か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

小学校をなくすな。

2014年12月31日 | 教育

学校が消えていることは以前にも書いた。区切りをつけ、もうこれ以上書かないとも書いた。

でも今日の朝日の記事を見て驚いた。最低官僚の文部が安部の気に入られようと経費削減策を打ち上げた。こともあろうに、いみじくも僕が小学校を減らしてはいけない、と、ブログに書いたのを狙ったように廃校推進策を発表した。

実際は、安倍の選挙勝利を受け「覚えめでたき」を狙ったものだ。まず、朝日の記事から。

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文部科学省は25日、公立小中学校を統廃合する際の基準を約60年ぶりに見直す方針を決めた。小学校で4キロ以内、中学校で6キロ以内としている通学距離に加え、「おおむね1時間」と通学時間も示し、より遠くの学校と統合できるようにする。学級数別に対応例を示し、特に全校6学級未満の場合、統廃合も含めた検討を強く求める。       朝日新聞 2014.12.25

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まず、官僚のごまかし、その① 通学距離は小学校で4キロ以内とあるが、通学バスの中にいる時は歩いていないので通学中ではあるが通学距離には含めないという。そうするとバス停まで出てくるのに4キロ以上ある児童のことをさしていることになる。

ということは通学バスのバス停まで4キロ未満の学校は廃校にするということだ。廃校にしても新しい学校へは4キロ以内の通学というまやかしに該当して、学校はなくなる。

官僚のごまかし、その② おおむね1時間という通学時間。ぼんやりしてると、1時間以上かかるときはバスが迎えに来てあげるよといっているようだ。とんでもない。山奥のあるいは平原の一軒家のその子は、1時間以内で元気に分校に通っている。

だけどその分校を廃止してもバスが来るから一時間以内で新しい学校に行けるよ、という言葉で子供をだましたいのだ。つまり新しい基準によるとその分校も合法的に消滅する。抵抗することは反政府行為であり、政府が安部である以上反抗するものは赤となる。

天神(福岡の中心)の大名小学校が消えて久しい。小学校の先生たちにとってはあこがれだった。しかし自民はつぶした。理由は子供がいないこと。自民党の英断だ。社会党民主党には出来ないことだ。

そんな街中と田舎とは話が違う。消防団が放水をしてアーチを作り、わずか8人の子供を迎えた。午前4時からシートを広げ運動会の場所取りをした。幼稚園も保育園も学童保育もいらない。塾も要らない。大人たちが自分たちのできることを教える。退職した教員はいくらでもいる。もとガキ大将がけんかの弱いいじめられっこにけんかを教える。・・・

老人会も盆踊りも全部小学校でする。文化祭には婦人会も参加する。小学校は卒業しても心のよりどころなのだ。政府は地方の創生を言いつつ地方をつぶしている。

田舎の拠点は小学校だ。拠点をつぶしたらそのムラは滅びる。


すでに小学校の統廃合を加速化しなくても、教育委員会の退職もうろく教育長とその手下どもが、明治政府の情熱を消しつつある。

3.7万校(1955)の小学校は、2.2万校(2010)になった。

現実には低脳低級公務員どもがほめられようとして、規定以上の統廃合を進めている。

たとえば、大分県に三郷小学校がある。そこから10キロ離れて槻木小学校があった。廃校。さらにそこから10キロ以上はなれて毛谷(けや)村分校。ここも廃校。

子供たちの工作の作品や未来の毛谷村を描いた大きな絵が心を痛くした。道路や鉄道や飛行場まであった。

教育に損益を持ち込んで成功した国はない。明治政府はたった一人のためにこの分校を作った。


(写真はことし廃校になった熊本県神尾小学校 歴史をハンマーで叩き潰すことは文明国のすることではない 官僚の曲学阿世こびへつらいの論文を関連情報とする 血も涙もない統計野郎が行政の実体を握ってはならない)





 
 
 
 
 

母は詫びた。こんなに弱い子に産んですみません。

2014年12月27日 | 社会・経済

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佐藤トネさん(さとう・とね=土呂久鉱山公害被害者の会会長)が2日、肺炎で死去、92歳。葬儀は4日に執り行った。

 宮崎県高千穂町にあった旧土呂久鉱山で、戦前から製造されていた亜ヒ酸による慢性ヒ素中毒症の認定患者。1983年に被害者の会3代目会長に就任し、公害闘争の先頭に立った。84年、住友金属鉱山を相手にした損害賠償訴訟の一審で勝訴。90年に最高裁の勧告に基づいて和解した。慢性ヒ素中毒症の認定患者は10月末現在、191人(生存者は47人)。

                                    2014年11月4日朝日新聞デジタル

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土呂久砒素公害事件。このごろは砒素も市民権を得て、和歌山カレー事件や夫愛人殺しに多用されるようになった。戦前から採掘し出したこの鉱山は砒素だけが目的ではなかったが、砒素の粉塵を近隣の山村にばら撒いた。

悪いことにここが海軍鉱山となると、付近のきこりや農民は同時に鉱夫となり、おそれ多くも帝国海軍に反抗することは出来ない。そのまま戦後を迎える。

そうして患者は増え続けた。1967年まで創業し、住民には50万円の口止め料でお茶を濁した会社も消えた。

読者よ。自分でなかったからよかったと思っているだろ。そういう奴はかならず絶望的被害者になる。連帯共闘しないやつは企業の捨石になる。因果応報であり天誅である。

1070年代までは公害反対といえば赤のすることであり市民運動が芽吹き始めた頃でありまだ力を持ってなかった。

今なぜ環境や資源やエネルギーをおおっぴらに論じられると思う。考えろ。おまいらがアカやプロ市民という人達の努力の結晶だ。それがなければ中国のようにPM2.5や砒素や重金属汚染の列島になっていた。

佐藤さんは何回も流産を重ね、やっと生まれた子もすぐ死んだ。会社は因果関係を否定した。ゴマすり学者を動員し、不潔な生活環境、遺伝、風土病説を主張した。

さすがに隠し消れないと見るや、はした金を渡し、脅し、消えた。

佐藤さんは夫に言った。「弱い子を産んですみません」病院からの帰り道だった。6キロの山道の遠さを理解する人は少なくなった。背中に死んだ子をおんぶして。

佐藤さんは気持ちを表に出す人ではなかったが、悔しかっただろう。

僕は恥ずかしい。僕の戦いは十分ではない。雪が消えたら墓前に僕の人生を謝りに行く。そして、もう少しだけどまじめに生きようと思った。

住友はそんな会社じゃなかった。四坂島では最大限の努力をし財閥の中ではいち早く地域との共存も社是として掲げたところで、そのように実践した。

地方のチンピラ企業が殺人企業であることまでは気がつかなかったのか。


八幡市民は、煙突からの煙を「七色の煙、われらが誇り」と歌い市歌にした。だが恩恵ももたらしたので、少しの公害は認めようというのが自民党の流れであり、きれいな空気を取り戻そうとすると「赤」とされヤクザが家に来た。

そんな中で戦ったからこそ現代がある。だから、恥ずかしさを知らす環境保護を言うな。

 

 

 

 

 

 


クルーザー、まだまだ暑くて気違いが出る  8

2014年12月23日 | あそび

北方の寒い地方の人には申し訳ないが、先週まで船の中はサウナの中にいるように暑かった。

このごろは便利になって、無線機もカッコつけて置いてるだけだ。もっぱら携帯でじゅうぶんだし、料理もコンビ二で買ったものをチンするだけだが、なかなかおいしい。

船からゴミが出て港はだんだん浅くなる。プラスチック類は捨てないが、魚のえさになるものはどんどん捨てる。冷蔵庫や自転車も領海の外に行けば文句はなかろう。それどころかバスまで捨てられていたことがある。

良いことだ。漁礁になるのだ。

船の断面はおわんの形をしているので、寝るとゆりかごだ。出かけると油代がかかる。湾内で十分くつろげる。カッコつけて本を読んでいたら酔ってしまい吐いた。自分の船で船長が船酔いで吐くなんてバカだ。

それでも船が、まったく動かないわけではない。釣りのためには十万はかかる。でも、若者にランクル70が人気があると聞いて安心した。省エネだ、燃費だと世の中はうるさい。大きなお世話だ。

ほんとに省エネなら冷暖房は止せ。紙おむつも止めろ。ペットのえさに1万もかけるな。近所は自転車で出かけろ。靴は3世代ではけ。車は軽一台にしろ。家の照明は落とせ。ドラム式洗濯機を使うな。大型テレビは止せ。・・・

もちろんできんだろう。だから他人の大きなお世話もするな。狭い家はすぐ温まるだろうが、僕は冷暖房は客が来たときだけだ。

つまり人それぞれなのであり、他人と自分を同一だと思うな。

あるとき僕が港内に物を捨てるので、僕の船の中にゴミ袋がどっさり入れてあった。ばか。ちゃんと浚渫(しゅんせつ)は定期的にしているから大丈夫なの。弁当の残りだ。人が養殖漁業をしているのがわからんか。

