カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

花の名が会話を中断させる

2018-03-31 11:34:59 | 日常あれこれ
 今の季節はありとあらゆる種類の花が咲き始める。

 が、しかし、なんという名の花かと問われるとモゴモゴとなってしまう。

 綺麗な花を見たり、他を圧する花の咲き方をするものを見たりとか、感動する場面は多い。

 ご丁寧に写真を見せたりすると、「何という花?」という質問が来て、「ウッ!」と答に窮して会話は終わる。

 

 かなり以前に写したものだが名前が分からない。

 何となく「山吹」に似た感じなのだが、下に垂れたやや太めの枝は山吹とは異なっている。

 自分の庭に咲いた花の名前を忘れるので、何年か前の手帳に花の特徴などを、頂いた人の名前と共に調べて記録したことがある。

 その手帳を思いだして、前述の黄色の花を調べてみた。

 「黄梅モドキ」とか「雲南黄梅」と書いていて、(木山城址公園にある黄色で垂れる花)と注釈を付けている。

 多分ネットで調べた後、注釈までつけたのだろう。

 今が見頃の桜も、種類はいろいろありそうで、寒緋桜、河津桜、染井吉野、千原桜、山桜が私の限度である。

 それも咲いている場所と時期から判断しているので当てにはならない。

 

 先日出かけた所で、駐車場の脇に綺麗な桜が二本あった。

 綺麗な桜だと褒めたら、しだれ桜だという話だった。

 枝は皆上向きで垂れていないので、帰りにもう一度よくよく見たらことごとく枝先がカットされている。

 「垂れ桜」の垂れた枝を剪定するという発想がよく理解出来ない。

 考えられるのは、カットすることで枝からわき芽が沢山出て、それが一斉に下に垂れるという想定。

 案外、垂れた枝が駐車場の邪魔になってカットしただけだったりして・・。

 昔から「サクラ切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われているが、切ってもいい桜もあるのだろうか。

 去年植木市で買ってきた「サクランボ」は、桜の一種だろうから切っても大丈夫かと聞いたら、大丈夫だと言う話だった。

 

 「幹の中心からカットして腐食防止の薬剤を塗っておけば大丈夫」と言われたとおりにしたら、沢山横から枝が出た。

 2~3年もすると実が成ると聞いたが、今年は花が咲かなかったのでそれは無理。

 来年辺り花が咲いて実でもなったら、目と口の両方で楽しめるのだが・・・。

 ちなみに、サクランボの種類は聞き忘れた。

 「葉脈の歯応え残す桜餅」

 
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ロビーで目を引いた展示物

2018-03-30 09:36:46 | 本と雑誌
 借りていた本を返しに図書館のある交流会館に行った。

 本は返して、新しい本も借りた。

 だが、それよりもロビーの展示物が珍しかったし、表示要領が意表をついていた。

 

 白い手袋に指の形に詰め物をして、手話のさいの指の形を再現し、あいうえを順に表示してある。

 各種の特徴を捉えた言葉(単語)の組み合わせと、接続詞や細かい表現に基本的あいうえおを用いて、文というか会話が成り立っているのだろう。

 こうして実際の指の形に立体的模型としてズラリと展示されたものは始めて見た。

 真っ白の手袋には、手首のあたりに黄色の線があって、ごく普通に見かける軍手である。

 真っ青な時と真っ白な手袋、なかなかよく出来ている。

 期間限定ではなく、こうしたものは常設展示して欲しいと思った。

 本もなかなか良かったが・・・。

 
 「六輔五七五」永六輔 2018.1岩波書店

 「俳句で綴る変哲半生記」という小沢正一の句集があるが、想定がまったく同じでなのが気になって読み進むうちに、永年同じ句仲間で一緒に活動していることがわかった。

 
 「萩原朔太郎」の詩集と「わたしたちの猫」文月悠光の詩集

 以前は縁遠かったのに、この頃、わりと詩や短歌・俳句の棚に足が向くようになった。

 手話の展示物に驚きつつ・・・。

 
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桜とソバと音楽と・・・。

2018-03-29 09:38:41 | おでかけ
 桜が最高潮というなら今だろう。

 希望を持たせる3~5分咲、風も無いのにハラハラ散りゆく桜、いやいや葉桜がいいなど、桜は楽しみ方も千差万別。

 個人的には今が好きだ。

 時折吹いてくる緩やかな春風に、思いだしたように数輪がヒラヒラと舞い降りる風情がよろしい。

 

