か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

こもりがき 福岡県草野町ツーリング 

2022年02月02日 | 旅行
こもりがき :  来年もよく実るようにとのまじないで、木の先端に一つ二つ取り残しておく柿の実  by GOO辞書



田舎に行くと、ガキの頃を思い出す。僕は、法に反することをいろいろしていた。スピーカーの裏側にある磁石は強力で、当時の50円玉をいきおいよく引き寄せた。磁石に糸をつけて賽銭箱におろすとカチッカチッと50円がくっついた。自転車のダイナモの磁石はさらに強力だ。糸もかけやすい。

善悪の判断はついていた。それが泥棒であり人の道に反することぐらいはわかっていた。

相当の低能か不良でない限り子供でもそれくらいはわかる。

ただ、当時の50円とは今の500円以上だ。実際、今の500円玉より大きい。ケチな親を持ったので、当時のぼくは善悪よりも緊急な必要にせまられていた。

子供の世界ではのけ者にされることがいかに恐ろしいことか。ゼニがなくてはコマも駄菓子も買えない。籤も引けない。



そんな子供だった僕ですらしなかったことがある。

「こもり柿を盗って食う。」それだけはしなかった。

善悪を超えた何か。仲間外れ以上の恐怖。・・・ よくわからないが盗って食ったりしたらとにかく恐ろしい方向に人生が展開していく気がして、こもり柿は盗らなかった。



草野町にツーリング。

おそらく60年ぶりに見たこもり柿。今の子供もとらないようだ。今の子は食おうとも思わないのか。そうだな、きっと。

だあれもいない。音のない世界。日本の田舎、草野。


冬とはそもそも色が少ない。人々はそんな中、昔から何とか工夫して冬でも色がある木々を探してきた。日本の田舎にはそんな工夫がまだ残っている。

ほら、

とか、

日本家屋にしか合わない。

観光地ではないので、落ちた椿もそのままだ。だあれも歩かない。


地面から栄養を吸って光合成をして、それぞれにいろんな色を見せる。

建物も素敵だ。

旧草野銀行に行った。その草野銀行の天井。

代々の家、代々の庭、・・・ 

木々が毎年同じ色の花をつけるように、人々はずっと同じ土地に同じ家に同じ庭を眺めて生きてきた。

なんの不足があるというのか。この暮らしを捨てて獲得したものには、いかほどの価値があるというのか。


(長くなりましたので旧草野銀行、旧草野病院・・・は次回)

柳川  とらや 道 菜の花

2020年02月25日 | 旅行
柳川といえば「うなぎのせいろ蒸し」だ。だが、肝心のウナギの生態はまだよくわかってない。稚魚は成魚と似ても似つかぬ姿をしており、なんでもマリアナ海溝の深海で過ごすらしい。それから延々旅をし柳川の堀割に現れて捕まってせいろ蒸しになっていたのだ。

いまは養殖。それでも完全養殖ではなくマリアナ海溝に行こうとする数センチのシラスを捕まえて養殖する。うなぎは本能を発揮する機会を奪われ長旅は幻になった。

秘伝のたれというが実は酢酸ビニル。利害が絡むと人は黙る。低脳で低級な人たち。

そんなのいいんだろうか。DNAのプログラムに反し、飢えこそしないものの抗生物質や魚粉を食って育つ。薬品をつけて食う。

シラス(稚魚)が減ったのは乱獲のせいだ。ほぼ絶滅させる勢いだ。人はもう少し知恵を出せんものかと思う。田舎では持続可能性とか言ったら「アカ」だと言われる。


それに劣らず残虐なのは柳川特産「柳川鍋」(どぜうなべ)。鍋の真ん中に大きな豆腐をそのまま置き周囲のスープの中でドジョウを泳がせる。

火にかけられた鍋のスープはだんだん温度上昇。ドジョウは熱いのでひんやりした豆腐の中に逃げ込む。しかし、火が回ると結局豆腐の中で死ぬ。

うまい具合に均等に豆腐のなかにドジョウが煮込まれた「柳川鍋」の完成。

ぼくはこれはちょっと度が過ぎていると思う。だんだん火あぶりになるのを楽しんでからそれを食う。野蛮だ。
人は教養がないと儲かることに見境がなくなる。

柳川の庶民の味付けはほんらい淡白だった。塩辛くしておいしさをごまかすのを非常に嫌ってきた。柳川、伝習館高校の南側に梅蘭芳(メイランファン)というちゃんぽん屋がある。機会があれば薄味に工夫を重ねた隠れたちゃんぽんの帝王をご賞味あれ。特にぱりぱり焼きそば大盛りが良い。

柳川という町について話していたらほぼ無尽の話題があるが、本題に戻る。

先ほど述べた伝習館高校の北側に越山(こっさん)という菓子屋がある。ここは有名でこのごろは洋菓子が中心になってきた。

小さな町なのに和菓子屋がたくさんあり、その店独自のモノもあればこの地方独自のモノもある。もちろん定番も。

とらや独自のモノはすでに紹介した。
しっとり感

意外とバターロールがいける。生クリームではなくバタークリームだ。お探しの皆さん、とらやにある。

運がいいと、この地方独特の「おめでとう」(和菓子の名前)にであえる。

ふだん、人間はややこしい関係の中に生きている。素直におめでとうが言えないとき、このお菓子を上げたら言葉より雄弁に語ってくれると思う。今回はなかった。

自分は落ちたが友人が大学に合格した時、その友人に。告白できずにいるその人にほかの彼氏ができたときのそのひとに。口ではとても…。

町では義理チョコとか言って資源を浪費するが、なんと無粋なことか。


千代香(ちよか)もある。
外側は柔らかい。なかは白餡

ぼくは柳川の和菓子をすべて食べたが、とらやは群を抜いていた。価格、上品さ、やさしい職人さん、たゆまぬ創意工夫。外見で判断してはいけない、の典型。

嘉月堂(かげっど)は十数種類の独自の和菓子を持っていた。お殿様御用達でもあっただけに洗練度が抜群で、昨日今日はじめた菓子職人が到底まねできない気品にあふれていた。今はない。ロストテクノロジーだ。永遠に再現できない。

