か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

「上」に対して思うこと

2023年07月10日 | 社会・経済
仕事を始めたころ、自分の立ち位置は一番「下」。したがって、目に見えているルールや約束、しきたり、人間関係等とにかくあらゆるものが自分より上に存在。

この末端という自分。当初は、人に後れを取るまいととにかく頑張る。何も一番になろうとは思はない。そんな大それたことは思わない。とにかく自分がまともな仕事をしないことには始まらない。それができない場合、人間失格という烙印を押される気がしていた。立派な仕事中毒一年生だ。

仲間の足を引っ張らない。親兄弟に恥をかかせない。学校の後輩たちは僕を切り込み隊長だと思っている。・・・

僕は強迫観念のるつぼの中であえいでいたようだ。

何よりも自分自身に対して思うことがあった。ここまで努力してやっとつかんだ栄光を手放すようなことはできないぞ、と。


しかし、それも3年。昔の人ははうまいことを言った。針の筵ではなかったが、まあ、いわば石の上。そのうえで3年が過ぎたころ。だんだん組織の本当の姿が見えてくる。

どんな人が、いわゆる偉くなるかが見えてくる。つまり、まさかという人が「上」になっていく。

これ。不条理でないかい。と気がつく。

一方で、人格識見ともに優れ、企画力やすばやい状況把握、清濁併せ呑む広い度量、そしてやさしさを持ち合わせた人はあいかわらず僕と机を並べている。

5年もすると組織の上層に対する失望は殺意に変わっていく。



さらには、仲間内から昇進するものが出始めると昇進パーティ会場のトイレでは聞えよがしのひがみ声の大合唱だ。

「あのごますり野郎」「裏切もの」「東大閥でもないくせに」「なんのコネか」しまいには「恥を知れ」

勢いあまって、昇進することが犯罪かのようにまくしたてる。負け犬の傷のなめあいよ。

だが、これがこの輪の中にいるとなかなかわからない。


今思うと恥ずかしい。自分はこの人こそと思う人が冷や飯を食っているのを見て義憤に駆られていると思っていた。そう思って自分を納得させていたに過ぎなかったのに。

それに気がつく頃はたいていもう遅いのよね。



結論

日本というシステムの中では人格者は昇進しない。まれに昇進したら、その人は部下を絶対責めない。自分がかぶる。

日本という人を幸せにしないシステムは、バカの順に偉くなることで支えられている。この偉くなったバカは、きまって部下の無能を嘆く。

階段の上と下でいがみ合う

2022年05月22日 | 社会・経済
階段?  もちろん、世の中のそれだよ。会社。

入社したばかりの人間は、さほど上昇志向なんて強くない。一部に威張りたがる人間はいるが。

一部のそういった「できます感」をアピールしたがる人間は、チーム作業は不得意だ。だが、そんな人間、声が大きい。成果をあたかも自分一人で上げたかのようにふるまう。

そこをちゃんと見抜いて目立ちたがりをたしなめる上司は少ない。そんな例外的上司は多くの部下に慕われる。が、なぜか昇進が遅い。




と、ここまでは何とか我慢できる。

そのうちその他大勢の同期の仲間が変質してくる。みんな我も我もの競争に引き込まれてしまう。

ここまで書いた時のバカの反応が僕にはよくわかる。


バカ曰く。
世の中全部競争なんだよ。一人賢人ぶっていつまでもつか。おまんま食えなくなるぞ。



この低能が勝手に当然の前提としているところに大きな陥穽がある。

思考のスパンが短いから目の前の10円を狂ったように拾っている。おまいらは毎日もちまきや豆まきに参加してるだろ。

もっと豊かさにつながる上等な競争があるのが理解できないだろ。理解不能なわけは競争狂いどもが持つ性質にある。どうでもいい、ただ無定見に頑張るという能力しか持たないから。

ようするに池の鯉。

お前の代わりはいくらでもいるんだよ。そう言われて反論のしようがない人間は、レールが敷かれるとそれだけで一目散に走りだす。

彼には勝利とは蹴落とすことであり振り返って後ろの人間を見る。えもいえぬ満足感と勝利感と安心感だ。


そういう人間が危険な理由は、 

①  敷かれたレールの方向が正しいかの価値判断を放棄している。

②  歯止めが効かない。



原因は、一つ。

安きについて現状肯定。要するに、ばか。


だが残念。3年もたつと、違和感を感じる人間は去り大多数が競走馬に変身し考えもせずにニンジンを追う。そんな思考停止になってしまう。




人間の本質かもしれない。しかし、なんであれ、その会社のせいで困ってしまう人間を大勢作り出すような頑張りはやめるべきだ。

電通は新入社員をいけにえにみんなでいびり殺した。


もっと上等の競争があるはずだ。

ただただピラミッドを見ると無意識に上り続けようとする。上るのをやめた人を落伍者という。

そんな低能が多数を占める社会は必ず亡びる。

もはや互いに首を絞めあうだけの社会だ。




そうはいっても僕は希望を持っている。日本はともかく、世界は低能ばかりではない。長くなるのでいったんここまで。

佐賀県 大町町 水害 

2021年09月17日 | 社会・経済
毎日新聞 2021/8/16 20:33(最終更新 8/16 20:34)

