カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

女郎蜘蛛

2014-08-30 09:35:01 | 日常あれこれ

 庭の隅に蜘蛛が巣をかけている。

 蜘蛛の巣は歩いていて顔にかかったときなど不快なもので、蜘蛛を殺したりはしないものの、巣はj取り払ってしまう。

 ところが今回は、あまり通行の邪魔にならない場所であったのと、子供の頃よく捕まえたジョロウグモだったからだ。

 久し振りに見かけて、ちょっと懐かしくなった。

 このジョロウグモの巣は粘り気が強く、子供の頃は小竹の先端だけを割って少し開いた部分に蜘蛛の巣をクルクルと巻き付けて、高い木で鳴いている蝉をペタッとくっつけて捕まえていたのだ。

 Dscn1763

 通常夕方などに巣を張り替えて粘着力を維持して獲物を捕獲するのだが、庭への登場以来まだ一度も巣の張り替え作業も、虫を捕らえているところも見たことがない。

 ただ、最初の頃より随分大きくなっているので、虫など捕食しているのだろうとは思うのだが・・・・。

 Dscn1699

 先日の薪能は「土蜘蛛」で、人の世に障りをなさんと悪役で登場したのだが、こちらの女郎蜘蛛はもっぱら太陽の下で空中に営業所を構える善玉であると思っている。

 たしか鹿児島あたりでは、この女郎蜘蛛を飼育して蜘蛛同士を戦わせる遊びを大人が本気になってやってると聞いたことがある。

 子供の頃、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んで以来、何となく仇や疎かには出来なくて、家の中で遭遇した場合等は、そっと屋外に引き取ってもらうよう気を使うようになっているから、考えて見れば本の影響力はすごい。

 庭の蜘蛛も結構な大きさに成長したし、小結か関脇くらいはいけそうな気がするのだが・・・・・。

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花の盛りも結構ながい

2014-08-28 09:17:43 | 日常あれこれ

 植物から季節を教えられるということは多々あるが、え?と思うことも多い。

 例えば我が家の金柑の花は今4度目の開花を迎えている。

 Dscn1760

 5月頃に開花して、梅雨時も2度ほど開花した。

 蜜蜂も晴れ間をみて受粉してくれたので、もう実がついて少しずつ大きくなっているのだが、まだ種の保存からすれば不足だというのだろうか。

 4度目ともなれば蜜蜂もあまり姿を見せないが・・・・。

 それに朝顔は今が最盛期のようで沢山の花を咲かせ、朝顔の「季語」が「秋」だということを納得させてくれている。

 Cimg4997

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 高く伸びすぎて、もはやネットの最上部に達し、何も支える物はないのだが、複数の幹がお互いの蔦を絡ませあいながら、更に上を目指して伸びようとしている。

 Cimg4988

 ムラサキイセハナビも一日限りの短さではあるが、交替で咲き続けている。

 

 しかし、朝から騒いでいたクマゼミの声もなく夕方担当だったアブラゼミも鳴かなくなって、昨日の夕方はどこからかツクツクボウシの鳴き声が聞こえてきた。

 天気は相変わらずスカッと晴れた日はなくて、今日も朝からどんよりとした曇り空。

 取り敢えず、9月7日から予定している、北海道旅行頃には正常ないつもの秋になってくれないかと、願っているのであるが・・・・・さて。

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みんなの夏祭り

2014-08-26 21:33:19 | おでかけ

 町の夏祭りを覗きに行った。

 去年までは配偶者に頼まれて、男女共同参画なんとかいう団体の中で法被を着せられて踊ったりもしたのだが、今年は冷たいビールを飲みながら踊っているのを見る側に回りたいとの希望が許可された。

 沢山の屋台に沢山の行列が出来ていて、屋台祭りの様相を呈していた。

 Dscn1733

 子供達にとっては、残り少ない夏休みの1ページだし、いろいろと楽しいものが並んでいるし、最後は花火もあるから夏休みの日記の3日分くらいは賄えるほど話題があるだろう。

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 近くにある「阿蘇くまもと空港」への最終便が着陸した後でないと、花火は上げられないそうで21時30分過ぎからドド~ンと始まった。

