カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

わが家の新年のイベント準備

2018-12-31 11:54:10 | 日常あれこれ
 わが家の正月のイベントでちょっとした変わり種は、0時を回った途端に屠蘇とお吸い物を頂くというものがある。

 何故か知らないが、しきたりの如く祖父母がキッチリ守って続けているのを見て育ったので、私の代でも継承している。

 当初は首をかしげていた相方も、やむを得ずイベントを継承したので子供達もわが家の正月はそこから始まると思っている。

 あと一つは、相方の作る「のっぺい汁」が殊の外好評で、調子に乗って毎年作るのが恒例になってしまった。

 そこからが問題で、今年はその作成担当者だった相方が骨折し、誰あろう私にその仕込み作業から料理までのお鉢が回ってきた。

 もちろん年越しソバの、つゆの仕込みも合わせて作業する。

 作業の合間にストレッチを入れないと、足腰が固まってしまいそうになる。

 今はその作業も一段落し、火を通している最中なので相方が見張りを担当している。

 つまり、正月のちょっとしたイベントのために、大晦日は結構忙しいということで、相方の毎年の苦労を体験する貴重な一時を与えて貰ったということだ。

 

 この一年でも反省してみようかと、思いを巡らせてみるがさっぱり反省点を思い出せない。

 つまり、なにやら判らぬままに日々を送り、一日が早いのなんのと言いつつも、何らそれらしい事もやってはいないのだ。

 確か年の初めに、今年こそはと心に誓ったこともあったのだが、きれいに忘れた振りをしてノータッチだった。

 平均寿命からしても、脳や体の活動余命からしても、沢山の時間は残されていない。

 除夜の鐘と共に、流してしまってはならない煩悩を一つや二つ残して置くことが生きる励みとなる筈だ。

 「菜を洗い肉を刻んで年の瀬の煮炊き指示受く妻は骨折」

 この一年、由とするか。

 
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正月準備と墓参り

2018-12-30 16:40:57 | 日常あれこれ
 平成30年の師走もあと一日を残すだけとなった。

 正月の準備のうちで、供え餅や注連飾り、その他諸々の飾り物などをするに当たって適当な日があるのだという。

 いわく、29日は苦飾りと言って駄目、いわく31日は一夜飾りと言って駄目、などなど・・。

 じあや早めに済ませてしまおうかと言うと、早過ぎると正月が来る前に傷んでしまうと悲観的な話。

 すると答えは自ずと見えてくる。

 28日か30日しかないのである。

 28日は相方と私のスケジュールが合わず、必然的に今日になってしまった。

 注連飾り、鏡餅、仏壇の供花などなど・・。

 その中で割と重要なのがお屠蘇。

 当地では透明な清酒が一般的になる以前の、江戸時代に出来た酒で「赤酒」というかなり甘い酒があって、屠蘇に使われたりする。

 屠蘇を入れると丁度良い具合になるかと思い、5年くらい前に子供達に飲ませたら極端に不評で、以来普通の清酒にしている。

 
 (清酒「香露」と「れいざん」)

 どちらも地元の酒である。

 共通しているのはどちらも阿蘇の伏流水を使っていることと、どちらも以前は2級酒と書かれていたこと。

 今はただ、純米酒とある。

 さて、どちらを御神酒とするか考えたが今年は「れいざん」に決定した。

 で、神棚に供えた後、残りを飲み比べてみることにした。

 どちらもお勧めの飲み方は、「冷酒」か「ぬるめの燗」がよろしいとある。

 「香露」は熱燗はやめてくれ、とある。

 「れいざん」はややキリッとした感じで、「香露」は円やかな感じがした。

 気分によって飲み分けるというのが正解なのだろう。

 この「香露」は熊本醸造研究所で作っていて、ここで造られる「熊本酵母」が全国各地の銘酒の酵母として使用されている。

 昔から「香露は一升瓶入の2級酒が一番」と噂されていて、いまだに一升瓶入の一番安いのを探し回っている。

 安酒で盛り上がれるのがこの手の人間の幸せなところである。

 お墓参りも、大晦日では拙かろうと田舎の墓にお参りに出かけた。

 

