「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

たかが蒟蒻、されど蒟蒻 「 丹野のこんにゃく番所 」

2015-06-25 06:11:41 | グルメ
















昨日、朝から最後の田植えをするため、
苗床の苗箱を軽トラに積んで田植えをする田んぼまで運んで、
使う量の苗を配って回った。
その田んぼと苗箱の数は、5町 ( まち ) で約200枚である。
そんな作業は午前中で片付け終えた。

午後からソーラーの敷地内の草に除草剤を撒く予定だったが、
夕方から雨が予測されたので、急きょ土場の草刈りと立ち木を伐採したが、
立ち木にいたっては、枝が電線に引っかからないように、
木の上に登って手鋸で落とさねばならなかった。
ゆらゆら揺れる木の上での作業は緊張の連続だった。

最後はチエンソーで根元から切り倒したが、
昨日は疲れてブログ作りも、ままならなかった。

そんな仕事から帰って来ると
箱に入った 「 創作こんにゃくセット 」 が贈られて来ていた。

東京のこんにゃく屋さんとの付き合いから
毎年、山形県上山市にある丹野のこんにゃく番所の創作蒟蒻が
たくさん送られてくる。

蒟蒻は創意工夫がなされてあって、
ホントに「 たかが蒟蒻 されど蒟蒻 」というキャッチコピーのように、
いつもながらスゴイ蒟蒻だと思わされる。



大分県本耶馬渓町 ・ ふたたびの 「 門前茶屋 ・ のどか 」

2015-06-24 00:02:41 | グルメ


















































前回、はじめて来た時は 「 鍋焼きカレーうどん 」 だったが、
今回は、前回食べようかどうか迷った 「 だご汁 」 にした。

この 「 のどか定食 」 は、だご汁の他に小鉢などが付いて来て800円と
ラッキーな値段である。
そして、その味も味噌がだんごと絡まって絶妙な旨味を出していた。
 「 旨い! 」 のひと言で片付けられる美味しさであった。

そうそう、デザートが付いていることを忘れてレジに行くと、
「 お客さん、デザートがあります。 」 と言って
持って来たアイスが抜群に美味しかった。

また来たいと思って店を後にした。



熊本ワイン ・ 「 菊鹿シャルドネ / せせらぎ 」

2015-06-24 00:01:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒



わざわざ熊本から取り寄せた 「 菊鹿シャルドネ 」








「 せせらぎ 」 の文字に何故か?心がなごむ





熊本ワインや五ヶ瀬ワインを好んで飲んでいるが、
五ヶ瀬ワインのデラウエアではなく、
いつもの熊本ワインの菊鹿シャルドネにした。
だが、樽のワインは今回は在庫がなく 「 せせらぎ 」 の銘柄になり、
味がどうなのかな?って思ったが、
フルーティーで爽やかで美味しいワインだった。

どちらかというと女性向きかも知れないな。



福岡県みやこ町豊津  ・ 花げしき 「 おいもっち 」

2015-06-24 00:00:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子











































































この 「 おいもっち 」 の花げしきさんとは、
かれこれ20年前からの付き合いになる。
豊津郵便局の前で決してキレイとはいえないヌキ板の通路をくぐって
板戸を開けたところに小部屋があり、そこで酒を飲み創作料理を頂いていた。

そのころは、 「 おいもっち 」 などまったく世に出ていない時だったから、
ホントに隠れ家的な存在だった。

料理が斬新で美味しかったので、宴会などで会席料理を何度か頼んだことがある。
店が改装され、今の形になって店で飲むことはなくなったが、
それでも何かの拍子で 「 おいもっち 」 が食べたくなり、
買いに行くことがある。




沖縄慰霊の日に思う 「 ぬちどぅ宝 」

2015-06-23 17:41:41 | 沖縄








今日、6月23日 「 慰霊の日 」 の沖縄全戦没者追悼式で、
自作の平和の詩 「 みるく世 ( ゆ ) がやゆら 」 ( 平和でしょうか ) を朗読した
沖縄県立与勝高校3年の知念 捷 ( まさる ) 君の言葉に涙が出た。