世間は忘れてついには最初っからなかったことになってしまう。

とらやもその危機にある。今行って食って決して幻ではなかったことを知る人が増えなければ、安部政治の下、日本は下品になる。

このシリーズも長くなったが僕としてはずいぶんはしょった。いよいよ最後。
柳川には野生の菜の花が多い

野生は苦い。苦みは人間の感覚で最後に発達するものだ。つまり苦みがわからん奴はガキなんだ。
あく抜き一晩 さすが野性 起き上がる
からし菜と菜の花 一緒に
1メートルより低いところは取らない
犬の小便がかかっている危険性
大正まで続いた箱びな 華美ではないが物がなくても一生懸命作った @中島邸

とらやの裏は、日本の道百選に選ばれた

<おわり>








柳川 さげもん とらや 日本の道百選 そして菜の花

2020年02月23日 | 旅行

夜明け食堂(正しくは「夜明食堂」)の北側にお雛様やさげもんを公開している家があると聞いた。夜明け食堂の陽気な店員さんが教えてくれた。

 

市営の駐車場があるが300円取られる。

日本の常識だろうが、異常だ。この国は高速道路を通るとカネを取り、今度は車を止めただけなのにカネをとる。

もちろんぼくの土地に勝手に車を止めたら射殺するが、市有地は公共の土地なのだ。ぜひカネをとるというなら税金を取るな。国家権力は都合によって私人ぶる。

日本程度のGDPがある国で有料の高速道路がある国なんてない。free wayとは、タダだからfreeなんだろ。たった人口4万の町に有料駐車場か。世界最高の自動車税を取って、100兆円の予算を組める国が、車を止めたらカネを取る。セコい国だな。

 

夜明け食堂の近所に「清柳」というカレー屋さんがあるが、そこでは、「なあに2時間でも3時間でも止めて街を見物してください」といってくれた。夜明け食堂も、「どぞどぞ」。

カレーは1時間以上並んだが、その価値はあったので後日紹介。夜明け食堂から100m。

 

さげもんは、一つの糸に7個、それが7本で49個。49は「始終苦しむ」とゴロが悪いので真ん中い一個で50個だそうだ。

↓実物大うつ伏せの赤ちゃんの人形。さげもんに下げる飾り50個の一つとして、5センチぐらいの赤ちゃん人形がいる。説明してくれたおばあちゃんが、flying babyといった。

さりげなく上等のランプシェード。

帰りに入り口にあったでっかい柳川まり。

さげもんの50個の下がりものの中にもこのまりがある。正確な幾何学模様の刺繍は、触って遊んだらいけない。見て考えるもの。球の等分線の性質、体積と表面積の関係、内接する多面体を考えたのはからけん少年だけではない。下品な家庭では物事をゆっくり考える癖が育たない。

すべての前提として、時がゆっくり流れていないと世の中は慌てる乞食ばかりになる。

 

市役所の南側に隠れた名店、「とらや」がある。

とらやオリジナルは、桐の花。

とらやの和菓子については次回。


柳川 夜明け茶屋 お雛様 さげもん flying baby 

2020年02月22日 | 旅行

柳川はその昔、柳河と書いていて小学校の名前にもこの「河」の字が残っている。柳河小学校。

このあたり、広く言えば柳川だが沖の端(おきのはた)と柳河に分かれる。

 

柳河

高度経済成長のころ、柳河はひじょうに栄えその時沖の端はただの寒村にすぎなかった。もしも太っ腹の賢い有力者が柳河にいたら今日ほど寂れることはなかった。5件の映画館、都市銀行の支店、500mのmain streetには400軒の商店が並びすべてそろった。人があふれまっすぐ歩くことは困難なほどだった。

やがて、他の町とおなじく自営業者たちは、地域ボスの意向に逆らうことなく思考停止し目先の利益にしがみつきだんだん地盤沈下し商店街は消えた。衰退の原因は、中央資本のポチ=自民党が能率だけを論拠に地方文化破壊をしたからだ。

ところが、一番の被害者=商店主たちは、己を鞭打つご主人様をあがめやがて食いっぱぐれる。定番の自業自得。

 

沖の端

一方で、沖の端は元気だ。今や柳川の中心といってよい。新しい発想で町おこしをし、有史以来の活況を呈している。

自民党による地方切り捨て政策のなか、地方が息を吹き返すことは極めて難しい。

そんな中、創意工夫と伝統という背反するような命題に果敢にチャレンジし成功してきた食堂がある。創業明治22年。まだ西南の役のほとぼりが冷めぬころ夜明け茶屋は産声を上げた。

人は本能的に食っているところを他人から見られるのは嫌だ。小学校の先生は楽しい給食と簡単に言うが、人間の顎関節は話しながら食うようにはできていない。のどに詰まる。

ちょっと、ひそかに、路地の奥にある定食屋。何の変哲もないテーブルとイス。静かに演歌が流れる。何事かうまくいかなかった男がうらぶれて刺身をつまむ。顔見知りの女給がそっとビールを注いでくれる。…そのイメージ通りの店内。

