カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

庭梅の花

2012-03-29 21:56:24 | 日常あれこれ

散歩コースの塀越しに庭梅の木が見える家がある。

私が小さかった頃の我が家にも、小さな庭梅が一本あって毎年赤い実をつけていた。

サクランボを小さくしたような色と形をしていて甘い味がした。

小さな木にこれまた小さな梯子を掛けて昇ったまま、梯子の上で食べたものだ。

乱暴に扱いすぎたのかどうかは忘れたが、いつの頃からか枯れてなくなった。

今の家に移ってきた年に近所の人から沢山の庭梅の実をもらった。

食べると幼い時の、あのイメージのままの味が口の中にひろがった。

残りは果実酒にしたら、ちょっと甘すぎる酒が出来てしまった。

そんなこんなで、庭梅には特別の思い入れがあるのだ。

家の前で立ち話的にその話をすると、近所の人が「家に庭梅があるから取り木をして分けてあげますよ」と言う。

1年後もちゃんと覚えていてくれて、鉢に植えた庭梅の取り木が2鉢届けられた。

あれからもう4~5年は経っていると思うが今年も小さな花を沢山咲かせている。

花を見る分には鉢もなかなかいいのだが、実を付けさせるには地植えがよかろうといま庭の適当な場所を探している。

Cimg3318

名前は庭梅でも、幹も花の感じも桜のほうがピッタリな感じだ。

可憐な花が真っ盛りだし、明日あたりささやかに花見の宴でも開いてみるか。

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桜いろいろ

2012-03-27 13:42:45 | 日常あれこれ

近くのスーパーがドラッグストアに変わった。

建物の高さが少し低くなったので、里山が見通せるようになった。

屋根越しに見る緑の山に白っぽいものが点々とちりばめられている。

早咲きの山桜や白蓮なのだと思う。

Cimg3303

先日都合があって公園の桜の咲き具合を見に行ったら山桜がチラホラと咲いていた。

桜と言えばソメイヨシノが代表的だが、一昨年東北の桜を見に行ってからしだれ桜もいいなと思ったものだ。

福島県の三春の滝桜とか、秋田県角館の桜もよかった。

こんなに良いものなのに、なぜ全国にもっと普及しないのかが不思議だ。

去年は近傍の桜を見に行ったが、何としだれ桜が何本も植えられていて花が咲いていた。

開花時期や花の期間が違って長く楽しめるからいろいろな種類を植えればいいのだ。

そうした桜の中でも、一番心を動かされるのはやはり子供の頃から馴染んだ種類だ。

私の場合は山桜である。

昔から行われている4月4日の先祖祭には山桜がお墓の上で咲き誇る。

祖母に連れられて私の母の月命日には必ず墓参したものだ。

その祖母も墓に眠って早30年以上が過ぎた。

山桜は変わらず季節に応じた佇まいで私達を迎えてくれる。

多分たどれば同じ先祖に行き着くのであろうが、まったく見知らぬ顔も多いこの祭。

それでも、この日は見知らぬものも知り合いも一緒に先祖を供養する。

今年も、もうすぐ先祖祭がやってくる。

山桜は変わらず咲いているはずだ。

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晴耕・晴読

2012-03-25 11:45:55 | 本と雑誌

たまたま本屋で手に取った本が3冊。

タイトルが気になって読んでみることにした。

町の図書館のものを借りて読む方が安上がりでいいのだが、図書カードの古い奴が何枚かあって賞味期限が切れるとまずいの使ったのだ。

その内の1冊は「曲がり角の日本語」というやつで、いつの時代でもそうだが、今の若い奴はっていうパターンかと思いきや、年寄りが駄目なんだよっていう新手のパターン。

文科省指導の「正しい」文法の駄目さ加減や、百年後の予測まで頭カッカとオーバーヒート気味に語っている。

Cimg3313

もっと学者同士でガンガンやり合って欲しいと思う。

いつの時代も言葉というやつは、文法などお構いなしに現実の社会の中で生きそして死んでいく。どんな立派な言葉も・・・ああそれってもう死語ですねとなる。

いつの時代も言葉は曲がり角だと言われ続ける宿命にあると私は思うが・・。

さて、もう一冊は「ゾウの時間ネズミの時間」というやつで初版は20年近くも前。

そういえば、あらゆる動物の一生のうちの心拍数や呼吸などは体の大小にかかわらずほぼ等しい、などと聞いたことがあったが・・・出所はここだったのだろう。

我が家の愛猫が死んでまだそれほど日が経っていないが、18歳と10ヶ月間の彼の心拍数と呼吸それに1Kgの体重あたりの消費エネルギーは私がこれから何年後に死ぬか分からない期間とほぼ同じだと言われると、創造主の前では生物みな兄弟だと改めて感じさせられる。

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時間も一様に流れるのではなく、条件はあるがそれぞれの動物に流れる時間は体重の四分の一乗に比例するとか、動物のサイズや形によって時間も相対的に考察する必要があるという。どうもいやはや・・・我が家の猫の「シロ」君が賢かったわけが判ったぞ。彼にしてみれば私なんぞはまだまだ青二才だったのだ。

3冊目は「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という医者が出した一冊。

Cimg3316

理想的な死に方は「癌で死ぬ」ことだとおっしゃる。

何でも楽に死ねるとか。治療をしなければ楽に死ねるのに医者や家族に勧められ、拷問のような苦しみを味わった挙げ句、やっと息を引き取らさせてもらえるのが現状。・・だそうだ。