 誰かが掃除をしてくれたとみえて、墓の周りは綺麗になっていた。

 地震で墓が全壊したあと、骨を全部自宅に持ち帰り、墓の再建までの一年間ばかり仏壇の前に安置していたが、その間に一度、それから出来上がった墓に骨を納る法事の当日に一度、都合二度に亘って亡くなった祖父母の夢を見ている。

 二度目の時は、運転できない筈の祖父の運転で祖父母が車でやってきて、私達夫婦の前を車で墓に向かって先導することになった。

 死んだ人は夢の中では喋らないと聞いたことがあるが、夢の中の祖父はやたらと喋っていて「追突などしないように、車間距離を十分取って注意しながらついてこい」などと言っていた。

 お互いが、お互いの車に夫婦で乗り込んで出発というところで目が覚めた。

 あれ以来、祖父母も誰も夢には現れなくなってしまった。

 墓から持ち帰った骨と、ずっと同居してしたわけだから私の意識の何処かに気にする部分があったのだろう。

 このブログには、一年前にUPした記事を紹介してくれるサービスがあるが、その中で夢の出来事を二度書いているので、物忘れの激しい私でも、つい覚えてしまっていて、今回のような墓参りなどという時は、つい思いだしてしまうのである。

 確か「終わりの街の終わり」とかいう小説があったが、死んだ人はまだ生きている人の思い出の中に居る間は、最終的な死者の魂の行くべき場所の手前の街で、静かに暮らすのだというストーリーだった。

 その街で、突然ある人が居なくなるのは、その人の思い出を持っていた人が亡くなった時だという話だ。

 あるとき、その街全体の人が消えて無くなる自体が発生して、思い出を持った人々が一斉に同時に死んだ何か大きな出来事が起こった事を暗示して物語は終わるというものだった。

 あの小説の印象や、自宅に持ち帰った沢山の墓の骨など非日常的な出来事が、夢の中で結実したのだろう。

 暮れも押し迫った30日、正月飾りと墓参りも終わり、帰りに買って来た酒を飲み比べながら、ふと物思うのが故人の事であるのも悪くはないだろう。

 ただ、ちょっと酒のまわりが早過ぎるような気もする。

 
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年内に返ってきた年賀状・・・その理由とは

2018-12-29 11:00:11 | 日常あれこれ
 年賀状を元旦に届くように出すには、たしか期限があったように思ったが調べもせずに25日に投函した。

 受付は15日からとテレビで言ってた記憶があったが、いつまでというのは定かでなかった。

 27日の午後、相方が正常に動く方の手で、川柳の雑誌だのJAFだよりだのと一緒に、年賀状を一枚持って来た。

 
 (帰ってきた年賀状)

 「年賀状が宛先不明で帰ってきた、もう?」というのが、その時の私の台詞。

 この「もう?」のところが強調されたのはいうまでもない。

 配達先に該当者が居ない場合に、宛先不明で帰って来ると認識しているので、元旦ではなく年内に配達する郵便物に仕分けされてしまったのではあるまいか、等と先ず疑ってかかった。

 ただ他の用件に気をとられてしまい、28日は約束があって出かけたりしてそのまま放置した。

 「郵便局に注意喚起しておいた方がいいかもよ」と返送された当日は言っていた相方が、「あれは、配達される前にチョックされて、返ってきたものだね」と今朝になって言い出した。

 返送の理由が切手の部分に貼ってあるので、眼鏡をかけてよくよく見ると「配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません。」と記されている。

 つまり、配達先で宛先不明ではなく、その準備段階で該当無しが判明しているということだったのだ。

 いやあ~さすが日本郵便、配達の無駄足は踏まないというところは人手不足の折、参りました。

 最初から返送の理由を読めば済むのに、適当に流してしまうのだ・・・特に年寄りは。

 組み立てが判らなかったり、不具合の対処方を後で取説を読んで初めて知るあのパターンである。

 やれやれ、文句を言いに行かなくてよかった、などと言いながら机上を整理していたら妙なものが挟まったパンプレットが出てきた。

 
 (石炭)

