ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Apple of My Eye

2017-11-16 | 家族

今朝出がけに、ふと本棚から、古い本を取り出して、ランチタイムに読もうと思った。この本は1976年私の行った大学で編集され、出版された本。姉が買ったのだが、彼女が日本へ帰国した際、貰ったものだ。A distinguished anthology of thought and poetryという、機智に飛んだ名文集・名詩集である。

ランチタイムに、本を広げると、246頁と247頁の間から、ひらりと何かが落ちた。拾い上げてみると、ノートパッドを2枚のハートに切り抜いて、急いで赤くしようとした痕跡。あ!これは。。。末娘がまだ小学生だった頃の「作品」だろうと察しがついた。あの子は、こういうことをよくしていたものだ。末っ子だから、両親・兄姉に可愛がられ、特に母親の私の目のリンゴ(apple of my eye=目に入れても痛くない)。甘やかされて育っても、決してわがままには育たず、誰にでも親切で、多くのよい友人に恵まれ、年上・年下の者たちからも信頼されてきている。今は結婚して雪国の他州に住んでいる。

その2枚のハートが挟まれていた247頁には、A Letter to Mother(母への手紙)という文章があった。それは、ロバートという人が、ある朝なんとも言えなく悲しい気持ちで目覚め、それが何故なのかわからないまま、支度をして出勤するのである。オフィスに着いて、デスク上の通信だの、サインをしなければいけない書類だのを整理していると、一つの思いがだんだん大きくなる。それは、今まで書かなきゃ、書かなきゃと切羽詰まっていたくせに、実際には一筆もしたためていない母への手紙だった。

今が書く時、と決心して、彼はペンを走らせる。手紙に今朝理由が見つからないのに、どれほどの悲しい気持ちで目覚めたかを書き、そして今の今まで、両親に手紙を書かなければならないのに、後に後にと回していた自分を反省し、謝罪した。そして彼が子供の頃から、母親や父親がどれだけの犠牲を払い、自分を育て、多くの愛情を自分に注いできたかを決して忘れてはいないと書いた。成長してビジネスに成功して忙しいことを口実に、恩返しも、きちんとお礼も言っていないことを詫びた。そして、自分がどれほど両親を愛しているかを書いた。

その手紙を封筒に入れ、秘書に投函してもらうように立ち上がると同時に、秘書が電報を手に部屋に入ってきた。その電報を彼は開いて読んだ。父親からの電報だった。

「愛する息子:お前のかあさんが、今朝早く息を引き取った。彼女に心臓の疾患があったのは、誰も知らなかった。母さんの最後の言葉は、”とても愛していると、ロバートに伝えて。”だった。」


ランチタイムが終わって、赤い目をしている私を同僚は、どうしたのかと心配したが、「なんだかアレルギーで涙目なの」で済ませた私。そして末娘にテキストを打った。

  

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする