ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Yesterday Once More

2017-11-07 | 国際恋愛・結婚

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母はゲランのMitsouko(ミツコ)が好みだった。姉の一人はランヴァンのMy Sinを、一人は、ディオールのMiss Diorを、もう一人の姉はシャネルの#5を、常時ほのかにまとっていた。1960年代後半から1970年代後半にかけての話。私は末娘だったから、お風呂で使った石鹸やシャンプーの残り香しかしなかっただろう年代。ずっと後になって、そんな香水が、人ごみの中で、不意に鼻を掠めると、ふんわりと母や姉達を思い出す。

インドネシア人のハッピー(本名)は、リヴゴーシュをよくつけていて、その香りに、世界中を旅していた若かった彼女を思い出す。彼女は結婚することになって、母国へ帰る時、別れを惜しみながら、していた銀のブレスレットをはずして私にくれた。そのブレスレットは、すこし浅黒かった彼女の腕によく似合っていたっけ。

嗅覚もそうだが、聴覚も同じ効果をもたらすようである。夫と私が大学生だった頃、カーラジオからよく流れていたあの頃の流行り歌の数々。モーツアルトが好きな私に、「僕のクラシックは、ビーチボーイズだ」、と言って、45マイル隣の市にある他大学へも、コンサートがあると、私を連れて行ったもんだった。そう言えば、ビーチボーイズに限らず、私達の大学でも、よくポピュラーなバンドや歌手がコンサートを開いていた。デートの定番は映画とコンサート、そして大学図書館での勉強セッション、そんな日々だった。

England Dan & John Ford Coleyは、夫と私の大好きなミュージシャングループの一つ。下のレコードジャケットの右側の人、England Dan こと、Dan Sealsは、8年前にたった61歳で、故人となった。今でも時々、グローサリーストアのバックグラウンド音楽に流れたりするが、それを聞くとたくさんの思い出が溢れてくる。

彼らが大学にやってきて、コンサートを催すと聞いた時は、当時婚約者だった夫はすぐに切符を取ってくれた。曲も好きだし、二人のハーモニーも素敵だったコンサートだったが、観客の歓声でたびたび音楽がかき消されそうになったのだが、夫も”そのひとり”だった。

 

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Kenny Rankinケニー・ランキンは、特に若い層に受けていたということは、なくて、知る人は知るアーティストだった。 彼も69歳で同じく8年前逝去した。彼の音楽歴はおよそ半世紀にも及んだことだろう。ジャンルは、ポップからジャズで、時々ボサノバ調もあった。叫び歌うのではなく、雨の日に聴くと心が落ち着く、シャーリー・ホーンにも似て、そんな耳にも心にも心地のよい音楽だった。

90年代頃から、遅咲きの花のように、テレビのモーニングショウにレギュラー的に出ていたこともあった。彼の音楽を紹介してくれたのは、親友の一人が、あの大きなLPレコードをくれたのだった。そのアルバムの最初から最後の曲まで、心酔した私だったのに、ある夏、引っ越しの時、そのレコードを車の中に置き忘れ、車中の高熱のために無残にも歪めてしまった。嗚呼。 

その後、育児に明け暮れていた頃、今でいうところの、ママ友のステイシーと好きな音楽の話になって、大好きなケニー・ランキンなのに、レコードを歪めてしまったと何気なく話した。数日してから、ステイシー自身知らなかったアーティストだったのに、同じアルバムで、今度はCD版を、タワーレコードで見つけてきて、プレゼントしてくれたのだ。

あのステイシーのやさしさと思いやりは、忘れられない。子供を寝かせる時、音量をうんと下げて、子守歌替わりに聴かせたものだ。今でも特に雨の秋の日、ケニー・ランキンを聴きながら、系図調査作業をする。落ち着くのだ。そしてこの音楽を紹介してくれた親友のMや、ステイシーを思い出す。夫?夫はケニー・ランキンを知らなかったのだ。「誰?ボヘミアン?」と聞かれたくらい。

Kenny Rankin, 永遠に!

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それが、今は、どうだろう。上記二人の音楽家は故人となってしまったから、彼らのコンサートには行けない。どのコンサートに夫婦で行くかと言うと、この地域のフィルハーモニックオーケストラの演奏会である。最初はファーストチェリストが知り合いの教授で、娘のチェロ教師でもあったので、頻繁に行った。 あのヴァイオリンのジョシュア・ベルや、なんとイツァーク・パールマンまで、ここでコンサートを開いたので、私達は勿論聴きに入った。ビーチボーイズがクラッシックだった夫も、付き合ってくれる。ちなみにこのフィルハーモニーオーケストラは、今年日本人女性の指揮者を迎えた。

クラシックを聴いていても、例えば、モーツァルトのピアノコンチェルトNo.21が演奏されると、あのエルヴァイラ・マディガンを思い出す。エルヴァイラ・マディガンとは、スゥエーデン映画の同名の”Elvira Madigan"(邦題は、「みじかくも美しく燃え」)の主人公で、実話を基にした映画である。きれいな映像とアレンジされたこのピアノコンチェルトが素晴らしく、封切られた当初は若過ぎて観ず仕舞いだったが、その宣伝を覚えていたのだ。いつもこの曲を聴くと、その映画を思い出していた。二、三年前、偶然にインターネットで(とうとう)映画を観たが、悲しい顛末で、不倫は、いつでも悲劇だと改めて思った。

そしてBob Dylanの”Stack in the Middle with You”。思い出すのは、子供達。どこが気にいったのか、よくこの曲を聴いては、面白そうに、五人で踊ったり、歌ったりして遊んでいたのだ。渋い、これを耳にすると、遠くに巣立った子供達を思う。みんなもう大人になったけれど、子供達も、あの楽しかった子供時代を忘れてはいまい。

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あなたの思い出にある、あるいは家族の音楽は何でしょう?

 

 

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