「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

大分県日出町大神 ・ 人間魚雷 「 回 天 」

2015-06-29 00:02:41 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣





























































































大分県日出町大神は、かつて特攻兵器の訓練基地があった場所である。
その場所に人間魚雷 「 回 天 」 のレプリカが展示されている。

人間魚雷「回天」は太平洋戦争末期日本の敗戦が濃くなる中、
海軍によって考案され、昭和19年 ( 1944 ) に
山口県の大津島に最初に回天基地が設けられた。
戦局の悪化とともに回天は決戦兵器としての役割が期待され、
乗員の確保が急務となった。
そのような状況下で、昭和20年 ( 1945 ) に大神訓練基地が造られ、
4月25日に「大神突撃隊」が開隊しました。

大神基地で訓練された搭乗員や整備員は、
8月3日に愛媛県西海町に第21突撃隊第11回天隊として配備されが、
出撃することなく8月15日に終戦を迎え解隊した。


「 回天 」 という名称は、特攻部長大森仙太郎少将が、
幕末期の軍艦 「 回天丸 」 から取って命名したものである。
開発に携わった黒木博司中尉は 「 天を回らし戦局を逆転させる 」 という意味で
「 回天 」 という言葉を使っていたとも言われている。

また、秘密保持のため付けられた〇六 ( マルロク ) 、的 ( てき ) との別称もある。

1944年7月に2機の試作機が完成し、同年8月1日に正式採用され、
11月8日に初めて実戦に投入された。
終戦までに420機が生産された。

回天は超大型魚雷 「 九三式三型魚雷 ( 酸素魚雷 ) 」 を転用し、特攻兵器としたものである。
九三式三型魚雷は直径61cm、重量2.8t、炸薬量780kg、
時速48ノットで疾走する無航跡魚雷で、主に駆逐艦に搭載された。

回天はこの酸素魚雷を改造した全長14.7m、直径1m、排水量8tの兵器で、
魚雷の本体に外筒を被せて気蓄タンク ( 酸素 ) の間に一人乗りのスペースを設け、
簡単な操船装置や調整バルブ、襲撃用の潜望鏡を設けた。
炸薬量を1.5tとした場合、最高速度は時速55km/hで23キロメートルの航続力があった。
ハッチは内部から開閉可能であったが、脱出装置はなく、
一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。

よって、決して生きて帰って来ることのない 「 三途の川渡し 」 であった。



沖縄県今帰仁村  「 津屋口墓 ・ 通称 ( アカン墓 ) 」

2015-06-29 00:01:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



沖縄県今帰仁村 「 津屋口墓 」













沖縄では一般に亀甲墓は女性の性器を表したとされ、
死して生まれた場所に戻る。

いわゆる生を受けた場所に戻ることを意味し、形どったと言われている。
そんな入り口である膣に蓋がされている墓は今まであまり見たことがない。

今帰仁村今泊集落に 「 アカン ( 開かん ) 墓 」 と呼ばれる墓がある。
その墓には入り口がなく、塗り込められているので、別名でこう呼ばれている。
正確には 「 津屋口墓 」 、ウチナーグチで 「 ちぇーぐち墓 」 とも言う。

おそらく流行病か、悪霊を防ぐために入り口を塗り固めたと思われるが、
この事についてはあくまでも私感なので、参考にしないでいただきたい。

アカン ( 開かん ) 墓に葬られているのは、
今帰仁監守三世の 「 和賢 」 ( わけん ) である。
墓庭には1678年に建立された 「 墳墓記 」 と記された墓碑がある。

今帰仁監守とは、首里王府から派遣された今帰仁城の管理人で、
一世は首里の玉陵 ( たまうどぅん ) に、
二世と四世から七世までは以前、ブログでも紹介した
運天港近くの大北墓 ( うーにしばか ) に葬られている。

なぜ、三世だけが今泊の津屋口墓に葬られているのだろうか?
しかも墓口は閉じられており、
一人だけ村はずれに葬られたとは、悲しいものである。



大分県中津市耶馬溪町 「 耶馬溪へ・・・ 」

2015-06-29 00:00:41 | 探訪 ・ ドライブ




















ホントは 「 土曜日に 」 と思ったが、
土曜は雨が心配されたので、
昨日、天気が良かったので耶馬溪に行った。

どうしても行きたい場所もあったので・・・

それで昨日は、いろんな場所に行った。
そのへんは随時アップして行きたいと思っているのでお楽しみに・・・