 秋津川の河川敷の桜も、ほぼ90%は道路工事と仮設堤防に挟まれた立ち入り禁止の中で咲き誇っている。

 立ち入りは出来ないし、もちろん手入れもしてないので草は伸び放題である。

 ただ遠くから眺めるにはなかなか長閑でいい。

 

 せめて花見の時期だけと、慌てて枯れ草が刈り取られて立ち入りが出来る50~100mばかりの空間には、平日でも人が集っていた。

 陽気に誘われて、お年寄りや春休みになった子供達が三々五々訪れている。

 私が通りかかったとき、ギターを立て掛けた若者が椅子に座ってソバを食べ始めた。

 回りはみな弁当を食べたりしているので、取り敢えず腹ごしらえをしようというのだろう。

 聴いてみようという気になったのだが、若者の食欲を邪魔するのは悪いと思って通り過ぎることにした。

 そこに年配の夫婦らしき二人連れが通りかかって、「コンサートやるの?」と、ソバを頬張っている若者に訊いた。

 頬張ったソバをあわてて、吞み込みながら「コンサートという程ではありません。好きで歌って皆さんが聴いてくれればいいなという、その程度です」と若者が答えている。

 「私はねえ・・・〇〇の歌が若いときから好きで・・・」などと、女性が話しかけ「その曲できる?」と連れの男性の声が、通り過ぎようとした私にも聞こえてきた。

 私も立ち停まろうかと迷ったが、若者の目の前の食べかけのソバが、何処まで伸びるのだろうと思うと止まれなかった。

 

 暫くすると、遠くから微かにギターの音色が聞こえてきたような気がして振り向いた。

 若者がギターを奏で、年配のふたりがそれに聴き入っていた。

 私も残って聴けば良かったなと思いながらも、譜面台の横の小さな折りたたみテーブル上で、ますます伸びゆくソバが頭から離れなかった。

 「忖度」とか「斟酌」とか「空気」とかの単語が春の風にのって漂うのが、見えたような気がした。

 
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雨水排水設備補修にチャレンジ!

2018-03-28 12:52:44 | 熊本地震
 屋根の雨樋の排水設備が壊れているのを、とうとう穴を掘って確認した以上何らかの処置はしなくてはならない。

 自力で処置することにしたが、接続部の形状はクランク型で、材質は硬質の塩ビが一般的だと思った。

 

 ずれてしまった部分をカットして接続するのが、見た目にも強さでも最良だが、困ったのは修理器具と技術がないこと。

 そこで次善の策は、軟らかい材質で自在に形が変えられ、接続が容易な材料。

 ホームセンターに出かけウロつくこと3時間、さっぱり見つからない。

 専門家ならこれだと思えるものはあるが、素人には加工がそれなりに難しそう。

 建築資材だけではなく、家庭用品(台所・園芸)から文房具はては電気製品の配管工事用品もみて回った。

 代用できるものがあれば、何でもいいという心境である。

 頭を捻った挙げ句、買い求めたのはCDの保管用とかいう半透明の直方体の容器。

 

 つまり管路での配管は諦めて、入口と出口に穴を開けた溜枡方式に切り替えたのだ。

 

 持っている道具からして、配管だのが出来るわけが無い。

 金切鋸・カッター・金切り鋏などで何とかなりそうだと思い作業を始めたら何となくイメージに近くなった。

 

 蓋をして更に接合部付近をビニールで覆った。

 後は掘り返していた土を元に戻し、カットしていた芝生を貼り付けて、一丁上がり!!

 

 テレビ風に言えば、「何と言うことでしょう。匠はたくみに誤魔化してしまったではありませんか!」・・・となる。

 工法など現地で材料を吟味して決める、となれば、ホームセンターはアイディアの生まれる所だ。

 ちなみに、細長いテープが束になって彼方こちらにぶら下がっているので見たら、メジャーだった。

 

 店員に訊いたら「どうぞ、ご自由にお使い下さい」という。

 口径など寸法を測るため、自宅から巻き尺状のメジャーを持参していたが、売り物とソックリなので万引きに間違えられたりしないかと心配していたが、これならちゃんと役にも立つし使い捨てだ。

 やっぱりホームセンターはアイディアの宝庫だったのだ。

 「順調さ大間違いと判るまで」

 

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雨水排水補修に挑戦

2018-03-27 09:34:38 | 熊本地震
 地震の後、敷地内の配管の破損が原因で水道が出なくなったことがある。

 業者が手薄になって、どこも対応が出来ず結局1ヶ月半くらい断水で給水所に水を貰いにいったものだ。

 その際、せめて破損箇所を見つけておいて、業者が来たら迅速に復旧して貰おうと配管の想定箇所の地面を7箇所くらい掘った。

 結局掘った作業は無駄にはならず、その一箇所から地震などに強い可動タイプの配管を新たに引き直して回復した。

 震災後2年が経過しょうとしているが、塀等は隣や町との協力で復旧しその他の不具合箇所はほぼ自力で修復した。

 ただ1箇所、目を瞑って見ない振りしていた庭の一角がある。

 昨日その場所を含めて草取りをしていて、芝生や地面の状態が他とはやはり違って見えるのを見せつけられた。

 とうとう芝生を切り剥がして、土を掘って確認してみることにした。

 
 
  
 南側の3本の雨樋のうち、中央の雨樋の配管が外れて10センチほど西側と北側にズレていた。

 地震で地面が東西に揺れて、東隣の家が塀ごと10センチほど我が家にズレたことは解っている。

 その後、南の家が南北の方向に塀ごと我が家に、これまた10センチほど移動したのだ。

 測量をしたのち、両家との境界を元の位置に戻して、境界の塀を作ったのだがその修正量と配管のズレの幅が見事に一致している。

 近所はみな地面をコンクリートで固めていたので、軟らかい地面は我が家だけだった為に自由に押された通りに反応している。

 地震動は、東西方向に約1~1・5m、南北方向に0.3~0.5mほど動いているので、配管が抜けて移動し更に元の方向に移動しているのだ。

 ある意味、我が家における地震遺構だというわけだ。

 ところがこれを自力で補修するには、方法と材料を吟味する必要がある。

 

 材料によって方法が決まるので、ホームセンターで適当な品物を探すことにした。

 他の用事があるので、本日これまで!

 相方が足を突っ込まないよう覆いをして、標識を立てて置いた。

 業者に依頼するという選択肢は、最後の手段として保留しておく。

 
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写真・・心のドラマ

2018-03-26 14:19:37 | 日常あれこれ
 知人からのメールで「暇があったら写真展へどうぞ」とあって、会場の住所や電話も付記されていた。

 知人は写真が趣味で、かなりの腕の持ち主。

 それにいいカメラを持っている。

 特に暇を持て余しているわけではなかったが、会場の不知火美術館へ向かった。

 

 桜が満開で、図書館と併設になっているシンプルな美術館だった。

 作品は県下の腕に覚えのある写真家の力作揃いで、知人は特選に入選していた。

 各県の過去の作品も合わせて展示してあったが、さすがに凄かった。

 残念ながら写真には撮せない。

 帰りに、益城町の情報交流会館のロビー展示コーナーで、写真の展示をしていたのを思いだして回ってみた。

 