 1級河川の六角川が氾濫し、2年前に続いて広範囲に浸水した佐賀県武雄市や隣の大町町では16日、時折強い雨が降る中、住民らが泥につかった家財道具の片付けなどに追われた。
<引用終わり>


半年分の雨が一度に降ったので洪水になった。2年前の被害と同規模で、被害額は300億円以上に上った。

これは2年前の画像。
佐賀鉄工からのオイル流出は被害を大きくした。が、実際はノリ養殖への被害を恐れた国交省が排水門を開けなかったから堤防の内側に大量の油がとどまったのだ。

住民が水攻め油攻めにあうことより、国交省の関心はノリ被害にあった。

国交省は威張る前によく考えろ。油は水より軽い。排水は川底から行う。排水口をあけても問題ないという現場の声は無視された。


僕は水害の原因を特定することはできないが、「雨が降ったから」というバカ丸出しの理解にはあきれてしまう。思考力がないとこういう理解なんだなと思った。



農業用水の地下水利用が始まる前にもこの程度の雨は降っている。しかし洪水は起きても規模は小さかった。

最近の気候変動により降水量が増えたのが原因の一部であること。それは、ある程度了解できる。しかし、それが主たる原因であるということは言えない。

気候変動は大町町だけに起こっているのではないからである。


国交省のお粗末対応が被害を拡大させたといえる。しかし、それも主たる原因ではない。


主因は、地盤沈下である。

←川が氾濫したのではない。川が氾濫を食い止めている。洪水域の水位は川の水位より低いのだ。つまり地面が下がったのだ。


隣接する佐賀市と白石(しろいし)町は深刻な地盤沈下に対応するため、地下水利用を制限した。すると地下水利用量の減少と比例して地盤沈下はやんだ。

白石町の玉ねぎは地下水を吸って成長していたのだ。

何百年のタイムラグを伴って脊振山系の降った雨が佐賀市周辺の筑紫平野の地下に蓄えられていた。それを数十年で吸い上げてしまったのだ。

最大沈下は調査開始から現在までに6メートル。2.5メートルというところは広くある。国交省、環境省、佐賀県・・・縦割りどもの調査にすら明示されている。




タコが自分の足を食っていたのだ。

この地方に行くと川にかかる橋がせりあがっているところをよく見る。その段差は鋭くとがっているので補修を何度も繰り返した後がよくわかる。それでもクルマは跳ね上げられる。

橋がせりあがったのではない。道路が沈下したのだ。民家や商店と道路には段差が生じてない。一緒に沈んだから。橋も沈下してはいるのだが、頑丈な地下杭のおかげで沈下度が低い。

ほかにも原因がある。無秩序に掘り進めた炭鉱の坑道。この実態は誰にもわからない。大町町やその周辺には中小の炭鉱がひしめいていた。炭鉱跡で地盤沈下が起きていないところがあるだろうか。このことは断言できないが、行政は考える材料の提供をためらってはいけない。
中小の炭鉱は坑道を埋め戻していない。このボタ山の数倍の石炭が掘り出されたのである。地下に巨大空間があるのは必然だろ。



少なくとも有力団体の意向を忖度して水門を開けない国交省の姿勢は間違っている。

地盤沈下を放置した結果、残ったのは毎年の水害だ。

「だからダムを作りました。地下水は利用してません」という低能なへ理屈は見苦しい。

水をくみ上げなかったら地面が元の高さに戻るのだな。

経済の維持とコロナ対策の両立

2020年04月24日 | 社会・経済

70年代、公害が日本全土を覆い都市部では星が消え月さえかすんだ。

アポロ宇宙船から日本を眺めると灰色のばい煙が日本上空の成層圏を覆っていた。交通警官は車の排ガスによって呼吸困難に陥り酸素マスクが必要だった。

多くの奇形児は工場排水が原因であったにもかかわらず、因果関係を庶民たる被害者が立証することはできず汚染者責任の原則は工業国で最も遅く成立した。利益の追求の前にはすべてが無力だった。

それは今の中国どころではなかったのに、支配的な論調は企業が生産しないことにはみんな死ぬぞ、という経済優先の論理だった。

こんななか、公害反対を唱えようものなら田舎では「アカ」呼ばわりされ、仕事を奪う非国民だとされた。

 

そんなとき、国ぐるみで唱えられたのは「経済と環境の調和」であった。両者は車の両輪に例えられた。

これは自民党や財界の主たる主張であったのだが、よく読むと経済のためのはある程度の奇形児は生まれてよい、小児喘息は仕方がないということに他ならない。

恐ろしいものだ。

そんな調和はあってはならない。健全な環境のもと発展は許されるものだという常識が通用しなかった時代を忘れてはならない。銭を欲しがる近視眼的チンピラ経営者の走狗と化した無責任政党が列島をばい煙、騒音、水質汚濁、大気汚染、地盤沈下、悪臭の島に変えた。

 

今回、再び健康(環境、生命)と経済がその優先度を争っている。

たしかに、経済優先を唱える人も健康を無視しているわけではない。家賃が払えず一家が路頭に迷うのに政府は家にいろ、stay home なんて悠長なことを言う、一銭も補償を受け取ってないという現実があるのに、可能性としてのコロナ罹患のため座して死を待てというのか、という理屈だ。

