カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

防猫ネットの中で堂々とトイレの所業

2018-11-30 10:25:56 | 日常あれこれ
洗濯物を干しに庭に出ていた相方が「またやられちゃった」と言いながら玄関を入ってきた。

 先日完成した猫侵入の防止のためのネットの中に堂々と2個の穴が掘られていた。

 
 (設置していたネット)

 これは、そもそも蔓性の豆などを這い上らせるためのネットで、ちょっとした蔓の先でも引っかかり易く作ってある。

 洋服や靴などにもよく引っ掛かって作業がし辛いくらいだから、猫も毛が引っ掛かって気持ち悪かろうと思ったので多少目は粗いが設置したのだ。

 2日目にして、難なく突破されてしまった。

 もう少し目の細いネットでないと、侵入防止にはならないことが分かって近所の100円ショップを覗きに行った。

 恐るべし100円ショップ、何でもある。

 とりあえずテストケースとして半分だけネットを張り替え、残りの半分は撤収したネットをダブルで張ってみた。

 作業の途中で二度ほど、問題の猫が様子を見に近くにやって来た。

 手の内をさらけ出してのガチンコ勝負というわけだ。

  
 (張り替えたネット)

 長さが少し足りなかったので、低めにして左右の部分を少し斜めにして設置した。

 今朝、例によって朝イチで洗濯物を干しに出た相方の言によれば「異常なし」だった。

 そんな話をしながら、朝食をたべていると猫が庭を通るのが見えた。

 例の花壇と菜園のネットの方向から早足で直ぐ横のガラス戸の前を横切って隣の塀の方向に向かって行った。

 我が家の庭の東側を通って北隣との塀を越えて行くのが、猫の定番のコースなのだが今朝にかぎりコース順が違う。

 「トイレが使用できなくなって、焦って次の候補地に急いで行ったのかも・・」と、相方と顔を見合わせニンマリ。

 さて、これが本当のニンマリになるのかは猫のみぞ知る・・・である。

 
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下がって困るもの上がって困るもの

2018-11-29 11:18:17 | 日常あれこれ
 世の中には下がってガッカリする事が多いが、ロアッソ熊本のJ3降格はガッカリさせられた。

 昨年のシーズンも降格圏の21位で、たまたまJ3リーグを2位で勝ち上がってきたチームがJ2で戦う資格を有しないチームであったため、ギリギリの残留だったのだ。

 もうその轍は踏まないぞと臨んだ今シーズンだったが、ちゃんと轍を踏んでしまって全く同じ状況になってしまった。

 ただ一つ状況が違ったのは、今度のJ3を勝ち上がったチームは、立派にJ2に昇格する資格を持ったチームだったということだ。

 

 今期初めてロアッソのホーム戦のシーズンシートを購入して、特典グッズを引っさげて余程の競合でもない限りスタジアムに駆けつけたが、誠に残念な結果で終わってしまった。

 私としては、下がってガッカリした話の直ぐ後に、上がってガッカリする事態にも直面してしまった。

 

 前立腺癌の小線源埋め込み治療(放射線の内部照射)という療法を選択して6年が経過しているが、定期観察を11月に受けた段階でのPSA数値が上昇しているという結果が出た。

 ロアッソは下がるのが好ましくないが、私の場合は上がるのが好ましくない。

 術後の数値より2ポイント上昇すれば、再発・転移などを疑うという目安の数値を超えたので、PSA検査周期を早めたりしていたが、PSA値4を越えた段階で、骨シンチとCTによる検査を受けたことがある。