 主題は「復興」なのだろうが、撮されている映像はどれも見ていて楽しくなるものばかりだった。

 中でも親子と思われる写真が、とても目を引いた。

 

 手を挙げて走ってくる子供に、手を挙げて迎えている父親らしき人。

 小道の両脇は一面の彼岸花で、真っ青な空に白い雲が流れて・・。

 風景やお祭りなどの行事など題材も多彩だったが、この父子と思われる二人の動きと表情は完全にアニメの世界だった。

 一瞬を切り取りながらも、そこに過去への回顧や未来へ続くドラマを表現するという点では、五七五に通じるものがある。

 表現すること・・・とは生きていくことそのものなのかも知れない。

 「春風よ野山に吹けよ心にも」

 
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益城のさくら

2018-03-25 09:59:55 | 熊本地震
 益城町のサクラも満開に近くなった。

 ただ花見に訪れる人は極めて少ない。

 震災前は、秋津川沿いの河川公園や木山城址公園など桜の多い場所はお花見で賑わったものだたが。

 

 比較的安全で、通行が可能な道路に面している一角だけ、生い茂っていた雑草が刈り取られて花見が可能になっていた。

 数組が敷物の上で、比較的静かに花見をしていた。

 通常だと、バーベキューの煙やら音楽やら笑い声で一杯の筈なのだが・・・。

 

 木山城址公園は、桜もさることながら白いユキヤナギ・黄色のレンギョウも満開なのだが、こちらは人っ子一人いない。

 

 福島の三春の滝桜を移植して、数年前から花を咲かせている垂れ桜は、どういうわけか先端だけ花を咲かせて他は葉っぱばかりだった。

 

 広場に植えられた桜は、その反対に下の部分が開花して先端の方は蕾すら無い状態である。

 広場のブルーシートは、花見客の敷物ではなくて地面の亀裂から雨が侵入して浸食や崩落することを防止するための覆いである。

 以前被せていたものは劣化したので、新しく張り替えたもののようだ。

 この広場の隅に、紅白の二色が同じ木から花を咲かせる新種の桜があって、例年ソメイヨシノより早く開花していたのだが、今年はやっと蕾が大きく膨らみ始めた状態だった。

 開花時期といい、花の付き方といい、何だか今年の桜はすこし様子が違っている。

 道すがらには、かつて震災前には古い蔵と梅の老木があって、春とは名ばかりの寒い時期に凛と咲く白い花を写真に収めるため訪れたことがある。

 その梅の老木も蔵もろとも、地震の後では姿を消してしまっていた。

 

 ところが今回その時の事を思いながらふと目を向けると新しい蔵が同じ場所に同じ大きさで建てられていた。

 いまどき、物の保管には蔵でなくても、保管目的だけなら機能的にはもっと優れたものがある筈だ。

 多分、持ち主の蔵への強い思い入れがそうさせたのだろう。

 彼方こちらに機能性・耐震性重視の再建が為されていく中で、変わらぬものを求める人もいる。

 ちょっと拍手したくなってしまった。

 「季の狭間ふたつを結ぶ時と風」

 
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春らんまん

2018-03-24 13:55:37 | おでかけ
 昨日は、熊本城のすぐ近くにある「国際交流会館」で、6月に行われる全日本川柳熊本大会の実行委員会があった。

 熊本在住で何処かの吟社に所属していれば、何らかの協力は仕方がない。

 そういうわけで、前夜祭で中部・北陸の受付、大会当日は会場設営と受付担当という、久しぶりに手と目と口を使う仕事を頂いた。

 もっともそう云う人がゴロゴロいるので、その中の一コロであるからさほど気にすることもあるまい。

 それでも実行委員会に出てくれというので、ノコノコ出かけたが、半分は熊本城の桜の開花状況を見るためもあった。

 

 熊本城大手門口にある橋のたもとから見た長堀沿いの桜は五分咲きくらいだった。

 