このちょっと入り込んだ感満載の食堂内。

まずは一日目、夜明け定食

舌平目は靴底に似ている。この地方では「くっぞこ」と発音する。江戸時代以来人の移動が少なく閉鎖的な社会であったこの地方には、文字では表せない発音の単語が多く残る。[n]と[ng]音の違いとか、文法でいえば劣等比較、「おろよか」less good など。言語学の人。ちゃんとした体系的な研究論文はまだないので学位論文が書けるよ。

 

くっぞこという高級魚を家庭の味付けでいただける。コリコリした分厚い刺身。毒舌のからけんが自信を持って薦める。食は美にあらず、素材と味付けにある。当たり前だ。

料理の名前は店がつけたものではなく一般の家庭料理での呼称である。

 

この地方の用言の活用

下二段活用が普段の会話にあふれる。時が止まっている。300年ほど。

ね+ん(寝ぬの音便)=寝ない ね=寝ます ぬ=寝る ぬっ(ぬるの音便)+とき=寝る+とき ぬれ+ど=寝ても ね=寝ろ

ね、ね、ぬ、ぬる、ぬれ、ねよ、の下二段 いやな古文の時間を思い出すようなことはここまで。体言についても多くの古語がここの方言には残っている。

 

次の日は海鮮丼。丼が深く腹いっぱいになった。なかなか豪華だ。定食も海鮮丼も1200円ぐらい。ぼくが行くところだから値段は心配ない。ぼくがいままで食った海鮮丼の中で最も新鮮な海鮮丼。

 

お店の中にも「さげもん」があった」。

お店の裏に回ると北島家がある。一般開放されている。無料。そこのおひなさまはすごい。1000体ぐらいある。昔のほうが豊かだったようだ。お武家様でも豪商でもない。普通の庶民のうちだが、そこの子供は幸せだったろう。ここも穏やかな空気だ。

絶対、わが子を殺すなんてこと、あり得ない。聞いただけでも心が砂漠になる。今の時代が子供は不幸だ。

入り口

これはさげもんに登場する、Flying Baby。

説明は明日。お雛様が好きな人、乞うご期待。

 


柳川 さげもん うなぎめし 菜の花 ひな祭り 夜明け食堂 ・・・満喫

2020年02月21日 | 旅行

狙い通りに街は静かだった。外人が消えた。外人を敬遠して日本人はもともと消えている。

柳川とその周辺は、ぼくが日本で一番自信をもって人に勧められる旅行スポットだ。

お堀の向こうが若松屋。定番川下りの終点。川下りは2時間かかるから子供は途中で飽きてくる。

水の汚さでも情緒でも蘇州には負ける。でも日本語が通じるのはいいことだ。

 

めったに旅行しない人ならいざ知らず、しょっちゅう旅に出る人はそうそう旅にお金をかけているわけにもいかない。湯水のようにお金を使える人ならいいけど、旅だからといって興奮して散財する姿は見苦しくもある。

なるべくコスパのいい旅を心掛けているがケチすぎて皆さんの参考にならないかも。

こんな旅の仕方もあると思っていただけたらいいと思う。

 

柳川といえばうなぎのせいろ蒸しだ。本吉屋、若松屋、六騎(ろっきゅ)、菊菱(きくびし)、お花、・・・うなぎ飯を食わせる店は多い。だけど僕には高すぎる。うなぎが獲れなくなったのだ。せいろにうなぎが数切れ乗って5000円はなんかいやな気がする。

羽犬塚(はいぬづか、この地方の発音では「はいんつか」)から久留米に向かって数キロ走ると上原原(かんばらばら)という交差点に出る。左側にうどん屋がある。アナゴのせいろ蒸しとうどんで700円ぐらい。

これ ↓

ぼくは大飯ぐらいだが腹いっぱいになる。アナゴのせいろはうなぎほどの自己主張がなく上品だ。それぐらいの差しかない。なんか負け惜しみのような気分だが僕は700円が良い。食事の後は外れなしのくじを引ける。ぼくは午後ティーが当たった。

 

柳川観光の中心、お花の南側に無料の駐車場と足湯がある。車を止めたぐらいでカネをとるのはおかしい。かんぽの湯の東側。お花は定番なので省略。ローカルな水族館。300円なので僕はパス。有明海独特の魚が見られる。

有明海は固有種だけで20種類の魚類がいる。この海の周辺の人間は太古からほとんど進化してないが、三角貝に至っては三億年進化してない。いずれの生物も進化の必要がなかったから進化してない。幸せすぎることだ。

ヤツメウナギがいるかと思えば目が退化したワラスボというエイリアンのモデルになった魚もいる。鼻と口だけの魚はまさにエイリアン。地元の人はそれを干して食う。(後日詳しく紹介)

 

なぜコロナウイルスが蔓延するか。それは人が吐いた息を吸うからだ。(濃厚接触)中韓人が去ったこの町は人と人との距離が離れている。まばらだ。人が吐いた息を吸うこともない。

ぼくは、筑後のプロバンスで心を休める。

そして菜の花を摘み、

トートバッグいっぱいにして、ゆがいて酢味噌。タダ。

日本の固有種がこの町では元気だ。水辺を好むかやつり草。

<つづく>


去香港旅遊吧 ! Royal Hong Kong Yacht Culb

2016年07月04日 | 旅行

まだまだThe Mandarinについては書き足りない。僕の子供達は幼稚園前から中学生になるまで香港に通っていたことになる。

マンダリンホテル

子供は、あまり旅行やホテルのことなんて覚えていない。ビクトリアパークで蝉を採ったのが面白かったとかいう。ほう。そうか。なかなかイライラさせるなあ。

香港まで行って蝉取りの想い出か。警固公園で出来たじゃないか。1匹50万の蝉になるぞ。

とか思っちゃあいけない。義務だとか言うからやむなく学校に行かせているが、僕の子は行けば行くほど薄汚く笑わない子になっていった。人になじまなくていいじゃないか。おおぜいと遊ぶのが嫌いな子もいる。意地悪な貧乏人と机を並べたくない。・・・これは僕と子供と一致した感情だった。