ちょうどその昔、毒を排水に流して奇形児を生ませておきながら、巧妙な会社は労働組合に金をつかませ、被害者団体を力で封じ込めた。

その時の会社の言い分は貧乏人に共感を生んだ。

「会社の生産が停滞したらおまいらは職を失うぞ、水俣病は風土病だ、言いがかりをつけずるい人間と赤がグルになり会社の金を盗ろうとしている」

現在でも水俣ではこれが通説である。

ぼくも小学校で水俣病は風土病と習った。そのころから、否、じつは戦前から会社こそが自社の有機水銀が水俣病の原因であることを知っていた。

 

 

正義と悪魔は車の両輪になりえない。資本主義は存在しなくとも人は発展してきた。日本の資本主義の歴史は100年にすぎない。日本の歴史は2000年ある。

銭儲けが生きる手段であるという現実があるからといっても、生きるための必須の要件として銭儲けがあるのではない。

今、焦眉の課題は命の保全なのである。

 

例えば、人は息をしないと死ぬ。だからといって溺れている人は1分や2分なら息を止めていたほうが良いのだ。たとえ1分でも今までと同じように水中に没しながら息をしたらかえって死ぬ。

今は息を止めてでも水から出ることに集中すべきだ。

従前どおりの銭儲けに拘泥する時ではない。

 


階段の登り方  1

2019年11月24日 | 社会・経済
皆様のブログを拝見していると、驚いたり頭の下がる思いがしたり・・・


毎日素敵な献立を紹介してくださる方。一日として同じ献立はなく、とりたてて貴重な食材を使うでもなくしかし同じ料理を見たことがない。こんな方の玄関はきっと清潔に片付いているし、整然とした台所が容易に想像できる。

今後も献立の参考にしようと思う。

またある人は、日常の人間関係について、きわめてまともだが我々が見落としがちになる視点を提示される方。ご自分の生き方の決意を述べられつつも本当はこんな生き方もあるよと、困っている人、退職して生きがいを見失った人、に珠玉の言葉を残されている。

到底ぼくにはできない。


ぼくにはこのお二人が先生である。

料理
普通にあるものを利用し基本を押さえて適切にアレンジする。そしてそれを楽しむ。日常のすべてにおいても深く観察し考えてこられたに違いない。


団塊世代
今の中年はバブルを懐かしがる。スケールが小さい。団塊の世代が経験した「カネへん」「いとへん」「特需」「神武」や「岩戸」に始まる経済成長はバブルなんてもんじゃない。年3回昇給、それでもたらず過去にさかのぼって昇給、ボーナスは家が建つほどであった。
株価は大化けつづき、普通預金ですら10%/年利が出現した。

こうなると通常、人はカネもうけしか考えなくなる。ものごとの意味や価値はすべて銭でカウントしなおされた。とくに戦後の極貧を知る世代は、雨のように降ってくる銭に狂喜した。

銭儲けしてこそ一人前。こういう考えは現在でも蔓延している。だがすべての人にもれなく蔓延してはいない。高度経済成長の最大の弊害は、すべてを銭で計算してよいという考えをすべての人の頭の中に植え付けたことだ。

そんな中、物事をきちんと考えることをおろそかにせず、仕事もできるがしかし埋没せず寡黙に日々をこなしていく・・・。

ぼくにはお二人がかっこよくてたまらない。



つづく

統計のウソ

2019年02月02日 | 社会・経済

1500の事業所を全部調べるようになっていたのを500しか調べなかった。

そりゃ大変だと騒いでいるがPOINTはそこではないと思う。客観的に言って、かりに15の事業所を調べるときに5つしか調べなかったら大変な誤差が生まれる。

ところが対象の母集団の数が大きくなるとサンプリング調査をしても全数調査しても結果に影響はなくなる。

 

一部を見て全体を判断するなというのは、全体を見ることが数が多くて不可能な時、バカがそれを見越して自分に不利な証拠が出ないように予防線を張るときに根拠にしたがるまやかしだ。

学校の勉強をおろそかにした人にはわからないことだ。そんな人が一見もっともらしいウソを信じ込み、それは馬鹿の一つ覚えとなりバカの脳裏にこびりつく。

 

砂時計から砂が落ちるとき、落ちたところはうずたかく砂の山ができる。落ちる砂粒の数が少ないと砂山はできないが、多ければ多いほどきれいな裾野の広いなだらかな富士山ができる。(正規分布曲線)

十分に砂粒が多いとき、この時の山の中央がどこにありその高さがいくらかを知るためには、すべての地点で測定する必要はない。1/3の地点の測定で十分平均値は出る。それは真の値に限りなく近く、それを用いた他の統計や計算値が不確かになることはない。

 

ところがところが、立て続けに出るでたらめ統計作業はすべて安部に有利な結果になっている。

これはあってほしい結論のため意図的に高さを図る地点を操作しないとできないことである。

その証拠に国家の基幹を揺るがすごまかしなのに安部は担当者や上司を、ただ言葉でいけませんよと言っただけだ。さらにはインチキ発覚後も内部の人間が混じった第三者機関をぬけぬけと作り上司の監視のもと検証作業を行い真実を糊塗した。茶番だ。

 

たしかにバカはのど元過ぎればすべてを忘れる。選挙になればもうすっかり安部の失敗は忘れ自民党に万歳三唱する。

だが、ばかばかりではないのだ、国民は。一度二度騙されることはある。ただ不都合を隠ぺいするたび、着実に安部を見切る人は増えていく。

 

 


自然にやさしくない合鴨農法

2018年11月11日 | 社会・経済

やさしくない理由はきちんと後で述べる。

まずはその合鴨農法という農業破壊が登場した時の様子から。いつも登場するとき派手なものはどこか胡散臭いし、まがい物である。従来の単作化学肥料に頼る小規模農業はいきづまるので合鴨農法を取り入れるべきだと、環境保護の無能団体が説いて回った。

JAでも盛んに合鴨の利点が強調された。問題は強調する人の中に百姓をしたことない人がいるということだ。

これだけ機械化されたら百姓がきつい仕事なんて環境団体かなんかの有害鳥獣人間が言うことだ。百姓はきつくはないが頭を使う。使わないやつもいるがそいつは後10年も百姓はできない。

だからとっくに生物利用の農法は研究している。そしてだめだということも知っている。

ちょうど、プルトニウムを混ぜて無限の燃料を得るのだという核燃料サイクルの話を当時通産省で聞いた。バカにするな。それぐらいの基礎は知っている。出来もせんだろ。「もんじゅ」だ。

これと同じごまかしだ。

同様に、10年は効果があろうが20年目に破綻する。百姓とは1000年続けるものだ。だから4000万の年収は必要だ。内部留保という。筑後地方は日本で一番年収が高い百姓が住む。

合鴨が失敗しても、お上は責任を取らない。合鴨農法を力説した人間は僕を罵倒したが今僕の反論に何と返事する。生活が懸かってないくせに偉そうに指図するな。

欠陥

合鴨はその管理も実験農場の広さならいいが、実際2町歩以上になると生きものだから維持管理が大変だ。ジジババにはできない。

合鴨は稲も食う。

合鴨は雑草を選択的に食う。ということは生物の多様性を損ないさらには残った草ははほかの草を駆逐するための化学物質を出す(青酸系)。つまり合鴨が見向きもしない雑草が生い茂りその草は稲を上回る。

犬、猫、トンビによる合鴨の捕食をふせぐには200メートル四方に柵、と網が必要だ。合鴨農法推進宣伝員がやってくれるんだな。

合鴨はその足で水田の水を撹拌するが、その時様々な菌やリン酸が舞い上がり水生昆虫、昆虫幼生は増える。このとき合鴨は植物のみならず水辺の動物も選択的に捕食する。残った動物は増殖し植物以上に急速に影響が出る。農家は害虫の大発生に対処するため農薬の大量ストックが必要になる。農薬にも消費期限がある(わざと安全のため)。よって農薬代は、合鴨がいようといまいと変わらない。

20万から30万/月の合鴨の餌代。

合鴨がいない。                    WIKI

さあどうする。

合鴨でなかったら(アヒルなど)地球上で成功しているところもある。よく研究して生態系のバランスや合鴨の食性を知るべきだった。数百年の試行錯誤は短期間の研究より真理に近い。

都合が悪くなったら逃げられる位置にいてよっぽど革命のように毎年偉そうに薬や農機や経営について講演する。頭にくる。その中の一つが合鴨だ。

おい、低級官僚、お前のことだ。

努力しない言いなり百姓が貧乏するのは自業自得、またの名を自己責任だが、ありもしない革命的合鴨農法的なやり方を百姓に強制するな。それは詐欺だ。

農協さえなかったら日本の農業はここまで落ちぶれることはなかった。えらそうにうそを言うな。

 

韓国でも合鴨農法はあった。日本人に自慢したいのか、日本からの視察団に同行させられた。6haを1区画とし20区画でそれをやるそうだ。それを単位としていくつかの単位があり広めていくという。

さすがに地平線の見える水田は爽快だ。もちろん失敗したが日本と違うところは泣きつかない。やる気がある。借金は何とも思わない。向上心があり機を見るに敏でありその判断力の基礎たる頭がよろしい。粘るボクサーのようだ。豹変をいとわず勉強熱心である。

日本は2,3年後からコメの輸入国になる。山間部、都市周辺から田がなくなるからだ。現在、非能率農業温存補助金政策により、消費者は韓国よりまずいコメを7倍の価格で食っている。それを鴨ごときで挽回できると農水省は言った。確かに言った。

   

 


バブルもあながち悪くはなかったよ

2018年11月06日 | 社会・経済

数十年ぶりに洗濯機の操作盤を開けた。冷静になると洗濯機ごときに操作盤はいらない。何しろ全自動なんだろ。今風に言えばAIか。バカコケ。AIの自動運転が数百件の事故を起こしているじゃないか。違うというなら今年から交通事故は激減するだろ。責任持てよ。

 

そう考えると、今から30年以上前にできたこの洗濯機は電子的なものは少なくほとんどメカニカルだ。、だが全く故障なくVBeltを一回替えただけだ。ヨットから帰ると洗濯槽は汚れ物であふれ上から足で踏みつけるときもあったが、洗濯機はよく耐えた。

PANASONICがNationalだったころの愛妻号だ。メカ的に水位と洗濯物を測定し洗濯物の偏りを自動で直し水量を決める。「メカ的に」が大事だ。だからこそ配線図さえあればほとんどの調整はできる。

洗剤の自動投入とか消費者を馬鹿にした機構もあるが、全体として輝きを失わない筐体、制震鋼板をふんだんに使ったバブル様様(さまさま)の仕様。

掃除機をかけ30年分の埃を吸い出し再びテープで密閉した。テープをしないと洗濯物が引っ掛かり蓋が無理をする。

バブルが来なかったら庶民には決して入手できなかった優れものだ。今のドラム式を見ると悲しい。不便だとわからんのか。あまり洗濯などしないんだろ。腰を曲げて洗濯物を取り出す。そのうち子供が入りミンチになる。

こんな事故は多いじゃないか。どうしたAI。水も洗剤も電気代も食う。どこが省エネだ。メーカーのまやかしデーターではなく本当にどうかを確かめるべきだ。

うちの愛妻号は値段が高く重たく電気を食う。しかし致命的故障をして買い替えるよりはるかに省エネで音が静かだ。僕の子供が死ぬまで娘の愛妻号はある。なぜならNationalには部品があるからだ。PANASONICにはない。

 


低能国の言葉狩り

2018年11月01日 | 社会・経済

別に韓国語ができますと言ってもあまり人は驚かない。日本語に似ている単語が多いとか、文法が同じだとか、韓ドラ見てればわかるようになるとか、バカたちの思い込みは強固で、僕は反論する。じゃあ、話してもらおうか。韓国語でメールくれよ。

出来もせんくせ大きく出るな。痴呆だろ。



それらの例は、無意識に韓国を見下す発言をする人自身が言う言葉。自分をだましている言い草だ。本当は韓国をバカにしている。北は怖い国で、韓国は BTSと韓ドラとタッカルビがあればよい。日本人は多くがそんな人たちだ。

 

そのとき、僕はドイツ語でブログを書いてます、というと心底尊敬のまなざしが返ってくる。

説明は省くが、何語でも他国の言葉を話すのは多くのエネルギーを要する。習得には時間がかかるし、そもそも馬鹿にはできないことだ。

A国の単語がB国の単語といちいち対応しているはずはない。だから言葉のもとになった「言いたいこと」をくみ取り再び「言いたいこと」を再構成するということが翻訳するということで、極めて労力を要する。


方言と標準語との間ですらいえることだ。

 

その点では韓国語と日本語は、関係が近くない。地理的に近いのに言語距離が遠い理由は解明されていない。低能になると何とか共通点を探し歌い踊どれは国際理解と思っている。

日韓は違う存在なのだ。相当の昔から異なる文化であったが故、行動様式、思考様式全般にはるかに距離を置く存在になった。

異なることを認めることに関しては、日本人が農耕民族であるからか、不得意だ。さらには異なることを承知で通商、交流することはなおさらできない。

不安になって同一であることを探す。



逆に韓国人は異なるものを取り入れる能力にたける。騎馬民族として異質なものに触れる経験が多いのか。農耕騎馬は関係ない。

とにかく、すぐ日本語をマスターする。3か月。前例や慣習に固執しない。唯一固執するのおはカネだけだ。これは日本も同じ。

ただ、極めて我が強い。意地や体面を気にする。

 

今両国で盛んに言葉狩りが始まった。


日本は「差別語」という概念をでっちあげ、都合が悪いと別の言葉に置き換え本質を隠した。

♪~~かわいいかわいい魚屋さん 今これをうたうと大変な差別者として糾弾を受ける。行政を脅して金儲けしようという人たちの格好の材料になる。魚屋の「屋」がいかんそうだ。

どこが悪いのか、とお思いの方も多いだろう。僕もそう思う。自動車学校がタダの人たちはそうは思わない。

 

 

韓国は韓国で、「日本語」は植民地支配の名残だということで言葉自体を消そうとしている。なぜ日本語が残ったか。それまで郵便も曜日なかったからだ。存在しないものに固有名詞はない。

「仮処分」「納期」「行き先」「食費」「回覧」「節水」「見積」…など言葉の概念がなかったからだ。日本がもたらしたことは犯罪か。ソウルの100年前の水道管はいまだに健在だ。むしろありがたく保存すべき日本語だ。

消すなら「世界」も「経済」も消せ。みんな日本語だ。


無駄な人、無駄な書類、歴史のねつ造

2018年01月10日 | 社会・経済

渡航用所類を準備していると、どうも今回は戸籍抄本が必要なことがわかった。まったく無駄で提出の意味はないのだがそんなこと外務省や地方の外事課に通じるわけない。

例えば北朝鮮制裁問題において言う。政府の下部組織では、ある許可をするときその許可条件には絶対に理論的に含まれない書類を増やしたり、かと思うとはたまたあるときには、簡素化したり提出を要しない書類に分類したりて公式、非公式の会談に微調整を加える。

はやい話が会議の成り行き次第で相手国の政府や国民に嫌がらせをしたり、便宜を図ったりする。

それが僕みたいな役所をやめた人間にまで、あるときは出迎えがあり運転手付きでホテルまで送るかと思えばあるときはバスになる。とくに自民党の韓国蔑視発言や右翼の活動の高まりはてきめんに敵対行動で対応する。

ま、なんともないけど。

ぼくは、慰安婦問題に関しては右翼が狂喜し左翼が憤死する思想の持ち主だ。

日本兵は弾の出ない銃、腔内爆発をする砲。すなはち動物の背中にまたがり明治の銃、大正の砲で戦った。韓国では、この日本の農民兵が強姦集団だという説がヒステリーを起こして出回っている。