 馬具櫓の方向をみると、ここ2~3日で満開になるのではという感じがした。

 この辺りは特に被害復旧などの工事も無く一般に通行可能なので普通に桜が見られる。

 

 行幸坂(明治天皇が行幸されたため、行幸坂と名付けられた)は、本丸の天守閣などが復旧工事なので通常は通行止めであるが、途中の南大手門の直前の交差点付近まで桜の時期だけ臨時に通行が可能になる。

 私が撮したのは金曜日でまだ、柵は閉じられていたので誰も歩いていない。

 多分今日からは相当な賑わいが展開されているはずだ。

 「花盛り吉野天人口ずさむ」

 
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我が家的満開の花

2018-03-23 18:02:32 | 日常あれこれ
 我が家でも、庭や鉢で満開の時期を迎えた花がある。

 
 (ニワ梅)

 実が成るにはもう少し幹が大きくならなければならないのだろうか、とにかく花だけは毎年綺麗に咲くが実が成らない。

 
 (つばき)

 何とか云う名前があるのだが教えて貰っても直ぐに忘れる。

 名札を立てて置いても一年すればどこかへ亡くす。

 
 (沈丁花)

 庭中をいい香りで満たしてくれる。

 変な匂いがあっても打ち消してくれる。

 
 (シンビジュム)
 
 咲き始めは殆ど香りはないが、満開を過ぎる頃から香りが強くなる。

 人間でも植物でも花の時期が一番良い。

 私のような老木になると、一輪咲かすのにも大変である。

 多分もうすぐその一輪も咲かなくなる時期が来る。

 昨日は小学校の同じ組の者で、声掛け合って集まり超ミニの同窓会モドキをやったが、う~ん皆男女とも老木揃いだった。

 年齢の誤魔化しは利かないし、失敗の数々を含めお互い手の内がバレているところが油断できていい。

 
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フットパスで出会った馬と犬

2018-03-22 22:48:07 | 日常あれこれ
 ましきフットパスに参加したときに、とても面白い動物に出会った。

 ブログUPの順としては、断層~風景・植物~つぎに動物の予定だったのだが、ロアッソが大宮に勝利したことに有頂天になり差し替えてしまった。

 遅まきながらその面白い動物とは馬と犬である。

 
 (ポニー?)

 じつは地震直後に断層を見に来たときも、馬が1頭つながれていて不思議な感じがしたものだ。

 今回は回りの雑草が手入れされていて、馬はオレンジ色の敷物のようなものの上に居る。

 よくよく見ると人参の厚手の皮だった。

 本来ならエサだと思うのだが、本人はその真ん中に立っていて、思いだしたように首を降ろして足元の人参をムシャムシャやる。

 考えてみたら飼いば桶も無いわけだから、ある意味馬にとっては人参の皮はエサになるべき大草原の草の想定なのかも知れない。

 大草原を夢みて足元の草ならぬ人参を喰う。

 なかなか洒落のきいた馬だった。

 次は犬。

 
 (犬種??)

 とある小さな札所で説明を聞いていたときに、近くの民家からヨタヨタと小さな犬が出てきた。

 もちろん放し飼いだと思うのだが、人に危害を及ぼすどころかフットパスの参加者に近づきすぎて踏み潰されはしないかと皆で心配したものだった。

 相当に年をとっているようで、遊び相手もいないし面白いこともないので、ゾロゾロやってきた人間どもの見物にお出ましになったという風情だった。

 女性の参加者から「危ないからお家に帰りなさい」と再三勧められて、とうとう最後は自分の家にトボトボと引き返した。

 現れ方も珍妙だったが、去り方もなかなか哀愁が漂っていて面白い犬だった。

 田舎のフットパスコース等は、風景や植物も珍しいものを見かけたりするが、動物もなかなか面白い状況を作為してくれる。

 「春の宵東風の声聞く馬の耳」

 
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