「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県耶馬溪町 「 平田城跡 」

2015-06-16 04:20:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )



平田城跡の全景








平田城跡の遠望







下から見た平田城跡







平田城跡の入り口の案内板






平田城跡の入り口の案内板と説明板







入口に設けられた有害鳥獣のフェンス







平田城跡の曲輪図







城内から眺め下ろした平田集落














黒田時代の石垣







場内にある路標







主郭に通じる石段







頂部にある主郭広場







主郭広場にある忠霊塔







平田城跡から見る対岸の立留りの景





対岸の道を走る度に「行こう行こう」と思いながら行きそびれていた平田城跡。
先日その城にやっと行って来た。


平田城は、山国川左岸にある小高い丘に築かれており、
丁度山国川に架かる馬渓橋を渡った正面の丘になる。

登城口前に平田城の案内板がある。
ここから舗装された坂道を少し登ると左手に登る道へと進むと、
小さな曲輪跡を経て神社の境内になっている本の丸へと登る。

平田城は、神社境内となっている主郭部と登って来た舗装道を隔てて
北側の丘にも曲輪を配置した一城別郭式の縄張りと云える城である。
但し、城の遺構はわずかに黒田時代の石積みは見られるものの、
ほとんど消滅しており、曲輪の形跡しか残っていないのが現状である。


平田城は、建久年間に野仲重房が築城したもので、
重房は、豊前守護宇都宮信房の弟で野仲郷を領して野仲氏を名乗った。
建久9年、重房は耶馬溪町津民に長岩城を築いて移り、
平田城には平田掃部介を城番とした。

天正16年、中津城主となった黒田如水・長政父子に対して、
豊前の諸氏が反旗を翻した。
この時、長岩城主野仲鎮兼も黒田氏によって攻められ滅亡し、
この平田城もこの時に落城した。

黒田氏は、野仲氏の残党蜂起に備えて栗山備後を城主とした。
この備後の子が、後に黒田氏の国家老となり、
黒田騒動の引き起こした栗山大膳である。

その黒田騒動の立役者、栗山大膳が少年期を過ごした城である。



ゆいレールメッセージ 「 リトハク ( 離島博覧会 ) 」

2015-06-16 04:19:41 | 沖縄





























ゆいレールの車体にデザインされた 「 リトハク 」 。
リトハク・・・「 はて? なんぞや ? 」 って思ってしまう。
なんでも離島博覧会の略らしい。

島の魅力はなんといっても、
飛行機か船でなければ行けない場所だから、
その先に見える島がどんな島か興味が湧いてくる。

未だ見ぬ世界と言ったら大袈裟かもしれないが、
そんな魅力が島には満ち溢れている。
だから島にあこがれ、島を目指すわけである。

これまで小さな島を除いてほとんどの島に渡ったが、
鳩間島や黒島、そして与那国島などは未だ未踏の島である。
そうそう、北と南の大東島も・・・

イツカ、渡ってみたい島である。



魂が震えた宜保和也の 「 満月の夕 ( ゆうべ ) 」 Kazuya Gibo

2015-06-16 00:00:41 | 音楽 ・ 映画



宜保和也「満月の夕」 Kazuya Gibo Okinawa Japan









戦後の沖縄・・・
打ちひしがれた人の心を和ませ
勇気づけた
小那覇舞天の
「 ヌチヌスージサビラ 」

どうしてエイサーのリズムは
人の魂をこんなにも震わせ
鷲掴みにするのだろうか?

この歌を聴いた瞬間
魂が震え
心を鷲掴みにされた


「 解き放て いのちで笑え 」
この歌詞に凝縮されている気がする


「 ヌチヌスージサビラ ( 命のお祝いをしよう ) 」

舞天がある屋敷を訪問したとき、
家のなかに位牌 ( 亡くなった人の霊をまつるため ) 、
お坊さんに付けてもらった名前を記す木の札があり、
家主は涙を流していました。
家主は舞天に言いました。

 「 どうしてこんな悲しいときに歌うことができるの?
 多くの人が戦争で家族を失ったのに!
 戦争が終わってからまだ何日も経っていないのに、
 位牌の前でどうしてお祝いをしようというのですか? 」

 すると舞天は答えました。
 「 あなたはまだ不幸な顔をして、
死んだ人たちの年を数えて泣き明かしているのか。
生き残った者が生き残った命のお祝いをして元気を取り戻さないと、
亡くなった人たちも浮かばれないし、沖縄も復興できないのではないか。
さあ遊ぼうじゃないか 」 。

その彼の言葉に家主の表情が変わったという。