カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

初夏の菊池渓谷

2018-05-31 11:14:06 | おでかけ
 玉名の花菖蒲を見た後、菊池川をさかのぼり菊池市から更に菊池渓谷に向かった。

 菊池渓谷は四季を通じて楽しめるが、熊本地震と直後に襲った大雨によって数カ所の山際が崩落し、3年ぶりの再開となったばかりである。

 

 一帯は阿蘇の湧水が水源となっているため、水温が一定で特に夏は暑さを忘れるため訪れる人が多い。

 モミジの秋も良いが、新緑の今の季節はとても清々しい。

 
 
 
 
 川の両側は遊歩道になっているが、途中三箇所ほど吊り橋があって歩くコースは自由に選べる。

 いちばん奥の吊り橋の上流付近が「広河原」と呼ばれ、歩いて向こう岸に渡ろうと思えば渡れる。

 ただし、余りの冷たさに真夏でも川の途中で諦めて引き返す人も多い。

 私が一番好きなのは、ここの川の水の色である。

 普通の川だと相当の清流と言われるところでも、深くなると段々薄緑から濃い緑になっていくが、ここのは深さ2m位までなら透明でそれ以上の深さになると、薄いブルーから段々青色になり最後は藍色になる。

 日本の銘水百選にも選ばれているが、この豊富な湧水が源流となって支流を加えながら大河となって有明海にそそいでいる。

 二千年来の米作りの歴史があり、この玉名・和水・山鹿・菊池の菊池川流域は平成29年4月に「日本遺産」に認定されている。

 米作りは水造り、水造りは山造りという基本は今も昔も変わらない。

 この地方の米は古来からブランド米として、玉名の高瀬港から大阪へと運ばれ、日本の米相場を左右してきた。

 「菊池米を知らなければ、寿司屋はもぐりです」とテレビで言った「田村魚菜」の言葉を今でも覚えている。

 もっとも、もう田村魚菜を変換すると一発で正解が出ない時代になってしまっているが・・・。

 
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玉名の花菖蒲

2018-05-30 09:27:26 | おでかけ
 玉名の花菖蒲が見頃を迎えている。

 土日は混むので平日を狙ったが、最近は同じ考えの高齢者が多いので人出は多かった。

 

 外国語が飛び交い、以前とは様変わりの高瀬裏の水路である。

 木道も以前の物から掛け替えられていた。

 数カ所水路を跨ぐ石橋があって、低い所もあるのでうっかりすると頭をぶつける。

 

 水路の船着き場から石段を昇ると、表の道路に向かって狭い路地が続いている。

 私はこの路地がとても気に入っていて、玉名に来たら通ることにしている。

 路地を抜けると近代化から取り残されたような、昭和チックな通りに出る。

 この通りはまさしく取り残された一角といった風情で、昭和レトロとかいった売り込みも無い。

 花菖蒲を見た後、路地を通ってちょっこっと顔を出す人が多い。

 殆どが年配の人で、団体の花菖蒲見物は別なところに向かう。

 

 うらぶれたような軒先が並ぶ商店街で、一際うらぶれた感じの店があって、ここでは昔懐かしいアイスキャンデーを売っている。

 玉名の花菖蒲を見た後は、この店の道路の向いにある小さな木陰のベンチでアイスキャンデーを食べる。

 私がミルク味で相方が小豆味を通例としている。

 食べている私達を見て、どこで買ったか訪ねる人もいて、しばらくの間アイスキャンデーは売れ続ける。

 

 菊池川と高瀬裏の船着き場を隔てる堤防の上には、沢山の矢幡がはためいている。

 昔は田舎では、鯉のぼりよりこの矢幡の方が端午の節句には多かったが、近頃は滅法珍しくなった。

 梅雨に入り菖蒲もしばらくは咲き誇るだろうし、こう暑くてはアイスキャンデーも売れるだろう。

 玉名は菊池川沿いの米の集散地として、江戸時代以前からの関西への米の積み出し港として栄えていた。

 11月の俵祭は大俵を転がす祭だが、まだ一度も見たことがない。

 必ず別の用件があって、約束のように競合していた。

 今年は出来れば観てみたいお祭りの一つである。

 
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熊本城が天空に・・。

2018-05-29 20:43:30 | 熊本地震
 熊本城に相方と友人を降ろして、一人で帰る道すがら熊本城の今を少し覗いてみた。

 

 覆っていた屋根が無くなって久々に天守閣を見ることが出来た。

 ただちょっと異様な光景が目についた。

 

 小天守をアップして見ると石垣の部分がなく、空中に浮いた様な状態になっている。

 鉄骨で支えて浮かした状態で崩れた石垣を組み直し、完了したところで小天守を乗っける?

