福岡県築上町 「 堂がえり古墳群 ・ 2号墳 」
崩落防止のためサポートで支えている石室内部
鉄柵の間から撮った石室内部
船迫・堂がえり古墳群は、周防灘の海岸線から約5キロメートル、
標高70mの丘陵斜面上に位置し、英彦山山系より周防灘に向かって伸びる
なだらかな洪積台地に東西を囲まれ、北西を京都平野の南端に接する
古墳時代後期~終末期にかけての群集墳である。
2号墳は、1号墳の丘陵下部、南西側に位置し、標高は62.5mである。
直径東西11m×南北13m、不整円形の円墳である。
現状墳丘裾部から墳頂までの高さは2.5mである。
1号墳に比べればやや小ぶりの感がある。
1号墳同様地山整形により構築されたものと考えられるが、
周溝については確認できない。
石室は花崗岩により構築されており、ほぼ南方向に開口している。
本古墳群の中で最も石室の残存状態が良好な古墳で、石室全長は7mである。
複式構造横穴式石室で、玄室平面プランは2m四方の正方形プラン、
前室平面プランは1.5m四方のやはり正方形である。
なお、玄門部は明瞭であるが前門部は羨道との境が不明瞭で、
また框石も見られないことから当初単室構造と考えていたが、
前室とされる部分が羨道部に比べ意識的に広く取られていること、
前室と羨道との境界部分が幅0.8mとやや狭くなっていることから判断して、
やや粗雑な構造の複室構造横穴式石室であると考えられる。
玄室は高さ1mの巨石を2個並べ、それぞれの上端レベルに合わせ、
その上に持ち送り手法で高さ0.5mの石を3つ置き、
さらにその上に高さ0.2mの石を並べてその上に天井石を構架している。
側壁については下から2段目の石材の高さを奥壁1段目の上端レベルに合わせるように
構築し、2段目以降はいわゆる重箱積み技法により目地を通すように構架されている。
前室の側壁1段目石材の上端レベルは奥壁側壁1段目の石材上端レベルにそろえているが、
2段目以降の構築法が玄室側壁が重箱積技法によるのに対し、
下から上へ目地を通さない乱石積技法により構築されている。
玄室高1.7mに対して前室高1.3mと天井石が羨道部に向かって
逆スロープ状に構架されている。
床面には敷石が敷かれていたようだが、玄室同様盗掘時に荒らされたようで、
残存状況はやや不良である。