小型の笹舟と僕が呼ぶ貧乏舟に乗るやつにこの手のが多い。30ft以上の人間は頭もよく柔軟で個人を超越した議論ができる。医者と診療点数制度の欺瞞性について冷静に面白く話ができるし、すべてのクルーザーが無税なのはおかしいとか船検(車検のようなもの)が6年なのも異常だ、車はその車検のたびにカネを取られているではないか。とか言うと反論するのは貧乏人か貧乏人予備軍か間違えて金をつかんだ貧乏人たちだ。つまり貧乏人に分からず屋が多い。

クルーザーがその大きさに比例して税を払ったとしても金額的には知れている。そんなことは言ってない。有効だから取れといつ言ったか。公正さを欠くといっている。

ベビーカーみたいな軽を買って減税だと喜ぶバカがいるが、そもそもベビーカーはすべて無税にすべきだ。気絶する報酬を取るやつから取れ。

私大の助手や講師は僕の10倍働いた。看護師は医者の10倍働いて1/100の収入だ。

僕が大学講座なんかで話をすると消費税はプラスだ。つまり大学が僕の労働を購入したということらしい。しかも年末に収入の1/10の戻りがある。

配当収入と、寒さに凍え出勤し昼間のすばらしい時間を温泉にもいけず会社にささげたのが同じ税率とはおかしい。僕は、働かないで所得の高いほうが税額が低い社会に住んでいる。

誰が働くものか。





 


どうも怪しい珊瑚密漁船

2014年12月20日 | 事件事故

また来るぞ。

うちのタケノコはタダで持ってけ。疲れたらうちの山陰で休んでいいぞ。200人も来たら、運が悪いやつだけたまに捕まるだけさ。モノになるまで2000年もかかるタケノコを黙って入って来てごっそり持ってけ。というのが日本だ。

ありがたいものはタダで頂く。こんないい商売はない。

と、お怒りの諸氏も多いと思う。ところが、ことは明白なときこそ疑う必要がある。よく物事を考えない人はある事件に対しカッと熱くなる。僕が一体なんだと関心を向ける頃には、興味はスケートや野球に移っている。新型車でも出れば珊瑚問題なんて遠い過去だ。その新型車が大衆車だから哀しい。

僕は日中双方にトリックを感じた。踊らされたバカは両国にとって実に都合がいい。国内矛盾の解決のためには、とりあえず国民の関心を国境問題にそらすこと。近代国家には常套手段なのだが、これ以上の効果的方法を国はいまだ知らない。

夫婦喧嘩の真っ最中でも、隣がたけのこの窃盗犯で現行犯で捕まれば、それでもなお夫婦喧嘩を続ける人はいない。頭はたけのこでいっぱいだ。夫唱婦随で犯人を憎む。つまり国論は統一する。


① 海上保安庁(以下、海保)が取り締まることの出来ないほど数が多いというのはウソだ。日本の海保はどの海域からも一日半で小笠原につく。20隻あれは全部逃すことなく拿捕できる。船は後ろから小突くように当てるとすぐひっくり返る。

中国船員の拘留場所がないともいった。そんなら刑務所を空けろ。台風の避難場所まで確保してやって、泥棒におい銭とはこのことだ。いっそ海上自衛隊の格好の出番じゃないか。


そうしなかったことに関して思うことがある。そうして単純な国民の怒りを増加させておいて、だからぜーんぶ中国が悪いのよ、と誘導するつもりだったんだろう。おまけに、だから自衛隊法は改正しなくちゃいかんワイ、と。


② 中国側からしても異常なことがある。船団は組織されている。入港国の旗は中央マストに掲げることになっているが、日の丸は一本もない。それどころか中国国旗(五星紅旗)が満開だ。偶然のはずはない。燃料代を考えろ。一隻3500万はかかる。食料の調達(6人*200隻*3食*50日=20万食).。航海術。船員に対する統制。給与。台風を避けた見事な操船。それらはとても海岸近くで魚を取る漁民の持つ技ではない。