 始まりが遅いので至短時間で終わらせる必要があるのか、とにかくドンドンぱちぱち上がる上がる。

 デートの若い人達はもっと長くやったほうが都合がいいのだろうが、私達にすれば威勢よくドド~ンとやって、パアッと終わるような切れの良い花火の方が面白い。

 そう言えばビールもコクがあるものより、スカッとキレのいい辛口が好きだ。

 てなわけで、妙な天候の続く今年の夏の祭りも終わり、秋雨前線か、はたまた今までの分を取り返すぞと、強烈な残暑に突入するかまったく謎の8月も終わりに近づいている。

 では一句・・・・・「浴衣着る下駄の鼻緒に母の愛」

 はき慣れない下駄って鼻緒の指で挟む辺りが痛くなるんですよね。

 ちょっと柔らかい布で手当てしてくれる優しいお母さん・・・・ですよね。

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雨には強い益城ルネサンス熊本

2014-08-24 14:19:00 | スポーツ

 降雨確率は朝20%で昼40%と予報は悪化、昨夕までの20%見通しから悪くなってしまった益城町地方であったが、とにかく弁当をもって出っ発ァ~つ。

 本日は九州女子サッカーリーグ第10節「益城ルネサンス熊本FCvsNW北九州レディース」の試合が益城町総合運動公園グランドで行われるのである。

 なにしろ1ヶ月ぶりくらいの試合なので、配偶者も朝から弁当作りに入れ込んでいた。

 出発数分前から本当に雨模様に・・・・。

 グランドに到着したら私だけ車庫の中に傘を忘れたため、駐車場で車から降りられず、配偶者のみ降ろして私は傘を取りに自宅へUターン。

 再度到着したときはキックオフの笛は鳴っていた。

 Dscn1754

 (傘を差しての応援で、拍手もままならない皆さん)

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 (ゴールシーンは五回くらいあったが・・・)

 カメラが濡れるので、片手で傘をさしながら写すことになって不自由なこと。

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 (ボードを確認すると5:0で勝利)

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 (めっぽう雨の試合が多いのはなぜ?)

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 (敢闘賞はGK牛嶋選手)

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 (MVPはMFで主将の亀岡選手)

 さてチームは、皇后杯の出場も決まったそうで、頑張って貰わねば・・・などと。

 チャレンジリーグ入れ替え戦出場を目指す九州リーグも後2試合を残すのみとなったので、いまからベストな状態に向けチーム作りをしてほしい。

 今年はいけるぞ。ファイトだ益城ルネサンス熊本FC!!

 

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ねこの写真展にいく

2014-08-23 10:19:03 | おでかけ

 熊本県立美術館の分館に「ねこ(岩合光昭写真展)」を観に行った。

 配偶者の要望で以前から行く予定だったのだが、いろいろな行事が立て込んでいたし、そうでないときは雨ばかりということで、とうとう終了2日前にやっと行けることになったのだ。

 Cimg4995

 「ねこの写真展」だから、それはもう猫・ねこ・ネコ・寝子というわけで猫まみれ。

 おまけに猫の撮影にまつわる岩合氏の動画がエンドレスで流されていて、猫好きにはたまらない企画だろう、沢山の人で溢れていた。

 美術館の1Fと2Fを使用して展示しているのだが、その2F入口には見に来たお客さんが自分の家の自慢の猫の写真を持ってきて壁に貼り付けているのだが、その数が半端じゃなく壁一面を覆っていた。

 我が家的には、入場券に使用されてる猫の親子の写真が一番受けた。

 父猫・母猫・子猫が並んでこちらを見ている構図だが、それぞれの猫の立つ位置・表情などが端的に関係性を表現していて、気に入ったので持ち帰った。

 Cimg4999

 父親のキリッとした顔立ちが何とも言えずいいではないか、ネコは自分の置かれた立場で顔の表情を変える。

 人間も見習わなければと、いつまでも悟りきれない私としては反省しきりである。・・・・それにしても良い面構えですなあ。

 それじゃあ猫がらみの句をひとつ・・・。

 「死んだ猫の話に辿りつく夕げ」

 19歳・・・人間と上手く付き合ってくれた猫だった・・・・。

 