僕が最高の教養を仕込んでやるから、いやなときは学校なんか行くな。行きたくないときに学校に行ったら病気になる。

何よりも僕の子は可愛かった。いまだにうちの子より可愛い子を見たことがない。そして人生で一番楽しかったことは子育てだ。貧乏を理由にわが子を保育園に毎日捨て子する親がいるが、決してろくな子にはならない。

社会性はバカにまみれることで形成されるのではなく、まみれないことでつくのだ。

正義感が強くイケメンで、まるで僕を30年若くしたような好青年になった。

 

Mandarinがあるチュンワンから二階建て電車でコーズウェイベイあたりにつく。ヨットクラブがある。返還前だったので場違いな支那人がいなく空気が良かった。

ここは残念ながらクラブであるから家が2,3軒建つような会費が必要だが、日本で船に乗っているというと入り口のシーク教徒はだめだといったが奥のレストランにいたBritishが手招きした。

貴族というものは僕らの想像を絶するほど勉強をしている。日本のチンピラコガネモチが資本家になったつもりで自民党の政策をわがことのように唱えるのは極貧の幼少期の裏返しだ。

絵の話になった。日本ではその絵のすばらしさについて薀蓄を語るのが通例だ。ここのBritishというかしたたかなアングロサクソンは、「さあ、あったかなあ」といった。

しかし一枚二枚の絵についてはがたがた言わないがユトリロ、マチス・・・についての全体的把握については際限なく話した。が、聞き手がついて来てないとか興味をなくしていると見るとさっと止めた。僕が一番楽しかったのは、このために香港に行っていいと思うことである。それはBritishの上流階級は決して相手がいい終わるまで話を始めないということ。これはじつにさわやかだった。

グッズを買っていい気分で帰った。

Royal Hong Kong Yacht Club - Home

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! The Mandarin

2016年06月17日 | 旅行

 

ここに泊まると扇をもらう。開くと真っ黒の安っぽい扇だが、真ん中にthe Mandarinの金色のロゴがある。僕は、旅行中は私物は持たない主義だ。着替えはコンビ二で買ってホテルで洗濯しバルコニーにこっそり干せばカラカラに渇く。Yシャツはクリーニングに出すが、ホテルは高い。ふつうのクリーニング店に出す。フロントまで届けてくれる。

小型のセンスは胸のポケットに入り、落としてもそれほど負担感は無い。僕の子供2人を連れて宿泊したときは、ケンカしないようそれぞれにセンスをもらった。

日本のディズニーのHiltonに行ったときはドナルドの小さい人形をもらったが、もらうおまけの豪華さや高価さに意味はない。たとえキーホルダー一個でも、そのホテルでの楽しい想い出をずっと引き伸ばすことができる。

しばらくは、そのおまけを見ることでホテルの快適さを思い出し、日本に帰ってどぶ社会に浸かっていてもバリアを張ることができる。

最初は仕事で行ったが、仕事を辞めてからは家族で行った。まだ香港旅行が高かった時代だ。子供もほとんど大人料金を取られた。

ところが僕はガックリしたのだが、大枚をはたいてやっと決心して旅行しているのに、子供達はホテルが面白いから見物に外出しないという。それもそうだ。子供が大人用の靴やかばんや時計を見て面白いはずがない。

the Mandarinは従業員がよくしつけられている。午後の紅茶をロビーの広いカフェで飲むと、知らぬ間に子供を連れ出し僕たちのゆっくりした時間を確保してくれる。

最初僕は、誘拐されるかあるいは、香港だから食われるのかと心配した。貧乏性だ。さらには、子供がバコバコ Tiramisù(だいたいショートケーキ)を食った時などは、請求が怖かった。the Mandarinは、そんな無粋なことはしない。

ホテルから出ないようにいって僕は泳ぎに行った。コブのいない生活もいいもんだ。もともと子供は外に出たがっていない。といっても近所のホテルのプールで30分程度。

帰ると子供達は、勝手にホテルの床屋に行き、お土産を買い、部屋でテレビを見ていた。小学校低学年や女子の場合は止めたほうがよい。

子供は子供なりの価値基準でこのホテルを気に入り、僕は僕なりに気に入った。

手取り足取り差し出がましく芸を披露する田舎の民宿のようなホテルが増えた。ありがた迷惑だ。ここでは、普段は何にも関心が無いようにしているが、人が助けを必要とするとき完璧な体制をとる。

いわゆる勘所をこころえている。午後の紅茶やコーヒーがなぜ必要かわかった上での提供と、猿真似で提供するのは至福の満足と拷問の開きがある。

the Mandarinは日本人にとっては、良い部屋になると舛添も気絶しそうに高い。それがなんだ。キチンとした服装の人ばかりだ。お里が知れる人は一人もいない。

ここ4,50年で金儲けをして中流にのし上がったつもりの気品を知らないトカゲ顔の人たち。Mandarinに行ってafternoon teaを味わうがいい。Tiramisùはそのトカゲの長い舌で食うだろう。

 

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! The Peninsula Hong Kong 2

2016年05月14日 | 旅行

 

The Peninsula Hong Kong (ペニンシュラ(半島)ホテル)は、もちろんイギリスがアヘン戦争に勝利し、清に割譲させた九龍半島にその名をとっている。

ところがこのペニンシュラは、1941に名前を変更している。その名も東洋ホテル。お分かりの様に第二次大戦中は大日本が接収していた。

4年たらずであるが我が国が占領していた時期もあるのだ。帝国陸軍は捕虜を整列させ九龍駅からペニンシュラ、モンコクまで行進させた。

動物の背中にまたがり明治の銃と大正の砲で戦おうとした島のサルは、あっという間に駆逐される。

アングロサクソンはフランスと130年戦った民族だ。身長160センチあれば大きいほうの田舎の農民兵が、近代戦を知る由もなかった。

アングロサクソン(英国兵)どもは、帝国軍人に対し死ぬより苦しい屈辱を与える。上記の行進を、国を入れ替えまったく同じ姿で行進させる。そして記録する。

つまり、英兵は、ペニンシュラの前を日本兵を行進させた。

農民兵の生き残りが、アジアを白人の手から解放するという白々しい政府のウソに気がつくのは、8月15日のはるか後だった。人口のほとんどを占める中国人は日本に敵対し無数のちょう報員となり帝国の活動を阻害した。

日本兵は、解放者たる自分になぜ逆らうか、皆目わからなかった。

 

 

Star Ferry これは素敵な船だ。対岸の香港島まで10分ぐらいだが一等に乗って眺めのいい席に座ろう。僕は、何回も行ったり来たりした。ペニンシュラのまん前から出ている。

じつは今までは、香港ではなく九龍半島の話だった。

また戻ってきて九龍の話もするが、僕にとって世界最高のホテルがある香港島の話は次回。 

 

 

 

 

 

 

     


去香港旅遊吧 ! The Balcony Peninshula,Star ferry

2016年04月23日 | 旅行

 

Peninshula(ペニンシュラ)は半島という意味だ。その名のごとく九龍半島の突端に位置し道路一本を挟んで海だ。

一階は二階までの吹き抜けであり、長い回廊が囲み二階の位置を示している。玄関入って右の奥の角にBalconyが在り窮屈そうにpf,Vc,Vnがほとんど常時演奏している。今年に限っては改装中。

あまり上手ではないが、二階から音が降りてくるというのは気分がいい。フロントが近くにあって舞い上がった日本人が嬌声を上げていることがよくある。たいていブスで、家出してきたような荷物をゴロゴロ引いている。旅行は手ぶらでないとできないのに。

チンピラが来たらけんかに勝っても家出荷物は取られる。気が合う人と友達になったときも、じつにこのゴロゴロ家出荷物は邪魔くさい。ホテルに預けたら5分で中身をあらされる。掃除婦もグルだ。

ペニンシュラではこんなことは無い。そのための宿泊費だ。が、2,3流ではコソ泥従業員ばかりだ。

僕は二階に上がりそのバルコニーに行き、ちょっと交代してくれないか頼んだことがある。バイオリンの人は張り切っていたのでチェロと代われといった。出来るはずない。チェロは小型弦楽器に較べ弾くのに疲れる。だから休みたかったのだろう。

結局、Vnを弾くことになった。まあだいたい弾けたが、1階の客は誰も聞いてなかった。ペニンシュラバンドは意外にもレベルが高く基本をしっかり叩き込まれた王道を行く演奏だった。ホテルのバルコニーで弾かせて終わるには惜しいかなと思った。

とにかく客は聞いてない。かわいそうだった。僕がバイオリンを戻すとき香港人は微笑んだ。微笑みの意味をしばらく考えたが、こう思っている。「あまり意味もなく笑ったのだな。」

Afternoon Tea Silverware    

 The price is 10 times of Starbucks, but there is value more than 10 times.(銀食器での午後の紅茶。スタバの10倍の価格だ。が、10倍以上の価値がある。)

Sweet roomを見せてもらった。PhotoはNG. 80万ぐらいだがこれにはカラクリがあり、長期逗留者には様々の割引があるのであまり高くない。良い価格だ。80万/dayと宣言することで雑民を排除したいのだ。連泊する豊かな客には値引きをすることで、ホントはがめつい富裕層も満足だ。

常連は1/10に値切る。なかなかのつわものだ。すると福岡の郊外のくされたモーテルに行くよりいいだろ。ただしアホヅラは追い出される。インド人の図体の大きなGuardが追い出す。理由は特に無い。貧相な風体と貧乏臭いその人相がペニンシュラを汚すのだ。低能が克服すべき最大の課題だ。

タイタニックが沈むとき1等船客が優先して救命ボートに乗り、半数程度乗っただけで本船を離れた。3等4等客は、沈む船室の外から鍵をかけられた。

当たり前だ。一等は当時のカネで500ドル、一方雑民は4ドル。当然、船会社は一航海で2500万円(現在に換算)払った客を優先する。

雑民が、周囲のいかにまともな神経を蝕むかは、日本の100キンにいけば分かる。

 

長くなったのでStar Ferryは、次回。

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! The Peninsula Hong Kong

2016年04月12日 | 旅行

The Peninsula Hotels日本からの女性客が多い。日本人も中国人も、旅はお土産を買うためのオマケであり、旅行中は酒に酔った様に嬌声をあげつづける。

ペニンシュラは、イギリス統治時代からずっと、入り口の車寄せにうごめく東洋のサル達を睥睨してきた。一時は島に住む山猿が勢いに任せここを東洋ホテルと改名し内装も下品にしてしまった。

45年の8月からは元の上品な姿に戻り、日本のブスメスザルが来たときを除いては、平穏な日々が続く。

 

the peninsura.港の富の象徴だ。香港人は大人だ。これはイギリス人が良くしつけたからに違いない。ボーイが話しかけることは無いが、こちらが話すと最低限の話を返し、ポイントになるジョークをよく理解する。ウインクや親指を使い静寂を破らないような方法で返す。

地下がまた最高だ。階段を降りた角にご存知、CHOCOLATE SHOP がある。免税店で買ってはいけない。熱で溶け出した朝鮮飴をチョコレートと錯覚している人が多い。ビールと同じくCHOCOLATEはキンキンに冷えているものだ。