 なんと、軍艦島に行ったとき貰った記念の石炭だった。

 なにげなく貰って、置き所に困ってパンフレットに挟んだままだったのが、整理の途中で今頃ひょっこり見つかったのだ。

 「石炭とは」という書き出して、石炭の生成過程などが書かれていて、一番下の欄外に「石炭は可燃物のため、飛行機の機内に持ち込むことは禁止となっています。ご注意下さい。」とある。

 あの時一緒に島に渡った人達の中に、飛行機で来た観光客もいたかも知れないな、とふと思った。

 多分、旅の思い出としてどこかに入れられたり挟まれたりしていたのではあるまいか。

 しかし、可燃物なら紙も人間さえも可燃物なわけで、体脂肪率が極端に高い人など歩く危険物と言えないこともない。

 などと余計な事まで思い巡らす余裕があるのなら、葉書の返ってきた理由や説明書の細部も目を通す余裕を持ちなさいよと大向こうから声が掛かりそうな年の瀬29日なのである。

 
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蘭の花芽が伸びてきた♪

2018-12-28 10:18:29 | 日常あれこれ
 先日頂いた胡蝶蘭は、4鉢ともそれぞれ水苔で植え替えた。

 少し日当たりの良い2階の窓辺に置いた。

 

 ただ無人の部屋なので、夜は少し寒くなる。

 昨夜から私が引き籠もっている部屋に移動した。

 

 花芽が出ている鉢もあって、これは特別待遇で相方がいつも温々とテレビを見ている部屋に移動した。

 相方が、花芽が出たと喜んで贈り主に報告したら、油断大敵で咲くとは限らないなどと言われたという。

 わが家に元から有る蘭は花芽はほぼ100%咲いていたのだが・・・。

 厳しいなら厳しいなりに花を咲かせたりするので、あまり可愛がりすぎは人間も草花もよろしくない。

 

 玄関では、今となっては何処から貰ってきたのか、何と言う名前なのかも完全に忘れてしまった蘭が今年も律儀に花芽をのばしている。

 これは、洋蘭と違って見た目は地味な色合いをしているが香りは抜群である。

 

 宮崎からやって来てもう20年近くになる、シンビジウムも玄関に緊急避難しつつ花芽を伸ばしている。

 数鉢あるシンビジウムは毎年咲くわけではなくて、交代するので花芽のついていないものは外の軒下で越冬する。

 今朝から、今までとはうって変わって極端に冷え込んで来た。

 「この寒さ正しい冬がやって来た」

 
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主夫業一週間経過

2018-12-27 14:52:49 | 日常あれこれ
 季節の変わり目や特売日、はてはイベントの有無などで客足は変化するものだ。

 ところが、年の瀬も押し迫り木枯らしが吹き荒ぼうと然程の変化もなく客足が衰えないのが病院である。

 特に整形外科などはリハビリから転んで骨折まで、様々な人が集まってくる。

 相方が歳末登山の下山途中で、半分溶けかかった霜柱の道にスライディングを敢行し、骨折してから1週間の検診日がやって来た。

 指先まで浅黒く腫れて来たので、途中で病院に行こうと勧めたが、先生に1週間後に来いと言われたのだと、頑として踏ん張っていた。

 A型人間の緻密な頑固さには敬服する。

 

 整形外科が100mも行かない場所にもう一軒あって、どちらもなかなかの賑わいである。

 患者と言えばほぼ、高齢者が占めていて、時々若者がやってくると好奇の目で見られる始末。

 電話予約も効かないので、私が事前に受付て貰い、おおよその診察時刻までには待合室で待機するということで、外出と書かれたカードを貰って一旦家に帰った。

 なにしろ診察予定時刻まで2時間以上あって、昼食後に出かけて丁度良い時間だった。

 サービスはなかなか良くて、コーヒーやお茶はセルフで飲み放題。

 飴玉まで篭に入れてあって、わざわざ席まで配りに来てくれた。

 左手骨折で不自由な相方だが、似たような年格好のご婦人は、右手をギブスで固定し右目は青黒く腫れていて、びっこを曳きながら診察に向かっていた。

 これまた私と同年配の男性が、あれこれ面倒をみている図柄はわが家と相似形だが、不自由さに関しては圧倒的に先方が大変そうだった。

 衷心よりお見舞い申し上げたくなってしまった。

 