 てなことを考えているのだろうか。

 一本足のような残った石垣で支えられていた飯田丸五階櫓も似たような工法だったが、取り敢えずは建屋の方は分解した。

 石垣を修正したり組み直したりしないと、上の建造物は扱えない状況の場所があちらこちらにある。

 国の重要文化財にも指定されている石垣なので、つとめて元の位置にはめ込むらしいのだが相当に大変。

 

 西大手門の南の空堀には、付近で崩れた石垣に番号を振って並べてあるが、もうその並べた付近には草が生えてきていた。

 石垣まで完全復旧するには20年くらいかかるという話だが、確かに崩れた石垣の量は半端じゃない。

 過去に撮された写真などを参考に元の位置に戻すらしいが・・・・。

 地震被害とその復旧過程をつぶさに見て貰うというコンセプトで観光客対応を当分続けるということになる。

 石垣までも完全な姿に戻る前に、こっちの寿命が尽きるという話にもなりかねない。

 が、しかし一口城主だの復興城主としての名前は熊本城に残っていく。

 我が家の位牌やお墓より人目に触れることにもなりかねない。

 考えたら少し面白くなってきた。

 
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変わりつつある熊本駅周辺

2018-05-28 13:09:18 | おでかけ
 北九州から相方の友人が訪ねて来た。

 我が家までは電車だのバスだのと乗り継ぎが面倒なので私の車で熊本駅まで迎えにいくことになった。

 滅多に駅周辺に行くこともないので、周辺の微妙な変化に戸惑うことも多い。

 特に駐車場が一番気になるところだったが、到着すると元の在来線駅舎前の駐車場はガランとしていた。

 
 (在来線の元駅舎と線路・ホーム跡)

 中央部に設けられた応急の通路を通って新幹線駅舎や西口に行けるようになっていて以前より便利になっている。

 通路の壁の一部切れた所から古い駅舎やホームそれに撤収した線路跡が見えた。

 現在は新幹線の開通に合わせて、在来線も高架化されて車も人も東西の往来が楽になった。

 
 (熊本駅西口)

 従来の駅前広場に繋がる東口が、今後解体や新駅ビルの建設などで混雑する筈だが西口は一足先に整備が進んでいる。

 
 (おてもやん像)

 この、「おてもやん像」はどこかで見たことのある顔だが、ひょっとすると桜町の再開発に伴って、交通センター前の歩道にあったものを、こちらに移設したものかもしれない。

 民謡「おてもやん」の歌詞に、♪春日ぼうぶらどん達ちや・・・♪というくだりがあるが、ぼうぶらとはカボチャのこと、この辺りの地名は「春日」なので、春日はカボチャのとれる田舎だったということ。

 明治時代も、煩い音を立てモクモクと煙を吐いて走る蒸気機関車の停まる駅舎などは、町のど真ん中には歓迎されなかったという話である。

 春日のカボチャ畑で妥協した先人の判断が正しかったかどうかについては異論もあろうというものだ。

 いずれにしても「おてもやん」は、歌詞の通りの春日に里帰りしたとも言える。

 
 (くまモンの後頭部)

 おおきなくまモンの造り物も、24時間ニコニコしながら新駅構内を眺めていた。

 JRでは福岡駅ビルに次ぐ規模の駅ビルを建設予定なので、あと何年もしないうちにこの辺りの風景は様変わりする。

 市の中心部の桜町の再開発と熊本駅周辺の再開発が同時に進行しているので、人の流れも変わっていくだろう。

 さて、私はというと、我が家へ向かって車を走らせた直後に、来客が突然今の熊本城を見てみたいという要望に沿って進路変更し、熊本城二の丸駐車場に相方とその友人を降ろして帰宅した。

