か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

男と連れ子は常に仲が悪い

2018年11月27日 | 事件事故

妾の子と妻の子も仲が悪い。妾の子と本妻の子が子仲良しなんてありうるのだろうか。明治時代は一定の社会的地位のある人は必ず妾を持った。金持ちほど制度を無視していいのは今と同じだ。

きちんとした教育を受け判断力を十分に涵養した家柄のいい男にそこらの学のない青二才が太刀打ちできぬ。できようものか。だから場合によっては女はバカな男の妻になると悲劇だが、そんなことならいっそ妾になった方がよかった。

 

翻って現代。そんな時代でないのは当たり前で、問題は、学も、人間性も、優しさも、すべてかけらも持ち合わせず勝手に母子家庭に転がり込む野郎だ。そして、そこの母子家庭の腐れたアパートにいる連れ子とは仲が悪くなる。必然的に。

70歳にもなれば社会がどんなものか見えてなければそれ自体で犯罪である。無能犯。

内縁関係は素晴らしいものだ。いつでも切れる。飽き飽きするほど繰り返される日常だがだ義務はない…ちょうど素敵な彼女と無限の金をもって世界旅行をするようだ。

しかし安易に悪人や貧乏人や低能がそれをすると悲劇が起こる。何人妾がいようと、十分な財産を残し、、生きているときは十分な教養を仕込み、一流の女に仕立て上げることができたらよかろうが、バカにそれはできない。

カネ持ちは、5憶10億をごまかしてもそれを取り上げられるわけでもなく、国籍問題で蓮舫議員を責めていた右翼は妙におとなしい。ゴーンは3重国籍だ。金持ちはすべてが許される。なりたいものに努力なしでなれる。貧乏人のなけなしの金は吸い上げられる。

自業自得とはいえひどすぎる。たとえ時給1000円でも16万/月*12=200万  ゴーンの一年に追い付くには税金など引くと400年かかる。ひと月を5万で暮らしたとしてだ。ゴーンが30年働くと1200年分だ

いくらバカでもそんなに差はないだろ。その低賃金に吸い寄せられてくるのは貧乏絶望不運孤独一番肝心なのは無教養。

女の連れ子と新しい男が殺しあって連れ子は死んだ。貧乏の周りはそんな話であふれている。争った金額が50万だったりする。

大した違いだ。

今後日産には南方の方が大勢来られるだろう。どうでもいい人たちだ。技術者は日産を去る。バカらしくてやってられるか。上は上で大変だろうが下は人が死ぬ。

 

引用

埼玉県新座市の路上で2月、男性会社員=当時(58)=を刃物で殺害したとして殺人と銃刀法違反の罪に問われた、茨城県稲敷市、無職高橋秋男被告(69)の裁判員裁判の判決公判が26日、さいたま地裁で開かれ、高山光明裁判長は懲役15年(求刑・懲役18年)を言い渡した。今後の生活に不安を抱えて、被害者を道連れにして自殺しようと考えたと指摘。凶器を準備して、なたで何度も切り付けるなどしたことから「強固な犯意に基づく計画的かつ危険なもので悪質。動機は身勝手で強い非難に値する」と述べた。

                            さいたま新聞 11/26(月) 22:31配信

 さいたま地裁

 

 


寝屋川 事件

2018年11月21日 | 事件事故

被告人に対し死刑判決が出たのは喜ばしい。(2018.12.19 大阪地裁 大阪高裁に控訴→取り下げ→死刑確定)

だが間違えてはいけないのは殺人罪に対する構成要件(犯罪成立に十分条件)を満たしたから死刑なのである。悪いこと、ひどいことをしたから死刑だったら今日の社会はブームに流される近代以前に逆戻りする。

どんな小さなグループでも、会社とか、組合とか、サークルとか、とにかくどんな集団であれ、一定の集団には本来、民主主義を否定する少数の構成員の存在を、その構成員自身が認めてしまう傾向がある。ワイマール共和国は民主的であったがゆえに独裁を許した。

日本人は、とくにそれに懲りているはずだ。(戦前のファシズム) なのに学校では、民主主義の本質とはなんであるかを学ばせないようにしている。どうでもいい学級委員の選挙はあっても校長を選ぶ選挙はない。西欧では校長は児童生徒や守衛まで含めて選挙で選ぶ。ほとんど輪番制といってよく権力を持つことはない。校長と教員の給与にほとんど差はなく、校長は授業も担当している。