沖縄の海が美しいのは、
そこに眠るたくさんの人びとの魂が
いつも眠っているからだと思う。

今から70年前、雨のように砲弾が降った沖縄戦によって
23万人以上の大切な命が奪われた。
そんな悲しい過去を背負う沖縄に、
「 ぬちどぅ宝 」 という心の原点になる言葉がある。

これからの平和について考えるとき、
そこにはいつも、子どもたちの姿があり、子どもたちの未来がある。
そして、その子どたちの未来は、平和があって初めて成り立つものだと思っている。


これから先、
戦争のない平和な世界であることを願ってやまない。




沖縄県北谷町 「 第二次大戦米軍上陸地モニュメント 」

2015-06-23 00:02:41 | 沖縄



北谷町砂辺海岸にある第二次大戦米軍上陸地モニュメント













KIroroの二人とHYの仲宗根 泉がユニットを組んだ 「 さんご 」 が唄う命のリレー





その上陸は海が真っ黒になるほど、
米軍の艦船でいっぱいだったという。




沖縄県那覇市安里 「 シュガーローフの戦い 」

2015-06-23 00:01:41 | 沖縄



大きな貯水タンクがある丘が 「 シュガーローフ 」








新都心「おもろまち」に位置する







ゆいレール駅の 「 おもろまち 」 から見える
大きな貯水タンクがある丘がシュガーローフである。





嘉数高台の戦いも壮絶だったが、
シュガーローフの戦いはお互い勝負がかかった戦いだった。
シュガーローフの戦いとは、
1945年 ( 昭和20年 ) 5月12日から18日にかけて行われた
沖縄戦における戦いのひとつ。
この地点は日本陸軍の首里防衛線の西端に位置しており、
守備隊の独立混成第44旅団配下の部隊が、
進撃してきたアメリカ第6海兵師団と激戦を繰り広げた。

日本軍は、シュガーローフ、ハーフムーンとアメリカ軍が呼んだ2つの丘と、
ホースシューと呼ばれる背後の馬蹄形の斜面を巧みに連携させた防御陣地を構築し、
アメリカ海兵隊を1週間にわたり撃退しつづけた。
シュガーローフの丘は戦闘が行われた1週間で11回も持ち主を変え、
ハーフムーンに至ってはアメリカ軍に主導権がわたることは一度もなかった。
この戦いで海兵隊側は、2,662名の戦死傷者と、
1,289名の戦闘疲労患者を出したとされる。
日本側の損害については、この戦闘に限った統計がないため明らかではない。

なおシュガーローフ ( Sugarloaf ) とは、
アメリカ海兵隊の目標区域7672G ( 7672ジョージ、または高地2 ) に対し、
1945年 ( 昭和20年 ) 4月14日にウッドハウス中佐が名付けた呼称で、
日本側は同じ丘を安里五二高地と呼称していた。
戦前、地元ではこの丘から慶良間諸島が眺望できることから、
慶良間チージ ( キラマチージ ) と呼んでいた。
シュガーローフとは、アメリカ南部地方の菓子パンであり、
ウッドハウス中佐は、ガダルカナル島における訓練に使用した丘にも、
同じ名を付けている。


「 シュガーローフ 」 の戦闘として有名なこの小さな高地は、
那覇市北東部の再開発地域内に残されている。
戦後長く、米軍居住地域としてアメリカに接収されていたが、
現在では返還されて 「 おもろまち 」 として再開発の途上にある。
日本側に返還された後には一時取り崩される予定であったが、
この激戦の丘を後世に残そうという運動の下、
那覇市も同意して現在に至っている。
周辺は現在も開発が進められ、DFS ( デューティーフリーショッパーズ ) や
総合ショッピングセンターなども建設され、
さらに今後は 「 シュガーローフ 」 横の土地にも高層ビルが建設される予定である。