 空からはポツリと雨も降り出し、新聞によると今日から南九州は梅雨に入ったということだった。

 「半夏生忘れたことも気にならず」

 

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五月晴れ

2018-05-27 10:04:03 | 日常あれこれ
 今朝は爆竹の音で目が覚めた。

 多分近所の小学校の運動会なのだろう。

 遠くからも少なくとも他に2方向からほぼ同時刻に聞こえたから、どこの学校も同じ時程で進行させるのだろう。

 

 とても良い天気で、子供達が元気に運動会らしく紅白の帽子を被って登校していった。

 日中は最高気温は32度を予想していたから熱中症対策が重要な運動会になりそうだ。

 昨日は曇りベースで時々雨も降る状況だったので鉢の水やりを省略していたら、今朝見るとアジサイはうつむいていた。

 慌てて水をたっぶりやったが、多分回復してくれるだろう。

 

 水やりの最中に今年初めて、キリギリス風の昆虫を見た。

 名前は忘れた。

 花の名前と同じで、最近はよく忘れるが、昆虫は意外と関心が薄くなりがちだ。

 子供の頃は、特有の名前をつけて呼んでいたはずだが、正式名称ではないので世の中には通用しない。

 菜園では、ほぼ豆の収穫は終わった。

 

 この豆はソラ豆風ではあるが実は紫色で、ご飯に炊き込むと赤飯になってしまう。

 北海道で赤飯は甘納豆で作ると聞いてビックリし、実際に食べさせられて甘い赤飯に二度驚いたことがある。

 所変われば品も変わるという好例だ。

 収穫した豆はこの他にもエンドウ豆というべき物も沢山ある。

 青い実だしピースご飯のつもりで炊き込んだら、出来たご飯は薄いピンク色をしていて、味は普通の豆ご飯だった。

 いずれにしても今年の豆はご飯に炊き込むと、赤飯になったりピンク飯になったりする珍種なのだ。

 豆は全部皮を剥き、ヘタも取り小分けして冷凍保存した。

 多分一年中は持つくらいの量である。

 我が家を訪ねて来た人は、ほぼ例外なくピンク飯を食べさせられることになるはずだ。

 「五月晴れ新しいこと始めるか」

 
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私は大丈夫の確率

2018-05-26 10:52:55 | 日常あれこれ
 大きな事故などが起きたとき、場所や時間が少しずれていたために事なきを得たが、状況によっては・・・等と云う経験は何度かある。

 特に交通事故などの場合、事故直後であったり或いは数台前の車が目の前で、などと云う話は意外に多い。

 5月24日(木)1600時頃の熊本空港から東京へ向かう日航機から部品が落下した事故も後で驚い例だ。

 当日は趣味の謡曲の練習が早く終わったので、早めにウオーキングに出かけた。

 コースは最近定番にしてしまった町の交流センター往復コース。

 
 (落下現場付近)