日本のように戦前のファシズムさながらに、お気に入りをあるいは広島大出身を理由に校長を任命するところはない。法外な給与を与えている国も日本以外にはない。到底、民主主義のシステムが機能するはずはない。

流れに逆らうことのできる一人一人の正義感と倫理観とその強さがないと民主主義は成立しない。

 

今回の判決が不満なのではない。もっと早く殺しておくべきだった。なぜ前科10犯近く罪を犯した異常性欲を野放しにしたか。今更得意げに裁判所も警察も何を言うか。

 

ただ流れに合わせて流れていき、自分の子供さえ助かればいいと考える大多数の国民は、民主主義の危機を感じない。

その状況は不良の子供が一人二人死ぬことより恐ろしい思想をまき散らす。関東大震災の時、デマに酔い、自分を見失った、普段は善良で気弱なお父さんが、こん棒で人殺しをした。規模には諸説あるがとにかく殺したのは二人どころではない。

一方で、イスラエルでは全会一致の議決は無効である。異なる意見が存在しない社会は、ありえないと考える。不当な圧力が確実にあるような全会一致は無効なのだ。ところがおめでたい日本はどうだろう。全会一致は一番いいことだ。イスラエルでは、無理にでも反対意見を残し将来の改善の機会を保障する。

 

僕はそういう意味で裁判員制度には反対だ。すでに弊害が大きくなった。司法への住民参加は「12人の怒れる男たち」を現実化する。とくに高度の良心の素養と正義感と勇気がない日本人は、決定的誤りを犯す。流されるという誤りだ。

さあ、まともな中一のよい子が夜の九時半に女の子と一緒に人気のない商店街をうろつくだろうか。僕の娘はしない。させない。考えもしない。友達のうちに行く?嘘に決まってるだろ。その一言で夜9時に子供を外出させる家庭は非常識だ。

相手の家もそれを許す家か。夜の10時に泊まりますと友達が来る環境はまともな日本人の住む環境ではない。そして朝まで変態といて殺された。

こんな意見が出そうなものだが流れがそれをさせない。バカが勘違いしてよく文を読めずにコメントなんかでわめいてくるがもっと早く切るべきだった。

 

裁判員の評決は判決を正当化するのに役立った。それだけのことだ。不必要だ。住民の司法参加は、国会のみならず司法も衆愚司法をもたらした。

国民は裁判に参加してもしなくても、求められるのは高い知性だ。自分さえよければいいという考えを捨て、ほんの数年前に監禁罪を犯した男が街をうろつき不良アサリをする社会の存在を許さない国民であるべきなのだ。

 


ウソはしきりと絶叫する 48

2018年11月20日 | 韓国

Ⅲ. 韓国現代史の未完成

                   朴ヒョージョン ソウル大教授

「独立60周年の「事実主義と教科書をまともにする運動」時代朝鮮2005春通巻28号」

おおよそわれらの歴史のみならずどんな国の歴史にも誇らしい部分と恥ずかしい部分が混在している。個人の人生においても多くのチャレンジと戦いがある。したがって個人が成功したという話と失敗の話は混在しているように、大韓民国の現代史においても誇らしい思い出もありそうとも言えない悲しい思い出もある。

しかしながら重要な点は、我々には恥ずかしい歴史を圧倒する誇らしい歴史があり、また自負できるものが多いという点だ。悔恨の情を招く悔恨の情を圧倒するほどの感動を呼び起こすほどの思い出があり。また感動的な”秘事”が多いということだ。少なくとも大韓民国の現代を刷毛しく生きてきた人たちの体験がわれらの過去を知っているほかの国の人たちも第kン民国の歴史をこのように評価している。ならば我々は子孫、特に続いてきている世代に恥ずかしさをしのぐ誇りと感動があふれるわれらの歴史のみならず歴史観も伝承していかなければならないのではないか。

 