4ヶ月、2畳足らずのところに5人も6人も生活する。ワッチ(見張り)は地獄の苦しさだ。しかし志気に衰えはなかった。プロだ。おまいらの好きなプロ市民だ。


安倍と習近平は期せずして密漁に利害が一致した。安倍にとっては、国内世論が騒ぎ勝手に反中世論が形成される。習近平は、日本の本気度を探り珊瑚も手にいり、扮装漁船で予行演習も出来た。





 


Merry Christmas (2)

2014年12月15日 | 思想

Cakeの話。僕のうちは、僕を医者にしたかったようだ。学生運動真っ盛りの風潮の中、共産党から反動プチブルと罵られつつ役人を志した。そこで家からの支援は途絶した。

反動とは、明治維新でいうと佐幕派であり幕府の犬ということだ。便所虫から犬といわれてもまったくどうもない。

その後に続く言葉、Bourgeois Petit を略してプチブルという。チンピラ小金もち成金を揶揄しているが、僕はそのプチブルからさえ転落し、とんでもない困窮生活をすることになった。が、いまさら医者になりますともいえぬので、役人になるべく独力するしかなかった。

共産党という井戸のかえるや、ひがみ右翼たちは、頭が悪い上に体系的に学問をしないので墓穴を掘った時代だ。

それまでは、プチブルの僕はクラスで2人しか持たないクルマを持ち夜な夜なGalを物色する生活だった。当時の車は今の小型ジェットに相当した。

父親の希望に反したせいで、僕の夢の生活は瞬時に消え、夜遊びに狂うメス赤貝も潮が引くように去った。

しかし、いやなものはいやだ。右の手で治療をするフリをして、左では確実にカネを巻き上げる。笑顔の良心麻痺にはならない。

くたばってたまるか。僕を支えたのはこの一言だけだ。

まずはケーキ屋でバイトを始めた。1500個から2000個のクリスマスケーキを作る。100個ずつ同時に作る。ケーキごと、蝋燭のサンタさんの横にあるチョコレート板にメリークリスマスと書く。それが難しい。三角形の大きな絞り袋に生地(クリーム)をいれMerry Christmasと書いていく。

家庭用なら何の問題もないが、業務用は、最初の頃は重量により生地が飛び出すのでMerry・・・と書くのが追いつかない。後のほうは生地が「だま」になってスムーズに出なくなり無理すると生地が噴出する。

そこで僕は、生地が詰まると口金をチュチュッと吸って書いていた。僕と間接キスをした人は、福岡に男性も含め2000人はいる。

哀しかったのは帰り道だ。10時を過ぎるとぴたっとケーキは売れなくなる。バイトの時間が終わり自転車に凍えていると、家という家からクリスマスの歌がする。お先真っ暗な気分になった。2年続いた。

くたばってたまるか。

ついには、自転車も盗られ手袋を買うカネもなく、盗んだ軍手でしのいだ。

だけど確信があった。くたばったらもっと悲惨な状況になる。だから、くたばってたまるか。


今しがた韓国の放送が、ある女性(在ソウル)の意見を紹介していた。(以下その女性の発言、要旨)

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私たちは幸せですか。今の私たちの生活を正直に見ましょう。

労働時間1位  労賃最低  労災1位  自殺1位  私教育費1位  低出産1位

こんな数字がなくても分かります。私たちは幸せではない。家計は不安で苦しい。老後やしごとに何の保証もなく、いつ職場を追われるかびくびくしている。子供はいじめにあわないか。

ずっとこんな人生を生きていくのですか。こんな人生を次の世代に残すのですか。

いいえ。私たちの人生はよくならなければならないしその可能性は大いにあります。

私は夢のために戦います。

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くたばってひねくれてしまいそうな僕だったが、まさに今の韓国の若者が信じる夢こそ、僕の「くたばってたまるか」に通じると思う。

魑魅魍魎が闊歩する韓国に対し、そのごみやくずを批判して溜飲を下げるのはたやすく楽しい。しかし、その韓国というパンドラの箱の片隅に、震えながら「HOPE」が息をしている。







  


がんばらない

2014年12月11日 | 社会・経済

 


 


からけん君、がんばらんばいかんぞ(頑張らないといけないよ)。

この言葉をいやというほど聞いてきた。尊敬する人から言われたら、その言葉は僕の正義感への叱咤激励となる。

ところがそういう人格者は、不要不急なとき発言することはない。寡黙である。

一方、お前こそ頑張れよと思うやつが、失礼にも僕を叱咤する。僕の成長に期待してとか、僕が取り残されるのを心配してとか、職場での孤立を何とかしようとしてとか、・・・

何を勘違いしてやがるんだ。管理職は、人が不快になるだけの効果しかない言葉を吐いてはならぬ。


場合が二つある。

場合① 僕の人生において、僕というエンジンは一体何回転まで可能なのか。シャフトが折れてもいいから、踏み込むだけ踏み込んで僕の能力の正体を知るんだ。

もうだめかと思うとき、いやいやそんなはずはない、もういちど、もういちどとChallengeを続けると意外なほど回転数は伸びた。僕は、2年間ではるか夢のまた夢だった資格に合格した。