 その時は、再発も他の箇所への転移も認められないという所見で又もや定期的にPSA値を把握するという様子見状態を続けていたのだった。

 上がってビックリ、下がってニッコリを繰り返していたが今回は上昇に転じていた。

 通常再発や転移の場合、もっと早期の段階でドンドン右肩上がりになるのが通常らしい。

 私の場合術後6年を経過し、上がるかと思えば平行になり状況によっては下がって見せながらまた上がるということの繰り返しになっている。

 今回はPSA値が6を越えているので、再度CTや骨シンチの画像診断を受けることになって、器材の関係から来年の2月に検査予約した。

 この癌にも温和しいものとそうでもないものとがあって、私の場合は比較的おとなしい性格のものらしい。

 しかし、次の検査結果によっては当然今でもやっていて不思議はないホルモン療法などの次の段階の療法が考慮される。

 そのための事前基礎知識のパンフレットを貰ってきた。

 楽しい読み物ではなかったが、次にとるべき対処要領のあれこれだから、一応はその特性と方法の微妙な違いを把握することにした。

 ロアッソ熊本は1年でJ2に復帰することを目標に厳しいシーズンに臨もうとしている。

 最大限応援するためにも、来期もシーズンシートを購入したいと思っている。

 応援をするためには人間を止めるわけにはいかないので、健康の為の選択も視野に入れながらその時を待つ。

 「出かかった愚痴はそのままシュレッダー」

 
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難しい名前

2018-11-28 10:19:24 | 日常あれこれ
 今朝の新聞に平成の30年間につけられた子供の名前について、多い順に掲載されていた。

 男の子:翔太~翔~健太~蓮~大輝

 女の子:美咲~葵~陽菜~さくら~愛

 PCで打ってもほぼ一発変換するところをみると、かなり一般化した名前なのだろう。

 私も蓮・大輝・陽菜以外は、ほぼ間違いなく読めた。

 難しいのは読めないのではなくて、何と読ませようとしているかが不明だからである。

 我が家にもややこしくも、似たような名前の植物がある。

 
 (ピラカンサス)

 いろいろ数種があるそうで、トキワサンザシとかタチバナモドキとかいうのもあるそうな。

 
 (キリタンサス)

 今年はかなり早くから花芽が伸び始めている。冬場に咲く花で毎年室内に移動して咲かせている。

 この「キリタンサス」と前述の「ピラカンサス」の名前が、二つ同時に出て来ない。

 一つの名前を思いだした瞬間、もう一つの覚えていた筈の名前が頭から吹っ飛んでしまう。

 じつは、先日の川柳大会のジュニア部門を担当してみて、100%自信をもって読める名前は一人も居なかった。

 投句用紙には必ず「ふりがな」を振るようになっている。

 ところが、「愛衣」という名前でふりがなに「あい」と書いてあると、「ああ、そうなんだあ」となる。

 何百という投句している子供達の名前が、特性を持たせた字の組み合わせや読み方の工夫で以外とダブらない。

 親の思い入れや工夫が効を奏しているわけだが、個性的にすればするほど難解・難読になるわけで、子供は将来に亘って何度も名前を聞きただされる宿命を負う事になるだろうと思う。

 〇〇作家などに、ペンネームや雅号に首を捻るようなものがあるが、これはこれで強く印象づけるためのテクニックの一つだと思っている。

 ただ、ややこしい名前の連発がこうも続くと、昔ながらの〇〇子などの方がかえってスッキリと目立つから不思議だ。

 「またしても選者泣かせの漢字です」

 
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野菜と猫と残り花と

2018-11-27 16:44:37 | 家庭菜園
 花壇の一部に野菜を植えてしまえ作戦のとばっちりを食って撤収された花は密かに生きている。

 

 マリーゴールドは、大きな一株だったが三分の一くらいにカットして鉢に植えた。

 本当に終わりに近い花なのでそうそう長くはないのだが・・・。

 

 日々草も撤収した分は皆鉢に植えて日当たりの良い軒下に移動した。

 この一株だけが異常に育ってしまい、抜くのが気の毒になって最後までこの場所で頑張らせるつもり。

 

 ペチュニアは鉢のままカットして、暖かい所で冬を越させようと思っている。

 思惑通りいくかは分からないが・・。

 ま、予定では上手くいく・・・はず。

 