 手の方は、年配の骨折にしては単純な方であるが、治っても手首の骨の部分が多少盛り上がるのはそのままらしい。

 ただ、その盛り上がりの部分の上部を親指・人差し指などの腱が通るので、時たま切れたりすることもあるが、医者が言うには「切れた例は私が治療した患者で18年間に一人だけいました」という話だったらしい。

 「予防的に骨の方を削っておくという方法もあるが、それはまたそれなりの手術になるのでこのまま様子を見よう」ということらしい。

 もし、運悪く切れた場合は繋ぐ手術をすることになるのだという。

 まあ何というか、歯科医院といい整形外科といい、何やら材料加工業と似た雰囲気を漂わせている。

 つい先般まで、親指の爪のすき間が痛い等と文句を言っていた相方が、親指よりずっと付け根の手首を折って、親指への不満は取り敢えず解消したのは喜ばしいことである。

 さて、今日の夕飯は何にしょうかなあ、等と昼食後に考えてしまう自分に驚く。

 主夫業がクセになりそうで、正直やばい。

 
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師走の庭の紅葉

2018-12-26 13:39:37 | 日常あれこれ
 暖かかった師走が本来の寒さに戻って来た。

 昨日、暖かい日射しの中で今年最後の車洗いをしたら、夜半遅くから雨になった。

 もし雨を降らせたかったら私が車を洗えばよい、という都市伝説はわが家ではもっぱらだ。

 今日は日中は気温もさほど上がらないが、雲間から太陽が覗けばそれなりに気持ちだけでも温かくなる。

 
 (頑張っているモミジ)

 紅葉も、僅かに残ったものが頑張っている姿を見ると、儚げでかつ健気にも見える。

 あたりを見回すと、庭でもそれなりに紅葉しているものがある。

 
 (赤花夕化粧)

 繁殖力が強く彼方こちらに広がっていくので少し迷惑ではあるが、こうして葉っぱを赤くして昼化粧もするらしい。

 
 (サツキの紅葉)

 全部が紅葉するわけではないが、一部は紅葉して葉っぱは落ちていく。

 
 (ブルーベリーの紅葉)

 ブルーベリーはもう少し寒くなると葉っぱの色がより赤くなってくる。

 雪が降ったりすると、真っ白な雪と真っ赤なブルーベリーのコントラストが際立ってくる、筈なのだが・・。

 予報では暮れには雪が降るかもなどと言っていた。

 雪の予報が私の車洗いほど当たるかどうかは判らない。

 さてと・・年の瀬の喧騒に抵抗してみるか。

 「快感は致死量越える放屁かな」

 格調が一気に落ちたなあ。

 ハァ・・。

 
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嗚呼「柚子の物語」

2018-12-25 10:04:45 | 日常あれこれ
 冬至を過ぎて日照時間そのものは少しずつ長くなっていくという話をしていて、そう言えば柚子湯にも今年は入らなかったという話の途中で、相方の田舎の柚子のことを思いだした。

 今思えば思い出さなきゃよかった、とも言えるが・・・。

 高枝切り鋏・手袋・レジ袋を携行して一人現地に向かった。

 
 (かつての菜園)

 菜園として利用していた山際の土地は、今は誰も耕す者とてなく荒れ放題。

 菜園の半分くらいは、隣の山から進出してきた竹が占領し始めている。

 2本ずつばかり植えられている柚子、蜜柑、肉桂、柿などの木もほぼ放置された状態で勝手に実を付け勝手に落ちる。

 夏場は雑草に虫が発生し近所の迷惑になるので私達が草刈りに出かけている。

 土地は甥のものだが、若い夫婦ともに忙しいので、いらぬお世話をずっと続けている。

 「生り物などは勝手に収穫して持って帰って下さい」と了解は得ているので、欲しいものは何でも持ち帰る。

 で、本日の収穫は「柚子」を大きめのレジ袋に2つ、それに少し早いが大きいミカンを2個。

 
 (収穫した柚子)

