年10月29日 | 韓国

舗装しない地面は足が喜ぶ 

 

まず、日韓基本条約に基づく戦後賠償金は当時の日本の国家予算の2/3に相当した。

韓国政府は日本との交渉でその戦後賠償金(呼称は経済援助)を受けとった後、韓国政府が自国民に個別支給するとしていたが、韓国のインフラ整備や企業投資の元手として使った。

しかし戦時徴兵補償金は死亡者一人あたりわずか30万ウォン(約2.24万円)であり、個人補償の総額も日本が合意した賠償金の5.4%に過ぎなかった。

韓国政府は上記以外の資金の大部分は道路やダム・工場の建設などインフラの整備や企業への投資に使用し、そのため「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展をおこすことができた。 

 韓国政府が日本から受け取った金を、日本政府の提案した個別支給(にあてること)を交渉で断って、、(インフラ整備と山分けに)使ったのだから補償金を支払えとの一部の韓国国内の要求に対して、2017年に請求権協定に深く関わった金鍾泌元首相は文書で、「1961年に新政府が発足したが、国庫が空っぽであり、国家安保や経済再建という国家財源確保のためには韓日会談の再開による日本の請求権資金しかなかった」と韓国は当時は世界の最貧困国だった事実を示した。  

                      WIKI 一部改     



韓国は朝鮮戦争で荒廃しつつも何とかアメリカ軍の手を借りてかろうじて国家の体裁を保っていた。そこで韓国は戦後最初の屁理屈を突きつける。次のようにおねだりの言い訳をした。

共産主義の防波堤になってやっているのだから戦後賠償はアジアの他国より上積みされて当然だ。

バカですね。防波堤を頼んだことはない。

さらに大事なことは、最近の韓国のとくに政治色の強い最高裁(大法院)が屁理屈を言い出したこと。

条約は国同士のものであり、個人の請求権を妨げないのだそうだ。

これもバカです。国同士で結んだこの条約は両国民の処遇について取り決めている。

個人一人一人を調査して賠償額を決め日本政府が賠償すると主張したのは何と日本の方である。

ところが国庫が空っぽの世界最貧国は、調査、賠償は韓国政府の仕事だといいはりやむなく日本は、当時の国家予算の2/3を丸投げした。今でいう70兆円。

反共国同士はホモのように仲良しだった。

韓国は個人補償をするための賠償金を猫ババしほとんど個人には何もしなかった。不満な個人(韓国国民)が騒ぎ出すと日本が悪いから日本に請求しろといった。ネコババしたカネは国庫収入となりソウル地下鉄、製鉄所、高速道路になり、日本企業が請け負い結局日本に還流した。

また、このカネで韓国の財閥が成立した。

厚顔無恥とはこのことか。2018.10.30に韓国の最高裁の判決が出る。果たして。

金鐘泌 氏 韓国最高の教養人 基本条約で大平を打ち負かした どんなに長時間になっても話がずれない人だ


余談

金鐘泌さんはすでに野に下り引退していたが、僕と会ってくれた。彼は日韓基本条約締結時は30代である。韓国は最後のカードとして鍾泌を出してきた。会談は日本語で通訳なし。メモも日本語だ。彼の教養はすごい。僕が漢文をわからずにいると書き下し文を示してくれた。僕は不勉強を恥じた。カリスマとは彼のことだろう。会うたびに自分の無知を恥じた。

なぜなら何一つ僕は彼より優れたものがなかったからだ。


天まで上がれ消費税

2018年10月28日 | 法律

巧言令色鮮し仁。孔子さんはいいこと言った。その通りだ。

安倍は自衛隊を国防軍に改編するといった。その精緻な計画は官僚たちの得意技だろう。だが官僚がどんなに優れていても勘案できないことがある。

世論。

だから世論を味方にするには「巧言」が必要なのだ。何のために次から次に冷戦時代の政策を行うのか。どんなに家庭環境が右翼の巣の中であったろうが、人間の能力は環境だけで決まるものではない。ではなぜ狂ったように、国家秘密法、米軍基地建設強行、ウソに固めた北朝鮮の脅威・・・を言うのだろうか。

ばかだから。

一つ一つ言っていくが、バカは自己責任だが被害は全国民だ。

低能は自己責任だ。いい高校に行けなかった、よってバカの中で過ごしてきた、よって頭を使うことが苦痛になった…この類の劣等感は本質を知らず権威に寄り添う。

 