兵が10円の月給を握って40円/1回の朝鮮ぴーを買うなんて夢の夢だ。朝鮮の少女を売春婦に強制したのは日本軍ではない。女衒をやったのは朝鮮業者だ。この時代、女が学校に行ってるはずなかろう。そしたら日本語話せるやつなんていない。

軍は強制してない。31年からは慢性的な戦争状態であった。半島の帝国軍も朝鮮人との関係を良好に保たなければ戦争の遂行の支障になる。村に女刈りに入ったという事実はない。

では強制はなかったか。あった。あった。貧困が強制した。朝鮮も日本も普通の百姓は小作人で普通の小作人は借金があた。売春あっせん業者は何と3000円(旧円)まで立て替えてくれた。少女は逃げようにも逃げられなくするためだ。

街に買い物に行く姿から、バカなネトウヨはこんなに自由だったというが、現在の援助交際と混同するな。少女は親の借金を誠実に返した。

 

あまり読者はいないし、自分のメモにする気もない。何人にかでもゆっくり読んでほしい。

売春婦だった田舎の少女が70年たって、婆になってまでカネを貰い、ために強姦というウソをつき老醜をさらしている。文(大統領、以下文)は法律家として押し寄せる世論の圧力をうまくかわしていると思う。お粗末は日本である。無理難題は韓国が言っている。韓国人でそれが分からない人は相当の低能で学がなくて徴兵を免除された人たちだ。

なぜ日本は勝ち目のある外交で勝てないか。明らかにしたい。

でも世の中は信じられないバカがいて、なんでお前は偉そうに分かったような口を利くんだとかコメントでいう強力で見込みのないバカがいる。

意見だ。異なる意見があるなら論破してみろ。そうすることで民主主義は深まる。

 

でも僕はネトウヨは純情で好きだ。頭が悪いだけをそんなにからかってはいけない。救いようがないのは、ビビンパ紹介ばかりして日韓関係を述べている気になる気違いだ。南北会談でも分析してみろ。

続けます。

 


声に出して読みたくない日本語

2017年11月29日 | 社会・経済

外国語を教えているといつも突き当たるのは日本語の壁だ。

 第三者からよく言われるのは、「日本語には例外やあいまいな点が多くて…」。

例外はどの言語にもある。ギリシャ語は動詞の半分が不規則活用である。しかも、英語みたいに不規則性に「型」というものがあまりない。

日本語で言う。代名詞を例にすると、「ここ、そこ、あこ」とはならない。「ここ、そこ、あそこ」だ。「あそこ」というときだけ「そ」が入る。これには理由もないし規則性もない。語学はつまるところ覚えて慣れるしかない。

じゃあ、覚えのいいものが上達が早いかというとそうでもない。アグネス・チャンがいい例で、いつまでたっても日本語が上達しない。

気の毒だが頭だ。頭が悪いと一つ習ったことを多くに応用しようとしないので疑問がわかない、黙る、すると下手のままだ。

さらには頭が悪いと論理的思考に時間がかかり、あまりながい論理について来られないし並列的な思考はほぼ不可能だ。日本語はまさにその論理的な言語である。合理性はないが論理性はある。ドイツ語と似ている。ドイツ語で、男性三格になぜsが付くか、と言ってもしょうがない。日本語で、用言はなぜ5段も活用するのか、3段でいい、と言ってもしょうがない。言語に合理性が求められたのは、近代以降である。

 

 一方で善人ぶりっ子が、その日本語を弄り回してよい子アピールに利用しようと頑張っている。これも吐き気がして僕の健康を害している。

10月30日 朝日新聞

消火→火を消す  避難所→逃げるところ   というように外人のために表記を改めていく。

〔引用終わり〕

日本人が難しいと考えるところと、外国人がそう考えるところは異なる。「火を消す」という言葉は文章であり日本語を構造的に理解してないと意味がとれない。世界でもまれな「助詞」というものの理解がないと、「火」が何かを「消す」と誤解する。その点「消火」は、単語一つの理解でたりる。

少なくとも漢字圏では消火と言えば漢字を見てわかる。日本語の文の構造まで知らないとわからないような「火を消す」はやめたがいい。火+を+消すの3語の理解がいる。

避難所も同様で、逃げる(連体形)+ところ。この「ところ」が問題だ。ところには、at that time の意味がある。「逃げるところだ」は、「逃げようとしている」と解釈するのが自然だ。

逃げるの終止形と連体形の違いに合わせ、意味が多様な「ところ」を使うといよいよ解釈が分散する。外人の下手な日本語能力ではなおさらだ。

つまり、外人には「避難」よりも活用する「逃げる」という言葉がはるかに理解困難だ。字画が少ない言葉は簡単だと思うのは、その人の頭が簡単にできているからだ。

外国人の不安に寄り添う、なんて良い子ぶるのは本当に吐きそうだ。せっかく食ったものがもったいない。

偽善朝日新聞の喜びそうなことだ。

 

ところが朝日の文化欄は最高で他社と比較すると人間と微生物の差がある。

狐鳴く村の本屋のありし跡今日も降り積むいちょうの落ち葉   杵築市 長野なをみ  朝日歌壇

 


これを書くと必ず勘違いが遠吠えする (九州豪雨)