沖縄慰霊の日 「 月桃の花 」

2015-06-23 00:00:41 | 沖縄














「 月 桃 」


【作詞】  海勢頭 豊
【作曲】  海勢頭 豊


1.月桃ゆれて 花咲けば
  夏のたよりは 南風
  緑は萌える うりずんの
  ふるさとの夏

2.月桃白い花のかんざし
  村のはずれの石垣に
  手に取る人も 今はいない
  ふるさとの夏

3.摩文仁の丘の 祈りの歌に
  夏の真昼は 青い空
  誓いの言葉 今も新たな
  ふるさとの夏

4.海はまぶしい 喜屋武 ( キャン ) の岬に
  寄せくる波は 変わらねど
  変わるはてない 浮世の情け
  ふるさとの夏

5.六月二十三日待たず
  月桃の花 散りました
  長い長い 煙たなびく
  ふるさとの夏

6.香れよ香れ 月桃の花
  永久 ( とわ ) に咲く身の 花心
  変わらぬ命 変わらぬ心
  ふるさとの夏



大分県宇佐市院内町櫛野 ・ 「 櫛野 ( くしの ) 橋 」

2015-06-22 16:41:41 | 大分の石橋
































































所在地 /  大分県宇佐市院内町櫛野 ・ 恵良川
架橋  /  大正12年9月
石工  /  不明
長さ   /  38.9m   幅   /  5.0m
拱矢  /   6.9m   径間  / 24.1m
環厚  /   75㎝   
単一アーチ



櫛野橋は、かつての国道387号線の橋であったが、現在は旧道になっている。
恵良川の谷に架かる橋の下が深みになっているため単一アーチで施工されている。
そのため川幅に合わせた長いスパンで施工されている。
この橋の袂付近には櫛野城跡だったことから、その碑と説明板がある。

櫛野橋へのアクセス
櫛野橋へは、国道387号線を宇佐方面から宇佐別府道路の院内インターを過ぎて
500mほど行った集落の中にある。
駐車は、橋の袂の 「 櫛野城跡 」 近くの広くなった場所に駐車した。

この櫛野橋の手前に院内妙見温泉と 「 わたなべ豆腐 」 がある。


沖縄県八重瀬町安里 ・ 琉球競馬 「 安里馬場跡 」

2015-06-22 00:02:41 | 琉球競馬



かつてここで馬追いが行われていた馬場跡だけが広くなった道路








安里馬場跡がある 「 安里区公民館 」





この安里馬場跡は、米須馬場跡で下水工事をしていた
現場監督さんに教えてもらったものである。

安里馬場跡は具志頭の安里地区にあり、
安里区公民館の前の道路が昔の馬場跡と言われている。
この道路は他の道路と比べて幅が広く、
ひと目でその雰囲気を醸し出していた。

公民館の横と前は広くなっており、
ここで馬追いの準備をしたり、馬を休ませたりしていたと思われる。

馬場の規模や競馬の内容については解らないが、
現在でもお年寄りは 「 ンマウィ~ 」 とこの地を呼んでいるそうである。



大分県耶馬溪町 ・ おばちゃんの店 「 ほのぼの茶屋 」

2015-06-22 00:01:41 | グルメ






















































以前、石橋の探訪でよく立ち寄った耶馬溪町山移にある 「 ほのぼの茶屋 」 。
そんな店に豆腐まんじゅうが食べたくなって寄ってみた。
久し振りなので、杷木の「武田の豆腐まんじゅう」を想像していたら、
なんと帰ってパックリと割ってみたら、中身はアンコだった。
「 えっ! 」 って思ったが、どうやら自分の勘違いだったようだ。

豆腐まんじゅうの中身は 「 おから 」 じゃないと・・・
まぁ、 「 今揚げたてやけん、食べて帰りよ 」 って、
揚げたてのドーナツをサービスでお茶と一緒に頂いた。
ご馳走様でした。

そうそう、他にもかりんとうを買って帰ったが、
ビールと泡盛の当てですぐに無くなってしまった。

今度は近くの温泉に入って帰りたいと思っている。



感慨深い 「 九州自動車道宇佐 I C 付近 」

2015-06-22 00:00:41 | 探訪 ・ ドライブ



この写真の地点を主に工事に携わっていた

































昨日、国東半島の灯台めぐりをした。
いつもは豊後高田からめぐるが、
今回は日出から逆周りで灯台をめぐることにした。
それで高速を使って日出まで行ったのだが、
その宇佐IC付近の現場で工事に携わっていただけに
他の自動車道と比べて思い入れがあり、
自分が工事した道を走ると感慨深いものがある。