大韓民国は運命を選択することはできないが、運命を受け入れる態度を選択することができる。ちょうどギリシャ神話に出てくるシディプスが苦労して山に担ぎ上げた石が自らの重さでふもとに落ちてしまうのに対して失望せずひるまずふもとに下り石を再び山に引き上げる。大韓民国は強力でめんどくさい隣国諸国と仲良く生きていかなければならない軛のような運命を持っている。また世界的な冷戦構造も避けられないのだ。しかし分断と戦争、貧困という過酷な運命の中でも最善を尽くし過酷な人生を生きてきたということをだれが否定できようか。

 

もちろん韓国の歴史がすべて誇らしとばかりは言えない。もしや自慢と自負心のみを抱いたならば八不出の不真面目な歴史観であるか国粋主義の傲慢な史観であるだろう。歴史においてとても残念であったり買い国庫上すら合わせ浮かぶとき。はじめて未来のためのバランスの取れた歴史観が成立するだろう。このような歴史観は我々のためのみならずわれらの子孫のためにも必要である。周知のように韓国の現代史には屈曲と挫折と痛みの記憶がある。とくに3つの未完成を持っているからだ。”民族主義の未完成””産業化の未完成””民主化の未完成”がこれだ。時代錯誤的な国土の分断が続いているという事実自体が民主主義の未完成を雄弁に物語っている。

民族主義が完成していたら今まで経験してきた分断の痛みていはもはや消えていただろう。産業化も力強く始まったが完成はしていない。だから自信をもって後期産業化のことはしゃべりづらい。産業化が完成していたらあちこちで目に見えてすべての資本主義の矛盾と市場の失敗、労使紛争などが今よりも大幅に少なくなっていただろう。民主化はどうだろう。民主化が完成していたら民主共同体の質は今よりもはるかに高まっていただろう。政党と政治は”塩をまいたり””やけくそに要求したり”するところではなく愛情をもって大事にされるべきところである。今も小中高の学校から学生たちを連れて国会議事堂見学をできない理由が国会議員たちによるケンカ、集団ケンカなど黨同伐異になれ直さないでいるためだ。

 

次回用メモ  Ⅲ韓国現代史の未完成 
물론 대한민국의 역사가 모두 자랑스럽다고만은 말할 수 없을 것이다.から

 © からけん 部分的に日本人には暴論に思えるところもあるようですが10年前の論文にしては鋭いものがあると思います。常識的な部分が多く今のソウル大よりましです。

 また12月20日に、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


柳川和菓子めぐり    2

2018年11月20日 | 食・レシピ

偶然いろんなお菓子をもらうことが重なった。

小倉の栗まんじゅう。

ご存知小倉北区の魚町に本店を置く。120年以上の歴史があるが、明治30年ごろの日本といえば「一等国」を目指す金鵄輝く日本だった。自らの貧困も忘れ国のためにすべてを投げうつのは絶対善であり、一臣民は「身を立て名をあげ」ることを夢見た。日清に勝ち、日露に勝ち、負け戦は国民に伏せ、ジャーナリズムの存在を国民は知らず幻の繁栄の中に酔っていた。

そんなとき勝ち栗とは縁起がいい。そのツケは大きかったが

中に栗が入っている。小倉で菓子折りを持っていくとはこの栗まんじゅうを持っていくことだのことだ。小倉で知らない人はいない。

小判の形も好評で自分で食べるために買う人も多い。

 

つぎ。

赤い鳥小鳥、なぜなぜ赤い  赤い実を食べた

白秋の詩はすべて、空想の世界が広がる。本人は妻も妾もとっかえひっかえした大酒の飲みで糖尿の治療もせずメクラになった飲みで男だ。彼自身は柳川をよく思ってない。伝習館中学も卒業せぬまま早稲田に進んだ。おおらかな時代だ。彼の作品はエロ本だと柳川の人は罵った。

田舎とは、一度評価が定まるとその評価は固定され、異を唱える者は裏切り者になる。

ところが一度全国的評価を受けると手のひら返しが起こる。

檀一雄や白秋、その他多くの文人たちを生んだ土地だ。文学のカンブリア紀にあったと言える。現在の伝習館高校からは絶対に何も生まれない。生徒の一挙手一投足を校則で縛る学校という名の牢獄だ。

 

そんな中で和菓子はおいしくあり続けた。よくある本家だ、分家だ、老舗だ、本舗だの争いはある。そこは興味ないので割愛。

考え方として伝統を守るか、洋菓子やケーキも取り入れ経営を守るか困難な判断であることは確かだ。

 

最初の写真は伝統を守った方だ。「白秋最中(もなか)」一個一個に白秋の歌が短冊になっている。こぼれる甘さに優劣はない。ただこの越山(こっさん)餅本家は和菓子で勝負している)。

 

ほーら、つーじまちにあっとじゃのーしての、トンとこまちんにきあっとこたい。

訳)ほら、辻町にあるところじゃなくてね、とんとこ町あたりにあるところだよ。

 

本当に越山本家はここにある。柳川の味がして、僕はいつも思い出せないでいる夢にあう。

きちんとした柳川弁を喋れる人はいなくなるだろう。下二段活用のオンパレードだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自然にやさしくない合鴨農法

2018年11月11日 | 社会・経済

やさしくない理由はきちんと後で述べる。

まずはその合鴨農法という農業破壊が登場した時の様子から。いつも登場するとき派手なものはどこか胡散臭いし、まがい物である。従来の単作化学肥料に頼る小規模農業はいきづまるので合鴨農法を取り入れるべきだと、環境保護の無能団体が説いて回った。

JAでも盛んに合鴨の利点が強調された。問題は強調する人の中に百姓をしたことない人がいるということだ。

これだけ機械化されたら百姓がきつい仕事なんて環境団体かなんかの有害鳥獣人間が言うことだ。百姓はきつくはないが頭を使う。使わないやつもいるがそいつは後10年も百姓はできない。

だからとっくに生物利用の農法は研究している。そしてだめだということも知っている。

ちょうど、プルトニウムを混ぜて無限の燃料を得るのだという核燃料サイクルの話を当時通産省で聞いた。バカにするな。それぐらいの基礎は知っている。出来もせんだろ。「もんじゅ」だ。

これと同じごまかしだ。

同様に、10年は効果があろうが20年目に破綻する。百姓とは1000年続けるものだ。だから4000万の年収は必要だ。内部留保という。筑後地方は日本で一番年収が高い百姓が住む。

合鴨が失敗しても、お上は責任を取らない。合鴨農法を力説した人間は僕を罵倒したが今僕の反論に何と返事する。生活が懸かってないくせに偉そうに指図するな。

欠陥

合鴨はその管理も実験農場の広さならいいが、実際2町歩以上になると生きものだから維持管理が大変だ。ジジババにはできない。

合鴨は稲も食う。

合鴨は雑草を選択的に食う。ということは生物の多様性を損ないさらには残った草ははほかの草を駆逐するための化学物質を出す(青酸系)。つまり合鴨が見向きもしない雑草が生い茂りその草は稲を上回る。

犬、猫、トンビによる合鴨の捕食をふせぐには200メートル四方に柵、と網が必要だ。合鴨農法推進宣伝員がやってくれるんだな。

合鴨はその足で水田の水を撹拌するが、その時様々な菌やリン酸が舞い上がり水生昆虫、昆虫幼生は増える。このとき合鴨は植物のみならず水辺の動物も選択的に捕食する。残った動物は増殖し植物以上に急速に影響が出る。農家は害虫の大発生に対処するため農薬の大量ストックが必要になる。農薬にも消費期限がある(わざと安全のため)。よって農薬代は、合鴨がいようといまいと変わらない。

20万から30万/月の合鴨の餌代。

合鴨がいない。                    WIKI

さあどうする。

合鴨でなかったら(アヒルなど)地球上で成功しているところもある。よく研究して生態系のバランスや合鴨の食性を知るべきだった。数百年の試行錯誤は短期間の研究より真理に近い。

都合が悪くなったら逃げられる位置にいてよっぽど革命のように毎年偉そうに薬や農機や経営について講演する。頭にくる。その中の一つが合鴨だ。

おい、低級官僚、お前のことだ。

努力しない言いなり百姓が貧乏するのは自業自得、またの名を自己責任だが、ありもしない革命的合鴨農法的なやり方を百姓に強制するな。それは詐欺だ。

農協さえなかったら日本の農業はここまで落ちぶれることはなかった。えらそうにうそを言うな。

 

韓国でも合鴨農法はあった。日本人に自慢したいのか、日本からの視察団に同行させられた。6haを1区画とし20区画でそれをやるそうだ。それを単位としていくつかの単位があり広めていくという。