2017年07月19日 | 社会・経済

豪雨で道路が遮断されているところがまだある。豊かな水田は運動場のような平坦な粘土に変わった。友人の子供たちもボランティアで活躍している。

犯罪被害にあったら、加害者に自力で復讐するとそのこと自体が犯罪になる。ところが自然が相手のとき、今度はそのいけないとされた自力回復が原則となる。

ことは複雑で、今、朝倉地区の合言葉は、火事場泥棒に用心せよ、だ。これはコソ泥ではなく集団で来る暴力的窃盗団だ。ボランティアが水害で流されたアルバムをきれいにしている横で、金目の物をあさっている。

またそのボランティアの中に泥棒は混じっている。下手に注意しようものなら流れ着いた粘土で窒息することになる。でも事件化しない。命のためには、「自分で転びました」というのが正解だ。

警察を張り付けたところでとても手に負えるものではない。これが日本人の現状か。あまりにも悲しすぎる。

本当に日本人か。

腹を減らした無能は何でもする。まさか日本人が、と考える時代は過ぎた。国は、いろいろ名前を変えて統計の項目を増やし、一つ一つの事件は少ないように見せてきた。在日外国人、語学研修生、実習生、不法滞在・・・今や、その犯罪統計すら出さなくなった。

いやまじめな人もいるよ、と気違いは言うが、それがなんだ。安い金で土人を利用しようとして研修などの名目でタダ働きさせている。そのため彼らの犯罪を覆い隠す。不法滞在は野犬の群れだ。不安な日本が出来上がる。分からない人のために言う。これを本末転倒と言います。

彼らはカネが落ちているから拾って何が悪い、程度にしか思わない。

日本は、53位だった。social progress とは社会の進歩ではなく、公平で機会の均等さを言う。日本は何もない国になった。3本の矢が飛び地方が創生し一億総活躍する社会の実態がこれだ。

 

 

 


その昔、JRは国鉄だった

2017年06月17日 | 社会・経済

 

敗戦日本は多少の無理をしても、強引に輸送システムの再構築の必要性に迫られた。あらゆる鉄道は、実に巧妙な米軍の攻撃により機能を失っていた。

国鉄は国家権力とタッグを組み破格の労働条件を提示し優秀な人材を確保しようとした。昭和20年代に鉄筋の官舎、そこにはクーラーがあった。風呂はタダ、仕事は大抵午前中で終わり詰め所で雑談し風呂に入って帰る。本人はおろか家族まで国鉄運賃はタダ。

しかし、それで優秀な人材が集まることは決してない。採用権は現場の職員にあったから地縁血縁で採用された。今はそれに学歴が加わっただけだ。違うというなら幹部の学歴を示せ。

ここはひとつの文化大革命の現場だった。自分を採用してくれた先輩のためなら何でもする紅衛兵がうようよいて、余剰人員がいるという状態ではなく、まれに働く人がいる状態だった。

朝礼はまさに階級闘争の場であった。自浄力のない集団は破滅する。

したがって改札員は神のようにふるまい少しでも反抗的な態度を示すと改札しなかった。貨物も3か月かかろうと届けばよいほうで、届かない、破片が届くが普通だった。

当時の社会党は国鉄労組の代表が幹部だったのでその紅衛兵たちを必死に守り国鉄の赤字は2兆円に達した。だが、その旧態依然とした職場体制こそ彼らの天国であり既得権であった。

 

ちょうどいま、

TWILIGHT EXPRESS 瑞風 MIZUKAZE が出発した。

もしも紅衛兵たちが生き残っていたら、twilight express は、絶対に走ってない。腐れた車両に空気を乗せて走ることを国民の足を守ると称し、赤字を膨らませ日本は破たんしていた。

大阪ー下関を往復して100万円だが、乗るためには300倍の競争率だ。つまり良いものを作らないから買わない、買わないから売れない、だから不況なだけである。まともな商品は300倍の競争率でも人は求める。

列車を移動手段だけに限定しようとした国鉄には隔世の感があるだろう。頭が悪かったから赤字だったのだ。

許せないのは国鉄労働組合の組合員たち。横着にも、乗せてやるといった態度で我が世の春を謳歌した人間たち。出張に行った僕を労働者の敵だと罵倒した人。まだ生きているはずだ。反論せよ。

僕は空気を運んで給料をもらう真似はよせと言った。それからわずか2年して、狂犬は危険なので囲ってまとめて飼うことになった。(国鉄清算事業団)

あとは狂犬が死ぬのを待つのだ。国家予算の20%の赤字は、わが国の成長の足かせとなり、多くの自殺者が出、夢を見た鉄道好きの少年は背中を向けて去った。

 

 


日本に来た中国人が作れば、Made in Japan

2017年05月19日 | 社会・経済

そこらのチンピラ企業が、利益を上げることができなくなり外人をいろんな名目で来日させ使用している。

元来日本では進駐軍以外の外人を目にすることはまれであり、子供のころから外人とアメリカ人は同義であった。

共産党は、反共に固まった中小企業経営者が多いのに、次のような固定概念を変えようとしない。

「政府の庇護をうける財閥系大企業と、下請けとしての存在に呻吟する中小企業。」バカ。

 

マリナに行くとクルーザーの所有者たちと自然と仲良くなる。海の男は助け合わないと事故を起こす。そこで知るのだが、ほとんどが中小企業の経営者たちだ。人物もいるが、概して下品ですべてスケベだ。