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初めての俵万智

2014-08-21 10:47:20 | 本と雑誌

 川柳から派生して、俳句・短歌などの本を意識的に読むようになった。

 今回は、サラダ記念日とかいう歌だけは聞いたことがある、くらいにしか知らない俵万智の歌集を3冊図書館から借りて読むことに。

 Dscn1728

 「オレがマリオ」俵万智著 2013.11文藝春秋刊

 沖縄(石垣島)に転居して後の、子供との生活を詠んだものが主体。

 「風が笑えば」俵万智(著) 奥宮誠次(写真)2012.2中央公論新社刊

 著者によれば、歌に合わせて写真が出来たのではなく、今回は通常はやらない写真を見ながら歌を作ったということである。

 「題詠」はよく行われることなので、写真から感じ取れるものを詠んだということだろう。

 「プーさんの鼻」俵万智著 2007.2第6刷 文藝春秋刊

 表題にもなっている「プーさんの鼻」の項が一番好きだった。

 家族・友人・恋愛等もあるが、なにしろ娘の子の現状と、ほぼ同じ年齢相当の頃の親子関係を詠んでいるのでぐっと胸に来るものがあった。

 俳句が季語や風景から人間の内面を詠むものに進み、川柳が滑稽や穿ちから自分を詠む現代川柳へと進むうち、両者の垣根が低くなった気がしたが、短歌も「俵万智」を読む限りす~っと胸に入り込み、随分身近なものになった気がして嬉しくなった。

 今回「俵万智」を3冊読んでいるうち、31文字のドラマに少々興味が沸いてきた。

 

 まあ、川柳17音字も頑張らねばと思う。

 では一句・・・「癌と住む共に時間を友として」

 

 

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布団干しと降雨確率

2014-08-19 09:16:51 | 日常あれこれ

 8月に入って殆ど快晴の日はない。

 7月の梅雨明け後、少し晴れの続く日があったが、それも台風などの影響で日照は例年に比べ極端に少ない。

 天気予報は降水確率50%で夕方からは20%だというし、空を見上げれば雲は多めながら薄雲で陽も射していて、久々に布団を干してみるかと殊勝なことを考えた。

 Dscn1727

 1~2時間経った頃、「雨だよ~!」と階下から配偶者の声がする。

 慌てて窓の外を見ると、小糠雨というのだろうか微かに雨が降っている。

 通常なら空が曇って雨の予兆がある筈なのだが、上空には降りそうもない薄い雲があるだけ・・・。

 どこかに雨雲があって、風に流されてやってきたのだろうか。

 取り敢えず、バタバタと布団を取り込む。

 「濡れているのは一部分で、それもビックリするような濡れ方ではないので、通常の除湿乾燥程度でなんとかなりそうだよね」などと、非難ごうごうの配偶者に言い訳半分で、自分を納得させる独り言的セリフをボソボソと・・・・。

 今朝の新聞を見ると、この夏は地域によっては平年の30%程度の日照しかなく、台風の風で穂先や葉先を痛められた田んぼも多く、農家にとっては心配の種が尽きない夏になりそうだという。

 それにしても降雨確率20%とか50%、日照は30%などパーセントで示される数値に慣れっこになっていて、%に抵抗感が少なくなったなと痛感する。

 この%をどう解釈するかは個人の自由なのだが、どうも日本人には平均的な解釈の基準のような共通認識があって、それがパーセント万能社会を形作っているのだろうと思う。

 ちなみに、布団を取り入れた後は日射しが戻ってそのまま夕方まで一滴の雨も降らなかった。

 そう言えばこの前、川柳の新聞投稿で結構いい評価を得た一句を・・・・。

 「濡れたまま傘も心も折りたたむ」

 な~んだかなあ~。

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天辺で何を目指すか花の蔓

2014-08-17 10:19:32 | 日常あれこれ

 「いま最高潮です」と言われたらご用心のようである。

 絶好調だの史上最高の売り上げだのと、隆盛が続くと思えた企業の凋落振りが甚だしい。

 およそ企業も人間も同じで、一気に隆盛を極めたものは短期間に没落していく傾向が強いようだ。

 創業以来何百年などという商売は派手ではないが、生活に密着したものをコツコツと作り続けたり商い続けたりしていて、伝統文化となっていたり地域のなくてはならない共通の財産になっていたりする。