日本は最近、どこもリサイクルショップの様に商品を山積するところが増えた。よい店はあらかじめ売れないものは排除している。OUT LETにいくと、よく言って客層が広い、ふつうに言って着るものの無い雑民が田舎から大挙して押し寄せる。まるで中国人だ。

理念の無い中国人どもの爆買い盲流と同じだ。商売人にも理念はなく儲かれば何でもして店はリサイクルショップのCaosになる。

それが日本である。

セーターの店にはせいぜい20着。

それがペニンシュラである。チョコレートの3軒となりはセーター屋だ。なんでもそろうAEONも、たしかにいいだろう。一方で、そろわない贅沢が分かるには年齢と教養がいる。

ホテルの裏は公園になっている。九州には本が読める公園はない。読んでる人もいるだろうが、表面をなでる様に読むから読んだ気になるだけだ。

ただ音がしないのと、気を使って静かにしているときの静けさとは違う。本にあきたらFirst Floorに戻り紅茶を飲もう。

日本では排気ガスにまみれてわざわざ外で紙コップのコーヒーまがいを飲むのがはやるそうだが、かわいそうだ。

2時30分にホテルに戻ろう。3時、ウエイトレスがショートケーキのワゴンを押して来る。ボーイがA4の大きさの黒板を掲げカランカランとりんを鳴らしテーブルをめぐり電話があったことを知らせる。スマホだって?ばか。そりゃ時間の無い商売人のためのものだ。あるいは、Lineで繋がってないと不安な無教養貧乏のためにある。

上流階級は急がない。戦争が起きても、「私の話を最後まで聞きなさい。逃げるのはその後だ。」という。

実際香港は、阿鼻叫喚の坩堝のところもある。しかし、ペニンシュラは僕のためにある。低俗な紅白歌合戦が毎日あっているような日本を離れ、上品さと教養で強いバリアを張ったペニンシュラは僕の宝物である。

弾丸ツアーの人をペニンシュラは嫌う。1 Week以上泊まると80%程度の割引があるので福岡のホテルと変わらない。ただし靴に泥をつけたある県の人が紛れ込むと本人は気づかぬが恥をかく。

short cake 400円 

 

 

 

 

 

 


去香港旅遊吧 ! Royal Hong Kong Yacht Culb

2016年04月01日 | 旅行

一年前、近所のおばあちゃんが来て、僕に尋ねた。「韓国語の勉強を始めようと思うけど、どうしたらいいかい。」、と。「あんた、教えてくれんかい。」。

というので僕は、止めましょう、僕は韓流狂いの貧乏人からカネを巻き上げているだけですよ。ラジオの「まいにち韓国語」、これがすばらしいです、と答えた。

かつて勤めた学校で、英語の先生が「基礎英語」で勉強していたのでバカにする人がいた。大体、バカにする人こそ馬鹿であることが多く、その手の馬鹿はやたらややこしい英文をこれ見よがしに読んでいる。人類には適さない人だ。

そのおばあちゃんはときどき質問に来ていたが、質問のレベルが上がっていくのを見ると学習が向上していることが分かった。

今、おばあちゃんはペラペラになった。女学校の教育を受けられた人だからもともと脳の出来はよかった人だ。僕の言いつけを守り、学ぶ者としての礼節をきちんと守ったから出来たことだ。下心はさすがになかったが、ギャラなしでときどき教えた。

勉強は民主主義ではない。無条件にしろと言われたことをして、するなと言われたことをしない。これに徹するべきだ。何の役にも立たないただ酸素を消費するだけのアホは、自分の存在が資源の浪費であることに気づかないでいる。

広東語も同じだ。

(ヨット競技のスポンサーになる)

イギリスは大人の国だ。1215年、ジョン王に対し王権の制限を約束させた。憲法の原初形態が、このとき成立している。源頼朝のころだ。今その葦原の国が憲法をねじまげ集団安保を可能にした。田舎の4流大の偽物教授を除いては、狂っても安部を支持する人はいない。そもそも、人のケンカを買うために世界中に進出するのは憲法違反だ。これを、憲法違反ではないと自民党は強弁している。

南シナ海に突き出たちいさな半島が、イギリスの出張所であった時代がある。

Since 1849, the Royal Hong Kong Yacht Club has evolved into one of the most recognised and respected yacht clubs in the world. It has one of the largest active memberships of any yacht club in the world and is recognised as “one of the top-10 yacht clubs in the world.”   Offering a comprehensive calendar of events across multiple classes of sailing and paddle sports, the Club has been awarded ‘Best Asian Yacht Club’ and ‘Best Asian Regatta of the Year' multiple times.

evolve  進化する recognise  認める  of any yacht culb・・・ どんなヨット倶楽部のなかでも  comprehensive  すべての  award  たたえる  

僕はイギリスの豪快なジョンブル魂と、繊細な情の機微をとらえたD.H.Lawrenceの融合はこのRoyal Hong Kong Yacht Culbに象徴されている、と思う。

船に乗り、嵐のとき一人ひとりの意見を聞いて多数決で・・・なんてやってたら船は沈む。だが適切な弁舌も必要だ。Culbの人は皆分かっていた。気絶するほど金持ちで、もうカネには飽きた人たちだから「みんカラ」のようにすぐひがみ出す人もいない。

地球上にこれほどの教養とゆとりの世界はなかった。日本のどこに行っても誰と会ってもやや緊張はするが、自分の教養のネタがいつ切れるか、相手は退屈してないか、話の流れを間違ってないかと、心配だったことはない。その後せっせと通った。