さすがに地平線の見える水田は爽快だ。もちろん失敗したが日本と違うところは泣きつかない。やる気がある。借金は何とも思わない。向上心があり機を見るに敏でありその判断力の基礎たる頭がよろしい。粘るボクサーのようだ。豹変をいとわず勉強熱心である。

日本は2,3年後からコメの輸入国になる。山間部、都市周辺から田がなくなるからだ。現在、非能率農業温存補助金政策により、消費者は韓国よりまずいコメを7倍の価格で食っている。それを鴨ごときで挽回できると農水省は言った。確かに言った。

   

 


バブルもあながち悪くはなかったよ

2018年11月06日 | 社会・経済

数十年ぶりに洗濯機の操作盤を開けた。冷静になると洗濯機ごときに操作盤はいらない。何しろ全自動なんだろ。今風に言えばAIか。バカコケ。AIの自動運転が数百件の事故を起こしているじゃないか。違うというなら今年から交通事故は激減するだろ。責任持てよ。

 

そう考えると、今から30年以上前にできたこの洗濯機は電子的なものは少なくほとんどメカニカルだ。、だが全く故障なくVBeltを一回替えただけだ。ヨットから帰ると洗濯槽は汚れ物であふれ上から足で踏みつけるときもあったが、洗濯機はよく耐えた。

PANASONICがNationalだったころの愛妻号だ。メカ的に水位と洗濯物を測定し洗濯物の偏りを自動で直し水量を決める。「メカ的に」が大事だ。だからこそ配線図さえあればほとんどの調整はできる。

洗剤の自動投入とか消費者を馬鹿にした機構もあるが、全体として輝きを失わない筐体、制震鋼板をふんだんに使ったバブル様様(さまさま)の仕様。

掃除機をかけ30年分の埃を吸い出し再びテープで密閉した。テープをしないと洗濯物が引っ掛かり蓋が無理をする。

バブルが来なかったら庶民には決して入手できなかった優れものだ。今のドラム式を見ると悲しい。不便だとわからんのか。あまり洗濯などしないんだろ。腰を曲げて洗濯物を取り出す。そのうち子供が入りミンチになる。

こんな事故は多いじゃないか。どうしたAI。水も洗剤も電気代も食う。どこが省エネだ。メーカーのまやかしデーターではなく本当にどうかを確かめるべきだ。

うちの愛妻号は値段が高く重たく電気を食う。しかし致命的故障をして買い替えるよりはるかに省エネで音が静かだ。僕の子供が死ぬまで娘の愛妻号はある。なぜならNationalには部品があるからだ。PANASONICにはない。

 


特牛(こっとい、地名)のお菓子屋さん

2018年11月04日 | 食・レシピ

 

4㎝角のちいさなCAKEは。8個ぐらいで600円だった。天神のおしゃれな店に行くと一個で400円だろう。特牛の港の喫茶店の隣。昭和の喫茶店は、もう都会にはない。

先日コメダに行ったら極めて香水臭の強い女給がいた。ほとんどメチルアルコールだった。食品のそばにはふさわしくないので注意したら「へえ、そうですか」と言ってやめる気配がなかった。メス猿がオスの気を引こうと肛門臭を体にまいている。店長も指導すべきだ。

クレームとして本部に上げると言ったらやがてその女は消えた。そんなら最初っから地上に存在してはいけなかった。食堂に強力な香水臭なんてまともな家庭に育ってないなんて証拠だ。

浮かれて狂ったサルは、ここにはいない。


人生の酸いも甘いもかみしめてきた特牛のマダムは、聞き上手だった。港のすぐ隣に位置するので釣りをした後にコーヒー一杯なんてことも可能だろう。広い室内は昔の栄華を物語るが、この盛りを過ぎたところに人生の味は残るのだとやっとわかりかけてきた。

(喫茶店は前日の画像にあります)

ケーキ屋さん。すべて自家製。洋菓子和菓子。甘いだけではないおばあちゃん職人の穏やかさ、やさしさ、我慢したこと、楽しかったこと…詰まっていた。

角島(つのしま)に行くと、、前回だがちょうどCM撮りをしていた。しばし足止めを食った。無理に行こうとすると著作権の問題があるからお願いしますといわれた。僕としてはMAZDAのでこぼこした車の横にすっきりしたCOPENが走る姿をCMにしてほしかったのだが。