この季節はいやな季節だ。ケーキ作りのバイトをしていた。それをしながら自動車学校に行き試験勉強をし学校にも通った。だから今でも自動車学校がタダの一部の住民は許せない。

こういう「頑張る」がひとつと、

場合② 言われたことを無自覚にタダひたすら良い子になって従順にこなしていく。頑張る対象の設定にあたり能動的であったか。ここがまじめな人間とポン介との違いだ。いわれたことに無批判な人間は便利なようで結局会社の邪魔に過ぎない。

低脳はここで、誰かがそういう単純作業をしなければならないじゃないか、という。違う。単純作業で中国やベトナムに勝てるか。あほ。


バカでデブでハゲで、何十年も昔の学歴を自慢し、じゃあ今は何をやっていますかと言われると、せいぜい従業員への声かけだ。僕にとっては肥え掛けだ。

人間はこんな昭和の妖怪の言うことを聞くな。頑張るとは人のためにタダ働きを頑張るのではない。

自分の判断で自分を束縛することだ。

自由とは何かと問われてKantは言った。自分が決めた目的に向かって拘束されることだ。(自分の目的が手に入るかどうかはどうでもいい。目的に向かっているかどうかが、自由かどうかの分かれ道だ。いいか。自分が決めた目的だ。)

僕は頑張ってきた。今後も頑張る、が、バカデブハゲの固定した価値観は受け入れない。こいつらは自分が会社を支えているつもりで邪魔しかしていない。バカデブハゲが高い給料を取る。こいつさえいなければどんなに柔軟な対応が取れるだろう。

僕は、死ぬときこう言えるよう頑張る。Es ist Gut.

 

 

 

 

 

 


呉(くれ)女子生徒殺害事件

2014年12月10日 | 裁判

広島県呉市で昨年6月、高等専修学校2年の女子生徒(当時16)が殺害された事件。

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裁判員裁判の判決で、広島地裁は2日、強盗殺人と死体遺棄、監禁の罪に問われた住所不定、無職少年(18)に求刑通り懲役10年を言い渡した。(読売新聞)

強盗殺人、死体遺棄、監禁の罪に問われた無職少女(18)=広島市東区=の裁判員裁判の判決が24日、広島地裁であった。伊藤寿裁判長は「短絡的で身勝手な犯行だ」と述べ、懲役13年(求刑懲役15年)の実刑を言い渡した。(朝日新聞)

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犯行が主導的であったとして、少女に14年、少年に10年の判決だ。僕は二つの論点を示そうと思う。


① 殺された側は何の主張も出来ない。マスコミはこぞって殺された側の写真を載せ、興味本位の人生を送る低俗人間に娯楽を提供する。

なんて非道なやつらだ。家計を助けこんなに頑張ってるまじめな少女を。こんなに残忍な殺し方をして。・・・ と世間に話題を提供し儲ける。

そのために、殺されてなを顔を全国にさらされる苦痛を遺族に与える。一方、犯人の素性はベールに包まれ再犯を援助する。

いやまだ将来があるから、というよく考えず多数に寄り添うアホの声がするが、人の将来を奪っておいて人権とか言うと殺したくなる。

判決にも不満だ。生い立ちが不幸なら人殺しをしても刑が軽くなるというが、そんなら不幸な人は人を殺してもいいのか。

② 量刑について。 殺人罪は、死刑、無期、5年以上と裁判官の選択の余地が広い。

そこで、自首したとか、被害者からの加害行為があったとか、人違いだったとか、過剰防衛が成立しそうだとか・・・軽減方向の要件と同時に、人数、殺し方の残虐性、死ぬまでの時間、証拠隠滅を図ったか、反省の度合い、遺族の処罰感情・・・等の要件も考慮される。

とくに今回は裁判員裁判なので、過去の判例との比較考量で判決が出された可能性が高い。裁判員に専門知識がないのは当たり前で、その知識はにわか勉強で得る。今までの判例と違う判決は決して出ない。