 意気揚々と引き上げ、自宅に帰りついた頃ふと思い至った。

 これを処理するのは、他でもない自分であることに・・・。

 ここで登場するのが相方で、もっとも口であれこれ指図するだけだが・・。

 一個ずつ綺麗に皮の表面を洗うこと、皮は表面の綺麗な部分だけ、しかも白い部分に掛からないように薄く切り取ること。

 などなどの、神経質なほどの細かい指示が飛ぶ。

 
 (表面を薄く削った柚子)

 
 (削られた皮)

 この皮を包丁で更に細かくトントンと刻む。

 
 (刻んだ皮)

 密閉容器に2個作り上げ、ラベルを貼って冷凍保存。

 相方が、NHKの「大和尼寺・・・」なんとか言う番組の精進料理を見て、いいなあと思ったというのが事の発端で、わが家では2シーズン目になる。

 茹でた里芋にこの刻んだ柚子を混ぜた味噌をまぶすと、たしかに美味い。

 ところが作業は大変、このあたりまでの作業で概ね台所で立ちっぱなし2時間半が経過。

 
 (柚子絞り)

 所々皮の無い妙な感じの柚子を、全部二つに切ってジュースを絞る。

 皮があれば比較的簡単な作業だが、皮が無いのでグニャグニャしてやり辛い。

 オマケに種が多いし、細かいクズも出るので、これをガーゼで濾す行程が加わる。

 下の受け皿が一杯になる度にこれを繰り返す。

 相方の指示の口調も一段と熱気を帯びてくる。

 
 (100%生の柚子汁)

 出来た柚子汁は、品名・作成年月日を書いたラベルを貼って冷蔵庫へ。

 醤油にこの柚子の汁を少量垂らしただけで、市販のポン酢より遙かに美味いのは私も知っている。

 これにて、長い長い3時間に及ぶ柚子との戦いは終わって、夕飯の支度に・・・。

 いやはや、世の奥様方の苦労を肌で感じているここ数日であるが、こうした飛び込みの作業は思いつきで始めるべきではない。

 そして、片手では出来ない作業なので、女房殿が骨折などしていない時か、もしくはもう少し量を考えて行うべきである。

 ついでに、葉っぱを付けてきた大きな蜜柑は正月のお飾りに使うつもりである。

 柚子の汁が、包丁を握る手に流れてきて、ピリピリとした刺激は暫く続いていた。

 洗っても柚子の香りが漂う右手を見詰めつつ、わが家のクリスマスは慌ただしく過ぎていった。

 「骨折の妻の片手で年の暮れ」

 
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師走の庭の花

2018-12-24 10:36:37 | 日常あれこれ
 今日は太陽が燦々と降り注ぎとても暖かいので、今年最後の布団干しをすることにした。

 ついでに2階の部屋を全部掃除する。

 相方が片手不如意につき、私が手足の如く動かないと正月が迎えられない。

 布団を干しながら見下ろすと、師走の庭にはまだ頑張っている花がある。

 仏壇に供える小菊の切りそろえた枝の先を地面に挿しておいたものが花を咲かせ今を盛りと咲き誇っている。

 少々の寒さにもめげず咲いているのだが、多分寒波が押し寄せるという暮れには駄目になるだろう。

 
 
 (小菊)

 始まりが仏壇の花だったので、その都度摘んでは仏壇に供えていて、花のリサイクルが機能している。

 この供えた花の寿命が結構長くて、2~3週間は平気である。

 今の季節の花はとかく切り花でも長持ちをする。

 鉢植えのものなら霜の当たらない軒先にでも移動出来るが、地植えのモノは自然に任せるしかない。

 キリタンサスが例年より早く咲き始めたので、これは玄関に待避させた。

 
 (キリタンサス)