そいつらの考えることは安上がり経営だ。中国製が劣悪だという定評は定着したので、中国人を連れてきて日本で作らせ臆面もなく日本製だと言い張る。カネのためには何でもするスケベ経営者には負けたくないので、僕は高いクルーザー維持費に耐えている。

それはオーナー同士の問題で、今絶好のシーズンだからそのうちみんカラに書く。

ここでの問題は、自国よりも高い賃金につられて単純労働をしに来ている支那人たちだ。

ずるいじゃないか。日本は僕たちが働いて作ったのだ。その富をただ食いしやがって。泥棒だろ。

空からクルーザーが降ってくるか。バカ。本当に死ぬ直前まで働いて、考えて知恵を絞り、多方面に気を使い、買えたのだ。

日本語がおぼつかない支那人に自分の子供を預けてみろ。子供は中国語をしゃべりだすぞ。思いやりのない先生から思いやりのある子ができるか。

おまいらが文化大革命で50年100年遅れようと日本は関係ない。幼少期が塗炭の苦しみの連続だったこと、その後も激しい生存競争にさらされたこと…日本は無関係だ。ただその土人が筋金入りの獰猛な人間であることなど、温和なお人よし日本人は分からない。能天気だ。

だから中国人に付随してきた子供にボランティアで日本語を教えることが褒められたりする。

おまいら、一度でいいから支那に行き中国を実感しろ。観光でなく。

自己中心が当たり前の支那人が、おいしい社会保障という果実をただで手に入れる。そんなことが許される日本になっていいか。あ、もうなっているか。

甘い汁を吸うと祖国に帰るのはバカらしくなる。そうだ不法滞在だ。そうして1/3が闇に消える。デリヘル嬢の日本語がたどたどしくなってきた。黒社会が上陸している。

僕は宇宙一支那人が嫌いだ。フイリッピンが介護をするそうだ。インドネシアは庭掃除。タイ人が料理。それが国際化か。僕はそんな日本にするために、死線をさまよいつつも全知全能を傾けて働いてきたのか。

 

 

 


日韓の最低賃金

2016年07月27日 | 社会・経済

韓国

アルバイトしても生活費にもならないゴミです。私の人生なんて。と、国会前でデモする二人。

笑えない。来年はあなたの番だ。

 

<引用>

最低賃金大幅引き上げは口先だけ…時給48円引上げ

2015.07.09 22:05修正 : 2015.07.22 16:2  (hanngyore)

 朴大統領の選挙公約「5年間で40%引き上げ」
 チェ・ギョンファン副首相「内需拡大するためには急速に上げるべき」
 「時給1万ウォン・2桁引き上げ」期待を膨らませて...
 労働界委員退場した中で8.1%上げた6030ウォンに決定              以上

 

要するにお隣の韓国では、最低賃金は48円上がって600円になったそうだ。だがそこらのジャンクフードや花屋の店員がこれだけもらっていることは無い。法定の最低価格を下回る国は東海の小島(竹島)に憤り自分を見失って葦原の国を責めるゆとりは無いはずだ。

時給600円から交通費、20%の税金をひかれると500円/時を切るな。韓国はこれが生活費の一部になっているから悲惨だ。

僕がソウルにいたとき、友人は誰一人僕を自分の家に招待しようとはしなかった。鶏小屋のような不潔な住まいに僕が行くことはないが、自宅に誘うことも出来ない彼らの惨めさはよく理解できた。

悪いがこんな国はいやだと思った。とにかく雇う側が強いのだ。組合もない底辺労働者は、ボンクラで金の計算も出来ない。雇う側も大差ないのに、文句あったらやめろ、出来ないならやめろ、これを客の前で繰り返す。

極貧で病気のお父さんをかかえ、お兄さんは交通事故に会い姉ちゃんは男と出て行った。こんな奴は仕事といえばなんでもする。つまり最低賃金は名目となる。

賃金水準が日本と同じ水準になったときいて驚いた。そんならソウルが東京に、釜山が大阪とそん色なくなったということだな。

 

日本。

アホノミクスで賃金が上がったそうじゃないか。

自慢げにそれを言われて労働者は頭にこないのか?東京で19円アップだそうだ。こうなると20円でも25円でもどうでもいい。20円時給が上がってうれしいか。うれしい奴は奴隷だな。

こうして帽子をかぶってジャンクフードを作り笑顔で売る。毎日続けると自分が販売機械になった気がしないか。19円に喜ぶ社会の将来は、保育所どころではない。結婚が出来ない。年収250万同士がくっついてどうして人類の生活ができるか。

19円だろうが20円だろうがどうでもいいことだ。問題は、様々の補助を加え最終的には時給1500円で働いているのが欧米先進国のすがただ。

そこらのうだつの上がらぬ中小企業は時給1500円要求に悲鳴を上げる。そんならまずオマエのゴルフをやめろ、中州のオネエチャンに貢ぐな、社用車は軽にしろ、十年一日同じことをするのが伝統産業ではない。甘ったれるな。

従業員はかぜを押して出勤するぞ。戦略のある経営プランを示せ。そして、それが出来ない腹の出た臭い親父は会社をたため。給料も払えんで何が経営者だ。

 

韓国が時給が50円上がったときに日本は20円アップだったのだ。今韓国のほうが賃金総額も高い。(OECD統計)