 家から五分ほど歩くと整形外科や歯科など病院が3軒、整備工場や中古の自動車販売会社などがある現場付近を通る。

 テレビでは部品落下は半径50m程と伝えていたが、実際はもう少し広範囲だし詳細に探せばもっと出てくる可能性はある。

 離陸から引き返した時間経過からみると、私はどうやら落下した直後に現場付近を歩いて通ったことになる。

 解体されて空き地が多くなった一帯を町の幹線道路が走り、通行する車もいつも通りの町の風景だった。

 落下物の被害は病院の窓ガラスや、付近の車の屋根などに及んでいるようだが、当時はまったく静かなものだった。

 建物から物が落ちてくるという事故の話はときどきニュースで見聞する。

 こうした事故に巻き込まれる確率は、宝くじの当選確率とどちらが高いのだろうか。

 確率がどんなに低かろうと、人為的な原因で空から物が落ちてくる事態は御免蒙りたい。

 などと言いつつ、それでも私を含めて人は平然と生きていく。

 自分だけはいつも確率の枠外にいたいという、都合の良い願望だけで・・。

 「訃報聞く自分は死なぬ気になって」

 
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江津湖の画家たち

2018-05-25 14:11:24 | 日常あれこれ
 全日本川柳熊本大会を間近に控え、準備作業のため吟社に向かった。

 作業への出席者が多く、20名近くが集まったため作業は極めて早く終わってしまった。

 未着の品物もあり、最終的な作業は6月5日にすることになって解散した。

 帰り道はいつもの通り江津湖畔の広木公園へ向かう道である。

 キャンバスを立て、木に寄り掛かって絵を描いている二人を見つけた。

 

 夫婦なのだろうか、のんびり絵を描いたりしながら午後の一時を過ごすなんて、なんと優雅な・・・。

 などと思いながら少し歩く、ともう一人木陰で同じように湖に向かって写生をしている人がいた。

 

 二人ならず、三人目が現れると少し疑問が生じてくる。ここは撮影ポイントならぬ写生のポイントなのだろうか。

 世の中には偶然があるもので、今日は写生に適した日かな?等と思いながら歩くと、更にもう二人。

 

 こちらは完全にピクニック気分で、キャンバスを背に食事中。

 このキャンバスの林立に、ひょっとすると絵画教室か同好会の野外での写生会?という疑問が頭をもたげた。

 更に離れた場所でもう一組を発見するに及んで、疑問はほぼ確信に変わった。

 広い芝生は雑草ともいえるシロケツメイシの花で埋めつくされていた。

 

 このくらい盛大に敷き詰めたように咲けば、雑草めと憎々しげに処分するにも気が引ける。

 これくらい沢山のクローバーなら、きっと幸運の四つ葉もかなりの頻度で見つけられるかも知れない。

 日永一日魚を釣っている人を、日永一日見るのもいいかも知れないが、ノンビリ絵を描く人をこれまたノンビリ見るのも良いかも知れない。

 政府は消費拡大のラッパを吹くが、もう国民は豊かさの尺度そのものを変えてしまって、なかなか踊らない。

 
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蛍の光

2018-05-24 10:31:28 | 日常あれこれ
 彼方の町で花が咲いたと聞けば出かけ、こちらの村の棚田の彼岸花が美しいと聞けば出かけたものだった。

 今の時期なら、田植えの後が美しい阿蘇外輪山の外側の棚田だろうか。

 そういえば今年は「山田の藤」も、「小岱山麓のマンサク」も、「日輪寺のつつじ」も行かずじまいだった。

 相方が突然ホタルを見に行こうと言い出した。

 去年は地震の後も痛々しい町民グランド脇の水路に飛び交うホタルをウオーキングがてらに見た。

 その話を相方が覚えていて見に行こうというのだが、町内は水道・下水・道路工事と日替わりで現場が変わり通行止めになるし風が強すぎるので、取り敢えず確実にホタルがでる故郷の村に行こうと夕方から車で家を出た。

 
 
 
 
 小川沿いには沢山のホタルが乱舞していたが、カメラに写すと何とも情けないささやかさ。

 ここの川沿いはゲンジボタルで光は大きい方なのだが・・。

 もう少し上流の杉林の中には、少し小型のヒメホタルが棲息する。

 光は小さいが飛んでいる数が圧倒的に多いのが特徴だ。

 今回はゲンジボタルだけを見るにとどめる。

 若い二人連れや小さな子供連れの両親など、訪れる人はいろいろ。

 川原に向かう橋の上にくるとホタルが見え始め、あちらこちらから少し抑えながらの「あら~飛んでる~」などという声が聞こえてくる。

 そうした声の中に、「ほら見てご覧、あの光って飛んでいるのがホタルだよ」という声も混じっている。

 初めてホタルが光りながら飛ぶのを見る子供が多いということだろう。

 私が子供の頃は庭先まで沢山飛んで来て、丁度収穫が終わった菜種の穂先で捕まえては麦藁で作ったホタル篭に入れていた。

 映像や本で見ても伝わらない独特の雰囲気というか空間美のようなものがあるが、ホタルもそのうちの一つだろう。

 種の保存のための生殖の最高の時なのか、今宵一夜の命の最後の明滅なのか、セミは鳴き声でホタルは光で体現する。

 蛍の光は心に染みるような黄緑色をなびかせながら直ぐ手元まで飛んで来ては、また離れ去っていく。

 母が死んだのは私が6歳で、ホタルの飛び交う5月の今頃だった筈だが・・記憶にない。

 蛍の光・・・生と死の短い饗宴の幕もやがて下りる。

 「蛍舞う今日の光は今日限り」

 
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言葉と表現法

2018-05-23 17:14:26 | 本と雑誌
 自分の意思を伝える、伝えたいことを表現するということの難しさを痛感する昨今である。

 作者は忘れたが、気になった川柳に「四百字言いたい事は言わせない」という句があった。

 あなたのご意見を、400字詰め原稿用紙一枚に書いて下さいといったことに対する十七音字での意思表明だ。

 この頃は図書館に行けば、俳句・川柳・短歌・詩など所謂短詩型文芸の類本をつい手にとってしまう。

 

 俳句の本などを手にすると、作者との対談なども載っているものもある。

 評論活動などを活発にやっている年配の女性と、俳人の対談記事を読んだ。

 長いこと俳句をやっていたという女性は、十七音字での意思の表現に限界を感じて止めたと述べていた。

 俳句で意思を自由自在に表現しようというのがどだい無理な注文のなのだと思うが。

 具体的な社会批評など俳句には馴染まないし、川柳でも一部分を切り取る程度で限界がある。

 そんな中に、「俳句でつくる小説工房」という本を見つけた。

 一般の人が投句し、選者がテーマ毎に秀作を選んで披講を加えている。

 そのテーマ毎の秀作の中から更に1点を選んで、テーマ毎の小説を作り上げるという仕組みになっていた。

 短篇に仕立て上げるために俳句が題材にされたということなのだ。

 小説にも「ショートショート」という極めて短いものがあって、どうかすると「詩」より短かったりする。

 各々が最も自己の表現に適する方法を選び出して、創作していくのだ。

 400字では言い足りなかったり、十七音字表現に限界を感じたりという意見もあるが、わざわざ縛りを加えた中で表現してみようという、特異な言葉の文化は日本人が誇っていいものの一つだと思う。

 
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初夏の江津湖(2)

2018-05-22 10:19:20 | 日常あれこれ
 江津湖は動・植物の宝庫だと昨日書いたが、ちょっと歩けば直ぐに色々な野鳥に出会える。

 水鳥は水に浮かんでいたり。水際で魚を待っている様子は目にするが、陸上を歩き回る時もある。

 
 (バンの仲間)

 バンにもいろいろあるようで、クチバシが赤かったり黄色だったり。

 列を成して次々現れて芝生を突いていたから、虫かあるいは草の新芽か実が目当てだったのだろうか。

 
 (かも)

 これもカモの種ではあるのだが、なんという種類かは知らない。

 ビジターセンターがあって、そこには鳥や魚などの種類が沢山紹介されているがとても覚えきれない。

 日陰でのんびりお休み中だった。

 水鳥でも休憩は水より陸の方が寛げるのだろうか。

 
 (サギ)

 このサギがまた種類が多い。

 シラサギ、アオサギ、ダイサギ、チュウサギなどなど・・・ウサギなんていうのもいるかも知れない。

 空を飛んだり、こうして佇むときは首を引っ込めた状態が多い。

 水の中で立って魚を補食するときは、いきなり首を伸ばすとこれが以外と長い。

 魚に油断をさせるためか。

 種類によっては片足で立って、もう片足を小刻みに震わせながら魚を追い立てて、出てきた魚をパクリ。

 まさに魚にとってはだまし討ちで、サギ行為という語源はここから生まれたとは、私がたった今思いついた真っ赤な嘘。

 この他、ユリカモメ・カラス・鳩などの一般的なものからセキレイやカワセミなども多い。

 江津湖は、なにか一つの種に絞って散策しても面白いゾーンである。

 「いよいよとあれあれの間に夏は来ぬ」

 
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