「自然死のすすめ」を提唱していて、人間ドックなど駄目らしい。

私など先般「前立腺癌」のブラキという療法を受けたばかりで、小線源の内部照射を施している。半減期90日1年で効力は無くなるらしいが、現在バリバリの現役癌治療中の61日目である。

この本にもっと早く出会っていれば考え方が変わっていたかと言えば、答えはノーだ。

早期発見・早期治療まで否定するのは如何なものかという感想をもった。

ただし死に方・死を準備するにおいての処し方というものには大いに共感できた。

ところで、この3冊には共通している点がある。

いずれも800円以下と安いことだ。

でなけりゃ、3冊もまとめて手に取るものか。

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季節感

2012-03-23 09:38:24 | 日常あれこれ

季節が来れば庭の隅でやおら花開く植物がある。

庭中が花一杯に咲き乱れて等というものとは、およそ縁遠い。

ひっそりと単発でそこだけが色づいたり匂ったりという按配である。

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殆ど手を加えることもなく放置されているのに、時期が来たら花を咲かせる。

今時は季節感のない花々が、一年中咲き誇ることも珍しくはない。

年中食べられる野菜も同じで、その作物の旬はいつかとクイズに出るほどだ。

庭の隅で咲いたときしか意識されない花や、時期がこなければ育たない露地の野菜などに本当の季節を教えられてしまう。

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能とマニュアル本

2012-03-21 16:56:04 | 日常あれこれ

謡曲を趣味とした下手の横好き連中が集まって、毎週練習し年に2回ほど発表会を開いている。

練習も楽しいし、発表会も終わった後の懇親会が楽しいので参加率は極めて高い。

謡曲は「能」から楽器や舞の部分を抜いたもので、謡本は能の台本的な体裁をしていて、コレ単独でも楽しめる。

先月・今月と「能」と「狂言」を鑑賞する機会があった。

小さな町で開催されることは希であるが、どうしたわけか2度も我が町の文化会館で開催されたのだ。

20120318152521

先月は新作能の「武蔵伝」今月は喜多流の「羽衣」であったが、いずれもよかった。

携帯でこっそり写真でもと思ったが、仕上がりを見てがっかりした。

実は携帯での撮影はあまり経験がない。たとえばズーム機能などこの写真の失敗のあとマニュアル本を引っ張り出して読んでみて初めて判った。

PCでもデジカメでも特に携帯などマニュアルを見ることは殆どないのが今までの実態。

な~んで基本的なことを省略するようになったのか、。

理由の一つは、説明の用語が理解できず更にその用語の意味を調べる手間を要すること。

いま一つは、字が小さすぎて、持っている老眼鏡の最強のレベルをもってしても見えづらい字が羅列されていること。

そしてこれはついでだが、薄いピンクのバックカラーに赤の文字だったり、薄いブルーの地の色に青の字が使われたりして、非常に見にくい。

なぜこうした見にくい説明書が作られるのか理解に苦しむ。

苦しい故に、その苦しさを回避ための自衛本能が働く。

と、まあ、こうした自分勝手な数々の理由によってマニュアルは概ね一回パラパラと見たら何処かにお蔵入りとなる。

我が町に能の舞台が掛かるのと、マニュアル本の発見率はいい勝負。

ただし、「能」は動きを局限まで制限して表現するが、マニュアル本は局限まで複雑化していると息巻いてみたりしているのは私だけ・・・・か?。

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ブログの再開

2012-03-19 14:45:20 | 日常あれこれ

1月30日の早朝に私のHPの主人公にもなっていた猫の「しろ」君が亡くなった。

3月がくれば、19歳になるはずだったが、暖かい春を迎えられなっかった。

昨日四十九日を迎えてペット霊園に納骨をした。

生きている間は、猫の夢など見たこともなかったが、先日初めて猫の夢を見た。

しかも、台詞を喋ったのだ。人間だって夢の中ではなかなか喋らないものだが・・。

「プリン!」と大きな声で喋ったと、配偶者に言うと、直ぐ近所の店にプリンを買いに走って、霊前にお供えした。

そういえば、頑固に決まった物以外食べなかったのに、亡くなる2~3週間前頃からほんの少しだけなのだが何でも食べていた。

プリンと聞いても、夫婦共々違和感を感じなかった。

猫には吾輩がよく似合うなどと勝手に決めて、始めたHPも主人公の死亡で一応幕を下ろし更新はしないまま、アンタッチャブルならぬ「ニャンタッチャブル」と銘打って記銘塔として残すことにした。

猫以外のカテゴリーのうち、一部はブログにリンクさせて気が向いたら更新したりして使ってみようと思う。

Dv0001

何にでも興味を示す猫で、そういう猫にこっちが興味をもったのが、事の始まりだった。

昨年末から喋る猫を主人公にした物語を書き始めていたが、猫の死亡でちょっと動揺して中断していた。

ボチボチ再開しょうと思って机の前に座ると、猫や自分自身の環境の劇変の前に、フィクションにしろ指先が思案にくれる。

取りかかったのだから、何とか形だけは整えねばと思う。

Cimg3295

3月の彼岸、花梨の古い枝先にも若葉が芽を吹きはじめた。

「しろ」君が一番好きだった春が今年もやってきた。

当ブログは「猫ロビー」から「カンチャン狂騒曲」とタイトル変更して再開する。

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