ところで、ある小さな集会で僕は話をした。契約の金額より多かったので僕の話がよかったからだと思ったが、家に帰って明細を見て気が付いた。

なんと、消費税を負担したのは会の主催者の方で担税者(税を負担する人)であった。のみならず、僕の報酬には消費税がプラスされていた。-10%と+10%は20%違う。税率upが待ち遠しい。

僕は一回の話で数万円だが、有名人になると200~400である。世の中金持ちが笑うようにできている。400とすれば消費税のおかげで40がプラスされる。つまり40×2=80が空から降ってくる。さらに市役所に行くと戻るものがあるようだ。

こんな話は、数字を微に入り細にわたって説明すると正確な説明だと思われる。低級公務員が好む無能を隠す有効なやり口だが、本質のためには必要ない。興味ない。

huis ten boschで2万使うといろんな税が加算される。加算して支払わねばならぬ。

僕が一時間半話すと2万もらってさらに2000円(来年10月)の消費税をもらい詳しい計算は知らんが市役所からも戻りがある。

消費税とは引かれるものと思っていたら、能力ある人にはプラスされるんだな。

僕は誰にも言わないことにしよう。

 


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る   17

2018年10月26日 | あそび

コパトーン 高かった のちにサラダ油でいいことに気が付いた

この香り 条件反射のように海に出た 真剣に遊び楽しく働く

どんなバカでも受け入れる しかし バカを哀れんだのは致命的な失敗だった

 

ヨットはグリコと似ている。一粒で二度おいしいのがグリコなら一艇で二度うれしいのがクルーザーだ。

一つは買った時。もう一つは売った時。実際買ってみると暑さ寒さに苦しみ、メンテナンスに苦しみ、燃料代に苦しみ、友人たちの無神経な言葉に苦しむ。

 

つまりあまり面白くないのだ。だが乗っているうちに何度か危ない目に遭う。その時は船に対し同士としての友情を感じる。人間にではない。僕は船を愛している。Performanceの悪い船だが船が命を持っていて僕を助けている気がするときがある。クルーに関して言えばこんな人はいない。カネを出していないからだ。

 

天候の急変は人智を超えたところがある。三角波が立ちイーパブを出そうとした時、僕のMay Dayを受信した海保の「ちくぜん」が来た。「ちくぜん」は僕の船が風の影に入るよう風に対するついたてになってくれた。(現在は名前を変え尖閣にいます)

 

出航には多くの条件がある。波がよく、風がよく、海流がよく、燃料があり、食料は前日に準備できたか・・・とくに波。ハーバーの僕の船の隣はその筋の方の船だ。僕の船にいたずらするときは間違えない方がいいと思います。その親分が言った。少しでも風力計が動いたら船を出さない。

 

一つでもいい加減にしてたら命を失う。これを毎日、実生活でやっている人たちだ。じつに四方八方に細心の注意を払っている。その代わり黒潮に乗って太陽を浴びると、まさにそこは、きれいなおねえちゃんとの最高のハーレムだ。やくざを乱暴だと思っている人は誤りを犯している。そりゃチンピラだ。99%冷静沈着だ。1%剛毅果断だ。

 

ヨットマンならだれでもそうだが、一つでも条件がそろわないと出航しない。沖は白波が立っているから今日は出航しない、というと沖は見えないのでみんなふて腐れる。

 

今、意見してもいい時か、即座に従うときか、別行動に移行してもよい時か、勝負していいときか・・・様々な条件を勘案し最適化された行動をとる。船の面白さはここかもしれない。

これは、並列計算のことだが意外とコンピューターにはできない。あと10年はできない。50年は実用化しない。


韋駄天 (いだてん)

2018年10月25日 | 東洋歴史

旧制玉名中学を卒業後、1910年明治43年)、東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学する。

1911年(明治44年)、金栗は翌年に開催されるストックホルムオリンピックに向けたマラソンの予選会に出場し、マラソン足袋[3]で当時の世界記録(当時の距離は25マイル=40.225キロ)を27分も縮める大記録(2時間32分45秒)を出し、短距離の三島弥彦と共に日本人初のオリンピック選手となった。

 
ストックホルム近郊のマラソンコース上の町・ソレントゥナに設置された金栗四三の記念銘板。

1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックでは、レース途中で日射病により意識を失って倒れ、近くの農家で介抱される。金栗が目を覚ましたのは既に競技が終わった翌日の朝であった。

                               WIKI

生家

当時の日本は国民全員が飢餓線上をさまよう絶望の島だった。今でも女を理由に大学を落とされ、賃金分配率は170位だ。だがカネさえあればなんでも可能であるのは今以上だ。和水町がとくに貧しかったのではない。

わずか6000万の人口で620万の軍を抱えれば、腹いっぱい飯を食うのが子どもたちの最大の願いとなるのは必然だった。

帝国が絶望から抜け出せたのは民族の優秀性が理由だったか。井底の蛙は叫ぶ。大和民族はあ~。金鵄輝く日本のお~。嘘だ。付随した理由を並べても何のツッパリにもならない。

本質は何か。

帝国の教育政策にある。津々浦々に小学校を置いたに。今は廃校を増やして明治政府の偉業を経済的基準のみから破壊している。現在より少ない児童数の小学校が普通だった。

 

金栗は小学校も、玉名中学も毎日ではないが走って通った。舗装はもちろんない、街灯もない。それどころか急坂は自転車で通うことも不可能だった。もちろん、学生が自転車に乗ることはありえない。

平坦な道を走ることは金栗にとっては遊びごとだ。坂道では全然別の筋肉とエネルギーの分配法が必要だ。箱根駅伝を始めた本人はその坂道に意義を見出した。

 

僕は半日かかって90歳以上の人なら金栗と直接話をした人がいるはずだから探した。見つけた。

「ああ、造り酒屋の金栗さんね。」というおばあちゃんにあった。百姓をしていては東京の大学に行くことは不可能だ。防空壕を一緒に掘ったこと。50歳ぐらいになっていたはずだが、滑るように走ったことなど、楽しくお話を聞かせてもらった。

 

故郷は手の平を返す。金栗は故郷のヒーローか。NO, 科学的トレーニングという考えは高地トレーニングの導入につながった。今更金栗記念館だと。そのうち金栗饅頭でも売り出すぞ。

一粒300メートル、道頓堀のグリコの走るオジサン。金栗さーんと言えば返事をするかも。

 “In 1967 he returned to Stockholm at the age of 76 and finished his marathon run. Therefore he has the "slowest" finishing time ever in an Olympic marathon with 54 years, 8 months, 6 days, 32 minutes and 20.3 seconds, a record surely not to be broken.”

 


勉強しなかった人は利己主義でひがみが強い

2018年10月23日 | 教育

すなはち正義感が全くない。脳のキャパが小さいのでとても自分の収入さえ確保できない。だから他人の心配まではできんだろう。

北欧の人々はとても倹約家である。兄が遊んだおもちゃで三男まで遊ぶ。👟に至っては3代にわたって履く。ジーンズもそうだ。

一方日本では、僕に関して言うと。高価だが脳の発育に定評があり皇室でも使っているので頑張ってあるおもちやを親戚に買い与えた。数か月がたっても袋から出しもしていなかった。勉強するということが人生をいかにまじめに生きる手段になるか、親が勉強したことがないからわからない。

バカの頭にはおもちゃは遊びなのだ。考える遊びがいかに人の頭の訓練になるか、もはや死ぬまで気が付くことはなかろう。こうしてせっかく素質のある子が生まれてもバカの悪循環に踏みつぶされる。

なぜ北欧の話を挟んだかというと、吝嗇といえるほどの倹約家ですら消費税や所得税が高くても社会保障が充実することを選んだ。かれらの生活は質素である。食い物はうまくない。服は父親のお譲りである。経済的には日本程度の豊かさだが、総合した税率が50%を超えても、学校病院がタダの方が人間にとっては重要なのだ。

配偶者の一人が病気になると会社を休んで介護する人には給料が保証され国から看護婦が派遣される。その看護婦を断ると看護婦の給料が介護する人に行く。

が老人ホームはおそらく日本のどの老人介護施設より充実している。看護婦と歌って踊って・・・の老人幼稚園ではない。無料。

フィンランドに老後資金を貯金する人はいない。いらないからだ。

僕はそんな国のホールで弾きたい。アクロスで弾きたくない。

 

