「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県那覇市首里平良町  「 羽地朝秀 ( はねじちょうしゅう ) の墓 」

2015-06-20 00:02:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



沖縄最初の歴史書を作った「 羽地朝秀の墓 」








墓庭の石碑は薄くなっていたが 「 贈 正五位 羽地朝秀之墓 」 と刻まれている












今年、いろんな場所で石橋、馬場跡、灯台、文化財などを探訪したが、
何よりも探し出せて一番うれしかったのが、この羽地朝秀の墓である。

今まで3年以上、5度目の探訪にして初めて見つけ出した墓である。
これまで、この付近の墓の名前を覚えるくらい巡ったが、
探し出せないので、「 もう、諦めよう 」 と思って、
首里大名町の公民館の前に停めていた車に行って帰り支度をしていたら、
公民館から出て来たおじいさんと会って、
羽地朝秀の墓のことを訊ねたら、「 付いて来なさい 」 と、
墓の入り口まで連れて行ってくれた。

自分一人では何時間かかっても探し出せない場所にその墓はあった。
「 ゆっくり見て行ったらいいさぁ 」 と、言っておじいさんは行ったが、
それは、長年の夢が叶った墓の探訪だった。


羽地朝秀 ( はねじちょうしゅう ) の墓は、
沖縄県那覇市首里平良町の通称チャーギ山にある
琉球王国の摂政・羽地王子朝秀の墓である。
墓様式は亀甲墓の祖型をなす独特の形をしている。

羽地朝秀の墓は、正確には朝秀個人の墓ではなく、
琉球王族・羽地御殿の歴代墓(家族墓)である。
羽地御殿は、小禄御殿二世・尚弘業・浦添王子朝喬の三男・羽地王子朝元を系祖とする
御殿 ( うどぅん、王家分家 ) である。

羽地朝秀の墓は、朝秀の父・朝泰の代に国王から拝領したもので、
当初は堀込墓であったが、後年現在の亀甲墓の形に似た姿に改修されたといわれる。
形は亀甲墓に似ているが、屋根は亀甲形ではなく、かまぼこ形をしており、
亀甲墓に特有の臼 ( ウーシ ) や袖石 ( スディイシ ) といった諸要素も欠いている。

また、亀甲墓に比べて、地面からマユ(眉)と呼ばれる墓室正面の屋根までの高さも高く、
墓口も大きい。
墓室前には庭を囲む袖垣があるが、戦前の写真と比べると、
上部が崩壊したのか高さが低くなっている。
墓口近くの墓庭には 「 贈 正五位 羽地朝秀之墓 」 の文字を刻んだ石碑が
1922(大正11)年に建立されている。


琉球を謡う 宜保和也 「 琉花の種 」 Kazuya Gibo Okinawa

2015-06-20 00:01:41 | 音楽 ・ 映画










宜保和也「琉花の種」 Kazuya Gibo performs "Ryuka no tane" Okinawa Japan







「 悲しいことも
うれしい事も
かき混ぜる 琉花 」




第一尚氏
尚 巴志

尚 泰久

百十踏揚

阿麻和利加那

護佐丸盛春

鬼大城賢勇

第二尚氏
尚 円


蔡温

名護親方程順則

平敷屋朝敏

友寄安乗

宜湾朝保

羽地朝秀

野國總管

儀間真常

仲地紀仁

牧志朝忠

玉城朝薫

吉屋チルー

聞得大君


首里天加那志



琉球の歴史を作ったすべての種よ
琉花となれ・・・





沖縄県那覇市首里大中町 「 羽地朝秀の生家跡 」

2015-06-20 00:00:41 | 沖縄
























羽地朝秀の生家跡は、ゆいレールの儀保駅から徒歩で
8分くらいの那覇市首里大中町1-41にある。

羽地朝秀は、1617年、琉球王族の羽地御殿5世・朝泰の長男として生まれた。
童名・思亀、唐名は向象賢 ( しょう・しょうけん ) 。
ただしこの唐名は、羽地の死後に付けられたものであり、生存中の唐名は呉象賢である。
また名乗りは重家であった。
王家分家の氏が 「 向 」 、名乗り頭が 「 朝 」 に統一されるようになったのは、
1691年以降である。
それゆえ、生存中の本来の名は、呉象賢・羽地按司重家である。号は通外。

1640年、羽地は羽地御殿の家督を継いで、羽地間切の按司地頭となった。
若くして薩摩 ( 現鹿児島県 ) に留学し、数々の学問を修める。

1650年、羽地は王命により『中山世鑑』の編纂を行い、
琉球王国最初の歴史書を完成させた。
1666年、尚質王の摂政となり、数々の改革を断行。
薩摩藩による琉球侵攻以来、疲弊していた国を立て直すのに成功した。
1673年に摂政の地位を退き、1675年に死去した。
のちに、琉球の五偉人に数えられるほど評価が高く、
彼の葬儀には尚貞王も臨席する国葬級の葬儀であったという。
墓所は那覇市首里平良町の羽地朝秀の墓。