大分県日出町大神は、かつて特攻兵器の訓練基地があった場所である。
その場所に人間魚雷 「 回 天 」 のレプリカが展示されている。
人間魚雷「回天」は太平洋戦争末期日本の敗戦が濃くなる中、
海軍によって考案され、昭和19年 ( 1944 ) に
山口県の大津島に最初に回天基地が設けられた。
戦局の悪化とともに回天は決戦兵器としての役割が期待され、
乗員の確保が急務となった。
そのような状況下で、昭和20年 ( 1945 ) に大神訓練基地が造られ、
4月25日に「大神突撃隊」が開隊しました。
大神基地で訓練された搭乗員や整備員は、
8月3日に愛媛県西海町に第21突撃隊第11回天隊として配備されが、
出撃することなく8月15日に終戦を迎え解隊した。
「 回天 」 という名称は、特攻部長大森仙太郎少将が、
幕末期の軍艦 「 回天丸 」 から取って命名したものである。
開発に携わった黒木博司中尉は 「 天を回らし戦局を逆転させる 」 という意味で
「 回天 」 という言葉を使っていたとも言われている。
また、秘密保持のため付けられた〇六 ( マルロク ) 、的 ( てき ) との別称もある。
1944年7月に2機の試作機が完成し、同年8月1日に正式採用され、
11月8日に初めて実戦に投入された。
終戦までに420機が生産された。
回天は超大型魚雷 「 九三式三型魚雷 ( 酸素魚雷 ) 」 を転用し、特攻兵器としたものである。
九三式三型魚雷は直径61cm、重量2.8t、炸薬量780kg、
時速48ノットで疾走する無航跡魚雷で、主に駆逐艦に搭載された。
回天はこの酸素魚雷を改造した全長14.7m、直径1m、排水量8tの兵器で、
魚雷の本体に外筒を被せて気蓄タンク ( 酸素 ) の間に一人乗りのスペースを設け、
簡単な操船装置や調整バルブ、襲撃用の潜望鏡を設けた。
炸薬量を1.5tとした場合、最高速度は時速55km/hで23キロメートルの航続力があった。
ハッチは内部から開閉可能であったが、脱出装置はなく、
一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず乗員の命はなかった。
よって、決して生きて帰って来ることのない 「 三途の川渡し 」 であった。