僕の内縁の娘の歯が悪くなった。きれいにするため保険外に行くことにしたが、160万ということだったが200万を越えそうだ。

コンビニで食えば何%、持ち帰ると何%・・・バカは本質をとらえずどうでもいい事実、しかも細かい事実を面白がって消費税反対を唱和する。貧乏人の数%を当てにするほど日本は貧乏ではない。

僕は平均以下の生活だが一人当たり子供の学費は2000万を超えた。スウェーデンでは下宿費をを12万/月まで補助する。学費は本来無料。

だれでも大学に行ける国が僕はいい。2000万がいらない国がいい。税金は十分すぎるぐらい払った。

消費税が20%を超えるデンマークは世界幸福度3位だ。

安倍のせいでいま日本はアジアで8位だ。


カッコつけて大きく出るとカネが出ていく

2018年10月22日 | 食・レシピ

 

サラダのドレッシングというのはいつも皿の底に流れてしまってもろに野菜にかじりつくことになる。工夫してあった。大根おろしかビシソワーズか、それがかかったところに3m角の🍎をまいてあった。そこに表面張力でドレッシングが引っかかるという仕掛けだ。

今月はこれが一番参考になった。オーナーが秘蔵のグラス、切り子のコレクションを見せてくれた。

なぜか人は偽物と本物を見抜こうとする。ちょうど手品を見るときタネを見つけようとして手品師の技に見入る。下手に偽物をほめたら恥をかくからだ。あるいはうんちくを述べると周りは「ああ、また始まった」程度の気持ちで、内容など分からずうんざりしている。

理解力とは知識と能力の総合芸術である。楽器と同じだ。書と同じだ。

偽物をほめても全く恥ずかしがることはない。正解とか本物とかと、そのものが持つ迫力は別物だ。

では迫力の根源は何だろう。例えばグラスなら、僕がグラスを吟味するのではない。そんなこと素人がすればたいていくそをつかむ。

グラスが僕を呼ぶのだ。時計も車もカメラも馬も、それが本物だったら僕に秋波を送り続ける。

ついでだが「重い」「カットがとがっていたい」。でないと、きらきらあらゆる色を振りまいて光りがグラスを回らず汚い。

切り子は薩摩だが広くカットグラスはボヘミアのものを超えるものは出ない。DDR 最近バカラに貧乏人がたかるがどんどん関心を持ってほしい。ゴキブリホイホイだ。

 

あw、日本製もこのレベルになるとコーヒーや紅茶を飲んでいくうちに日が上がり富士山が見えてくる、相模の波は荒れている。茶碗の中に世界がある。だから逸品なのだ。

何の泡かは分からなかった。それが幕になり冷えるのを防いでいた。そもそも文明人は熱いものしか食わない。あとは定番のもの。

上はすべてアイスで出来ていた。

深い皿に入っているしカトラリーが大きくて質量があり手ごたえがあり満足だ。

 

 

お子様ランチ

隣はアウトレット、ハロウイン、ハロウイン。


ウソはしきりと絶叫する 47

2018年10月20日 | 韓国

Ⅱ. 韓国現代史における金星社教科書叙述分析

『独立60年の’事実主義’と’教科書をまともに書くこと’運動』時代精神[2005春]通巻28号

韓国近代史叙述において歪曲であるとか誤謬であるとかいう部分は大きく言って4ヶ所だ。最初に建国過程、次に6.25戦争、三番目は朴正煕時代、最後に経済開発に関する部分だ。

最初に建国過程の正統性を大韓民国よりは北朝鮮においていること。

二番目には6.25戦争を’小さい戦争論’の必然的帰結と描写していること。

三番目に李承晩/朴正煕独裁に対する否定的叙述と金日成/金正日独裁に対する中立的叙述が対照的。

四番目には韓国の経済開発に対する否定的叙述と北朝鮮経済の発展の遅れについて好意的叙述が顕著であること。

 

上記の内容を要約すると、次のとおりである。建国過程で大韓民国は親日派を洗いざらい摘発することができないでいた反面、北朝鮮は徹底的に親日派を摘発した。そのことを通して正統性の確立をしたのである。二番目の6.25戦争に関しては、南北間の小さな戦争が6.25という大きな戦争にエスカレートしたに過ぎない。三番目の李承晩と朴正煕の独裁はただ長期執権と’権力への意思’を不問にした独裁であった反面、金日成の独裁は’社会主義建設’のための独裁として大衆の支持を得ていた独裁だ。最後に韓国の経済成長はその成果にもかかわらず対外依存度の増大、財閥などの独占資本の産出など世界経済至上類例を見ない不作用を招いたとするなら、北の経済失敗は社会主義の失敗であるとか計画経済の失敗であるのではなくかどなぐんじひのぞうだいにある。