 グローバリズムの対極に位置する、ローカリズムとして根付いている。

 Dscn1726

 何処かに限界があって、再現もなく成長は出来ない筈であることは経済学者でなくとも判る。

 空に向かって張られた網を朝顔の蔓は、天辺に達して行き場を無くし虚空を掴むように先端を風に漂わせる。

 垂れ下がった蔓の先が、運良く下の方の網にとりつく事が出来たら、その位置からまた上部に向かって絡まって伸びていく。

 こうしてみると、人生最悪の時期というのは、残されているのは良い方向に向かう希望だけということになり、むしろ喜ばしいことなのだろうか。

 「栄枯盛衰」は大袈裟すぎるから、せめて「得意澹然・失意泰然」は日頃から訓練しておくべきかも知れない。

 さて、今日の一句・・・・・「天辺で何を目指すか花の蔓」

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戦後よ永遠に

2014-08-15 10:33:36 | 人声人語

 8月15日は日本がポツダム宣言を受諾し、昭和天皇による戦争終結が国民に告げられた日である。

 私も戦争を経験していないので、戦争を知らない世代ということになる。

 しかし、私は父が徴兵され戦地に向かう輸送船が潜水艦によって沈められて死亡したという戦死公報の後に生まれたわけで、生まれながらにして戦争は私の人生に影響を与えたという意味でなら戦争を知った世代ということになる。

 戦争こそが究極の人権侵害だと認識できることが即ち戦争を知っているということに他ならない。

 被害者であると同時にそれ以上の加害者だという意識をもつ必要がある。

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 死んだ弟を背負って焼き場の順番を待つ少年の胸に去来するものはなんなのだろう。

 戦争の無情さだろうか、それとも敵への復讐心だろうか。

 戦勝国として進駐して来たマッカーサーが言ったという、「日本は12歳の少年のようだった」という意味が分かるような気がする。

 広島の原爆記念公園に「二度と過ちは繰り返しません」と記されていることについて、原爆を落とすという過ちをしたのは米国であって、日本人が誤る必要はない、と言う人たちがいるという。

 国民も政府も、もっと大人にならなければならないのに・・・・・。

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 特攻基地で終戦の報を聞いた整備兵は、滑走路の向こうにある夏草に始めて気がついて、生きていられることを実感したという。

 いつまでも戦後が続くよう決意を新たにする日、それが今日なのだろう。

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お盆雑感

2014-08-14 10:52:41 | 日常あれこれ

 お盆の帰省ラッシュが始まっているようだ。

 生まれ故郷は極めて近いし、お墓以外にはもう住む者とてない古里なので、お盆と正月それに春・秋のお彼岸のおりに墓参だけに帰っている。

 新しい家を構えて20年が過ぎ、生活の基盤が固まってしまうと墓参に帰るというより墓参に行くという感じが強くなる。

 住む者とてない古里であっても、先祖の墓があり少年期を過ごした本籍地のある田舎が古里なのである。

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 当の昔に統廃合によって廃校に成った小学校は、縫製工場に変わってみたりしながら建物だけは残っていたのだが、その工場も閉鎖されて廃屋だけが佇んでいる。

 私が建て替えたお墓も、建立当時は新しく存在感があったが最近は近所の墓の立て替えや、新しい墓が増えてむしろくすんだ感じで逆の意味で存在感が増している。

 それでも昔からのお寺の檀家の末席に入れてもらっているせいで、法事などの際は住職がわざわざ車で私の住む今の町までやってきてくれる。

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 私のお墓の前で泣かないで下さい。私はそんな所にはいませんよ。千の風に乗って大空を漂っているのですから・・・・みたいな歌詞の歌があったが、そうなると私の墓参はどうなるのかと突っ込みたくなる。

 考えて見ると、成人している子供達にとってはこの家を古里と思える筈もなく、ましてや私の本籍地を古里と思える筈はない。

 息子は、帯広にいた時に生まれたのだが、北海道まで自分の生まれた土地がどんな所だったのか、見に行ったと話してくれた。

 思い出せばお盆や正月くらいは帰ってくる子供達だが、彼らは両親に逢いに行くのであって、両親の元に帰っていくという認識ではないことだけは確かなようだ。

 おまけに私の地域は新盆で7月15日ときているので、とっくにお盆は終わっていて仏壇の先祖は2度目の出番に戸惑ってはいないか気になるところである。

 

 

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