教養があまり深くない人だなと分かると、日本では歓迎されることもあるがここでは即座に永遠に相手にされなくなる。

香港の競馬場も同様。それは後日。賭け事が心から嫌いな僕だが競馬場やゴルフ場でも幸せのオーラに包まれた。

Culbで話すのが楽しくもあるのだ。きつかったのは、「何でオマエ、船で来なかったのだ」と言われたときだ。片道、2500万。Culbのネクタイ。日本ではいつもこれを締めていた。↓

 

まだそれほどデジカメのない時代だったので、Clubの様子をアップできない。

 

 

 

 

 


旅をするなら (香港編予告)

2016年03月18日 | 旅行

 

ぼくは香港、とくに返還前、が好きだ。あるとき、まだ九龍城があってアバディーンに日本人が少なく、落馬州(ロウマチョウ)にはまったく日本人がいなかった頃、仕事(出張)で立ち寄った香港が気に入ってしまった。

こんな自由な都市があったのか。驚きだった。

自由と安全は無関係だ。ふつうの人々の中にすら泥棒がいてチンピラもいる。若かった僕は、カンフーに勝つはずはないが、気合で圧倒するんだいう根拠のない空威張りをして香港に乗り込んだ。

それを100回繰り返した。

からけんといえば韓国だと誤解する人がいる。僕の気持ちは韓国なんかにはない。ずっと、Hong Kong Yacht Culbやアバディーンの海岸にある。

パククネクネやアカヒやマスゴミやらであたまがいっぱいになってる人達は同じことをいつまでも言う。だが馬鹿のしつこさはとりえかも知れない。ま、坩堝の中でうごめくがいい。井底の蛙だな。馬鹿の一つ覚えか。ぼくは食傷した。

じつは、僕の関心事が韓国であったことはない。

関心事は常に香港に在った。香港大学の学生の鋭い頭脳、なんでもないことで人を刺す香港マフィアのよく分からない獰猛さ・・・ 乞うご期待。

 

いまは体の動きが悪くなったので危険だ。もう行けなくなった。楽しめるときに楽しまないとチャンスは二度と来ない。この僕ですらもっと遊べばよかったと思う。

満員電車の中ですり減らしているのは、体力ではない。人生だ。

貧乏人には分からないがひがみばかりではいつまでも貧乏だ。

じつは、宝くじよりはるかに高い確率で、貧乏から抜け出す手段がある。教養を積め。マンダリンの午後の紅茶をきちんといすに座って飲む。子供は静かに尋ねる。

「パパ、ケーキもらっていい?」

僕の子供の上品さを見よ。

おまいらの子供は大声を出し、親の許可なしに回転寿司の皿をレーンからかき集めるだろ。そこに貧乏から抜け出す可能性はまったくない。 下品だ。

 

 

 

 

 


柳川さげもん祭り

2016年02月01日 | 旅行

昔住んでいたところや、生まれたところを歩くのはとても穏やかな気分になる。上の写真の山車(だし)は踊りヤマといって各町内がひとつづつ出した。

人が多く元気なところは「どろつくどん」という祭りの名前にもなる特殊な山車がでた。興奮した民衆は各地でケンカをした。子供の僕は大人がサルみたいにひっくり返って殴りあうのが面白かった。

夏の祭りだ。冬は「さげもん」。2月14日から開始だが、すでに町はさげもんでいっぱいだ。客が多くなる前に行くのが得策だ。

名物、うなぎめし。蒸篭(せいろ)で蒸すので、味がしみこむまでどうしても30分はかかる。10メートルの行列でもちゃんぽん屋とはわけが違う。2時間は最低待つだろう。

その「うなぎめし」の老舗は、本吉屋である。どうせ酢酸ビニルのタレだとか、しらけることはいわないで食ってみることだ。

向かいに大松下の飴がある。子供用三輪車で行ったり来たりしたところだ。すべてが家から50メートル以内の箱庭だったが、僕には世界だった。

上記の写真を個室で食うと、5000円だ。車には10000円でガソリン入れてるじゃないか。穴掘って埋めたくなるブスと行けば資源の浪費だが、打てば響く絶妙の会話とともに食えるのならこんな安いものはない。

ぶらぶら見ていた。もうこの年になると誰も僕を知らない。もう何十年もここで商売をしている、さげもんもどろつくどんも頑張ってきました、という声を聞いた。たくさん聞いた。僕とは2世代も3世代も違うのだ。

ところがある眼鏡屋さんの店先のさげもんは、赤ちゃんを一番下にした伝統のさげ方だった。

ほぼ100歳のおばあちゃんがいて、僕のことを聞いてみた。僕は子供のころ、何度かここに遊びに来たそうだ。祭りがにぎわっていたこと、シャッターを下ろした店はなかったこと、僕があまりにもかわいい赤ちゃんなので協和銀行のオネエチャンが抱いて離さなかったこと。とにかく人が多かった。・・・

あたしゃ、からけんさんを柳川始まって以来の秀才とおもっとったよ。なんね、先生にしかならんかったね。・・・人がガックリすることを言うが、明治の学のある女性はスケールが大きい。

ばあちゃんとはまた話そうねといって分かれた。柳川と僕が繋がっている証拠の糸を見つけたようでとてもうれしい。

当時の鞠は、こんな刺繍ではなく、ぐるぐる糸を巻きつけていろんな幾何学模様を描いていった。その模様は、僕を大いに悩ませ、糸の順序や独特の模様が織り成す世界に魅了された。それができる人はもういない。柳川鞠はロストテクノロジーになった。


