草の間からしっかりとした石垣が見える
木々が生い茂ったグスク
裏側には大きな岩になっている
グスクの上にある百十踏揚(左)と三津葉多武喜(右)の墓
グスクの近くにある南城市役所 ( 旧・玉城村役場 )
仲栄真グスクは、尚泰久王の四男・八幡加那志(はちまんがなし)が富里に田舎下りして、
仲栄真グスクを増築いたと伝えられる。
このグスクを最初に築いたのは、八幡加那志の叔父にあたる豊見城按司だといわれている。
また、第二尚氏への対抗のための作戦部屋であったのではないかといわれている。
グスク周辺の「主ヌ前殿内」と呼ばれる屋敷跡には、
尚泰久王の長女・百十踏揚と二男の三津葉多武喜が
首里より田舎下りして暮らしたといわれる住居と墓があり、
グスク横には「ムンザナ墓」と呼ばれる古墓が各所にあり、
尚円改革の時に戦死した武将たちの骨が安置されている。
グスク内に城壁の石積みが一部残っているが、
ほとんどは尚真王時代に第一尚氏の復活を恐れて取り壊し、
富里の旧道「ウザファビラ」と玉城城の二の郭の石垣にされたという。
仲栄真グスクへのアクセス
仲栄真グスクへは、国道331号線を県道134号へ右折し、
玉城役場近くの国民運動場に隣接しているので、
玉城役場か国民運動場で検索すればすぐに分かると思います。
また、途中までは安次富や大川グスクと同じルートなので参考にしてもらいたい。
駐車場は、国民運動場の駐車場が利用できる。