 無傷で頑張っているのはこの菊。

 仏壇に供える前に、枝を切りそろえた残りを地面に挿して水をやっていたら根付いて、珍しい形の花を咲かせている。

 日当たりを避けて金柑の木の根元付近に挿したので、今度は金柑が霜よけになって長く持ちそうである。

 花壇に進出した菜園だが、昨日は猫が入り込んだらしく、土をほじくり返した穴が二つあった。

 点検したらすき間がけっこう有って、あの狭い窓のすき間からひょいと出てくる技能の持ち主にしてみれば、このくらいの網目のすき間はチョロいもんだったのだろう。

 とりあえず、網目や地面からの高さ等を修正し、我が家に居た猫の「シロ」君が大嫌いだった柑橘系の匂いを漂わせようと、貰ってきていた柚子を輪切りにして要点に置き、様子を見ることにした。

 暫く外を眺めていたら、猫がやって来た。

 

 どうも上手く入り込めなくて残念そうにずっと佇んでいた。

 猫のプライバシーのため画像はモザイクをかけてみた、と言いたいところだが網戸の内側から写したら網戸に焦点が合ってしまっただけの失敗作。

 それでも、猫の残念さが伝わってくるようで面白い。

 近所のお宅で、ネットを張っているところがあるので聞いてみたら、猫が入ってウ〇〇を・・・と状況はおなじ。

 ただ、このお宅のネットは網目が細くて丈夫そうで、我が家の野菜用のネットとは質が違う。

 賢い猫だから、我が家のネットの盲点をついて再度挑戦してくるだろう。

 かくて猫との対戦は、暫く続きそうな予感が漂うのである。

 
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間引き若菜の塩揉みは熱々ご飯に最高!!です

2018-11-26 09:51:03 | 家庭菜園
 葉大根がしぶしぶという感じで本葉を出してきた。

 とにかく時間が掛かった。

 たぶん初冬という時期的な問題と、隣家の家のすき間から射す太陽に依存する場所の問題だろう。

 

 暖かい時期なら双葉から直ぐ本葉が出て、双葉など直ぐ見えなくなるのだが、今もって双葉の存在感が大きい。

 もう少し本葉が大きく育ってから間引をしたいと相方は言うが、取り敢えず食べてみたいと強引に試食をすることに。

 一夜漬けならぬ、2時間漬けくらいで食べることになった。

 

 小さいので塩揉みにすると更に少なくなって、小皿半分にも満たない量になってしまった。

 だが、若菜として市販されている葉大根に比べると格段に美味い!!

 繊細で柔らかな歯応えと、仄かな大根の風味が少し垂らした醤油の味と上手く絡まって誠によろしい。

 昔、烏賊の塩辛やラッキョウでご飯を食べて「日本人に生まれてよかった」と言う三木のり平のコマーシャルがあったが、この間引き若菜の大根の塩揉みは、「人間に生まれてよかった」と言いたいほど白いご飯には最高で、他にはおかずはいらない。

 とまあ、大いに喜んだ昼食だった。

 渋々作業をした相方に報いるためにも、多少大袈裟にアピールしたのだが、すこし調子に乗りすぎた。

 このまま、若菜を食べていくと直ぐ無くなるので、終わりに近づいた花壇の花は撤収して、その後に葉大根の種を蒔こうと言い始めたのである。

 「善」は急げというより、「お膳」を優先して花を抜き大根の種を蒔くはめになってしまった。

 

 せっかく咲いている花もあったので、鉢に移し替えておいた。

 相方に言わせると、私は終わりそうな花に執着し過ぎるそうだ。

 日当たり的には今の菜園の場所より格段に良いので、多分成長は早いだろうと思う。

 ただ猫のウンコ対策のためネットを張る面倒臭い作業が追加される。

 作業の最中に、猫が様子を覗いにやってきた。

 「見ろ、お前のために余分な作業だぞ、手を貸せ」と言うと、暇そうに作業を眺めていた。

 「何はさて間引き若菜の一夜漬け」

 
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言葉と耳の物語

2018-11-25 10:06:19 | 日常あれこれ
 最近とみに耳のセミが元気よく鳴くようになって、人の声を聞くときはより注意するようになった。

 何度聞き返しても判らない時もあって相手に不快な思いをさせることもある。

 迂闊に返事をして、とんでもない間違いや誤解をしたら悪いので聞きただすことになる。

 「聞きただす二度聞きただし諦める」という句を詠んだのもそんな思いからだった。

 ところが人間とはだんだん図太くなるもので、この頃は聞き取りにくい話し方をする者には「え?」と言いながらオーバーアクションで耳を向けるようになった。

 勿論相手によってそのアクションを使い分けているわけで、無差別というわけではない。

 人の喋り(話)に注意するようになると、その音の強弱や分かり易い話し方に差違があることがわかる。

 