とくに韓国の’セマウル運動’と北の’チョンリマ運動’’に対する評価は。韓国を言うときには卑下したような記述である反面、北に対しては好意的であり肯定的な評価が圧巻である。’民族伝統性の欠如’’反企業主義’’反米’が韓国近代史の主流をなしているとする一方で、北に対する記述においては’社会主義国家建設’という、いわば’内在的接近’が顕著である。成功した国家であると評価を受ける韓国の政治指導者に対しては否定的評価で一貫しつつも、’失敗国家’という評価を受ける北の指導者に対しては温情的であるという事実も印象的だ。    ©からけん

 

次回用メモ  Ⅲ. 한국현대사의 미완성から  박효종 서울대 교수   【 서울대 교수들의 견해 】 


大濠公園から焼夷弾

2018年10月20日 | 東洋歴史

池底からは、福岡大空襲で落とされたとみられる焼夷(しょうい)弾の不発弾も多数見つかった。信管が付いたままのものもあった。平和な公園で発見された戦争の痕跡に思わず息をのんだ。(1990年)  2018/10/19付 西日本新聞朝刊

P51

福岡大空襲 1945.6.20 B29約200機が非戦闘員地域である福岡市中心部を焼夷弾攻撃した。B29の高度は2700メートルしかなかったのに探照灯の効果はなく、たった2基の高射砲は作動せず、日本軍の戦闘機は一機も飛ばず、米軍は作業のように福岡を焼いた。わざと半分は不発になるようにしていた。自動的に時限爆弾の役割をした。翌日警告を無視して子供たちをかたずけに動員した小学校では一度に多くの子供が死んだ。焼夷弾(ナパーム)は、ゾル状に加工されたガソリンが爆発する仕組みで、飛び散ったガソリンは肌にケロイドを残し、水をかけても、川に飛び込んでも、消えなかった。効果的な人殺しをするためには国際法を守ってはいけない。この人殺しの理論は米軍の方が何周も先を走っていた。死者はわずか1000人だった。、陸軍はナパームをバケツリレーで消せと命じた。誰も文句を言わない。忠実な臣民は死んだから。

B29  工場

 

隣国は、なかった虐殺をあったとして100年たっても責め続ける。日本国は為政者がかじ取りを誤り、いつまでも敗者の悲哀を味わう。つまり、米軍の非人道的戦時国際法無視の無差別非道な爆撃を、日本は非難したことはない。

帝国の高射砲 撃墜 0

話しはさらに50年さかのぼり、奉天大会戦。野戦司令部は何枚もの奉天郊外の地図を作り作戦指導にあてた。まだ、勝手に戦を始めれば予算はあとからついてくる時代ではない。薄氷を踏む思いでガラス細工のような作戦を立てた。

カネも人間も食い物も弾も、すべてが不足していたがガダルカナルと違うのは食料がわずかにあった点だけである。

とにかく戦には勝ち、ポーツマスの決定は多くの将兵の命を救った。各司令部はその地図を持ち帰り、地域の有力者に配った。それから50年もたつというのに、進駐する米軍から何と思われるか心配になった無能な有力者は、困りはてる。

大きな地図(3メートル×4メートル)であり激しい議論の跡が残る貴重な歴史、戦史資料だ。人から人に押し付けられた地図はやがて図書館に寄贈された。戦時中は権力のある人間として威張り腐り、状況が一変するとオロオロ地図を抱えて誰かに押し付けようとする。これ以上のバカの見本があるか。これ以上、無教養で情勢を判断できないでいる陳腐な人格がどこにいるか。

そんなバカが集まって何とアメリカに勝とうとした。

僕の祖先のことだ。

 

 

 

    


「障がいは言い訳に過ぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」

2018年10月17日 | 思想

最初に、「言葉を書き換えることと差別をしないことは全く関係ない」ことについて書く。

障害者はいつの間にか「障碍者」になりやがて「障がい者」になったようだ。僕は善人ぶって言葉を変えると中身が変わると信じる人たちに敵対したいので障害者という言葉を使う。