八千代座

2015年08月16日 | 旅行

八千代座は、明治43年に建築の江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える芝居小屋です。山鹿の商工会が劇場組合を作り、1株30円の株を募って建てたものです。八千代座を設計し、工事監督をしたのは、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎です。建築には素人でしたが、研究熱心で東京の歌舞伎座や各地を見学、さらには上海に渡り洋式工法の長所も取り入れました。     < 八千代座ガイドブックより引用

 

ところが、TVの普及とともに経営は破綻した。(1980年)  再建の機運が高まったとき僕はボランティアとして参加した。

棟梁はやさしかったが、しだいに大事な仕事は回ってこなくなり土壁用の泥をこねることしかさせてもらえなくなった。自分ではそんなに気がきかないほうではないと思っていたが、プロの中に入るとただのお邪魔虫だった。

素人はプロというものを単に「上手な人」ぐらいに考えている。とんでもなかった。下手な大工は生きていけない。つまり大工としては死ぬしかない。その事の成否に己の存在をかける人達がプロなのだ。

僕は言われた。「お前だって100点取ることがあるだろう。しかし、俺たちは一回でも70点を取ればおしまいなのだ。100点をとる必要はないが常に80点以上をとらねばならない。」

僕は邪魔にしかならなかった。八千代座が再建された。(2001年)   寡黙な大工左官の手さばきは、まさに神だった。

本物はひけらかすことなくやさしく言葉に重みがある。

その八千代座がなつかしくなり熊本山鹿に行った。興行のないときじっくり見学するのはどうだろう。奈落は人力で動かしていた。入り口右側の壁の土は、からけんがこねて運んだ壁土だ。塗ってないのであまり意味がない。プロは一回塗るだけでコテの跡をまったく残さなかった。

明治に出来た八千代座は、驚くことに分煙されていた。上の写真、2階の張り出した小部屋にはSmoking roomとあった。

ま、せっかく来たのだから山鹿の料理屋に入り食事した。とくに店の名を書くほどのことではなかったが、ありきたりの材料の料理だったのに不思議に珍しい味がした。

内縁の妹は、桜温泉にも入らず料理を見ても何か不満そうだった。よいよい。若ければ許される。

しかし、いつまでも許されるものではない。

  

久しぶりに山鹿と言う街に来てプロについて考えた。山海の珍味を集めれば誰でもうまいモノが作れる。プロは人参やジャガイモやサトイモや・・・で見事なご馳走を作った。料理のレベルも金額も高かったが、人それぞれに何かのプロであると実感した。

 

八千代座 - Wikipedia

 

 

使い古した姫フォーク(ショートケーキ用カトラリー)まで素敵だ。八千代座は、たかが芝居小屋だが西日本随一の規模だった。それを一地方都市が維持できていた。つまりゆたかであったわけだ。飯塚、日田、大牟田、山鹿、武雄・・・昔日の繁栄を偲んでケーキシリーズを書こうかな。

 

 

 

 

 

 


疑惑の香り

2015年06月14日 | 旅行

平成8年に僕は招かれて「香りの博物館」に行った。知事平松が公費44億を投じて誰が見てもわかる無駄な施設を山中に造った。

もちろんとたんに来館者は途絶え、県は毎年1億円を持ち出した。

バカは限度を知らない。「施設の中身は別府大学に移されたので安心しました」、という能天気がいた。ポイントをつかめないでいるのは、きっとその本人のDNAに異常があるのだ。ポイントは、巨額の県予算を私物化した横領事件だということにある。

その「香りの」施設も建設費が40億とはかかりすぎだ。ともかく匂いを嗅ぎに山奥の頂上までだれが行くと考えたのか。現在どうなっているのかと思い、数日前、僕は行こうとしたが道が消えていた。

話はこうだ。

大分香りの森博物館は、44億円をかけ平成8年に開館したが、その後入場者激減により運営が困難となり、平成16年9月閉館。17年平松学園に2億2千万で売却。(Public Culitual Institution in Oitaより一部抜粋)

このとき知事の平松と平松学園に何らかの関連性を感じなかったらアホだ。きわめて近い一族だ。収益を上げていない施設だから40億で売れなかったのを責めているのではない。しかし、不動産鑑定士が8億相当と結論を出しながら、なぜただ同然で売ってしまったか。

一族経営のひとつ、東明高校にも行った。私学最高の進学校ですと自慢げだったが中身はそうでもない。

県立を落ちればいやでも私立に来る。田舎では公立が私立よりよい学校なのだ。ここで見込みのある者には勉強に燃えさせ高校入試の仕返しをせよとせきたてる。アホはスポーツだ。

文武両道ならぬ文武分業。その他多くの専門学校。

人の弱みに付け込み山に捨てた公金を買い叩く、そのしたたかさ。行き先のない子供をべらぼうな学費で釣る。あくどい。

平松知事は平松学園の施設買収の動きを知らなかったといった。

そう思うと「一村一品運動」も怪しさが増してきた。その代表選手、大山町。

(この右手にその町はある)

平松が知事になった頃その村は水不足に悩んでいた。村民にとっての焦眉の課題は、一村一品ではなく、また梅干でもなく、ましてやハワイに行くことではなく、水、目の前に水がほしかったことである。

平松が知事になる頃、村民は過大な個人負担をして水道を開通させた。つぎからつぎにアドバルーンを打ち上げるのは官僚のくせである。そのたびに大型工事に業者は喜んだが、住民は水道のない原始人の生活をしていた。

年号を見てほしい。平松知事就任とほぼ同時だ。100軒、200軒のための目立たぬ水道工事に彼が尽力した形跡はない。誤った梅干の品種を特産だと強弁し住民は塗炭の苦しみを味わった。

(平松は昭和53年に知事になる、平成14年8月まで)

県の指導で一村一品運動が成功した例はない。村民の自助努力を、自分の功績であるかのように自画自賛してはならぬ。