 全般に聞き取り易いのは、女性の軟らかい早過ぎない口調である。

 NHKのニュースなら、朝のただ元気で甲高い女子アナの声やお天気姉さんの声より、夕方や夜のニュースの落ち着いた声の方がよく内容が聞こえる。

 そうすると同じNHKでも時間帯によって、視聴者の年代などから想定して朝の若者・夕方の年配というように考慮しているのかも知れない。

 確かに朝からは空元気でも、仕事に出かける前の盛り上がりが必要なのだろう。

 テレビと云えば、以前から気になっているのだが、時代劇とくに大河ドラマや軍隊ものドラマは、どうしてああいつも大声で会話するのだろう?

 視聴率調査から、耳の聞こえが悪い年寄りの視聴者が多いという結果でも出たのだろうか。

 評定や作戦会議の場面では、いつも口角泡を飛ばして喧嘩腰の話し合いが定番である。

 アレじゃ冷静な話し合いは出来ないだろうに、戦国武士は皆アホやね~と小学生が思わないか心配になる。

 人は口から音を出して意思伝達をする方法を編み出した。

 最近は簡略語が多くなり本来の原語が分からなくなっているものも多い。

 特に経済学者が使う外国語らしきものは難解この上ない。

 日本語に訳すると意外と簡単で誰にでも分かることを判らせない技術を競っているかのよう。

 

 三本の矢が放たれた後、新しく三本の矢が放たれたが、命中したかどうか的を確認(検証)する間もなく、次々と言葉の矢が放たれているが、放たれっぱなしなので、修正射も出来ない。

 どうやら国民の耳に、大量のセミを仕掛ける新手のサイバー攻撃並みの作戦が遂行されているのではあるまいか。

 そうなると問題の解決は、耳鼻科だけでは対処しきれないことになる。

 取り敢えずは、「カワイイ」をキーワードに甲高い声も我慢するしかないか。

 
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(続)鳥の糞、猫のウンコの物語

2018-11-24 16:35:59 | 日常あれこれ
 昨日は車には鳥の糞、花壇は猫のウンコと散々だった。

 「運の尽き」の方ではなくて「運が着いてきた」と良い方に解釈しようとしたがかなり無理があった。

 車は走り回るには余りにみっともないし、花壇は連続して糞をしたらしく掘り起こされている。

 車の洗車は概ね終わったが、猫の糞は跡を片づけても「トイレ掃除ご苦労!」と猫が喜ぶのが関の山。

 相方が言うには、最初は糞に土も被せないままだったが、二度目からは土を被せるようになったとかいう話。

 問題は、糞に被せる土をところ構わず引っ掻くので、芽を出したばかりのスイートピーまで掘り出してしまうこと。

 100円ショップで見かける、猫の嫌いな匂いとか、障害物とかを考えたが効果があるのか疑わしい。

 そこで、春先のエンドウ豆に使ったネットがあることを思いだして、張ってみることにした。

 

 本来は蔓を上に這わせるためのネットだが、防虫ネットの要領で軽く広げてみた。

 手前の列には春菊の種も蒔いているので、これでまとめてOKだろうと思っている。

 今年の初夏までで撤退した空き地菜園の、最後の収穫がこのネットに這わせて豊作だったエンドウ豆だった。

 冷凍保存しているエンドウ豆で、今朝は豆ご飯だった。

 

 青いエンドウ豆なのに、豆ご飯にすると赤く色がつく。

 小豆などを使った赤飯よりも赤味が強いような気がする。

 食べるとエンドウ豆の味なので不思議な気分になる。

 おまけに出来たときは淡いピンクだが、釜の中で時間の経過に従って赤い色が濃くなってくる。

 我が家にはソラ豆に似たもう一種類の青い豆が冷凍保存されているが、これも赤飯になってしまう。

 菜園は無くなったが、取って置いたネットがこういう役目で復活するとは思わなかった。

 トイレを奪われた猫は困るだろうと思う。

 今度は多分葉大根・レタスなどを植えている一角に変更してくる可能性がある。

 あと1セット残っているネットの出番になりそうだ。

 ウンコについては、ネットを張っていない場所なら黙認するという方向で猫と調整したいと思っている。

 
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最後にグ~ンと盛り下がるお話

2018-11-23 21:25:33 | おでかけ
 今日は月に2度の噴煙吟社へのお出ましの日。

 編集が終わって今日は校正ということで例によって湖畔の駐車場へ。

 

 なんと、駐車場脇の銀杏が黄葉して、しかも黄色い絨毯まで敷き詰めたサービスぶり。

 10日前に編集で来たときにはまだだったから、急に黄葉が進んだのだ。

 

 江津湖には例によって沢山の水鳥がプカプカ浮かんでいたが、このカモ達は何故か私の姿を見ると整列した。

 カメラを前に格好つけたのだろう。

 

 早朝から来ているのだろうか、釣り人はもう腰を下ろして糸を垂れ、ウキに見とれていた。

 

 その直ぐ横では大きな鯉がノンビリ泳いでいたから、たぶん釣り人との間には信頼関係が出来ていたのだろう。

 

 ボートクラブのボート置き場では、沢山のボートがノンビリ甲羅干しをしていた。

 湖面ではもう数艇が練習をしていたから、多分早出の練習だったのかもしれない。

 吟社に行くと、どういうわけか女性陣は皆都合が悪かったり体調が悪かったりでオッサンばかりが集まっていた。

 何だかんだとやってるうちに、結構時間が経過して自転車で来てた人が「暗くなると危ないのでお先に」などと言い出したのを潮に皆腰を上げた。

 

 いやはや、ついこの前まで今の時間だとまだ日暮れまでは間があったのに、なんという季節の変わりようだろう。

 モタモタしてると本当に暮れてしまいそうだ。

 駐車場に着くと、車には数え切れないほど沢山の鳥の糞がまき散らされていた。

 天井・ドア・フロントガラスもサイドもすべて、鳥達の饗宴の後が残されていた。

 取り敢えずフロントガラスだけウオッシャー液で流して視界を確保し、ほうほうの体で家路に着いた。

 家に帰りつくと相方が「隣の脱出猫が花壇にウンコしてるよ」と嬉しい話を聞かせてくれた。

 何と言うことだ!運が向いて来たぞ!

 いや・・・運の尽きの方かな?

 明日は猫と鳥のウンコの始末が私を待っていることだけは確かだ。

 
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お天気の様子見

2018-11-22 12:05:17 | 日常あれこれ
 未明まで降っていたらしい雨も上がって、起き出す頃には太陽が顔を覗かせていた。

 日中の気温は、昨夜の予報ではあまり上がらないようだったが布団を干すことにした。

 昨夜は寒く感じ、足が冷えたりすると眠りにつくのが遅くなったりするので多少大袈裟な暖房処置をした結果、汗をかいてしまった。

 

 布団を干すときは通常相方の分も一緒に干すのだが、今の季節に汗いたのは私だけ、しかもカラッと晴れているわけでもないので相方はパスするという。

 なるほど暫くすると、先ほどの太陽の光はどこかへ消えてしまっているではないか。

 

 窓から見上げる空は、降るとも降らないともどっちつかずの微妙な雲が一面を覆っている。

 予報では日中天気は回復して来ると言った筈だが、降雨確率も当てにはできない。

 「降りそうだったら、さっさと取り込んでね」と、相方は当方の自己責任を強調する。

 干してしまった手前と、自己責任云々で必要以上に注意深い空の様子見はつづくことになる。

 トランプのアメリカ、米中の関係、韓国の対日姿勢の動向、東京地検特捜部の捜査の進展等々、とかく内外の情勢に振り回されつつ様子見が多い昨今の日本だが、相手がいるとどうしても下手に動けなくて様子見が多くなるのはやむを得ない。

 てな事を書いていたら窓の外がパアッと明るくなった。

 

 なんと、垂れ込めた雲は何処かへ行ってしまって、太陽が顔を出し始めた。

 一応様子見は効を奏したということになる。

 しかし、日本を取り巻く情勢が一気に好転するなどということはあり得ない。

 バランスなのでこっちに良いことがあっちに良いこととは限らない。

 悶々とし鬱屈した不満を一気に開放しようなどと考えると、ろくなことはないのは過去も今もおなじ。

 ある意味様子見で済むなら永遠に様子見だって良いわけで、そこは国民の成熟度の問題。

 天気の様子見から話を大袈裟に展開してしまうところが本ブログの真骨頂。

 さて、一句・・・「生国と天気で持たす初対面」

 ご出身は?・・そうですかあ、それにしても今日は天気が良くてよかったですねえ。

 お後がよろしいようで。

 
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「言葉」この不思議なもの

2018-11-21 10:02:39 | 本と雑誌
 定期的に図書館に行く。

 貸出期限が2週間だが、最近2~3冊しか借りないので一週間に一度くらいのペース。

 この頃は、詩・短歌・俳句など、短詩型文芸ものを借りることがが多い。

 先日、地域の文化協会が催す新春のカルタ大会に参加して欲しいと誘われた。

 カルタなど犬棒カルタを子供の頃、やった程度でまったく経験がないので断ったら、枯れ木も山の賑わいとして参加して欲しいような雰囲気が漂って来たので、都合がつけば~・・・となかり語尾にビブラートをかけた答えをしておいた。

 で、今回本を借りるにあたり、百人一首なるものを探してみた。

 
 『百人一首』久木田恵子(著) 二星天(絵)2012.12岩崎書店(刊)

 百人一首を紹介・解説してあるのかなと思ったら、ストーリーで楽しむ日本の古典のシリーズものの3刊目。

 ”百の恋は一つの宇宙・・永遠にきらめいて”などと副題があって、王朝絵巻風の挿絵が所々に。

 児童文庫コーナーの棚から借りてきた読みやすい本。

 ストーリー展開は、選者の藤原定家が500年に及ぶ和歌の作品の中から百人を選ぶあたりから始まって、それぞれの時代の作者の中から8名を抽出して、人となり人間関係などが著者の豊かな想像力(というか空想力)で、フィクションとして描かれていくもの。

 とても物語として面白く読むことが出来た。

 一番最後に、一覧表的に「百人一首」が表記され、「平安時代の女流作家関係図」が付記されていて興味深い。

 あと一冊は・・。

 
 『一日の言葉、一生の言葉(旧暦でめぐる美しい日本語)』白井明大(著)2018.5草思社(刊)

 いわゆる格言めいた言葉がずらずら出てくるのかと思ったら、違っていて良かった。

 基本的には時間の流れに応じた、一日の或いは一月の或いは一年のそして一生の事象・現象などにどういう言葉が割り当てられたかという話である。

 一日の言葉の中に「夜さり」という言葉があって、「さり」は去るで夜が去るから明け方の事ではなく、「さり」は「来る・近づく」という意味もあって、夕方や夜が近づく頃とあった。

 子供の頃、祖父母から「夜さるまでにゃ帰ってこい」などと声をかけられたことを思いだした。

 中央(都)で使われていた言葉が地方に伝わり、都では廃れたのに地方では残った言葉というのは少なくないようだ。

 そう言えば当地では、「そっちに〇〇頃に行くから・・・」と言わずに「そっちに〇〇頃来るから・・」と言う場合が多い。

 相手の立場に立っての会話と自分では解釈していたが、「いく」と「くる」の関係もひょっとすると「さり」と「くる」の意味合いと近いものがあるのでは??・・・などと、急に今になって思いついた。

 「明るさの違いで時を呼び分ける」

 
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