週末はいかない方がいい 渋滞を見ても僕は面白くない 

特牛饅頭は文化を支えている。


特牛(こっとい)

2018年11月03日 | あそび

古賀のPAは満車だった 今日は土曜日だ 忘れていた

 

 

走りながら撮ったのではなく助手席から。運転は子供がした。なぜトトロ関連で車を飾るのか。それを見てみんながかわいいという。僕にはわからない。

特牛(こっとい)という駅に行った。ここはとても良い田舎である。美祢市に行った時も感じたが、何が来ても自分の生活を微動だにさせない日本人の強さにあふれた家々だった。

ここにあるようなお城のような家に住むと、きっと小さい妬み、、ひがみ、劣等感は、なくなるだろう。誰が来ても誰も来なくても大地に足をつけ百姓をする。時は過ぎて自分は灰になるそして子供や孫が後を継ぐ。同じ事が続いていくのは人の本質的喜びである。

町ではどうでもいいことで殺しあっているじゃないか。

 

僕らはみんな百姓だった。だから百姓としてして生きていけるはずだ。僕らは町の喧騒の中に逃げていないか。アカの他人と同じものを持つことで、同じ服を着ることで、同じ芸能人の情報を知ることで、自分が何かに認定されると錯覚してないか。

特牛では便利な街の暮らしはできない。しかし、それがなんだ。目を血走らせて街に出ることと人間であることは無関係だ。

住んでいるところにJRの駅がある。なんという贅沢だ。Park and Rideなんてタダで可能だし,そのうちFlag Stopも可能になる。

僕が言いたいのは、田舎に住むべきだということではない。病院もない、歯医者もない、学校もない、スーパーは30分かかり値段も野菜以外は安くない。

つまり生活が困難である。だが豊かな農村であった時代が確かにあった。何が欠けたから荒れて人が街に逃げたのか。苦しい農村にしたのはだれか。

「日本を取り戻す」には、百姓の生活を返せ。じっと両足で自分の田に立つ男は何も失策をしていない。

 

意外と海が近くイカ釣り船がいた。

岸壁には小魚が泳ぎ透明度の高い海だ。寒くなったせいもあるが。

僕の車には、ナビがない。だからいいのだ。人と話をして街の様子を聞き世間話をしいろんな考えに触れることができる。長く生きた人の言葉には重みがある。劣等感アレルギーがないと怒りっぽくならない。

すぐイライラしてくるくせに、それを隠そうと焦る人。都会に多い年寄りそこない。いやだ。空威張りするあほ。自分では気づかない。どこにもいるが田舎の豪邸にはいない。

昭和の喫茶店はちゃんと成り立っている。道を聞いた。角島大橋。泊りもありだな。

 

 

 

 

 

 


夢の和菓子 と 庶民のボンタンアメ

2018年11月02日 | 食・レシピ

天皇皇后両陛下のアメリカ合衆国御訪問について. 平成6年3月18日閣議決定. かねてより,アメリカ合衆国大統領閣下夫妻から,天皇皇后両陛下に対し同国を御訪問になるよう招請があった。                 www.kunaicho.go.jp >

 

という初めてのご訪米に際し、宮内庁は手土産を何にするか苦心した。役所の中でもここだけは秘密のベールが厚く何を考えているかわからない。無理にこじ開けないと中のカキが食えないようだ。

防衛省は世間からの容認度が高くなるにつれ積極的な発信をするようになったが、肝心の戦史情報は安部が国家秘密法を作ったので入手しにくくなった。以前はさすが民主国家の自衛隊だと評価していたのに。安部は、「あんな人たち」を含めた民主主義が嫌いだ。

 

こんなことばかりしゃべるのでは、あまりにも底の浅い人間のようだ。僕の周りにもいる。いい大学を出ているのに朝から晩まで安部万歳とか安部やめろしか言わない人がいる。

若干食傷。

興味は広くないと話せる相手が減り、ますます偏狭になり悪循環を起こす。

 

天皇の手土産は東京のある和菓子屋にある。栗を極めて細かいカステラのようなケーキベースで包んで十分大きいのが日本人の配慮だ。ふつうは一辺が3センチぐらいでさらにそれをつま楊枝で切って食べるだろう。