言葉を変えて使うことは悪くない。だが世の中には変えたくない人もいる。その人たちをおせっかいにも差別者呼ばわりして、自分は良い子になりたがる知能の低い人間たちが日本に増えてきた。

 

一般論で書くと長くなる。ただでさえ文字を読まない人たちが最後まで読むはずなく、中には読解力がなく興奮する人がいる。僕は「そんな人たち」を介助しない。

 

家のばあちゃんはきわめて頭がよく戦前の女学校では首席だった。最近の学校は席次をつけない。バカ、バカが教員をするから高校まで保育園化する。一番をほめて何が悪い。ビリは屈辱を十分感じるべきだ。でないとバカのくせに一人前の人間だと錯覚して大きな顔をする。形式平等主義になり日本の競争力をそぐ。

母も成績がよく選抜され、新京(満州)に行き愛新覚羅溥儀に拝謁した。頭は丸暗記でごまかす女によくあるタイプで将来性はなかったが、とにかく成績はトップだった。

ばあちゃんは残念なことに目が見えなくなった。しかし戦前の教育は本当に差別なく、容赦なかったが、ばあちゃんはとくに数学においては抜きんでた成績を残した。さらに、ここが大事なところだ。ここまで読む人は一定の理解力のある人だ。期待して書く。

ばあちゃんは退学になった。めくらはいらんそうだ。この厳しさも激しい競争の中にいる日本には必要で妥当な判断だった。

無駄にはならなかった。

僕はめくらのばあちゃんから数学を習い、およそだれにも負けない理解をすることができた。僕はどうしても書かないと問題を解けない。頭の中だけで考えると分かったつもりになるのだ。ぐうたらは手を動かさない。バカの悪循環がおこる。僕はその逆だ。

じゃあばあちゃんはどうして頭の中だけで出来るんだろう。僕は恥ずかしかった。恥を知ることで人間は大人になる。

 

障害者にはだれにでもハンディをやろう、人一倍気を使ってやろう、・・・それが障害者をspoilする。人間は誰でも中国人以外は遠慮とか、謙遜とか、惻隠の情がある。障害があってもそれを持つべきだ。

いいスローガンじゃないか。こんなことに文句を言っていい気になるのは大人の国ではない。

「障がいは言い訳に過ぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」

 

寒やぶつかり歩く盲犬(めくらいぬ)     村上鬼城   村上氏も障害をお持ちだ。さあ、差別者として糾弾してみろよ。

 


人間のつながり

2018年10月16日 | 日常

具体的事件を例に引きその事件の面白さとか衝撃度とか特異性を述べることで耳目を集めるのは簡単だ。

興味ない。

E.Frommが「自由からの逃走」を書いて久しい。ワイマール共和国であれ、戦後の日本であれ自由らしきものは突然空から降ってきたものであった。

だから、自由とは自分勝手を意味しないとか、責任を伴うものだとか、、生産関係のトップたちは何とか御用学者を動員して、枠の中でおとなしく草をはむ飼いならされ満足した豚の量産を図った。

Frommは勝つことなしに手に入れたものの脆弱さについて問う。

自由はありがたくないのだ。権威(会社、学校、サークル、団体etc・・・およそ一切の所属させられているもの)にすがる生き方を選択する者に自由ほど邪魔なものはない。不本意な判断、行動、去就が詰まった人生が予約される。

 

今孤独について日本の思想界は盛り上がっている。孤独から逃げるのは簡単だ。先ほどの権威にすがればいい。アリが砂糖にたかるように、すがるもので僕の周りはあふれるだろう。

権威にすがれば、さらにそのすがった者にすがるものがあふれる。これを田舎の低能たちは町役場で昇進したぐらいで、自分の人徳をしたって人が集まると勘違いする。

この勘違いがファシズムの温床であるとFrommは言う。

だが、その「寄らば大樹」選択をせずに、孤高を保てる人は少ない。低俗なコメントによればやせ我慢をしているという。

 

Fromm wurde in Frankfurt am Main geboren.

 

僕は孤独の中で正義を貫くことはできない。こっちの水はあーまいぞ、という声は常に大きく誘惑に満ちている。ボーナスは50万より500万がいい、部下は50人より500人がいい。蛍には甘い水だ。

しかしやせ我慢にしろそうでないにしろ、精いっぱい節を曲げずにいる人を軽蔑的にやせ我慢とかいうものではない。

The ability to be alone is the condition for the ability to love.