 次々と花芽を出し、交代しながら冬中頑張って春先まで咲き続ける。

 天花粉に似た微かに甘い香りが漂うのはもう少し後だろう。

 寒波がやってくるという28日頃までに、外回りの掃除などは終わらせておきたい。

 人間も花も、暖かいうちを精一杯頑張るしかない。

 「体より精神だけが前のめり」

 
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小雨のルフィー像

2018-12-23 14:29:21 | 日常あれこれ
 所用で県庁の近くに出かけたついでに、プロムナードに建てられたルフィー像を覗いてみた。

 
 (モンキー・D・ルフィー像)

 アニメのONE PIECE(ワンピース)の主人公のルフィーの像が広場のど真ん中に片手を上げて立っていた。

 
 (県庁正面前の銀杏並木の広場)

 広場は銀杏が有名で、黄色に色ずく頃はライトアップされてとても綺麗である。

 例年は写真に収めているのに今年はその機会がなかった。

 
 
 外灯にはそれぞれにワンピースの主な登場人物などが描かれてぶら下げられている。

 以前勤めていた会社で、毎週見せられていたが正直奇想天外な展開にとてもついていけなかった。

 しかし、全世界で4億4000万部を売り上げるほどのヒット作と言われると、当方の頭が古いということの証だろう。

 

 サンタの帽子を被った女性が数名、像を前にやたらはしゃいでいた。

 足を触ったり手を触ったり、全員でルフィーと同じポーズをしてカメラに収まったりとかなり楽しそうである。

 折から小雨が降り出したが、雨などものともしない。

 それなりにお年を召した女性もいて、この作品の息の長さが実感できた。

 ちなみにこの像は、地震からの復旧・復興を願って熊本県出身の原作者「尾田栄一郎氏」からの多額の寄付に対するお礼と、県民を励ます意味で、ここの広場に建てられたものである。

 なお主要な登場人物などの像を、建立したいと希望する県内自治体も多い。

 漫画ミュージアムといいルフィー像といい、にわかに賑やかさを増してきた昨今の熊本である。

 
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興味津々

2018-12-22 15:38:54 | 日常あれこれ
 先日の字が書ける葉っぱにも驚いた。

 葉に書けるから「葉書」だという説明に二度驚いたものだった。

 
 (ハガキの木の葉)

 帰って調べると「多羅葉(タラヨウ)」とあり、ハガキの木とあったから三度目に驚いた。

 世の中にはへ~とかは~?とかいう事が結構多いものだ。

 総合グラウンドの整備を見ていて、驚いたことがあった。

 
 (グラウンド走路部分の整備)

 地震で傷んでしまってたグラウンドを整備中で、フィルド内の人工芝は張り終えてサーカー用のラインも引き終わっている。

 走路部分やその他の部分を整備しているのを見ていたら面白いことが始まった。

 陸上競技場でお馴染みの走路で、アンツーカーと呼ばれていた頃は、特殊な粘土を高温で焼いて砕いたものを使用していたらしいが現在ではポリウレタンとか硬質ゴムなどが材料になっているらしい。

 着色も以前の走路部分は「茶色に近い赤」だったが、工事中の物を見ると「青色」をしている。

 「ほう、今度は青色にするつもりか・・・」等と思いながら作業現場に近づくと、何とドロドロの液体を流し込んで平らに均すように広げている。

 しかも途中で材料を補充しているのは、塗料缶に入ったような謎の物質である。

 この液状のものが固まる過程で、表面に細かい凹凸のあるあの走路が出来るのだろうか。

 はたまた、この上から更に特殊な施行がなされるのだろうか。

 取り敢えず当分目が離せなくなった。

 「葉書の木」といい「陸上競技の走路」といい、まだまだお初にお目にかかる事は多い世の中だ。

 この年になって今更賢くなっても手遅れだが、初めて見るものにはやはり興味は尽きない。

 「好奇心老化防止の必需品」

 
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