アメリカ人はそれが嫌だって。姫フォークで刺して食べるって。このときお菓子が崩れないようにクリにすぐ刺さるよう大きな栗の切り方に工夫があった。手土産はアメリカ人用に大型化していた。一辺5センチ×10センチ。short cake並みの大きさ。日本人のすることだ。相手をおもんばかる。

宮内庁。まいりました。血糖値が上がったのはあなたのおかげです。それでもいい。お菓子屋さんから毎年贈ってもらうことにする。

 

それとボンタンアメを比べようなんてそんな無慈悲なことはしない。それなりに工夫がなされている。現代は、昔のように甘いものがない時代ではない。だからひと箱は少なくていい。写真は極端な例でボンタンアメのパロディだ。

MORINAGAのように蝋紙に包まれていては飴の味が落ち、第一剥くのが面倒だった。安かったがただの味がする石だ。雪印は個数が少なく森永の半分もなかった。たぶん4個。だがとろけるおいしさは噛む必要がなく進駐軍のハーシーより良かった。雪印の蝋紙は許される。ヒ素入りミルクを作ったり多くの不正をしたり、両社ともFALLEN AIDOLになった。bonntannは不動である。誇れ。


低能国の言葉狩り

2018年11月01日 | 社会・経済

別に韓国語ができますと言ってもあまり人は驚かない。日本語に似ている単語が多いとか、文法が同じだとか、韓ドラ見てればわかるようになるとか、バカたちの思い込みは強固で、僕は反論する。じゃあ、話してもらおうか。韓国語でメールくれよ。

出来もせんくせ大きく出るな。痴呆だろ。



それらの例は、無意識に韓国を見下す発言をする人自身が言う言葉。自分をだましている言い草だ。本当は韓国をバカにしている。北は怖い国で、韓国は BTSと韓ドラとタッカルビがあればよい。日本人は多くがそんな人たちだ。

 

そのとき、僕はドイツ語でブログを書いてます、というと心底尊敬のまなざしが返ってくる。

説明は省くが、何語でも他国の言葉を話すのは多くのエネルギーを要する。習得には時間がかかるし、そもそも馬鹿にはできないことだ。

A国の単語がB国の単語といちいち対応しているはずはない。だから言葉のもとになった「言いたいこと」をくみ取り再び「言いたいこと」を再構成するということが翻訳するということで、極めて労力を要する。


方言と標準語との間ですらいえることだ。

 

その点では韓国語と日本語は、関係が近くない。地理的に近いのに言語距離が遠い理由は解明されていない。低能になると何とか共通点を探し歌い踊どれは国際理解と思っている。

日韓は違う存在なのだ。相当の昔から異なる文化であったが故、行動様式、思考様式全般にはるかに距離を置く存在になった。

異なることを認めることに関しては、日本人が農耕民族であるからか、不得意だ。さらには異なることを承知で通商、交流することはなおさらできない。

不安になって同一であることを探す。



逆に韓国人は異なるものを取り入れる能力にたける。騎馬民族として異質なものに触れる経験が多いのか。農耕騎馬は関係ない。

とにかく、すぐ日本語をマスターする。3か月。前例や慣習に固執しない。唯一固執するのおはカネだけだ。これは日本も同じ。

ただ、極めて我が強い。意地や体面を気にする。

 

今両国で盛んに言葉狩りが始まった。


日本は「差別語」という概念をでっちあげ、都合が悪いと別の言葉に置き換え本質を隠した。

♪~~かわいいかわいい魚屋さん 今これをうたうと大変な差別者として糾弾を受ける。行政を脅して金儲けしようという人たちの格好の材料になる。魚屋の「屋」がいかんそうだ。

どこが悪いのか、とお思いの方も多いだろう。僕もそう思う。自動車学校がタダの人たちはそうは思わない。

 

 

韓国は韓国で、「日本語」は植民地支配の名残だということで言葉自体を消そうとしている。なぜ日本語が残ったか。それまで郵便も曜日なかったからだ。存在しないものに固有名詞はない。

「仮処分」「納期」「行き先」「食費」「回覧」「節水」「見積」…など言葉の概念がなかったからだ。日本がもたらしたことは犯罪か。ソウルの100年前の水道管はいまだに健在だ。むしろありがたく保存すべき日本語だ。

消すなら「世界」も「経済」も消せ。みんな日本語だ。