これらを前提として、殺人犯少年の懲役10年を考える。逮捕されてからの10年だ。刑務所ではタダで高校にいける。いじめっ子もいない。今まで学費に苦労していたのにタダで飯もつき服もつき出前もとれテレビもゲームも出来る。

一念発起すれば大学通信教育も可能だ。出所時には、幻の戸籍を作ってもらい大卒として生きる。うその生い立ちを覚えこみ、さあ今度は良い子になって世間をだまそう。

何が10年が反省の時間か。僕が犯人なら出所して遺族を殺す。なぜ減刑嘆願をしなかったか。おかげで2年長く食らったぞ。犯人がどこにいるかは法務省が隠すが、遺族は逃げようがない。

しかも刑のカウントは通常逮捕時からだ。すると10-2=8年。仮釈放が2年あると8-2=6年。最近は、大きな行事をひかえ恩赦も出るだろう。

人殺しが6年で出てくる社会が日本だ。殺人犯は昨日のことのように殺した状況を覚えている。

人を食った熊を撃ち殺すのはなぜだ。まさか人が熊に復讐するはずない。熊が、いかに人が簡単に死ぬか知ったからだ。まさに味を知ったからだ。殺人犯も人殺しのたやすさや愉快さを学習した。


犯人たちは控訴した。これは必要な権利だ。(異論があれば論じる) 結果として刑はたぶん1~2年短くなる。さあ、あと5年で人殺しが町をうろつきいけないドラッグをするか組のパシリか老人詐欺の出し子をする。

こんな危険な前科者にシャバの空気を吸わせてはならぬ。

いやいやまじめに反省して会社員になるんだ。ばか。

家を出るとき注意しろよ。門の横にそいつが隠れている。


写真 大名教会 久留米聖マリア病院内 分からなくなったときに答えをくれるところと僕は信じる

 

 

 


もっと考えろ、分からんなら人に聞け、会社の邪魔をしてカネをもらうな。

2014年12月05日 | 日常

佐賀に出張に行く途中、カメラがあったほうがよかろうと思い途中でMr.Maxに立ち寄った。まだMr.Maxがカメラを扱っていた頃だしFilmカメラの頃だ。

AutoBoyを買って店を出て、グレードが異なるものを買っていたのに気がついた。バカチョンでよかったのだが、朝鮮人と同じではいやなのでカッコつけてCANONにする貧乏根性が災いを招いた。

すぐさま店に戻り(といっても5メーター程度)同じ店員に交換を申し出た。

ここで気違い店員は殺される寸前だということを気がつかないでいた。なんと、交換はだめだと言うのだ。

レシートを示しキャンセルではなく交換だ、といっても、そういう例はございません、の一点張りだった。上司を呼べといってもだめ、周りの店員に言ってもだめ、事務所に行くといってもだめ、・・・ 女だったので殴るわけにもいかない。

あ、全国の皆さん。九州では、とくに福岡、とくに西区では駐車場で伸びてる男をよく見かけるものだ。出張で福岡に来たときの車の運転を見れば分かる。福岡では、筋が通らないことには命がけになる。

最後まで非道な主張を通そうとしたので、カウンターを1メーターぐらい動かした。すると男の店員が平謝りに謝りさっと目的のカメラを買えた。

僕には何の非もない。買って10秒後の交換にも応じないのは、縁日のヤクザのやることだ。融通が利かない。言われないことは何にもしない。単純作業は気違いになってやる。そういう奴をカウンターにおいてはならぬ。駐車場の落ち葉でも集めろ。

店内について言うなら、ゆったりしたフロアー、上品な客層(厳密に比較すればの話だが)、時々とてもやすくて楽しみだ。だがしかし、一般に女の店員特有の意固地な錯乱傾向はいやだ。ブスだ。

まなざしに理性が光る人は、性別に関係なく、柔軟でトラブルの原因把握が早く、処理もポイントをつくし、道理にも法律にもかなった対処をする。

そのすべての逆がバカブスだ。全人類、全生物、全アミノ酸にとって敵だ。

程なく彼女は消えていた。会社の反省会などで許されたはずはない。Mr.Maxはいい会社だ。


その後僕は玄海原子力の視察に行き、説明を聞いた。説明は乳が胸からはみ出したお譲ちゃんがしたので何も覚えてない。これくらいの乳と会えるのだから、カメラなんかでイライラするもんじゃないとつくづく思った。

撮った写真は放射能のせいですべて写っていなかった、かな。