(一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。)

フロムは心の弱者に厳しい。


松橋事件(まつばせ・じけん) 2

2018年10月12日 | 裁判

松橋事件(まつばせ・じけん)について書くのは二回目だ。

 

裁判のやり直しを求めること自体おそれ多くもお国の司法機関が判断したことにたてつくことだ、けしからん、反体制的だ、左翼的だ、国家の転覆に加勢することだ。ふとどきものめ,と考える人が多い。なぜだろう。

社会科学的考え方には必ず時間軸がいる。アホにはそれがない。時間軸とは過去の事実の寄せ集めではない。ポイントとなる事象の論理的展開が必要でありそれ以外は付随的なことだ。

欧米では必ず人権の歴史から説き起こされて議論が始まる。再審事件がすべて冤罪であるとは限らない。種々雑多な事件が起きている中で、ありえないほどの、また恐ろしいほどの偶然というものがあるのだ。だからまっとうな判断と思えることの中にも誤判がおこる。

しかし、

そんな一般論で片付くほど事態は能天気ではない。

 

日本では、良心の呵責に耐えかねて死刑囚が別の殺人事件を告白すると、慌ててさも自然な予定だったかのように装いつつ首を絞めて殺し口封じをする。

日本人特有の形式論やお上絶対論がはびこっていて、その中でいい気になるのは、民主主義の何たるかをその発展とともに時間の流れの中で権利獲得過程として理解してないからだ。

 

検察は被告人の貧困に目を付けた。国選弁護人は、弁護費用を国からもらうが例えば500万の投げ渡しでその中から弁護活動をする。すると熱心に調査、資料収集、接見、訴訟組み立てを行うと自分の収入が減る。松橋事件の国選弁護士はわずか2回の接見しかしていない。無罪の線で行く(公判を進める)と公判回数が増えるので情状による減刑で公判をやり過ごした。そして失敗し何の減刑も勝ちとってない。

そうなることを見越した検察は賢い。物的証拠をありえないことに焼却、廃棄、紛失、隠ぺいした。そうすると自白のみが唯一の証拠だ。その場合被告人を有罪にできないことは憲法に書いてある。まだ憲法改正はあってないからこれは有効なはずだが、自白一本で有罪になった。

最高裁裁判官は内閣が任命する。つまり司法試験は関係ない。外交官や日銀総裁がなったりする。長官は安倍より給料が高い。…こういう特権的地位につけたのは安倍のおかげだから、逆らうはずはなく、駆け出しの国選青二才弁護士が国の子分になることを誘導している。国の言いなり小僧には甘い水を、逆らえば煮え湯を飲ませようという体制が着実に出来上がってきた。

そのような国に生きている貧乏で無学の民に救いが来る日はない。

今回よくぞ最高裁は判断した。

個人としては貧乏や無学を理由にぐうたらに生きるのは人間の恥さらしだと思う。ここではひとまず別の話だ。

検察は人の無知を良いことに物的証拠を隠し、弁護士は収入が減ることを嫌いまともな弁護活動をしていない。 ただスムーズに結審になることを期待した。

 

そして33年後、

おそらくこれだけの新たな状況証拠がそろえば疑わしきは罰せずの原則は貫かれるであろう。

恐ろしいことに、検察はこの期に及んで証拠をすべて出してはいない。検察に対し公判後ですら証拠の開示が義務付けられていない国が民主国家だろうか。可視化もまだだ。

検察は社会正義の実現が使命である。騙しやすい人をだまして犯人にしたてあげ、別の真犯人の証拠を握りつつもそれを隠して、いかに社会正義は実現するのか。


やっぱり新潟県

2018年10月11日 | 事件事故

10/11(木) 16:31配信

産経新聞

 新潟県新発田市の市立中2年の男子生徒=当時(13)=がいじめを苦に自殺した問題で、同市の山田亮一教育長が11日、遺族に不適切な発言をしたとして二階堂馨市長に辞職願を提出した。二階堂市長は受理し、17日付で辞職を認める見通しだ。