あれは忘れもしない寒い雪の降る2月~3月の現場だった。
毎朝、6時過ぎに家を出て現場には夜明け前に着いていた。
帰りも遅く、クタクタになって帰っていたのを思い出す。
そうそう、その工事の期間中に誕生日を迎えたことも・・・
今となっては懐かしい思い出である。



大分県中津市 「 エブリワンでオリオンビール 」

2015-06-21 18:47:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒

































今日は天気が良かったので、灯台の探訪には助かったが、
豊後高田の導流堤では灯台までの往復で疲れた。
その帰りに中津のエブリワン牛神店で
オリオンビールや沖縄をイメージしたパンを買った。

オリオンビールはHYを聴きながら早速飲んだが、
沖縄を感じられていいものである。




沖縄県うるま市安慶名 ・ 五度目の 「 安慶名グスク 」

2015-06-21 00:02:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



安慶名闘牛場の上にある安慶名グスク








安慶名グスクの城門








城門の片側はきれいな石積みになっている












































安慶名グスクは今回で5度目?の探訪である。
おそらく今までで一番多く探訪したグスクだと思う。


今まで安慶名グスクは城門側から内部を探訪して来たが、
こうして全景が見たのは初めてである。
今までは闘牛場の上には木々が生い茂ってグスクの輪郭どころか
石垣すら見ることは出来なかった。
それが、久し振りに闘牛場へ行ってみて、
「 こんなに石垣が築かれていたのか 」 と思うほど、広く高い石垣だった。


参考までに安慶名グスクについて書いておきたい。


安慶名城は14世紀頃、安慶名(大川)按司によって築かれたとされている。
別名、大川(ウーガー)グスクとも呼ばれ、
その名の由来である天瀬川は沖縄本島中部地方の東、
金武湾に注ぐ川を地元では大川と称していた。
その川名が城名や按司名になったようである。

沖縄のグスクは、主として郭が縦または横になった連郭式のグスクがほとんどであるが、
安慶名グスクは唯一の輪郭式のグスクであり、
独立した岩山頂上部の広場を内郭とし、
中腹部を外郭としており、岩山に築かれた階段を登って行くと、
自然岩を刳り貫いた石門が目に入って来る。
思わず「うぉー」っと声が出てしまうような光景である。
この門を潜り抜けると、主郭の広場(二の郭)が広がっている。


安慶名按司は、伊波城主の初代伊覇按司の五男と伝えられる。
城は最初、兼箇段(かねかだん)に築く予定だったが、
安慶名の独立丘の方が条件に適している事から、この地になったという。

落城伝説
勢力を付け、周囲を威圧してきた安慶名按司の勢いは、首里城主の領域までも及び、
そのことを恐れた首里城主は、軍勢を送って安慶名城を攻めさせたが、
要塞堅固な安慶名グスクはそう簡単に陥落せず、
そればかりか優れた安慶名軍の反撃に手を焼いていた。
 ところが、安慶名グスクには水がなく、用水は大川より汲み運んでいた。
その事を知った首里軍は、水路を断つ作戦を敢行し、
ついに難攻不落の城も落城したといわれる。



沖縄限定 「 南国チューハイ 」

2015-06-21 00:01:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







昨日、7時過ぎに会社に行くと、
専務がいきなりビニール袋を 「 ハイ! 」 って差し出したので、
「 ん? 何だろう? 」 って思って覗き込んだら、
缶チューハイが入っていた。
「 なん? 」 って言うと、
「 今エブリワンで沖縄フェアがありよんよ。
それで〇〇さんが沖縄好きやから、買うて来たんよ 」 ってニコやかに言った。

日ごろ缶チューハイは飲まないが、
こうして気にかけてくれると嬉しいものである。

「 中津のエブリワンに行ったらオリオンビールもある。」と言うので、
今日、国東からの帰りにでも買いに行ってみようかな?って思っている。

ひと一倍、沖縄とか 「 沖縄限定 」 というコトバに弱いから ( 笑 )