 この問題では、山田教育長が5日、父親の自宅に謝罪に訪れた際、「(保護者説明会に)お前も来るか」などと話したとして、父親が不快感を示していた。

 山田教育長と父親は小学校時代の担任と教え子だったが、父親は「この場ではあり得ないと思った。(自殺のことを)軽く見ているのかなと思う」と指摘。

 

常識がない人はどこにでもいる。とくに小学校にいる。さらに、とくにその中で任命されて長の付く位置にいる人は常識のある人を探すのが困難だ。

僕も田舎の「長」達にはほとほと手を焼いてきた。基礎的学習をしたことがなく、あるとすれば研修という飲み会もしくは物見遊山。

こいつらは、人をしかも遺族を、つまり、子供の死に大きく関係ある当事者たる被害者に向かって「お前」といえるそうだ。

背筋が寒くなる道徳観念だ。

知事は女子大生売春婦を買い「いいお客さんだった」と言われている。この知事にしてこの教育長ありだ。(前知事)

地方分権は弊害を生む。自殺問題、いじめ殺人などの緊急事態に適切な手を打つには行政にたけた中央を知るものが残念ながら必要だ。

 

「わたくしの指導がいたらずこのような事態が招来しましたこと、その責任を痛感しております。今後は再発防止に全身全霊をかけることをお誓い申し上げます」。これぐらい言えよ。バカはどこで迷うかというと、責任を認めると任命権者である市長の立場がなくなるが、責任を認めたものかどうか、子供同士のいざこざなんだから「長」は第三者と考えてよいか。

などと小学校の頭は混乱する。どうしていいかわからず人と人との位置関係が分からなくなるバカの一般的な傾向で、申し訳ないが、というか当たり前だが、小学校の先生のすることといったら子供をなくした親に「おまえ」よばわりすること。遺族すなはち親に対する犯罪性が分かろうものか。

勉強なんてしたことないだろ。何ができる?おい山田。おい山田。おいお前。

また新潟は笑いものになった。責任をとれ。辞職じゃ済まんぞ。


きょう米軍の無差別爆撃「10・10空襲」

2018年10月10日 | 東洋歴史

74年前 旧那覇市域の9割が焼失。当然に米軍はほどなく上陸し占領した。

陸軍兵が僕にぽつりと言った。「艦砲はすごいよ」。大本営は負け戦の口封じのためガダルカナルの生き残りはインパールへそれでも死なないならルソンへ。それでも生き残った人の言う言葉には重みがあった。

砲は2000万発撃ち込まれ銃弾はその100倍だろう。組織的な戦闘が1か月だったとすると一日100万発の砲弾が落ち1000万発の銃弾が住民や兵の顔を飛ばした。typhoon of steel

 

平和教育は体験者の減少や高齢化により、空襲教育、帝国陸軍悪者教育、漫然と戦争反対教育に変質してきた。

これでは沖縄戦の実態が歪められてしまう。

 

沖縄の軍や行政の中心人物たちは米軍の上陸が近いという情報を握りつぶし自分たちだけ飛行機で逃げた。これこそが平和教育の最高の教材だ。また起きればまたこうなる。

 引用 yahooブログ man***さん

・・・だが米軍が上陸寸前に沖縄から逃亡した泉守紀県知事、県議会議長、首里市長。第35軍玉砕直前に逃亡した八原博道高級参謀以下の幕僚たち・・・

 

このように軍人は沖縄を守ると言いつつやばくなると真っ先に退散した。八原博道は自分の部隊の壊滅を確認してから敵前逃亡した。兵なら即決銃殺だ。

 

10万の県外兵が死んでいる。せめて陸海の戦争展望の統一がなされるべきであった。陸軍は一撃を与えて講和に持ち込むというできもしない夢を見て、海軍は捨て石になるという美談に酔っていた。捨て石になっても壊滅の日が一か月程度違うだけだ。

米兵は射殺した日本兵の首を切りサッカー大会をした。わざと火炎放射器の火力を絞り苦しむ日本人を見て笑った。

 

父親の友人たちは理系の研究所にいながら海軍に志願せざるを得なくなり、追い込まれて志願し10人中8人が死んだ。

この人たちこそ戦後の復興のどんなに大きな力になっただろう。こんなことを教えるのが平和教育だと思う。

僕は偉そうに「殺すな」と言ったりはしない。ただ、「知らない人を殺すな」というのは僕の信念でありどこででも言える。